2022年6月29日水曜日

支援の正しい方向性について

僕は精神科医として、若い頃は患者さんに正しい関わりをすることが有効なサポートになると信じて診療していました。
そのため、精神科医として駆け出しのころは、気がつくと、患者さんやそのご家族に対して、結果的に説教をしていることが多かったのです。

そんな時、指導者に「先生は、よい治療者に向かって努力しているのはわかる。だけど、本当に、よい治療者って、各々の患者さんに、治療者自身が柔軟に合わせることができる治療者こそが、本当によい治療者だと思うよ」と指摘されました。

その時、自分の中の思考が劇的に思考転換し、その日は衝撃で寝れませんでした。
それ以降、説教外来がいかに患者さんにとって侵襲的で無効な関わりだったかということを反省しました。

現在も精神科の診療で大切な支援は、患者さんを少しでも楽にできるかどうか、その有効性のためには自分の価値判断を柔軟に変えられるかどうか?をセルフモニタリングするようにしています。
それが、なかなかできないんですけどね。

患者さんを治療するというよりも、治療者自身の心を治療者自身が向き合うというしんどい作業をすることが、精神科医にとっては大事だな~と日々感じつつ診療しています。

2022年6月22日水曜日

家庭があるから僕は働ける

僕は学生の頃から不真面目でした。
医大生の頃も成績不良で、よく追試のテストを受けて何とか進級してきましたし、医師国家試験もギリ合格で、大学もギリ卒業できた感じでした。
それに、あまりハードに働き続けるのも苦手なタイプだったので、医師としてやっていけるか?正直心配でした。

しかし、結婚し子どもができて愛するものを守る必要を感じ、生活がかかっている、養わないといけないと思うと、不思議と自分の想定していたよりも、よりしっかりと働くことが可能になりました。
妻や子供がいることことで頑張れる。
支えられている。
子どもの成長が生きがいになっている。

子どもが成長して巣立っていったら、妻と乾杯しないといけないですね。
僕たち夫婦は、子どもに恵まれました。
子どものことが大好きです。
あんまり好かれてはいないですけど、両想いになりたいわけではないので自己満足で十分幸せです。

2022年6月15日水曜日

人生は「快」を目指すことが大切!

人生の目標はどこにあるかな?と、ふと考えることがあります。
その答えは「快」ちゃうかな?と思います。

快とは、心地いい、こころよい、気持ちがよい、よろこばしいなどの意味があります。
日々の「快」を追求していくと、やはり身近な人に、そうした「快」の感情を与えることが起点になると思います。

心理的視野狭窄状態で「快」を求めると、自己中心的になりやすく、身近な人と喧嘩や疎遠になったりして、その延長上に戦争があるイメージで「快」の対極にある苦しみを持続的に味わうことになってしまいます。

「快」を安定的に求めるなら、やはり他者に「快」を与える方向を目指すとうまくいくイメージです。
やっぱり、他者に「快」を与える努力が大事なんだと思います。
それで、結果的に自分が「快」になる。
自分の身近な人に「快」を。

僕にとっては、診療中はそれが患者さんだし、休憩中はスタッフだし、家に帰ったら家族だし、友人だったりする。
まず、与えることを大切にしないと~、人生終わる時に「快が正解!」といって、明るくユーモアを大切にして世を去りたい。な~んて考えたりしました。

でも、「快」を与えたんだから、相手に返して頂戴~になると執着になってしまうから、気をつけないといけないですね。
相手から返ってくる場合も、返ってこない場合でも、どっちでもいい。
自分が他者に「快」を与えられることを、喜びに感じて生きていくことが快になると、心は健康でいられるんじゃないかな~と思ったりします。
実際は、すぐに相手から求めてしまうのが人間の哀愁なんですけどね~。

2022年6月8日水曜日

解決しなくていい「つづく」でいい

 診察場面で持ち込まれる悩みや問題の多くは、なかなか今すぐに解決できないことが多いです。
でも、次にそれを話す機会がある。
そこまでは棚上げにしておくのも大切だと思います。

すぐに解決できないことだと思った際は、逆に少しずつでいい、診察も「つづく」でいいと思う時もあります。
診察場面では「患者さんが、ちょっと楽になるところはないかな~」と一緒に考えるけど、最悪、見つからなかったら「つづく」にしておく。
これも大事なことなんだと「つくづく」思います。

ブログも人生も、悩み事も「つづく」。
また来週。

 

 

 

2022年6月1日水曜日

精神科治療は、社会的概念を疑うことから始める

 社会的には、勉強はできた方がいいし、よく働ける方がいいし、生産性は高い方がいい?
でも、それだったら、過労の一歩手前が、一番生産性は高いけど、本当にそれでいいの?
それは、結局誰のため?誰の人生?社会的な洗脳かも?と、僕自身、自問自答したりしています。

家族は一緒で、仲良い方がいい?
サザエさん、ちびまるこちゃんを日曜に放送しているのは、社会的洗脳?
実際、そんな感じの家の方が少ないし、むしろ理想的な家族を目指して、それでしんどくなっている人の方が多いんじゃないの?と思ったりもします。

母親は子供を平等に大切に扱わないといけない?
実際、可愛い息子、憎たらしい娘~を同じように愛せないと悩んでいる母親もいると思うんです。
そこにOK出すのが支援ちゃうの?と、思うこともあります。

社会で空気を読む、同調圧力とかにやられて、しんどくなっている方も多いと思います。
合わないところを、無理して合わせ続けてしんどくなるより、合わないところをやめて、自分らしく居れる場であったり、時にひきこもることだって大事だと思います。
ひきこもり続けている人の多くが、ひきこもっていることはダメだという社会的な洗脳にやられているのでは?

自分自身の中にある「~すべき」を減らさないと、そして自分が苦痛なくやっていることを大事にしていくと人生は豊かになる気がします。
そこに生産性とか社会貢献とかを先に入れすぎないでおくことも重要です。
しんどい時は、社会的な洗脳では?と疑って、社会をみてみる視点って大事だと思います。