2023年8月30日水曜日

人によって、物事の捉え方は違う

 

「人によって、物事の捉え方は違う」当たり前のことなんですけど、精神科という日々の診療をしていると、余計にそう思います。

 伝え方と伝わり方、受信と発信。コミュニケーションで、ギャップが大きくなりやすい要因は、文化的背景・養育環境・男女差・年齢差・発達障害の有無・知的な能力・気分障害などの精神疾患・愛着上の問題やトラウマの問題などたくさんあります。

そうでなくても、相互理解って結構難しいですよね。こうした見極めや対応で関与するための多くの見聞が、精神科や心理学の領域にあると思っています。でも、いくらそうした領域の知識や経験を蓄積していっても、大きな波のうねりの中で、できることはわずかです。でも、そのわずかが、糸口になって、助けになることは、実際には結構ある。できることは、限られているけど、僕は治療者として頑張りたい。実生活でも、診療においても、そのためにしっかり心身のバランスを整えて取り組んでいきたいと思います。

 

2023年8月23日水曜日

厳しく育てても、強い子にはならない

  親としての役割は、子どもにとっての安全基地になってあげることがとても重要です。児童の診療をしている際に、困った時に誰か支えになる人はいる?と、こちらが聞いたときに「・・・いません。」と思い浮かばない人が、実は結構多いのです。また、親はあなたにとって、安心できる存在?緊張する存在?ここで、緊張する存在と言われることも結構あります。

 親が子育ての際に、子どもが10歳から18歳の間で、安全基地になることが、その後の本人の強さ、成長に関与していきます。乳幼児期・児童期に、厳しく、叱咤激励しても、強い子には、育たないということは科学的に立証されています。

 できるだけ、トラウマを抱えないで児童期を過ごしてもらいたい。そのために、その子の養育環境・社会環境を少しでも好ましい環境を作ってあげたい。発達障害傾向のある児童の子育ては、物心つくのは、15歳から18歳頃だと思ってください。そこまでは、できるだけ、甘々な対応だと言われようが、本人を尊重する関わりでいって欲しいのです。15歳から18歳頃に、物心がついてきて、本人の主体性がしっかり上昇してきたら、親は厳しくしてよいと思います。その反対で、10歳から18歳頃に、親サイドが、子どもに「発達障害を言い訳にするな。」とか、「このままじゃ、社会で通用しないぞ。」と危機感を物心つくまでに与えても、子どもは、緊張が高まりやすく、ストレスに対して脆弱性を高めてしまうだけになる。その後に、物心ついてきて、子どもの反発に、親が勝てなくなってから、親が子どもに対して甘々になっていくというのが、一番避けたい子育てになるのです。

特に、発達障害傾向のある子どもを持ったら、心理的に親は、子どもを1人の人間として、尊重した距離感を大事にして欲しい。そうしたら、命令・説教ではなく、ちゃんと説明や同意などを意識できるはずです。それを幼少から物心つく年代(思春期年代)で、意識していけたら、親としての役割や我々支援者の役割のおおかたは達成したものと思っています。

2023年8月16日水曜日

精神科領域で、大事なことは、アントニオ猪木、西川きよし師匠!

 

 診察室で、不登校や休職、ひきこもり状態にある方がおられます。その際に、こちらが意識していることは、できるだけ明るく過ごされているかどうか?です。

 明るい不登校、明るいひきこもりになってもらいたいのです。アントニオ猪木が「元気があれば、何でもできる、1,2,3だ~!」と叫んでいましたけど、実際、その通りだと思います。まずは、元気を回復してもらうこと。その上で、ちょっと元気が出て、焦って、やろうとして、できない自分を責めて、元気をなくしていくこともあります。

 その時は、西川きよし師匠が「小さいことからこつこつと~」と叫んでいましたが、その通りです。元気さ、明るさが生きていく上で、まず第一ですし。その上で、スモールステップで、なるべく、自分がやりたいことを優先して取り組んで、その先にやるべきことを取り組んでいく。

頭の中に、アントニオ猪木、西川きよし師匠は入れておきましょう。少なくとも、僕の頭には、この二人の画像と叫びが入っていますので、診察室で憑依(*)して伝えていきたいと思います。

でも、診察室では「1,2,3だ~!」とは叫びませんから、安心してください。

*憑依(ひょうい)頼りにすること。よりどころにすること

 

2023年8月9日水曜日

生きることは、どうあっても、しんどい・・・。

  僕が多浪生の頃は、今年こそ医学部に入ったら、楽になるのかな~?と思っていました。しかし、実際に念願の医学部に入学すると、僕は大学を優秀じゃない成績で、ぎりぎりで卒業したので、まあまあ(結構)、大学生活は大変だったと思います。

 大学6年の頃は、医師国家試験を受かれば楽になるのかな~?と思っていましたが、合格して念願の医師になり、研修医になって、数カ月おきに色々な科を転々とする2年間の研修生活を送って、ここを乗り越えたら、楽になるのかな~?と思いましたが、今度は精神科の研修医、精神科の専門医、指導医になり・・・。結婚し、子どももできて、開業して・・・。

 人生って、普通に生きているだけで、結構しんどくなることが、その度その度でありますね。おいしいものを食べたり、面白いテレビみたりと一瞬一瞬は楽になるけど、結局、「まあまあ生きているのって、どうあってもしんどいもんやねんな~」と思います。

 結局のところ、そのしんどさをそのままにしておいてます。払しょくしようとしても、しょうがない、あるがままにしておく。でも、振り返ると、しんどいことが、人生で、印象に残ったり、楽しいと感じたりするから不思議なもんです。楽しいことよりも、浪人中の苦しかったことの方が、充実してたな~と思うし、医師国家試験の勉強を、大学の同級生と毎晩集まってしていたのが、案外充実していたんだな~、と思いますしね。

 生きるとは、その時その時で、あるがままに受け入れて、でもそこに能動的、主体的に生きられたら、楽しいではないかもしれないけど、納得はできるんだと思います。だからこそ、なるべく、させられていることは少なく、主体的、能動的に生きることを第一にしておくことが大事なんだと現時点で人生を振り返ってそう思います。

2023年8月2日水曜日

過剰適応な自分と、自分の延長の自分の違い

  僕が、研修医時代に外科で研修している自分は、外科医集団に囲まれて圧倒されていた感覚がありすごく緊張していました。僕は、そこで3か月やっていく際に違う自分を作り出して、明るく、エネルギッシュにやっていたつもりです。手術にあまり興味を持てないのに、すごく興味を持ったふりをしたり、感情労働が強くて、家に帰宅すると家族に当たったりして感じの悪い奴になっていたと思います。

その後、精神科で研修している際は、上司から「先生は、先生のままでいいんだよ~」と言われ、肩の力が抜けて、精神科領域での研修は、自分の素の延長で取り組むことができました。

家に帰っても、素のままで、穏やかに過ごせました。研修医を修了して精神科医になって以後、自分の素の延長で取り組めています。

 やはり、社会において違う自分を作り出して頑張らないといけない状況は、できるだけ少ない方がいいですね。そのために、本人に適した環境調整が大事になってきます。そのために診断をしたり、親や支援者が環境調整をサポートして、安心して社会と折り合いをつけて、初めて人間的に成長していく。

子どもの成長や思春期、青年期では、まず環境が本人に合っているか?を、周囲が配慮していくことが大事になってきますね。