2020年4月30日木曜日

こういう時だからこそ、僕は診療を続けます

新型コロナウイルス(COVID-19)の影響により、世界中の誰もが経験したことのない状況が続いています。
日本でも、各都道府県ごとの感染状況や生活に係る措置が、連日メディアで 報じられています。
既存薬剤の有効性を検討する試みも進行中のようですが、残念ながら現時点においては確立した治療法は見つかっておらず、私たちは正に感染蔓延期の真っ只中に差し掛かろうとしています。

今でも全国各地の神社仏閣には、昔から「疫病退散」を祈願してきた祭りや伝承が受け継がれていることをみればわかるように、日本人は、過去に流行り病(感染症)と幾度となく闘ってきました。ごく身近な例でいうと、節分の豆まきなどは、天然痘をはじめとする感染症など疫病に関連があるとされた説があります。
また、日本は地震や豪雨など、世界的にみても災害多発国として知られています。
無論、ひとつとして同じものはなく、同じ災害であっても経験は様々であり災害の状態や受け止め方は環境や状況により違うものです。

僕らの世代の人たちは、高校時代の頃に、阪神・淡路大震災を経験しました。
当時、僕の両親は作田整骨院という整骨院を開業していたのですが、スタッフ全員が被災者でありながらも、スタッフ全員休むことなく、災害の翌日からずっと診療を続けていました。
僕を含め作田家の子どもは、独居の高齢者の家を親の指示で訪問し、安否を確認したりなど、微力ながら被災支援としてのお手伝いをしたのを覚えています。
正直なところ、思春期だった当時の僕には使命感もなく、自ら率先して「していた」わけではなく、 正確には、親の言いつけに逆らえず「させられていた」という感じでした。
また、自分の回りの人たちが、怪我もなく無事であり、被災支援をしていることで、気持ちのどこかで「他人事」のように思っていたのかもしれません。

でも、今このような状況になり、直接的に何か特別なことはできないかもしれませんが、こういう時だからこそ、普段と変わりなく診療をし続けたいと思っています。
日本の医療制度においては、国民皆保険制度により、全ての人に医療を受ける権利が保障されています。
言わば「国民がいつでもどこでも必要なときに医療サービスへアクセスできる状態を提供するインフラ」であるのです。
こういう時でも日常と変わらず、生活基盤の一部として出来る限り存在し続けていたいと思います。
もちろん、当院のスタッフが感染してしまったり、そうした疑いがあれば、速やかに診療を停止し、休診をすることも責務だと思っています。

こういう状況において、また過去の災害の経験を思い出し、今の自分の状況や環境、役割や立場で、何が出来るのか、また何をすべきかを考えていた時に、ふと、阪神・淡路大震災の翌日から、淡々と仕事をし続けていた両親の背中を思いだします。
改めて、診療を続けていきたい、淡々と。
そういう思いです。



2020年4月24日金曜日

【参考情報】新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の見解等(新型コロナウイルス感染症)

 「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(2020年4月22日)

【厚生労働省ホームページ】
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00093.html

新型コロナウイルス感染症対策専門家会議が、現状の状況分析を行い、分析した結果をまとめた「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」を公表しました。

新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(新型コロナウイルス感染症対策専門家会議)
(参考資料1)人との接触を8割減らす、10のポイント
(参考資料2)新型コロナウイルス感染症の患者数が大幅に増えたときの相談・受診の考え方
(概要)新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言


2020年4月23日木曜日

子育てで大事なことは、共有スペースが明るいかどうか?

新型コロナウイルスの自粛要請で家にいることがかなり多くなりましたね。
こうした状況になり、子どもたちの心の健康発達で一番大事なのは、共有スペースが明るいかどうかを気にすることです。
僕は普段の診察においても、家の中で家族が集まる部屋、例えばリビング(居間)や家族みんなで食事をとる部屋いわゆるダイニングに健全性があるかどうか?を気にしながら診察をしています。

子どもらの症状として「家庭で切り替えられない」「癇癪(かんしゃく)が激しい」「こだわりが強まっている」などと親御さんから相談をされますが、そうした症状化の背景に「夫婦仲が悪い」とか「お母さんが不機嫌になっている」などの影響を受け、子供の症状が強まるというケースが多分にあります。

子どもは親が思っている以上に、感じている以上に親のことを見ていますからね。

親御さんは、まずは自分の心身のバランスのセルフチェックに気を付け、できるだけ親自身が無理をしないように生活をしていきましょう。
もし、親御さんが感情的に子供を怒っている時は、自分のストレスがデッドライン(限界)にまで達している可能性があります。
できるだけ無理しないようにしていきましょうね。

もしよければ、過去に掲載したブログも読んでみてください。 
ほんの少しだけでも気持ちが楽になっていただければ幸いです。




2020年4月16日木曜日

落ち着くことの大切さ

人生、山あり谷ありという言葉がありますが、人の人生には波があります。
誰しもが紆余曲折あり、上昇、下降を繰り返し経験して日々生活していることと思います。
精神科に通院されている方の多くは、人生の谷の部分、やや下降傾向にさしかかった時に受診されることが多いかと思います。

新型コロナウイルスの影響により、まさに谷の部分と感じておられる方もいらっしゃるかもしれませんが、日本だけでなく、世界中が未曾有の不安を覆う中で、先日、緊急事態宣言の発令がありました。
色んな情報が錯そうし厳しい状況が続く中、個人的にも日本人の一医師として、また地域の開業医として新型コロナウイルス関連の情報は注意深く追っている日々が続いています。

現状までの経緯の一部分をものすごく簡単にまとめると、日本の人口の約1億3千万人の内、約1,000人程度の方がコロナウイルスに罹患した段階、つまり、それが多いか少ないかは別にして約13万人に1人の方が感染した状況で、全国一斉に学校が休校になり、総理大臣が不要不急の外出を控えるようにという判断をくだしました。
勿論この判断をどう思われるかは人それぞれで、皆さんの状況や立場、経済的な側面など、色んな影響を少し考えただけでも枚挙に暇がありません。

ここからは職業病とでもいいましょうか、あくまで問題対処の方法論として、精神科医の僕が個人的に感じたことですが、仮に新型コロナウイルスの感染が減少傾向になったら、この総理大臣の判断は心の問題対処にも似ているな、と感じました。
もしかすると、心の状態が下降線となったことがきっかけで当院に受診されることになった患者さんと、この判断により新型コロナウイルスが減少傾向になった場合の下降線の曲線は似ているかもしれません。

問題対処の方法の一つとして、無理して頑張るよりも、しっかりと休息をとり、より下降線に落ちていくことの方が、治りが早い場合があるということです。
もちろん、これは各々の状態やケースによって違いますが、それを「落ち着く」ということなんだと思います。
この「落ち着いている状態」を精神科的には治療期間というのであって、そこをちゃんと理解し休養することを本人自身も受容していく方が、結局は回復が早くなるケースがあります。

ところが患者さんの中には、できるだけ早く回復をしようと焦ってしまい、折角、休養という選択をしたにも関わらず「本当は休養なんてしている場合ではないのに」とか「こんな時に休養するなんて何てダメなんだ」というふうに自己否定や、他者否定が強まり、心理的な緊張が強まっていくことがあります。
自宅で休養していても、心理的緊張が高い状態、いわゆる「精神的過労」の状態で経過しているため、患者さんの中には回復軌道に乗っていかないといった状態を呈しておられる方もいます。

不要不急の外出自粛要請での近いケースを想像すると、気持ちが先行して外出をしてしまい、最悪の場合、新型コロナウイルスに感染してしまう結果となると目も当てられない状況になってしまうばかりか、感染させてしまう状況にすらなってしまう可能性を感じています。

こういった経験を踏まえて、こういう時こそ、徐々に落ち着いていくことを切に願いながら、まずは「落着き」「頑張らないことを頑張る」ということを少しだけ意識してもらえれば、と応援させていただきます。



2020年4月9日木曜日

マザーテレサの手紙

以前、当ブログでも少し紹介しましたが、僕は、大学生時代に色んな国にバックパッカーの旅をしていました。
インドのコルカタ(旧カルカッタ)という都市を旅していた時に、 路上で死にそうになっている人を連れてきて、最期をみとるための施設「死を待つ人々の家」や、孤児のための施設「聖なる子供の家」でボランティア活動をした経験があります。
因みに、これらの施設にはボランティア参加者が世界各国から集い、日本からの参加者の多さも印象に残っています。
これらの施設は、カトリック教会の聖人であり、修道会「神の愛の宣教者会」の創立者のマザー・テレサにより設立されました。
献身的で犠牲的な奉仕活動によって世界中の人々から讃美と敬意を集め、1979年にはノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサは、死後もなお、生前残した言葉は名言として語られ、世界中で尊敬を集めている偉大な方です。

しかしそんな印象とは裏腹に、マザー・テレサ自身が親しい神父たちに宛てた手紙は、ノーベル平和賞での感動的なスピーチやこれまでの名言集では語られなかった「心の闇」についての苦悩そのものでした。
その手紙の内容の多くは、皆が知るマザー・テレサのイメージとは真逆の考え方や感情、信仰に対する矛盾や疑念などを赤裸々に訴えるものでした。

前回のブログで「ペルソナ」と「シャドウ」について少しご紹介しましたが、「ペルソナ」という表現をあえて使うなら、これも聖人としての役割があまりにも大きくなりすぎて、「シャドウ」としての心の闇という苦悩も同じくらいに大きくなっていったのではないでしょうか?

社会的に偉大な功績を残した人が特別というわけではなく、誰しもがその両側面を持ち合わせているということは前回のブログでも述べさせていただきました。
例えば、DV夫と呼ばれる人の多くは外面が良く、外では優しく、真面目で、良く気がつく人が多いように思います。
その反面、家では「シャドウ」として、亭主関白で、家では何もせず妻との衝突が大きくなるというケースが往々にしてあります。
治療的には、ほどほどの「ペルソナ」「シャドウ」になることを意識したいものですね。
まずは、僕自身が気を付けたいなと思っている日々ですが・・・

そういえば、インドでの旅でもう一つ印象深いことといえば、ガンジス川のほとりに座り遠くを見ている人々の中に、多くの日本人の姿があったことでした。





2020年4月2日木曜日

ペルソナとシャドウの関係

皆さん「ペルソナ」という言葉をご存知ですか?
何かのおまじないのような言葉ですが、元々は、古代ローマの古典劇において演者が身につけていた「仮面」を意味していた言葉です。

私たちは意識してか無意識かに関わらず、その時の立場や場面に合わせて振る舞いや態度、行動を変えています。
心理学の世界において「ペルソナ」という言葉は自分の外的側面、つまり「周りの人に対して見せる自分」という意味で用いています。
私たちは普段の生活で、各々の程度はあれ「ペルソナ」という「仮面」をつけて、その都度、役割を演じながら社会生活を送っているといってよいのではないでしょうか。

例えば僕はというと、診察室では「医師」という「仮面」を被っていますし、家に帰ると「親」「夫」という具合です。
皆さんもそうですよね?
さらに言うと、僕の場合はこうしたブログでは「精神科医師としての外的側面」で作成しているわけです。
重複となりますが、こういった時と場合に応じた役割を心理学においては「ペルソナ(仮面)」と表現しています。

その一方で、外面である「ペルソナ」を「光」とした場合、「影」の部分が「シャドウ」です。
「光」が強くなりすぎると自分の欲求や感情が抑圧されるようになります。

「ペルソナ」を作る過程で受け入れられない考え方や感情を心の底に押し込めて「なかったこと」にしており、その切り離された自分の一部分が「シャドウ」です。
心理学では、人間は必ず「表・光」の性質と正反対の「裏・影」の両面の性質を備えていると考えられています。
とても明るい性格の人でも暗い性格の部分が全くないというわけではなく、人前では暗い部分の性格を見せていないだけだといえます。

僕自身の人生を振り返ると、医師としてまだ若い頃、とにかく自分なりに過剰適応的に、つまり過剰に外面を意識し、必死にその環境の中で馴染むように頑張っていました。
特にその頃は、めいっぱい外では明るく元気良く「ペルソナ」を分厚くして、無理に外面を良くして頑張っていました。
でも家に帰るとその反動で、何もする気がおこらず、自分勝手で、家族に対して高圧的になっている自分がいました。
あくまで可能性であり、想像でしかありませんが、おそらく、この状態が行き過ぎていたら最悪の場合DVになりかねなかったのではないかと、改めて振り返ると肝を冷やす思いです。
その当時、「ペルソナ」がかなり分厚く覆われることで「シャドウ」の部分が家庭で大きくなっていくのを感じていました。

これを僕自身がどうやって乗り切ったかというと、とにかく時間と経験を重ねる他ありませんでした。
これはその当時だけではなく、今もなお、まじめにコツコツと日々の生活を送り「無理をしないようにすること」「自分や家族を大切にする時間をもつこと」をきちんと意識するようにしています。
なるべく自分をセルフモニタリングするように意識していますが、これは自分自身での判断は困難です。
手前味噌ですが自分の周りにいてくれている人達の反応を見る限りでは、そんなに悪くない状態だと思っています(笑)
なるべく、自分の中の「ペルソナ」「シャドウ」を意識し続けておくようにしておきます!