2023年12月27日水曜日

年末の挨拶

 開業して6回目の年末を迎えます。今年は、何とかコロナなどの感染症等にもならず、クリニックで、予定通りの診療ができたことに、安堵しています。当院のスタッフ、来院されている患者さん、僕の家族を含めて、感謝しております。今年もありがとうございました。

 今年を振り返ると、2回ほど当院主催の講演会を開いたり、僕自身も講演をしたりして、少しでも精神科医として、社会貢献に向けて挑戦できたかなと思います。また、診療も地味にですが、着実に精神科医としての経験や力をつけてきていると思います。そうしたことの影響もあり、予約を取ることが困難なクリニックになってしまいました。

 3年前から、ホームページ上でも初診受け入れ停止を告知していますが、現状もなかなか初診の患者さんを受け入れることが慢性的に困難な状態が続いています。現在通院されている患者さんや、3か月とか半年ぶりに受診を希望される患者さんを受け入れるためには、これ以上の初診患者さんを受け入れることはできない状態です。この状態で、新患の患者さんを無理して受け入れてしまうと、「30分以上待って、5分診療」とかに向かってしまいます。そうなると、僕の診療の良さが失われてしまい、『誰よりも、僕自身が病んでしまいます。』

 申し訳ありませんが、今後も精神科医は僕一人で、このクリニックを運営していきたいと思っています。そのため、一人ひとりの患者さんに向き合う時間を守るためには、今後も長期に渡って、初診患者さんを受け入れることはできません。初診で受診を希望されている患者さんには、大変申し訳ありませんが、何卒ご理解の程よろしくお願いします

2023年12月20日水曜日

定型文に込められた言葉の意味

 クリニックで、患者さんが帰られる時に「お大事に」と使われる定型文には、「あなたは大切な存在であること。自分を癒そうと、ここを訪れたことに、私は敬意を持って接していること。我々ができるかぎりのことをしたので、あとは、あなた自身が自分をいたわり、養生して元気になってくださいね。」という思いが込められています。

 だからこそ、患者さんが診察室を出られる時に、「あなた自身を大切にしてくださいね。」と伝えることもあります。他にも、「挨拶言葉」が定型文になって、本来届けたい真意が伝わりにくい言葉があります。

「おはよう」は、もともと歌舞伎の世界で使われて、「お早いお着きですね」という意味です。そのため、芸能界では夜でも「おはよう」と言って挨拶するそうです。これも、相手を労う言葉という真意が込められています。

「こんばんは(今晩は)」は、「今晩は月が綺麗ですね。」

「こんにはちは(今日は)」は、「今日は寒いですね。」

「ありがとう」も「運んでくれてありがとう。」という共感や相手を思いやる言葉や真意が込められています。

 普段でも、ご飯を「ごちそうさま」と略すのではなく「時間をかけておいしいごはんを作ってくれてありがとう。ごちそうさまでした。」と相手に伝えることで、それを伝えた自分自身も手間をかけ大切にされる存在だと、気づくことにもつながる。そうした定型文に、一言を付け加える手間だけで、お互いのやりとりに血が通う。そういうことを、ちゃんと大切にしていきたいと思っているけど、なかなか、できてない日々に反省してます。

2023年12月13日水曜日

愛したいが愛で、愛されたいは、愛じゃない

  仏教で「慈悲」という言葉があり

「相手を思いやり、相手に楽を与え、相手の苦を取り除くこと。」つまり、与えること。これが、「本当の愛」なんだそうです。

 一方で、西洋的な「愛する」というのは、相手への見返りを求めたり、相手が自分の思うように動いてほしい、という願望とか執着という「煩悩」の要素が結構入っています。さらに、「愛したいと愛している」は違います。「愛しているというのは状態」だから、変わる。変わるものに、身を委ねたら、人はいつかダメになります。なぜなら、「愛とは、選択の連続」なんだから。愛しているかどうか?なんて、自問自答すること自体が無意味となります。

 多くの人が使用している「愛している」と言っているのは、結局のところ「恋」なんだと思います。恋は、いずれさめる。愛したいというのは選択で、選択を続けていくものです。

 例えば、歌でいうと、三木道山の「Lifetime Respect」という歌のサビの部分の「一生一緒にいてくれや~」というのは愛の歌ではなく、恋の歌なんだと思います。「愛している~」という状態だから、いずれは消えてしまいます。

 Zooの「愛をください」という歌も、愛の歌ではない。それは、求めているから、執着という煩悩の歌だということになりますかね。

 そう思うと、スピッツの「チェリー」とか、AIさんの「ストーリー」、伊藤由奈さんの「Precious」とかは、改めて聞いてみると「愛のことを歌っている。」な感じがします。

 つまり、「愛」とは、「無いものくれ!」じゃなくて、「共に作っていこう」とか、自分から与えるもの。「愛」を支えに、誰かに優しくなれるもの。見返りを求めないものなんだと思います。

 そう考えると、愛するって、大変なことなんですね~。愛とは、試練であり、修行そのものなんですね。

2023年12月6日水曜日

斎藤万比古(かずひこ)先生のお言葉

 サッカー界のキングカズといえば、三浦知良選手。児童精神科医のキングカズといえば、斎藤万比古(かずひこ)先生です。当時、僕が勤務していた病院で、丁度、僕は中堅の医師になっており、色々迷いを抱えて勉強会で、斎藤万比古先生と久しぶりにお会いしました。その際に僕が、斎藤先生に、「勤務している病院で多くの先輩方が退職されて、心もとない気持ちがある。」ということなどを近況報告として話しました。その際、斎藤先生は「病院や社会でも、君の代わりはいる。自分がいる場所で、自分がいないといけないと思うのは、自己愛以外のなにものでもない。大事なことは、自分自身が今後どうしていきたいのか? そこから逃げるな!」と話されました。

 実際はもっと丁寧な口調で、斎藤先生は、僕に話してくれています。でも僕には、当時こういう感じで、叱咤してもらったと感じています。

感覚的には、憧れのアントニオ猪木にビンタしてもらったような気分でした。その日は、脳がぐるぐるして、なかなか眠れませんでした。斎藤先生の言葉は、ショックというか、かつ図星な部分が結構あったんです。でも、翌日から、自分が何をしたいのか、どうしたいのか?そこから逃げないで、自分自身と向き合うことができました。

そして、今、開業しています。

今でも、自分がどうしたいのか?何をしたいのか? を考えて日々精進しています。

さすが、キングカズ、斎藤万比古(かずひこ)先生からの熱い言葉は、僕の中に入っています。ありがたかったです!