2024年3月27日水曜日

夫婦関係で大切なこと

  僕は、児童精神科、精神科の専門医で、家族療法を大事にしているからこそ感じていることがあります。

 夫婦関係で、大事なことは、どっちが、正しくて、どっちが間違っているなどにこだわるとおかしくなります。そもそも夫婦は他人同士なんだから価値観が違う。お互い様だということを大事にすることがいいと思います。

 時代背景的に、特に男性陣は、頑張らないといけないステージにあると思います。そうした時代背景を、ちゃんと受け取って、我々男性陣は頑張っていきましょう。

 僕は、妻に「何でわからへんねん~」と思ったら、心の中で、震える機能が、40歳を過ぎたあたりから、搭載されるようになってきました。妻に、「何でわからへんねん~」と言ってしまいそうになったら、家を飛び出して、サウナに直行して、水風呂で頭を冷やして「分かり合えるわけないよな~」と、脳内を整理して、整えていきます。その後は、1週間くらい、夫婦の会話は途絶えます。でも、夫婦喧嘩は、台風と同じようなものなんで、過ぎ去ると、お互いの緊張感は少しずつ減弱し、徐々に喋るようになり、振り返ると何で喧嘩したのかを思い出せないことが多いです。

 夫婦関係は、各々の夫婦によって違うから、夫婦で一緒に作っていく共同作業です。先に、理想があり、そこを目指すとおかしくなります。理想にあてはめようとすると、「何で、あなたは、こうしてくれないの?」と勝手に被害的になったり、相手に求めてばかりになって、お互いの仲が悪くなるだけです。夫婦関係は、何年か経過したら、「くされ縁」という感じが、僕的にはしっくりきます。くされ縁という情がお互いに通って、何か一緒にいるとおいが安心する。いないと、何か落ち着かないし寂しい。それだけで十分だと思います。

2024年3月20日水曜日

結局仕事が、生きがいだし、好きなんだと気づかされます

 飲みに行ったり、いわゆる遊びとか息抜きをしても、僕の心のどっかは、自分の診療とかその関連の準備をしたくなります。結局、自分は、このクリニックで診療する。それが、とても好きなんだと思います。

 診療では、患者さんも僕も真剣です、その中で、患者さんの心が少し軽くなったり、笑ってくれたりすると、僕の心は、何より充足した気持ちになります。でも、一瞬だけのきらめきのようなもので、僕の診療上の心の動きとしては、無力感、徒労感、残念な気持ちになったりも結構多いです。でも、それもひっくるめて、僕は、自分自身が、この診療室で、生きていることを実感できている。

 他は、結局すべてここで感じることと比べると負けます。診療をさせていただき、生きがいを感じられて、僕は幸せです。

有り難い。この感謝を、僕の成長に活かしていけるように、まずは、サウナにいってきます。

 

2024年3月13日水曜日

過保護養育は結局は強くなる。過干渉養育は結局は弱くなる。

  「過干渉養育は、子どもが将来的には弱くなる。過保護養育では、子どもは将来的には弱くはならない、むしろ強くなる!」という印象が、日々の診療を通じて思います。

 「干渉」とは、自分がこうしたいという気持があるのに、他者が立ち入って、こうすべきだと意見したり、行動を強制したりすることを指します。(これが、全てダメということではなく、過度にということです。)

 子育てにおいて、なかなか子どもが宿題をしなかったり、ゲームやユーチューブをやめられなかったりして、親が干渉せざるを得ないのは理解できます。ただ、過干渉、つまり過度に、親が子どもに干渉すると、子どもは、長期的には、受け身的、消極的となり、親サイドからしたら「この子は、親が言わないと、何もしないんです。」という状態になってしまいます。なかなか、親サイドからしたら、色々焦ることもあると思いますし、怒りたくなることもあると思います。ただ、子どもが、将来、主体的、能動的に、前向きに生きていくためには、親も忍耐、我慢がいります。

 こうしたことの反対で、過放任養育も、過干渉と同様に「もう知らないからね~」も、結局、過干渉養育と同じです。僕は、自分の親に過保護に養育されました。僕は、子どもの頃、勝手に習い事をして、勝手にやめています。僕が、子どものころ、万引きしたときも、学校を停学になった際も、毎年受験に失敗した時でも、両親から、「ドンマイ!」と労いを頂きました。僕の両親は、かなり、過保護過ぎです。大学時代も、月1で、両親が、大阪から三重県に来て、掃除して、ご飯を作って帰っていきました。医大生のときも、僕は、懲りずにカンニンして、単位を失いましたし。だけど、過保護養育をすると、子どもの心に余裕を生まれ、子どもの内側にある、能動性、主体性を育み、自分が本当に何をしたいのか?に気づいて、主体的、能動的に動けていきます。(もちろん、この過保護という関わりには、個人差や特性などありますが)

 今度、一万円札になる渋沢栄一の両親も、過保護養育ですよね。渋沢栄一が、やりたいとしたことに、両親は、できる限りの応援をしており、渋沢栄一の父の談話で、「世の中、親孝行しない子どもを、親が憂うことをきくが、真の親孝行とは、子どもが成長し、立派になって、社会に孝行することだ。それを親が、誇らしく、嬉しく思うことが、真の親孝行だ。」という話をされていたと思います。僕の両親も、そう思ってくれていると思います。過保護に育ててくれて、いつも、応援していただき、両親には感謝です。

2024年3月6日水曜日

「自立」より「自律」!

  診療していると、患者さんによっては、彼氏ができると、すごく依存してしまうとか、アルコールとかゲームとかに依存してしまうという相談を受けます。

 人は、生きている限り、度々、自分で抱えきれないストレスやつらくなったりしますよね。それを、自分だけでどうにかしようとすると、悩みを抱えきれなくて、過度な依存になるリスクが高まると思います。自分自身が、困っていたら、誰かに「助けて~」とSOSを出して、諦めないで援助希求していければ、きっと誰かに出会うことができます。(この際に、できればホストとかより、医療機関とかにしてもらいたい~と作田の心の叫び)

 そうした、ちゃんと支えてもらう人を増やしていくことこそ、自分でどうにかすることよりも大事なことだと思います。それを「自律」といいます。

 自分で、できることは頑張って、誰かの役に立てたらいいけど、自分で、できないことや抱えきれないことは、誰かに援助希求して助けてもらえるようにして。自律的に生きていきましょう。精神科医療では、そうしたきっかけが、診断とか通院になります。

 僕は、患者さんの支援で人を巻き込むことが大事だと思っています。そのために、家族療法専門のカウンセラーや訪問看護、地域では、フリースクール、福祉や就労支援領域と連携しています。

 支援は、「点から線へ、線から面へ。面から円(縁)へ繋げていく」誰もが生きるのはしんどい、生老病死はしんどい。でも、そのしんどさを、分かち合って支え合うことができたら、人生は素晴らしいと思える。自分ができることは、限られているからこそ、多くのサポートを受けてお互いに助け合う部分は助け合いまょ!