「無知の知」は、ソクラテスの「知らないことを自覚する」という哲学の出発点に向かう姿勢を簡略して表現した言葉です。
ある時、ソクラテスの弟子の興味により、アテネで一番の知者が自分自身である、と巫女を通じて神の預言として授けられたことを間接的に知ることになりました。
その預言を聞いたソクラテスは、そのお告げの意味を解明するため、賢者とされる人や高名な人を尋ね歩きました。
その結果、全ての人は「何も知らないのに知っていると思い込んでいる」ということにソクラテスは気づき、やはり一番の知者は自分かもしれないと思うのです。
なぜなら、知らないということをわかっているという点が、知恵のある者だからです。
僕自身で置き換えると、自分の弱さをちゃんと気づいている部分が、自分の強さだなと思います。
自分自身は、炊事、洗濯など女性ができる家事や料理が全然ダメで、妻がいないと生きていけません。
また治療者としても、不全な部分を自覚し、心理士、受付スタッフがいないと診療できません。
患者さんの在宅上のサポートの弱さを自覚し、当院の上階に訪問看護ステーションを招聘してサポートしてもらわないと、僕にとっての精神科の診療はできません。
また、クリニックの運営とか事務部門が僕は非常に苦手で、事務長に助けてもらわないと運営できません。
その他にも諸々、自分の弱さを補強していくために多くの人に積極的に「助けて~」と、鬼滅の刃の我妻善逸なみに周囲に訴えかけて、周囲に助けてもらう体制が段々と形になってきているところです。
その起点は、僕自身が自分の弱さや限界に気づいていることだと思います。
僕は一人では生きていけません。
妻がいないと、事務長がいないと、当院のスタッフがいないと・・・ダメなんです。
これからも、どうか皆さま、僕を見捨てずに助けてください。
そして周囲の皆様に助けてもらって、日々、どうにか病み気味で何とか踏みとどまっている自分が、今日も治療者の恰好をして何とか診療していこうと思っている日々なんです。
自分のこの弱さを大切にして『今日も、たくさん周囲の人に依存して生きていくぞ~』と、鬼滅の刃の我妻善逸をみて余計にそう思いました。