今回は考え方の選択肢の一つとして知っていると役に立つ場合があるかもしれない、アドラー心理学の「課題の分離」という考え方についてご紹介します。
ある心理学的な分野での考え方では前提として、人はそもそも、弱く、怠惰であるというのが本質として考えられています。
これを前提とした場合、このことを共有した上で、自分は変わりたくない、相手を変えたいと、僕も含めてですが多くの人々は、無意識にであれ、意識的にであれ考えがちです。
だからこそ、自分は楽をしたいがために、相手に命令をして強制させたいと考えたり、こっちがこれだけしてあげたんだからと、相手に見返りを求めたりすることがありますよね。
親子、夫婦であったり、会社の上司と部下など、あらゆる対人関係の問題が生じて来る原因となる場合があります。
また、人は弱く、怠惰であるからこそ、相手の評価を気にしがちです。
「課題の分離」とは、端的にいうならば自分と他者の課題を分離し、他者の課題には踏み込まないようにすると同時に他者にも自分の課題に踏み込ませないようにする、という考え方です。
自分と他者の課題を分離するためには、その間の線引きが必要なわけですが、線引きの仕方はその課題について最終的な責任を負うのは誰か?
もしくは、その課題について最終的な結論を出すのは誰か?という事について考えることで線引きができます。
前述の、相手に命令したい時や見返りを求める時というのは、自分が他人の課題に踏み込んでしまっています。
なぜならば、その命令に従うかどうか、そして見返りをするかどうかを、最終的に決めるのはその相手だからです。
また、相手が自分のことをどう評価するかというのは、他人の課題です。
こちらについても、どのような評価を下すか、という最終的な結論を出すのは相手だからです。
もしも、自分と他人の課題の分離ができているならば、他人の評価を気にするということもありませんし、命令通りに動いてくれない相手や見返りをしない相手にイライラすることもましになってきます。
言い換えるならば、対人関係上の問題というのは、自分が他人の課題に踏み込んだ時、もしくは自分の課題に他人を踏み込ませた時に、生じてくるものだと言えます。
この「課題の分離」が、人が生きていく上で大事な理由は、課題の分離ができていないと自分の一生が「承認欲求に支配された人生」になってしまう可能性があります。
承認欲求とは、他者に自分のことを認めてもらいたい、という欲求なわけですが、「他者が自分を認めるかどうか」という課題の最終的な結論を下すのは他者なわけですから、極論、自分にはどうすることもできません。
それにも関わらず、承認欲求にこだわり続けているとどうなるのかというと、気付いた時には他人のために生きている人生となります。
つまり、いくら他人のために生きようと思っても、それは決して叶わぬ事なわけです。
それにも関わらず他人のために生きようとすることは、そもそも絶対に叶うことのない夢を追い求め続けてしまうようなものです。
そうではなく、私たちはもっと確かなものを求めて人生を生きる事ができます。
それは、他人の人生ではなく、自分の人生を生きるということです。
そのためには、自分と他人の課題の分離から始めることがとても重要なのです。
なぜならば、人生におけるあらゆる悩みは、対人関係に由来しており、対人関係から生まれる悩みはどれも、相手と自分の課題を分離できていない事が原因だからです。
つまり、課題の分離ができれば、対人関係の悩みは減り、自分の人生により集中できるようになります。
「人は人、自分は自分!」これって、すごく大事なことですよね。
まあ、それが、僕自身がなかなかできなくて、ちょっぴり病み気味だからこそ、自分へのメッセージとして、今日は、ブログにあげさせてもらいました。