2021年6月30日水曜日

エンパシー、シンパシーⅢ!

 当ブログのネタではヘビーローテーションとなっていますが、今回も漫画アニメ『鬼滅の刃』の内容を絡めて、あくまで個人的な感想と意見を投稿させていただきます。

前提としまして『鬼滅の刃』を、既に読まれた、または観られた方でないと内容がわかりにくいかもしれませんが、ご了承ください。

※ これから楽しもうとされている方は、ネタバレを含むかもしれませんので、ご注意ください。


那田蜘蛛山(なだぐもやま)編は、僕にとっても非常に勉強になります。


炭次郎は臭いで人の気持ちが分かるという、いわゆるHSPと言われる人の気持ちを察する能力が高く「エンパシー」タイプです。

彼の戦いは、僕からしたら戦っているというより、ひたすら喋っている、いやカウンセリングしている感じです。

文字通り、真剣に向き合っているのです。

鬼である累と言葉や感情を通じて分かりあいたいのです。

そして、最後に累は死にながらも炭次郎のエンパシーを感じて、自分の中の心の記憶が呼び覚まされていく。

こうしたエンパシーを通じた交流に感動や希望を、我々は見出すのだと思います。


一方、水の柱、富岡義勇はアスペルガー症候群的な特性があり、表情の抑揚や自己の内的な感情の表出に乏しい孤高の剣士です。

炭次郎とは対照的に、特に言葉や感情を介することなく、累を瞬殺し、そして着物を踏みつけます。

富岡義勇は自分の感情や想いを他者と分かち合うということではなく、自分の中では、たくさんの想いを背負うけど、それは自己で生成し循環させており、ほとんど他者と分かち合うことはありません。

それが「シンパシー」なのです。


だから、アスペルガー症候群の傾向のアニメキャラは、ドラゴンボールのベジータ、忍者ナルトのサスケ、スラムダンクの流川楓、ドラマでは白い巨塔の財前教授(唐沢寿明)、ぽっぽやの高倉健などなどです。


共通しているのはセリフは少なめで、表情の抑揚は乏しく、特に口周囲の表情筋があまり動かない、自分の感情などの抽象的な表現をあまりしないし、共有し合おうともしないですね。

それがシンパシーなのです。


シンパシー側からすると、炭次郎のように『が~が~』来られると『結構きついわ~』と思いつつも、同時にそこに憧れや希望も抱いているようですね。

たしかにベジータは悟空に、流川君は桜木花道に、サスケはナルトに、財前教授は里見先生に、憧憬の念を抱いていた感じもしますもんね。

2021年6月23日水曜日

エンパシー、シンパシーⅡ!

以前、当ブログに『シンパシーとエンパシー』というタイトルで「エンパシーとシンパシーの違い」について投稿させていただきました。

⇒『シンパシーとエンパシー』  2020年10月29日木曜日 

 
当ブログを閲覧してくださっている患者さんから、難解で分かりにくいとのご意見を受けて、今回のブログでもう少し分かりやすく?説明したいと思います。

【シンパシー】
・自閉スペクトラム症サイド(アスペルガー症候群、高機能自閉症も含む)
自分という心の中に、生来、他者の心がない、又は乏しいため、相手から感情的に怒られても、すごく嫌な気持ちになるという共鳴(※)はするけど、どうして、ここまで相手を自分は怒らせてしまって、相手の感情をどうすれば落ち着かせることが自分にできるのか?という、人と人を介した感情や言語で論理的、感情的に共有していこうという「エンパシー」としての共感的な対応が出来ない、又は出来にくいのです。
(※ これは本人自身の中で生じるものであり、共感という他者を介して共有していくものではない)


やはり難解だと言われそうなので例をあげると、自閉スペクトラム症の児童に対して、その児童の母親がイライラして叱責、注意すると、自閉スペクトラム症の児童には、母親のイライラが最初に 自分の心に飛び込んできて、そこで「シンパシー」で感じて、混乱、パニック、癇癪を生じてしまうので、母親が懸命に伝えたい思いや内容が、本人には届かないのです。

【エンパシー】
・母親サイド
一生懸命、自分の気持ちや言葉で「愛情としての想い」を伝えたいのに、どうしていつも我が子には「母親の愛情としての想い」が伝わらないのか?という「エンパシー」と「シンパシー」の、共感の仕方にすれ違いが生じてしまうのです。


だからこそ、発達障害の子に親がどう関わると効果的か?という「ペアレントトレーニング」や、発達障害の人に対しての関わり方の根幹が、この「エンパシー」と「シンパシー」といったコミュニケーションでの相互の共感の性質の違いを認識しておくことが重要なんです。


やっぱりわかりにくいでしょうか?
次回も引き続き「エンパシー、シンパシーⅢ!」で説明してみます。

2021年6月16日水曜日

自分自身のトリセツは必要!

 診察場面で「自閉スペクトラム症です」や「アスペルガー症候群です」と診断を伝えても、患者さんの理解度はそれぞれです。


普段よく耳にする病名や身近な人が罹った病気の場合では多少何かしらの知識をお持ちです。
ところが「アスペルガー症候群です」と言われても、 患者さんはなかなかピンと来ていない様子であったり、または、こちらが思っている以上に知識が共有されないということが多いです。
さらに発達障害は、非常に裾野が広く理解しにくいのです。 


そのため当院では発達障害の傾向があれば、なるべく心理検査などの心理アセスメントを受けてもらって特性を説明したり、地域にある発達障がい者支援センターにいって相談してもらったりと様々です。

少なくとも当院で出来るアセスメントをして、患者さん自身の「トリセツ」の役目が果たせるようにしたいと思っています。

自分自身の「トリセツ」があった方が、自己理解しやすいし、周囲にもわかってもらいやすいし。

発達障害の支援は「解決よりも理解!」そこが大事になってくるので、出来るだけ理解促進的になれるように診療していこうと思っているところです。

2021年6月9日水曜日

自分が自分らしくいること、そして他人が他人らしくいることだけで、私は幸せを感じる

今回のブログのタイトルは、アメリカの臨床心理学者であるカール・ロジャーズが遺した言葉です。
アメリカはもとより日本でも心理療法家にとっては、もっとも影響のある人物の一人だと思います。

ロジャーズは、長期的な人間関係において、自分らしくないように演じることは何も生み出さないと説きました。
自分らしくいないと自分を拒絶することになるので、幸せになれないのです。

僕が診察場面で感じるのは、患者さん自身を中心にとりまく外界において、社会的な仮面を身にまとった状態で過剰適応的に頑張っておられる方が多いことを実感しています。
その過剰適応の「過」は、結局のところ自己否定です。
素の自分を認められないから違う自分を作り出して頑張るみたいな、いわゆる「ペルソナ化」(社会的仮面化)です。

ロジャーズは、「自分自身という存在を受け入れることが変化の基本です」と説いています。
自分が誰なのかをしっかり見極めて、自分自身を知ることが人としての成長のカギとなるのです。
だからこそ、医療的な診断として「アスペルガー症候群」などの発達障害の診断をし、患者さんは診断されることで一時的には落ち込んだとしても、段々自己理解し自己受容が進んでいくにつれ患者さん自身の中で「これは特性なんだから無理まではしなくてもいいんだ」と、自分自身を認め始めていきます。

治療者が患者さんと目指すのは、解決ではなく、まず理解。
自分自身を受容したとき、人間には変化と成長が起こる。治療者は、クライエントを無条件に受容し、尊重することによって、患者さん自身も自分自身を受容し、尊重することを促すのだと
ロジャーズは説かれました。
ロジャーズが言うように「治療者は、患者さんを正そうとするな、理解しようとせよ!」ですね。


これがなかなかできていない自分のためにブログにアップしておきます。

2021年6月2日水曜日

しんどい時にする自分への評価法は減点法より加点法!

患者さん自身がしんどい状態にも関わらず、減点法で自己評価している傾向が強いな~、と診察場面で感じることがあります。

心が弱っている状態の時に『自分自身のどこができていないのか?』『どこがダメなのか?』をメインな視点で自分自身をみていく習慣がついていくと、自分を否定してばかりになりやすいし、自分自身の周囲の人に対しても、そうした減点法での評価をしてしまいやすくなります。

そうなると、自分にも周囲の人にもダメだしが増えて、双方でしんどくなるという悪循環が生じます。

そこで反転して、自分や周囲の人にも思い切り設定を下げてみると『自分自身や相手のできているところ』や『頑張っているところ』に目が向くようになり、自分を褒めれるようになったり、周囲の人を褒めたり、認めたりしやすくなります。
このように加点法で見ることで、一歩一歩着実に前進しやすくなります。

減点法で自分自身を見て、苦しんではいませんか?
『自分自身をどのように見ているかな?』今日1日を振り返ってみてください。
加点法で見れるようになると『ここができているなら、こうしてみようかな?』と得意を活かした工夫ができるようになっていきやすいです。
しんどい時、病んでいる時は、加点法にしてください。
反対に、自分自身の主体性、健全性が高まってきたら、成長していくために減点法が有効となります。
元気な時、もっと成長していきたい、その目標が明確な時には、減点法が有効だと思います。

お笑いタレントの明石家さんまさんが「生きているだけで丸儲け!」だと言ってくれてますよね。
息している、心臓を動かせている自分をまずは褒めて認めていく。
何をするにも、まずはそこからです。