2021年3月31日水曜日

男は『力』で動き、女は『情』で動く

最近、当ブログでよくネタにしていますが、今回も、漫画「鬼滅の刃」の個人的な感想となります。

主人公も所属する鬼殺隊の面々からは『お館様』と呼ばれ、鬼殺隊の最高管理者であり、宿敵である鬼舞辻無惨と敵対する産屋敷一族の97代目当主である産屋敷耀哉( うぶやしきかがや)の命に従い、鬼殺隊は命をかけて懸命に戦いました。
これは男性の社会構造そのもので、男性はそうした力あるものに対して従います。

一方、女性は自分に対して情をかけてくれた人に対して従います。
『柱』の一人である『蝶柱』胡蝶しのぶは、姉が自分にかけてくれた情を受けて、また、暗い幼少期に心を閉ざしていた、栗花落カナオは、そんな環境から自分を救い出してくれた胡蝶姉妹の温情に報いるために懸命に戦いました。

このように男性と女性とでは、働き方が違うように感じました。


男性は目的がはっきりして頑張るので、女性が情に訴えてきても相互に通じ合わないことがあるのです。
このように、男性は女性に対しては、情をかけることで初めて女性は男性に優しくなれるのです。

そうした違いを鬼滅の刃で学ぶことができるな、と感じました。

2021年3月25日木曜日

人は結局、自分の視座や経験の中でしか相手のことを分かってあげることができない

 相手に分かって欲しいと思って一生懸命伝えようとしても、相手は全然分かってくれないと感じてイライラすることは誰もが経験することだろうと思います。

医者と患者さんとの診察場面でも、そういったことがあります。
相手を理解しようとする上で、どこまでいっても結局のところ自分の人生で経験したことや自分の「ものの見方」でしか相手を理解できないということです。

支援者側である医師として心得ておく必要があるのは、結構、患者さんの苦しみやつらさをあまり理解できていない、又は、患者さんが期待する理解度より医師や支援者である側は、かなり下回っているということを知っておく必要性を感じました。
だからこそ、僕は謙虚に日々の診療をしていく姿勢がより重要だなと思いました。

「支持的」という言葉、支えて持つ関わりというのは、自分が思っているよりもより深く難しいことにチャレンジしているんだな~と感じています。
限られた診察という枠組みではあるけども、もっと謙虚に、もっと能動的に患者さんのことを理解していきたいと思います。

2021年3月17日水曜日

人は死んでからも誰かの心の中で生きている

祖父は僕が幼少の頃に死んでしまい、祖父との思い出はあまりありません。 

ただ子供の頃、両親の故郷である福井県の村に里帰りする度に、里の方から「昔、僕の祖父から言われたことをちゃんと守っています~」と、死んだ祖父を慕う言葉を聞いていた僕は、子どもながらに「祖父は生前、この里の人から慕われていて、今も里の人の心の中にいるんだな~」と感じたことがありました。 

 人は寿命が尽きて人体の死がきた後、お金も地位も名誉もあの世には持ってはいけません。
だけど、自分が死んだ後も誰かの思い出として、その人の心の中で生きることができるのだなと感じたのです。

僕は、言葉を使って精神療法という形で患者さんと交流したり、プライベートでは、家族や仲間との交流の中で、相手との楽しい貴重な時間を大切にしていきたい。
そして、祖父のように死んだ後も、誰かの心の中で支えになるような言葉や想いを遺していきたい。
それが、もっとも豊かな生であり、死なのかもしれませんね。

2021年3月10日水曜日

生きていく上で大切なこと

 人は生きていく上で、意識してか無意識のうちにかにかかわらず、いつかどこかで悟りのような「真理」に到達したいという想いがあるのかもしれません。


ただ、最近思うのは「真理」というのは、様々な環境の変化に対して「自分も変われる、自分や他者を受容する柔軟性こそ、真理」つまり(※)諸行無常を受け入れて、柔軟に明るく、受容的、前向きに生きて死ぬことこそが人生ではないのかな?と、個人的な実感としてそういう気がしてきました。

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(※)諸行無常
 この世の万物は常に変化して、ほんのしばらくもとどまるものはないこと。
 人生の無常をいう仏教の根本的な考え

2021年3月3日水曜日

「鬼滅の刃」15巻、第131話での炭次郎の問いかけ!

 今回は、漫画「鬼滅の刃」15巻、第131話の個人的な感想となります。
※ ネタばれを含む内容ですので、ご注意ください。

水の呼吸を使用する水柱(みずばしら)である富岡義勇が、鬼殺隊になる為に訓練をしていた頃、同門の同期に錆兎(さびと)という仲間がいました。
この錆兎と富岡義勇は、兄弟弟子であり親友同士で、お互い鬼殺隊になる為に切磋琢磨していましたが、最終選別といわれる鬼殺隊になる為の最終試験で、錆兎は結果的に命を落としてしまいます。

富岡義勇は、積極的に最終選別に挑んで大奮闘しながら結果的に命を落とした錆兎という無二の親友を亡くした上、ほとんど何もしていないのに自分だけが鬼殺隊に入隊できたことをずっと後悔していました。
遺された富岡義勇は、(※)サバイバーズ・ギルトという罪悪感を抱いて、みんなと一緒に頑張ろうという気になれないでいました。
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(※)サバイバーズ・ギルト
戦争や災害、事故、事件、虐待などに遭いながら、奇跡的に生還を遂げた人が、周りの人々が亡くなったのに自分が助かったことに対して、しばしば感じる罪悪感のこと。
「サバイバー」 (survivor) は「生き残り・生存者・遺族」を、「ギルト」(guilt) は「罪悪感」を意味する英語。

 そんな富岡義勇に対して、一緒にいた主人公の炭次郎が「錆兎から託されたものを富岡さんは、繋いでいかないんですか?」と問います。
この瞬間、富岡義勇の脳内で「パァン!」と大きな地殻変動が生じ「過去に捉われた罪人」という認知から「思いを託され、繋げていく勇者」という認知に変貌していきました。

炭次郎のこの一言の問いで、ここまで劇的な変貌を遂げさせたことが、カウンセラー的に「超必殺技!」だと僕は思いました!