新型コロナウイルス(COVID-19)の影響により、世界中の誰もが経験したことのない状況が続いています。
日本でも、各都道府県ごとの感染状況や生活に係る措置が、連日メディアで 報じられています。
既存薬剤の有効性を検討する試みも進行中のようですが、残念ながら現時点においては確立した治療法は見つかっておらず、私たちは正に感染蔓延期の真っ只中に差し掛かろうとしています。
今でも全国各地の神社仏閣には、昔から「疫病退散」を祈願してきた祭りや伝承が受け継がれていることをみればわかるように、日本人は、過去に流行り病(感染症)と幾度となく闘ってきました。ごく身近な例でいうと、節分の豆まきなどは、天然痘をはじめとする感染症など疫病に関連があるとされた説があります。
また、日本は地震や豪雨など、世界的にみても災害多発国として知られています。
無論、ひとつとして同じものはなく、同じ災害であっても経験は様々であり災害の状態や受け止め方は環境や状況により違うものです。
僕らの世代の人たちは、高校時代の頃に、阪神・淡路大震災を経験しました。
当時、僕の両親は作田整骨院という整骨院を開業していたのですが、スタッフ全員が被災者でありながらも、スタッフ全員休むことなく、災害の翌日からずっと診療を続けていました。
僕を含め作田家の子どもは、独居の高齢者の家を親の指示で訪問し、安否を確認したりなど、微力ながら被災支援としてのお手伝いをしたのを覚えています。
正直なところ、思春期だった当時の僕には使命感もなく、自ら率先して「していた」わけではなく、 正確には、親の言いつけに逆らえず「させられていた」という感じでした。
また、自分の回りの人たちが、怪我もなく無事であり、被災支援をしていることで、気持ちのどこかで「他人事」のように思っていたのかもしれません。
でも、今このような状況になり、直接的に何か特別なことはできないかもしれませんが、こういう時だからこそ、普段と変わりなく診療をし続けたいと思っています。
日本の医療制度においては、国民皆保険制度により、全ての人に医療を受ける権利が保障されています。
言わば「国民がいつでもどこでも必要なときに医療サービスへアクセスできる状態を提供するインフラ」であるのです。
こういう時でも日常と変わらず、生活基盤の一部として出来る限り存在し続けていたいと思います。
もちろん、当院のスタッフが感染してしまったり、そうした疑いがあれば、速やかに診療を停止し、休診をすることも責務だと思っています。
こういう状況において、また過去の災害の経験を思い出し、今の自分の状況や環境、役割や立場で、何が出来るのか、また何をすべきかを考えていた時に、ふと、阪神・淡路大震災の翌日から、淡々と仕事をし続けていた両親の背中を思いだします。
改めて、診療を続けていきたい、淡々と。
そういう思いです。