2020年7月2日木曜日

浦島太郎伝説についての僕なりの解釈

非常に有名な伽話(おとぎばなし)である「浦島太郎」は、皆さんもご存知だと思います。

ざっくりと一般的に知られているあらすじをご紹介すると、浦島太郎が亀を助けた恩返しとして海中にある竜宮城に連れて行かれ乙姫らの饗応を受けます。
故郷のことが心配になり帰郷しようとした浦島太郎に「決して開けてはならない」と念を押されつつ玉手箱を渡され帰ります。
帰り着いた故郷では、竜宮で過ごした時間より遥かに長い年月が経っており、失意の余り玉手箱を開けてしまった浦島太郎は、白髪の老人になってしまう。というお話です。

ここからは、このお伽噺の僕的な解釈です。
竜宮城という、物質的な豊かさによって、人は人間的な成長はしないということがテーマだと思っています。
浦島太郎は、竜宮城という夢から醒めて、いざ、現実に戻ってきました。
これは精神科的な用語でいうところの直面化という状況になります。
つまり、今まで竜宮城で感じずに済んでいた「生老病死」と向き合ったことにより、それに耐えられなくて受容が困難となり、自ら命をたってしまったというのが、僕なりの解釈です。

ここから学ぶこととして、人は問題と向き合っている時こそ、成長しているということです。
そういう苦しみの中でしか、人は精神的に成長していけない。そして、その成長の意味は、最終的には、死ぬことの受容なんだと思います。

僕は勤務医時代に、患者さんが亡くなるまでサポートをさせていただいた経験があります。
勿論のことですが、患者さんごとの身体の状況や、またそのご家族のとりまく状況はそれぞれで、患者さんらは、綺麗ごとではない各々の受け止め方で、リアルな受容をしていかれたように思います。
そして、これは個人的なものの見方ではありますが、僕がサポートさせていただいた患者さんの亡くなられたお顔は、安らかな、まさに「受容」されたような表情がそこにありました。

新型コロナウイルス感染症の影響も、まだまだ終息とは言い難い状況が続いています。
そうじゃなくても、生きているだけでしんどいですよね。
でも、その苦しみには、きっと終わりが来ます。

少なくとも、浦島太郎の竜宮城のような世界に、一時的にいたいという願望はありますけど、今、抱えている問題に、自分なりに向き合って、いつかくる「死」を受容できるようになることが、人生の真の豊かさだと信じて生きていきたい、そう思います。