知能については、さまざまな学者がそれぞれの理論を述べていますが、ある学者は人間には2種類の知能があると述べています。
ひとつは「流動性知能( 流動性一般能力 )」で、もうひとつは「結晶性知能( 結晶性一般能力 )」といいます。
「流動性知能」 は、新しいことを学ぶ知能のことであり、 具体的には、推論する力、思考力、暗記力、計算力などが挙げられますが、 これは若い時の方が優れており加齢とともに衰えがみられることが特徴です。
一方、衰えないのが 「結晶性知能」 です。
過去の経験が土台になる能力をさし、免許や学位といった専門的な知識や、料理などの個人的な日常の習慣、長年にわたる趣味の手順や方法なども 「結晶性知能」 にあたります。
上記のように、経験の蓄積に基づく知能である 「結晶性知能」 には限界がありません。
「流動性知能」は、 新しい場面に適応する能力ではありますが、「結晶性知能」は、以前の経験から新しい場面に推論、応用することもでき、年を重ね経験や知識の蓄積により発想力やひらめきが増えていくようです。
僕は40歳になりましたが、これからも積極的に知識と経験を蓄積していって、治療者として成長し続けていきたいと思います。
2019年4月25日木曜日
2019年4月18日木曜日
勉強して働く、働いたら、また勉強する、その繰り返し
僕は、普段、少しでも余裕ができたら勉強しています。
その勉強した内容で診療がうまくいったら、患者さんと治療的に関わることができたら、とても嬉しい気持ちになります。
そして、それによって当院スタッフとのやりとりや、スタッフ同士のやりとり、つまりはクリニック全体の流れや雰囲気などが不思議と良くなっているような気がしています。
そして、また勉強します。
勉強して働く、働いたら、また勉強する。
その繰り返しが、僕の精神科医としての人生そのものなんだと思います。
5月病にならない程度に楽しみながら、前へ進んでいきたいと思います。
その勉強した内容で診療がうまくいったら、患者さんと治療的に関わることができたら、とても嬉しい気持ちになります。
そして、それによって当院スタッフとのやりとりや、スタッフ同士のやりとり、つまりはクリニック全体の流れや雰囲気などが不思議と良くなっているような気がしています。
そして、また勉強します。
勉強して働く、働いたら、また勉強する。
その繰り返しが、僕の精神科医としての人生そのものなんだと思います。
5月病にならない程度に楽しみながら、前へ進んでいきたいと思います。
2019年4月11日木曜日
診断名や病名よりも見立ての方がもっと大事!
僕は再診の患者さんの診察をする前には、当然なことですが、その患者さんの診断名や病名、見立てなどを頭に入れてから診療しています。
診察室で患者さんから「私の病名は何ですか?」とか聞かれることがあるのですが、咄嗟にそれが言えないことがあります。
僕の中では、診断名や病名というよりも、その人そのものと思って話をしているからです。
話は変わりますが、モンゴル人力士で元横綱の朝青龍が、現役時代に本場所での優勝後、腰、ひじなどの体調不良を理由に巡業を休み、モンゴルへ帰国しているにもかかわらず、 モンゴルで元気そうにサッカーをする様子がメディアで放送されたために非難が集中し、日本へすぐに呼び戻され、処分を受けることになり、この処分が決定された頃から、精神的な不調を呈していたのが、当時、テレビなどで取り沙汰されていました。
その様子に、テレビ番組に出演していた多くの精神科医が、それぞれの番組で朝青龍に対して、うつ病、適応障害とか解離性障害、PTSDなどなど、10人の精神科医がいたら10人とも診断が異なるなどがありました。
それだけ精神科領域の診断名というのは、その精神科医の診方によって、かなり異なるということです。
しかし、当時テレビ番組に出演していた多くの精神科医の先生らの朝青龍の治療における見立ては、あれだけ元々心身ともに屈強な人だから、まずはマスコミなどの接触をさけたり、情報を制限して本人が安心できる場所で、ゆっくり休息していければ自然と回復していくはずでしょう、といったもので、 そのほとんどの精神科医の見立ては、ほぼ共通していました。
これは一つの具体例としてあげさせていただきましたが、僕自身としても精神科領域で重要視しているのは、診断よりも見立て、見立てを意識して支援していくことです。
ただし、その見立てのためにも診断をきっちりするべき時は、診断をきっちりつけに行くことは言うまでもありません。
診察室で患者さんから「私の病名は何ですか?」とか聞かれることがあるのですが、咄嗟にそれが言えないことがあります。
僕の中では、診断名や病名というよりも、その人そのものと思って話をしているからです。
話は変わりますが、モンゴル人力士で元横綱の朝青龍が、現役時代に本場所での優勝後、腰、ひじなどの体調不良を理由に巡業を休み、モンゴルへ帰国しているにもかかわらず、 モンゴルで元気そうにサッカーをする様子がメディアで放送されたために非難が集中し、日本へすぐに呼び戻され、処分を受けることになり、この処分が決定された頃から、精神的な不調を呈していたのが、当時、テレビなどで取り沙汰されていました。
その様子に、テレビ番組に出演していた多くの精神科医が、それぞれの番組で朝青龍に対して、うつ病、適応障害とか解離性障害、PTSDなどなど、10人の精神科医がいたら10人とも診断が異なるなどがありました。
それだけ精神科領域の診断名というのは、その精神科医の診方によって、かなり異なるということです。
しかし、当時テレビ番組に出演していた多くの精神科医の先生らの朝青龍の治療における見立ては、あれだけ元々心身ともに屈強な人だから、まずはマスコミなどの接触をさけたり、情報を制限して本人が安心できる場所で、ゆっくり休息していければ自然と回復していくはずでしょう、といったもので、 そのほとんどの精神科医の見立ては、ほぼ共通していました。
これは一つの具体例としてあげさせていただきましたが、僕自身としても精神科領域で重要視しているのは、診断よりも見立て、見立てを意識して支援していくことです。
ただし、その見立てのためにも診断をきっちりするべき時は、診断をきっちりつけに行くことは言うまでもありません。
2019年4月4日木曜日
あの一言(ひとこと)があったから頑張れたという言葉
誰にだって過去の「あの 一言(ひとこと) があったから頑張れた」という言葉や経験はきっと存在すると思います。
僕の場合はといいますと、大阪の公立高校出身で高3の頃の成績は学年で最下位のレベルでした。
にもかかわらず、担任の先生と親との進路懇談の際に、僕は担任の先生に医学部に行きたいことを初めて相談しました。
もちろんのことながら、担任の先生からは即答で「無理です」と言われ、医学部への進学がいかに難関であるのかということが伝えられました。
その懇談は非常に空気が重くなる感じで進んでいき、その終盤に重苦しくなった空気を断ち切るように、担任の先生から「作田くんは人一倍生命力があるから、どこでも、どうなっても生きていける気がするわ~」と、僕の良いところを絞り出すように褒め言葉をかけてくださり面談が終了しました。
僕はその後、3年間の浪人生活を経て医学部に何とか入学できました。
苦しい浪人生活で何度か諦めそうな時もありましたが、その言葉がどこかで支えになっていました。
その後も、現在に至るまで「どんな状況でも、僕は生きていける!」 この言葉が自分を支えてくれたことは想像に難くないと思います。
人に褒められた言葉は、長期に渡って支えになるものですね。
たった一言(ひとこと)ですが、振り返ると改めて本当にそう思えます。
今も時々その言葉が自分の中で蘇り「大丈夫、どうなっても生きていける!」と自然と前を向いて、また頑張ろうと思えます。
「たとえ、どうなろうとも生きていける気がする!」
僕の場合はといいますと、大阪の公立高校出身で高3の頃の成績は学年で最下位のレベルでした。
にもかかわらず、担任の先生と親との進路懇談の際に、僕は担任の先生に医学部に行きたいことを初めて相談しました。
もちろんのことながら、担任の先生からは即答で「無理です」と言われ、医学部への進学がいかに難関であるのかということが伝えられました。
その懇談は非常に空気が重くなる感じで進んでいき、その終盤に重苦しくなった空気を断ち切るように、担任の先生から「作田くんは人一倍生命力があるから、どこでも、どうなっても生きていける気がするわ~」と、僕の良いところを絞り出すように褒め言葉をかけてくださり面談が終了しました。
僕はその後、3年間の浪人生活を経て医学部に何とか入学できました。
苦しい浪人生活で何度か諦めそうな時もありましたが、その言葉がどこかで支えになっていました。
その後も、現在に至るまで「どんな状況でも、僕は生きていける!」 この言葉が自分を支えてくれたことは想像に難くないと思います。
人に褒められた言葉は、長期に渡って支えになるものですね。
たった一言(ひとこと)ですが、振り返ると改めて本当にそう思えます。
今も時々その言葉が自分の中で蘇り「大丈夫、どうなっても生きていける!」と自然と前を向いて、また頑張ろうと思えます。
「たとえ、どうなろうとも生きていける気がする!」
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