2020年11月5日木曜日

アナ雪で伝わった僕なりの解釈

 今回は、言わずと知れたディズニーアニメーションの映画「 アナと雪の女王 」 について、あくまで個人的な僕なりの解釈と思った事を投稿させていただきます。

「 アナと雪の女王 」 日本では「アナ雪」と略されてますが、この物語で登場する『エルサ』は、生れながらに触れたものを凍らせたり、雪や氷を作る魔法がつかえるという「特徴」がありました。
ただその特徴により、妹に怪我をさせる事態をまねいてしまったり、他者と自分との違いや、異質性に対して、恐れ、慄き、不安を感じ、それは両親も同様に感じており、周囲には、隠蔽し、ひきこもるようになりました。
しかし、妹のアナからの愛という想いを受けて、自己否定から自己受容が始まっていきます。
そうした中で起きた奇跡が、魔法を解除し、むしろ、その魔法で人々を幸せにするという逆転の発想となり「特徴」が「特長」となっていきます。

発達障害の支援でも、同様で、当初は様々な発達障害者の抱える問題や「特徴」を直そうとしますが、一歩間違えると幼少の頃の『エルサ』のようになってしまう可能性があります。
問題を直そうとすることを否定するわけではありませんが、「特徴」を「特長」にしていき、「直す」ではなく「活かす」ことが大事だと「アナ雪」で感じました。

発達障がい者での悪循環の多くは、『エルサ』と同様に、自分の「特徴」に対しての不安や慄きからくる自己否定です。
この自己否定は、周囲から受容されてこそ自己受容していき、「特徴」が「特長」になっていくのではないでしょうか。

だって、この世の中の多くは、エジソンが電球や蓄音機を発明したり、最近では、スティーブジョブズがスマホを発明したりと、ASDの人が作ってきた部分が大きいわけですから「アナ雪」の話しは、実際のエジソンやスティーブジョブズの伝記と重なるところが多いと思います。