2024年10月2日水曜日

先日、ユーチューブ講演の収録に行ってきました

  令和7年2月に、堺市民講演で

「堺っ子のこころの育ち支援、児童精神科医によるアップデート!」

という演題で1カ月間、ユーチューブ形式で放映する予定です。

 先日、その収録に行ってきました。初めてのことで、かなり緊張して、いつものような感じでの余談、雑談がなかなか出せませんでした。

 また、自分の話している内容が、「相手にどう思われるか?」を過度に意識が強まると、僕の口はだんだんと硬くなり、資料を棒読みになったり、何度も同じことを繰り返しでいったり、すごくやってて苦しかったです。でも、最後に隣で、ずっと優しく見守って収録してくれている先生に伝えるつもりで、もう1テイク、講演させていただいて、何となく形になって収録を終えることができました。

 やはり、「周囲にどう思われるかを過度に意識すると、人は動けなくなるんだな~」と思いました。

 「自分が伝えたいこと、自分主導でやっていくことの方が、結果的に自分自身の心の可動性が上昇して、相手にも伝わりやすくなるんだな~」と改めて実感でき、いい経験になりました。

 よければ、来年2月に、僕が、がちがちの状態で話しているユーチューブ講演を聞いてみてください。

2024年9月25日水曜日

自分が、適切な関わりができたのかどうか?

  大学時代の友人と先日久しぶりに会いました。消化器内科医になった友人は、外来で、精神疾患に罹患した患者さんが、受診に来られると思うだけで、前日から憂うつで、しんどくなると話され、そうした患者さんを、日々診察している「さくちゃん」(僕のことです)はすごいなと思うと話されていました。でも、僕なりに思うことは、僕が、消化器の疾患に罹患している患者さんが、消化器疾患の相談をされても、僕は専門ではないので何もできないことがあります。結局は、それと同じ苦しみだと思うんです。目の前の患者さんに、治療者である自分が、適切に対応できない、この不全感が医師としてしんどくなる。少なくても、精神科領域で、適切な支援を、治療者である自分ができると、無力感に似たしんどさは少なくなります。結局は、医師にとって、目の前の患者さんに、「適切な関わりができたかどうか?」が、大事なんやな~!と友人と話をしていて思いました。

2024年9月18日水曜日

最近、夜に30分から1時間散歩という趣味を見つけました

  開業してから、約10kg増量し、体重が87kgとなり、文字通り、私腹を肥やした状態となり、危機感を抱きました。また、タモリさんが、現在まで大きな病気もせずに生活できていることに、朝と夕の日課の散歩がいいという記事を見かけました。僕も、6月から、無理しない範囲で毎晩散歩を始めてみました。現在、84kgです。自然で無理しない範囲で3kg減りました。また、散歩しながら、昨晩は、「明日、自分が死んだら」をテーマにして、自分の人生を振り返ったり、家族に遺す言葉を考えてぶつぶつ喋りながら散歩してみました。色々、思考がすっきりしたり、今、生きていることの大事さに、散歩していると再認識できたりして楽しいです。夜中に、僕が、ぶつぶつ喋りながら散歩している姿をみたら、温かい目で見守っていただけると幸いです。

2024年9月11日水曜日

中学時代に先生に言われて、今思うこと

  僕は、中学時代、生徒会に立候補しろと学年主任の先生に言われました。その当時、サッカー部でレギュラーと補欠の当落線上にいたことや、色々と自分自身がやりたいことを大事にしたいので、生徒会に立候補をしたくないと、先生に言いに行きました。でも、結局、先生に「自分さえ良かったらいいんか~?」と怒られて、その先生の圧に折れる形で、僕は、嫌々立候補して生徒会に入りました。

 今、おっさんになって、当時の自分に対して「自分を大事にできない人は、結局、他人も大事にできないよ。自分がやりたいって思うことを、頑張ることでいいと思うよ。」と言ってあげたい。

 僕は、学校の先生の中には、自分たちの学校という組織を守りたい気持ちが強くて、生徒自身の成長や困っていることに寄り添う姿勢が少ない方がいることが気がかりです。学校の挨拶運動とか、学校の清掃とか、校則の遵守とかは興味あるけど、その子に適した課題や宿題を出しているのか?勉強が分かっているのか?いじめなどを含めて生徒が困ってないのか?は、あまり興味が乏しい先生が、一定程度いるなと思うことがあります。これって本末転倒じゃないかな?と気になることがあります。

 思春期年代の子ども達には、自分がしてみたいと思うことを大事にしてみて欲しい。そのためには、まず、自分を苦しめている「べき」の縛りを解除しないといけないですけど。その積み重ねが大事だと思うので。そのためには、やりたいくないことは、やりたくないって表明していいと思います。まずは、わがままに生きてみよう。それを、周囲の大人が理解したり応援することで、本人の主体性、能動性が上昇し、本人が成長して、社会適応が上がっていくといいなと思います。思春期に、やらされている、受け身的な行動は少ない方がいい。先生に言われて、納得がいかないと思ったら、断れたらいいね。僕は、中学時代に、やりたくもない生徒会に入ったことを後悔しています。だからこそ、おっさんになった僕は、何をやるか、やらないかを、主体的に自分で判断して決めたいと思っています。

2024年9月4日水曜日

苦手な人に左右されない人生を送りたい

  僕は高1の頃、クラスメートで、苦手な同級生がいました。高3の時に、その苦手な同級生と、また同じクラスになってしまいました。ただ、その高3の1年間、自分自身、その相手を特に嫌うわけでもなく、関心も乏しく、お互いに、ほぼ会話をすることもなく、揉めることもなく、1年間を無事に過ごせました。結構、診察室で同じ教室に、苦手な人やトラブルが絶えない相手がいたり、職場でも、苦手な上司がいて、仕事自体は好きなのに、どうしてもその上司との交流でしんどくなると話される方がいます。

 できれば、そうした人とは、距離とれたらいいですけど、難しいことが多いですよね。一先ず、現状の中で取り組めるのなら、「フラット」に関わることを目指したいです。相手に対しての嫌悪感や拒絶感は、回りまわって相手にも伝わり、結局はこっちにも攻撃が回ってくる可能性が高いです。なので、職場や教室に行く際に、苦手な人に対して、「嫌いだ~」とかそうした嫌悪感や拒絶感をなるべく減弱させて「フラット」にして、淡々とその人と付き合う。そっちの方が、あなた自身を守れるような気がします。僕は、高3の時にそうした修行ができて良かったです。

 でも、それでも難しいことも多いと思うので、色々試して難しかったら、やっぱり原則通り、距離をとるしかないですね。

2024年8月28日水曜日

言葉は、言霊として、相手は受け取る。

  例えば、妻が、夫に、「あなたは、人への思いやりがないわね」というと。言われた夫は、本当に、思いやりがなくなってしまう。妻自身は、こうした否定的な発言を相手にぶつけることで、相手が反省して、行動変容を促したいという意向があるのでしょう。その意向とは、反対に、本当に思いやりがなくなってしまう。

 こうしたコミュニケーションパターンを、診察場面で、よく耳にします。やはり、言葉が、言霊になって相手に飛び込んでしまう可能性があるのです。怒りが生じたまま、それを相手にぶつけてしまうと対人関係は、不良になってしまうので、一呼吸置いて、怒りを処理してから、素直な気持ちで人と関われたらいいんですけど。それが難しいからこそ、まずは、受診とかカウンセリングなどで話してもらって、自分自身の素直な気持ちを出せるようになることが大事ですね。

 診察室で、お母さんが、子育てで、「ヒステリックに怒鳴ってしまうんです~。」と相談に来られることがあります。でも、その背後にある愛情深さを、何よりも、僕は支持し、労います。その上で、「そうした愛情が、子どもにいつかは伝わりますよ、そう僕は信じています!」とお母さんを励ますこともあります。結構、その後の診察の経過で、お母さんは、相変わらず怒ってはいるけど、なんか、母と子の間の空気感は、以前に感じた緊張から、何か愛みたいな温度感を感じることがあります。

 行動は、変わってないけど、叱ることも愛だという言葉に、行動や伝わり方に、変化が生じたのかもしれません。僕が、お母さんに伝えた、「愛」という言葉が、母も気づかれて、それをお子さんに、怒るという関わりで、愛を伝えたのかもしれません。

2024年8月21日水曜日

日常から離れてみることの大切さ

  僕は、大学生の頃、アフリカ最高峰の山「キリマンジャロ」に約1週間かけて登山していました。標高4000m付近をうろうろしている際中は、雲よりも上空で生活している状態にあるため、自分がまるで仙人のような気分になっていました。その登山の間、毎晩、アフリカの地で、夜空を見ながら、思ったことは、日常生活の有難さでした。普段の日常で、普通に平和で暮らし、生活を送れていること、普通に勉強したり、遊んだり、なんて幸せな日々だったのだろう。そこに気づかず、勉強さぼったりしていた僕は・・・。

 帰国したら、初心の想いを大事に、良い医者になれるように、頑張っていきたいと思って帰国しました。日々の自分を支えてくれた人や生活への有難さに気づけた旅でした。しかし、日本に帰ったら、結局、そんなに勉強もせず、また日常生活をだらだらと過ごしてしまっていましたが・・・。

 感謝の想いを大事にして、そこを起点にして頑張れることが、幸せになるということなんだなと思います。脳という臓器は、幸せになるために作られているのではない。ただ、生きるために、生存するためには、どうしたらいいか?ここにマインドセットされて我々は生きていることが多い。だからこそ、いい学校にいって、高収入を得て、贅沢して~と考えるけど、瞬間的には、そうしたことで、充足感や欲を満たしても持続力は乏しい。どんなに好きな人と結婚できたとしても、好きという感情は、早くて数か月?数年で雲散霧消していくものです。でも、お互いに感謝の心が、時を重ねていけるからこそ、「愛情」(くされ縁というリアリティー表現でもいいと思います。)になっていく。

 幸せは探すものではない、既にあるものに気づけることが大事なんだということが思い出されます。頭では、わかっていても、日常生活の忙しさにやられて、ありがたさ・感謝の心を忘れてしまう。そうしたことに気づくためには、近すぎると見えなくなる部分も多分にあるからこそ、やはり、僕には、旅や登山が必要だと思いますが、現在は、なかなか行けない状況なので、やはり今晩は、最近お気に入りのスパ住之江のサウナに行ってきます。

2024年8月14日水曜日

浦島太郎物語と精神科医療との関連性

  日本昔話で有名な「浦島太郎」は、僕の心の妄想では、亀を守ろうとして、亀をいじめた子ども達に、行き過ぎた指導をしたせいで、周囲から奇異行動と認識されて、亀の背中(これは現代でいうところの救急車のことだと思っています。)に、乗せられて竜宮城という名の精神科病院に、長期間入院していたのだろうと僕は思っています。

 浦島太郎本人の妄想では、竜宮城なんですけど。その後、長期の精神科病院での入院から退院してみると、太郎の両親も既に死んでいる。自分の住んでいた町も人も環境が激変して、ショックで、玉手箱といいますか、その時、退院時に渡されていた精神科薬を大量服薬して、死んでしまったという話しに、僕には感じるのです。

 ここから精神科医的な洞察ですけど、まず竜宮城の長期間の入院の弊害ですね。(ここは、もう現代では、認識されており、精神科の新規の入院の患者さんで、これだけ何年から何十年入院するなどはなくなっています。)また、竜宮城からの退院後のフォローをもう少しちゃんとしておきたかったですね。訪問看護とかで通院や服薬の継続を支援したいですし。竜宮城から自宅に試験外泊とかもしておきたかったな~と思います。浦島太郎は、精神科医療の入院の在りかたと支援についての問題提起の物語だと僕は思っています。

2024年8月7日水曜日

依存症治療のコツは、やめさせようとしないこと

  依存症治療の第一人者である成瀬暢也(なるせ のぶや)先生(埼玉県立精神医療センター)によると、依存症患者さんに対して、対応のコツを一つ挙げるとしたら、それは

「やめさせようとしないこと」 であると述べられています。

 依存症とは、患者さんがやめたいと思っている、そして同時にやめたくないと思っている。その両価性を理解して治療者、支援者が関わることが肝要。成瀬先生の病院の依存症外来は「ようこそ外来」と称して、患者さんが治療から脱落しない工夫を色々している。

 患者さんに歓迎の意を伝え、断酒・断薬を強要せず、飲酒や薬物使用を責めず、患者さんの困っていることに焦点づけをする。

 決して無理にやめさせようとしない。

 患者さんの何とかしたいという思いに寄り添い、肯定的に関わり続けていく。

 日々の生きづらさや悩みを受けとめ、患者さんの主体性を尊重した対応を心がけている。

 ここに、精神科治療の支援の本質を感じ、成瀬先生の人柄も感じるので、胸が熱くなります。

 僕も「ようこそ外来」の精神で、成瀬先生のように頑張りたいと思っています。

 

2024年7月31日水曜日

三流の臨床家集団を目指せ!

 「三流の臨床家集団を目指せ!」

  この言葉は、昔、児童精神科医の先生(山崎透先生)に指導された言葉です。僕が、阪南病院で勤務していた頃、新しく児童精神科病棟を開設するにあたって、病棟研修のために、阪南病院を代表して、静岡県立こども病院で研修していたことがありました。そこで、当時、児童精神科で部長をしていた山崎透先生に言われたことは、新しく児童精神科病棟を開設する上で「三流の臨床家集団を目指せ!」でした。

 一流の臨床家集団を目指すと、自分が一流とは思えない人にとっては、しんどいし、一流の臨床家がやめた途端に、それまでの病棟運営が機能しなくなる。むしろ、二流、三流でも謙虚に、患者さんに寄り添える常識的な集団を目指す方が、お互いに気楽だし、その方が、たくさん人が集まるし、多くの人が共有、実践できる運営は、持続可能性が高まる。三流の研究者は、役に立たないが、臨床家は、三流でも、謙虚で常識的で、一生懸命に患者さんに向きあっていけば、世の中に役立つことができる。それで十分だと思う。

 これは、僕自身の、今のクリニックの運営でも意識していることですし、今回、大阪精神科診療所協会の理事に就任して、組織とか社会での物の見方としても、とても大事なことだと思ったので、皆さんと共有したくなりました。

2024年7月24日水曜日

アフター白雪姫

  ディズニーやグリム童話で有名な「白雪姫」は、継母が、美への執着があり、自分より美しい白雪姫への脅威や嫉妬を感じ、継母は変装して、毒林檎を白雪姫に食べさせて毒殺を試みました。しかし、運よくイケメンの王子様が、通りかかって、白雪姫の美しさに一目ぼれして、自分の城に連れていく途中で、毒林檎が、体外から除去され、復活するという話。

 その後、グリム童話では、王子がその継母を捕まえて、生きたまま燃やすという結末でした。ということは、白雪姫の復讐劇だと捉えることができますよね。白雪姫が、自分を殺そうとした継母を恨み、王子に殺害させたということになります。

 そこからが、精神科医としての妄想ですが、白雪姫が、継母の魔法の鏡を相続し、自分より美しい人をみつけては、殺害していくという殺人鬼と化していく。継母が自分を殺そうとしたように、自分も、自分より美しい人を妬んで脅威を感じて殺そうとして、継母の運命と同じ話になるということではないか?と思うのです。愛着の連鎖というか。

 そのストーリーを崩すためには、白雪姫の幼少期に、精神科医である僕が、タイムリープして、自分よりきれいな人がいて、夫の心が自分から離れてしまうのではないかという不安の原点の喪失感に寄り添ってサポートしたり、そもそも外見だけでなく、本人自身の良い所を認めてもらえたりする経験を積んだりしていって、白雪姫が、自分自身をありのままで生きていていいのだと受容できることが重要になります。

 その結果、自分より優れている人や綺麗な人が出現しても、不安を軽減できる支援をして、誰かを殺すことを防げたという映画をディズニーに作ってもらえないか?やっぱり、電話してみます~。(嘘ですけど)


2024年7月17日水曜日

アフターシンデレラ

  ディズニーやグリム童話で有名な「シンデレラ」は、幼少の頃に、実母を病気で亡くし、その後、父は再婚し、継母と一緒になり、その後、父を病気で亡くしてしまうなど、シンデレラは、家族の温もりを感じることが乏しい養育環境でした。シンデレラ自身の心の中では、温かな家庭への憧れを希求することになると思います。シンデレラは、その気持ちに蓋をして、本当の自分の気持ちを感じにくくして、子ども時代は生きていたと思われます。そうしないと、心理的な暴発を起こして、家を飛び出すなどとなると、母や父との大切な思い出のある家というアイデンティーさえも失ってしまう恐れがあったからです。そうした中で、王子様と運命的な出会いで、ハッピーエンドとなる。

 僕自身が、精神科医として気になるのは、その後の、王子様との婚姻生活上に生じる問題についてです。シンデレラは、王子様と結婚することで、今まで、心に蓋をしてきた部分が解放されていきます。その結果、王子様そのものを受け入れるのではなく、王子様の自分に対して優しい部分は受容するが、そうじゃない部分も王子様なので、よその国に戦争に行ったりとか、政治等で多忙で、王子様は、時にイライラして帰ってくることもあるでしょう。そうなった際に、シンデレラは、王子のそうした部分へのショックは、人一倍大きく感じる可能性が高いのです。そうした中で、シンデレラが、病んでいく可能性がある。どうして、そうなってしまうのかは?幼少の頃の、親との喪失体験や、ステップファミリーで受けた心の傷が原点にあるのです。そこをカウンセリングでケアされてこそ、あるがままの自分の感情を誰かに受容してもらってこそ、王子様の良い所だけでなく、嫌なところも受容できるようになり、双方で助け合って生きていくことができる。

 そのため、シンデレラが結婚して、相手をあるがままに受容しにくく、病んでしまうようになったら、当院にカウンセリングに来てもらって、シンデレラの幼少の頃の心のケアをしましょう、というアニメを作って~とディズニーに電話しておきます~。(嘘ですけど)

2024年7月10日水曜日

マイクロアグレッションについて

 マイクロアグレッションとは、ありふれた日常の中にある、ちょっとした言葉や行動や状況で、意図の有無にかかわらず、特定の人や集団を標的に、軽視したり侮辱するような、敵意ある否定的な表現のこと。

 加害者は、たいてい、自分が相手を貶めるようなやりとりをしてしまったことに気づいてない。僕らは知らない間に、相手を責めている。その無自覚を意識化することが大切になります。例えば、もう小学校6年なんだから~。お姉ちゃんと比べると出来がよくないね。せめて、これくらいはできないと社会では生きていけないとか。言う側は、聞いている側に、嫌なことをいって、発奮させようという意図があるんでしょうけど。裏のメッセージとしては、「私は、現状のあなたを認めません。あなたは、変わらないといけない!」のメッセージを、入れられすぎると、人は、変化する心の柔軟性が、反対に失われてしまうのです。まず、本人そのものを変えようとしない、認めているという保証を通じて、相互作用の繋がりとして、安心、安全を担保された関係の構築が重要になります。そこを無視した関りをすると、相手との仲が悪くなるだけになってしまいます。結局、他者を傷つけてしまうと、回りまわって、自分も傷ついちゃいますから。

 そのためにも、自分自身で、自分自身の健康を保つようにして、そこから他者と関わると、必要以上に他者を傷つけなくて済むと思いますので、マイクロアグレッションを認識、共有しておきたいと思います。

2024年7月3日水曜日

精神科支援のゴール、目指す社会は?

  前回の松下幸之助の話の続き。100歳過ぎまで医師を続けてこられた日野原重明先生もまた、人の人生で大事なことは、「前進、前進、そのまた前進!」とまさしく仁王立ちしての講演会で100歳過ぎてもなお絶叫されていたのを思い出します。

 やっぱり、宇宙ですね、アニメ「聖闘士星矢」でいうところの小宇宙(コスモ)ですね。人類が目指す社会は、「衆知」できる社会。つまり「共生」社会。本田秀夫先生は、共生とは、ひとことで言うと、「相性が最悪の人たちとも同じ社会で暮らすこと」だと定義しました。そのためには、

  • 全ての人が、多様な視点があることを知る。
  • 異なる立場の人をむやみに疎外しない。
  • 異なる立場の人に不要な攻撃をしない。
  • 自分の視点を他者に強要しない。

ということを述べられていました。釣りで、たまに釣れてしまうフグは、毒があるし、いらんからリバースしたりするけど、調理資格がある人からしたら、高級魚にもなる。誰かにとっては、悪でも、違う人にとっては、大切なものになったりする。少なくとも、自分自身で、自分を否定しないことが大事。あなたを、必要としている人は必ずいる。そこを諦めないで、自己否定しないで、自分を大切にして生きてもらえるような支援がしたいのです。誰もが、自分らしく生きられる。その上で、合わない人とは、距離をとったり、不要な傷が、つきにくくなるような環境を作っていく。色んな人がいて、色んな状態の人がいていい。全ての人が生きやすい社会。目指せ!共生社会っす!

2024年6月26日水曜日

松下幸之助の人間観、人間道

  松下幸之助の本を読んで、古い本ですが、全く色褪せない普遍的な思想を、我々に与えてくれます。要約すると、人の成り立ちを辿ると、宇宙にまで発展していくが、宇宙は、「生成発展」で未だ、成長し発展していっている。そうした宇宙の一部として地球は誕生し、人類は誕生しているからこそ、人類もまた「生成発展」していくものとして存在していくことが、運命づけられているということ。その上で、人類が、現在わかっている生物体の中では、もっとも、高度で最強の生物として認識することが重要である。

 人類という高度で最強の生物として位置づけられているもっとも重要な要素として、人類は「衆知」ができるということ。「衆知」とは、様々なものや人の力を結集して、生成発展に活かすことができるということ。そして、その「衆知」に必要なことは、「あるがまま」の視点で、素直な姿勢で、自己を又は外界をみていくということ。

 素直というのは、人の言うことを素直に聞くとか、そういう単純な意味ではない。曇りのない心で、物事を見る視座だということになります。つまり、あるがままを受け入れるような心持ちや姿勢を持つこと。そこで、色々な学びや経験や出会いを通じて衆知していくこと。それで、調和し発展していくことが、人としての道であると説いている。これを忘れないで人類が生きていけたら戦争や争いは回避できる。それをしっかりと、心に刻んで生きることが、松下幸之助の遺言な気がします。今日は、そうした観念論、総論的な視点でのみ述べて、まずは、自分自身あるがままを受容して、ありのままに生きていけるように頑張りたいので、サウナに行ってきます。

2024年6月19日水曜日

両親が一緒に歩いているのをみて、人という字の意味を知る

 僕の両親は、父は80歳、母は75歳です。たまに、キャリーケースに、食料とか色々詰め込んで僕の家に持ってきてくれます。その帰りの両親の歩いている姿をみると、父は不整脈で歩行も不安定、母も頚椎、腰椎ヘルニアで、歩行は不安定。そんな二人が支え合って歩いている後ろ姿をみて、僕は「人」という字に二人が見えました。長年にわたって、お互いが支え合ってきている姿に、僕は感動しました。もちろん、その二人の歴史は、色々大変だったり、きれいごとではありません。だからこそ、素晴らしいし、面白い。できるだけ、支え合って、これからも夫婦で文字通り「人」として支え合って、やっていってもらいたいです。

2024年6月12日水曜日

人は、遠目でみると、普通。でも、近くでみると、みんな変!

 精神科の診療を通じて日々、感じていることがあります。

「人は、遠目にみると、普通に見えますが、近くで、まじまじと精神科的にみると、それぞれ、みんな変!」ということです。

 すべからく、みんな変です。夫婦問題にしても、交際しているときは、相手が良く見えても、結婚して、夫婦になったら、お互いに変だと思うものです。でも、お互いが各々、変なんだということを、認識してからが大事で、相手が変わらないといけないからスタートすると、関係は悪化します。まずは、相手のあるがままを受容する。その上で、折り合いをつけていく。そういうスタンスが大事だと思っています。だって、自分だって変だということを忘れてはいけないと思うんです。

 そんな変な自分と、縁をいただいて一緒になって夫婦になったのなら、そこの感謝をお互いに忘れてはいけないと思うんです。お互いに・・!

2024年6月5日水曜日

「嘘をつくな」と育てると、嘘つきになります。

 今回は、岡本茂樹先生著「いい子に育てると犯罪者になります。」という本から抜粋した情報を出します。幼少から「親に嘘をつくな」と親によく叱られるとどうなるか。親が、子どもに、「嘘をつくな!」→子どもは、嘘をついてはいけないと思うから、親にバレないように嘘を繰り返す→親が怒るの悪循環に至りやすい。この悪循環を、まずは、親が理解して、親が子どもに嘘をつくなと心理抑圧をかけることで、返って、自分の本当の姿や気持ちに蓋をしていきることを強要してしまう。→そこに、親が気づいて、こどもにすまなかったと謝罪して、子ども自身も自分の気持ちに素直になれて、その気持ちを、身近な人に相談できるようになって、嘘をつかなくなっていく方向にシフトチェンジしていく。こういう流れが大事だと思います。

 幼少から親が、子に「一度決めたことは最後まであきらめるな」と指導する→子;しんどくなって途中であきらめても、叱られるのが嫌なので、「あきらめてないよ」と嘘をつく→親に嘘がばれる→親は「嘘をつくな!」と厳しく叱る。→子:また嘘をついて、また叱られる→親が、「嘘をついてはいけない」という「家庭のルール」ができる。→子;次第にバレないようにうまく嘘をつく→嘘に嘘を重ねる生きかたになる→最後に「大きな嘘」事件を起こす、になるリスクが高まる。親にありのままの自分を出せない、受容してもらえないのが、問題の種になってしまうことがあることを、子育てにおいて知っておいてもらたい。

 世の中で、自己肯定感という言葉が普及し、やれていることを褒めて伸ばそうというのは、僕は、正直、しっくり来ないというか、薄っぺらい自己肯定感のように感じているし、大人が子どもに操作的、支配的にするために褒めているように感じる時があります。

 本当の、自己肯定感というのは、「そのままのあなたでいいよ」だし、失敗したり、問題行動をしたときに、ドンマイ!と寄り添ってあげることの方が、真の自己肯定感を感じられるようになると思います。

 自信を持つとは、どういうことか?人よりも、勉強できることか?運動できるということか?それでは、もっとできるやつが出てくる。誰よりも根性があるとか?だとしたら、「お前に根性があるなら、あいつを殺せるよな」と人に頼まれて、実際に殺人事件を起こした人もいる。根性を競っても、自分の身も他人の身も滅ぼしてしまうこともある。親が子どもに「小学校6年になったんだから頑張ってね」「お兄ちゃんに負けないように、あなた(弟)もしっかりしてね」といった言葉かけも、親は子どもを発奮させようと思って言っているのでしょうが、本人からしたら「今のあなたではダメ」というメッセージを送っていることになる。

 自分に自信がない子の多くは、「今のあなたのままではダメ」というメッセージをたくさんもらっている。だから、「今のあなたのままでOK」というメッセージが大事になるんです。そもそも自信とは、自分を信じることができるということ。もっと言えば、ありのままの自分自身そのものを信じることができることです。そのためには、親だったり、身近な大人が、ありのままの自分を信じてくれることが大事になります。なぜなら、あなたの自信があることは何ですか?勉強?スポーツ?外見?どんなものでも、自分より優れた人や能力を持った人は出てきます。周囲よりもできているというのは、優越感に過ぎない。(決して、優越感がダメだと言っているわけではありません。)テストで悪い点を取ってもOK、試合で負けてもOK、勉強でも運動でもお兄ちゃんよりできなくてもOKと伝えることで、こどもが「自分は今の自分でいいんだ」と思えます。

 そして、こどもが「自分は今の自分でいいんだ」と思ったときこそ、自分から「頑張ろう」という気持ちが心の内側から持てるようになるのです。それを、待って、信じてあげることこそが、教育や子育ての本質だろうと思います。

2024年5月29日水曜日

昔の人は、精神疾患は少なかった?

 大河ドラマで、平安、鎌倉、江戸時代とかを結構やっています。当時の時代は、かなり残酷な出来事(流行り病で死んだり、凶作で飢饉に陥り餓死者がでたり、人身売買が行われるなどなど)も多かったのでトラウマだらけだったと思いますけど、トラウマ的な症状を呈している人の数は、いうほど多くない印象を持つんです。

 理由としては、昔の時代は、経済的な余裕がないこと、科学技術の未発達があげられます。当時は、貧しいから、つらいことがあっても、自分の体を動かして農作業とかしないといけない。それに、昔は大家族制で地縁の絆も深い中、おじさん、おばさんとか村長とか良い人間関係もアクセスしやすかったかもしれません。つまり「北の国から」のような状況で、結構悲惨だったり、しんどいけど、何とか生きることができている。つらいことがあっても、身体を動かして、自然から命を頂いて、村の人々の助けをかりて、自然で遊ぶなかで、心は、健康さを取り戻すことができる。

 それが、現代は豊かになり、科学技術が発達すると、身体は動かさないで頭でっかちになり、自然と接することも減り、表面的な人間関係に捉われる。人間の自然回復力を促す4因子として

① からだを動かす 

② 自然を楽しむ 

③ 良い人間関係を味わう(相手が動物でも可)

④ 遊ぶ

が知られています。こういう4因子には、敵対・混乱モードから友好・安心モードへの移行をサポートする作用があります。

 心的な外傷記憶を持った子どもは、一緒に遊んでいる子の何気ない言動でも、それが引き金になって敵対・混乱モードになり、「頭ごなしで全否定された」「理不尽な侮辱を受けた」などの受けとめ方に伴う強烈な不快感や怒りが生まれる。そうなった子どもを前にして、親や大人も、混乱して極端な振る舞いになってしまう。特に、対応している大人自身も、親から受けた心的な外傷記憶があると、子どものそうしたことを引き金にして、敵対・混乱モードになってしまう。

また、トラウマの専門的な心理的な治療を受けることができる人は、ほんの一握りなので、できれば、この4因子を大切にしていかないといけないな~、と思っています。

早速、親しい人を誘って、サウナにいって、この4要素のような感じを取り入れに行ってきます。

 

2024年5月22日水曜日

親戚にウケた思い出が、僕の原動力!

  僕は、小学校の頃に、福井県の両親の田舎に帰省して、親戚に、お笑い芸人の真似事をして非常にウケたことがあります。その時、僕は自分が面白いやつなんやと思い込んで、大阪に帰って、同じようなギャグを、クラスメイトにしたら、全く受けませんでした。でも、僕の頭の中で、当時のウケた喜びは、しっかり記憶されています。

 僕が精神科医として、診療で追い求めているのは、子どもの頃と同じでウケることです。治療的に関わって、患者さんが楽になったり、患者さんの眉間の皺が減ったり、時に一緒に笑いあえたりする。こういうウケるのが、僕の人生のガソリンです。「ウケる喜び」、これをずっと追い求めています。

2024年5月15日水曜日

川で拾ったなすび

  子どものとき、田舎の川で遊んでいると、上流から綺麗な、「なすび」がどんぶらこ~どんぶらこ~と流れてきました。僕は、必死でそのなすびを川でゲットし、自慢げに母に持って帰りました。それを母が、漬物にして、夕食のおかずに出してもらいました。これが、僕の最初の労働だった気がします。当時、僕が、とったなすびやで~と、家族に誇らしげに言ったことを覚えています。頑張ってなすびをゲットして、それが、おかずとして、誰かが食べる。この時はじめて、僕は、働くことの感動を味わった気がします。人類の男性は、1万年以上前から、狩猟して、それで採った獲物で、家族を養ってきたわけで、そうしたことで獲得できる自己有用感って、特に男性にとっては大事ですね。

 

2024年5月8日水曜日

死への不安を和らげる方法

 戦争などの平和維持への不安・物価高騰・年金問題など色々不安を感じて生きています。あらゆる不安は、無意識領域では、「死」への不安が根底にあると言われています。

 死が怖いから、自殺するくらい。逆説的ですけど、人の根底には、誰しもが「死への恐怖」があります。しかし、誰もが、遅かれ早かれの差はあれど、必ず死を迎えます。

 その死を、少し受け入れやすくなる、死への不安を軽減できる方法の一つに、次の世代に、バトンを渡すことだと思います。子育てで、子どもが成長して、次の世代に親として繋げることが、有り難いのです。

 僕は、仕事で、児童精神科医として日々診療しているので、子育てや子どもの将来に少しでも役に立てたり、その人の中で、僕の関わりが支えになっているのなら、いつか僕自身が迎える死を受け入れやすくなります。

 誰かに、僕の一部、言霊なのか、思い出なのかを遺せるとしたら、僕は少し安堵して、死を迎えることができると思います。生きている間に、少しでも次世代の人に、役に立てるように、日々精進していきたいと思っています。

 

2024年5月1日水曜日

母に「美容整形するなら、どこをする?」と質問したら・・

 僕が、子どもの頃、美容整形最前線みたいな番組を視聴していて、当時、何気なく母に、「お母さんやったら、美容整形するとしたら、どこをしたい?」と聞いてみたことがありました。

 母の返答は「自分の顔を好きになってあげられるのは、自分しかいないから、どこも整形しなくていいわ~。」でした。

 僕は、その当時、思春期真っ只中で、外見とか、人からどう見られているか?と自意識過剰状態だったこともあって、母の返答で大いに納得いきました。

 自分の容姿を、自分自身だけは好きというか尊厳というか、自分自身を大事に思う気持ちが大切なんやな~ と思いました。

 美容整形のCMで、「コンプレックスを持って生き続けるのは、自分をなくして生きている~」というフレーズを否定したいわけではないけど・・・。

 「自分の中のコンプレックスを受容できるような心の健康さや豊かさが、これから先、自分も他者も受容できる心に繋がっていくとも思います~」と、そのCMを風刺したい気持ちが沸いてきたので、ここで勝手に言わせてください!

2024年4月24日水曜日

高級フレンチを食べにいってきました

  先日、妻と高級フレンチに行ってきました。とても高級な味で美味しかったです。サービスも味も全てが高級でした。

店を出てから妻は「どれも美味しかったけど、どれも同じ味のような感じがする。高級になると、個性ってなくなるのかな?」とぼそっと話しました。確かに、高級で美味しいって感じました。かつ、フレンチなので、バターとかクリームとか、あと色々なうまみが凝縮していて、それがやっぱりクリーミーな味になる。全ての出される料理が、そんな感じでした。

 高級フレンチを食べて、僕は、「やっぱりB級グルメが好きだ~。」ということを再認識しました。当院のクリニックがある、『あびこ』には、たくさんの美味しくて、リーズナブルな飲食店があります。各々に、個性的な美味しさがある。スープカレー、蕎麦、ラーメン、和食、イタリアン、中華、焼肉、焼き鳥などなど・・・。

 今回、都会の洗練された高級フレンチ店に行ったおかげで、僕は、「あびこが好きだ~。」と再認識できたことが、一番の収穫でした。

2024年4月17日水曜日

長期休暇で感じたこと

 長期休暇では、自宅のキッチンを僕も使うようになるのですが、やはり妻のエリアに、僕がお邪魔させてもらっているような感じになるので、どうしても、僕はキッチンを雑に使ってしまい、妻をイライラさせてしまう。それを妻に注意されて、僕は不機嫌になっていく。しかし、その上で、妻に怒られにくい部分、例えば、食洗器に食器を入れる、など・・・。

僕は、どこまでも不十分で雑なんですけど、やらないよりはマシだという見解です。僕自身も、妻に文句言いながら、「やれる部分はやりました。」あくまで妻に文句言いながらです。

 自分の視座としては、長期休みで家にいても、自分の頭の中は、「社会上のことを意識している感じが強いな~」と長期休みとなると余計にそう思います。家のことをすることの意識は、正直薄くなります。今後のクリニックや医師を含めた社会的な役割を、自分がどうしていったらいいのかを考えたりすることが好きですし重要視しています。妻は、反対に、家庭上のやりくりを主に考えている。だから、どうしても、僕が家にいると、その意識の違いがあり、揉めます。

 これは、男女の意識や特性の差で、相互に補完し合う部分なんですけど。どうしても現在は平和社会なので、家庭で父(夫)の役割が微妙になり、父(夫)が怒られるのが時代背景だとは思います。今の時代背景上は、男性陣が、家庭でも社会でも、アップデートしていく必要を感じています。

やっぱり、長期休暇の夜も、こっそりサウナにいきました。翌朝、妻に、こそこそサウナに行ったことがばれて、やはり怒られるんですけど。

2024年4月15日月曜日

講演会のお知らせ

 
5月18日(土)9時30分~、当院主催の講演会をします。詳細は、当院のHPのお知らせにて確認していただき、ご参加をお待ちしております。参加に当たって、当院に通院されているとかは、関係ありません。講演の演題としては、

「発達障害のリアルな理解と支援について Part.3」 

という演題ではありますが、そこから外れた内容でも何でも、長めに質疑応答の時間を持っていますので、参加いただいた方に、多くの実践的な情報提供や情報共有して、少しでも明るくなって、楽になって帰ってもらえるように頑張りたいと思っています。ご参加をお待ちしております。

2024年4月10日水曜日

ヤフーニュースで、大阪の名門・清風高校「カンニングするのは卑怯者」生徒を追い詰めた 「写経80巻」「全科目0点」「反省日誌」「謹慎8日」の厳しすぎる処分という内容での僕が感じたこと

 ヤフーニュースで、清風高校の学生がカンニングをしたため、先生から主題のようなかなり強めの反省を促すアプローチと「カンニングは卑怯者がすることだ」と複数の男性教師から人格否定されるような指導を受けたそうです。結果的に、高校生の男児は、自死されました。そもそも清風高校のような進学校の子が、カンニングをして、全科目0点、謹慎処分、学校推薦などの大学進学もなくなるなどで、かなり重いペナルティーを与えられて、本人としても、かなりショックな状態だったと思います。正直、誰かを傷つけたわけでもないし、十分な制裁を受けて、これ以上責める必要は、僕はないと思います。

 これ以上責めるのは、教育なんだろうか?世の中の常識としても、スピード違反でも万引きでも、捕まったら、結構、警察官も、加害者に寄り添いつつ、ペナルティーを科すようにしていると思いますけど・・・。

 それに、高校生という思春期の心は、非常に不安定です。カンニングで制裁を受けて、弱っている心の状態に対して、さらに複数の男性教師から人格否定する教師の発言や重すぎる課題を課すというのは、その高校生という年代の未熟な心に「心理的視野狭窄」の状態を引き起こして、自殺リスクを高めてしまう可能性が高いのです。その高校生の遺書には「死ぬという恐怖よりも、このまま周りから卑怯者と思われながら生きていく方が怖くなってしまいました」などと書かれていたそうです。

 僕も、高校時代、定期テストでカンニングして、全科目0点、停学、謹慎処分です。僕は、清風高校の先生のいう「卑怯者」に該当します。なおかつ、医大生の頃もカンニングして、大学教授3人に囲まれて単位を失い、あと一歩で留年しかけました。

つまり、僕は、超卑怯者です。それ以外でも、僕は学生時代を含めて、たくさんの卑怯なことをしてきました。カンニングを正当化するつもりはないですけど、僕自身が高校時代にカンニングした理由は、高3で突然医者になりたいと言い出して、

担任から「成績が悪すぎる」「内申点も悪すぎる」と言われて、慌てて成績あげるために、隣の友人と見せ合いっこして・・・即刻ばれました。でも、自分の人生を考えると、当時は、アホなりに、何とかしたいとあがいた結果です。やり方は間違っているけど、若い頃、色々トライ&エラーして、失敗しながら学ぶことって大事だと思います。

 学校の生徒を指導する立場にある先生は、全員

『反省させると犯罪者になります』 岡本茂樹著作、新潮新書 を読んでおいてほしい。

 生徒に反省させることを最初に求めると、被害者側、カンニングであれば、社会的な立場でのアプローチ。それを優先した関りをしても、真に反省するといった効果は期待しにくいです。

 生徒がこうした失敗を通して必要なことは、反省ではなく内省です。内省するためには、加害者側、カンニングの場合は、カンニングした学生の気持ちを、批判せずに寄り添ってあげることこそが、重要なアプロ―チになります。
やったらあかんことをして、自分も傷ついたし、家族や周りの人にも迷惑をかけた。でも、自分なりに何とかしようとした気持ちは大事にして、今後も、何とかいい成績をとれるように頑張っていきたいと思えるように支えることが教育者としてふさわしい行動指針だと思います。間違ったことを若者はする。それを糾弾して、表面的な反省を促すのは、教育者として失格だと僕は思います。

 弱っている生徒に、追い打ちをかける先生は、卑怯者じゃないのか?教師として、適切な対応とは何か?そのことに、清風高校の先生方は、誠実に内省してみて欲しいと思います。

自分でできないことを反省するより、本来自分が持っていることに気づくことが大事!

  僕は、ブリーフセラピーという家族療法のアプローチを重視している精神科医ですので、そのブリーフセラピーの創始者であるミルトン・エリクソンが、精神療法について語った言葉で、

「精神療法は患者さんに足らないことを与えることではない。また患者さんが歪んだものを持っていて、その歪んだものを矯正することでもない。患者さんがすでに持っているにもかかわらず持っていることに気づかないものを、どうやって患者さん自身が使えるようにしていくのか、それを援助するのが精神療法である。」という言葉。

 僕自身、毎日、日々診療、学習、修練していますけど、なかなかできてないと思う日々です。と書こうと思ったんですけど、「いや、違う!そうやって反省するのではなく、こうやってできたことが、今日もあったやん。こうした日々、僕自身もできていることに気づけることが大事なんや~」と思いました。

 日々のできなかったことを反省することよりも、これまでの小さくても、自分ができたことに気づけることが、大事やねんな~とミルトン・エリクソンが語り掛けてくるような気がしました~。

2024年4月3日水曜日

1人でハイキングに行ってきました。

  先日、少し自由時間をいただけたので、急遽、1人で信貴山にハイキングに行ってきました。運動不足の僕にとって、登山の時に、傾斜が急になると、すぐに眉間に皺が寄り、「ぜ~は~ぜ~は~」と過呼吸の状態になります。確かに、しんどいから、そうなるんですけど。精神科医的な観点でいうと、しんどい状態になって、そこから坂道を見て、脳という臓器が、その先々の不安を認知して、余計に過呼吸になっていることに気づきました。

 アニメ「きめつの刃」で、呼吸の大事さを説いていたのはこういうことか~、と気づきました。

 まず、先を見過ぎないで、一歩一歩を大事にする、眉間の皺は伸ばして、大谷翔平をイメージして、表情筋の緊張を緩和させて、深呼吸をしながら登りました。「アニメ「きめつの刃」の呼吸の基本型は、深呼吸のことやったんやな~」とつぶやきつつ、登頂しました。

 人生には、しんどいことが結構ありますけど、それ以上に、人は、考えすぎて、よりしんどく感じている。しんどいときこそ、先々を過剰に心配するよりも、目の前のことを大事にして取り組んで、表情は緩ませておいて、深呼吸して取り組むことの大事さに気づけた登山でした。帰りは、お寺にお参りして、美味しいお蕎麦と温泉につかって、より自然な深呼吸ができて、ケーブルで楽ちんに下山しました~。ありがたいことです。




2024年3月27日水曜日

夫婦関係で大切なこと

  僕は、児童精神科、精神科の専門医で、家族療法を大事にしているからこそ感じていることがあります。

 夫婦関係で、大事なことは、どっちが、正しくて、どっちが間違っているなどにこだわるとおかしくなります。そもそも夫婦は他人同士なんだから価値観が違う。お互い様だということを大事にすることがいいと思います。

 時代背景的に、特に男性陣は、頑張らないといけないステージにあると思います。そうした時代背景を、ちゃんと受け取って、我々男性陣は頑張っていきましょう。

 僕は、妻に「何でわからへんねん~」と思ったら、心の中で、震える機能が、40歳を過ぎたあたりから、搭載されるようになってきました。妻に、「何でわからへんねん~」と言ってしまいそうになったら、家を飛び出して、サウナに直行して、水風呂で頭を冷やして「分かり合えるわけないよな~」と、脳内を整理して、整えていきます。その後は、1週間くらい、夫婦の会話は途絶えます。でも、夫婦喧嘩は、台風と同じようなものなんで、過ぎ去ると、お互いの緊張感は少しずつ減弱し、徐々に喋るようになり、振り返ると何で喧嘩したのかを思い出せないことが多いです。

 夫婦関係は、各々の夫婦によって違うから、夫婦で一緒に作っていく共同作業です。先に、理想があり、そこを目指すとおかしくなります。理想にあてはめようとすると、「何で、あなたは、こうしてくれないの?」と勝手に被害的になったり、相手に求めてばかりになって、お互いの仲が悪くなるだけです。夫婦関係は、何年か経過したら、「くされ縁」という感じが、僕的にはしっくりきます。くされ縁という情がお互いに通って、何か一緒にいるとおいが安心する。いないと、何か落ち着かないし寂しい。それだけで十分だと思います。

2024年3月20日水曜日

結局仕事が、生きがいだし、好きなんだと気づかされます

 飲みに行ったり、いわゆる遊びとか息抜きをしても、僕の心のどっかは、自分の診療とかその関連の準備をしたくなります。結局、自分は、このクリニックで診療する。それが、とても好きなんだと思います。

 診療では、患者さんも僕も真剣です、その中で、患者さんの心が少し軽くなったり、笑ってくれたりすると、僕の心は、何より充足した気持ちになります。でも、一瞬だけのきらめきのようなもので、僕の診療上の心の動きとしては、無力感、徒労感、残念な気持ちになったりも結構多いです。でも、それもひっくるめて、僕は、自分自身が、この診療室で、生きていることを実感できている。

 他は、結局すべてここで感じることと比べると負けます。診療をさせていただき、生きがいを感じられて、僕は幸せです。

有り難い。この感謝を、僕の成長に活かしていけるように、まずは、サウナにいってきます。

 

2024年3月13日水曜日

過保護養育は結局は強くなる。過干渉養育は結局は弱くなる。

  「過干渉養育は、子どもが将来的には弱くなる。過保護養育では、子どもは将来的には弱くはならない、むしろ強くなる!」という印象が、日々の診療を通じて思います。

 「干渉」とは、自分がこうしたいという気持があるのに、他者が立ち入って、こうすべきだと意見したり、行動を強制したりすることを指します。(これが、全てダメということではなく、過度にということです。)

 子育てにおいて、なかなか子どもが宿題をしなかったり、ゲームやユーチューブをやめられなかったりして、親が干渉せざるを得ないのは理解できます。ただ、過干渉、つまり過度に、親が子どもに干渉すると、子どもは、長期的には、受け身的、消極的となり、親サイドからしたら「この子は、親が言わないと、何もしないんです。」という状態になってしまいます。なかなか、親サイドからしたら、色々焦ることもあると思いますし、怒りたくなることもあると思います。ただ、子どもが、将来、主体的、能動的に、前向きに生きていくためには、親も忍耐、我慢がいります。

 こうしたことの反対で、過放任養育も、過干渉と同様に「もう知らないからね~」も、結局、過干渉養育と同じです。僕は、自分の親に過保護に養育されました。僕は、子どもの頃、勝手に習い事をして、勝手にやめています。僕が、子どものころ、万引きしたときも、学校を停学になった際も、毎年受験に失敗した時でも、両親から、「ドンマイ!」と労いを頂きました。僕の両親は、かなり、過保護過ぎです。大学時代も、月1で、両親が、大阪から三重県に来て、掃除して、ご飯を作って帰っていきました。医大生のときも、僕は、懲りずにカンニンして、単位を失いましたし。だけど、過保護養育をすると、子どもの心に余裕を生まれ、子どもの内側にある、能動性、主体性を育み、自分が本当に何をしたいのか?に気づいて、主体的、能動的に動けていきます。(もちろん、この過保護という関わりには、個人差や特性などありますが)

 今度、一万円札になる渋沢栄一の両親も、過保護養育ですよね。渋沢栄一が、やりたいとしたことに、両親は、できる限りの応援をしており、渋沢栄一の父の談話で、「世の中、親孝行しない子どもを、親が憂うことをきくが、真の親孝行とは、子どもが成長し、立派になって、社会に孝行することだ。それを親が、誇らしく、嬉しく思うことが、真の親孝行だ。」という話をされていたと思います。僕の両親も、そう思ってくれていると思います。過保護に育ててくれて、いつも、応援していただき、両親には感謝です。

2024年3月6日水曜日

「自立」より「自律」!

  診療していると、患者さんによっては、彼氏ができると、すごく依存してしまうとか、アルコールとかゲームとかに依存してしまうという相談を受けます。

 人は、生きている限り、度々、自分で抱えきれないストレスやつらくなったりしますよね。それを、自分だけでどうにかしようとすると、悩みを抱えきれなくて、過度な依存になるリスクが高まると思います。自分自身が、困っていたら、誰かに「助けて~」とSOSを出して、諦めないで援助希求していければ、きっと誰かに出会うことができます。(この際に、できればホストとかより、医療機関とかにしてもらいたい~と作田の心の叫び)

 そうした、ちゃんと支えてもらう人を増やしていくことこそ、自分でどうにかすることよりも大事なことだと思います。それを「自律」といいます。

 自分で、できることは頑張って、誰かの役に立てたらいいけど、自分で、できないことや抱えきれないことは、誰かに援助希求して助けてもらえるようにして。自律的に生きていきましょう。精神科医療では、そうしたきっかけが、診断とか通院になります。

 僕は、患者さんの支援で人を巻き込むことが大事だと思っています。そのために、家族療法専門のカウンセラーや訪問看護、地域では、フリースクール、福祉や就労支援領域と連携しています。

 支援は、「点から線へ、線から面へ。面から円(縁)へ繋げていく」誰もが生きるのはしんどい、生老病死はしんどい。でも、そのしんどさを、分かち合って支え合うことができたら、人生は素晴らしいと思える。自分ができることは、限られているからこそ、多くのサポートを受けてお互いに助け合う部分は助け合いまょ!

2024年2月28日水曜日

マツコ・デラックスの言葉

  マツコ・デラックスの番組で、綺麗なOLの方が、結婚できない女として登場し「結婚できないんです~、独身で困っています~。どうしたら結婚できるでしょうか~?」とマツコさんに相談していました。その際、マツコさんは、その人に「あなたは、結婚できなかったんじゃない。結婚を選択しなかったのよ~。今のあなたは、あなた自身が、これまでしてきた選択の結果よ。自分が選んできたことなのよ~」とマツコさんが話すと、そのOL女子は妙に納得していました。さすが、マツコさん!ですね。

 人生とは、決断と偶然のくり返しで、今、ここにいる。人生とは、選択、決断、実行の3要素でなりたっている。その中で、選択が色々ある中で、自分が決めて進んできたことだと思えれば、「人は前を向いて生きることができるもんだな~」と感じました。

 僕も、開業して、開業前に思っていたよりも、経営や運営・診療もしんどい、時に「こんなはずじゃなかった~!」と思うこともあります。でも、自分で選択して進んできたことであり、誰かにやらされているわけではないので、しんどいけど、納得して日々励むことができています。自分で選択して決めたことだと思って生きるのって、とても大事なことですね。

 

2024年2月21日水曜日

心理治療の回復の過程

  治療過程で、関係不良な親子関係の中で、お子さんの親が、子どもに対して支持的になったり、お子さんを取り巻く周囲の環境がよくなった際に、親を含めた支援者サイドからみると、お子さんが、前よりも、「お母さん、僕と一緒に死んで~」とか、今までの、親に対しての恨みや怒りを、親にぶつけるようになったり、親御さんから、余計に子どもがひどくなったと狼狽されて相談に来られることがあります。

 治療的な観点では、これは、治療的には良い方向に向かっている。心理的な治療は、リフォームの匠のような、ビフォーアフターみたいに、線形で良くなるのではない。子ども視点で捉えると、今まで、親が怖くて、自分自身が言いたかったことが言えなかった、そうした抑圧を、親が許容し、優しくなり始めたら、子どもにとっての親への期待値があがるため、親に対しての抑圧から解放しはじめるのです。そうなると親は、狼狽したり、戸惑ったりしながらも、親自身も心の盾を持って、何とか耐えるのです。僕も診察で、親御さんに、これまで我慢してきたお子さんの想いに、お母さんもよく寄り添っていると労います。そして親御さんには、ここを再度、子どもに抑圧させる方向に転じたら、元の木阿弥です。「踏ん張りどころですよ~」と応援して、親子関係は、徐々に良い変化が生じてくる。子どもは反抗期、その時期は、親は動揺期です。徐々に親子の立場が変わって、子どもの背中に、親が後方支援していく形になっていく。子どもの成長は、線形ではありません。らせん形のようなもので、見方によっては停滞しているように見えても、ある日、急に成長を感じたりするものです。子どもを成長させるのが親の役割ではなく、子どもの成長を温かく見守るのが親の役割だと思って頑張りましょう。

2024年2月14日水曜日

いやんばいすの方言

 大河ドラマ「青天(せいてん)を衝(つ)け」で、「いやんばいす、いやんばいす~」という方言が耳に残っています。武州弁で、こんにちは~という意味で使われます。

いやんばい=いい塩梅(あんばい)という意味が入っています。

「いい塩梅」とか「ほどほど」「ぼちぼち」で日々を過ごすことがいいですね。それを挨拶に取り入れているのがいい。いい塩梅、つまり、自分に必要なものはさっと取り入れ、必要がない物は上手に捨てる。嫌な過去は忘れて、名誉や欲は手放して、苦しい人間関係からはサラリと離れる。ずっと抱えている悲しみや執着は手放して、良かったことも、適度に忘れる。

そうすると、自分が今したいこと、今感じていること、自分の「今」が浮かび上がってくる。自分で、できることはやるけど、できないことは人を頼って、誰かが困っていたら自分にできる範囲内で手伝う。人間関係の「ほどよきところ」を見つけて、生きやすい暮らしを見つけていく。さっぱりとした「いい塩梅」で生きましょう。いやんばいす、いやんばいす!

2024年2月7日水曜日

光合成の3条件は、光、水、温度。心を育むための3条件は?

 植物が、光合成をするために必要な3条件は、光、水、温度ですよね。

 心を育む3条件は?の答えは、主体性つながり自己有用感になります。

 中学生の患者さんで、テスト勉強期間になると、決まって選曲して、好きな曲を集めたアルバムみたいなものを作るお子さんがいて、それを親御さんが、勉強に支障があるからと止めさせたら、返ってテストの点が悪くなったと話されていました。これも、心を育む3条件で考えると、本人が主体的に選曲して、それを、級友から、賞賛されて、繋がりができた。それを、親から頭ごなしに否定されたことで、テスト前の心の状態が、不安定になったのかもしれません。

 また、ルービックキューブが好きな子がいて、好きでやっていたのに、それを5分以内に完成させたら100円あげると親が言うようになりました。しばらくすると、この子は、ルービックキューブをしなくなったのです。内発的な動機で、ルービックキューブを好きでやっていたのに、外発的な動機で、ルービックキューブをやると、内発的な動機が雲散霧消して、やる気がなくなってしまい、好きではなくなってしまった。これも、心の3原則でいうところの主体性を奪われてしまったためだと考えられます。

 だから、勉強しなさいとか、いい点とったら、○○を買ってあげるとかは、長期的には、無効もしくは、やる気をなくさせてしまうことが多い。心を育む3原則は、とても大事なことなので、小学校の授業とかで教えておいてほしいですね。

2024年1月31日水曜日

孤独ととらえるのか、気楽ととらえるのかは、紙一重

 最近、医師の集まりの勉強会があり、その勉強会の帰りに、久しぶりに、先輩と一緒に飲みに行こうと誘ったら、先輩は、同門の大学の先生達と飲みに行かれて、僕はふられてしまい、先輩から「さくちゃん、また、今度行こうな~」と、言われ、とぼとぼと1人で帰りました。正直、ちょっと寂しかったです。それに、僕は、医師会とか医局とかには、属していません。

 人は集団の中で、孤立を感じやすい。先輩は、ちゃんと医局や医師会にも属しているので、僕には、先輩が少しまぶしく感じました。でも、少ししてから考えてみると、先輩は、本当は、そうした飲み会に行きたかったのか?色々と付き合いで行かないといけないだけじゃないのか?僕は、先輩に振られた後に、好きなラーメン屋にいって、サウナにいって「気楽と捉えるのか?孤独と捉えるのか?は、結局は、自分次第なんだな~」と思いました。

 僕は、自分のやりたいことに集中できているし、集団や社会に、無理してまで属する必要はない。だから、気楽なんです。それに、必要になったら、誰とでも飲めるし、繋がれる。人は、どこまでいっても、孤独なんだから、それを受け入れて、気楽に生きていければいいと思った1日でした

2024年1月24日水曜日

トイレのフローリングのパラダイムシフト!

  開業して半年が経過し、トイレのフローリングの汚れが気になるようになりました。たまに、一生懸命に雑巾で拭くと、その汚れは取れるんですけど。また、数日で、汚れが浮き出てくる。しかし、数か月前に、ここに、蜜蝋ワックスを塗ってみたらどうなるかな?と思って、ワックスを塗ったら、ずっとコーティングされてきれいなままです。こういうことって、周囲の方からしたら、当たり前のことかもしれないですけど、僕にとっては、どうにかして汚れをとらないといけないと思っていたのに、反対に、ワックスでコーティングしようというのは、自分的には逆転の発想だったのです。これで、5年くらい前から悩んでいたフローリングの汚れを解決できました。

 この逆転の発想って大事だと思うんです。診療を通じても、結構、こうした逆転の発想に、患者さんが気づいてくれることもありますけど、それは、患者さん自身の受け入れられるタイミングもあるし、こっちも、そこにピンとくるタイミングと合わないと起きないんですけどね。

 こうしたパラダイムシフト(ガリレオガリレイの時代の、天動説から地動説に変わること。)って、人生において、大事ですよね。今日は、当クリニックのトイレのフローリングで起こったパラダイムシフトを報告させていただきました。

 

2024年1月17日水曜日

やりたいことを見つける

 僕が医師を目指したきっかけは、漫画でした。しかし、苦労して医大生になって、研修医になってみると、漫画の世界のような医師にはなれないことが分かり、そこから、諦めていきました。

 まず、手術とかは、僕は好きじゃないので、外科医は諦めました。小児科領域の色々な病気とか、特に先天性心疾患とか覚えられないし、頭に入りにくいから小児科医は諦めました。医大生の頃から、精神科領域は、すごく学べるし、15年精神科医をしていますが、未だにこの仕事は、飽きないし、ずっと学び続けられるし、実践して、反省して、とてもやりがいを感じられています。これも、自分の得意、不得意とかを見定めて、諦めることで、たどり着いた職業です。精神科領域の中でも、僕は実践する診療が好きで、教育や研究には、あまり興味を持てなくて、大学院なども進みませんでした。

 日々諦めることを能動的に、積極的にしてきたからこそ、できることを伸ばして、やりたいことを人生の中心において、いきることができる。学校では、諦めないことばかりにフォーカスをあてて教育しがちだけど、仏教的には、あきらめるとは「明らかに見る」という意味で、自分自身が、本当に大切にしたいものを明らかにするという前向きな行動とされています。どんどん、能動的、積極的にあきらめて、その結果、自分のよさをみつけて、生きやすくなっていって欲しいです。

2024年1月10日水曜日

世界に一つだけの花の誕生秘話

  日本を代表する歌「世界に一つだけの花」の作詞・作曲を手がけた槇原敬之さんは、薬物違反で執行猶予の有罪判決を19993月に受けました。その後、寺で謹慎していた槇原さんに、住職が浄土真宗で、よく勤められる『仏説阿弥陀経』の一節、「池中蓮華 大如車輪 青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」という部分を説いたとされている。大意は「浄土ではさまざまな花が咲いているが、それぞれが、それぞれの個性の上に無上の尊厳を認め合い存在している。」ということで、この経文に槇原さんが感銘を受けて『世界に一つだけの花』の歌詞が誕生したそうです。

「(極楽浄土の)池に咲いている蓮の花は、その大きさが車輪のようであり、青い花は青い光を、黄色い花は黄色い光を、赤い花は赤い光を、白い花は白い光を、それぞれ放つ。」

 つまり意味は「世界に一つだけの花」と同じ様に「赤い花が、青い花になる事はないし、なる事も出来ない。」というような意味です。歌詞の「世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい。」という部分と対応しています。

 青い花として生まれたのに、白く光ることを強いられたり、赤い花として生まれたのに、黄色く光らなければならなかったり。仏教が目指す人の幸せな世界である浄土は、生まれたままの私が、まるごと受けいれられ、本当に自分らしく輝くこと、が出来ることなのです。浄土には、いろんな種類の花が咲いているが、それぞれが、各々の個性を認め、尊重しあって存在している、ということです。そうした、自分という個性や特性を、大事にして、それが社会に活かされて、各々が自分らしい花を咲かせて、自分も他者も認め合えるような社会を目指せることが浄土への道だと思います。

 僕も、この診察室という狭い場所ですけど、「世界に一つだけの花」「NO.1にならなくてもいい、もともと特別なOnly one」と思って、今日は、歌うように診察してみようと思います。だから、今日だけは診察室で、急に歌いだしても、許してください。

2024年1月3日水曜日

令和6年度もよろしくお願い致します。

  当院7回目の新年を迎えました。今年も健康的に1年間を歩んでいきたいと思っています。今年の目標は、来てもらった患者さんが、少しでも楽になれるように、そうしたお手伝いをすることを大事にしつつ、できる範囲で、講演会を開いていきたい。また、個人的には、子ども達が、受験となる年になります。なるべく、親としてサポートしていきたいと思っております。本年も、どうぞよろしくお願い致します。