僕は児童精神科と精神科の両方の専門医なので、2歳から大人までの診療をし、子どもからずっと人生を通じて支援していくために、このクリニックがあると考えています。
勤務医時代から10年以上の支援をしている方もいて、初診時は10歳だった子が成人して、今では体格が僕より大きくなっている子もいて、びっくりするときもあるぐらいです。
また、家族療法を重要視しているため、患者さんの兄弟、親御さん、おじいちゃん、おばあちゃんと家族全体の主治医になることも僕の診療の特色で、ご家族も含めてカルテを作成することも度々あり、1人の方が受診されて、発達障害などの診断を幼少時にした場合、結構長期的に支援をしていくことが多いのです。
そのため、令和2年12月から1年間、原則、新規の患者さんの受け入れを停止した状態が続いています。
診断と支援は、必ずセットでないと治療的にはならないと僕は考えています。
それに、発達障害の支援は、人生を通じての長期的なサポートが重要です。
今後も、当院では、原則、新規の患者さんの受け入れは、難しい状態が続くと思います。
現在、通院にきてくれている患者さんを大事にしていきたいし、しんどい時になるべく予約を取れるような状態にしておきたいのです。
新規で当院の受診を希望されている患者さんには、心苦しいですけど、ご理解の程何卒よろしくお願い致します。
2021年12月29日水曜日
新規の初診患者さんを受け入れることができなくてすいません!
2021年12月22日水曜日
結婚について
第2次世界大戦前までの日本では、長きに渡って『お見合い結婚』が主流でした。
もともと、家と家のつながりが強かった日本では親戚などが仲介に入り、お見合いがきっかけで結婚することがごく当たり前のことであった当時は『結婚』そのものの考え方が、現在とは少し違っていたのかもしれません。
その後、恋愛結婚の割合も少しづつ増え始め、第2次大戦後以降の日本が高度経済成長期の頃に『お見合い結婚』と『恋愛結婚』の割合が反転します。
当たり前のことですが、現在の日本においては、恋愛の末、結婚された方がほとんどということになります。
一概には言えませんが『恋愛結婚』は、恋愛をし恋人同士の状態から結婚に至るまでがゴールとなりやすく、少なからず結婚生活に理想を抱いての門出になるものです。
そのため、結婚式がピークとなり、その後の結婚生活で理想と現実のギャップに混乱するということがあるように思います。
僕としては、結婚生活は、リアルと向き合って、そこから、どう運営し、相互に思いやりを持って、お互いを許容し、お互いを大事にしていくか?ここに、結婚生活の面白みがあると思っています。
他人が、一緒に住んでくれている。
この感謝を忘れないで、尊重し、大切にしていきたい。
これが、今一番、僕自身が考えている最重要事項です。
2021年12月15日水曜日
親の役割について
ほとんどの医学生は、卒業する前に大学病院の各科の研修プログラムなどのガイダンスを受けます。
僕は、当時その研修プログラムのガイダンスを受けたときに、医師としての人生のレールを、勝手に決められるような違和感を感じました。
『医師としての人生は自分で決めていきたい』と思い、大学院に進学するという選択はしませんでした。
その後も、ほとんど大学に寄り付くことはありませんでしたが、自分が学びたいと思ったことは、その分自分なりに色々な学びの場や研修を受けてきました。
それは、適切で間違いのない行程だったかというと、おそらく適切ではない部分もあったのだろうと思います。
ただ自分としては、自分自身が主体的に取り組んでこれて、今もユニークな精神科医の道を目指して頑張れているという実感はあるので納得はできています。
親の子育てでも、特に発達障害の児童を養育していると、いじめられないようにとか、将来困らないようにと先手を打ってあげたくなることもあろうかと思います。
ただ、誰もが人生において、つまづかないで生きていくことはできるのでしょうか?
本人が人生で困った時に、つまづいた時に、本人が助けて欲しい状況になったら、そっとサポートしてあげる。
そこまでは優しく見守ることの方が、親の役割としては、より大切なことだと思います。
子どもの主体性を尊重して、たとえ間違っていたとしても、また失敗しそうなことでも、やりたいことを応援してあげるスタンスが、親の役割として大事な気がします。
先日、あびこ観音の正面玄関に
「私は負けるということは決してない。勝つか、学ぶか。どちらかである。」
-ネルソン・マンデラ-
と、ありがたいお言葉がありました。
こういう思想を親自身が持って生きている姿を見せることが子どもにとってもいいんだろうな~。
「よし、がんばろう」と思います。
2021年12月8日水曜日
カモフラージュからリアリティーへ
発達障害があっても、そこから定型発達の人をまねてカモフラージュして生きる道を選択されて頑張っている人もいます。
ただし、発達障害の特性は生涯持ち続けるものですし、そこを隠していわゆる「過剰適応」で生きていくという選択をした場合、結局、自分の特性を否定して生きることになり、将来的には、うつや、希死念慮とか、失感情症を認めたりといった、いわゆる二次障害のリスクを高めてしまう可能性があります。
仮に、そういった二次障害になった状態から、精神科で「発達障害」と診断されると、最初は落ち込んだり戸惑ったりすると思います。
しかし、これまでの「過剰適応」という「カモフラージュ的人生」から「障害受容」が進んで、本人が主体的な人生に変わっていけるきっかけになったりもします。
それは時に、これまで無理して働けていたのに働くのをやめてしまったりと、社会的には生産性の低下を引き起こすこともあります。
でも、その人がその人らしく生きていくことよりも、病みながら自分に嘘をついて生きていくのがいいのでしょうか?
僕は精神科医なので、心身のメンタルヘルスを大事に考えたいと思います。
「あなたが、あなたらしく、あるがままで生きていく。周囲の評価を、過度に気にして生きていくのではなく、あなたが、あなたらしさを大事にして生きていくことを大事にする。あなた自身の幸せを、第一に考えたっていいじゃない?」そう思いますよ。
少なくとも、「カモフラージュな生き方」ではなく、自分の人生に「リアリティー」を高めて生きていく。
本当の自分に嘘をつかないで生きていくのって大事なことだと思います。
それを応援するサポーターでありたいなと思っています。
2021年12月1日水曜日
ペルソナとシャドウ
もう15年も前になりますが、僕が研修医だった頃のお話になります。
研修医というのは、ほぼ例外無く約2年の間に各診療科目を数ヶ月単位でローテートしていきます。
学校の時間割の授業という感じではなく、いつからいつまでは外科、そして次の期間は内科、そしてその次の期間は精神科...という具合で各科を転々とします。
色々な科を研修していくなかで、特に苦手意識を感じたのは外科での研修期間でした。
ですが当時は、何とか雰囲気に溶け込もうと自分の中のギアを入れ替えて、無理して馴染もうと努力しました。
外科での研修期間は、最も自分の中で「ペルソナ(社会的な仮面)」を作り出して、元気に明るくテンションをあげて取り組んだつもりです。
実際、興味がわかない部分も嘘をついて興味ある風にする感じで研修していました。
そのペルソナの反動でシャドウパーソナリティーな自分というか、素になるというか、家に帰るとその反動で、非常に機嫌が悪くなるというか、人とあまり喋りたくない感じになりました。
そのせいで当時、家族には結構イライラしている自分を出してしまい申し訳なかったな~と反省しております。
発達障害の心理的な構造で、社会では緊張となり「ペルソナ化」を作り出して頑張ろうとします。
しかしその反動で、家庭などでは弛緩となり「シャドウ化」して、例えば、お酒やゲーム、ネット動画などに依存的になったり、甘えたになるなど退行的になります。
そんなタイミングで家庭でも、しっかりしなさいとか、他者の気持も察して~と、家族から気を遣って欲しいというタスクを与えられると爆発してしまいます。
これがDVのパターン構造になることが多いのです。
ちなみに僕は,研修医の時に、精神科に回って、指導医の先生から「作田先生は、そのままの先生でいいんだよ」と言われて、全身の力が抜けたような気がしてすごく楽になりました。
僕にとって、精神科での研修医時代の研修は充実した毎日で、一生をかけて取り組みたい仕事だと思いました。
その頃は仕事で「ペルソナ化」を作り出す必要はなく、素に近い延長で頑張れたので家に帰ってきても家族にイライラして当たるとかは、ほぼ?無くなりました。
社会で「ペルソナ化」が少ない状態で、自分らしく頑張れるようになると、家でもその反動はなくなっていきました。
なるべく「やるべきこと」を手放すと「やりたいこと」が見えてくる。
やらされている感じ、これを減らして初めて自分の中の能動性、自発性が生まれてくる。
「しなくていいことを決めると、人生が楽になる」という題名の本(本田秀夫著、ダイヤモンド社)を一度読んでみてもいいかもしれません。