当ブログのネタではヘビーローテーションとなっていますが、今回も漫画アニメ『鬼滅の刃』の内容を絡めて、あくまで個人的な感想と意見を投稿させていただきます。
前提としまして『鬼滅の刃』を、既に読まれた、または観られた方でないと内容がわかりにくいかもしれませんが、ご了承ください。
※ これから楽しもうとされている方は、ネタバレを含むかもしれませんので、ご注意ください。
那田蜘蛛山(なだぐもやま)編は、僕にとっても非常に勉強になります。
炭次郎は臭いで人の気持ちが分かるという、いわゆるHSPと言われる人の気持ちを察する能力が高く「エンパシー」タイプです。
彼の戦いは、僕からしたら戦っているというより、ひたすら喋っている、いやカウンセリングしている感じです。
文字通り、真剣に向き合っているのです。
鬼である累と言葉や感情を通じて分かりあいたいのです。
そして、最後に累は死にながらも炭次郎のエンパシーを感じて、自分の中の心の記憶が呼び覚まされていく。
こうしたエンパシーを通じた交流に感動や希望を、我々は見出すのだと思います。
一方、水の柱、富岡義勇はアスペルガー症候群的な特性があり、表情の抑揚や自己の内的な感情の表出に乏しい孤高の剣士です。
炭次郎とは対照的に、特に言葉や感情を介することなく、累を瞬殺し、そして着物を踏みつけます。
富岡義勇は自分の感情や想いを他者と分かち合うということではなく、自分の中では、たくさんの想いを背負うけど、それは自己で生成し循環させており、ほとんど他者と分かち合うことはありません。
それが「シンパシー」なのです。
だから、アスペルガー症候群の傾向のアニメキャラは、ドラゴンボールのベジータ、忍者ナルトのサスケ、スラムダンクの流川楓、ドラマでは白い巨塔の財前教授(唐沢寿明)、ぽっぽやの高倉健などなどです。
共通しているのはセリフは少なめで、表情の抑揚は乏しく、特に口周囲の表情筋があまり動かない、自分の感情などの抽象的な表現をあまりしないし、共有し合おうともしないですね。
それがシンパシーなのです。
シンパシー側からすると、炭次郎のように『が~が~』来られると『結構きついわ~』と思いつつも、同時にそこに憧れや希望も抱いているようですね。
たしかにベジータは悟空に、流川君は桜木花道に、サスケはナルトに、財前教授は里見先生に、憧憬の念を抱いていた感じもしますもんね。