2018年10月25日木曜日

子供の成績ばかり気になってしまうんですけど?という親御さんの問いかけに、自分自身が感じていること...

社会全体が急速に合理化、功利化して、外からの評価に重きをおく成果主義の文化が浸透してきています。また、教育においても早期教育などの影響から、夜遅くまで塾に行っている子どもが多い状況が気になります。この世は競争社会で、ある程度の意欲と粘り強さのある子どもが、やる気のない子よりも成果をおさめるのは事実です。

しかし、早期から競争を意識した勉強をしていくことで、世の中は意味のあるもので埋め尽くされていると錯覚してしまうのではないか?と危惧します。
親が一番大事にしていることとして「良い学校に行くこと」や「優等生になること」だと思っている子どもは、簡単には評価されたり認められたりしない功績に目をむけなくなってしまいます。

子どもは、物事をどう感じるかを自分で確かめ、自分がよくやったかどうかを外からの評価だけでは判断しないようになると意志が強くなり、仲間の影響を受けにくく、たとえ人から疎まれるようなことでも正しいと思えば進んでやろうとします。
ですので、子どもには優れた成績のしるしである賞状はなくても、最善を尽くすことに大きな価値があることを伝えることが大切です。
子どもが何を大切だと考えるかは、親である我々に強く影響されます。外に現れる成果が一番大事だと教えれば、当然、子どもは人より抜きんでるために近道を探すでしょう。
我々、親の立場としては、好奇心と“わくわく”する気持ちと熱意をもって生きて欲しいと、子どもに伝えましょう。
人生を楽しむために生まれてきたのであって、人を押しのけて生きるためにここにいるのではないと教えることが大事です。

2012(平成24)年のNHK大河ドラマ『平清盛』の題字や、 建長寺や建仁寺、東大寺、中尊寺、厳島神社など、全国各地で奉納揮ごうを開催している、天才書道家でダウン症の金澤翔子さんという方がいます。
その天才書道家の金澤翔子さんと、自身も書道の専門家であるお母さんの金澤泰子さんのメディアでのインタビューの中で、母親の泰子さんからみて娘である翔子さんの書のどこがすごいのかを解説している談話があり、こうおっしゃいました。
『私の方が技術的には上だけれども、私の書に感動して涙を流した人はいません。
しかし、娘の翔子の書を見た多くの方が涙を流して感動してくれるんです。
「質」が違う。
つまり、社会に影響されることなく、純粋な感性が伸びたんでしょう。
上手に書を書いて誰かに褒められたいとか、そういった世俗の欲に染まっておらず、無心だからだと思います。
社会とは距離があったからこそ、社会の枠組みに影響されなかった。
無理に社会に入れようとすれば、学校の成績が悪ければ落第生であるかのように言われます。
でも、それは今ある社会を前提にして考えてしまっているからであって、その社会の枠組みを取り外してみたらいいんです。
世の中にある、争い事やなんかを考えてみても、そんなものは本当に人類が作った「幻想の社会」のようなものを前提に物事を考えているから起こってしまうことだとつくづく思うんです』
と話されていました。

ここから、母である泰子さんが、障がいのあるお子さんをお持ちの親御さんに伝えたいこととして感じたのは、お母さん自身が娘の翔子さんを無理に社会に入れようとしなかったように、無理やり社会に入れようとしなくてもいいんじゃないか?ということです。

また、お母さんの泰子さんは、こうもおっしゃっています。
『社会の構造を取り払ってしまえば、頭が良いとか悪いとかという価値観も取り払われるはずです。
そうすれば「うちの子は他の子よりも劣っているのではないか」だなんていう考えも無くなります。
そもそも、子どもに優劣なんかありません。
その子がこの世に生を受けたこと自体が奇跡なんですからね。』

そして、こう続けます『子どもが今ここにいるだけで十分じゃないですか』って。

『社会の枠組みさえ取り外せば、その人その人の存在は肯定されるはずなんです。
私のこうした世界観は、翔子が居てくれたおかげで築けたので、私にとっては今が一番幸せです』と。

すごく、胸が温かくなるコメントだと思ったので、ブログで共有したいな~と思いました。




2018年10月18日木曜日

依存症者が、なぜ再飲酒又は再使用するか?

今回は、松本俊彦先生(国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 薬物依存研究部 部長)の講演で話されていた内容を基に、僕が実際の診察室で感じていることを、自分なりの理解も併せ、治療的に大切だと思う部分を紹介させていただきます。

アルコール依存症で当院に通院されている患者さんで、離脱症状との苦闘を乗り越えて断酒を手に入れ、1年間という長期に渡って維持してきたのに、実に些細なきっかけで再飲酒してしまう。これは、依存症の患者さんではよくあることです。
再飲酒の多くは、患者さんの精神状態が比較的落ち着いている時期、特に悩み事のない時期に「もう大丈夫」と安堵したり、退屈を感じたりしたときに突然生じます。

なぜ、再飲酒をしてしまう患者さんは、平和な生活をうち捨てて自ら進んで苦痛の中に飛び込むのか?
それは「長く続く苦痛しかもたらさない」物質摂取行動でさえも、基底に存在する苦痛の緩和に役立っている可能性があると、ハーバード大学医学部で精神科の教授を務めるエドワード・カンツィアンらは指摘しています。

嗜癖行動は、人生早期から生涯にわたって心を蝕む無力感に根ざしたものである。長期間持続する感情状態は自己感覚を損傷するが、嗜癖行動は、その人が抱える無力感を反転させ、パワーとコントロールの感覚を、再確立することで、一時的に好ましく感じる自己感覚をもたらすことがある。と、同じく ハーバード大学医学部で精神科の教授であり依存症治療の専門家であるランス・ドズは述べています。

つまり、依存症の患者さんは、自分には理解できない不快感を、自分がよく理解している物質が引き起こす不快感と置き換えることで、「コントロールできない苦痛」を「コントロールできる苦痛」へと変えているのだと、エドワード・カンツィアン教授らは主張しています。

これらハーバード大学医学部の教授らの指摘や主張は診療において、過食・嘔吐や自傷行為といった自己破壊的にみえる嗜癖行動を理解するのに役立ちます。
自傷を繰り返す理由に「心の痛みは意味不明で怖いけど、身体の痛みならば、ここに、傷があるから当然だと納得できるんです」と患者さんが答えている言葉と合致します。
この言葉はまさに「コントールできない苦痛」から「コントロールできる苦痛」に置き換えるプロセスであることがわかります。

依存症の患者さんたちは、周囲の人に助けを求めることをあまりしません。
この援助希求の乏しさは、実際に援助を求めて傷ついた経験を重ねていたり、そもそも誰かに援助を求められない環境で生育されてきたことが影響している場合があります。
ですので、多くの依存症の患者さんは「安心して人に依存する」ことができません。
幼少から持続的な苦痛のなかで体得した「苦痛否認の機制」つまり、「大丈夫、俺は痛くない、傷ついていない」と、自分に嘘を繰り返すことで確立した「心の鎧」を持って生き延びてきたのかもしれません。

我々支援者は、依存の症状にばかり目を向けるのをきっぱりとやめなければいけません。
「依存症」ではなく「つながり」と呼ぶべきです。アルコール依存症者は、アルコールとつながっています。
それ以外のものと十分につながりを築くことができなかったからです。
依存の反意語は自立ではありません「 人と人のつながり! 」ですね。



2018年10月11日木曜日

親が子育てで自分を責めているのは、わが子を責めているのと一緒です。

今回は、前回のブログの補足です。
〈前回のブログ ⇒ 子どもが、失望を乗り越える支援

診察場面で、『私の育て方が悪かったせいで・・・』と、不登校や問題行動が頻発している子どもの親御さんが、過去の自分の子育てを責めておられる発言をよく耳にします。
そうした際での子どもの様子は、余計に深みに入って病状が改善しないことが良くあります。

これは、お母さん自身が自分の子育てを間違っていたと反省することで、
子どもにとっては『自分は、お母さんにとっては失敗した子どもなんだ』と、子ども自身の自己否定感情が強まり、
親には『自分なんか、おらん方がいいんやろう(いない方がよいだろう)』と、攻撃的な言動を認めたりします。

つまり、親が自責的になることで子どもを攻撃していることになり、子ども自身も自責的になり親を反対に攻撃するという悪循環を生んでいるのです。

こうした時は、まずは、「お母さんが少しでも楽になるにはどうしたらいいか?」を話し合います。
そして「まあまあいい(そこそこ良い)お母さん」でいることの大切さを共有し、母親自身が自らを追い込まないようにサポートすることや、子育てを失敗したと考えることで、2次的に子どもが傷ついてしまうことに気づいてもらうように働きかけています。

子どもは心の奥底では、親に自分のことを誇りに思ってもらいたい、と必ず思っています。
たとえ親が、いつも子供の要求に応えられるわけではなく、子どもが望むような許可を与えられなくとも、子どもは自分があるがままで親に愛されるべき存在であり、親にとってはかけがえのない存在であることを知っていなければなりません。

大切なのは、親がどう関わるかで、そこから子どもは自分が大切な存在であるとわかっていきます。
そのためにも、親も自分の子育てを “まあまあ” で、あまり責めすぎずに “ぼちぼち” でいきましょう。



2018年10月4日木曜日

子どもが、失望を乗り越える支援

下記はあくまで仮想の患者さんと親のやりとりです。そこから大事なエッセンスをとりあげたいと思います。

詳細は、エックハルト・トールの「子育て」の魔法 スーザン・スティフェルマン著、徳間書店、1800円(税別)を、参照してもらえるとありがたいです。

A君は、不登校が長期化し、家で傍若無人になり1日中ゲーム三昧で、自分では変えられなかったり思うようにならないことがあると直ぐに感情を爆発させてしまいます。
A君が、不登校だったり、自分が発達障害などがあることをあるがままに受け入れられるようになるには、

【拒絶】⇒【怒り】⇒【交渉】の3つの段階の末に ⇒【失望】⇒【受容】に至る。
(キュブラー・ロスの「死の受容モデル」の引用より)

両親は、当初A君に大きな失望を感じさせまいとしたせいで、A君は悲しみの最初の3段階(【拒絶】【怒り】【交渉】)から先へ進めなくなっていました。
両親は、A君のイライラが激しくなると、たいていA君の言うとおりにしてしまうので、A君は何かをして欲しい時は、まず【拒絶】から始めます。
そして、両親が「ダメ」と言っても「折れて、イエス」となることを過去の経験からわかっており、いくら両親が強く「ノー」と言っても拒絶します。
そして両親が負けじと戦いが始まり、激しい【交渉】となり、結局は両親はA君に屈してしまいます。

A君が、自分では変えられなかったり思うようにならなかったりするものに出くわすたびに直ぐに感情を爆発させてしまうのは、子どもは、欲しいものが手に入らなくて悲しいと感じることができない限り【受容】の段階に進むことはできません。航海に例えるなら、両親がA君に対して「船長」としての役割を果たすためには、 まず両親自身の内面にしっかりと「錨(いかり)」を下ろし、息子の「悲しみ」や「失望」に耐えられる必要があります。
そのため、診察でご両親に尋ねました。
「A君は、どんなふうに思うでしょうか?両親が自分に悲しい思いをさせまいと何でもしてくれるとしたら、A君自身には失望を乗り越える力があると信じてもらっていると思うでしょうか?」

この発想は両親にとって衝撃的で、両親は徐々に気づき始めます。
A君自身の問題を親が代わって解決しようとしたり、言葉でごまかして怒りをなだめようとしたりするのは、A君に
「おまえには、人生が思い通りにならないときに、自分で何とかする力があるとは思えない」
と言っているのと同じだということを。

その後、両親がA君の心を傷つけることに対する不安を探り、もっと自信をもってA君の激しい気性に向き合える方法を考えていきました。
たとえA君が望みのものを手に入れられなくても、親に解ってもらえたと感じられるような話し方をするようにしました。

例えば、
「ダメよ、夕食にクッキーなんて!」(ダメというのは、多くの子供を怒らせる言葉です)
というのではなく、たわいない要求に対決の姿勢にならずに答える。
「夕食にクッキー!楽しそうね!今度、あなたの誕生日にやってみようか?」
といった感じで。

両親は、これまでより多くの時間をA君のそばで過ごすようになり、A君が求めていた親子の触れ合いやつながりを感じられるようになりました。
そして、A君は自らもっといい子になって両親を喜ばせたいと思えるようになっていきました。

この過程の中で気をつけないといけないのは、多くの親は自分が理想とする親の基準に達してないと自分を責めずにはいられない傾向があります。親が自分を責めると親自身が傷つくだけでなく、子供も親に罪悪感や恥ずかしさを感じさせないよう、自分がいい子にならなければというプレッシャーを感じてしまいます。

徐々に両親は、息子に対する対応でつまづいたり失敗したりする自分を、自分で許すように努力しました。自分たちが息子に対して至らなかったことを認め、息子の感情を理解し、必要な場合には息子に謝る。そうすれば子育てで大変なことがあるたびに自分たちの根性が試されるなどと考えなくなる。
子どもが、自分の力で失望を乗り越えられる、強く、順応性のある、自立をしていくためには、親が境界線を決めてやることが大切なのです。