2020年6月25日木曜日

アンパンマンの正義感

最近、自分の中で『正義』とは何か?を考える機会がありました。
その時に、アンパンマンの作者やなせたかしさんの自伝的な書『アンパンマンの遺言』(岩波現代文庫)という本を思い出しました。

24歳で中国に出征したやなせさんは飢えに苦しみながらも戦争の正義を信じて戦いましたが、27歳で敗戦を境に終戦を迎え正義は一変します。
「正義のための戦いなんてどこにもない。正義はある日突然反転する」と骨身に徹するほどの経験をし、「逆転しない正義は献身と愛だ。目の前で餓死しそうな人がいるとすればその人に一片のパンを与えることだ」という猛然たる思いが原点となり、後のアンパンマンという作品につながっていきます。

アンパンマンは、僕たちにすごいメッセージを突き付けてきますね。

自分の考えや想いを相手に伝えることは大事だけど、その結果、相手が変わるか、変わらないかは、あくまで、その人次第であり、そこを無理やりにでも変えようとすることの延長に、喧嘩、ハラスメントがあり、最終的に国家間の戦争にまで発展していく。
そのことは、何度も何度も自分の心の中で持ち続けておきたいと思います。

アンパンマンの正義感を、自分に日々言い聞かせておいて、自分の身の回りだけでも、少しでも平和にしておきたいと思います。 
でも、それが、なかなかできなくて、自分の正義感を相手に押し付けてしまって、反省する日々なんですけどね。



2020年6月18日木曜日

娘がコロナ休みでテニスやバドミントンがうまくなりました!

以前にも当ブログの中で何度か出てきていると思いますが、僕には娘たちがいます。
外出自粛要請が出されていたなか外出もできないし、コロナ不安から子どもたちも少しの外出をすることにも気をつけるようになりました。
「子どもたちの方が、よっぽど世間や社会情勢を理解して、行動できているな」と感心しています。

でも、外出自粛を続ける生活がきっかけで、感染リスクの少ない家の近所で、子どもたちとバドミントンやテニスをするようになりました。
特に末の娘は、よく僕と一緒に遊んでくれるのでバドミントンやテニスが見る見るうちに上達していきました。

経過をみていると、何度失敗しても楽しんで繰り返すことで、上達していっていることに気づきました。
うまくなるには、たくさん失敗するけど、そこを前向きに受容して何度も繰り返していくとうまくなっていくんですね。

それと、父親としての自分も娘と遊ぶ際は、あくまで楽しみとかストレス発散でやっている程度の動機なので、本気で指導をしないように気を付けています。
僕は熱が入ると、どうしてもアツく指導してしまうタイプなので気を付けているつもりです。

また、僕がミスをしてラリーが止まることも結構あるんですけど、それすらも、娘は「ごめんね~」と謝ります。
もちろん、とても思いやりのある子だからと、親バカですが、そういう性質もわかっているんですが、相手のミスでも「自分は返せる!」とか、相手がミスショットになったのは「自分が良くなかったかな?」と反省しているようです。
それだけ「自分はやれる!」と思っているから、うまくなっていくんでしょうね。
我が子ながら「すごい!」と感心させられる日々です。

娘の上達を通じて、人生で成功していくには、たくさんの失敗を繰り返しても、前を向いて、明るく、継続していくことが大事なんだな、と感じました。



2020年6月11日木曜日

真剣に聞くのはいいけど、深刻に聞いてはいけない

先日、政府により新型コロナウイルスにおける緊急事態宣言が解除されましたが、今もなお連日、自粛による経済の影響や今後についてメディア等で報じられています。

日本の大手自動車メーカーであるトヨタ自動車の社長である豊田章男氏が、新型コロナウイルスの影響が拡大していた3月に、自身が会長も務める日本自動車工業会の定例会での会見で、記者から「 豊田さんは、この状況をどうお考えですか?」と聞かれ、「真剣に考えないといけないが、深刻には考えないようにしている」 と答えられたそうです。
当時、どの現場でも同様の質問をされていたらしいのですが、共通してこう回答していたそうです。

こういったやりとりがあったことを知り、自分の日々の診療を振り返りました。
僕は、日々の診療の中で、当然、精神科ですので、深刻な悩みを抱えて来院される患者さんもおられます。

僕の精神科医としての役割は、そうした深刻な悩みを聞きながら、解決の糸口を一緒になって探していくわけですが、時に、問題に飲み込まれそうになり、僕自身も深刻になってしまうことがあります。
そういう時は、僕自身もイライラしてきたり、患者さんと同調してしまい、問題に巻き込まれたような状態に一瞬一瞬でなっていることに気づくときがあります。
そうした時に、「真剣に聞くのはいいけど、深刻に聞いてはいけない」と、自分自身に声をかけます。
そうすることで、治療者として問題に意識がいきすぎて機能不全に陥ることを防いでいます。

なかなかわかっていても、どうしても気持ちや思いが先行し問題に飲み込まれそうになりますが、なるべく、その都度、診療中の自分自身に言い聞かせ、診療が終わった後に反省する日々を繰り返しています。

日々、どうしようもできないこととか、不安やイライラすることがたくさんあると思います。
真剣にはなるのはいいですけど、深刻にならずに、ユーモアとかを大切にしていきたい!そう思っています。



2020年6月4日木曜日

僕の人生で一番大事なのはゲーム性です!

現在、クリニックの診療において、色々な取り組みを行っています。
たとえば、僕自身の診療の向上を図るために、診療時間を今年の2月から少し減らして、僕自身の学びの時間を増やしたり、クリニックの関係機関との連携強化を行っています。
こうしたことのモチベーションは、どっから来るのか?を自分なりに改めて考えてみました。

一つのキーワードとして、僕自身、ADHD(不注意、多動性、衝動性)傾向があり、現在も自分の中には、児童・思春期の心性が依然としてあります。
そのため、自分の行動を突き動かすものは、信念とか、正義感といったものではありません。
誤解を恐れずにいうなら「ゲーム性」だと思っています。
つまり、自分の行動指針は、それが面白いのか?などといった部分が判断基準になっており、自分がしたい!と思ったことを、主体的に楽しんでいきたい!という思いがモチベーションになってます。
そのためだったら、お金はそこまで稼げなくてもいいし、多少なら苦しくても頑張れます。 

この「ゲーム性」ということが、自分にとって、かなり大事なことだと最近気づきました。
ここからも誤解を招く表現の仕方かもしれませんが、あえて表現をするなら、例えば、精神科の治療で「精神療法」「認知行動療法」「家族療法」などたくさんの「〇〇療法」があります。
この「療法」という言葉を「ゲーム」と、置き換えて解釈した場合、患者さんとゲーム的なやりとりをして、段々、精神的な悩みが軽くなっていくものだと考えています。
実際に、原則として子供を対象にですが、遊びを主なコミュニケーション手段、および表現手段として行われている、プレイセラピー(遊戯療法)という心理療法もあります。

ちなみに、僕は、基本的に人に指図されるのが大嫌いです。
どんなに偉い人に言われても、僕の心は常に自由で、誰からも束縛されたくない!という心性があるのかもしれません。
そうした「指示」や「命令」には、反発するか、黙るなどの抵抗をしてしまいます。
こうして、人からの指示や命令により、勉強をしたり、働いたりしても、主体性が奪われている状態ですから、僕は、すぐにしんどくなってしまいます。
なにしろ「ゲーム性」では、主体性が何よりも 一番大事だと思っています。
親の「勉強しろ!」という命令により、子供がそれに従い勉強したとしても、そんなに成績が伸びない理由の正体も、そこにあるのではないでしょうか。

僕はこれからも、自分が何をしたいか?何をしたら楽しいか?と自問自答し、主体的に行動し、その結果、自分や家族、その周囲の人たちが幸せになっていってくれたらいいな、とは思っています。