ホームページの「ごあいさつ」に記載しているように、
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・幼児期から児童期、青年期、成人期、老年期までの人生の全ての期間において精神科領域全般の『心の相談』ができます。
・診察を通して『こころ』と『からだ』の悩みに寄り添い、回復のお手伝いをさせていただける診療を心がけます。
・患者さん、家族、地域の皆さんが安心して『こころ』の相談を受けられるアットホームな総合心療を目指しています。
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の理念のもとに、開院しました。
現在は当院で、子どもから成人までの心理検査をすることが可能になったり、院長の診療の、特に精神療法を補完するためのカウンセリング機能も強化して、本人とその家族をサポートする機能も実践的に向上できていることを実感しています。
また、当院の上階に児童精神科の訪問看護ステーションを誘致し、阪南病院の児童精神科領域で経験を積んだ看護師らと連携してサポートできる体制を構築しています。
今後の目標は、支援機関である行政、教育、療育機関などに対して、たまにでいいのでクリニックでセミナーを開くことも、いつかは再開したいなと思っています。
児童精神科・精神科の領域は、芸人に近い仕事だと思うので、必ずしも長年の経験が活きるわけではなく、常に新人のように柔軟で謙虚に、新鮮に取り組んでいくことが求められている領域だと思います。
だからこそ、僕が健康で働ける間は、少しでも来院された患者さんやそのご家族に「受診に来てよかったな」と思ってもらえる診療を心がけて、これからも取り組んでいきたいと思います。
今後とも何卒ご指導ご鞭撻の程よろしくお願い致します。
2022年8月31日水曜日
開院して5年が経過しました
2022年8月24日水曜日
3浪から救ってくれた友人!
東京五輪から1年が過ぎましたね~。
このブログ上で何度も話していますが、僕は医学部に合格するまでに3年間浪人生活を送っています。
3浪目を迎えた春の予備校の授業は、精神的にとても参っていました。
その時に、横に同じく3浪目の予備校生がいました。
その人が3浪仲間となり、僕は1年間何とか乗り切り、受験勉強を頑張り続けることができて、お互いに悲願の国立大学医学部に進学できました。
何とか諦めずに頑張っていたら、運命的な出会いがあるもんだな~と思います。
僕の3浪目の予備校の教室の隣の席に、その人がいなければ、きっと違った人生だったような気がします。
東京五輪で選手らが、口々に御世話になった人達に感謝を述べていましたが、その時に僕の人生にとってのメダルであり、医師になる道への最初の一歩が医学部合格だったので、御世話になった3浪目の友人のことを思い出しました。
2022年8月17日水曜日
社会が本当の多様性の目指すところは
最近ではフェミニズム運動や性別など様々な領域で、多様性を認める社会作りを、という動きが活発化しています。
社会において、そうした多様性を認めていこうとする動きは、いいことだとは思います。
しかし、その多様性を認めるといった背景に、自己中心性が強かったり、他者の価値観を認めないという、目指すべき方向の反対の思想が混入していることが気がかりに思います。
多様性を認めるということの本質は、各々の生き方の多様性を認めるという「あなたも、私も、そうした生き方でOK!」という、相互に認め合い尊重していく社会作りが大事だと思いますが、
社会情勢をみていると、社会的に「こうすべき」が強くなっていて、そこから外れると徹底的に他者を叩くなど、多様な生き方を認めていこうという寛容ではなく、むしろ、多様な生き方を認めない社会作りになっている気がしてなりません。
少なくとも、このクリニックの診察室の中では、生き方の多様性を認め合っていきたいと思います。
まずは、そこからだという思いで頑張っていこうと思います。
2022年8月10日水曜日
ユーモア
日野原先生は、1970年に赤軍派を名乗るグループによって日本航空機が乗っ取られた、通称『よど号ハイジャック事件』に客として乗り合わせ、2日間にわたって機内で人質になった経験をしています。
機内で、緊迫した状況が続いた時に、乗客の子どもが、犯人に対して「ハイジャックって、どういうこと?」と質問しました。
犯人側は、ハイジャックについてうまく返答できず、しどろもどろとなり、乗客と犯人側との間に笑いが生じたそうです。
日野原先生によると、その笑いが犯人と乗客との間に、不思議と一体感みたいなものを生じさせたそうです。
乗客の中には、人質として解放される際に、犯人に向かって「頑張れよ!」とエールを送った人もいたそうです。
ユーモアって、対人関係の構築に非常に重要だなと思います。
特に僕は、ユーモアを大事にしている大阪に住んで、大阪で診療しているのだから、余計そうです。
ユーモアの力を信じて、日々大事にしていきたいとそう感じています。
2022年8月3日水曜日
停学処分になった時の母の対応
僕は高校時代、学業も学年で底辺でありながらも高3の秋に「医者になりたい」と思い立ち、進路相談で担任の先生に相談しました。
先生からは、内申点が悪すぎるので定期テストで良い点を目指せと言われました。
そう言われたすぐの定期テストでカンニングして停学処分になり、全ての教科が0点になってしまいました。
カンニングがばれて職員室に呼ばれ、母が学校に迎えに来てくれましたが、母は一度も僕を怒ることもなく、僕に対して「大丈夫?」と、むしろ心配してくれました。
母と一緒に自宅に帰り、その後、数日間停学処分となりました。
自宅での停学処分の間も、一切、家族は誰も僕を責めることはありませんでした。
その分「申し訳ないな~」「親には悪いことしたな~」と猛省していたことを鮮明に覚えています。
今考えると、この責めないことが、僕の親の特徴だと思います。
そういえば子どもの頃から、母に「勉強しろ~」とか「~しなさい」と言われたり、怒られたりした記憶がほとんどありません。
それが良いのか悪いのかは、僕の周囲の人の判断に委ねます。
ただ、親が甘々で育ててくれたから、僕はいつも自分がしたいことに素直に気づけて頑張れているんだと思います。
好きなように生きることを許してくれて、親には感謝しています。