2023年12月27日水曜日

年末の挨拶

 開業して6回目の年末を迎えます。今年は、何とかコロナなどの感染症等にもならず、クリニックで、予定通りの診療ができたことに、安堵しています。当院のスタッフ、来院されている患者さん、僕の家族を含めて、感謝しております。今年もありがとうございました。

 今年を振り返ると、2回ほど当院主催の講演会を開いたり、僕自身も講演をしたりして、少しでも精神科医として、社会貢献に向けて挑戦できたかなと思います。また、診療も地味にですが、着実に精神科医としての経験や力をつけてきていると思います。そうしたことの影響もあり、予約を取ることが困難なクリニックになってしまいました。

 3年前から、ホームページ上でも初診受け入れ停止を告知していますが、現状もなかなか初診の患者さんを受け入れることが慢性的に困難な状態が続いています。現在通院されている患者さんや、3か月とか半年ぶりに受診を希望される患者さんを受け入れるためには、これ以上の初診患者さんを受け入れることはできない状態です。この状態で、新患の患者さんを無理して受け入れてしまうと、「30分以上待って、5分診療」とかに向かってしまいます。そうなると、僕の診療の良さが失われてしまい、『誰よりも、僕自身が病んでしまいます。』

 申し訳ありませんが、今後も精神科医は僕一人で、このクリニックを運営していきたいと思っています。そのため、一人ひとりの患者さんに向き合う時間を守るためには、今後も長期に渡って、初診患者さんを受け入れることはできません。初診で受診を希望されている患者さんには、大変申し訳ありませんが、何卒ご理解の程よろしくお願いします

2023年12月20日水曜日

定型文に込められた言葉の意味

 クリニックで、患者さんが帰られる時に「お大事に」と使われる定型文には、「あなたは大切な存在であること。自分を癒そうと、ここを訪れたことに、私は敬意を持って接していること。我々ができるかぎりのことをしたので、あとは、あなた自身が自分をいたわり、養生して元気になってくださいね。」という思いが込められています。

 だからこそ、患者さんが診察室を出られる時に、「あなた自身を大切にしてくださいね。」と伝えることもあります。他にも、「挨拶言葉」が定型文になって、本来届けたい真意が伝わりにくい言葉があります。

「おはよう」は、もともと歌舞伎の世界で使われて、「お早いお着きですね」という意味です。そのため、芸能界では夜でも「おはよう」と言って挨拶するそうです。これも、相手を労う言葉という真意が込められています。

「こんばんは(今晩は)」は、「今晩は月が綺麗ですね。」

「こんにはちは(今日は)」は、「今日は寒いですね。」

「ありがとう」も「運んでくれてありがとう。」という共感や相手を思いやる言葉や真意が込められています。

 普段でも、ご飯を「ごちそうさま」と略すのではなく「時間をかけておいしいごはんを作ってくれてありがとう。ごちそうさまでした。」と相手に伝えることで、それを伝えた自分自身も手間をかけ大切にされる存在だと、気づくことにもつながる。そうした定型文に、一言を付け加える手間だけで、お互いのやりとりに血が通う。そういうことを、ちゃんと大切にしていきたいと思っているけど、なかなか、できてない日々に反省してます。

2023年12月13日水曜日

愛したいが愛で、愛されたいは、愛じゃない

  仏教で「慈悲」という言葉があり

「相手を思いやり、相手に楽を与え、相手の苦を取り除くこと。」つまり、与えること。これが、「本当の愛」なんだそうです。

 一方で、西洋的な「愛する」というのは、相手への見返りを求めたり、相手が自分の思うように動いてほしい、という願望とか執着という「煩悩」の要素が結構入っています。さらに、「愛したいと愛している」は違います。「愛しているというのは状態」だから、変わる。変わるものに、身を委ねたら、人はいつかダメになります。なぜなら、「愛とは、選択の連続」なんだから。愛しているかどうか?なんて、自問自答すること自体が無意味となります。

 多くの人が使用している「愛している」と言っているのは、結局のところ「恋」なんだと思います。恋は、いずれさめる。愛したいというのは選択で、選択を続けていくものです。

 例えば、歌でいうと、三木道山の「Lifetime Respect」という歌のサビの部分の「一生一緒にいてくれや~」というのは愛の歌ではなく、恋の歌なんだと思います。「愛している~」という状態だから、いずれは消えてしまいます。

 Zooの「愛をください」という歌も、愛の歌ではない。それは、求めているから、執着という煩悩の歌だということになりますかね。

 そう思うと、スピッツの「チェリー」とか、AIさんの「ストーリー」、伊藤由奈さんの「Precious」とかは、改めて聞いてみると「愛のことを歌っている。」な感じがします。

 つまり、「愛」とは、「無いものくれ!」じゃなくて、「共に作っていこう」とか、自分から与えるもの。「愛」を支えに、誰かに優しくなれるもの。見返りを求めないものなんだと思います。

 そう考えると、愛するって、大変なことなんですね~。愛とは、試練であり、修行そのものなんですね。

2023年12月6日水曜日

斎藤万比古(かずひこ)先生のお言葉

 サッカー界のキングカズといえば、三浦知良選手。児童精神科医のキングカズといえば、斎藤万比古(かずひこ)先生です。当時、僕が勤務していた病院で、丁度、僕は中堅の医師になっており、色々迷いを抱えて勉強会で、斎藤万比古先生と久しぶりにお会いしました。その際に僕が、斎藤先生に、「勤務している病院で多くの先輩方が退職されて、心もとない気持ちがある。」ということなどを近況報告として話しました。その際、斎藤先生は「病院や社会でも、君の代わりはいる。自分がいる場所で、自分がいないといけないと思うのは、自己愛以外のなにものでもない。大事なことは、自分自身が今後どうしていきたいのか? そこから逃げるな!」と話されました。

 実際はもっと丁寧な口調で、斎藤先生は、僕に話してくれています。でも僕には、当時こういう感じで、叱咤してもらったと感じています。

感覚的には、憧れのアントニオ猪木にビンタしてもらったような気分でした。その日は、脳がぐるぐるして、なかなか眠れませんでした。斎藤先生の言葉は、ショックというか、かつ図星な部分が結構あったんです。でも、翌日から、自分が何をしたいのか、どうしたいのか?そこから逃げないで、自分自身と向き合うことができました。

そして、今、開業しています。

今でも、自分がどうしたいのか?何をしたいのか? を考えて日々精進しています。

さすが、キングカズ、斎藤万比古(かずひこ)先生からの熱い言葉は、僕の中に入っています。ありがたかったです!

 

2023年11月29日水曜日

楽しんでいるかい?

  僕は、大学生の頃、夏休みに、原付バイクで北海道縦断した際に、北海道は、ツーリング大国で、バイクが相互に通り過ぎる際は、手を振る動作をお互いにしていました。

 北海道の道の駅とかで、休憩していると、かっこいい白髪の老人男性が、大型バイクでツーリングしており、こちらに「楽しんでいるかい?」とダンディーに話しかけてくれて、こっちは「はい!楽しんでます!」と返答しました。

 大学時代は、少しでもまとまった時間ができると、1人旅に出ていました。 自分が、どこに行き、何を食べたいか? 1人旅は、自分自身が旅の主人公にならないとできません。今は、なかなか一人旅してないですけど、自転車や原付バイクで遠出してみたり、サウナで1人時間を持っています。その時に、「楽しんでるかい?」というダンディーな声が思い出されます。

「はい、楽しんでいます!」と答えられる自分でいたい。そうじゃないと、診察もつまらない診察になっちゃう。

 だから、今晩も、ちょっと夜中にサウナと一杯だけ飲んできます。

2023年11月22日水曜日

精神科の診察は、やっぱり難しい~

 僕は、精神科医として、診療を通じて、来院された時より、帰る際に少しでも、心が軽くなれるように治療的に関わらせてもらう。これを目指して、日々精進しています。

しかし、毎回ヒットやホームランは打てないし、残念ながら、患者さんを傷つけてしまったり、患者さんがショックを受けて帰られることもあります。

 診療を通じて、告知や障害受容を促進していただくために、そうした過程を踏まないと前に進めないこともあるのです。こちらも、治療者として真剣に向き合っているからこそ、自分の実力不足、診察時間の制約など様々な理由でそうなってしまうこともあります。患者さんに説明する際も、受け取り方は千差万別です。だからこそ、なんぼでも、精神科医療って非難できると思います。

治療的な関わりは、昔の自分よりは、できつつあるけれど、同時に、患者さん11人に関われる診療時間は減っているし、僕自身の患者さんに治療的に関われなかった際の、悔しさは増しています。

 今日も、失敗となった診療がありました。もう少し時間が取れたら、もう少し患者さんに慰労や労いといった共感が足りなかったために、僕の対応が患者さんにとって横柄に感じさせてしまったりと、今後の修正ポイントも以前よりは気づけるけど、実際は、やはり、色々な制限や制約があるので、物別れになってしまうこともあります。ただ、その際は、通院医療機関を変更することも大事かな?とは思います。

 僕は、僕のできることを頑張りたい、治療的に関わろうとして、失敗するのは仕方ないけど、失敗を恐れて、治療的に関わらない、無難に関わるのは、むしろ、自分にも、患者さんにも申し訳ない。ただ、謙虚に、誠実に、でもユーモアや明るさで、自分らしく取り組んでいって、それで、患者さんに合わないのであれば、患者さんの合うところを探してもらいたいとも思っています。

2023年11月15日水曜日

12月23日(土)に、今年2回目の当院主催の講演会をします。

 

 1223日(土)に、今年2回目の当院主催の講演会をします。詳細は、当院のHPのお知らせにて確認していただき、ご参加をお待ちしております。参加に当たって、当院に通院されているとかは、関係ありません。講演の演題としては、

「発達障害のリアルな理解と支援について。VOL2

という演題ではありますが、そこから外れた内容でも何でも、僕と演者で当院の顧問心理士の上野大照先生とで、1時間近くの質疑応答の時間を持っていますので、参加いただいた方に、多くの実践的な情報提供や情報共有して、少しでも明るくなって、楽になって帰ってもらえるように頑張りたいと思っています。ご参加をお待ちしております。

 

2023年11月8日水曜日

俺は、俺を騙すことなく生きていく!ポイズン!

  僕の人生の最大の挫折は、3年間浪人しましたので、大学受験そのものです。

 でも、その味わった挫折があったから、精神科医になったんだと思います。それに今となっては3浪の経験は、僕にとっての財産になっています。だから、毎年、3浪仲間に、お歳暮送ってます。そして、今でも日々挫折です。そして日々成功です。診療で、「うまくいった~」と思ったら、次の瞬間には、うまくいかない。患者さんに治療的な関わりが出来なかったと自分の力不足に「悔しい~!」と思ったら、上手くいったりのくり返し。

 それはいいとして。現代の日本って、「失敗」とか「異常」に対して、非常にヒステリックですよね。社会は、「潔白であれ」「成人君主であれ」みたいな。普通の定義が狭く、脅迫化しているような感じがします。そして、正常とか、決まりから外れたら、完膚なきまでに糾弾する感じ。僕の仕事でいうと、どっかで失敗した部分があれば、「精神科医の前に一人の人間として失格だ~」、「医者をやめた方がいい~」、「今すぐやめろ~」とかでしょうかね?ネット社会とか、顔も見えない人からの非難って怖いですよね。その糾弾している人は、多分、「人間的にどうよ、という人の方じゃないの?」とかって思う自分も面倒くさいし。そういう反発している自分も好きじゃないです。

 有名人とか、人前に立つ人は大変だな~と思います。コンプライアンス過剰重視で、常に成人君主で、他者をおもいやる気持ちを忘れない。

そんな大谷選手を標準設定にした社会でいいのかな?

そうしたモラル重視社会って、多くの人が、返って生きにくくなるんじゃないのかな?

と思います。そうしたギスギスの延長が、戦争になっちゃう気がします。社会としては、『こうすべきじゃなくて、それもいいし、これもいいし、まあだいたいでいきましょう~。』じゃダメなんでしょうかね?

 こういう心情になったら、反町隆史さんのポイズンを聞くしかない。『言いたいことも言えない、こんな世の中じゃ、ポイズン。俺は俺を騙すことなく生きていく。』そう、反町隆史さんのように宣言したい気持ちです。

2023年11月1日水曜日

自分らしく生きる前に、遁世(トンセイ)~!

  僕は、地元の中学校では、あまり勉強していなくても成績優秀でした。そのまま、地元の公立の進学校に進学しました。そしたら、周囲は、勉強は僕よりできるし、運動神経がいい人も多く、話しも面白い。すぐさま、自信喪失し、高校3年間、へらへらして、勉強ができないのを誤魔化して、勉強をさぼっているからできないというスタンスでカモフラージュしていました。    

 高校時代、正直、ずっと苦しかった。自分自身の本当の気持ちから逃げてばかりだった。高校時代の成績は、学年最下位付近をうろうろしている状態でした。その後、3年浪人して、世間から隔絶された「予備校の主」になり、やっと解脱したんです。

 誰かとの比較をすることをもうやめていい、と思えるようになりました。

 それよりも、自分の人生の目標として、「よい医者になる」ことを大切にして、11日を自分らしく、できる範囲で精進していくようになりました。そのためには、3年間の予備校生活とは僕にとって、3年間の山籠もり体験みたいなもんです。その後、大学に入学してからは、自分らしく生きられるようになったし、定期的に、旅に出る(インド、アフリカ、日本の各地をバックパッカーで旅する。)をして、今ある狭い社会とか普通から解脱するようにしていました。

 我々人間は社会的な生き物です、社会の普通とかに、意識、無意識で縛られてしまうものです、そこから定期的に解脱して、自分を取り戻すことは、とても大事なことだと思います。

2023年10月25日水曜日

思春期心性は、ネバーエンディング~

 勤務医の頃は、よく学会に参加させていただきました。その際に、大御所の児童精神科医の話を聞きにいっていました。大御所の児童精神科医の先生曰く、

「現代は、科学技術も進歩し、寿命も延びて、それに伴って、思春期心性や思春期年代も延長している。思春期年代(おおかた、10歳頃から20歳頃まで)を終えても、何度でも危機的な状況になれば、思春期の頃の心性が活発になる。」

 確かに、愛着の問題を思春期から成人期に移行しても未解決なまま、そこにぶつかって、人生が前進しにくい状態に至っている人が多く認めています。

 大御所の先生は、思春期心性は、何度も何度も再活性していくから、終わりはない、ネバーエンディングストーリーなんだと話しておられました。だけど、一つの区切りは、40歳前後かな~とも話されていました。40歳といえば、人生は後半になり、寿命なども意識するし、死んじゃいそうな病気を認めたら、愛着の問題とか言ってられないからかな~とも思います。

 僕も、38歳で開業して、6年が経過し体重は10kg太って、もう色々しゃ~ない になって力は抜けてきている気がします。諦めの境地、まあ及第点でいいやんみたいな~。

40歳前後ですね。脱力して、あちこちが緩んでいくのは。これを、成熟と呼ばせください!自分自身も、思春期心性からおっさん心性に移行しているのを感じている今日この頃です。

 

2023年10月18日水曜日

運転手は、車酔いしない理由

 こどもが夏休み期間に、お墓参りに家族で行ってきました。墓参りは、山道を僕が車で運転し、僕の粗い運転技術により、僕以外の同乗者の家族全員が車酔いをしました。

 そもそも乗り物酔いは、耳の奥にある体の平衡感覚をつかさどっている、三半規管のリンパ液が乱れることで起こります。「運転している人は車酔いしにくい。」と言われていますが、これは、運転手は自然に車の 進行方向を意識できているためです。当然、運転手は運転中に頭を頻繁に動かしたりよそ見をすることはありません。加えて、自分の意志でハンドルを切っているため、平衡感覚が乱れにくく、「前に段差があるから揺れる」「次はカーブがあるから体が傾く」などの、目から入ってくる情報から予測・判断ができるため、情報のずれが生じません。ここに、運転している人は車酔いしにくいと言われている理由があるのです。

 一方同乗者は、基本的にずっと前方を見ている運転手と違い、周囲の景色などを見たり、他の同乗者と会話をしたりと、頻繁に頭を動かすことになります。その結果、三半規管のリンパ液が乱れ乗り物酔いを誘発することになるのです。

 精神科医的には、「運転と人生は似ているな~」と思いました。自分の体を車で見立てると、周囲の人はどうかを意識してばかりいたり、何らかの理由で、運転手が、他の誰か(親だったり、上司だったり、世間一般だったり)に奪われてしまう。そのことによって、不安、抑うつ、心身症状、自我障害を起こして幻覚妄想状態になることもある。これは、運転でいうところの車酔いと似ているのかもしれない。自分の人生の運転手である、自分自身がしっかり主体的に運転し、自分の思ったように進んでいけるようになると、車酔いのような症状は改善するでしょう。

 僕の家族の皆が、墓参りで車酔いしている時に、自分の運転の粗さを反省するよりも、そんなことを考えていました。次回から、もう少し丁寧な運転を心掛けたいと思います。

2023年10月11日水曜日

治療者としての反省

 今日の診療は、おおかたは及第点でいけていたな~と思っていたら、最後の診察で、残念な診察となってしまいました。日々の診療で、当然、患者さんが良くなるように、こちらも限られた制約ではありますが、日々精進して、精一杯頑張っています。

 しかし、その反動として、こちらも患者さんに治療的な関わりのために頑張っているからこそ、患者さんに対して、良い変化を期待し過ぎて、患者さんに寄り添うことや労うことよりも、患者さんに対して介入、改善を優先し過ぎて、患者さんにとっては、否定されたと傷ついてしまうという診察になってしまうことがあります。

「残念です。申し訳ないです。」「日々勉強です。」

 自分自身が改善したり、頑張ることに集中して、その見返りによる治療的な変化は、患者さんの中で生じることであって、僕自身が、その患者さんの変化を期待し過ぎてはいけない。

 患者さんに起こる変化は、少しずつだし、あくまでも患者さんの変化のペースに、スモールステップに、こちらも合わせることが、プロの治療者だと思う。その反省をここに述べて、また、明日から、自分のできることに集中していきたいと思います。

2023年10月4日水曜日

山登りで感じたこと

  生きていることは、山登りに似ているから、年に数回は登山をしたくなる。人生で、山頂を見失って、ただ、さまよっているだけに感じたり、孤独だったり、苦痛だったり。でも、実際は、それも含めて、登っているんです。死なないことを選択し、何とか耐えて生き続けて、苦悩していること、そのものが登山であり、人生です。

 我々が、人生で登っている山は、大谷選手が登っているような前人未到の素晴らしい山じゃないかもしれない。金剛山とか、又は天保山かもしれない。でも、自分にとっての山登りをしている。その山という人生に、優劣はないんだと思います。少なくとも、自分という人生の山を卑下しないで、登る。(生き続けるだけで十分、登っているんです。)

 当院は、時に登山ガイドになったり、山道の応援者であったり、少しは、道を照らしたりして、患者さんの少しの役に立てたなら嬉しいです。僕自身も、生きてて苦しいです。でも、お迎えが来るその日まで、人生という山登りは続けたい。また、今度もロープウェイがついている山に登るか、低山を登ろうと思います。

 

2023年9月27日水曜日

盆休みは、葛城山を登山してきました

  812日に、葛城山に登山してきました。暑いし、やはり日頃から運動不足なので、序盤で息切れして、きつかったです。登山の中盤で、5分から10分程登山道を見失いプチ遭難したりもしました。その後、山頂に到着し、やっぱり登りきると気持ちいいし、そこで食べるご飯は美味しい。ちなみに、無理しない主義なので、ロープウェイで6分で下山しました。その後、立ち寄り湯のサウナで整いました。でも、振り返ると、辛いがあるから幸せになる。字も似ていますね。登山もサウナも、最初に辛いがあって、その後に、幸せを感じる。しかも、振り返ると、その時のしんどさの方が、印象に残っているんです。

 チャップリンが言った、「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」とも通じますね。いつも、一緒に登ってくれる事務長や、送り出していただけた家族、いつも支えてくれている当院スタッフに感謝です。

 

2023年9月20日水曜日

日常の仕事などのストレスや緊張は、逆に有り難い

  盆休みとか長期休みになると、起きる時間が曖昧になったりして、心身が不調になりやすいです。旅をしたり、山登りにいったりと非日常なことを休日にしても、結局は、飽きてしまいます。長期休みに入ると、休みの後半には、仕事がしたくなります。そして仕事している時の方が、心身の調子が、なんだかんだいって、いい感じがします。自分は、どうやら仕事が好きですし、患者さんが来院されて、日々、自分自身の力不足を感じたり、反省の日々なんですけど、頑張りたいです。日々の仕事のストレスが、僕の生きがいであり、一番の健康の秘訣な気がします。

2023年9月13日水曜日

僕が、小学校の頃に親についた悪態と、その際の親の対応

  僕が、小学校の頃、ゲームボーイという携帯型ゲーム機が発売され、友人の何人かが持っていました。僕は親に「みんな、ゲームボーイ持っているねん。今度のクリスマスのプレゼントで買って欲しい~」と伝えました。しかし、当時、ゲームボーイ機は、高額であったことや入手困難なこともあり、結局、買って欲しい時に、購入してもらえませんでした。僕は、親に対して、癇癪(かんしゃく)、泣き叫び、遂に、親が買いに行こうと提案してくれたのですが、僕は、すっかり拗ねてしまって「もう遅い、間に合わない~。もういらない~」と、心の中の気持ちと反対の言葉で、親に対して表現していました。でも、親は、辛抱強く、僕を説得してくれて、結局は、購入してもらって、僕は、すっかりご機嫌になりました。

 僕の親は、当時の僕の発言の裏の心の気持ちに寄り添ってくれたのです。おかげで、親と僕との愛着関係は安定しており、そうした関係性が安全基地となって、公私ともに頑張る基礎になっています。そうした親子の小さな積み重ねや、やりとりですけど、もし親が、僕の当時の悪態をついた言葉通りを受けて、「それやったら、もう買わない」と親が対応していたら、僕と親との関係は、不安定なものになっていたかもしれません。そうした親子の交流の積み重ねが、社会に旅立つ子どもの基盤になります。当時、拗ねた僕をなだめてくれて、ゲーム機を購入してくれた親に、今考えても有り難いことだと思います。

2023年9月6日水曜日

クリニック開院6周年!

 平成2991日に開院し、令和591日で、6周年となりました。6年も経過しているのに、クリニックが綺麗な状態を維持してくれているスタッフに有り難いと感じています。開業して、多くの患者さんに来てもらって、診療させていただいていることも有り難いです。心理士、受付スタッフ、事務長、家族、後方支援の方々(Ohanaさん訪問看護ステーションのスタッフを含めて)ありがとうございます。

 僕は、開業して10kg増加して85kgになっており、運動不足で贅肉が増えてきていますが、元気です。体力には自信ないですけど、診察室では、しばしば、早口で焦っていることも多いですけど、明るく、ユーモアを大切に、まあまあ機嫌よく、まだまだ頑張れる気がしています。7年目を迎えますが、感謝の気持ちで、頑張っていきますので、何卒、これからも応援とご協力の程よろしくお願いします。

2023年8月30日水曜日

人によって、物事の捉え方は違う

 

「人によって、物事の捉え方は違う」当たり前のことなんですけど、精神科という日々の診療をしていると、余計にそう思います。

 伝え方と伝わり方、受信と発信。コミュニケーションで、ギャップが大きくなりやすい要因は、文化的背景・養育環境・男女差・年齢差・発達障害の有無・知的な能力・気分障害などの精神疾患・愛着上の問題やトラウマの問題などたくさんあります。

そうでなくても、相互理解って結構難しいですよね。こうした見極めや対応で関与するための多くの見聞が、精神科や心理学の領域にあると思っています。でも、いくらそうした領域の知識や経験を蓄積していっても、大きな波のうねりの中で、できることはわずかです。でも、そのわずかが、糸口になって、助けになることは、実際には結構ある。できることは、限られているけど、僕は治療者として頑張りたい。実生活でも、診療においても、そのためにしっかり心身のバランスを整えて取り組んでいきたいと思います。

 

2023年8月23日水曜日

厳しく育てても、強い子にはならない

  親としての役割は、子どもにとっての安全基地になってあげることがとても重要です。児童の診療をしている際に、困った時に誰か支えになる人はいる?と、こちらが聞いたときに「・・・いません。」と思い浮かばない人が、実は結構多いのです。また、親はあなたにとって、安心できる存在?緊張する存在?ここで、緊張する存在と言われることも結構あります。

 親が子育ての際に、子どもが10歳から18歳の間で、安全基地になることが、その後の本人の強さ、成長に関与していきます。乳幼児期・児童期に、厳しく、叱咤激励しても、強い子には、育たないということは科学的に立証されています。

 できるだけ、トラウマを抱えないで児童期を過ごしてもらいたい。そのために、その子の養育環境・社会環境を少しでも好ましい環境を作ってあげたい。発達障害傾向のある児童の子育ては、物心つくのは、15歳から18歳頃だと思ってください。そこまでは、できるだけ、甘々な対応だと言われようが、本人を尊重する関わりでいって欲しいのです。15歳から18歳頃に、物心がついてきて、本人の主体性がしっかり上昇してきたら、親は厳しくしてよいと思います。その反対で、10歳から18歳頃に、親サイドが、子どもに「発達障害を言い訳にするな。」とか、「このままじゃ、社会で通用しないぞ。」と危機感を物心つくまでに与えても、子どもは、緊張が高まりやすく、ストレスに対して脆弱性を高めてしまうだけになる。その後に、物心ついてきて、子どもの反発に、親が勝てなくなってから、親が子どもに対して甘々になっていくというのが、一番避けたい子育てになるのです。

特に、発達障害傾向のある子どもを持ったら、心理的に親は、子どもを1人の人間として、尊重した距離感を大事にして欲しい。そうしたら、命令・説教ではなく、ちゃんと説明や同意などを意識できるはずです。それを幼少から物心つく年代(思春期年代)で、意識していけたら、親としての役割や我々支援者の役割のおおかたは達成したものと思っています。

2023年8月16日水曜日

精神科領域で、大事なことは、アントニオ猪木、西川きよし師匠!

 

 診察室で、不登校や休職、ひきこもり状態にある方がおられます。その際に、こちらが意識していることは、できるだけ明るく過ごされているかどうか?です。

 明るい不登校、明るいひきこもりになってもらいたいのです。アントニオ猪木が「元気があれば、何でもできる、1,2,3だ~!」と叫んでいましたけど、実際、その通りだと思います。まずは、元気を回復してもらうこと。その上で、ちょっと元気が出て、焦って、やろうとして、できない自分を責めて、元気をなくしていくこともあります。

 その時は、西川きよし師匠が「小さいことからこつこつと~」と叫んでいましたが、その通りです。元気さ、明るさが生きていく上で、まず第一ですし。その上で、スモールステップで、なるべく、自分がやりたいことを優先して取り組んで、その先にやるべきことを取り組んでいく。

頭の中に、アントニオ猪木、西川きよし師匠は入れておきましょう。少なくとも、僕の頭には、この二人の画像と叫びが入っていますので、診察室で憑依(*)して伝えていきたいと思います。

でも、診察室では「1,2,3だ~!」とは叫びませんから、安心してください。

*憑依(ひょうい)頼りにすること。よりどころにすること

 

2023年8月9日水曜日

生きることは、どうあっても、しんどい・・・。

  僕が多浪生の頃は、今年こそ医学部に入ったら、楽になるのかな~?と思っていました。しかし、実際に念願の医学部に入学すると、僕は大学を優秀じゃない成績で、ぎりぎりで卒業したので、まあまあ(結構)、大学生活は大変だったと思います。

 大学6年の頃は、医師国家試験を受かれば楽になるのかな~?と思っていましたが、合格して念願の医師になり、研修医になって、数カ月おきに色々な科を転々とする2年間の研修生活を送って、ここを乗り越えたら、楽になるのかな~?と思いましたが、今度は精神科の研修医、精神科の専門医、指導医になり・・・。結婚し、子どももできて、開業して・・・。

 人生って、普通に生きているだけで、結構しんどくなることが、その度その度でありますね。おいしいものを食べたり、面白いテレビみたりと一瞬一瞬は楽になるけど、結局、「まあまあ生きているのって、どうあってもしんどいもんやねんな~」と思います。

 結局のところ、そのしんどさをそのままにしておいてます。払しょくしようとしても、しょうがない、あるがままにしておく。でも、振り返ると、しんどいことが、人生で、印象に残ったり、楽しいと感じたりするから不思議なもんです。楽しいことよりも、浪人中の苦しかったことの方が、充実してたな~と思うし、医師国家試験の勉強を、大学の同級生と毎晩集まってしていたのが、案外充実していたんだな~、と思いますしね。

 生きるとは、その時その時で、あるがままに受け入れて、でもそこに能動的、主体的に生きられたら、楽しいではないかもしれないけど、納得はできるんだと思います。だからこそ、なるべく、させられていることは少なく、主体的、能動的に生きることを第一にしておくことが大事なんだと現時点で人生を振り返ってそう思います。

2023年8月2日水曜日

過剰適応な自分と、自分の延長の自分の違い

  僕が、研修医時代に外科で研修している自分は、外科医集団に囲まれて圧倒されていた感覚がありすごく緊張していました。僕は、そこで3か月やっていく際に違う自分を作り出して、明るく、エネルギッシュにやっていたつもりです。手術にあまり興味を持てないのに、すごく興味を持ったふりをしたり、感情労働が強くて、家に帰宅すると家族に当たったりして感じの悪い奴になっていたと思います。

その後、精神科で研修している際は、上司から「先生は、先生のままでいいんだよ~」と言われ、肩の力が抜けて、精神科領域での研修は、自分の素の延長で取り組むことができました。

家に帰っても、素のままで、穏やかに過ごせました。研修医を修了して精神科医になって以後、自分の素の延長で取り組めています。

 やはり、社会において違う自分を作り出して頑張らないといけない状況は、できるだけ少ない方がいいですね。そのために、本人に適した環境調整が大事になってきます。そのために診断をしたり、親や支援者が環境調整をサポートして、安心して社会と折り合いをつけて、初めて人間的に成長していく。

子どもの成長や思春期、青年期では、まず環境が本人に合っているか?を、周囲が配慮していくことが大事になってきますね。

 

2023年7月26日水曜日

学校に行けない子を学校に行かない子にするのが支援

 小4以降、本格的に不登校になったお子さんで「学校にいけない子」ということで、当院に通院される方は、結構おられます。

 通院加療上に目指す支援は、学校にいけるようになることではありません。何よりも、学校に行かないと自分で決められる子にすること(4以降の児童を指しております。)が大事です。学校に行かないと自分で決められる子は、その代わりに、放課後児童デイに行くとか、塾に行くとか、別室登校など、自分で選択し、決断し、実行できるように、長期的にはなっていくことが多いです。

 不登校の達成目標、支援目標は、本人自身が人生の主人公になることです。親の目、先生や他者の目を気にして生きるより、まず第一に、自分が自分の人生という物語の主人公になることが、最も大事なことです。だからこそ、学校に行かないと自分で決断したことを、まずは、否定するのではなく、そこを受容、尊重したうえで、支援を考えていく。ここを我々親を含めて支援者は、忘れてはいけないところですね。

 当然、親御さんにとっては、不登校となったお子さんが、社会の当然のルートから外れることの不安が強まり、お子さんに、厳しく指導したくなるのはわかります。でも、親が、本人よりも前面に出て、お子さんが、学校に行くようになって、親は満足なんでしょうか?

「誰のために学校にいっているのか?」は、あくまで「自分のために学校にいっているねん、自分のために勉強しているねん。」だったら、いいと思います。

 児童期に、親の目を気にする子どもになってほしくありません。それよりももっと大事なこと、自分自身の心を気にする子どもになって欲しい。そしたら、青年、成人期になって、精神科に受診することを防げます。

 僕は、そうやって、おとなになってから、精神科に受診する必要がなくなるように予防的支援を重要視したいのです。

2023年7月19日水曜日

アンパンマンの正義の定義が大事!

 それいけ!アンパンマンの作者のやなせたかしさんが、あんぱんまんという正義のヒーローを生み出した経緯について語ったことがあります。

「正義というものはいったい何か。ミサイルで相手をやっつけることなのか、あるいはそこに来た怪獣をやっつけることなのか。僕はそうでないと思ったのね。本当の正義の味方だったら、そこにお腹をすかせた子供がいたら、その子供にパンをわけて与える人が正義の味方なんだと思ったんです。」

 このやなせさんの言葉から、読み取れるように、自分の考えや信念を相手に強要することは、悪でありその延長に戦いがあり、戦争がある。アンパンマンは、反戦の象徴であり、日本人らしい「正義」の味方だと思います。アンパンマンは、バイキンマンを、殺したりはしないし、やってはいけないことを注意はするけど、バイキンマンそのものを否定していない。困っている人がいたら、その人に寄り添う。他者に、自分ができることを、自分のできる範囲内で与える。

愛と勇気だけが友達と言い切れるアンパンマンがすごいなと思います。

 

2023年7月12日水曜日

娘が気づいたこと

  最近は、娘の塾への送迎が、僕にとって楽しみになっています。車内で、少し娘と話せることが、僕にとってとても大切な時間です。

 そこで娘が、話していたことで、先日学校で、感冒が流行って、休み時間に、いつも一緒にいた友人たちが、みんな感冒で休みになったそうです。その時に、休み時間に一人になって、内心「うわ~、ぼっちや~、どうしよう~」と思ったそうです。

 その時に、「いや待てよ、私気づいてん、1人で休み時間を過ごしている人をみて、自分が、「うわ~ぼっちや~」なんて、思ったことがないことを。つまり、自分自身の中で、勝手にぼっちや~と焦っていただけなんだと。だから、休み時間に、1人でしかできない、読書とかして休み時間で別の楽しみを見つけれた~。」と話してくれました。

 この逆転の発想で、自分を客観視できるの、すごいな~と感心しました。(親ばかですいません!)自分が思っている程、人は他者を気にしてないし、みてない。

そこを自分で、はっと気づけるって、すごく大切なことですよね。健康的に成長している娘をみて、父としては、嬉しかったです。

2023年7月5日水曜日

登山を人生に例えるなら~

  診療を通じて感じていることの中で、厳しい養育環境であったり、学校での迫害体験などを通じて、周囲に対して敏感・過敏になって、いわゆる「HSP状態」になっている方が多いということです。

 登山で例えるなら、山登りという非常に主体的な作業なのに、周りの人ばかりを気にして、登山そのものがなかなか楽しめないし、進めない状態になっている。そんな登山って、いやだし、つらいですよね。自分の人生の主人公は、自分自身であってほしい。

 過剰同調を求められるような昨今の社会情勢で、自分の人生を、自分以外の誰かに乗っ取られていきている人が多いんだと思います。それは、人生そのものが、本末転倒ですよね。

 でも、そうならざるを得なかった家庭環境を含めたトラウマのような傷つきがあるんだと思います。そこは、1人ではなかなか回復できないし、一朝一夕では解決はできません。できれば、癒す治療の流れに入って、いつかは、自分の人生の主人公が、自分自身となれるように応援したいと思っています。

 

2023年6月28日水曜日

精神科領域で一番大切なライフステージは、10歳から18歳

 僕は、日々2歳から80歳台の老若男女の患者さんを診療していて、精神科医として、人生のライフステージで一番大事な時期は、10歳頃(小4)から18歳(高3)の時期だと思います。特に、発達障害の特性を有する児童にとっては、この年代の頃に、意識する・しないに関わらず、周囲と自分との違いを、顕著に感じ始めます。この時に、医療機関で発達障害と診断されたり、心理教育などをする中で

「周囲と合わせることを過剰に大事にするのではなく、自分という個性やユニークさを、自分自身が受容し主体的に人生を送れる」ようにサポートしていく。

これができれば、親や我々支援者も、ほとんどの役割が果たせたと思っています。そこを無事に通過できれば、その後、本人自身がやりたいことがみつかって主体性が高まり、成長し、社会的な成功を目指して、オンリー1ナンバー1を目指したらいいですし、そもそも、そこは、本人の人生であり、親や精神科医の役割ではないと思っています。そして、一番きついのは、この10歳から18歳の頃に、周囲の大人たちが、周囲と合わせることを強要し、そこに本人自身が、多くのエネルギーを使ってしまうことです。

 この時期に、「自分の人生なのに、相手にとってどうか?」を重視して生きていくと、精神科的には「過剰適応」になって、自分の人生の主人公を、自分以外の誰かに乗っ取られてしまうのです。

そうなった後に、自殺念慮とか、うつ状態になって受診に来るのを、僕は予防したいのです。そうした分岐点が、10歳から18歳頃に来ることが多い。親や周囲の大人たちは、子どもの支援者であって、支配者にならないように。特に10歳から18歳のライフステージでは、気をつけましょう。

 木の上に立って見守ると書いて「親」という由来からもわかるように、親は子どもを成長させる存在ではなく、子どもの成長を見守る存在なんだから。

2023年6月21日水曜日

生物学的に重要なライフステージは、生後9か月から3歳

  生後まもない時の脳重量は、400gで、1歳で、800g3歳で約1000gにまで成長する。成人の脳重量は、約1400gなので、3歳までには、かなりの脳構造は規定されていく。

その間に、神経細胞の繋ぎ目であるシナプスの数は生後13年前後まで増加の傾向にあるが、その後は過剰に生産されたシナプスのうち不要なものが削除されていくことから減少の傾向をみせる。

こうした変化は、事前にシナプスを過剰に形成した後に必要に応じて減少させていく方式をとることで周囲の状況に敏感に対応できることから生じている。そのため、人が生物学的な意味で、とても重要な時期が、生後9か月から3歳頃で、この間に養育者が、安定しない状態だと、正常な脳の発達がしにくくなる恐れがあります。この間をいかに、愛着対象者と赤ちゃんとの安定した愛着形成ができるかどうかが重要になります。

 「3つ子の魂、百まで」という言葉には、賛否両論あるかと思いますが、結構重要な時期だということは、昔からわかっていたということなのでしょう。

2023年6月14日水曜日

トラウマティックボンディング

  上記は、日本語訳では「心的外傷性絆」と呼ばれています。これは、例えば拉致監禁されて、被害者が加害者について考え続けることで、加害者に対する怒りや憎しみだけでなく、好意に似た感情を持ってしまうことです。

 これは、養育環境でも、親に対して「ここで生きていくしかない」という状況に置かれた子どもは、親を善人化してしまう。そのため、思春期、青年期になって、親に対して受けた心の傷に対して、親を責めてもいいのに、そうできずに、子ども自身が、親の期待に添えなかった自分が悪いと自分を責めてしまう。

 子どもの頃、過剰適応的に「いい人」でないといけないという強迫心理には、そうしたトラウマティックボンディングが背景にあることを知っておく必要があると思います。その上で、そうしたしんどい家庭環境で育った子ども自身が、そうした家庭環境で、

自分は被害者であったし、当時は無力だった。まずは、自分を責めなくていいんだ」

と思ってもらいたい。そうした援助が、必要な人は、案外たくさんいるという印象を抱いています。

2023年6月7日水曜日

金剛山からの金言②

 前回のブログでも述べましたが、今年のGWは、大阪の最高峰「金剛山」に登山に行ってきました。下山の途中、膝がプルプルして、普段の運動不足を痛感しました。下山の時に、目についた石碑には、

「ひとつふたつみつ不幸の数を数えるより、幸せの数を数えてみよう」

山登りをすると、心も体もリフレッシュされます。日々の生活を見直し、日々の生活に感謝して、またGW明けから、やっていけそうです!

 金剛山、ありがとうございました。




2023年5月31日水曜日

金剛山からの金言①


 今年のGWは、大阪の最高峰「金剛山」に登山に行ってきました。約6年ぶりの金剛山でしたが、前回はあまり気にもかけないで、通り過ぎていた場所が今回は気になりました。金剛山の山頂付近にある「夫婦杉」という杉の大木が、二本並んだ巨木です。そのすぐ下に石碑があり、そこに書いてある内容は、

「夫婦 20代は愛で、30代は努力で、40代は我慢で、50代は諦めで、60代は信頼で、70代は感謝で、80代は一心同体で、そしてそれからは、空気のようなふれ愛で」 

 夫婦のありようとして、その年代、その年月の見通しを知っておくのは大切だと思ったので、共有しておきたいと思います。登山者には、各々にいろんな想いを持って登山されていると思いますし、こうした金言も各々受けとめ方も色々だと思います。

 僕は、毎日通勤で金剛山をあびこ大橋からみています。金剛山の山頂には、夫婦杉があり、そこにはこうした金言が書いてあることを覚えておこうと思います。

 僕は、40代ですので、夫婦でお互いに我慢しているのでしょうね~。僕の両親は、70代ですので両親はお互いに信頼、感謝、空気のようなふれ愛になっている関係性だと思います。心身を健康に保って、そこを目指していきたいと思ったGWでした。


2023年5月24日水曜日

元気があれば何でもできる!知識があれば、意識化できる!1.2.3だ~!

 僕は、2週間に1回程度、5時間ほど、診察の指導を個人で受けています。また、暇さえあれば精神科領域(心理学領域も含む)の本を読んだり、そうしたことを考えています。いわゆる、精神科領域の「診察オタク」なんだと思います。結構、ずっと、こうした領域のことを学ぶことができるんです。そして、知識が増えたりしていくことで、意識化できて、いい支援ができるようになる。でも、うまくいかないことで、ちょっと天狗になりかけた鼻っ柱を折られることが繰り返されます。そして、そこから学び、知識を入れて、意識していく。人の意識は5%くらいで、無意識領域は95%らしいです。たくさん忘れたり、失敗することも多いですけど、できるだけ知識を増やして、意識を増やして、少しでも治療的な支援者になれるように、そうして得た知識や経験を、還元できるようにしていければと考えております。

 

2023年5月17日水曜日

葛藤、抑圧について

  精神科医になった頃、すぐに学ぶ心理学用語に「葛藤」という用語があります。「葛藤」とは、 人と人が互いに譲らず対立し、いがみ合うなどの本人と他者との間で生じることや、心の中に相反する動機・欲求・感情などが存在し、そのいずれをとるか迷うことといった、自分自身の心の中で生じるものがあります。こうした心に葛藤が生じやすい人は、容易に相手の心理状態に影響される。自分の心の中に安定した世界があれば、そう簡単に相手の心理状態に影響されるということもない。やはり愛着という根源的なものが、葛藤に影響を与えやすいのだと思いました。

 心の中のインナーチャイルド(*下記に詳細は説明しておきます。)な部分に対して、これまで過度な「抑圧」をしてきたりして、結果、自分の心の中のインナーチャイルドの部分が、不安定になりやすい。やっぱり、抑うつ状態とか情緒不安定とか不安症状の背景には、「葛藤状態」があって、その根源には、愛着の影響が結構あるのだろうと自分なりに思いました。精神疾患の根源には、愛着障害(トラウマを含む)、発達障害が、基盤に存在しやすく、幼少から大人になるまでに「葛藤」や「抑圧」をしてきた部分が影響している部分が大きい。そこを診察やカウンセリングなどを通じて、少しでも楽にさせるサポートをしていきたいです。 

インナーチャイルドについての説明;

 インナーチャイルドという概念は、アダルトチルドレンの人達の回復サポートとして考えられたものです。アダルトチルドレンの人達は、幼少期、問題のある環境で育ったためにインナーチャイルドが傷ついてしまい、大人になってからもその傷が癒されずにいるために生きづらさを抱えていると言われています。

インナーチャイルドというのは、私達の心の中の、生まれた時から備わっている先天的な領域のことを言います。感情、感覚、本来のその人 などの役割を担う領域で、生まれたときから備わっている心の領域なので、その人そのものとも言える領域です。

 一方、インナーアダルトは生まれてから今までの間に学び、身に付けた後天的な領域です。知識、思考、そこからくる判断など一般常識、学校などで学んだ学問、仕事のスキルなど生活に必要な全ての知識、そしてそこからくる思考の領域です。

問題を抱えている家庭を機能不全家庭といいますが、そういった環境の中にいる子供は、自由に伸び伸びと自分らしさを表現することができません。

家庭の中に暴力があったり、愛されている実感がなかったりすると、自分らしさを表現するよりも、怒られないように、危険が及ばないように、または少しでも親の意に添うようになど、絶えずビクビクしている状況になります。

機能不全家庭の中で生き延びていけるようにインナーアダルトの思考は形作られていくので、親の言う通りに生きる方法を選び、人によっては親に反抗する方法を選ぶでしょう。

 いずれにしても、インナーチャイルドの自然な要求は退けられることになり、傷ついてしまうのです。インナーチャイルドは、絶えず抑え込まれ、本当のその人らしさは封じこめられてしまいます。 子供の頃、愛情を受け伸び伸びと生活することができなかったために、インナーチャイルドは傷つき、癒されないまま、常に悲しさや寂しさ、そこからくる怒りなどがあります。インナーチャイルドが傷つくことにより、心が健全な大人へと成長していくことが困難になります。また、インナーチャイルドは、本来のその人そのものなので、傷ついていると、その人は本来の能力を発揮することができません。つまり、アダルトチルドレンの人たちの生きづらさの原因は、インナーチャイルドの傷が癒されていないことにあります。

~インナーチャイルドを癒すとは~

 傷ついたインナーチャイルドを癒すことによって、アダルトチルドレンの生きづらさから回復することができます。

それはインナーチャイルドとの絆を回復するというプロセスをたどるものになります。

もともと、インナーチャイルドは本来の自分です。

しかし、過酷な環境の中で、その本来の自分を押さえつけて生きてきました。

そのためにインナーチャイルドが本当は何を感じているのか、どんな感情を持っているのかが分からなくなってしまっているのです。

「本当の自分が分からない」など、アダルトチルドレンの人達はこのような言葉を発することがよくあります。

インナーチャイルドと向き合い、深層心理を客観的に理解していくことが大事です。

こうした試み全般を「インナーチャイルドを癒す」と表現します。

癒しの作業は、一朝一夕で完了しません。

以下のような試みを継続的に受けることが効果的です。

・癒す1:傾向を自覚する

 まずは、自分の行動や思考を振り返っていきましょう。

 アダルトチルドレンの傾向があるかどうかをチェックしてみます。

 主なものには、自己否定感や対人不安、または傷つきやすさなどが挙げられます。

・癒す2:傷ついたインナーチャイルドの感情、感覚にアクセスする

 何に傷ついているのかがわからないと、どのように癒してよいのかがわかりません。

 本当はどうして欲しかったのか、何が辛かったのか、インナーチャイルドが抱えている寂しさ、悲しさ、怒りなどを探ります。

・癒す3:負の感情を出し切る

 感情を抑圧することでインナーチャイルドは生まれ、ますます傷ついていきます。

 当人がインナーチャイルドを客観視できるようになったところで、抑圧されていた感情を出し切ることが大事です。

 カウンセラーなどとの対話によってトラウマを吐き出していくのもひとつの方法です。

 感情表現が苦手な人は、自分の境遇と似た映画やドラマを鑑賞してみるのもいいでしょう。

 これらの方法で感情を解放させるとインナーチャイルドは癒され、本当の自分になれる可能性が高まります。

・癒す4:健全なインナーアダルトを育てる

 アダルトチルドレンの人たちが大人になっても生きづらさを抱えているのは、インナーアダルトが間違った思考パターンを持っているからです。

 既に自立し、自分で環境を選ぶこともでき、誰からも虐待を受けていないにも関わらず、アダルトチルドレンの生き方を続けているのは、インナーアダルトが自分を幸せにできる方法を学ぶ機会が無かったからです。間違った思考パターンを持ったインナーアダルトは、絶えずインナーチャイルドを押さえつけ、インナーチャイルドの声を聞こうとしません。

それは、とても勿体ないことです。

なぜならば、インナーチャイルドは本来の自分ですし、そこにこそ、その人らしさがあるからです。

健全なインナーアダルトを育成し、インナーチャイルドとのコミュニケーションを回復することで、生きづらさから脱することができます。

インナーチャイルドを癒せるのは、その人の中のインナーアダルトなのです。

・癒す5:インナーチャイルドとの絆を回復するステップを踏む

 インナーチャイルドを癒すというのはこの一連のステップを順番に踏んでいくものです。

 

~インナーチャイルドを癒すメリット~

① 考え方が柔軟になる

 傷ついたインナーチャイルドは、本人の行動パターンに大きな影響を与えます。

 無自覚のうちに、人間関係を構築したり、将来に希望を持ったりすることができなかった 人も珍しくありません。

 しかし、インナーチャイルドが癒されると思考回路が柔軟になります。

 「こうしなければならない」「どうせ自分はこういう人間だ」といった思い込みから解放されるので、チャレンジ精神が芽生えます。

新しいことに挑戦するハードルが下がり、前向きに物事へぶつかれるようになるでしょう。

② 憎悪が消えて楽になる

 家族への憎悪がインナーチャイルドを育ててしまったケースもたくさんあります。

 幼いころ、親から十分な愛情を受けられなかった場合、大人になっても精神的に成長しにくいといえます。

 他人に愛情を求めすぎてしまうか、最初から何も求めないとかで、人間関係を壊してしまいがちなのです。

 ただ、インナーチャイルドが癒されれば、家族への憎悪も薄まっていきます。

 逆に、家族からしてもらった良いことも思い出せて、愛情が芽生える可能性すら出てくるのです。

 憎悪から解放されると心は楽になり、恋人や友人を作る不安も消えていきます。

③ あきらめがつく

 インナーチャイルドが人生のモチベーションになっている人もいます。

 子どものころ、気持ちが満たされなかったからこそ、大人になって空白を埋めようとするパターンです。

 ただ、大人になってからの試みが必ずしもうまくいくとは限りません。

 また、子どものころに叶わなかったものが多いと、いつまでもたくさんの夢を追いかけなくてはならなくなってしまいます。

 そうやって、不可能な夢を追い続けていると、自分の能力を無駄にすることもありえます。

 インナーチャイルドを癒し、子どものころの渇望感に踏ん切りをつけるのも大事です。

 子どものころの夢が叶わなくても、大人になってから見つけた夢にチャレンジすればいいのです。

④ やりたいことに精一杯取り組める

 失敗や裏切りを第一に考えてしまうのは、インナーチャイルドが関係している恐れがあります。

 自己評価が低く、周りの目が気になっていると何事にも真剣に取り組めません。

 失敗しても傷つかないよう、無意識に力を抑えてしまうのです。

 

 インナーチャイルドが癒されると、自然に不安や恐怖から解放されて、活力がみなぎってきます。誰の視線も気にせず、やりたいことを好きなだけ取り組めるようになります。


【まとめ】

 インナーチャイルドを消し去ろうとしたり、否定したりする必要はありません。

 自分の一部だと受け入れたうえで、「癒す」方向で考えてみましょう。

 インナーチャイルドの傷が回復すれば、思考や行動を制限していた感情から解放されます。

 そして、何事にも活力を持って取り組めます。

 そのためには、客観的な視点を持って自分自身の心と向き合うことが大切です。

2023年5月10日水曜日

講演会が無事に終わりました!

422日(土)に、当院主催の講演会「発達障害のリアルな理解と支援」を無事にできました。午前と午後で、全体で約100人の方(当事者、そのご家族、放課後児童デイや教師、行政などの支援者等)に参加していただき、GW前の貴重な週末で、かつ有料(参加費2千円)にも関わらず、です。参加していただき、主催者として大変有り難かったです。当院のホームページに記載しているように、患者さん、そのご家族に加えて地域の方々、支援者の後方支援としての役割を果たしたいと思っていたので、やっと5年ぶりに講演会を開催できて良かったです。

また、継続的に支援していくことが大事だと思っていますので、今後も不定期ですけど、講演会を開催していきたいと思っています。次回の講演会なども決まったら、ホームページや当院の掲示板などでお知らせいたします。

 この場を借りて、講演をしてくれた当院の顧問カウンセラーの上野さん、講演会をサポートしてくれた当院のスタッフたち、児童精神科の訪問看護スタッフたち、住吉区で不登校支援を日ごろからされている、フリースクールの松下さん、講演会場を無料提供していただいた放課後児童デイの代表の上田さんなどなど、多くの方に、支えられていることを実感できて嬉しかったです。これからも、頑張りたいと思いますので、これからも何卒力を貸してください。「ありがとう~!!!」そして、今後も継続的に開催していきます!






2023年5月3日水曜日

僕自身を支えてくれた言葉

今回は、僕が、これまでに支えになった言葉の数々を並べてみたいと思います。

・高校3年の懇談の際に、学年最下位レベルの成績を誇った僕が、意を決して「医学部に入りたい」と先生に相談しましたが、すぐさま担任から「無理です」と返答され、気まずくなった雰囲気の中で、担任が最後に言った言葉「作田君は、どういう状態になっても生きていける強さがあるから大丈夫」みたいなことを言われて、当時は、別に心に残っていませんでした。その後、3浪して医学部に合格するまで、僕は、毎年受験に失敗し、毎年死にたいくらい落ち込んだ時に、その言葉が、僕に安心を届けてくれたように思います。

・毎年、大学受験に落ち続けて、落ちて死にそうな表情の僕に、父が励ましてくれた言葉「30歳までにやりたいことをみつけていければいい。」若い頃の失敗は、未来が閉ざされたような暗闇の中で、お先真っ暗状態の僕にとって、自分の将来をもう少し余裕をもって見られるようになり、何とか29歳で精神科医になれて、30歳までに間に合いました~。

・毎年受験に落ち続けて、死にそうになった僕に、母が励ましてくれた言葉、「やっちゃん(僕の名前です)は、いつもユーモアがあって、周りを明るくさせてくれたり、いい高校に入って、どれだけ親を楽しませてくれたり、誇らしい気持ちにさせてくれたか~・・・」と母は泣きながら、寝込んで、死にそうな顔をしている僕に、僕のいいところをたくさん褒めちぎって、仕事に出勤していきました。ちょっと、その時は、もしかしたら、僕が自殺しちゃうんじゃないか?という位、母は心配していたんだと思います。母が、たくさん褒めてくれて、僕の心は、少しずつ元気になって1年後に合格できました。

・児童精神科医になって、若い頃、勉強会にいって、実家に帰って、子育てのことで学んだことを母に話したら、母は、「子育って、子どもに愛情を持って関わったんなら、何が正しいとか間違っているとか関係ないと思うわ。」と僕の学んできたことを一蹴されたような気持ちに当時はなりましたが、今となっては、本当にそうだなと思います。子どものことを本当に思って、愛情を持って関わったのなら、全て大事に扱わないといけないと思います。

・僕の子どもへの関わりをみて、母が僕を一喝した言葉「子育ては、子どもの背中に、親は黙ってついていくもんやで、黙って子どもの背中についていってあげなさい!」僕は「はい!」な感じです。実際、僕の両親は、これまで、いつも子どもの背中に、黙ってついてきてくれました。子どもを追い越して、頭ごなしで否定されたり、勉強しなさいとかも言われたことがありません。そのため、とても説得力のある言葉でした。

2023年4月26日水曜日

僕自身も誰かの安全基地になろうとして、相手から安全な居場所を得ている

 愛着というものが、すごく人生において重要な役割を果たしていることは、これまで何度も述べてきましたが、それと同時に、愛着というものが見えづらく、霞んでしまいやすい時代なんだとも思います。

 人は幼少から親に愛されて、安全基地を獲得し、それを内在化させて、社会活動をしていく。愛着に不安定なものを抱えている人は、どうしても、相手にも100%の理想を望んでしまう。そうなると、相手が理想の99%だったとしても、その1%が気になって幸せや安定した関係になれない。相手が、理想の50%であっても、その50%に感謝できるようになることが幸せになるためには必要なことなんだから。それに、深い愛着の傷に苦しんだ人は、配偶者や恋人、周囲の人、治療者やカウンセラーに、どんなに支えてもらっても、それだけでは不十分なのです。

 自分が、どんな存在であれ、誰かの支えになるということ、親のように愛情を注ぐ体験をすることが、その人の中で眠っている愛着の力を活性化させる。支えを必要としている存在を支え、守らないではいられないという本能を目覚めさせることが重要です。それこそが、母性や父性の本質です。僕自身、家庭では家族を、社会では患者さんやスタッフを支えようとして、逆に支えられているという実感があるのですが、それはそういうことなんだと思う。

 安全基地に、自分がなろうとして、逆に相手から安全な居場所を感じることができている。いい循環だし、それはお金では買えない。お金では買えないものこそ、プライスレス!

大事にしていきたいものですね。


2023年4月19日水曜日

正しい成長は、身近な人に優しくなっていくんだろうと思います。

 僕は、プロ野球が好きで、今回のWBCは、とても楽しくまた学びも多かったです。

 大谷翔平選手は、能力的にも成長していっているけど、精神的にも成長し、本人の周囲の人たちを含めて多くの人が、彼を通して楽しい気持ちになりますね。

 正しく成長していくと、強くかつ優しくなるんですね、周囲に。正しい学びや成長をしていくと、その人の身近な人に優しくなれるんだと思います。

 自分はそうなれているかな?ちょっとまだまだですね。WBCを通じて、正しく成長していけば身近な人に優しくなれて、その延長に平和な社会があると思いました。

 

2023年4月12日水曜日

発達障害臨床と社会

 422日(土)に、当院主催で講演会をする予定です。「発達障害のリアルな理解と支援」という題目で、当院の顧問カウンセラー上野大照先生が演者、司会は僕が担当します。

 発達障害、特に自閉スペクトラム症の特性を極端に説明すると「臨機応変な対人関係が苦手で、自分の関心・やり方・ペースの維持を最優先させたいという本能的志向が強いこと」です。(自閉症スペクトラム、SB新書、本田秀夫著より)

 さらに略すと、自分の心の中に、他者の心が先天的に乏しいということになると思います。そのため、発達障害を抱えた児童らの周囲の関わりとしては、なるべく「自由」と「信頼」を提供して、本人自身が「暇な状態」と「緊張が少ない状態」の環境にしてあげることで、主体的で真にやりたいことに取り組めるようなマインドに育っていくことが重要になります。そうした環境を調整することで、主体性が伸びて、成長していき、社会上の適応が良くなるという流れが大事になります。反対の関わりとして、発達障害を抱えた児童の養育過程で、悪化させてしまう関わりが、周囲に合わせる努力を最優先させることを大事にして「義務」「責任」を提供していくことになります。そうなると、短期的には「定型発達の人」のマネをして、カモフラージュで頑張ることもあるだろうけど、内的には空虚感を抱き、長期的には希死念慮とか精神疾患を生じるようになることもあるのです。そこで、周囲は慌てて優しくなる。こういう後手後手の関わりになるのは、できるだけ避けたいのです。できるだけ発達障害のリアルな理解をして、実践的な知識を獲得していき、できるだけ理解と尊重を提供できるようにサポートしていく。そういう役割を、児童精神科医、精神科医として、毎日2歳から80歳の方の診療をしている僕にはあると思っています。

 発達障害のリアルな理解と支援が、広がっていく社会は、真に平和な成熟した社会になると思います。我々、祖先の先人達の想いは、平和で争いのない、みんなが思いやりの心を持って助け合う、真に成熟した社会を目指していたのではないでしょうか?

 一方の考え方として、「発達障害は、自分勝手や~」とか、「発達障害があろうと、なかろうと、もっと相互に思いやりを持って~とか、特別扱いはしません~、言い訳に過ぎない~、そんなん社会で通じないで~」とか散々、批判されてきている部分もあろうかと思います。そうした考えは、戦争とか有事とか危機的な状況では、確かに、マッチしてくる考え方なんだろうと思います。平和を目指すのか?戦争を目指すのか?それによっても、精神科医療の方向性は変わってきます。

 結局、人は、人生という修行を通じて、成長していき「他者をゆるせるようになる」「自分をゆるせるようになる。」それこそが、人生をかけて目指す価値があることだと故日野原重明先生(聖路加国際病院名誉院長などを歴任した医師)が述べておられました。できれば、僕自身も医師として、平和を目指して努力していきたいし、そうなれるように力を出したいと願って講演会を開催したいと考えています。