2020年4月2日木曜日

ペルソナとシャドウの関係

皆さん「ペルソナ」という言葉をご存知ですか?
何かのおまじないのような言葉ですが、元々は、古代ローマの古典劇において演者が身につけていた「仮面」を意味していた言葉です。

私たちは意識してか無意識かに関わらず、その時の立場や場面に合わせて振る舞いや態度、行動を変えています。
心理学の世界において「ペルソナ」という言葉は自分の外的側面、つまり「周りの人に対して見せる自分」という意味で用いています。
私たちは普段の生活で、各々の程度はあれ「ペルソナ」という「仮面」をつけて、その都度、役割を演じながら社会生活を送っているといってよいのではないでしょうか。

例えば僕はというと、診察室では「医師」という「仮面」を被っていますし、家に帰ると「親」「夫」という具合です。
皆さんもそうですよね?
さらに言うと、僕の場合はこうしたブログでは「精神科医師としての外的側面」で作成しているわけです。
重複となりますが、こういった時と場合に応じた役割を心理学においては「ペルソナ(仮面)」と表現しています。

その一方で、外面である「ペルソナ」を「光」とした場合、「影」の部分が「シャドウ」です。
「光」が強くなりすぎると自分の欲求や感情が抑圧されるようになります。

「ペルソナ」を作る過程で受け入れられない考え方や感情を心の底に押し込めて「なかったこと」にしており、その切り離された自分の一部分が「シャドウ」です。
心理学では、人間は必ず「表・光」の性質と正反対の「裏・影」の両面の性質を備えていると考えられています。
とても明るい性格の人でも暗い性格の部分が全くないというわけではなく、人前では暗い部分の性格を見せていないだけだといえます。

僕自身の人生を振り返ると、医師としてまだ若い頃、とにかく自分なりに過剰適応的に、つまり過剰に外面を意識し、必死にその環境の中で馴染むように頑張っていました。
特にその頃は、めいっぱい外では明るく元気良く「ペルソナ」を分厚くして、無理に外面を良くして頑張っていました。
でも家に帰るとその反動で、何もする気がおこらず、自分勝手で、家族に対して高圧的になっている自分がいました。
あくまで可能性であり、想像でしかありませんが、おそらく、この状態が行き過ぎていたら最悪の場合DVになりかねなかったのではないかと、改めて振り返ると肝を冷やす思いです。
その当時、「ペルソナ」がかなり分厚く覆われることで「シャドウ」の部分が家庭で大きくなっていくのを感じていました。

これを僕自身がどうやって乗り切ったかというと、とにかく時間と経験を重ねる他ありませんでした。
これはその当時だけではなく、今もなお、まじめにコツコツと日々の生活を送り「無理をしないようにすること」「自分や家族を大切にする時間をもつこと」をきちんと意識するようにしています。
なるべく自分をセルフモニタリングするように意識していますが、これは自分自身での判断は困難です。
手前味噌ですが自分の周りにいてくれている人達の反応を見る限りでは、そんなに悪くない状態だと思っています(笑)
なるべく、自分の中の「ペルソナ」「シャドウ」を意識し続けておくようにしておきます!