2020年7月30日木曜日

仔犬の学習強化アプローチ!

室内犬を仔犬から飼った経験がある方はイメージしていただきやすいかもしれませんが、仔犬を自分の家に招き入れた際にトイレのルールに慣れさすのには大変苦労します。
十分な根気と時間が必要ですが、それも生物と一緒に暮らす事の楽しさでもありますよね。

さて、来たばかりで、まだその環境に慣れていない仔犬が、あっちこっちでウンチをしてしまうことに対して、飼い主が怒り散らすことで余計にあっちこっちでウンチをしてしまう、という現象をご存知でしょうか?
これは、発達障害児の養育でも、生じる反応とよく似ていると感じています。

たとえば、ADHD傾向の児童に対し、その親が「忘れ物ばかりする!」「整理整頓ができない!」「勉強しない!」と、頻繁に出来ていないことばかりを責めると、余計に短期記憶障害が生じて、生活上の困難さが増えてしまうという現象と重なります。

仔犬の場合、ウンチをあっちこっちでしたことで飼い主に怒鳴られた経験があると、便意を感じただけで、すぐさまパニックになってしまうことがあります。
ドッグトレーナーは、仔犬が粗相をしてしまっても決して怒鳴ったりはせず、「なかなかトイレを覚えてくれない」と飼い主から相談された際には、まずは怒鳴るのをやめるようにアドバイスするそうです。
その上で、犬の本来の習性として自分のウンチの匂いがする場所でウンチをしがちなので、例外的に飼い主がして欲しい場所である適切な場所でしたときには、盛大に褒める!
こうして、例外的に生じた適切な排泄という学習を強化していくというアプローチを「仔犬の学習強化アプローチ!」と勝手ながら呼ばせていただきます!

発達障害の育児も同様で、あくまで「治すのではなく、学習できたことを強化するアプローチ!」が有効ですので、例外的に忘れ物をしなかった日を盛大に褒めることが大事です。
ただ、そんなことを診察室で親御さんに指導すると、「そんな例外が1日もないから、受診に来てるんです!」と返答されることもあります。
そんな時は、診察室でこんな風に親御さんにお願いしています。
『一定期間でいいので、本人と一緒になって明日の準備をして忘れ物がない日を作ってもらえませんか?
まずは、親御さんが頑張って、無理やりにでも、本人が忘れ物をしなかった日を1週間程度生じさせて、例外を親が作り出してください。
その後に、親御さんが、お子さんに対して「すごいやん!なんで忘れ物しなかったん?」と笑顔で聞いてみてください!』
そして、「本人ができたこと、頑張ったことを、親御さんが盛大に褒めてあげてください」とお伝えさせていただいています。
命名するなら、「無理やり、学習強化アプローチ!」ですね。

コロナ休みで、ダラダラ癖がついてしまったお子さんにイライラがつのっている親御さん「仔犬の学習強化アプローチ!」どうでしょうか?



2020年7月23日木曜日

「受容」の重要性

「発達障害」という言葉は、あまり接する経験のない方でも、最近ではよく耳にするようになったのではないでしょうか。
名だたるIT企業の創始者の1人や、かのエジソンやアインシュタインといった偉人や天才も発達障害だった?といった内容が昨今メディアを賑わせています。
そういった状況もあり、良くも悪くも「発達障害」という言葉は聞いたことがあるけれど、では実際どういう特徴があるのか、どう接すれば良いのか分からない、というのが多くの方の感覚だと思います。

「発達障害」の子のイジメや不適切な養育上で問題となるのは、本人の能力上の問題なのに、それを周囲からは、本人のモラルや、やる気の問題に置き換えられて責められるということが多く認められています。

本人の能力上の問題(特性)などは、叱咤激励をし続けていくことにより、余計に悪くなっていくことが多く、例えば後述(A)のサイクルのように悪循環に陥りやすくなるように感じることがあります。

(A) ------------------
  ① 本人の能力上の問題(特性)などを叱咤激励し続ける
  ↓② 本人自身が短期記憶障害化して注意しても全く治そうとしなくなる
   ↓③ 周囲が余計に怒るようになる
 ↑  ↓④ 本人は抵抗する
 ①------↓⑤ できないことが余計に増えていく
----------------------


できれば、特性は受容してあげた方が本人自身は発達しやすくなるので障害があっても目立ちにくくなりやすいように思われます。
発達障害の児童も発達します!
その発達をしやすくなるポイントは、周囲に受容されていることが大事です。
決して甘やかしなさいという事ではありません。
その程度や特徴は実に様々ではありますが、本人が自己否定感情を生じさせるようなつらい思いをさせてまでの叱責や本人にとっての迫害体験になるような経験をさせないということが大事になります。

僕も親なんで分かるんですけど、親はどうしても子育てをしているとダメなところをまず治したくなるものです。
でも、まずは長所を伸ばすことを大事にして、十分、本人の主体性を育んで自信を持たせて「やればできる!」という、いわゆる自尊心を育んであげてから、短所を修正していくというステップを踏んだ方が成長しやすいと思います。
でも、それがなかなか難しいところですよね。


2020年7月16日木曜日

人間の脳の起源

今回のブログは、人の脳の起源について、ちょっと考えてみたので投稿したいと思います。
僕は精神科医ですので、人の精神に作用している高次機能の中枢の脳を扱っているということになりますね。

地球は誕生してから、約46億年経過しています。
地球上に生命が誕生したのは、それから約6億年が経過してからといわれているので、地球上の生命の歴史は約40億年経過しています。
そして地球上に脳という器官が誕生したのは、今から約5億年ほど前です。

約6,000万年前に哺乳類が登場し、そこから直立二足歩行するようになったのは約440万年前です。
現在の、我々ホモ・サピエンスという種が登場して約20万年程度ということになります。
諸説ありますが、脳を獲得した生命は、こうして約5億年かけて、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類、そして霊長類へと進化を遂げて、現在のヒトという脳へと約5億年の歳月をかけて進化を続けてきたといわれているわけです。

我々の脳の中の一番内側には、呼吸とか代謝など生命維持のための基本的な役割をしている「脳幹」があります。
この「脳幹」が発達してきたのは、爬虫類に分類される生命が誕生した約3億年前の頃です。
そして、その脳幹のすぐ外側には「大脳辺縁系」という情動を支配する脳があり、さらにその外側に思考する脳である「大脳皮質」があります。
「大脳辺縁系」は約1億年くらいの歴史で「大脳新皮質」なんて約100万年前くらいの歴史なわけです。
もちろん、近年の高度な文明社会を構築してきたのは思考する脳である「大脳新皮質」の発達のおかげです。

ただ、「こんな風に考えみたら面白いな」と思うことがあります。
骨董的感覚で、単純に脳の発達の歳月(年)を、身近な単位である(円)に替えてみると、「脳幹」が ¥3億円、「大脳辺縁系」が ¥1億円、「大脳新皮質」が ¥100万円となります。
勿論それぞれの部分がバランスを保つことが重要で、また、それぞれの部分に役割があり優劣をつけるわけではないことは多言を要しませんが、脳の発達の歴史において、内側に行けば行くほど ¥1億円や ¥3億円の価値がある脳の部分があるということを意識することが大事な気がするのです。
なぜならば、診察場面で感じるのは、人は新しい脳よりも、もっと起源の古い部分が機能し作用しているのではないかなと感じることがあります。

個人的な意見になるかもしれませんが、人は社会的には「大脳新皮質」で生きているフリをしていますが、その「大脳新皮質」のすぐ内側には、もっと前から存在していた本能とか情動とかの機能の部分が影響していて、そういう部分から作用しているということを大事にしておくということが精神科の治療において重要な気がしています。

こうした部分を意識しながら、人を理解していこうと考えている部分があるということを今日はお伝えしたくなりました。



2020年7月9日木曜日

課題の分離

今回は考え方の選択肢の一つとして知っていると役に立つ場合があるかもしれない、アドラー心理学の「課題の分離」という考え方についてご紹介します。

ある心理学的な分野での考え方では前提として、人はそもそも、弱く、怠惰であるというのが本質として考えられています。
これを前提とした場合、このことを共有した上で、自分は変わりたくない、相手を変えたいと、僕も含めてですが多くの人々は、無意識にであれ、意識的にであれ考えがちです。
だからこそ、自分は楽をしたいがために、相手に命令をして強制させたいと考えたり、こっちがこれだけしてあげたんだからと、相手に見返りを求めたりすることがありますよね。
親子、夫婦であったり、会社の上司と部下など、あらゆる対人関係の問題が生じて来る原因となる場合があります。
また、人は弱く、怠惰であるからこそ、相手の評価を気にしがちです。

「課題の分離」とは、端的にいうならば自分と他者の課題を分離し、他者の課題には踏み込まないようにすると同時に他者にも自分の課題に踏み込ませないようにする、という考え方です。
自分と他者の課題を分離するためには、その間の線引きが必要なわけですが、線引きの仕方はその課題について最終的な責任を負うのは誰か?
もしくは、その課題について最終的な結論を出すのは誰か?という事について考えることで線引きができます。

前述の、相手に命令したい時や見返りを求める時というのは、自分が他人の課題に踏み込んでしまっています。
なぜならば、その命令に従うかどうか、そして見返りをするかどうかを、最終的に決めるのはその相手だからです。
また、相手が自分のことをどう評価するかというのは、他人の課題です。
こちらについても、どのような評価を下すか、という最終的な結論を出すのは相手だからです。
もしも、自分と他人の課題の分離ができているならば、他人の評価を気にするということもありませんし、命令通りに動いてくれない相手や見返りをしない相手にイライラすることもましになってきます。

言い換えるならば、対人関係上の問題というのは、自分が他人の課題に踏み込んだ時、もしくは自分の課題に他人を踏み込ませた時に、生じてくるものだと言えます。
この「課題の分離」が、人が生きていく上で大事な理由は、課題の分離ができていないと自分の一生が「承認欲求に支配された人生」になってしまう可能性があります。
承認欲求とは、他者に自分のことを認めてもらいたい、という欲求なわけですが、「他者が自分を認めるかどうか」という課題の最終的な結論を下すのは他者なわけですから、極論、自分にはどうすることもできません。
それにも関わらず、承認欲求にこだわり続けているとどうなるのかというと、気付いた時には他人のために生きている人生となります。
つまり、いくら他人のために生きようと思っても、それは決して叶わぬ事なわけです。
それにも関わらず他人のために生きようとすることは、そもそも絶対に叶うことのない夢を追い求め続けてしまうようなものです。
そうではなく、私たちはもっと確かなものを求めて人生を生きる事ができます。
それは、他人の人生ではなく、自分の人生を生きるということです。
そのためには、自分と他人の課題の分離から始めることがとても重要なのです。

なぜならば、人生におけるあらゆる悩みは、対人関係に由来しており、対人関係から生まれる悩みはどれも、相手と自分の課題を分離できていない事が原因だからです。
つまり、課題の分離ができれば、対人関係の悩みは減り、自分の人生により集中できるようになります。
「人は人、自分は自分!」これって、すごく大事なことですよね。
まあ、それが、僕自身がなかなかできなくて、ちょっぴり病み気味だからこそ、自分へのメッセージとして、今日は、ブログにあげさせてもらいました。



2020年7月2日木曜日

浦島太郎伝説についての僕なりの解釈

非常に有名な伽話(おとぎばなし)である「浦島太郎」は、皆さんもご存知だと思います。

ざっくりと一般的に知られているあらすじをご紹介すると、浦島太郎が亀を助けた恩返しとして海中にある竜宮城に連れて行かれ乙姫らの饗応を受けます。
故郷のことが心配になり帰郷しようとした浦島太郎に「決して開けてはならない」と念を押されつつ玉手箱を渡され帰ります。
帰り着いた故郷では、竜宮で過ごした時間より遥かに長い年月が経っており、失意の余り玉手箱を開けてしまった浦島太郎は、白髪の老人になってしまう。というお話です。

ここからは、このお伽噺の僕的な解釈です。
竜宮城という、物質的な豊かさによって、人は人間的な成長はしないということがテーマだと思っています。
浦島太郎は、竜宮城という夢から醒めて、いざ、現実に戻ってきました。
これは精神科的な用語でいうところの直面化という状況になります。
つまり、今まで竜宮城で感じずに済んでいた「生老病死」と向き合ったことにより、それに耐えられなくて受容が困難となり、自ら命をたってしまったというのが、僕なりの解釈です。

ここから学ぶこととして、人は問題と向き合っている時こそ、成長しているということです。
そういう苦しみの中でしか、人は精神的に成長していけない。そして、その成長の意味は、最終的には、死ぬことの受容なんだと思います。

僕は勤務医時代に、患者さんが亡くなるまでサポートをさせていただいた経験があります。
勿論のことですが、患者さんごとの身体の状況や、またそのご家族のとりまく状況はそれぞれで、患者さんらは、綺麗ごとではない各々の受け止め方で、リアルな受容をしていかれたように思います。
そして、これは個人的なものの見方ではありますが、僕がサポートさせていただいた患者さんの亡くなられたお顔は、安らかな、まさに「受容」されたような表情がそこにありました。

新型コロナウイルス感染症の影響も、まだまだ終息とは言い難い状況が続いています。
そうじゃなくても、生きているだけでしんどいですよね。
でも、その苦しみには、きっと終わりが来ます。

少なくとも、浦島太郎の竜宮城のような世界に、一時的にいたいという願望はありますけど、今、抱えている問題に、自分なりに向き合って、いつかくる「死」を受容できるようになることが、人生の真の豊かさだと信じて生きていきたい、そう思います。