2020年12月31日木曜日

優秀な治療者を目指すのではなく、各々の患者さんに対して治療的で柔軟に対応できる治療者を目指したい!

年末になると、自分の中で回想することがあります。

以前、家族療法の大家である吉川悟先生の指導を受けていた時期がありました。
その吉川悟先生から
「作田先生は、優秀な治療者を目指しているね。でも、患者さんにとってよい治療者とは、患者さん各々に治療的に柔軟に対応できる治療者が本当に良い治療者なんだよ」
と指導され、自分の頭の中に強い電流が走ったような衝撃を感じました。
 
治療者ありきの患者さんではなく、患者さんありきの治療者へと転換するそのコペルニクス的転回。
言ってしまえば「病を診るのではなく、人を診る的な感じですね」

それ以後、地道かつ継続的に患者さん各々に対して治療的な対応ができるように努めている日々です。
各々の患者さんに対して柔軟に治療的にアジャストして、小さなヒットを積み重ねる治療者でありたい。
吉川悟先生に言われたその日からずっと、その想いを大切にし続けているつもりです。

治療者を引退するその日まで、その想いを大切にしていきたいと思います。

 

 

2020年12月24日木曜日

診療時間を減らし、売り上げを減らしていく方向で検討しています

 当院は夜は遅くまでしていないですし、土曜日は休診だしと、診療している時間がクリニックとしては少ない方だと思います。

実際、患者さんにも『もう少し夜遅くまでやらないの?』『土曜に診療していないの?』という問い合わせを受けたりもしています。


Webサイトの『お知らせ』でも告知させていただいていますが、僕自身は、むしろ反対に診療時間を減らしていきたいと考えて、来年1月より診療時間を減らしていく方向です。


その最大の理由は、僕の診療のセールスポイントは、診療行為そのものにあるからです。

診療という限られた時間の中で、薬物療法、精神療法(心理士との協働でのカウンセリングも含む)、心理社会的なアプローチ(診断書作成などを含む)などを含めた行為を、自分なりに診療時間外でも勉強したり、僕自身が指導を受けたり、次回の患者さんの診察に向けての準備を診療が終わってから毎晩しています。


むしろ診療時間以外は、次の診療に向けての準備期間と捉えて生活しているような日々です。

その時間をちゃんと確保しないと、僕の診療は成り立たないのです。


「診療は試合!」という考え方です。

1週間前、1か月前、1年前、開業前よりも、 僕なりに診療上の知識、意識、治療の技術は進歩してきたと思っています。

しかし、それに反比例して診療は混み合ってしまい一人一人にかける診療時間は減少傾向にあります。

そういった背景もあり、初診の受付を中止したり、来年からは診療時間を減らしたりしながら試行錯誤中です。


自分の中で大切にしていることは、「良い診察(≒試合)」をして、少しでも患者さんを楽にする一助を担いたい。

そして、患者さんから、それなりに納得してもらってお金を頂いて、そのお金で家族や従業員に還元していきたい。

この循環を大事にしたいからこそ診療時間を減らして、診療の準備に時間を割きたい。


全ての患者さんのニードに応えることは当院ではできないことが分かっているからこそ、自分のできることを追求していきたいという想いでこれからもやっていきたいと思います。

2020年12月17日木曜日

生きること、そのものがカウンセリング!

 現在、映画でも大ヒット中のアニメ『鬼滅の刃』で、主人公を含むメインのキャラクターが、地道かつ過酷な鍛練の積み重ねにより会得する、睡眠中を含む二十四時間つねに全集中の呼吸を維持し続ける身体活性化の高等技術の一つである 「全集中“常中”」というものがあります。
当物語の剣士の中でも最高位である「“柱”になるための入り口」とされており、基礎であると同時に奥義にも近いものと思われます。

鬼滅の刃でいうところの戦闘中など真剣に向き合う場面が、僕の仕事でいうと診察になりますが、実際、僕は診察室から一歩出ると、セラピスト的な部分はオフになります。

しかし、「柱クラス」のセラピストになるには、やはり起きている間、いや寝ている時も?「全集中の“常中”」するくらいになると、より良いセラピストになれるのかもしれません。

そこまでは実際問題無理ですけど、日常の家族関係や職場でのスタッフとの関係や友人関係でも、なるべくセラピスト的な視点を持ち続けて診察室とプライベートの違いを埋めていきたいと、鬼滅の刃で一生懸命戦っている彼らを見て感じました。
彼らは、生きることそのものが戦いでしたが、僕の場合は、生きることそのものがカウンセリング!となるように日々を「全集中!」していきたいと思います。

2020年12月10日木曜日

僕の一番の強さは、弱い自分を認めているところだと思います

 「無知の知」は、ソクラテスの「知らないことを自覚する」という哲学の出発点に向かう姿勢を簡略して表現した言葉です。


ある時、ソクラテスの弟子の興味により、アテネで一番の知者が自分自身である、と巫女を通じて神の預言として授けられたことを間接的に知ることになりました。

その預言を聞いたソクラテスは、そのお告げの意味を解明するため、賢者とされる人や高名な人を尋ね歩きました。

その結果、全ての人は「何も知らないのに知っていると思い込んでいる」ということにソクラテスは気づき、やはり一番の知者は自分かもしれないと思うのです。

なぜなら、知らないということをわかっているという点が、知恵のある者だからです。


僕自身で置き換えると、自分の弱さをちゃんと気づいている部分が、自分の強さだなと思います。

自分自身は、炊事、洗濯など女性ができる家事や料理が全然ダメで、妻がいないと生きていけません。

また治療者としても、不全な部分を自覚し、心理士、受付スタッフがいないと診療できません。

患者さんの在宅上のサポートの弱さを自覚し、当院の上階に訪問看護ステーションを招聘してサポートしてもらわないと、僕にとっての精神科の診療はできません。


また、クリニックの運営とか事務部門が僕は非常に苦手で、事務長に助けてもらわないと運営できません。

その他にも諸々、自分の弱さを補強していくために多くの人に積極的に「助けて~」と、鬼滅の刃の我妻善逸なみに周囲に訴えかけて、周囲に助けてもらう体制が段々と形になってきているところです。


その起点は、僕自身が自分の弱さや限界に気づいていることだと思います。

僕は一人では生きていけません。

妻がいないと、事務長がいないと、当院のスタッフがいないと・・・ダメなんです。


これからも、どうか皆さま、僕を見捨てずに助けてください。

そして周囲の皆様に助けてもらって、日々、どうにか病み気味で何とか踏みとどまっている自分が、今日も治療者の恰好をして何とか診療していこうと思っている日々なんです。


自分のこの弱さを大切にして『今日も、たくさん周囲の人に依存して生きていくぞ~』と、鬼滅の刃の我妻善逸をみて余計にそう思いました。


2020年12月3日木曜日

治療的だと思ったのなら、介入しない方がダメ!

 診察を通して、患者さん自身が、新たな価値観や思考が発生していくことの手助けをすることが治療だと思っています。

そういった意味で、日々できるだけ治療的な関わりをしていくことを心がけています。  


ブリーフセラピーの日本の創始者である長谷川啓三先生が「セラピーとは、泣いて来たクライエントを笑って帰すことです。」と非常にわかりやすい説明をされておられます。

僕自身、そうしたことを目標にしつつ、患者さんに関わろうとしていますが、残念ながら、失敗の連続です。


でも、患者さんの診察での介入の中で、99敗1勝でもいいから、その1勝のアプローチを契機に、患者さんの中で何か治療的な転換点が生まれることが大切だと思っています。

だからこそ、失敗を恐れないで(できれば、ドクターXの大門未知子のように、「私、失敗しないので!」と言いたいところなんですけど。)誠実に、治療的に関わっていきたい。

患者さんに治療的だと思ったのなら、まず、それを信じて介入していく。失敗したと思ったら、すぐに修正、変更していく。


これを繰り返していく、その柔軟性を大切にして、これからも勇気を出して、治療的に関わっていく努力を続けていきたい。

それが、僕の治療者としてのスタンスです。

2020年11月26日木曜日

人生で苦悩以上につらいのは暇かもしれません

 これまでのブログでも何度か話していますが、僕は「作田整骨院」の息子です。

僕が子どもの頃の父は、指圧マッサージをしていたせいか、父の親指は、ゴツゴツして変形していて、指紋はありませんでした。

父はいつも「仕事はきついわ~、60歳頃になったら辞めたいわ~」と、半分冗談で親戚とかに話していたのを覚えています。

僕は、父と性格的に似ていて「60歳頃を目途にやめたいわ~」と同じように話している姿が、同じ年齢だった父の発言と自分の今と重なります。


父は実際、60歳で大病を患い、作田整骨院の院長職を退職しました。

その後、数か月の闘病生活で病気は治癒し、なかなかできなかった旅行や遊びなどを、老後生活として数か月間楽しもうとしました。

しかし、まもなく、ひどく深刻な表情で「しんどい~、ひまや~」と、父は話しだしました。


その後、家族で話し合って、家の和室の一室を少し改装して、再び、作田整骨院を再開することになりました。

それから、15年が経過し、父は75歳となった現在も、実家の和室で、作田整骨院を細々とですが続けています。


父曰く、仕事はしんどかったけど、ひまの方が仕事以上にしんどかった、とのことです。

僕も父も、ADHD傾向で、落ち着きがありません。

「忙しい、大変や~と言っている時が、実は、人生が充実している時やで。」と父が話していました。

仕事でも生活でも、色々忙しい、苦しい~と感じられているのは、充実している証拠だと思って、日々を送ることにしておきます。


2020年11月19日木曜日

個人が、家族が、社会が、フードコート化している印象です。

 来年の1月に、堺市発達障がい者支援センターで講演を予定していて、休日や空いた時間をみつけては、その講演の準備をしています。

その講演で「発達障害者が、定型発達者と違っててもいいやん~」と訴えたい気持ちもあるけど、社会的な現状などを考えたりした際に、そんな綺麗ごとだけではダメだなという気持ちもあります。

そもそも僕自身という個人においても、対人への受け入れ幅は、年々狭くなってきている気がします。

コンビニとかでもレジでちょっと待つだけで以前よりもイライラします。

また、家族で外食に行こうと話しあっても、各々が食べたいものを譲らないから、結局、フードコートに行ったりします。

お互いに譲り合うとか、協調性は年々低下している気がしています。

社会全体においても、間違いを犯した人間に対してSNSなどを含めて容赦ない鉄槌を下す感じは、僕自身、恐怖すら感じたりします。

社会的、組織的、家族的、個人的あらゆる角度から、違いや受容する幅が年々狭くなってきているような感じがします。

それだけ社会的に色々なことを受容せよという圧力を、みんなが受け過ぎて逆説的に受け入れ幅が狭くなっているのかもしれないとも感じています。

だからこそ、発達障がい者支援センターでの講演では、違っていることをちゃんと診断として出してあげることで、自分自身やその人の周囲の人に分かってもらう必要があると結論づけたいという思いがあります。

僕自身は、最近は発達障害の診断は、鋭敏かつ広く診断するようになってきています。

大人で40歳台とかの人でも知能検査を改めてやってもらって、発達障害とか知的障害とかを明示化していくようにすることが増えています。

「リアリティーの向上は、常に朗報である!」という考えで、なるべく診断や見立ての精度を僕自身があげていって、患者さんが、自己受容、周囲の人にも受容してもらえるように、そのきっかけが、診断や精神保健福祉手帳、医療的な支援(薬物療法、心理教育、精神療法)などになったらいいなと考えています。

診断とかをつけないと、「能力障害なのに、モラルの問題、やる気の問題とか、KYなやつや!、コミュ障やな~!」なとと絶えず周囲から否定され続けて、本人自身も自己否定が強まっていくのを防いであげたい。そういう防波堤になることもあるので、僕の役割は重要やなと思う今日この頃です。


2020年11月12日木曜日

リアリティーの向上は、常に朗報である!

 診察というのは、患者さんとの共同作業で、限られた場所や時間内で診断や治療をしていく訳ですが、精神科医として見立てを立てることが、 診察上で一番大切なことだと考えています。
そして、その一番大切な見立ては、診察の中で変化していきます。

その際に大事にしておきたい言葉が、僕の精神療法を指導してくれている人からいただいた格言です。
「リアリティーの向上は、常に朗報である!」

また、杉山 登志郎先生(福井大学子どものこころの発達研究センター客員教授)から指導をしてもらった時に言われた「真実が、一番、患者さんを傷つけないよ」という言葉。

J.Y.Parkさん(ソニーミュージックとJYPの合同オーディション・プロジェクト「Nizi Project」でも有名な音楽プロデューサー)の名言の「真実、誠実、謙虚」などがあげられます。

診察という場で、少しでもリアリティーを向上して、患者さんに治療的に関われるようにしていきたいと思います。

2020年11月5日木曜日

アナ雪で伝わった僕なりの解釈

 今回は、言わずと知れたディズニーアニメーションの映画「 アナと雪の女王 」 について、あくまで個人的な僕なりの解釈と思った事を投稿させていただきます。

「 アナと雪の女王 」 日本では「アナ雪」と略されてますが、この物語で登場する『エルサ』は、生れながらに触れたものを凍らせたり、雪や氷を作る魔法がつかえるという「特徴」がありました。
ただその特徴により、妹に怪我をさせる事態をまねいてしまったり、他者と自分との違いや、異質性に対して、恐れ、慄き、不安を感じ、それは両親も同様に感じており、周囲には、隠蔽し、ひきこもるようになりました。
しかし、妹のアナからの愛という想いを受けて、自己否定から自己受容が始まっていきます。
そうした中で起きた奇跡が、魔法を解除し、むしろ、その魔法で人々を幸せにするという逆転の発想となり「特徴」が「特長」となっていきます。

発達障害の支援でも、同様で、当初は様々な発達障害者の抱える問題や「特徴」を直そうとしますが、一歩間違えると幼少の頃の『エルサ』のようになってしまう可能性があります。
問題を直そうとすることを否定するわけではありませんが、「特徴」を「特長」にしていき、「直す」ではなく「活かす」ことが大事だと「アナ雪」で感じました。

発達障がい者での悪循環の多くは、『エルサ』と同様に、自分の「特徴」に対しての不安や慄きからくる自己否定です。
この自己否定は、周囲から受容されてこそ自己受容していき、「特徴」が「特長」になっていくのではないでしょうか。

だって、この世の中の多くは、エジソンが電球や蓄音機を発明したり、最近では、スティーブジョブズがスマホを発明したりと、ASDの人が作ってきた部分が大きいわけですから「アナ雪」の話しは、実際のエジソンやスティーブジョブズの伝記と重なるところが多いと思います。

 

 

 

 

2020年10月29日木曜日

シンパシーとエンパシー

 今回のブログは、「シンパシー」と「エンパシー」の違いについて紹介したいと思います。

「シンパシー」という言葉は、何となく聞いたことがあるという方はいるかもしれませんが、「エンパシー」は、あまり聞きなれない言葉ですよね。
「自閉スペクトラム症の精神病理」内海健 著(医学書院)という本で「シンパシー」と「エンパシー」の相違について記載されており、その本での一説では、このように説明されています。

 『「シンパシー」とは、「こころ」を介さない無媒介なもので、つまりは、自他未分な地続き的な共感で、むしろ「共鳴」といったものです。それに対して「エンパシー」は、他者の心に対する「共感」で、より論理的で、社会的な共感です。』

ちょっとわかりにくいですよね?
共通しているのは、どちらも『共感』という意味合いを持つ言葉です。
この『共感』という部分の違いを「共鳴」というニュアンスの違う似た言葉を用いながら、極端に解りやすい例であげると、

 ・宮川大輔さんの食レポの「うまい!」と絶叫するのは、その料理という物に対してのシンパシー的な共鳴です。
  一方、彦摩呂さんの食レポで「○○の宝石箱や~」など、視聴者が、どう感じ、どう伝わるかを意識した視聴者のこころを介した表現の仕方は、エンパシー的な表現だと言えます。
 ・スラムダンクの漫画でいうと、エンパシー側は、桜木花道で、シンパシー側は、流川楓。
 ・ドラゴンボールでいうと、エンパシー側は、孫悟空で、シンパシー側は、ベジータ。
 ・鬼滅の刃でいうと、エンパシー側が、竈門丹次郎で、シンパシー側が、富岡義勇。
 ・白い巨塔では、財前先生が、シンパシー側で、里美先生が、エンパシー側など。

ドラマやアニメでは、多くはエンパシー側が主人公になりがちで、そのライバルとか、重要なキーマンに、シンパシー側がなりがちです。
乱暴な例えかもしれませんが、キャラクターにあてはめると、エンパシーとシンパシーという「共感」の仕方の違いが、何となく感覚で理解してもらえるのではないでしょうか?

この、「シンパシー」と「エンパシー」という「共感」における2分法は、ASDの心性を理解するのに非常に有用となります。
ASDの人たちの多くは、こころを介した共感、すなわち「エンパシー」が苦手で「シンパシー」の方が得意です。
シンパシーは「心の理論」を介さないもので、「こころ」を経ないで成立し、むしろ「こころ」は邪魔になります。
人間以外のものは嘘をつかないし、ウラがない、そして裏切ることもない。そうした物や生き物に対して、ASDのシンパシーが発揮されることがあります。
釣りの達人、虫取りの名人、カリスマ的な飼育係など、シンパシーによる交感には「こころ」という屈折がなく、表現と意味が一体になっています。

一方、定型発達者では、生後9か月革命といわれる、ひとみしり以降、エンパシーがシンパシーにとってかわっていきます。
それに対して、一部のASDでは、シンパシー能力が保たれ、定型者が、こころを経由しないとわからない他人の状態がASDには直接に伝わることがあります。

たとえば、親や周囲の人の不安や怒りを直接感じ取ったりします。ただし、それを言語で表現する術を持たないので、表現するときにはパニックで反応することが多くみられます。
他方、ASDは、悪意、善意、親切、嫉妬、やっかみ、ふてくされ、不機嫌、当てつけ、皮肉などとなると、さっぱりわからなくなります。
これらは、「こころ」を前提としているからであり、こころを介した感情はよくわかりません。

シンパシーは、ソーシャルな場面になると、場違いなものとなりがちです。
例えば、禿げ頭や片腕がないといった人の欠陥を、あからさまに面白がったりします。
そこには、相手を侮辱する意図はありません。
彼らにしてみれば、ただただ面白いだけなのです。しかし、その場に居合わせた人はびっくりしてしまいます。

ASDと定型者との違いを理解する上で、この「シンパシー」と「エンパシー」という感じ方の違いを、このように定義しておくと理解しやすいと思って、少しだけ述べさせていただきました。

 

 

 

2020年10月22日木曜日

自分の治療スタイルを考えて働くということを考えました

当クリニックのWebサイトでもお知らせさせていただいておりますが、11月、12月に、臨時休診を数日とることにしました。
また、令和3年1月より、毎週火曜日は、午前診のみの診療に変更とさせていただくこととなりました。

自分の診療スタイルは、一人ひとりの患者さんに保険診療枠内(初診は30分前後、再診は5分~10分前後という時間制限の枠内)で、少しでも治療的に効果的に関わるように日々努力するということです。
現時点でも、己の未熟さと日々向き合いながら診療を続けています。

そこでの課題として、自分自身の心身の疲労が蓄積した状態で診療がうまくできていない部分については、もう少し、自分自身の心身の状態を整える時間が必要だと感じました。
また、自分が疲弊していくと、診療だけでなく、自分の身近にいる人も大事にできなくなる恐れを感じています。

僕は、精神療法の中でも、特に家族療法的なアプローチを重視している精神科医です。
その自分が、 身近にいる自分の家族やスタッフ、そのスタッフにも家族がいるわけで、そうした自分の一番近くにいる人たちを大切にしていくスタンスこそが、最も重要だと考えています。

そのためには、診療時間を減らしてでも、取り組むべきことだと判断しました。
その分、治療の質が少しでも上がることで患者さんに還元していけるように精進していきたいと思います。
患者さんにはご迷惑とご負担をお掛けして申し訳ありませんが、何卒ご理解の程よろしくお願い致します。






2020年10月15日木曜日

子育て環境の時代の変化

 今回のブログは、診療において子育て中の親御さんや、その祖父母の方から「我々が子どもだった頃は~」と話されることを耳にすることがあり、現在の子育ての環境を考える上で、一度、子どもや家族の状況に関しての歴史を、歴史的時代背景を踏まえながら、おおまかな時代ごとに簡略に追ってみたいと思います。

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・先史時代(縄文・弥生時代)
狩猟・農耕の時代で、家族単位で自立する経済的環境はなく、子育ては親が中心でありつつも「村」の中で行われていたと考えられています。
多産多死で、出産時の母の死亡率も高く、子どもの生存率もきわめて低かったようです。

 
・古代(飛鳥・奈良・平安時代)
ある程度階層が分化し、貴族・豪族・専門職などが成立し、身分格差が生まれ、家の継続意識が生まれてきました。
家族の役割は、人口の再生産と子どもの養育とされ、身分格差・子どもの格差が生まれました。
子どもは親の従属物とされ、子捨て・売買も行われ、庶民の子どもは裸で遊んでいました。

 
・中性(鎌倉・室町・戦国時代)
武家社会で、農業の発展とともに新たに多様な職業が生まれ、それらを継承するために「家」という概念が強まり、「家」では子どもは後継者として位置づけられ、寺社にて武家の子弟(してい)らは稚児(ちご)として入り教育を受けました。
しかし、相変わらず多産多死(16歳までに半数が死亡)で、生活のための堕胎、間引き、子捨て、売買がありました。
当時の小児医療は、民間療法と祈祷が主体で、成人まで成長できるのは半数程度だったようです。

 
・近世(江戸時代)
社会が安定し封建的な家長権が男性たる家父長に集中している家族の形態である家父長制(かふちょうせい)が確立され、職業が固定化、都市では商品経済が発達し、結婚して家庭を持てる人が増加しました。
家業を継承・維持するための子育てへの関心が高まり、教育への必要性も高まり、家庭外教育として寺子屋が普及しました。

 
・近大(明治~戦前)
新政府による富国強兵策により急速に西欧化し、その後、大戦から敗戦に至る過程で社会構造も激変しました。
子どもや家族を巡る最大の変化は、いわゆる「生めよ増やせよ」政策による多産の奨励で、小児人口が増加しました。
初等教育が全体に普及し、立身出世が目標とされ、国家政策的に家庭の役割や母性が強調され、小児医療は西洋化され、西欧的育児法も導入されました。

 
・現代(戦後~現代)
第二次世界大戦後、人権意識が変わり、社会が安定し、科学技術が進歩し、個々の生活が豊かになり、家族と子どもの環境は、出産の調節、医療水準の向上、生活条件の改善などによって、少産少死時代になりました。

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上記では、江戸時代頃までは、生まれた子どもの半分は7歳頃までに死亡していたと考えられ、生き残ることが最も重要な課題でしたが、現代、出生数はこの100年で半減しましたが、半分以上の子どもが死んでいたという時代から、生まれた子どものほとんどが生存できる時代になり、小児の死亡率はきわめて低くなりました。

今、我々が生きる時代である現在の状況では、飢餓問題は消失し、飽食が日常になり、幼児期からの教育が一般化し、教育内容は高度化し、そのなかで低年齢からの競争が生じています。
生活環境では、居住環境の快適化に伴う密室化と孤立化へと変化していき、その結果として、家族や個人が孤立するという状況が生まれやすくなっています。

過去の歴史を遡ると、子どもの遊び空間は基本的に屋外でした。
しかし、自動車の激増、犯罪やコロナ感染の懸念などにより、自由に遊べる空間は都市部を中心に激減し、代わってゲームを中心とした仮想の遊び空間は増大してきています。
さらに、子どもを市場とした商品・情報が氾濫、医療の無料化など、子育ての環境の変化は激しく、こうした変化に伴って、生物学的なリアリティーの希薄化、コミュニケーション能力の低下、母親への過剰な育児負担などが生じやすくなっているといわれています。
 
得てして、小児医療においては、身体調節機能の低下、アレルギー疾患の増加は、きわめて現代的な現象で、家屋構造、食生活、感染症の減少など生活環境の変化と関連づけられており、特に発達障害の激増や顕在化は、子どもの環境の変化が大きく影響している可能性が高いといわれています。

また、核家族の進展からの孤立化した家族、特に母親の育児に関連する不安・緊張に起因すると思われる育児不安や虐待も大きな問題です。
育児は、母親的役割を担った存在を中心とした家族全体で行われることが最も効率的であり、つまりは、育児は家族全体の問題ではないでしょうか。

子どものこころや体の成長を育んでいくために、こうした時代の経過があることなどを、教科書から抜粋し改めて考える必要性を感じています。

 

 

 

 

2020年10月8日木曜日

1日の診察が終わって思うこと

毎朝、僕は診療が始まる前は、ものすごい予期不安で一杯になります。
 

『今日一日、患者さんに少しでも治療的に関われるだろうか?』
また、『患者さんの待ち時間が長時間発生しないように、今日も1日、円滑にクリニックが運営出来るだろうか?』
と、色々な想いを胸に日々診療しています。

理想は、その日1日、及第点でもいいので、全ての患者さんに治療的に関わって診療を終わりたいと思っています。

しかし、残念ながら非治療的な関わりになって診療が終わってしまうこともあります。
そうなると、診療が終わってから、患者さんがしんどい中で、当院の治療にせっかく来てくれたのに期待に応えれなかったことが残念で仕方ない気持ちでいっぱいになります。

そこで思い出す言葉が、イチロー選手が日米通算で4千本安打を達成した際の記者会見で言った言葉です。
「4000本のヒットを打つために、8000回以上の悔しい思いを僕はしてきている。その中で、常に自分なりに向き合ってきたという事実がある。誇れるとしたらそこではないかと思う。」
という言葉です。

この言葉を胸に、これからも自分が少しでもより良い診療ができるように、前を向いて自分なりに向き合い続けていきたいと思います。

 

 

 

 

2020年10月1日木曜日

最近の僕の患者さんを診療する上で大事な座標軸

 多くの病気を診療していく上で必要なことの一つとして 「生物学的」ー「心理学的」ー「社会的」な観点がよくあげられます。
僕の専門としている精神疾患は特に、この観点でみていく必要があります。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行に伴い日本だけでなく、世界中の社会的・経済的影響と今後の変化もまた、多くの人のストレスや病気の要因の一つになるのではないでしょうか。
コロナ渦で「自粛警察」というワードもメディアで頻繁に報じられていましたが、同調圧力というものがより顕在化されました。

ただ、そんな日本でも少しづつではありますが多様性を認める社会にもなりつつあると感じています。

精神科領域においても、今ほど心療内科のクリニックが市中になかった時代に比べると、良くも悪くも様々な精神疾患が身近なものになり、精神疾患であると診断されたとしても、社会の理解も以前よりは深まってきているように思います。

しかしその反面、症状が軽度な場合、明らかな症状として浮かび上がりにくくなり、診断されることがなく、本人は気づかないまま、色々な不適応体験をされてからクリニックに来られる患者さんがよくおられます。
診察室での説明で、診断されにくいタイプの精神疾患の特性であることに気づくことができ、本人自身も「どうりで生きにくかったわけだ」と自己理解し、納得されるということもよくあります。
まだまだ精神科の領域は、こうした軽症の患者さんを見極める知識や経験に、なかなか追いついていないんだと思います。

僕は、「ASD」「ADHD」「HSP」という3つの座標軸で患者さんを診ておく視点の重要性を最近は感じています。
多くの軽度発達障害の方や、HSPなどの過敏さが高い人のしんどさに気づけるようになっていかないといけないなと思っている今日この頃です。

2020年9月24日木曜日

相補の関係について

今回は、夫婦関係をはじめとするパートナーとの関係性において、類似性や相補性、そして相称性についてふれてみたいと思います。

まず対人関係で知らないもの同士が仲良くなっていく際に、出会いの当初では類似性が大きく関与します。
ここで関与する類似性とは、趣味とか、笑うツボが一緒だったり、同郷だったり、境遇が似ていたりすると、それをネタに話を弾ませることができます。
また類似性があると、相手への親近感・信頼感も増します。

次第に付き合いが深まるにしたがって、共同で何かを行うことも増えてくるので相補性が必要になってきます。
例えば、『僕はこれをするので、君はあれをやって~』と役割分担していくといったことです。
特に、結婚となると外見や類似性だけでは長続きせず、相補性が重要になっていくケースが多分にあるのではないでしょうか。
なぜならば、それぞれの足りない部分を補い合うことで、一つの共同生活を効率よくスムーズに進めて行きやすくなる傾向にある為です。

ただ、そういった相補のコミュニケーションをとる関係から徐々に相称のコミュニケーションも増えていくことがあります。
関西人ですので馴染みのある漫才で例えると、ボケとツッコミというお互いの役割でバランスが保てていた状態から、ツッコミとツッコミのコンビのような状態になり、お互いが自分の主張をし合うなどのコミュニケーションが増えるわけです。
二者関係がこういった状態になると、相補関係から相称関係が増えていき、ぎくしゃくしてくるということが起こりえます。
夫婦関係において、こういったお互いが主張をし合う相称関係の状態が続き、その延長線上での口論になることで、いわゆる「あ~いえば、こういう状態」の激しい夫婦喧嘩になることがあります。

より身近な関係性であるが故に、知らず知らずのうちに、お互いが補っている状態であることを失念してしまうということは否めません。
どちらかが相称になっていると感じたり、身動きがとれにくくなっていると感じたら、相補のコミュニケーションを意識してみてはいかがでしょうか。
お互いで、この相称と相補のコミュニケーションを繰り返しつつ、お互いの関係性を維持していくことが大事なのではないでしょうか。





2020年9月17日木曜日

発達障がいの子供の発達で大切なこと

 当院では、日々、2歳頃~大人に至る幅広い年代の発達障がいの患者さんを診察しています。
院長である僕自身、人生のロングスパンの成長や発達を、診療を通じて日々勉強させていただいています。

診療の中で感じていることとして、人の人生を動かすのは『問題解決』ではなく、本人の持つ『強み』だということです。
その『強み』とは『得意』+『興味』で出来ています。
『得意』は、親や周囲の人から「すごいね~」と褒められて出来ていき、『興味』は、親や周囲の人から「好きなことをしていいよ~」で出来ていきます。
そして、その『得意』と『興味』が相互に作用しあって『強み』となり、その子の人生を動かしていくということが、大事なことだと思います。

親が子どもを育てて『強み』を持てれるようにしていく関わりで大切なことは、究極的には「好きなことしていいよ~」と本人を尊重して応援してあげることと、本人が頑張って取り組んでいることを認めてあげることなんだと思います。

発達障がいの子供の成長の仕方としては、凸凹のままで成長、発達していくからこそ、出来るところを伸ばしていくことが大事だということです。
長所を伸ばしていくことで、大人になってそこが強みになり社会で誰かの役に立っていく。
短所とか苦手な部分は、誰かにサポートしてもらって助けてもらうということが大切なんだと思います。

例えば、発達凸凹な僕自身、クリニックに関わることにしても色々な方々にサポートしてもらって何とかできています。
家に帰ったら、妻や家族に色々支えてもらって何とか生活できています。
そうした支えを僕は受けて、日々の診療で患者さんの役に少しでも立てたらと思っています。
僕自身も出来ないことは、ほどほどにして、誰かのサポートを受けながら出来ることを伸ばしていくように努力して「今の自分の人生を豊かにさせれていただいているなぁ~」と実感しているところなので、このことは共有しておきたいなと思いました。

 

 

 

 

2020年9月10日木曜日

人が幸せになる方法について

皆様、いかがお過ごしでしょうか?
僕は軽く病み気味ですが、でもひそかに『幸せになりたい!』と日々願っています。

そんな僕なので『幸せになるためにはどうしたらいいかな?』と考えてみました。

・まず、自分自身を大切にする。
・その次に、自分の家族や自分にとって近しい人を大切にする。
・そのさらに辺縁の人を大切にする。


この循環が「幸福」に近づくのだろうと思います。

幸福のために必要なものの基盤に、もちろん心身の健康、お金、家とか車とか物質的な豊かさとかもありますが、でも極論 、やっぱり人は「人間関係で病み」「人間関係で幸福になれる」部分が大きい気がします。
その基点は必ず自分にあることを、常に意識しておきたいと思います。

他者は自分の心の鏡であることが多いことは、精神科医として実感しています。
仮に、こちらが相手を嫌うと、向こうは自分にとって嫌な人として自分に作用してくるし、逆に、自分の方が相手をゆるせたりしたら、相手も自分をゆるしてくれることが多いと感じています。

2017年に105歳で亡くなられた聖路加国際病院の日野原重明・名誉院長が、当時100歳を超えていながらも講演でずっと立ちながら熱弁していた話しを紹介させてください。
日野原先生は、人の人生で一番大事なことは「ゆるすこと」ですと訴えていて、当時100歳を超えてなお現役であった生き方上手の先生が言うんだから物凄く説得力がありました。

日野原先生は「人は自分をゆるし、他者をゆるすことが、何よりも大切なことであり、尊いことなんです!ゆるすことが世界から戦争をなくし、平和な世の中にするための唯一の手段なんです。そのことを、誰よりも知っているのが我々医療者であるはずです!」と続けて熱く語られました。

正直、僕はちょっとしたことで、すぐに人に対してイライラしてしまいます。
その度に、この言葉を思い出して自分から日々謝っているつもりです。
でも先日「いつも、絶体、謝らんな!自分!」と妻に指導を受けました。
いかに自分自身できていないか?を反省させられる日々です…(苦笑)

2020年9月3日木曜日

不登校回復の『4段階ステップ』

今回のブログは不登校の回復について、みなさんと共有したい『4段階ステップ』について投稿したいと思います。

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  ① 健康
  ② 仲良し(家庭内)
  ③ 意欲(遊び ⇒ クラブ活動 ⇒ 勉強など)などのwant(~したい)行動
  ④ 学校に行くなどの社会的なmust(~すべき)行動(社会的緊張)

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不登校の支援などの診療を通じて感じていることは、この回復の順番をきちんと守っていくことが大事だな~と思っています。
①、②のステップについては、家庭内で本人の心身の可動性を回復していくことが、建物で例えるなら土台作りという基礎の部分になります。

その上で③の領域である、遊びや趣味、クラブ活動といった息抜きに近い「ちょっとさぼり?」と捉えられるような行動を楽しめたり、活動の幅を広げることができて、本人の安心領域が家から社会的なものまで広がっていくという、基礎部分の土台の上に建つ建物の1階部分になります。
そこをしっかり広げていき安定した状態で、勉強するとか、学校に行くなどの建物の2階部分を増築していきます。
④の学校という場所は、不登校の児童らにとっては、社会的緊張の頂点にあるところだと思います。

結構、この『4段階ステップ』を、家族や本人、学校などの支援者らも含めて共有しておかないと、「なんで学校で授業も受けてないのに、部活には来れるねん?」とか、「勉強もしないで、家でゲームばっかりやん!」と叱責ばかりになってしまって、返って次のステップに行きにくくなるということがある気がします。

もちろん、健康度がしっかりあるにもかかわらず本当にさぼりの子と、精神的な疾患との線引きの見極めは一般の方には難しいのかもしれません。
ただ、不登校でしんどそうな子がいたら、こういう『4段階ステップ』で徐々に自分のペースを大事にしてもらい進んでいく方が結局は良い方向に行くことがしばしばあります。

もしも迷われたら、建物でいうところの基礎固めであったり1階部分に戻って、まずはしっかりとした耐震構造の平屋建てを構築していく方がいいんだということを、みなさんと共有したくなりブログに投稿させていただきました。



2020年9月1日火曜日

精神科医としてどう変わったか?

開業して3年が経過しました。
3年前までは、精神科の病院などを中心に勤務医として約10年間働いてきました。

クリニックを開業してから勤務医の頃を振り返ると、当たり前のことですが、勤務先の病院全体の一部分としての役割を担っていたんだということに改めて気づかされました。
勤務医当時、僕が主治医や担当医師としてかかわらせていただいた多くの患者さんは、その地域の大きな病院ということを目的として来院されていました。
入院ができる病棟施設があり、検査などの充実した医療サービスを期待して来られた患者さんがほとんどです。

ですが開業してからは、患者さんは、僕の診療を期待して来院されることが大前提となりました。
当院ではカウンセリングや心理検査なども行っていますが、あくまで僕の診療がメインとなります。

勤務医時代は、1時間くらいの面談をしたり、児童精神科の外来は再診でも30分程度の時間を何とか捻出してやっていました。
しかし、開業してからは初診は30分前後、再診は5分~10分程度と短くなりました。
でも、僕自身の診療の技術やクオリティーは、今の方がいいと感じています。
「当時は、時間は結構かけていたのに、知識、技術が足りてなかったんだな~」と今でこそ感じています。
もちろん患者さんによっては、当時のようにじっくりと時間をとっていた頃の僕の診療の方が良かったと思われる方もおられるでしょうし、全ての方のニードを満たすことはできないとは思っています。

開業したことで「自分の診療が、最大の商品」だという認識になり、それでご飯を食べていけるようにという意識があがりました。
自分の診療という商品で、ご飯を食べていける実感を持てていることが、僕にとっては何よりのモチベーションになっています。

これもひとえに、未熟な治療者である僕の診療に通院してくれている患者さんのおかげです。
これからも診療の質をあげて、少しでも患者さんを楽にできるように日々精進していきたいと思っております。

開業して4年目を迎えた当院を、今後ともよろしくお願い致します。



2020年8月27日木曜日

患者さんに少しでも処方したいもの

僕は、『精神科専門医』『児童精神科認定医』『こどものこころ専門医』という資格をベースに、ブリーフセラピーという治療戦略を大切にして精神療法、薬物療法、心理教育などのアプローチを保険診療内での治療的制約 (初診は30分程度、再診は10分前後)で実践していきたいと考えています。

なのでクリニックを開業してからは、 勤務医の時のように入院中の患者さんとじっくりと話し込んだりすることや、30分とか1時間程度時間を作って診察をすることができなくなったこともあり、心理士がやるようなカウンセリングとしての役割はなかなか出来ません。

ただ、この限られた時間で少しでも患者さんに治療的に対応して、患者さんの【心の可動性】が「ましになったらいいなぁ~」「そのきっかけになったらいいなぁ~」と思って診療しています。

スイスの精神科医・心理学者であり分析心理学を創始したユングが、治療者に必要なこととして「とりわけ必要なのは我慢と忍耐である。というのは技術よりも時が解決してくれることがよくあるからである。」と述べています。

実際、何とか患者さんを良くしようという意欲こそが、返って患者さんを悪くしてしまうこともある為、僕自身は診察に入る前の心構えとして「患者さんは、僕の知るところではない場所で、偶発的な出来事などを通じて自然に良くなっていくものであり、治療者であるこちらがどうにかしようという思いが強くなりすぎてはいけない」と自分に言い聞かせて「患者さんが治っていく邪魔をしないように」と、まだ道半ばですが思っているところです…



2020年8月20日木曜日

精神科と児童精神科の違いについて

今回は『精神科』と『児童精神科』の違いについて、ここで少し説明させていただきたいと思います。

日本でもようやく一部の大学で「子どものこころ診療部」という講座が開設されつつありますが、欧米の大学病院などの多くでは『精神科』と『児童精神科』で、別々に講座が設けられています。
日本でのこういった状況もあり、精神科専門医の有資格者が約1万人程度いるのに対し、児童精神科専門医の有資格者は約1,000人程度というのが現状です。
精神科医の中には『精神科』と『児童精神科』は『内科』と『小児科』くらいの違いがある、と話される先生もおられます。
これまでの精神科医療では、メインの疾患が「統合失調症」でしたが、現在は「発達障害」を中心とした、発達の問題や対人関係の問題など、対象となる患者層や疾患層が大幅に変わってきているという時代に突入していったと感じています。

児童精神科』の領域は、僕のように精神科専門医をベースとしている先生と、小児科専門医をベースにしている先生の2つに大きく分かれます。
小児科専門医をベースにされている先生は、身体疾患と精神疾患などの鑑別能力は高いということが特徴で、 精神科専門医をベースとされている先生は、薬物療法や精神療法という点を得意とされている先生が多いのが特徴です。
無論、各医師によって、そうした領域は幅が広く、また人間性という部分や診療の体制や状況など様々な要素が入ってくるため一概には言えませんし、資格だけで判断するのはお勧め出来ません。

ちなみに、以前、僕が勤務していた病院では、原則、年長さんから中学3年生(15歳)までの年代の精神科的な領域を『児童精神科』が対応し、高校生年代からは『精神科』の全般の医者が対応するという方針です。
各施設によって対象の年齢や疾患などの対応方針が分かれますので、実際に受診されたい医療機関に問い合わせをしてみてください。

もし『児童精神科』の専門医や医療機関を、お探しの場合は下記などの学会の認定医のリストが、各Webサイトに記載されています。
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 ・日本小児心身医学会認定医 
 ・日本小児精神神経学会認定医
 ・日本児童青年精神医学会認定医
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また、それらの各学会の認定を統合してできた「子どものこころ専門医」のリストについても、Webサイトにリストが記載されていますので、よければそれらを参考にしてください。
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 ・子どもものこころ専門医機構
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僕自身は『精神科専門医』と『日本児童青年精神医学会認定医』『子どものこころ専門医』のライセンスを有しています。
僕は、精神科医になってからずっと《子どもから大人、老人まで》という、幅広い対象年齢と精神疾患を対応することを念頭に研修してきたので、できるだけシームレスに、このクリニックでできることは限られてはいますが、微力ながらサポートできたらと思っています。



2020年8月13日木曜日

治療はシンプルイズベスト!

この数ヶ月、新型コロナウイルス感染症の影響で、勉強会に参加することが全くなくなってしまいました。
当院でも、地域セミナーを開催する予定は未だ立っていません。

こういった状況になるまでは、僕は時間をみつけては勉強会に参加していました。
色々な勉強会がありますが、なかには検討し合う時間を十分にとって話し合うことに重点をおいた会もありました。
そこでは、かなり色んな関わりや支援などが出たりするのですが、僕は、そうした勉強会に限って後半から眠くなってきてしまうことがあります。

そうした勉強会で感じることは、治療ということが、かなり難しく感じてしまうのです。
勉強会で、何を治療者が見立て、どう関わろうとしたのかの話し合いが進み、検討していくうちに、よくわからなくなっていき後半には徐々に睡魔が襲ってきてしまうことがありました。

そういったときに、ふと思ったことは『治療はシンプルイズベスト!』でわかりやすい関わりがいい!

「早い!」「やすい!」「うまい!」みたいな、そういうB級グルメのような治療者になりたい!そう思っています。

結局、治療というのは、ほんの少しの下支えだと思うので、人は少しの下支えがあれば、後は現実の世界で何とか生きていけるはず!
だからこそ、治療者は、ほんの少しの希望や元気を患者さんにお届けすることに徹する!

後は、アントニオ猪木さんが言っているように「元気があれば、何でもできる!1,2,3だ~!」だと思うんです。

治療は、シンプルに分かりやすく効果的な関わりを、これからも摸索していきたい!
そう思っています...



2020年8月6日木曜日

親自身がどう生きているか?が大事!

以前にも僕の両親の事や、僕の幼少時代について触れた内容のブログを何度か投稿させていただきましたが、僕が幼少の頃、自宅は2階建住宅で、両親が『作田整骨院』という整骨院を経営していたこともあり1階部分は両親の仕事場、2階部分が作田家の生活スペースという暮らしをしていました。

そういった状況もあり、時折出かけることはあったものの、常に1階には両親が働いており、そこは僕ら兄弟にとっては遊び場でもありました。
来院されていた患者さんや、両親は仕事場で遊んでいる、われわれ兄弟をどういう風に思っていたかは解りませんが、われわれ兄弟にとっては、両親が患者さんを診療するということが働くイメージとして子供の頃から定着したこともあり、僕の兄弟は各々医療職に就いています。

両親は朝から晩まで働き詰めで「勉強しなさい!」とか特に口やかましく言われた記憶はありませんが、保育園に通っていた頃なんかは、迎えに来てもらえるのが遅かったので「お母さんはまだかな~?」と寂しく感じることもありました。
でも、そういった経験で、生活の為に働くということの大切さをリアルに感じることができたからこそ、僕は今、自分なりに勤勉に働けているつもりです。

子育てにおいて「親がどう関わるか?」「何を伝えるか?」よりも、子供は親が考えている以上に、親の生き方に影響を受けるのではないでしょうか。
だからこそ「親自身がどう生きているか?」そして、その親の背中を子供はしっかりと見て色々と感じているはずです。
「そのことを意識しながら生活しないとあかんなぁ~」と、自分の幼少の頃を振り返り思いました。



2020年7月30日木曜日

仔犬の学習強化アプローチ!

室内犬を仔犬から飼った経験がある方はイメージしていただきやすいかもしれませんが、仔犬を自分の家に招き入れた際にトイレのルールに慣れさすのには大変苦労します。
十分な根気と時間が必要ですが、それも生物と一緒に暮らす事の楽しさでもありますよね。

さて、来たばかりで、まだその環境に慣れていない仔犬が、あっちこっちでウンチをしてしまうことに対して、飼い主が怒り散らすことで余計にあっちこっちでウンチをしてしまう、という現象をご存知でしょうか?
これは、発達障害児の養育でも、生じる反応とよく似ていると感じています。

たとえば、ADHD傾向の児童に対し、その親が「忘れ物ばかりする!」「整理整頓ができない!」「勉強しない!」と、頻繁に出来ていないことばかりを責めると、余計に短期記憶障害が生じて、生活上の困難さが増えてしまうという現象と重なります。

仔犬の場合、ウンチをあっちこっちでしたことで飼い主に怒鳴られた経験があると、便意を感じただけで、すぐさまパニックになってしまうことがあります。
ドッグトレーナーは、仔犬が粗相をしてしまっても決して怒鳴ったりはせず、「なかなかトイレを覚えてくれない」と飼い主から相談された際には、まずは怒鳴るのをやめるようにアドバイスするそうです。
その上で、犬の本来の習性として自分のウンチの匂いがする場所でウンチをしがちなので、例外的に飼い主がして欲しい場所である適切な場所でしたときには、盛大に褒める!
こうして、例外的に生じた適切な排泄という学習を強化していくというアプローチを「仔犬の学習強化アプローチ!」と勝手ながら呼ばせていただきます!

発達障害の育児も同様で、あくまで「治すのではなく、学習できたことを強化するアプローチ!」が有効ですので、例外的に忘れ物をしなかった日を盛大に褒めることが大事です。
ただ、そんなことを診察室で親御さんに指導すると、「そんな例外が1日もないから、受診に来てるんです!」と返答されることもあります。
そんな時は、診察室でこんな風に親御さんにお願いしています。
『一定期間でいいので、本人と一緒になって明日の準備をして忘れ物がない日を作ってもらえませんか?
まずは、親御さんが頑張って、無理やりにでも、本人が忘れ物をしなかった日を1週間程度生じさせて、例外を親が作り出してください。
その後に、親御さんが、お子さんに対して「すごいやん!なんで忘れ物しなかったん?」と笑顔で聞いてみてください!』
そして、「本人ができたこと、頑張ったことを、親御さんが盛大に褒めてあげてください」とお伝えさせていただいています。
命名するなら、「無理やり、学習強化アプローチ!」ですね。

コロナ休みで、ダラダラ癖がついてしまったお子さんにイライラがつのっている親御さん「仔犬の学習強化アプローチ!」どうでしょうか?



2020年7月23日木曜日

「受容」の重要性

「発達障害」という言葉は、あまり接する経験のない方でも、最近ではよく耳にするようになったのではないでしょうか。
名だたるIT企業の創始者の1人や、かのエジソンやアインシュタインといった偉人や天才も発達障害だった?といった内容が昨今メディアを賑わせています。
そういった状況もあり、良くも悪くも「発達障害」という言葉は聞いたことがあるけれど、では実際どういう特徴があるのか、どう接すれば良いのか分からない、というのが多くの方の感覚だと思います。

「発達障害」の子のイジメや不適切な養育上で問題となるのは、本人の能力上の問題なのに、それを周囲からは、本人のモラルや、やる気の問題に置き換えられて責められるということが多く認められています。

本人の能力上の問題(特性)などは、叱咤激励をし続けていくことにより、余計に悪くなっていくことが多く、例えば後述(A)のサイクルのように悪循環に陥りやすくなるように感じることがあります。

(A) ------------------
  ① 本人の能力上の問題(特性)などを叱咤激励し続ける
  ↓② 本人自身が短期記憶障害化して注意しても全く治そうとしなくなる
   ↓③ 周囲が余計に怒るようになる
 ↑  ↓④ 本人は抵抗する
 ①------↓⑤ できないことが余計に増えていく
----------------------


できれば、特性は受容してあげた方が本人自身は発達しやすくなるので障害があっても目立ちにくくなりやすいように思われます。
発達障害の児童も発達します!
その発達をしやすくなるポイントは、周囲に受容されていることが大事です。
決して甘やかしなさいという事ではありません。
その程度や特徴は実に様々ではありますが、本人が自己否定感情を生じさせるようなつらい思いをさせてまでの叱責や本人にとっての迫害体験になるような経験をさせないということが大事になります。

僕も親なんで分かるんですけど、親はどうしても子育てをしているとダメなところをまず治したくなるものです。
でも、まずは長所を伸ばすことを大事にして、十分、本人の主体性を育んで自信を持たせて「やればできる!」という、いわゆる自尊心を育んであげてから、短所を修正していくというステップを踏んだ方が成長しやすいと思います。
でも、それがなかなか難しいところですよね。


2020年7月16日木曜日

人間の脳の起源

今回のブログは、人の脳の起源について、ちょっと考えてみたので投稿したいと思います。
僕は精神科医ですので、人の精神に作用している高次機能の中枢の脳を扱っているということになりますね。

地球は誕生してから、約46億年経過しています。
地球上に生命が誕生したのは、それから約6億年が経過してからといわれているので、地球上の生命の歴史は約40億年経過しています。
そして地球上に脳という器官が誕生したのは、今から約5億年ほど前です。

約6,000万年前に哺乳類が登場し、そこから直立二足歩行するようになったのは約440万年前です。
現在の、我々ホモ・サピエンスという種が登場して約20万年程度ということになります。
諸説ありますが、脳を獲得した生命は、こうして約5億年かけて、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類、そして霊長類へと進化を遂げて、現在のヒトという脳へと約5億年の歳月をかけて進化を続けてきたといわれているわけです。

我々の脳の中の一番内側には、呼吸とか代謝など生命維持のための基本的な役割をしている「脳幹」があります。
この「脳幹」が発達してきたのは、爬虫類に分類される生命が誕生した約3億年前の頃です。
そして、その脳幹のすぐ外側には「大脳辺縁系」という情動を支配する脳があり、さらにその外側に思考する脳である「大脳皮質」があります。
「大脳辺縁系」は約1億年くらいの歴史で「大脳新皮質」なんて約100万年前くらいの歴史なわけです。
もちろん、近年の高度な文明社会を構築してきたのは思考する脳である「大脳新皮質」の発達のおかげです。

ただ、「こんな風に考えみたら面白いな」と思うことがあります。
骨董的感覚で、単純に脳の発達の歳月(年)を、身近な単位である(円)に替えてみると、「脳幹」が ¥3億円、「大脳辺縁系」が ¥1億円、「大脳新皮質」が ¥100万円となります。
勿論それぞれの部分がバランスを保つことが重要で、また、それぞれの部分に役割があり優劣をつけるわけではないことは多言を要しませんが、脳の発達の歴史において、内側に行けば行くほど ¥1億円や ¥3億円の価値がある脳の部分があるということを意識することが大事な気がするのです。
なぜならば、診察場面で感じるのは、人は新しい脳よりも、もっと起源の古い部分が機能し作用しているのではないかなと感じることがあります。

個人的な意見になるかもしれませんが、人は社会的には「大脳新皮質」で生きているフリをしていますが、その「大脳新皮質」のすぐ内側には、もっと前から存在していた本能とか情動とかの機能の部分が影響していて、そういう部分から作用しているということを大事にしておくということが精神科の治療において重要な気がしています。

こうした部分を意識しながら、人を理解していこうと考えている部分があるということを今日はお伝えしたくなりました。



2020年7月9日木曜日

課題の分離

今回は考え方の選択肢の一つとして知っていると役に立つ場合があるかもしれない、アドラー心理学の「課題の分離」という考え方についてご紹介します。

ある心理学的な分野での考え方では前提として、人はそもそも、弱く、怠惰であるというのが本質として考えられています。
これを前提とした場合、このことを共有した上で、自分は変わりたくない、相手を変えたいと、僕も含めてですが多くの人々は、無意識にであれ、意識的にであれ考えがちです。
だからこそ、自分は楽をしたいがために、相手に命令をして強制させたいと考えたり、こっちがこれだけしてあげたんだからと、相手に見返りを求めたりすることがありますよね。
親子、夫婦であったり、会社の上司と部下など、あらゆる対人関係の問題が生じて来る原因となる場合があります。
また、人は弱く、怠惰であるからこそ、相手の評価を気にしがちです。

「課題の分離」とは、端的にいうならば自分と他者の課題を分離し、他者の課題には踏み込まないようにすると同時に他者にも自分の課題に踏み込ませないようにする、という考え方です。
自分と他者の課題を分離するためには、その間の線引きが必要なわけですが、線引きの仕方はその課題について最終的な責任を負うのは誰か?
もしくは、その課題について最終的な結論を出すのは誰か?という事について考えることで線引きができます。

前述の、相手に命令したい時や見返りを求める時というのは、自分が他人の課題に踏み込んでしまっています。
なぜならば、その命令に従うかどうか、そして見返りをするかどうかを、最終的に決めるのはその相手だからです。
また、相手が自分のことをどう評価するかというのは、他人の課題です。
こちらについても、どのような評価を下すか、という最終的な結論を出すのは相手だからです。
もしも、自分と他人の課題の分離ができているならば、他人の評価を気にするということもありませんし、命令通りに動いてくれない相手や見返りをしない相手にイライラすることもましになってきます。

言い換えるならば、対人関係上の問題というのは、自分が他人の課題に踏み込んだ時、もしくは自分の課題に他人を踏み込ませた時に、生じてくるものだと言えます。
この「課題の分離」が、人が生きていく上で大事な理由は、課題の分離ができていないと自分の一生が「承認欲求に支配された人生」になってしまう可能性があります。
承認欲求とは、他者に自分のことを認めてもらいたい、という欲求なわけですが、「他者が自分を認めるかどうか」という課題の最終的な結論を下すのは他者なわけですから、極論、自分にはどうすることもできません。
それにも関わらず、承認欲求にこだわり続けているとどうなるのかというと、気付いた時には他人のために生きている人生となります。
つまり、いくら他人のために生きようと思っても、それは決して叶わぬ事なわけです。
それにも関わらず他人のために生きようとすることは、そもそも絶対に叶うことのない夢を追い求め続けてしまうようなものです。
そうではなく、私たちはもっと確かなものを求めて人生を生きる事ができます。
それは、他人の人生ではなく、自分の人生を生きるということです。
そのためには、自分と他人の課題の分離から始めることがとても重要なのです。

なぜならば、人生におけるあらゆる悩みは、対人関係に由来しており、対人関係から生まれる悩みはどれも、相手と自分の課題を分離できていない事が原因だからです。
つまり、課題の分離ができれば、対人関係の悩みは減り、自分の人生により集中できるようになります。
「人は人、自分は自分!」これって、すごく大事なことですよね。
まあ、それが、僕自身がなかなかできなくて、ちょっぴり病み気味だからこそ、自分へのメッセージとして、今日は、ブログにあげさせてもらいました。



2020年7月2日木曜日

浦島太郎伝説についての僕なりの解釈

非常に有名な伽話(おとぎばなし)である「浦島太郎」は、皆さんもご存知だと思います。

ざっくりと一般的に知られているあらすじをご紹介すると、浦島太郎が亀を助けた恩返しとして海中にある竜宮城に連れて行かれ乙姫らの饗応を受けます。
故郷のことが心配になり帰郷しようとした浦島太郎に「決して開けてはならない」と念を押されつつ玉手箱を渡され帰ります。
帰り着いた故郷では、竜宮で過ごした時間より遥かに長い年月が経っており、失意の余り玉手箱を開けてしまった浦島太郎は、白髪の老人になってしまう。というお話です。

ここからは、このお伽噺の僕的な解釈です。
竜宮城という、物質的な豊かさによって、人は人間的な成長はしないということがテーマだと思っています。
浦島太郎は、竜宮城という夢から醒めて、いざ、現実に戻ってきました。
これは精神科的な用語でいうところの直面化という状況になります。
つまり、今まで竜宮城で感じずに済んでいた「生老病死」と向き合ったことにより、それに耐えられなくて受容が困難となり、自ら命をたってしまったというのが、僕なりの解釈です。

ここから学ぶこととして、人は問題と向き合っている時こそ、成長しているということです。
そういう苦しみの中でしか、人は精神的に成長していけない。そして、その成長の意味は、最終的には、死ぬことの受容なんだと思います。

僕は勤務医時代に、患者さんが亡くなるまでサポートをさせていただいた経験があります。
勿論のことですが、患者さんごとの身体の状況や、またそのご家族のとりまく状況はそれぞれで、患者さんらは、綺麗ごとではない各々の受け止め方で、リアルな受容をしていかれたように思います。
そして、これは個人的なものの見方ではありますが、僕がサポートさせていただいた患者さんの亡くなられたお顔は、安らかな、まさに「受容」されたような表情がそこにありました。

新型コロナウイルス感染症の影響も、まだまだ終息とは言い難い状況が続いています。
そうじゃなくても、生きているだけでしんどいですよね。
でも、その苦しみには、きっと終わりが来ます。

少なくとも、浦島太郎の竜宮城のような世界に、一時的にいたいという願望はありますけど、今、抱えている問題に、自分なりに向き合って、いつかくる「死」を受容できるようになることが、人生の真の豊かさだと信じて生きていきたい、そう思います。



2020年6月25日木曜日

アンパンマンの正義感

最近、自分の中で『正義』とは何か?を考える機会がありました。
その時に、アンパンマンの作者やなせたかしさんの自伝的な書『アンパンマンの遺言』(岩波現代文庫)という本を思い出しました。

24歳で中国に出征したやなせさんは飢えに苦しみながらも戦争の正義を信じて戦いましたが、27歳で敗戦を境に終戦を迎え正義は一変します。
「正義のための戦いなんてどこにもない。正義はある日突然反転する」と骨身に徹するほどの経験をし、「逆転しない正義は献身と愛だ。目の前で餓死しそうな人がいるとすればその人に一片のパンを与えることだ」という猛然たる思いが原点となり、後のアンパンマンという作品につながっていきます。

アンパンマンは、僕たちにすごいメッセージを突き付けてきますね。

自分の考えや想いを相手に伝えることは大事だけど、その結果、相手が変わるか、変わらないかは、あくまで、その人次第であり、そこを無理やりにでも変えようとすることの延長に、喧嘩、ハラスメントがあり、最終的に国家間の戦争にまで発展していく。
そのことは、何度も何度も自分の心の中で持ち続けておきたいと思います。

アンパンマンの正義感を、自分に日々言い聞かせておいて、自分の身の回りだけでも、少しでも平和にしておきたいと思います。 
でも、それが、なかなかできなくて、自分の正義感を相手に押し付けてしまって、反省する日々なんですけどね。



2020年6月18日木曜日

娘がコロナ休みでテニスやバドミントンがうまくなりました!

以前にも当ブログの中で何度か出てきていると思いますが、僕には娘たちがいます。
外出自粛要請が出されていたなか外出もできないし、コロナ不安から子どもたちも少しの外出をすることにも気をつけるようになりました。
「子どもたちの方が、よっぽど世間や社会情勢を理解して、行動できているな」と感心しています。

でも、外出自粛を続ける生活がきっかけで、感染リスクの少ない家の近所で、子どもたちとバドミントンやテニスをするようになりました。
特に末の娘は、よく僕と一緒に遊んでくれるのでバドミントンやテニスが見る見るうちに上達していきました。

経過をみていると、何度失敗しても楽しんで繰り返すことで、上達していっていることに気づきました。
うまくなるには、たくさん失敗するけど、そこを前向きに受容して何度も繰り返していくとうまくなっていくんですね。

それと、父親としての自分も娘と遊ぶ際は、あくまで楽しみとかストレス発散でやっている程度の動機なので、本気で指導をしないように気を付けています。
僕は熱が入ると、どうしてもアツく指導してしまうタイプなので気を付けているつもりです。

また、僕がミスをしてラリーが止まることも結構あるんですけど、それすらも、娘は「ごめんね~」と謝ります。
もちろん、とても思いやりのある子だからと、親バカですが、そういう性質もわかっているんですが、相手のミスでも「自分は返せる!」とか、相手がミスショットになったのは「自分が良くなかったかな?」と反省しているようです。
それだけ「自分はやれる!」と思っているから、うまくなっていくんでしょうね。
我が子ながら「すごい!」と感心させられる日々です。

娘の上達を通じて、人生で成功していくには、たくさんの失敗を繰り返しても、前を向いて、明るく、継続していくことが大事なんだな、と感じました。



2020年6月11日木曜日

真剣に聞くのはいいけど、深刻に聞いてはいけない

先日、政府により新型コロナウイルスにおける緊急事態宣言が解除されましたが、今もなお連日、自粛による経済の影響や今後についてメディア等で報じられています。

日本の大手自動車メーカーであるトヨタ自動車の社長である豊田章男氏が、新型コロナウイルスの影響が拡大していた3月に、自身が会長も務める日本自動車工業会の定例会での会見で、記者から「 豊田さんは、この状況をどうお考えですか?」と聞かれ、「真剣に考えないといけないが、深刻には考えないようにしている」 と答えられたそうです。
当時、どの現場でも同様の質問をされていたらしいのですが、共通してこう回答していたそうです。

こういったやりとりがあったことを知り、自分の日々の診療を振り返りました。
僕は、日々の診療の中で、当然、精神科ですので、深刻な悩みを抱えて来院される患者さんもおられます。

僕の精神科医としての役割は、そうした深刻な悩みを聞きながら、解決の糸口を一緒になって探していくわけですが、時に、問題に飲み込まれそうになり、僕自身も深刻になってしまうことがあります。
そういう時は、僕自身もイライラしてきたり、患者さんと同調してしまい、問題に巻き込まれたような状態に一瞬一瞬でなっていることに気づくときがあります。
そうした時に、「真剣に聞くのはいいけど、深刻に聞いてはいけない」と、自分自身に声をかけます。
そうすることで、治療者として問題に意識がいきすぎて機能不全に陥ることを防いでいます。

なかなかわかっていても、どうしても気持ちや思いが先行し問題に飲み込まれそうになりますが、なるべく、その都度、診療中の自分自身に言い聞かせ、診療が終わった後に反省する日々を繰り返しています。

日々、どうしようもできないこととか、不安やイライラすることがたくさんあると思います。
真剣にはなるのはいいですけど、深刻にならずに、ユーモアとかを大切にしていきたい!そう思っています。



2020年6月4日木曜日

僕の人生で一番大事なのはゲーム性です!

現在、クリニックの診療において、色々な取り組みを行っています。
たとえば、僕自身の診療の向上を図るために、診療時間を今年の2月から少し減らして、僕自身の学びの時間を増やしたり、クリニックの関係機関との連携強化を行っています。
こうしたことのモチベーションは、どっから来るのか?を自分なりに改めて考えてみました。

一つのキーワードとして、僕自身、ADHD(不注意、多動性、衝動性)傾向があり、現在も自分の中には、児童・思春期の心性が依然としてあります。
そのため、自分の行動を突き動かすものは、信念とか、正義感といったものではありません。
誤解を恐れずにいうなら「ゲーム性」だと思っています。
つまり、自分の行動指針は、それが面白いのか?などといった部分が判断基準になっており、自分がしたい!と思ったことを、主体的に楽しんでいきたい!という思いがモチベーションになってます。
そのためだったら、お金はそこまで稼げなくてもいいし、多少なら苦しくても頑張れます。 

この「ゲーム性」ということが、自分にとって、かなり大事なことだと最近気づきました。
ここからも誤解を招く表現の仕方かもしれませんが、あえて表現をするなら、例えば、精神科の治療で「精神療法」「認知行動療法」「家族療法」などたくさんの「〇〇療法」があります。
この「療法」という言葉を「ゲーム」と、置き換えて解釈した場合、患者さんとゲーム的なやりとりをして、段々、精神的な悩みが軽くなっていくものだと考えています。
実際に、原則として子供を対象にですが、遊びを主なコミュニケーション手段、および表現手段として行われている、プレイセラピー(遊戯療法)という心理療法もあります。

ちなみに、僕は、基本的に人に指図されるのが大嫌いです。
どんなに偉い人に言われても、僕の心は常に自由で、誰からも束縛されたくない!という心性があるのかもしれません。
そうした「指示」や「命令」には、反発するか、黙るなどの抵抗をしてしまいます。
こうして、人からの指示や命令により、勉強をしたり、働いたりしても、主体性が奪われている状態ですから、僕は、すぐにしんどくなってしまいます。
なにしろ「ゲーム性」では、主体性が何よりも 一番大事だと思っています。
親の「勉強しろ!」という命令により、子供がそれに従い勉強したとしても、そんなに成績が伸びない理由の正体も、そこにあるのではないでしょうか。

僕はこれからも、自分が何をしたいか?何をしたら楽しいか?と自問自答し、主体的に行動し、その結果、自分や家族、その周囲の人たちが幸せになっていってくれたらいいな、とは思っています。



2020年5月28日木曜日

マインドが大切!

僕は、研修医時代に WAIS-III という知能検査を受けたことがあります。
知能検査とは、知能を測定するための心理検査で、検査結果の表示の仕方のうち代表的なものが知能指数『IQ』 です。
『IQ』という単語を聞くと、何となくご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そこでの僕の『IQ』の結果は105でした。

最近、テレビのクイズ番組で、IQ165といった天才の人が出てきますよね。
この知能指数は標準得点で表され、中央値は100、標準偏差は15前後で定義されています。
100に近いほど出現率が高く、100を中心に上下に離れるに従って出現率が減っていきます。
分布はほぼ正規分布になり85~115の間に約68%の人が収まり、70~130の間に約95%の人が収まっています。
ちなみに、東大生の平均IQや、医師の平均IQが、110~120程度だと言われていますので、僕の当時の結果は、そうした医師の平均値からすると、下位の方になります。

そう言われてみると、確かに僕は、高校時代も大学時代も、ずっと落ちこぼれでした。
ただ、中学時代は、地元の公立の中学校で、試験の前日に集中して勉強するだけで、学年トップレベルの成績でした。
その時に、僕は「やればできる!」という予備校のポスターのようなマインドが確立されたような気がします。

その後、地元の公立進学校の高校に入学し、同じように試験の前日にだけ勉強したら、成績は学年で下位となり、以後、高校の3年間も落ちこぼれ状態が続きました。
でも、僕はそんな高校時代でも、内心は「俺は、やればできる!」というマインドは、生き続けていたように思います。
そのため、1浪して落ちて、2浪して落ちても、「次は受かる!」というマインドを維持して無事に3浪目で医学部に合格したのです。
その後の医大生時代も、やっぱり落ちこぼれの状態が続きました。
でも、僕は、その医大生の時でも「将来は、きっといい医者になれる!」というマインドを維持していました。

今も、そのマインドは維持しています。
「僕は、まだまだ精神科医として、やればできる!」そう思い続けて、日々の診療をしています。
確かに、能力、技量も含めて足りないことは日々痛感しています。
だけど、「自分は、やればできる!」というマインドは、今も心の中に居続けています。
能力とか技量とかも大事ですけど、この「マインドが大事!」なんですね。
少年よ、大志を抱け!的に。



2020年5月21日木曜日

学校に『行けない』ではなく『行かない』と決断できた君に

今回のブログのタイトルだけを見れば、何となく違和感を感じられた方もおられるかもしれませんね。
文科省調査によると、全児童生徒数に占める不登校の児童生徒数の割合は、この20年間で1.5倍の増加傾向にあり、子どもの数が減少するなかで不登校が増え続けています。
少し前では不登校の10歳の小学生Youtuberがワイドショーや情報番組で取り上げられ賛否両論がありました。

児童精神科医である僕のクリニックの外来でも、もちろん児童期の方が多く、その患者さんの中でも主訴(患者さんの訴えの中で最も主要な病症)が不登校ということが多いです。
そういった患者さんの診察場面において、通院当初は『学校に行けない!』など『~できない』と本人や親御さんが訴えたりされることが、しばしばあります。
その後、通院加療の経過の中で、次第に本人にも変化があらわれ、同時に親御さんの方にも不登校に対する理解が進んでいく中で「本人自身は、学校に行けないのではなく、学校に行かないという選択をしたんだ」というふうに徐々に変容していくことがあり、「学校に行けない」ではなく「学校に行かない」と、本人自身の「主体性の回復」を診察場面で感じることがあります。

「学校に行かない」と自分で決断できた子は、いずれ学校や社会に行くことができるようになりますから、これが不登校の治療過程で一番大事なことだと感じています。

不登校だけれども、不登校により自立が芽生え、成長していっているお子さんの診察を通して、むしろ、僕の方が逆に励まされることも結構あります。
その子の成長を感じ、通院を卒業していただいたときは、児童精神科医という職業をしていて本当に良かったな、と素直に嬉しく思います。
時には、最後の診察の際に、冗談まじりの会話を交わし、診察室でお別れして、その後、僕は診察室で余韻に浸る間もなく、また次の患者さんの診察に入っていくわけですけど。

でも、子供の成長や自立していかれる姿を見ると、僕の胸中は少し暖かな気持ちを抱くことができるのです。
「こちらの方こそ、ありがとうございました!」そう心の中で思っています。



2020年5月14日木曜日

子どもの反抗期は、親は動揺期!

新型コロナウイルスの影響により社会の重い雰囲気が続く中、休校の延長により子供たちにとっては、毎日時間と体力を持て余す日々が続いています。
家族で一緒に過ごす時間が極端に長くなりすぎて、子どもたちとギクシャクしてしまっているという方もいらっしゃるのではないでしょうか?
特に思春期の子どもには、良くも悪くも日常生活の一部となっているスマートデバイスがコミュニケーションツールには欠かせないものとなっています。
SNSで友達と交流することなど、親とは距離を置ける場所を探してあげることも、こういった状況では一つではないでしょうか。

今回のブログも前回から引き続き思春期年代の子どもたちをテーマにした内容となっています。

思春期年代の子供が、不登校になったり、摂食障害になったりと、そういったことにどう対応したら良いのか?が、わからない事態となり親御さんが受診されることがあります。
子どもは、児童期から反抗期になる頃には自立の芽生えとして「~しない」「すぐに諦める」「親を責める」など、ネガティブな意思表示で親を困らせる言動から始まることが多いように思います。

ここで、親御さんの対応でポイントなのは、こうした子供らのネガティブで親を困らせる行動こそが、自立の芽生えであるということに気づけるかどうかにあります。
反抗期という時期に、これまでは色々と親が主導したりしてきた子供の立場からすると「支配」に対して、子供は「抵抗」し、最終的に親から主導権を勝ち取り自立していきます。

親御さんが、こういった過程を理解していたら、子供の困った行動に対して「動揺」していくことが大事になります。
親が動揺しながらも、時には親が子を「支配」しようとして怒ったり、はたまた、子供の激しい「抵抗」にあい親自身がうろたえたりしながら、徐々に親が子どもに対して後退していき、子供が自立していきます。
親御さんの「動揺」も含め、この親と子の両者の過渡期が、子どもにとっては「反抗期」となります。

だから、その時期は、親にとっては「動揺期」ですね。
ただひたすら、その親の「動揺」を応援する、これが、僕の仕事ということになりますかね。。。



2020年5月7日木曜日

思春期の頃の自立の芽生えは、否定的なものから出てくることが多い!

新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言が発令され外出自粛要請が続くなか、異例のゴールデンウイークをむかえましたが、みなさんはどうお過ごしでしょうか。
「せっかくのゴールデンウィークなのに、家族でどこかへ行きたい!」と思っている方もいるでしょうし、意外と思春期の子どもたちの場合は「今年は家族と出かけなくて済んで助かった!」と思っていたりするかもしれません。
思春期をむかえた子が、そんな風に思うのは決してわるいことではありません。
多くの人が、親と一緒にいるところを友達にみられたら恥ずかしいと思った時期を経験したのではないでしょうか。

診療していて、最近とくに感じるのは「親御さんの感じている自立」と「僕の感じている自立」のギャップです。
ちなみに「自立」という単語を辞書で調べてみると、
・他への従属から離れて独り立ちすること。
・他からの支配や助力を受けずに、存在すること。
といった意味合いになります。

親御さんにとってのお子さんの自立とは、自分で身の回りのことができたり、親に言われるまでもなく勉強とか社会活動を本人なりにやれているという状態をイメージしていることが多いように感じます。
でも、治療者としての僕の視点では、例えば「学校に行かない!」と言い出すとか、親がちょっと注意しただけで激高するなど、 思春期の頃の自立の芽生えは、一見ネガティブなものであることが多いのです。

皆さんは、尾崎 豊さんという歌手をご存知でしょうか?僕らの世代では知らない人はいないのではないでしょうか。
夢や愛、生きる意味をストレートに表現した赤裸々な歌詞など、社会や学校の中で感じる葛藤や心の叫びを表現した楽曲の数々が1980年代から1990年代初頭にかけての若者を中心に多くの人から共感を呼びました。
1992年に26歳という若さで亡くなられたのですが、その作品と活動、精神性は、日本の音楽シーンに多大なる影響を与え、作品にほとばしるメッセージは25年以上経過した現在でも多くのファンやミュージシャンに支持されています。

尾崎 豊さんは、1983年12月にシングル『15の夜』とアルバム『十七歳の地図』で高校在学中にデビューされたのですが、その『15の夜』という曲に
-----
盗んだバイクで走りだす 行き先も解らぬまま
暗い夜の帳りの中へ
誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に
自由になれた気がした 15の夜
-----
という一節があります。
曲全体は知らずとも、このサビの部分は知っているという方も多いと思います。
この曲を評論するつもりなど毛頭ありませんし、この詩を文字通りにだけ読むと、賛否両論があるのかもしれませんが、フィクションや表現の仕方として楽しんだ場合、このような世界観が非常に自立の芽生えである反抗期をうまく表現できていると感じます。

個人的な解釈では、 この「自由になれた気がした」という表現は、実際は親の支配や社会的な支配という部分から、自由にはなれていないことは自分なりに自覚はしているんだけど、少し自分なりに親や社会という支配から自分らしく生きていこう!という戦う姿勢は示せた、というところでしょうか。

以前のブログの中でも何度か触れていますが、僕は、高校3年生の2学期の進路相談で、初めて医者になりたい、医学部に行きたいと担任の先生に伝えました。
すぐさま、担任の先生からは「作田君のこれまでの成績では、到底無理です」と言われ、なおかつ「内申書の成績も悪すぎる」と指摘されました。
僕は焦ってしまい、内申点を少しでも稼ごうと定期テストでカンニングという姑息な手段を使ってしまいましたが、すぐにみつかり、その定期テストは全教科0点になり、停学処分を受けました。
もちろんカンニングはダメな事ですし、今思えば、みつかって良かったなと思います。
しかし、それは僕にとっては、自立の芽生えだったのです。

その後、3年浪人して医学部に入学しました。
このような出来事は今でこそ、改めて振り返るとそうだったな、と思えることです。

親御さん自身の自立の芽生えは、どんなものでしたか?
親になると、自分の自立の芽生えなんか、すっかり忘れてしまっていたり、思い出したくない記憶として片隅に追いやりがちですよね。
子どもが「言うことを聞かないな」「思うようにいかないな」と、親御さんが思っている時は、結構、子どもの自立の芽生えかもしれませんよ。
親としては戸惑いつつも、それは正常な発達として、心のどこかで嬉しいと喜べるといいな、と思います。
でも真っ最中にいると、なかなかそうは思えないもんですけどね。。。



2020年4月30日木曜日

こういう時だからこそ、僕は診療を続けます

新型コロナウイルス(COVID-19)の影響により、世界中の誰もが経験したことのない状況が続いています。
日本でも、各都道府県ごとの感染状況や生活に係る措置が、連日メディアで 報じられています。
既存薬剤の有効性を検討する試みも進行中のようですが、残念ながら現時点においては確立した治療法は見つかっておらず、私たちは正に感染蔓延期の真っ只中に差し掛かろうとしています。

今でも全国各地の神社仏閣には、昔から「疫病退散」を祈願してきた祭りや伝承が受け継がれていることをみればわかるように、日本人は、過去に流行り病(感染症)と幾度となく闘ってきました。ごく身近な例でいうと、節分の豆まきなどは、天然痘をはじめとする感染症など疫病に関連があるとされた説があります。
また、日本は地震や豪雨など、世界的にみても災害多発国として知られています。
無論、ひとつとして同じものはなく、同じ災害であっても経験は様々であり災害の状態や受け止め方は環境や状況により違うものです。

僕らの世代の人たちは、高校時代の頃に、阪神・淡路大震災を経験しました。
当時、僕の両親は作田整骨院という整骨院を開業していたのですが、スタッフ全員が被災者でありながらも、スタッフ全員休むことなく、災害の翌日からずっと診療を続けていました。
僕を含め作田家の子どもは、独居の高齢者の家を親の指示で訪問し、安否を確認したりなど、微力ながら被災支援としてのお手伝いをしたのを覚えています。
正直なところ、思春期だった当時の僕には使命感もなく、自ら率先して「していた」わけではなく、 正確には、親の言いつけに逆らえず「させられていた」という感じでした。
また、自分の回りの人たちが、怪我もなく無事であり、被災支援をしていることで、気持ちのどこかで「他人事」のように思っていたのかもしれません。

でも、今このような状況になり、直接的に何か特別なことはできないかもしれませんが、こういう時だからこそ、普段と変わりなく診療をし続けたいと思っています。
日本の医療制度においては、国民皆保険制度により、全ての人に医療を受ける権利が保障されています。
言わば「国民がいつでもどこでも必要なときに医療サービスへアクセスできる状態を提供するインフラ」であるのです。
こういう時でも日常と変わらず、生活基盤の一部として出来る限り存在し続けていたいと思います。
もちろん、当院のスタッフが感染してしまったり、そうした疑いがあれば、速やかに診療を停止し、休診をすることも責務だと思っています。

こういう状況において、また過去の災害の経験を思い出し、今の自分の状況や環境、役割や立場で、何が出来るのか、また何をすべきかを考えていた時に、ふと、阪神・淡路大震災の翌日から、淡々と仕事をし続けていた両親の背中を思いだします。
改めて、診療を続けていきたい、淡々と。
そういう思いです。



2020年4月24日金曜日

【参考情報】新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の見解等(新型コロナウイルス感染症)

 「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(2020年4月22日)

【厚生労働省ホームページ】
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00093.html

新型コロナウイルス感染症対策専門家会議が、現状の状況分析を行い、分析した結果をまとめた「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」を公表しました。

新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(新型コロナウイルス感染症対策専門家会議)
(参考資料1)人との接触を8割減らす、10のポイント
(参考資料2)新型コロナウイルス感染症の患者数が大幅に増えたときの相談・受診の考え方
(概要)新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言


2020年4月23日木曜日

子育てで大事なことは、共有スペースが明るいかどうか?

新型コロナウイルスの自粛要請で家にいることがかなり多くなりましたね。
こうした状況になり、子どもたちの心の健康発達で一番大事なのは、共有スペースが明るいかどうかを気にすることです。
僕は普段の診察においても、家の中で家族が集まる部屋、例えばリビング(居間)や家族みんなで食事をとる部屋いわゆるダイニングに健全性があるかどうか?を気にしながら診察をしています。

子どもらの症状として「家庭で切り替えられない」「癇癪(かんしゃく)が激しい」「こだわりが強まっている」などと親御さんから相談をされますが、そうした症状化の背景に「夫婦仲が悪い」とか「お母さんが不機嫌になっている」などの影響を受け、子供の症状が強まるというケースが多分にあります。

子どもは親が思っている以上に、感じている以上に親のことを見ていますからね。

親御さんは、まずは自分の心身のバランスのセルフチェックに気を付け、できるだけ親自身が無理をしないように生活をしていきましょう。
もし、親御さんが感情的に子供を怒っている時は、自分のストレスがデッドライン(限界)にまで達している可能性があります。
できるだけ無理しないようにしていきましょうね。

もしよければ、過去に掲載したブログも読んでみてください。 
ほんの少しだけでも気持ちが楽になっていただければ幸いです。




2020年4月16日木曜日

落ち着くことの大切さ

人生、山あり谷ありという言葉がありますが、人の人生には波があります。
誰しもが紆余曲折あり、上昇、下降を繰り返し経験して日々生活していることと思います。
精神科に通院されている方の多くは、人生の谷の部分、やや下降傾向にさしかかった時に受診されることが多いかと思います。

新型コロナウイルスの影響により、まさに谷の部分と感じておられる方もいらっしゃるかもしれませんが、日本だけでなく、世界中が未曾有の不安を覆う中で、先日、緊急事態宣言の発令がありました。
色んな情報が錯そうし厳しい状況が続く中、個人的にも日本人の一医師として、また地域の開業医として新型コロナウイルス関連の情報は注意深く追っている日々が続いています。

現状までの経緯の一部分をものすごく簡単にまとめると、日本の人口の約1億3千万人の内、約1,000人程度の方がコロナウイルスに罹患した段階、つまり、それが多いか少ないかは別にして約13万人に1人の方が感染した状況で、全国一斉に学校が休校になり、総理大臣が不要不急の外出を控えるようにという判断をくだしました。
勿論この判断をどう思われるかは人それぞれで、皆さんの状況や立場、経済的な側面など、色んな影響を少し考えただけでも枚挙に暇がありません。

ここからは職業病とでもいいましょうか、あくまで問題対処の方法論として、精神科医の僕が個人的に感じたことですが、仮に新型コロナウイルスの感染が減少傾向になったら、この総理大臣の判断は心の問題対処にも似ているな、と感じました。
もしかすると、心の状態が下降線となったことがきっかけで当院に受診されることになった患者さんと、この判断により新型コロナウイルスが減少傾向になった場合の下降線の曲線は似ているかもしれません。

問題対処の方法の一つとして、無理して頑張るよりも、しっかりと休息をとり、より下降線に落ちていくことの方が、治りが早い場合があるということです。
もちろん、これは各々の状態やケースによって違いますが、それを「落ち着く」ということなんだと思います。
この「落ち着いている状態」を精神科的には治療期間というのであって、そこをちゃんと理解し休養することを本人自身も受容していく方が、結局は回復が早くなるケースがあります。

ところが患者さんの中には、できるだけ早く回復をしようと焦ってしまい、折角、休養という選択をしたにも関わらず「本当は休養なんてしている場合ではないのに」とか「こんな時に休養するなんて何てダメなんだ」というふうに自己否定や、他者否定が強まり、心理的な緊張が強まっていくことがあります。
自宅で休養していても、心理的緊張が高い状態、いわゆる「精神的過労」の状態で経過しているため、患者さんの中には回復軌道に乗っていかないといった状態を呈しておられる方もいます。

不要不急の外出自粛要請での近いケースを想像すると、気持ちが先行して外出をしてしまい、最悪の場合、新型コロナウイルスに感染してしまう結果となると目も当てられない状況になってしまうばかりか、感染させてしまう状況にすらなってしまう可能性を感じています。

こういった経験を踏まえて、こういう時こそ、徐々に落ち着いていくことを切に願いながら、まずは「落着き」「頑張らないことを頑張る」ということを少しだけ意識してもらえれば、と応援させていただきます。



2020年4月9日木曜日

マザーテレサの手紙

以前、当ブログでも少し紹介しましたが、僕は、大学生時代に色んな国にバックパッカーの旅をしていました。
インドのコルカタ(旧カルカッタ)という都市を旅していた時に、 路上で死にそうになっている人を連れてきて、最期をみとるための施設「死を待つ人々の家」や、孤児のための施設「聖なる子供の家」でボランティア活動をした経験があります。
因みに、これらの施設にはボランティア参加者が世界各国から集い、日本からの参加者の多さも印象に残っています。
これらの施設は、カトリック教会の聖人であり、修道会「神の愛の宣教者会」の創立者のマザー・テレサにより設立されました。
献身的で犠牲的な奉仕活動によって世界中の人々から讃美と敬意を集め、1979年にはノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサは、死後もなお、生前残した言葉は名言として語られ、世界中で尊敬を集めている偉大な方です。

しかしそんな印象とは裏腹に、マザー・テレサ自身が親しい神父たちに宛てた手紙は、ノーベル平和賞での感動的なスピーチやこれまでの名言集では語られなかった「心の闇」についての苦悩そのものでした。
その手紙の内容の多くは、皆が知るマザー・テレサのイメージとは真逆の考え方や感情、信仰に対する矛盾や疑念などを赤裸々に訴えるものでした。

前回のブログで「ペルソナ」と「シャドウ」について少しご紹介しましたが、「ペルソナ」という表現をあえて使うなら、これも聖人としての役割があまりにも大きくなりすぎて、「シャドウ」としての心の闇という苦悩も同じくらいに大きくなっていったのではないでしょうか?

社会的に偉大な功績を残した人が特別というわけではなく、誰しもがその両側面を持ち合わせているということは前回のブログでも述べさせていただきました。
例えば、DV夫と呼ばれる人の多くは外面が良く、外では優しく、真面目で、良く気がつく人が多いように思います。
その反面、家では「シャドウ」として、亭主関白で、家では何もせず妻との衝突が大きくなるというケースが往々にしてあります。
治療的には、ほどほどの「ペルソナ」「シャドウ」になることを意識したいものですね。
まずは、僕自身が気を付けたいなと思っている日々ですが・・・

そういえば、インドでの旅でもう一つ印象深いことといえば、ガンジス川のほとりに座り遠くを見ている人々の中に、多くの日本人の姿があったことでした。





2020年4月2日木曜日

ペルソナとシャドウの関係

皆さん「ペルソナ」という言葉をご存知ですか?
何かのおまじないのような言葉ですが、元々は、古代ローマの古典劇において演者が身につけていた「仮面」を意味していた言葉です。

私たちは意識してか無意識かに関わらず、その時の立場や場面に合わせて振る舞いや態度、行動を変えています。
心理学の世界において「ペルソナ」という言葉は自分の外的側面、つまり「周りの人に対して見せる自分」という意味で用いています。
私たちは普段の生活で、各々の程度はあれ「ペルソナ」という「仮面」をつけて、その都度、役割を演じながら社会生活を送っているといってよいのではないでしょうか。

例えば僕はというと、診察室では「医師」という「仮面」を被っていますし、家に帰ると「親」「夫」という具合です。
皆さんもそうですよね?
さらに言うと、僕の場合はこうしたブログでは「精神科医師としての外的側面」で作成しているわけです。
重複となりますが、こういった時と場合に応じた役割を心理学においては「ペルソナ(仮面)」と表現しています。

その一方で、外面である「ペルソナ」を「光」とした場合、「影」の部分が「シャドウ」です。
「光」が強くなりすぎると自分の欲求や感情が抑圧されるようになります。

「ペルソナ」を作る過程で受け入れられない考え方や感情を心の底に押し込めて「なかったこと」にしており、その切り離された自分の一部分が「シャドウ」です。
心理学では、人間は必ず「表・光」の性質と正反対の「裏・影」の両面の性質を備えていると考えられています。
とても明るい性格の人でも暗い性格の部分が全くないというわけではなく、人前では暗い部分の性格を見せていないだけだといえます。

僕自身の人生を振り返ると、医師としてまだ若い頃、とにかく自分なりに過剰適応的に、つまり過剰に外面を意識し、必死にその環境の中で馴染むように頑張っていました。
特にその頃は、めいっぱい外では明るく元気良く「ペルソナ」を分厚くして、無理に外面を良くして頑張っていました。
でも家に帰るとその反動で、何もする気がおこらず、自分勝手で、家族に対して高圧的になっている自分がいました。
あくまで可能性であり、想像でしかありませんが、おそらく、この状態が行き過ぎていたら最悪の場合DVになりかねなかったのではないかと、改めて振り返ると肝を冷やす思いです。
その当時、「ペルソナ」がかなり分厚く覆われることで「シャドウ」の部分が家庭で大きくなっていくのを感じていました。

これを僕自身がどうやって乗り切ったかというと、とにかく時間と経験を重ねる他ありませんでした。
これはその当時だけではなく、今もなお、まじめにコツコツと日々の生活を送り「無理をしないようにすること」「自分や家族を大切にする時間をもつこと」をきちんと意識するようにしています。
なるべく自分をセルフモニタリングするように意識していますが、これは自分自身での判断は困難です。
手前味噌ですが自分の周りにいてくれている人達の反応を見る限りでは、そんなに悪くない状態だと思っています(笑)
なるべく、自分の中の「ペルソナ」「シャドウ」を意識し続けておくようにしておきます!



2020年3月26日木曜日

親御さんからの質問で、自分の子供時代を思い出しました

新型コロナウイルスの感染拡大予防で全国的な小中学校の臨時休校が続く中、診察室で子どもたちに「どう過ごしている?」と訊くことに何となく複雑な思いと違和感を感じながら、子供たちの回答を待っていると「ゲーム、ユーチューブ、スマフォ~」という感じで、外出の自粛も求められている状況で多くの子供たちはエネルギーを持て余している感じがします。

世相的にみてもそうですが、スマートフォンやタブレット端末に触れる時間が増えているなか、親御さんたちからこういう質問をされることがしばしばあります。
「いくら言っても勉強はちょっとしかしないし~、どうやったら子どもは自分から勉強するようになりますか?」

これはなかなか難しい質問で、どうしても自分の経験というか、自分が子どもの頃はどうだったかな?と、自分の子供時代を思い出してのことをお話しするというかたちになってしまいます。
しかし、自分の子供時代を思い出してみると、親に「勉強しなさい」と言われた記憶がほとんどありませんでした。
それを親御さんに伝えると、「それは先生は言われなくても、自主的に勉強してたからでしょう~?」と言われます。

何の自慢にもなりませんが、僕は、子どもの頃はそんなに勉強はしていません。
ただ、僕の両親は、僕がサッカーを習いたい、塾に行きたいと言ったら、行かせてくれました。
せっかく「行きたい」と言って行かせてくれた習い事を数ヶ月で「やめたい」と言ったら、それも、やめさせてくれました。

今振り返り考えてみると、とにかくやりたいようにさせてくれていたように思います。
両親は共働きで、それに末っ子である僕には「自由にやりたいようにしてくれたらいい」というスタンスだったのかな?とも思います。

高3の進路選択の時に医者になりたいと言い出して、その後3年間も浪人生活をさせてもらいました。
僕のしたいと言ったことを、親は不安そうな眼差しで、でも、いつも両親は応援をし続けてくれました。

残念ながらといいますか、力及ばずといいますか、親御さんたちの「どうすれば子供が自発的に勉強をするようになるのか?」という質問に対する明確な回答は持っていませんが、僕個人がその質問をされ、僕が親にしてもらったことといえば、勉強をする環境を整えてもらい、信頼し見守ってもらっていたな、と思います。
それは今でこそ、そう感じ表現できますが、子供の頃は到底その親の気持ちを察することなどできませんでした。
成長していく中で、 何となく信頼して任せてもらっていることに気付き、何となくその期待にこたえようと自発的に思えたような気がします。

僕が、浪人時代も家で勉強した姿をほとんど見ていない両親でしたが「勉強しなさい」と言わずに見守ってくれていた親と同じように、親となった今の僕も出来るのだろうか?と考えることもありますが、僕が精神科医になったときも、さくメンタルクリニックを開業したときも、親には事後報告になってしまいましたが、今でも変わらず応援してくれています。 



2020年3月19日木曜日

誰のためか

どうもお久しぶりです。
ブログを久しぶりに更新します。

さて、唐突ですが、毎日診察室で患者さんと 向き合っている日々の中で、自分にとって「働くということの意味を考えることがあります。
そのような時に自分にとって支えになっているエピソードの一つで元シアトルマリナーズのイチロー選手とソフトバンクの王貞治球団会長との鮨店での一場面があり、それを今回は紹介させてください。

鮨店での会食で、イチロー選手が王監督に、
現役時代、選手のときに、自分のためにプレーしていましたか、それともチームのためにプレーしていましたか
と訊ねたそうです。

すると、王監督は即答したそうです。
オレは自分のためだよ。だって、自分のためにやるからこそ、それがチームのためになるんであって、チームのために、なんていうヤツは言い訳するからね。オレは監督としても、自分のためにやってる人が結果的にはチームのためになると思うね。自分のためにやる人がね、一番、自分に厳しいですよ。何々のためにとか言う人は、うまくいかないときの言い訳が生まれてきちゃうものだからな
イチロー選手は小さな声で「ありがとうございます」と言って、頭を下げたそうです。

このやりとりを聞いて、僕自身は楽になりました。
僕自身のこのやりとりでの理解として、働くということの基本は、まず自分のためだということです。
自分を大切にして、その周囲の人を大切にして、その延長線上に社会的に働く、役に立つという理解です。

診察場面で、患者さんの中には自己否定感情が強く、自分は働いていないし世の中の人に役になってないから生きる価値がないんですと話されることがあります。
僕は、患者さんには「自分を大切に思う気持ちが、ちゃんとあなたの中で芽生えてくるまでは、働かないで欲しい。自分を大切に思えない人が、働くのは、逆に危険です。」と返答することもあります。
働き方は、あくまでも自分を中心に考えて自分と向き合う。(それはもちろん、自分の生活のためでもあり、自分の家族のためでもあります。)
僕自身においても、あくまで自分のために仕事をしていると考え、自分が納得のいく診療をしたいと思っています。
それが結果的に、患者さんの役に立てると信じています。
同時に、僕は治療者として自分の伸びしろに期待しています。
これからも少しずつですけど、治療者として成長していきたい。
でも反対に、自分の技量が落ちたり、治療の質が低下したら、自分で判断してやめたいと思います。
それも、あくまで自分のためにです。



2020年1月9日木曜日

新年 ≒ 信念 の挨拶

新元号の令和になって初のお正月を迎えました。
明けまして おめでとうございます。

おかげさまで、当院も開院して今年で3年目の年始を迎えることができました。
それもこれも、皆様のご支援があってこそです。
この場をお借りして厚く御礼申し上げさせてください。
「本当にありがとうございます。」

私自身、当院を開院した際に3年後を見据えた計画を立てており、診療や運営、経営などを含めた総合的な面での診療スタイルを確立していきたいと思っていました。
昨年の課題をしっかり認識し、スタッフと共有し、開院時から目指している方向に向かって前進していきたいと思います。

本年も、さくメンタルクリニックを、何卒よろしくお願い致します。