2019年8月29日木曜日

先祖供養がきっかけで感じたこと

みなさん、お盆休みはどのように過ごされたでしょうか?

今年のお盆休みは、僕の両親が福井県出身であるということもあり、親孝行も兼ねて両親を福井県に連れて行きました。
福井県に行った際は必ず、我々作田家の菩提寺である西雲寺というお寺に行ってお参りをさせていただいています。
西雲寺には立派な枝垂れ桜があり、春には境内を華やかに彩ります。

綺麗に手入れされた庭から本堂にあがらせていただいた際に、本堂の柱に貼られていた教えが目に飛び込んできました。


「人間は悲しむとき、最も深く人生を生きている」

これを見て僕の心のどこかが共鳴したのか、胸が一杯になり目に涙があふれてしまいました。

日々の診察でも、たくさんの悲しみを背負われて来院される患者さんがおられます。
そこでしてあげられるサポートはいつも些細です。

仏様が天からそう思われている。。。
そこを大切にしたい。。。
そう気づかされたお盆休みでした。





2019年8月8日木曜日

リアルが一番 治療的に作用する

僕にとって日々の診察は緊張や不安を伴い、また苦痛を伴った行為でもあります。
なぜなら、自分の力量不足を日々感じているし、いろんな部分で限界を感じるからです。

限られた診察時間と、治療の資源、何よりも人間性も含め僕自身の診療の技術が足りていないことを実感しています。
もしかすると、臨床の場で患者さんと向き合い続けている限り、この部分は永遠の課題なのかもしれません。
そのため、日々、いつもどこかで、常に無力感が自分に襲ってくるので苦痛を感じるんです。

でもそんな苦痛との背中合わせの中ででも、最近実感していることがあります。
なるべくリアルな関わりをすることが大切だということです。

患者さんが僕に伝えようとしてくれたことを、リアルな自分がどう感じたかを伝えることが、非常に治療的には大事なことなんだということです。
この「リアルな自分」というのは、僕自身の心の中が、ある程度の範囲内で安定していて、心のよどみが少ない状態の自分ということだと思います。
その状態にして感じたことを相手に伝えていくと、段々と治療的に前進していくことが多いことに気づきました。
「リアルが一番 治療的に作用する」こう思って、診察に向き合っているのが、最近の僕の中の意識です。

診察場面で患者さんに対して、嘘っぽくなったり、表面的な返答とかでの対応になってしまったり、治療的な技術、つまり、患者さんを何とかしてやろうと操作するような会話を意識すると、何か診察室が滑ったような寒い空間になることがあります。
これはもしかすると、患者さんが相手の対応を意図せず見透かしてしまうことがあるのかもしれません。

「フィクションとしての関わりは、治療的には進みにくい」この辺のバランスとかについて、現状、色々模索し苦慮しながら邁進中です。