ヤフーニュースで、清風高校の学生がカンニングをしたため、先生から主題のようなかなり強めの反省を促すアプローチと「カンニングは卑怯者がすることだ」と複数の男性教師から人格否定されるような指導を受けたそうです。結果的に、高校生の男児は、自死されました。そもそも清風高校のような進学校の子が、カンニングをして、全科目0点、謹慎処分、学校推薦などの大学進学もなくなるなどで、かなり重いペナルティーを与えられて、本人としても、かなりショックな状態だったと思います。正直、誰かを傷つけたわけでもないし、十分な制裁を受けて、これ以上責める必要は、僕はないと思います。
これ以上責めるのは、教育なんだろうか?世の中の常識としても、スピード違反でも万引きでも、捕まったら、結構、警察官も、加害者に寄り添いつつ、ペナルティーを科すようにしていると思いますけど・・・。
それに、高校生という思春期の心は、非常に不安定です。カンニングで制裁を受けて、弱っている心の状態に対して、さらに複数の男性教師から人格否定する教師の発言や重すぎる課題を課すというのは、その高校生という年代の未熟な心に「心理的視野狭窄」の状態を引き起こして、自殺リスクを高めてしまう可能性が高いのです。その高校生の遺書には「死ぬという恐怖よりも、このまま周りから卑怯者と思われながら生きていく方が怖くなってしまいました」などと書かれていたそうです。
僕も、高校時代、定期テストでカンニングして、全科目0点、停学、謹慎処分です。僕は、清風高校の先生のいう「卑怯者」に該当します。なおかつ、医大生の頃もカンニングして、大学教授3人に囲まれて単位を失い、あと一歩で留年しかけました。
つまり、僕は、超卑怯者です。それ以外でも、僕は学生時代を含めて、たくさんの卑怯なことをしてきました。カンニングを正当化するつもりはないですけど、僕自身が高校時代にカンニングした理由は、高3で突然医者になりたいと言い出して、
担任から「成績が悪すぎる」「内申点も悪すぎる」と言われて、慌てて成績あげるために、隣の友人と見せ合いっこして・・・即刻ばれました。でも、自分の人生を考えると、当時は、アホなりに、何とかしたいとあがいた結果です。やり方は間違っているけど、若い頃、色々トライ&エラーして、失敗しながら学ぶことって大事だと思います。
学校の生徒を指導する立場にある先生は、全員
『反省させると犯罪者になります』 岡本茂樹著作、新潮新書 を読んでおいてほしい。
生徒に反省させることを最初に求めると、被害者側、カンニングであれば、社会的な立場でのアプローチ。それを優先した関りをしても、真に反省するといった効果は期待しにくいです。
生徒がこうした失敗を通して必要なことは、反省ではなく内省です。内省するためには、加害者側、カンニングの場合は、カンニングした学生の気持ちを、批判せずに寄り添ってあげることこそが、重要なアプロ―チになります。
やったらあかんことをして、自分も傷ついたし、家族や周りの人にも迷惑をかけた。でも、自分なりに何とかしようとした気持ちは大事にして、今後も、何とかいい成績をとれるように頑張っていきたいと思えるように支えることが教育者としてふさわしい行動指針だと思います。間違ったことを若者はする。それを糾弾して、表面的な反省を促すのは、教育者として失格だと僕は思います。
弱っている生徒に、追い打ちをかける先生は、卑怯者じゃないのか?教師として、適切な対応とは何か?そのことに、清風高校の先生方は、誠実に内省してみて欲しいと思います。