2024年6月12日水曜日

人は、遠目でみると、普通。でも、近くでみると、みんな変!

 精神科の診療を通じて日々、感じていることがあります。

「人は、遠目にみると、普通に見えますが、近くで、まじまじと精神科的にみると、それぞれ、みんな変!」ということです。

 すべからく、みんな変です。夫婦問題にしても、交際しているときは、相手が良く見えても、結婚して、夫婦になったら、お互いに変だと思うものです。でも、お互いが各々、変なんだということを、認識してからが大事で、相手が変わらないといけないからスタートすると、関係は悪化します。まずは、相手のあるがままを受容する。その上で、折り合いをつけていく。そういうスタンスが大事だと思っています。だって、自分だって変だということを忘れてはいけないと思うんです。

 そんな変な自分と、縁をいただいて一緒になって夫婦になったのなら、そこの感謝をお互いに忘れてはいけないと思うんです。お互いに・・!

2024年6月5日水曜日

「嘘をつくな」と育てると、嘘つきになります。

 今回は、岡本茂樹先生著「いい子に育てると犯罪者になります。」という本から抜粋した情報を出します。幼少から「親に嘘をつくな」と親によく叱られるとどうなるか。親が、子どもに、「嘘をつくな!」→子どもは、嘘をついてはいけないと思うから、親にバレないように嘘を繰り返す→親が怒るの悪循環に至りやすい。この悪循環を、まずは、親が理解して、親が子どもに嘘をつくなと心理抑圧をかけることで、返って、自分の本当の姿や気持ちに蓋をしていきることを強要してしまう。→そこに、親が気づいて、こどもにすまなかったと謝罪して、子ども自身も自分の気持ちに素直になれて、その気持ちを、身近な人に相談できるようになって、嘘をつかなくなっていく方向にシフトチェンジしていく。こういう流れが大事だと思います。

 幼少から親が、子に「一度決めたことは最後まであきらめるな」と指導する→子;しんどくなって途中であきらめても、叱られるのが嫌なので、「あきらめてないよ」と嘘をつく→親に嘘がばれる→親は「嘘をつくな!」と厳しく叱る。→子:また嘘をついて、また叱られる→親が、「嘘をついてはいけない」という「家庭のルール」ができる。→子;次第にバレないようにうまく嘘をつく→嘘に嘘を重ねる生きかたになる→最後に「大きな嘘」事件を起こす、になるリスクが高まる。親にありのままの自分を出せない、受容してもらえないのが、問題の種になってしまうことがあることを、子育てにおいて知っておいてもらたい。

 世の中で、自己肯定感という言葉が普及し、やれていることを褒めて伸ばそうというのは、僕は、正直、しっくり来ないというか、薄っぺらい自己肯定感のように感じているし、大人が子どもに操作的、支配的にするために褒めているように感じる時があります。

 本当の、自己肯定感というのは、「そのままのあなたでいいよ」だし、失敗したり、問題行動をしたときに、ドンマイ!と寄り添ってあげることの方が、真の自己肯定感を感じられるようになると思います。

 自信を持つとは、どういうことか?人よりも、勉強できることか?運動できるということか?それでは、もっとできるやつが出てくる。誰よりも根性があるとか?だとしたら、「お前に根性があるなら、あいつを殺せるよな」と人に頼まれて、実際に殺人事件を起こした人もいる。根性を競っても、自分の身も他人の身も滅ぼしてしまうこともある。親が子どもに「小学校6年になったんだから頑張ってね」「お兄ちゃんに負けないように、あなた(弟)もしっかりしてね」といった言葉かけも、親は子どもを発奮させようと思って言っているのでしょうが、本人からしたら「今のあなたではダメ」というメッセージを送っていることになる。

 自分に自信がない子の多くは、「今のあなたのままではダメ」というメッセージをたくさんもらっている。だから、「今のあなたのままでOK」というメッセージが大事になるんです。そもそも自信とは、自分を信じることができるということ。もっと言えば、ありのままの自分自身そのものを信じることができることです。そのためには、親だったり、身近な大人が、ありのままの自分を信じてくれることが大事になります。なぜなら、あなたの自信があることは何ですか?勉強?スポーツ?外見?どんなものでも、自分より優れた人や能力を持った人は出てきます。周囲よりもできているというのは、優越感に過ぎない。(決して、優越感がダメだと言っているわけではありません。)テストで悪い点を取ってもOK、試合で負けてもOK、勉強でも運動でもお兄ちゃんよりできなくてもOKと伝えることで、こどもが「自分は今の自分でいいんだ」と思えます。

 そして、こどもが「自分は今の自分でいいんだ」と思ったときこそ、自分から「頑張ろう」という気持ちが心の内側から持てるようになるのです。それを、待って、信じてあげることこそが、教育や子育ての本質だろうと思います。

2024年5月29日水曜日

昔の人は、精神疾患は少なかった?

 大河ドラマで、平安、鎌倉、江戸時代とかを結構やっています。当時の時代は、かなり残酷な出来事(流行り病で死んだり、凶作で飢饉に陥り餓死者がでたり、人身売買が行われるなどなど)も多かったのでトラウマだらけだったと思いますけど、トラウマ的な症状を呈している人の数は、いうほど多くない印象を持つんです。

 理由としては、昔の時代は、経済的な余裕がないこと、科学技術の未発達があげられます。当時は、貧しいから、つらいことがあっても、自分の体を動かして農作業とかしないといけない。それに、昔は大家族制で地縁の絆も深い中、おじさん、おばさんとか村長とか良い人間関係もアクセスしやすかったかもしれません。つまり「北の国から」のような状況で、結構悲惨だったり、しんどいけど、何とか生きることができている。つらいことがあっても、身体を動かして、自然から命を頂いて、村の人々の助けをかりて、自然で遊ぶなかで、心は、健康さを取り戻すことができる。

 それが、現代は豊かになり、科学技術が発達すると、身体は動かさないで頭でっかちになり、自然と接することも減り、表面的な人間関係に捉われる。人間の自然回復力を促す4因子として

① からだを動かす 

② 自然を楽しむ 

③ 良い人間関係を味わう(相手が動物でも可)

④ 遊ぶ

が知られています。こういう4因子には、敵対・混乱モードから友好・安心モードへの移行をサポートする作用があります。

 心的な外傷記憶を持った子どもは、一緒に遊んでいる子の何気ない言動でも、それが引き金になって敵対・混乱モードになり、「頭ごなしで全否定された」「理不尽な侮辱を受けた」などの受けとめ方に伴う強烈な不快感や怒りが生まれる。そうなった子どもを前にして、親や大人も、混乱して極端な振る舞いになってしまう。特に、対応している大人自身も、親から受けた心的な外傷記憶があると、子どものそうしたことを引き金にして、敵対・混乱モードになってしまう。

また、トラウマの専門的な心理的な治療を受けることができる人は、ほんの一握りなので、できれば、この4因子を大切にしていかないといけないな~、と思っています。

早速、親しい人を誘って、サウナにいって、この4要素のような感じを取り入れに行ってきます。

 

2024年5月22日水曜日

親戚にウケた思い出が、僕の原動力!

  僕は、小学校の頃に、福井県の両親の田舎に帰省して、親戚に、お笑い芸人の真似事をして非常にウケたことがあります。その時、僕は自分が面白いやつなんやと思い込んで、大阪に帰って、同じようなギャグを、クラスメイトにしたら、全く受けませんでした。でも、僕の頭の中で、当時のウケた喜びは、しっかり記憶されています。

 僕が精神科医として、診療で追い求めているのは、子どもの頃と同じでウケることです。治療的に関わって、患者さんが楽になったり、患者さんの眉間の皺が減ったり、時に一緒に笑いあえたりする。こういうウケるのが、僕の人生のガソリンです。「ウケる喜び」、これをずっと追い求めています。

2024年5月15日水曜日

川で拾ったなすび

  子どものとき、田舎の川で遊んでいると、上流から綺麗な、「なすび」がどんぶらこ~どんぶらこ~と流れてきました。僕は、必死でそのなすびを川でゲットし、自慢げに母に持って帰りました。それを母が、漬物にして、夕食のおかずに出してもらいました。これが、僕の最初の労働だった気がします。当時、僕が、とったなすびやで~と、家族に誇らしげに言ったことを覚えています。頑張ってなすびをゲットして、それが、おかずとして、誰かが食べる。この時はじめて、僕は、働くことの感動を味わった気がします。人類の男性は、1万年以上前から、狩猟して、それで採った獲物で、家族を養ってきたわけで、そうしたことで獲得できる自己有用感って、特に男性にとっては大事ですね。

 

2024年5月8日水曜日

死への不安を和らげる方法

 戦争などの平和維持への不安・物価高騰・年金問題など色々不安を感じて生きています。あらゆる不安は、無意識領域では、「死」への不安が根底にあると言われています。

 死が怖いから、自殺するくらい。逆説的ですけど、人の根底には、誰しもが「死への恐怖」があります。しかし、誰もが、遅かれ早かれの差はあれど、必ず死を迎えます。

 その死を、少し受け入れやすくなる、死への不安を軽減できる方法の一つに、次の世代に、バトンを渡すことだと思います。子育てで、子どもが成長して、次の世代に親として繋げることが、有り難いのです。

 僕は、仕事で、児童精神科医として日々診療しているので、子育てや子どもの将来に少しでも役に立てたり、その人の中で、僕の関わりが支えになっているのなら、いつか僕自身が迎える死を受け入れやすくなります。

 誰かに、僕の一部、言霊なのか、思い出なのかを遺せるとしたら、僕は少し安堵して、死を迎えることができると思います。生きている間に、少しでも次世代の人に、役に立てるように、日々精進していきたいと思っています。

 

2024年5月1日水曜日

母に「美容整形するなら、どこをする?」と質問したら・・

 僕が、子どもの頃、美容整形最前線みたいな番組を視聴していて、当時、何気なく母に、「お母さんやったら、美容整形するとしたら、どこをしたい?」と聞いてみたことがありました。

 母の返答は「自分の顔を好きになってあげられるのは、自分しかいないから、どこも整形しなくていいわ~。」でした。

 僕は、その当時、思春期真っ只中で、外見とか、人からどう見られているか?と自意識過剰状態だったこともあって、母の返答で大いに納得いきました。

 自分の容姿を、自分自身だけは好きというか尊厳というか、自分自身を大事に思う気持ちが大切なんやな~ と思いました。

 美容整形のCMで、「コンプレックスを持って生き続けるのは、自分をなくして生きている~」というフレーズを否定したいわけではないけど・・・。

 「自分の中のコンプレックスを受容できるような心の健康さや豊かさが、これから先、自分も他者も受容できる心に繋がっていくとも思います~」と、そのCMを風刺したい気持ちが沸いてきたので、ここで勝手に言わせてください!

2024年4月24日水曜日

高級フレンチを食べにいってきました

  先日、妻と高級フレンチに行ってきました。とても高級な味で美味しかったです。サービスも味も全てが高級でした。

店を出てから妻は「どれも美味しかったけど、どれも同じ味のような感じがする。高級になると、個性ってなくなるのかな?」とぼそっと話しました。確かに、高級で美味しいって感じました。かつ、フレンチなので、バターとかクリームとか、あと色々なうまみが凝縮していて、それがやっぱりクリーミーな味になる。全ての出される料理が、そんな感じでした。

 高級フレンチを食べて、僕は、「やっぱりB級グルメが好きだ~。」ということを再認識しました。当院のクリニックがある、『あびこ』には、たくさんの美味しくて、リーズナブルな飲食店があります。各々に、個性的な美味しさがある。スープカレー、蕎麦、ラーメン、和食、イタリアン、中華、焼肉、焼き鳥などなど・・・。

 今回、都会の洗練された高級フレンチ店に行ったおかげで、僕は、「あびこが好きだ~。」と再認識できたことが、一番の収穫でした。

2024年4月17日水曜日

長期休暇で感じたこと

 長期休暇では、自宅のキッチンを僕も使うようになるのですが、やはり妻のエリアに、僕がお邪魔させてもらっているような感じになるので、どうしても、僕はキッチンを雑に使ってしまい、妻をイライラさせてしまう。それを妻に注意されて、僕は不機嫌になっていく。しかし、その上で、妻に怒られにくい部分、例えば、食洗器に食器を入れる、など・・・。

僕は、どこまでも不十分で雑なんですけど、やらないよりはマシだという見解です。僕自身も、妻に文句言いながら、「やれる部分はやりました。」あくまで妻に文句言いながらです。

 自分の視座としては、長期休みで家にいても、自分の頭の中は、「社会上のことを意識している感じが強いな~」と長期休みとなると余計にそう思います。家のことをすることの意識は、正直薄くなります。今後のクリニックや医師を含めた社会的な役割を、自分がどうしていったらいいのかを考えたりすることが好きですし重要視しています。妻は、反対に、家庭上のやりくりを主に考えている。だから、どうしても、僕が家にいると、その意識の違いがあり、揉めます。

 これは、男女の意識や特性の差で、相互に補完し合う部分なんですけど。どうしても現在は平和社会なので、家庭で父(夫)の役割が微妙になり、父(夫)が怒られるのが時代背景だとは思います。今の時代背景上は、男性陣が、家庭でも社会でも、アップデートしていく必要を感じています。

やっぱり、長期休暇の夜も、こっそりサウナにいきました。翌朝、妻に、こそこそサウナに行ったことがばれて、やはり怒られるんですけど。

2024年4月15日月曜日

講演会のお知らせ

 
5月18日(土)9時30分~、当院主催の講演会をします。詳細は、当院のHPのお知らせにて確認していただき、ご参加をお待ちしております。参加に当たって、当院に通院されているとかは、関係ありません。講演の演題としては、

「発達障害のリアルな理解と支援について Part.3」 

という演題ではありますが、そこから外れた内容でも何でも、長めに質疑応答の時間を持っていますので、参加いただいた方に、多くの実践的な情報提供や情報共有して、少しでも明るくなって、楽になって帰ってもらえるように頑張りたいと思っています。ご参加をお待ちしております。

2024年4月10日水曜日

ヤフーニュースで、大阪の名門・清風高校「カンニングするのは卑怯者」生徒を追い詰めた 「写経80巻」「全科目0点」「反省日誌」「謹慎8日」の厳しすぎる処分という内容での僕が感じたこと

 ヤフーニュースで、清風高校の学生がカンニングをしたため、先生から主題のようなかなり強めの反省を促すアプローチと「カンニングは卑怯者がすることだ」と複数の男性教師から人格否定されるような指導を受けたそうです。結果的に、高校生の男児は、自死されました。そもそも清風高校のような進学校の子が、カンニングをして、全科目0点、謹慎処分、学校推薦などの大学進学もなくなるなどで、かなり重いペナルティーを与えられて、本人としても、かなりショックな状態だったと思います。正直、誰かを傷つけたわけでもないし、十分な制裁を受けて、これ以上責める必要は、僕はないと思います。

 これ以上責めるのは、教育なんだろうか?世の中の常識としても、スピード違反でも万引きでも、捕まったら、結構、警察官も、加害者に寄り添いつつ、ペナルティーを科すようにしていると思いますけど・・・。

 それに、高校生という思春期の心は、非常に不安定です。カンニングで制裁を受けて、弱っている心の状態に対して、さらに複数の男性教師から人格否定する教師の発言や重すぎる課題を課すというのは、その高校生という年代の未熟な心に「心理的視野狭窄」の状態を引き起こして、自殺リスクを高めてしまう可能性が高いのです。その高校生の遺書には「死ぬという恐怖よりも、このまま周りから卑怯者と思われながら生きていく方が怖くなってしまいました」などと書かれていたそうです。

 僕も、高校時代、定期テストでカンニングして、全科目0点、停学、謹慎処分です。僕は、清風高校の先生のいう「卑怯者」に該当します。なおかつ、医大生の頃もカンニングして、大学教授3人に囲まれて単位を失い、あと一歩で留年しかけました。

つまり、僕は、超卑怯者です。それ以外でも、僕は学生時代を含めて、たくさんの卑怯なことをしてきました。カンニングを正当化するつもりはないですけど、僕自身が高校時代にカンニングした理由は、高3で突然医者になりたいと言い出して、

担任から「成績が悪すぎる」「内申点も悪すぎる」と言われて、慌てて成績あげるために、隣の友人と見せ合いっこして・・・即刻ばれました。でも、自分の人生を考えると、当時は、アホなりに、何とかしたいとあがいた結果です。やり方は間違っているけど、若い頃、色々トライ&エラーして、失敗しながら学ぶことって大事だと思います。

 学校の生徒を指導する立場にある先生は、全員

『反省させると犯罪者になります』 岡本茂樹著作、新潮新書 を読んでおいてほしい。

 生徒に反省させることを最初に求めると、被害者側、カンニングであれば、社会的な立場でのアプローチ。それを優先した関りをしても、真に反省するといった効果は期待しにくいです。

 生徒がこうした失敗を通して必要なことは、反省ではなく内省です。内省するためには、加害者側、カンニングの場合は、カンニングした学生の気持ちを、批判せずに寄り添ってあげることこそが、重要なアプロ―チになります。
やったらあかんことをして、自分も傷ついたし、家族や周りの人にも迷惑をかけた。でも、自分なりに何とかしようとした気持ちは大事にして、今後も、何とかいい成績をとれるように頑張っていきたいと思えるように支えることが教育者としてふさわしい行動指針だと思います。間違ったことを若者はする。それを糾弾して、表面的な反省を促すのは、教育者として失格だと僕は思います。

 弱っている生徒に、追い打ちをかける先生は、卑怯者じゃないのか?教師として、適切な対応とは何か?そのことに、清風高校の先生方は、誠実に内省してみて欲しいと思います。

自分でできないことを反省するより、本来自分が持っていることに気づくことが大事!

  僕は、ブリーフセラピーという家族療法のアプローチを重視している精神科医ですので、そのブリーフセラピーの創始者であるミルトン・エリクソンが、精神療法について語った言葉で、

「精神療法は患者さんに足らないことを与えることではない。また患者さんが歪んだものを持っていて、その歪んだものを矯正することでもない。患者さんがすでに持っているにもかかわらず持っていることに気づかないものを、どうやって患者さん自身が使えるようにしていくのか、それを援助するのが精神療法である。」という言葉。

 僕自身、毎日、日々診療、学習、修練していますけど、なかなかできてないと思う日々です。と書こうと思ったんですけど、「いや、違う!そうやって反省するのではなく、こうやってできたことが、今日もあったやん。こうした日々、僕自身もできていることに気づけることが大事なんや~」と思いました。

 日々のできなかったことを反省することよりも、これまでの小さくても、自分ができたことに気づけることが、大事やねんな~とミルトン・エリクソンが語り掛けてくるような気がしました~。

2024年4月3日水曜日

1人でハイキングに行ってきました。

  先日、少し自由時間をいただけたので、急遽、1人で信貴山にハイキングに行ってきました。運動不足の僕にとって、登山の時に、傾斜が急になると、すぐに眉間に皺が寄り、「ぜ~は~ぜ~は~」と過呼吸の状態になります。確かに、しんどいから、そうなるんですけど。精神科医的な観点でいうと、しんどい状態になって、そこから坂道を見て、脳という臓器が、その先々の不安を認知して、余計に過呼吸になっていることに気づきました。

 アニメ「きめつの刃」で、呼吸の大事さを説いていたのはこういうことか~、と気づきました。

 まず、先を見過ぎないで、一歩一歩を大事にする、眉間の皺は伸ばして、大谷翔平をイメージして、表情筋の緊張を緩和させて、深呼吸をしながら登りました。「アニメ「きめつの刃」の呼吸の基本型は、深呼吸のことやったんやな~」とつぶやきつつ、登頂しました。

 人生には、しんどいことが結構ありますけど、それ以上に、人は、考えすぎて、よりしんどく感じている。しんどいときこそ、先々を過剰に心配するよりも、目の前のことを大事にして取り組んで、表情は緩ませておいて、深呼吸して取り組むことの大事さに気づけた登山でした。帰りは、お寺にお参りして、美味しいお蕎麦と温泉につかって、より自然な深呼吸ができて、ケーブルで楽ちんに下山しました~。ありがたいことです。




2024年3月27日水曜日

夫婦関係で大切なこと

  僕は、児童精神科、精神科の専門医で、家族療法を大事にしているからこそ感じていることがあります。

 夫婦関係で、大事なことは、どっちが、正しくて、どっちが間違っているなどにこだわるとおかしくなります。そもそも夫婦は他人同士なんだから価値観が違う。お互い様だということを大事にすることがいいと思います。

 時代背景的に、特に男性陣は、頑張らないといけないステージにあると思います。そうした時代背景を、ちゃんと受け取って、我々男性陣は頑張っていきましょう。

 僕は、妻に「何でわからへんねん~」と思ったら、心の中で、震える機能が、40歳を過ぎたあたりから、搭載されるようになってきました。妻に、「何でわからへんねん~」と言ってしまいそうになったら、家を飛び出して、サウナに直行して、水風呂で頭を冷やして「分かり合えるわけないよな~」と、脳内を整理して、整えていきます。その後は、1週間くらい、夫婦の会話は途絶えます。でも、夫婦喧嘩は、台風と同じようなものなんで、過ぎ去ると、お互いの緊張感は少しずつ減弱し、徐々に喋るようになり、振り返ると何で喧嘩したのかを思い出せないことが多いです。

 夫婦関係は、各々の夫婦によって違うから、夫婦で一緒に作っていく共同作業です。先に、理想があり、そこを目指すとおかしくなります。理想にあてはめようとすると、「何で、あなたは、こうしてくれないの?」と勝手に被害的になったり、相手に求めてばかりになって、お互いの仲が悪くなるだけです。夫婦関係は、何年か経過したら、「くされ縁」という感じが、僕的にはしっくりきます。くされ縁という情がお互いに通って、何か一緒にいるとおいが安心する。いないと、何か落ち着かないし寂しい。それだけで十分だと思います。

2024年3月20日水曜日

結局仕事が、生きがいだし、好きなんだと気づかされます

 飲みに行ったり、いわゆる遊びとか息抜きをしても、僕の心のどっかは、自分の診療とかその関連の準備をしたくなります。結局、自分は、このクリニックで診療する。それが、とても好きなんだと思います。

 診療では、患者さんも僕も真剣です、その中で、患者さんの心が少し軽くなったり、笑ってくれたりすると、僕の心は、何より充足した気持ちになります。でも、一瞬だけのきらめきのようなもので、僕の診療上の心の動きとしては、無力感、徒労感、残念な気持ちになったりも結構多いです。でも、それもひっくるめて、僕は、自分自身が、この診療室で、生きていることを実感できている。

 他は、結局すべてここで感じることと比べると負けます。診療をさせていただき、生きがいを感じられて、僕は幸せです。

有り難い。この感謝を、僕の成長に活かしていけるように、まずは、サウナにいってきます。

 

2024年3月13日水曜日

過保護養育は結局は強くなる。過干渉養育は結局は弱くなる。

  「過干渉養育は、子どもが将来的には弱くなる。過保護養育では、子どもは将来的には弱くはならない、むしろ強くなる!」という印象が、日々の診療を通じて思います。

 「干渉」とは、自分がこうしたいという気持があるのに、他者が立ち入って、こうすべきだと意見したり、行動を強制したりすることを指します。(これが、全てダメということではなく、過度にということです。)

 子育てにおいて、なかなか子どもが宿題をしなかったり、ゲームやユーチューブをやめられなかったりして、親が干渉せざるを得ないのは理解できます。ただ、過干渉、つまり過度に、親が子どもに干渉すると、子どもは、長期的には、受け身的、消極的となり、親サイドからしたら「この子は、親が言わないと、何もしないんです。」という状態になってしまいます。なかなか、親サイドからしたら、色々焦ることもあると思いますし、怒りたくなることもあると思います。ただ、子どもが、将来、主体的、能動的に、前向きに生きていくためには、親も忍耐、我慢がいります。

 こうしたことの反対で、過放任養育も、過干渉と同様に「もう知らないからね~」も、結局、過干渉養育と同じです。僕は、自分の親に過保護に養育されました。僕は、子どもの頃、勝手に習い事をして、勝手にやめています。僕が、子どものころ、万引きしたときも、学校を停学になった際も、毎年受験に失敗した時でも、両親から、「ドンマイ!」と労いを頂きました。僕の両親は、かなり、過保護過ぎです。大学時代も、月1で、両親が、大阪から三重県に来て、掃除して、ご飯を作って帰っていきました。医大生のときも、僕は、懲りずにカンニンして、単位を失いましたし。だけど、過保護養育をすると、子どもの心に余裕を生まれ、子どもの内側にある、能動性、主体性を育み、自分が本当に何をしたいのか?に気づいて、主体的、能動的に動けていきます。(もちろん、この過保護という関わりには、個人差や特性などありますが)

 今度、一万円札になる渋沢栄一の両親も、過保護養育ですよね。渋沢栄一が、やりたいとしたことに、両親は、できる限りの応援をしており、渋沢栄一の父の談話で、「世の中、親孝行しない子どもを、親が憂うことをきくが、真の親孝行とは、子どもが成長し、立派になって、社会に孝行することだ。それを親が、誇らしく、嬉しく思うことが、真の親孝行だ。」という話をされていたと思います。僕の両親も、そう思ってくれていると思います。過保護に育ててくれて、いつも、応援していただき、両親には感謝です。

2024年3月6日水曜日

「自立」より「自律」!

  診療していると、患者さんによっては、彼氏ができると、すごく依存してしまうとか、アルコールとかゲームとかに依存してしまうという相談を受けます。

 人は、生きている限り、度々、自分で抱えきれないストレスやつらくなったりしますよね。それを、自分だけでどうにかしようとすると、悩みを抱えきれなくて、過度な依存になるリスクが高まると思います。自分自身が、困っていたら、誰かに「助けて~」とSOSを出して、諦めないで援助希求していければ、きっと誰かに出会うことができます。(この際に、できればホストとかより、医療機関とかにしてもらいたい~と作田の心の叫び)

 そうした、ちゃんと支えてもらう人を増やしていくことこそ、自分でどうにかすることよりも大事なことだと思います。それを「自律」といいます。

 自分で、できることは頑張って、誰かの役に立てたらいいけど、自分で、できないことや抱えきれないことは、誰かに援助希求して助けてもらえるようにして。自律的に生きていきましょう。精神科医療では、そうしたきっかけが、診断とか通院になります。

 僕は、患者さんの支援で人を巻き込むことが大事だと思っています。そのために、家族療法専門のカウンセラーや訪問看護、地域では、フリースクール、福祉や就労支援領域と連携しています。

 支援は、「点から線へ、線から面へ。面から円(縁)へ繋げていく」誰もが生きるのはしんどい、生老病死はしんどい。でも、そのしんどさを、分かち合って支え合うことができたら、人生は素晴らしいと思える。自分ができることは、限られているからこそ、多くのサポートを受けてお互いに助け合う部分は助け合いまょ!

2024年2月28日水曜日

マツコ・デラックスの言葉

  マツコ・デラックスの番組で、綺麗なOLの方が、結婚できない女として登場し「結婚できないんです~、独身で困っています~。どうしたら結婚できるでしょうか~?」とマツコさんに相談していました。その際、マツコさんは、その人に「あなたは、結婚できなかったんじゃない。結婚を選択しなかったのよ~。今のあなたは、あなた自身が、これまでしてきた選択の結果よ。自分が選んできたことなのよ~」とマツコさんが話すと、そのOL女子は妙に納得していました。さすが、マツコさん!ですね。

 人生とは、決断と偶然のくり返しで、今、ここにいる。人生とは、選択、決断、実行の3要素でなりたっている。その中で、選択が色々ある中で、自分が決めて進んできたことだと思えれば、「人は前を向いて生きることができるもんだな~」と感じました。

 僕も、開業して、開業前に思っていたよりも、経営や運営・診療もしんどい、時に「こんなはずじゃなかった~!」と思うこともあります。でも、自分で選択して進んできたことであり、誰かにやらされているわけではないので、しんどいけど、納得して日々励むことができています。自分で選択して決めたことだと思って生きるのって、とても大事なことですね。

 

2024年2月21日水曜日

心理治療の回復の過程

  治療過程で、関係不良な親子関係の中で、お子さんの親が、子どもに対して支持的になったり、お子さんを取り巻く周囲の環境がよくなった際に、親を含めた支援者サイドからみると、お子さんが、前よりも、「お母さん、僕と一緒に死んで~」とか、今までの、親に対しての恨みや怒りを、親にぶつけるようになったり、親御さんから、余計に子どもがひどくなったと狼狽されて相談に来られることがあります。

 治療的な観点では、これは、治療的には良い方向に向かっている。心理的な治療は、リフォームの匠のような、ビフォーアフターみたいに、線形で良くなるのではない。子ども視点で捉えると、今まで、親が怖くて、自分自身が言いたかったことが言えなかった、そうした抑圧を、親が許容し、優しくなり始めたら、子どもにとっての親への期待値があがるため、親に対しての抑圧から解放しはじめるのです。そうなると親は、狼狽したり、戸惑ったりしながらも、親自身も心の盾を持って、何とか耐えるのです。僕も診察で、親御さんに、これまで我慢してきたお子さんの想いに、お母さんもよく寄り添っていると労います。そして親御さんには、ここを再度、子どもに抑圧させる方向に転じたら、元の木阿弥です。「踏ん張りどころですよ~」と応援して、親子関係は、徐々に良い変化が生じてくる。子どもは反抗期、その時期は、親は動揺期です。徐々に親子の立場が変わって、子どもの背中に、親が後方支援していく形になっていく。子どもの成長は、線形ではありません。らせん形のようなもので、見方によっては停滞しているように見えても、ある日、急に成長を感じたりするものです。子どもを成長させるのが親の役割ではなく、子どもの成長を温かく見守るのが親の役割だと思って頑張りましょう。

2024年2月14日水曜日

いやんばいすの方言

 大河ドラマ「青天(せいてん)を衝(つ)け」で、「いやんばいす、いやんばいす~」という方言が耳に残っています。武州弁で、こんにちは~という意味で使われます。

いやんばい=いい塩梅(あんばい)という意味が入っています。

「いい塩梅」とか「ほどほど」「ぼちぼち」で日々を過ごすことがいいですね。それを挨拶に取り入れているのがいい。いい塩梅、つまり、自分に必要なものはさっと取り入れ、必要がない物は上手に捨てる。嫌な過去は忘れて、名誉や欲は手放して、苦しい人間関係からはサラリと離れる。ずっと抱えている悲しみや執着は手放して、良かったことも、適度に忘れる。

そうすると、自分が今したいこと、今感じていること、自分の「今」が浮かび上がってくる。自分で、できることはやるけど、できないことは人を頼って、誰かが困っていたら自分にできる範囲内で手伝う。人間関係の「ほどよきところ」を見つけて、生きやすい暮らしを見つけていく。さっぱりとした「いい塩梅」で生きましょう。いやんばいす、いやんばいす!

2024年2月7日水曜日

光合成の3条件は、光、水、温度。心を育むための3条件は?

 植物が、光合成をするために必要な3条件は、光、水、温度ですよね。

 心を育む3条件は?の答えは、主体性つながり自己有用感になります。

 中学生の患者さんで、テスト勉強期間になると、決まって選曲して、好きな曲を集めたアルバムみたいなものを作るお子さんがいて、それを親御さんが、勉強に支障があるからと止めさせたら、返ってテストの点が悪くなったと話されていました。これも、心を育む3条件で考えると、本人が主体的に選曲して、それを、級友から、賞賛されて、繋がりができた。それを、親から頭ごなしに否定されたことで、テスト前の心の状態が、不安定になったのかもしれません。

 また、ルービックキューブが好きな子がいて、好きでやっていたのに、それを5分以内に完成させたら100円あげると親が言うようになりました。しばらくすると、この子は、ルービックキューブをしなくなったのです。内発的な動機で、ルービックキューブを好きでやっていたのに、外発的な動機で、ルービックキューブをやると、内発的な動機が雲散霧消して、やる気がなくなってしまい、好きではなくなってしまった。これも、心の3原則でいうところの主体性を奪われてしまったためだと考えられます。

 だから、勉強しなさいとか、いい点とったら、○○を買ってあげるとかは、長期的には、無効もしくは、やる気をなくさせてしまうことが多い。心を育む3原則は、とても大事なことなので、小学校の授業とかで教えておいてほしいですね。

2024年1月31日水曜日

孤独ととらえるのか、気楽ととらえるのかは、紙一重

 最近、医師の集まりの勉強会があり、その勉強会の帰りに、久しぶりに、先輩と一緒に飲みに行こうと誘ったら、先輩は、同門の大学の先生達と飲みに行かれて、僕はふられてしまい、先輩から「さくちゃん、また、今度行こうな~」と、言われ、とぼとぼと1人で帰りました。正直、ちょっと寂しかったです。それに、僕は、医師会とか医局とかには、属していません。

 人は集団の中で、孤立を感じやすい。先輩は、ちゃんと医局や医師会にも属しているので、僕には、先輩が少しまぶしく感じました。でも、少ししてから考えてみると、先輩は、本当は、そうした飲み会に行きたかったのか?色々と付き合いで行かないといけないだけじゃないのか?僕は、先輩に振られた後に、好きなラーメン屋にいって、サウナにいって「気楽と捉えるのか?孤独と捉えるのか?は、結局は、自分次第なんだな~」と思いました。

 僕は、自分のやりたいことに集中できているし、集団や社会に、無理してまで属する必要はない。だから、気楽なんです。それに、必要になったら、誰とでも飲めるし、繋がれる。人は、どこまでいっても、孤独なんだから、それを受け入れて、気楽に生きていければいいと思った1日でした

2024年1月24日水曜日

トイレのフローリングのパラダイムシフト!

  開業して半年が経過し、トイレのフローリングの汚れが気になるようになりました。たまに、一生懸命に雑巾で拭くと、その汚れは取れるんですけど。また、数日で、汚れが浮き出てくる。しかし、数か月前に、ここに、蜜蝋ワックスを塗ってみたらどうなるかな?と思って、ワックスを塗ったら、ずっとコーティングされてきれいなままです。こういうことって、周囲の方からしたら、当たり前のことかもしれないですけど、僕にとっては、どうにかして汚れをとらないといけないと思っていたのに、反対に、ワックスでコーティングしようというのは、自分的には逆転の発想だったのです。これで、5年くらい前から悩んでいたフローリングの汚れを解決できました。

 この逆転の発想って大事だと思うんです。診療を通じても、結構、こうした逆転の発想に、患者さんが気づいてくれることもありますけど、それは、患者さん自身の受け入れられるタイミングもあるし、こっちも、そこにピンとくるタイミングと合わないと起きないんですけどね。

 こうしたパラダイムシフト(ガリレオガリレイの時代の、天動説から地動説に変わること。)って、人生において、大事ですよね。今日は、当クリニックのトイレのフローリングで起こったパラダイムシフトを報告させていただきました。

 

2024年1月17日水曜日

やりたいことを見つける

 僕が医師を目指したきっかけは、漫画でした。しかし、苦労して医大生になって、研修医になってみると、漫画の世界のような医師にはなれないことが分かり、そこから、諦めていきました。

 まず、手術とかは、僕は好きじゃないので、外科医は諦めました。小児科領域の色々な病気とか、特に先天性心疾患とか覚えられないし、頭に入りにくいから小児科医は諦めました。医大生の頃から、精神科領域は、すごく学べるし、15年精神科医をしていますが、未だにこの仕事は、飽きないし、ずっと学び続けられるし、実践して、反省して、とてもやりがいを感じられています。これも、自分の得意、不得意とかを見定めて、諦めることで、たどり着いた職業です。精神科領域の中でも、僕は実践する診療が好きで、教育や研究には、あまり興味を持てなくて、大学院なども進みませんでした。

 日々諦めることを能動的に、積極的にしてきたからこそ、できることを伸ばして、やりたいことを人生の中心において、いきることができる。学校では、諦めないことばかりにフォーカスをあてて教育しがちだけど、仏教的には、あきらめるとは「明らかに見る」という意味で、自分自身が、本当に大切にしたいものを明らかにするという前向きな行動とされています。どんどん、能動的、積極的にあきらめて、その結果、自分のよさをみつけて、生きやすくなっていって欲しいです。

2024年1月10日水曜日

世界に一つだけの花の誕生秘話

  日本を代表する歌「世界に一つだけの花」の作詞・作曲を手がけた槇原敬之さんは、薬物違反で執行猶予の有罪判決を19993月に受けました。その後、寺で謹慎していた槇原さんに、住職が浄土真宗で、よく勤められる『仏説阿弥陀経』の一節、「池中蓮華 大如車輪 青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」という部分を説いたとされている。大意は「浄土ではさまざまな花が咲いているが、それぞれが、それぞれの個性の上に無上の尊厳を認め合い存在している。」ということで、この経文に槇原さんが感銘を受けて『世界に一つだけの花』の歌詞が誕生したそうです。

「(極楽浄土の)池に咲いている蓮の花は、その大きさが車輪のようであり、青い花は青い光を、黄色い花は黄色い光を、赤い花は赤い光を、白い花は白い光を、それぞれ放つ。」

 つまり意味は「世界に一つだけの花」と同じ様に「赤い花が、青い花になる事はないし、なる事も出来ない。」というような意味です。歌詞の「世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい。」という部分と対応しています。

 青い花として生まれたのに、白く光ることを強いられたり、赤い花として生まれたのに、黄色く光らなければならなかったり。仏教が目指す人の幸せな世界である浄土は、生まれたままの私が、まるごと受けいれられ、本当に自分らしく輝くこと、が出来ることなのです。浄土には、いろんな種類の花が咲いているが、それぞれが、各々の個性を認め、尊重しあって存在している、ということです。そうした、自分という個性や特性を、大事にして、それが社会に活かされて、各々が自分らしい花を咲かせて、自分も他者も認め合えるような社会を目指せることが浄土への道だと思います。

 僕も、この診察室という狭い場所ですけど、「世界に一つだけの花」「NO.1にならなくてもいい、もともと特別なOnly one」と思って、今日は、歌うように診察してみようと思います。だから、今日だけは診察室で、急に歌いだしても、許してください。

2024年1月3日水曜日

令和6年度もよろしくお願い致します。

  当院7回目の新年を迎えました。今年も健康的に1年間を歩んでいきたいと思っています。今年の目標は、来てもらった患者さんが、少しでも楽になれるように、そうしたお手伝いをすることを大事にしつつ、できる範囲で、講演会を開いていきたい。また、個人的には、子ども達が、受験となる年になります。なるべく、親としてサポートしていきたいと思っております。本年も、どうぞよろしくお願い致します。