2021年12月29日水曜日

新規の初診患者さんを受け入れることができなくてすいません!

僕は児童精神科と精神科の両方の専門医なので、2歳から大人までの診療をし、子どもからずっと人生を通じて支援していくために、このクリニックがあると考えています。
勤務医時代から10年以上の支援をしている方もいて、初診時は10歳だった子が成人して、今では体格が僕より大きくなっている子もいて、びっくりするときもあるぐらいです。

また、家族療法を重要視しているため、患者さんの兄弟、親御さん、おじいちゃん、おばあちゃんと家族全体の主治医になることも僕の診療の特色で、ご家族も含めてカルテを作成することも度々あり、1人の方が受診されて、発達障害などの診断を幼少時にした場合、結構長期的に支援をしていくことが多いのです。

そのため、令和2年12月から1年間、原則、新規の患者さんの受け入れを停止した状態が続いています。
診断と支援は、必ずセットでないと治療的にはならないと僕は考えています。
それに、発達障害の支援は、人生を通じての長期的なサポートが重要です。

今後も、当院では、原則、新規の患者さんの受け入れは、難しい状態が続くと思います。
現在、通院にきてくれている患者さんを大事にしていきたいし、しんどい時になるべく予約を取れるような状態にしておきたいのです。

新規で当院の受診を希望されている患者さんには、心苦しいですけど、ご理解の程何卒よろしくお願い致します。

2021年12月22日水曜日

結婚について

第2次世界大戦前までの日本では、長きに渡って『お見合い結婚』が主流でした。
もともと、家と家のつながりが強かった日本では親戚などが仲介に入り、お見合いがきっかけで結婚することがごく当たり前のことであった当時は『結婚』そのものの考え方が、現在とは少し違っていたのかもしれません。
その後、恋愛結婚の割合も少しづつ増え始め、第2次大戦後以降の日本が高度経済成長期の頃に『お見合い結婚』と『恋愛結婚』の割合が反転します。

当たり前のことですが、現在の日本においては、恋愛の末、結婚された方がほとんどということになります。
一概には言えませんが『恋愛結婚』は、恋愛をし恋人同士の状態から結婚に至るまでがゴールとなりやすく、少なからず結婚生活に理想を抱いての門出になるものです。
そのため、結婚式がピークとなり、その後の結婚生活で理想と現実のギャップに混乱するということがあるように思います。

僕としては、結婚生活は、リアルと向き合って、そこから、どう運営し、相互に思いやりを持って、お互いを許容し、お互いを大事にしていくか?ここに、結婚生活の面白みがあると思っています。

他人が、一緒に住んでくれている。
この感謝を忘れないで、尊重し、大切にしていきたい。
これが、今一番、僕自身が考えている最重要事項です。

2021年12月15日水曜日

親の役割について

ほとんどの医学生は、卒業する前に大学病院の各科の研修プログラムなどのガイダンスを受けます。
僕は、当時その研修プログラムのガイダンスを受けたときに、医師としての人生のレールを、勝手に決められるような違和感を感じました。
『医師としての人生は自分で決めていきたい』と思い、大学院に進学するという選択はしませんでした。

その後も、ほとんど大学に寄り付くことはありませんでしたが、自分が学びたいと思ったことは、その分自分なりに色々な学びの場や研修を受けてきました。
それは、適切で間違いのない行程だったかというと、おそらく適切ではない部分もあったのだろうと思います。
ただ自分としては、自分自身が主体的に取り組んでこれて、今もユニークな精神科医の道を目指して頑張れているという実感はあるので納得はできています。

親の子育てでも、特に発達障害の児童を養育していると、いじめられないようにとか、将来困らないようにと先手を打ってあげたくなることもあろうかと思います。
ただ、誰もが人生において、つまづかないで生きていくことはできるのでしょうか?
本人が人生で困った時に、つまづいた時に、本人が助けて欲しい状況になったら、そっとサポートしてあげる。
そこまでは優しく見守ることの方が、親の役割としては、より大切なことだと思います。
子どもの主体性を尊重して、たとえ間違っていたとしても、また失敗しそうなことでも、やりたいことを応援してあげるスタンスが、親の役割として大事な気がします。

先日、あびこ観音の正面玄関に
「私は負けるということは決してない。勝つか、学ぶか。どちらかである。」
-ネルソン・マンデラ-
と、ありがたいお言葉がありました。
こういう思想を親自身が持って生きている姿を見せることが子どもにとってもいいんだろうな~。

「よし、がんばろう」と思います。

2021年12月8日水曜日

カモフラージュからリアリティーへ

発達障害があっても、そこから定型発達の人をまねてカモフラージュして生きる道を選択されて頑張っている人もいます。
ただし、発達障害の特性は生涯持ち続けるものですし、そこを隠していわゆる「過剰適応」で生きていくという選択をした場合、結局、自分の特性を否定して生きることになり、将来的には、うつや、希死念慮とか、失感情症を認めたりといった、いわゆる二次障害のリスクを高めてしまう可能性があります。

仮に、そういった二次障害になった状態から、精神科で「発達障害」と診断されると、最初は落ち込んだり戸惑ったりすると思います。
しかし、これまでの「過剰適応」という「カモフラージュ的人生」から「障害受容」が進んで、本人が主体的な人生に変わっていけるきっかけになったりもします。

それは時に、これまで無理して働けていたのに働くのをやめてしまったりと、社会的には生産性の低下を引き起こすこともあります。
でも、その人がその人らしく生きていくことよりも、病みながら自分に嘘をついて生きていくのがいいのでしょうか?
僕は精神科医なので、心身のメンタルヘルスを大事に考えたいと思います。

「あなたが、あなたらしく、あるがままで生きていく。周囲の評価を、過度に気にして生きていくのではなく、あなたが、あなたらしさを大事にして生きていくことを大事にする。あなた自身の幸せを、第一に考えたっていいじゃない?」そう思いますよ。
少なくとも、「カモフラージュな生き方」ではなく、自分の人生に「リアリティー」を高めて生きていく。
本当の自分に嘘をつかないで生きていくのって大事なことだと思います。
それを応援するサポーターでありたいなと思っています。

2021年12月1日水曜日

ペルソナとシャドウ

もう15年も前になりますが、僕が研修医だった頃のお話になります。
研修医というのは、ほぼ例外無く約2年の間に各診療科目を数ヶ月単位でローテートしていきます。
学校の時間割の授業という感じではなく、いつからいつまでは外科、そして次の期間は内科、そしてその次の期間は精神科...という具合で各科を転々とします。

色々な科を研修していくなかで、特に苦手意識を感じたのは外科での研修期間でした。
ですが当時は、何とか雰囲気に溶け込もうと自分の中のギアを入れ替えて、無理して馴染もうと努力しました。
外科での研修期間は、最も自分の中で「ペルソナ(社会的な仮面)」を作り出して、元気に明るくテンションをあげて取り組んだつもりです。
実際、興味がわかない部分も嘘をついて興味ある風にする感じで研修していました。

そのペルソナの反動でシャドウパーソナリティーな自分というか、素になるというか、家に帰るとその反動で、非常に機嫌が悪くなるというか、人とあまり喋りたくない感じになりました。
そのせいで当時、家族には結構イライラしている自分を出してしまい申し訳なかったな~と反省しております。

発達障害の心理的な構造で、社会では緊張となり「ペルソナ化」を作り出して頑張ろうとします。
しかしその反動で、家庭などでは弛緩となり「シャドウ化」して、例えば、お酒やゲーム、ネット動画などに依存的になったり、甘えたになるなど退行的になります。
そんなタイミングで家庭でも、しっかりしなさいとか、他者の気持も察して~と、家族から気を遣って欲しいというタスクを与えられると爆発してしまいます。
これがDVのパターン構造になることが多いのです。

ちなみに僕は,研修医の時に、精神科に回って、指導医の先生から「作田先生は、そのままの先生でいいんだよ」と言われて、全身の力が抜けたような気がしてすごく楽になりました。
僕にとって、精神科での研修医時代の研修は充実した毎日で、一生をかけて取り組みたい仕事だと思いました。

その頃は仕事で「ペルソナ化」を作り出す必要はなく、素に近い延長で頑張れたので家に帰ってきても家族にイライラして当たるとかは、ほぼ?無くなりました。

社会で「ペルソナ化」が少ない状態で、自分らしく頑張れるようになると、家でもその反動はなくなっていきました。
なるべく「やるべきこと」を手放すと「やりたいこと」が見えてくる。
やらされている感じ、これを減らして初めて自分の中の能動性、自発性が生まれてくる。
「しなくていいことを決めると、人生が楽になる」という題名の本(本田秀夫著、ダイヤモンド社)を一度読んでみてもいいかもしれません。

2021年11月24日水曜日

お母さんにリフレッシュ休暇を!

 診療のやりとりの中で、お母さん自身が『最近、余裕がなくて子どもに当たってしまいます』と吐露されることがあり、僕は、お母さんに対して『気持ちが落ち着いた時でいいから、お子さんに「ごめん、さっきは言い過ぎた」「イライラして、つい叱り過ぎちゃった。ごめんね」と謝ったらいいですよ』と伝える時があります。

児童期以降のお子さんにとって、母から叱責されて自分を否定されたショックは、母から八つ当たりだったと謝ってもらうことで楽になります。
お子さんにとっても『お母さんだって人間なんだから』という認識も持てるようになるので、お母さんは『怒り過ぎたかな?!』と思ったら謝ることが大切です。

その上で、お母さん自身もリフレッシュ休暇を取るようにしてください。
ただどうしても育児や家事は、意識して休むということを共有していないとちゃんと休めない部分がありますから、家族全体(社会全体でもあります)でサポートしてあげて欲しいのです。

お子さんへの八つ当たりが結構強まってきたら、お母さんが疲れてきている証拠です。
是非、お母さんのリフレッシュ休暇を支援していきましょう。

2021年11月17日水曜日

「自立」よりも「自律」を目指して支援する

 「発達障害児」支援において、「自立的」ではなく「自律的」な支援を目指していくことが大事だと感じています。
発達障害の特性のある児童が、なるべく自分自身で出来ることを増やしていく「自立的」アプローチが強く入りすぎると、自分で出来ないことも多いタイプの子らは、それらを人に相談できずに自分で悩みを抱え込むことが増える可能性があります。

結果的に、みんなと同じようにできないと苦悩し、自分はダメだと自尊心は低下していきます。
そしてその延長線上に、
 ⇒・誰にも困ったことを相談しなくなる
  ⇒・他者や社会に対してネガティブな感情や認知が強まっていく
   ⇒・被害的な認知が育つ
    ⇒・心理的、社会的に「ひきこもる」

という悪循環が生じやすくなり、親が発達障害の子どもに対して望んでいた「自立」の反対の方向に至ってしまう可能性が時として生じることがあるのです。

そのため、発達障害児の支援においては「自律的」なアプローチが大事となってきます。
自分で出来ることは自分でやるけど、出来ないことは人にSOSを発信し、相談して人にやってもらって助かった経験を積む。
そこで、支援者に対しての信頼感が生まれ、人にうまく頼れるようになる。

自分でやれること、やれないことを見極め、出来ないとなったら人に相談して助けてもらうスキルとして、ソーシャルスキルも含めた療育的な役割があると思うのです。
支援はあくまでも「自立」よりも「自律」を目指して支援していくことが大事なことが多いと感じています。

2021年11月10日水曜日

早期発見、早期受容!

 病気の多くは「早期発見、早期治療!」といいますよね。
当院では、発達障害の診断は3歳前後からしています。

そこで大事にしたいのは、早期に発見して一般的な疾患のように治すからではなく、発達障害の特性を理解し受容していくことから始めるということです。

特性は、性格よりも変化がしにくい部分で、岩盤のようなものとして捉えて欲しいのです。
本人の合意やモチベーションを育まない状態で、また周囲のサポーターが理解よりも解決を先行させていくと、本人を取り囲む社会はモラハラ的に見えてしまうということが、後々、生じてくることもあります。

そうなると、自分が社会で頑張っていきたいという意欲は生じにくくなります。
その最初の段階で発達障害と診断し、周囲が本人の特性を理解し、受容して、周囲は子どもの変えれること、変えにくいことを理解していくことが大切になってきます。

僕としては特性は変えれなくても、社会的な障壁は減らしたり回避はできる、そこが我々支援者の役割であると思っています。
発達障害においては、早期に診断して、早期に受容して、本人の自尊心がしっかり育まれて、思春期という物心がついてきた際に、前向きに主体的に、自分の人生を能動的に送っていってもらいたいのです。
そのために、自分ができることを日々考えながら診療しています。

2021年11月3日水曜日

苦手克服は物心がつく中学2以降から

 児童精神科医で有名な本田秀夫先生は、「自閉症スペクトラム」という自身の著書のなかで、発達障害の子が苦手なことを克服するタイミングについて、苦手克服をしていこうという本人自身のモチベーションが生まれて、自分と支援者との間で合意形成をして、苦手克服の特訓をしていくことが大事だと述べています。
そのために必要なことが、発達障害を抱えたお子さんの物心がついているかどうかが大事だと言われ、その物心がつく年齢の目安が、思春期年代、つまり中学生年代以降ということのようです。

つまり、発達障害の児童の周囲の支援としては、物心がつくまでは、ある程度甘々で対応し、本人の自尊心をしっかり育んでいくことを大事にしていく。
そして、発達障害の児童の多くが、物心つく年代の中学2年以降(これは、僕自身の推測年代的理解でもあります。)で、苦手なことも特訓していきたいと、本人自身の中で自発的になってきたら、周囲の支援者らは、そこで厳しく関わるという順番が大事だということになると思います。

発達障害の理解が不十分だと、
 ・本人が物心をつく思春期年代までに、本人の特性を変えようと厳しく接する。
  ⇒・本児は変われないことで、本人の自尊心は低下していく。
   ⇒・やがて親自身も、そうした厳しく接しても変化が生じないことで無力感を感じ、自分の育児に対して自責的になる。
    ⇒・子どもが思春期を迎えた頃には、親は諦めの境地となり、対応が甘々になっていく。
という、本田先生のいう理想的な養育の反対になってしまいます。

発達障害の成長は、あと伸びです。
大器晩成ということわざは、発達障害の子のためにあると思っています。
発達障害の児童の成長の、あと伸びの伸び幅を規定しているのは、その子が思春期年代を迎えた時の、物心つくまでの間に、どれだけ周囲から受容的に関わってもらえたかが重要になります。

そのために、「発達障害は、早期発見、早期受容!」が大事になってくると考えていますし、発達障害の実践的な知識が普及していくように切に願っています。

おススメの本は、
ーーーーー
『自閉症スペクトラム
 10人に1人が抱える「生きづらさ」の正体』
(SB新書)著者:本田 秀夫
ーーーーー
です。

この本をたくさんの親御さんや学校の先生や支援者が読んで、自閉症スペクトラムについて理解が促進し、適切なサポートが普及していくといいな~と思っています。

ちなみに、僕自身は、自分のことを、純粋なADHDタイプだと思っています。
僕の母親は、喜怒哀楽の『怒り』という感情がほとんどないのか?僕は、母親に怒られた記憶がありません。
勉強しろと言われたこともありません。
好きなことを好きなようにやらせてくれて感謝です。
僕が万引きをした時も、学校を停学処分になった時も、母は、僕のことを心配はしましたが、怒りはしませんでした。
それでも、一応、こうして医者になれて、それなりに生きれています。
もちろん、自分のできていない部分は多く、それで妻や家族や当院のスタッフには、感謝しております。
養育に叱咤激励はなくても、自尊心を育んで主体的に生きていける「自律」のサポート。
これだけで、養育って、結構いけるんじゃないか?と思っています。

2021年10月27日水曜日

ホームランとか綺麗なヒットじゃなくて、バントヒットとか進塁打でもいいと思えるようになると治療成績は上がる

僕は、保険診療内で少しでも効果的な精神療法を実践していきたいということを重要視している精神科医です。
そのため、定期的に自分の精神療法の個人指導を受けています。


僕の精神療法の指導をしてくれている先生から指導された言葉で「先生の好きな大谷選手だって、毎回ヒットやホームランは打てないでしょう。
バントヒットとか、進塁打とか、小技程度を目指すと治療の幅が広がっていきます。
そして、そうした治療の中での幅が広がっていくことができたら、自然と、先生の力みも脱けていきますよ」と指導してもらいました。


まだまだ自分は、診療で力みが強い状態です。
そういう自分に「バントでいいよ、アウトになっても進塁打でもいいよ」なるべく治療者である自分の設定も、スモールステップでいきたいと思います。


患者さんも、治療者である僕も、無理しすぎないように、共にぼちぼちで行きたいな~と思います。

2021年10月20日水曜日

今の時代の子どもの困難さ

現在のテレビ番組に出てくる子どもタレントって早期成熟だな、と感じることがあります。
非常に賢いし、高い技術があるように思います。


昔から天才子役といわれる子役が定期的に出てきますが、最近でいうと寺田心くんや、少し前なら芦田愛菜ちゃんとか、鈴木福くんとか。
この後の二人は、もう立派な青年になっていますが、昔の子役よりも今の子役は、もう立派に大人な感じですよね。


これは、芸能界だけにとどまらず、一般の社会にも反映されている気がします。


早期教育、早期成長を求められ、それに応えられる子は、もちろんそれでいいけれど、僕みたいに後で成長するタイプ、放牧してくれた方がいいタイプには『生きにくい子ども時代だな~』と、立派な子役をみていると思いました。

2021年10月13日水曜日

最近は白髪化がましになってきました

開業してから、しばらくは白髪が目立っていました。

今年に入り、診療時間を減らして自分の心身のメンテナンスの時間や僕の治療の指導を受ける時間の確保、家族を大事にする時間などを増やしてきました。
その結果、自分や家族の状況も安定していったように思います。

診療時間を減らしたことで、患者さんには負担をかけてしまっていますが、自分自身の心身のコンディションは、昨年よりも良好な状態となってきています。
そのことが影響しているのか?僕の白髪化も改善してきました。

結構、こうした心理的な影響が白髪化にはある気がします。

2021年10月6日水曜日

”罪悪感” × ”余裕” ⇒ ”子どもに優しくできるでいい”

発達障害の子の育児は、親サイドにも非常に高いストレスがかかるときがあります。

そのような際に、放課後児童デイサービスを利用したり、またヘルパーや訪問看護などの在宅支援サービスを利用したり、時には、お子さんにショートステイなどを利用したりと、なるべくお子さんに対して、お母さんが罪悪感を持つくらい育児を外注してもらうようにおススメするときがあります。
そうやって、お母さんが子どもに対しての罪悪感を感じるくらいの時間的な余裕を持ってもらうことで、育児にも余裕が生まれてきて、子どもへパートタイム的に愛情を注ぐことができるようになることがあります。

発達障害の育児に一番大事なのは、お母さんの笑顔です。
その笑顔を作るために必要なのは、罪悪感×余裕から生まれる優しさであってもいいと思います。

子どものためにお母さんがいるんじゃなくて、お母さんがいたから子どもが生まれたのだから。
お母さんが楽になることで、子どもも楽になることって結構あると思います。

育児は、継続的に力を入れていかないといけないから、効果的に力を抜いてもらうためにも、なるべく、色んな育児サービスを使って育児を休んで自分をメンテナンスすることは大事ですね。

2021年9月29日水曜日

長所伸長、短所は、ほどほどにやり過ごす

僕は児童精神科医、精神科医として、発達障害と診断した場合は、患者さんやそのご家族に傷病名を告知した後、そこから、その患者さんの何が変わりえるのか、何が変わりにくい、又は変わらないものなのか?を伝えることがあります。

何が変わらないものなのかを伝えることで「どうせ、自分なんか死んだ方がいいんだ」と、変わらないことを変えようとすることで自尊心が低下するのを防ぐのと同時に、親御さんには自分の子育てに自責的になり、その結果、余計に、お子さんにきつく当たってしまうという悪循環が生じないように支援できたらと思っています。

精神科医としては、発達障害の児童の特性を治すのではなく、精神症状をうまないことが一番大事だと思っています。
そのためには、発達障害の心理教育や心理発達ガイダンスを、その都度、効果的にしていくことが大事になってきます。

結構難しいことですが、発達障害の児童の特性を変えようとするよりも、できていることや強みを見出し、褒め伸ばしをしていくことが重要です。
発達障害を含めた精神科的な診療は、長所伸長、短所は、ほどほどにやり過ごせるように支援していくことが大事になります。

でも、それは、僕を含めた支援者も含めてなかなかできていないことでもあります。

もっと、発達障害の実践的な知識や対処を普及していくことが重要になってきていると痛感しているところです。

2021年9月22日水曜日

アフィニティー(親和性)の大切さ

僕は子どもの頃から、勉強が嫌いです。

高校3年生の秋頃に医者になりたいと本格的におもいだして、受験勉強をして3浪の末に医学部に入学しました。

その3浪の末に医学部に合格した時は、大学に入ったら立派な医師になるために勉強を頑張ろうと思いましたが、やはり根っからの勉強嫌いなんでしょうね、医学生になってからも、あまり勉強はしませんでした。

しかし、医学生の頃に精神科領域の本は、他の診療科の本と比べると薄かったのか?すっと、苦痛なく読めたんです。

それに、精神科の実習は何か気負いもなく、自分の中の興味や能動性が刺激されたのを覚えています。

好きなことというよりは、アフィニティー(親和性)だなと思います。

『やっていること自体に苦痛が少なく、結構やれるもの』それをみつけて伸ばしていくと、仕事になるのか?趣味になるのか?分かりませんが、人生をかけて、自分のアフィニティーのあることをみつけていくことって大事だな~と思います。

僕は精神科の勉強だけは、現在でも真面目にやり続けてられるけど、作田整骨院のせがれだけど、整形外科の本とかは数ページ読むだけで、もうしんどかったので、整形外科医にならなくて良かった~って思います。

2021年9月15日水曜日

少年よ大志を抱け

 最近、「Dr.コトー診療所」というドラマをTSUTAYAで借りて、久しぶりに視聴しました。

そこで印象に残った言葉が、コトー先生が「Boys, be ambitious」を引用した話でした。

この有名な「少年よ大志を抱け」のフレーズは、みなさんも1度ぐらいは聞いた事があるのではないでしょうか。
この言葉は、札幌農学校(現在の北海道大学)の初代教頭のウィリアム・スミス・クラーク博士が、アメリカに帰国する時に、見送りに来た学生に残した言葉です。
クラーク博士は、「人はいかにあるべきか、その道を全うするために大志を抱け」と、学生らに伝えて去りました。

僕が思うのは、正しい学習とは、学びを通じて自分の周囲の人に優しくなれるなら、それは正しい学習であり、反対に、学んだことで自分の周囲の人に優しくなれないのなら、それは誤った学習だと思います。

僕がこのドラマを視聴して思ったのは、コトー先生は、医療を通じて、医者とはどうあるべきか、人としてどうあるべきか?を大志を抱き続けて、学び続けて、その答えを探していく旅の途中だと思いました。
コトー先生は、僕の憧れです。

2021年9月8日水曜日

理想的機能不全家族を目指す!

 僕の主な日曜日の夕方の過ごし方は、ちびまる子ちゃん、サザエさんを続けて観るのがルーティーンとなっています。
「子ども達が好きだから」と習慣になっている?からです。

サザエさんのエンディングの「さざえさんは、愉快だな~」のフレーズで、いつも感情がこみあげてきて、ノスタルジックで感傷的な気持ちになるのです。
これは「明日(月曜日)からまた仕事か~」という現実に直面して憂鬱になる、いわゆる『サザエさん症候群』という感じ以外に、この二つのアニメには「何かあるんじゃないか?」と思いました。

この日曜日の夕方にテレビで放送されている、ちびまる子ちゃん、サザエさんは、昭和の頃に理想的とされていた家族をテレビアニメに投影したような印象です。
だから僕は、こうしたアニメを視聴すると、何か家族の理想を押し付けられるような感じがして、しんどくなるのかもしれません。

現代の家族は「理想的機能不全家族を目指す」でいいと思っています。
僕が個人的に思っている「理想的機能不全家族]とは何かというと、例えば、僕の家族はリビングにみんないてても、それぞれスマホでユーチューブを観たり、ゲームやタブレットで何かをしていて、みんな別々なことをしている感じです。
ダイエットしている人、プロテインを飲んで鍛えている人、お菓子を食べている人~。
みんな違ってて、各々違う方向を向いてて、まとまりがないのがいい、でも、そこまで揉めてない・・・みたいな。

現代の家族を描いた家族アニメをに日曜に流してくれると、僕のサザエさん症候群は、もう少しましになるのにな~と思いました。

2021年9月1日水曜日

俳優 大沢たかおさんがインタビューで話していたこと

 数々の人気ドラマや映画に出演し、観ている多くの人を魅了してやまない俳優の大沢たかおさん。
僕も大好きな俳優さんの一人です。

先日、テレビのインタビューで『僕が苦しんだ分が大きい方が、お客さんは喜んでくれる。僕自身は、俳優として特にやりたいことはないです。求められた仕事で、期待されたら、それに対して一生懸命応えるだけです』と話されていました。

大沢たかお『やっぱりカッコいいな~』と感じました。
格好をつけている感じじゃなくて、飾らないで素直に表現している実直さが好きです。

僕自身も、日々、診療に苦しんでいます。
でも目標は、診療技術が上がって楽に診療できるようになることではないんだな~、と思いました。
やっぱり、診療場面で患者さんと向き合って、苦しんで、苦しんで、無い頭で捻りだした関わりの方が、患者さんに受けている実感があります。
診療で少しでもさぼったり、集中力が低下した状態で、いわゆる「流した」状態での診療になった時の、患者さんの受けは、非常に悪いです。

苦しみから逃げない、相手の期待に応えるためにベストを尽くす!
医者を引退するその日まで、苦しみから逃げずに、頑張りたいと思いました。

2021年8月25日水曜日

悔しい気持ちの重要性

 新型コロナウイルスの影響により、史上初の1年延期となった第32回夏季オリンピック東京大会でしたが、もちろん開催国である日本をはじめ、あらゆる意味で世界中で色々な思いのあった大会だったのは想像に難くないかと思います。
また、今大会に出場する選手や、1年の延期により出場に至らなかった選手や選手をサポートしている方々の思いは、計り知れません。

オリンピック選手の方々の印象に残る言葉は、
「悔しい気持ちをずっと忘れないように持ち続けていた。それが良い結果に繋がった」
という内容のものでした。

僕の好きなイチロー選手も、4,000本安打の時の記者会見で
「4,000本安打には、僕の場合、8,000回以上悔しい思いをしている。その悔しさと常に向き合ってきた事実は誇れると思いますね」
と、よく似た内容のコメントをされていました。

僕自身は間違いなく、もっと低いレベルであることは、自覚しています。
でも僕自身の原動力も、診療で感じている日々の「無力感」や「悔しさ」です。
そこを自分なりの向き合い方をして、指導を受けて研鑽を続けていきたい。
そう思わせてくれたオリンピックでした。

2021年8月18日水曜日

僕は、精神科医として患者さんから笑いをとりたい!

テレビを観ていると色んな芸能人が出演していますが、特にお笑い芸人さんは、どんなジャンルの番組でも、ほとんどと言って良いぐらい出演していますよね。
僕も対面商売なので思うんですけど、芸人さんがお客さんを笑わせるのって、すごいプレッシャーだろうと思います。

ちなみに、芸能人で僕と近い芸風?を感じるのは、ココリコの田中さんです。
ココリコの田中さんは、出身が僕と同じ大阪府豊中市庄内で、かつ身長181cmも同じで、以前、番組で田中さんが、地元庄内の肉ふじのコロッケが好きと話していたのですが、僕も好きな地元グルメ!です。

他にも、キスマイの宮田君、サバンナの八木さん、野々村真さん、ますだおかだのおかださん、そば好きで再脚光中のDEENのボーカル池森秀一さんなど、テレビを観ていて何か自分自身、勝手にシンパシーを感じています。

何というか、何となくの僕の中の勝手な印象で非常に恐縮なのですが、個人的に前に挙げた芸能人の方々に共通していると思う感覚は、凡人で気も小さいのに無理して何とかあがいている感じ・・・。

でも、陰で生き残るために、必死に、謙虚に、誠実に取り組んでいるのも分かるから、ちゃんとこの人たちには、仕事は回ってくるんだろうなと思います。

僕自身、不器用で突出した才能はないけれど、精神科医として患者さんに笑いを届けたい。
笑われてもいい、引き笑いでも、精神科医が笑わせようとするだけで、患者さんは結構受けてくれるので、ありがたいです。

だからこそ、『これからも診察で笑いを取りに行くぞ~』と思って診療して、滑る日々を送っています。
「よっ!滑り芸!」

2021年8月11日水曜日

少学生の頃のサッカーとの違い

僕は小・中学生の頃、サッカーをしていました。
ポジションは、ずっとディフェンダーでした。

小学生の頃は、とにかく必死で守ってボールを前線に供給するということだけといってもよいぐらい超シンプルな感じでプレーしていましたが、チームのレギュラーとして一生懸命やっていました。

しかし、中学生になってサッカー部に入ると、当然、小学生のときのような超シンプルなサッカーでは間に合わず、パスや連携などといった動き方が必要で、自分にとってはそれが難解な感じでついていけなくなり、ベンチを温めることが増えていき、すっかりやる気をなくしてしまいました。

もちろんプロのサッカーにもなると、もっと組織的になり複雑で相互の連携やコミュニケーションを求められることは容易に想像がつきますよね。

発達障害の子らの多くは、僕が中学生の頃に感じたこうした難しさを、すごく感じていると思うんです。
サッカーだけでなく、世の中も、コミュニケーション、連携、空気を読む、臨機応変、迅速性、協調性などを、より一層求められています。
発達障害の人に比較的向いている仕事が社会からどんどん減ってきており、昔は口数の少ない頑固おやじの仕事があったのに、今は無くなってきています。
『難しい時代に入ったな~』と思います。

 

2021年8月4日水曜日

『白い巨塔』の財前先生と里見先生

 メガヒットとなったドラマや映画には、対極的な人物を置いて、そこから生れる「エンパシー」と「シンパシー」のコミュニケーションの話として捉えることができます。


このコミュニケーションの話として捉えた見方をすると、『白い巨塔』の唐沢寿明が演じる浪速大学医学部の財前先生は、表情の抑揚や自己の内的な感情の発出は乏しく、教授への地位や権力者になるといった目標に向かって躍起になっている姿には「シンパシー」つまり、アスペルガー的な特性があると個人的には感じます。


ゆえにエンパシー側からすると、財前先生は非常に打算的で利己的な感じで、頭脳的には賢いのだろうが心情がバレバレの状態なので、師匠である東教授や、その他の教授陣などからは嫌悪されてしまったと感じました。


アスペルガーの特性を一言で言うと、自分の心の中に他者の心があまり入ってない状態なので、患者さんからの感謝の「ありがとう」が、生きる上での原動力になりにくいのです。

それよりも目に見える金、権力や教授という地位に魅力を感じます。


一方、浪速大学の内科医で、財前先生とは大学時代からの同級生で友人でもある里見先生は「エンパシー」タイプです。

非常に高い共感性を有し、患者さんの「ありがとう」という感謝が原動力となり、自分の理想とする医療に向かって邁進していく。


財前先生は、天才外科医で、アスペルガータイプで、職人タイプ。

里見先生は、人間味のある、誠実で真面目な内科医。

この対比が非常に面白い。

この二人のやりとりの中で、ふと、財前先生が里見先生への憧憬的な対応をする時があります。


そういえば、『鬼滅の刃』でも同様に、アスペルガータイプの富岡さんは、エンパシータイプの炭次郎に、『ドラゴンボール』のベジータが悟空に、『スラムダンク』の流川君が花道に、『忍者ナルト』のサスケがナルトに、そうした想いを発出するシーンがありました。


シンパシー側は、自分の中に他者のこころの部分が少ない、つまり、心理的に視力障碍的な部分があり、そこを自覚し悩んでいる部分があり、一方、エンパシータイプは、他者の心を十分に読み取る力が強い、心理的な視力がいいから、そこは羨ましく感じるのだと思います。

でも、シンパシーなアスペルガータイプは、自分の特性を活かして邁進していく姿、つまり、対人面では協調的、迎合的に生きるのではなく、人間関係を極力、必要最低限にしてスナイパー的な対人関係にして、自分の好きなことを大事にしていくことが大事だと思います。


『白い巨塔』は、そうしたアスペルガータイプの目指す姿とエンパシータイプの対比で、色々感じて解釈していくという話しだと、個人的に理解しています。


やはり、人間ドラマには、シンパシー側のアスペルガータイプ(心の理論の通過が乏しい人)と、エンパシー側のHSP(心の理論の通過が、高い状態の人)との対比が面白くさせる。

両方が、人生ドラマには必要です。

当然、人間社会でも同様です。

ただ、双方の違いを理解しておくことは、重要だと思っています。


2021年7月28日水曜日

引退試合の涙!

僕は高校時代ラグビー部でしたが、部活をそこまで熱心にしていませんでした。
だからなのか、最後の引退試合で流した涙は、結局、中途半端な自分に対してのやるせなさというか、自分が情けなくて流した悔し涙でした。

小学校時代はサッカーをしていて、その時の引退試合は、自分なりに一生懸命サッカーに打ち込んでいた自分もいたし、共に練習してきた仲間たちとの最後の試合ということで、みんなが一緒の気持ちで涙していたような気がします。

当院もいつか閉院するか、誰かにバトンタッチする日が当然きます。
その時に、一緒に頑張った仲間達と共有し合える関係性や、達成感を含め『一生懸命取り組んできたね~』と分かち合いたいと思います。
そこを目標に、いろんなことを真剣に取り組んでいきたいなと思います。

2021年7月21日水曜日

人を診れる医者になりたい

 日本をわかせた2019年のラグビーワールドカップでベスト8の立役者でもある、元ラグビー7人制日本代表選手、福岡堅樹選手が、ラグビー選手としては絶頂期にも関わらず現役を引退して今年4月から医大生となりました。

『どんな医師になりたいか?』とインタビューされて『人を診れる医師になりたい』と話されていました。

僕も小学生の時に、ある漫画がきっかけで、全人的な医療が出来る医師に憧れるようになり、現在もその夢を追い続けています。

ここからは、あくまで個人的見解ですが、実際、医療の世界で、多くの医師に「人を診れているのか?」と訪ねた場合、各々のレベルで『はい、診れています!』と言える医師は少ないと思います。
僕も、毎日毎日『ちゃんと、その人そのものを診れているだろうか?』と悩み、そこから逃げずに向き合っているからこそ、日々、正直苦しいです。
この苦しさから逃げないで向き合うこと、そのものが「人を診る」ということであり、患者さんに喜んでもらうために、自分の血と汗と涙をかき続けて、苦しみ続けるということなのですから。

正直、医師も人間なので、どこかで楽をしたいから、パターナリズム、マンネリズムで、人を診ないで病気だけ診るようになったりして、段々『人を診る』という意識は低下していくことが多いです。

でも、福岡選手がまっすぐ『人を診れる医者になりたい』と熱く語る姿に『この人なら、できるだろうな~』と自分の胸が熱くなりました。
あれだけラグビーを極めた選手が、それを捨てて医師になるために全力投球するんだから、すごくいい医師になると思います。

僕だって全人的な医療者になりたいと小学校からの夢に向かって、負けたくないと思いつつ、これからも福岡選手をおっかけていきたいと思います。

2021年7月14日水曜日

連続ボーク判定での大谷選手の捉え

僕は高校時代、プロ野球の読売ジャイアンツの4番バッターだった落合博満選手のファンになり、その後、松井秀喜選手、イチロー選手のファンとなり、今はエンゼルスの大谷翔平選手のファンです。
僕は、これらの選手に共通して野球に対して真摯に取り組む人間力を感じるので、応援していると自分も奮い立たされるような気になります。

先日、大谷選手が投手として登板した際に、審判に納得のいかないボーク判定をとられ、その後もう一度、ボーク判定をされるという不可解なジャッジがありました。
この連続ボーク判定は、米メディアでも物議を醸されましたが、その試合後の記者会見で、大谷選手は「久々にマウンドでイライラしてしまった。そこら辺は、まだまだだな、という感じ」と述べていました。

自分にとって納得のいかない不利な判定をされても、迅速に自分を分析し、自分の成長を見据えている、素晴らしい姿勢だと思いました。
なかなかできることではない、さらには26歳という年齢にも関わらず。

僕にとっては大谷選手を尊敬し、かつ『ずっと応援をしていけるな~』ともっと好きになった出来事でした。
個人的には、イチロー選手が引退して『正直もう応援できる野球選手がいないな~』と「イチローロス」になっていたこともあったので、大谷選手に『ありがとうございます。』という気持ちです。

2021年7月7日水曜日

タイタニックと2人のアスペルガー症候群

 僕は映画とかアニメで、アスペルガー症候群の傾向のある人を探索して、その人の視点から、僕なりに物語を追っていくということを定期的にしています。

今回は不朽の名作『タイタニック』です。


ケイト・ウィンスレットが演じる上流階級の令嬢だったローズは、破産寸前の貴族の家の財政再建のため、母親が主導で成金の婚約者と政略結婚をすることになりました。

しかし、母親はアスペルガー症候群傾向で、また婚約者もアスペルガー症候群傾向であり、自分が社交場での交流がつまらない様子をしても分かってもらえないと、日々、空虚感を募らせていました。

婚約者は高価な宝石や自分の権力を誇示してローズの愛情を得ようとしましたが、ローズが本当に欲しかったのは「エンパシー」的な共感だったのです。

そこに、レオナルド・ディカプリオが演じるジャックという貧しい、しかしイケメンで才能のある絵描きとタイタニックで出会います。

母や婚約者は察して共感することができなかったという、ローズの苦しみや、心の中に潜む空虚感をジャックは急速に埋めていき、二人は瞬く間に恋に落ちていくという話し。


タイタニックが沈没する際に、ローズのお母さんは救命ボートで無表情で娘のローズが乗船している船の沈没する様子をみています。

あの状態を、皆様はどう感じたのでしょうか?

アスペルガー症候群傾向の母の脳内はパニック状態で、おそらく腹痛、下痢など内臓を含めて興奮していただろうと思います。

しかし、表情筋は無表情で、いわゆるフリーズ状態になっている(一種のパニック状態)だと思います。

決して何も感じてないわけではないのです。

ただ、そうした脳内のパニック、混乱を表出できないのです。

それが「シンパシー」なのです。

他にも、僕がなぜこの二人がアスペルガー症候群だと判断したのか?また、僕が思うローズとジャックの恋と行動心理なども述べたいのですが、今日はこの辺でやめておきます。

2021年6月30日水曜日

エンパシー、シンパシーⅢ!

 当ブログのネタではヘビーローテーションとなっていますが、今回も漫画アニメ『鬼滅の刃』の内容を絡めて、あくまで個人的な感想と意見を投稿させていただきます。

前提としまして『鬼滅の刃』を、既に読まれた、または観られた方でないと内容がわかりにくいかもしれませんが、ご了承ください。

※ これから楽しもうとされている方は、ネタバレを含むかもしれませんので、ご注意ください。


那田蜘蛛山(なだぐもやま)編は、僕にとっても非常に勉強になります。


炭次郎は臭いで人の気持ちが分かるという、いわゆるHSPと言われる人の気持ちを察する能力が高く「エンパシー」タイプです。

彼の戦いは、僕からしたら戦っているというより、ひたすら喋っている、いやカウンセリングしている感じです。

文字通り、真剣に向き合っているのです。

鬼である累と言葉や感情を通じて分かりあいたいのです。

そして、最後に累は死にながらも炭次郎のエンパシーを感じて、自分の中の心の記憶が呼び覚まされていく。

こうしたエンパシーを通じた交流に感動や希望を、我々は見出すのだと思います。


一方、水の柱、富岡義勇はアスペルガー症候群的な特性があり、表情の抑揚や自己の内的な感情の表出に乏しい孤高の剣士です。

炭次郎とは対照的に、特に言葉や感情を介することなく、累を瞬殺し、そして着物を踏みつけます。

富岡義勇は自分の感情や想いを他者と分かち合うということではなく、自分の中では、たくさんの想いを背負うけど、それは自己で生成し循環させており、ほとんど他者と分かち合うことはありません。

それが「シンパシー」なのです。


だから、アスペルガー症候群の傾向のアニメキャラは、ドラゴンボールのベジータ、忍者ナルトのサスケ、スラムダンクの流川楓、ドラマでは白い巨塔の財前教授(唐沢寿明)、ぽっぽやの高倉健などなどです。


共通しているのはセリフは少なめで、表情の抑揚は乏しく、特に口周囲の表情筋があまり動かない、自分の感情などの抽象的な表現をあまりしないし、共有し合おうともしないですね。

それがシンパシーなのです。


シンパシー側からすると、炭次郎のように『が~が~』来られると『結構きついわ~』と思いつつも、同時にそこに憧れや希望も抱いているようですね。

たしかにベジータは悟空に、流川君は桜木花道に、サスケはナルトに、財前教授は里見先生に、憧憬の念を抱いていた感じもしますもんね。

2021年6月23日水曜日

エンパシー、シンパシーⅡ!

以前、当ブログに『シンパシーとエンパシー』というタイトルで「エンパシーとシンパシーの違い」について投稿させていただきました。

⇒『シンパシーとエンパシー』  2020年10月29日木曜日 

 
当ブログを閲覧してくださっている患者さんから、難解で分かりにくいとのご意見を受けて、今回のブログでもう少し分かりやすく?説明したいと思います。

【シンパシー】
・自閉スペクトラム症サイド(アスペルガー症候群、高機能自閉症も含む)
自分という心の中に、生来、他者の心がない、又は乏しいため、相手から感情的に怒られても、すごく嫌な気持ちになるという共鳴(※)はするけど、どうして、ここまで相手を自分は怒らせてしまって、相手の感情をどうすれば落ち着かせることが自分にできるのか?という、人と人を介した感情や言語で論理的、感情的に共有していこうという「エンパシー」としての共感的な対応が出来ない、又は出来にくいのです。
(※ これは本人自身の中で生じるものであり、共感という他者を介して共有していくものではない)


やはり難解だと言われそうなので例をあげると、自閉スペクトラム症の児童に対して、その児童の母親がイライラして叱責、注意すると、自閉スペクトラム症の児童には、母親のイライラが最初に 自分の心に飛び込んできて、そこで「シンパシー」で感じて、混乱、パニック、癇癪を生じてしまうので、母親が懸命に伝えたい思いや内容が、本人には届かないのです。

【エンパシー】
・母親サイド
一生懸命、自分の気持ちや言葉で「愛情としての想い」を伝えたいのに、どうしていつも我が子には「母親の愛情としての想い」が伝わらないのか?という「エンパシー」と「シンパシー」の、共感の仕方にすれ違いが生じてしまうのです。


だからこそ、発達障害の子に親がどう関わると効果的か?という「ペアレントトレーニング」や、発達障害の人に対しての関わり方の根幹が、この「エンパシー」と「シンパシー」といったコミュニケーションでの相互の共感の性質の違いを認識しておくことが重要なんです。


やっぱりわかりにくいでしょうか?
次回も引き続き「エンパシー、シンパシーⅢ!」で説明してみます。

2021年6月16日水曜日

自分自身のトリセツは必要!

 診察場面で「自閉スペクトラム症です」や「アスペルガー症候群です」と診断を伝えても、患者さんの理解度はそれぞれです。


普段よく耳にする病名や身近な人が罹った病気の場合では多少何かしらの知識をお持ちです。
ところが「アスペルガー症候群です」と言われても、 患者さんはなかなかピンと来ていない様子であったり、または、こちらが思っている以上に知識が共有されないということが多いです。
さらに発達障害は、非常に裾野が広く理解しにくいのです。 


そのため当院では発達障害の傾向があれば、なるべく心理検査などの心理アセスメントを受けてもらって特性を説明したり、地域にある発達障がい者支援センターにいって相談してもらったりと様々です。

少なくとも当院で出来るアセスメントをして、患者さん自身の「トリセツ」の役目が果たせるようにしたいと思っています。

自分自身の「トリセツ」があった方が、自己理解しやすいし、周囲にもわかってもらいやすいし。

発達障害の支援は「解決よりも理解!」そこが大事になってくるので、出来るだけ理解促進的になれるように診療していこうと思っているところです。

2021年6月9日水曜日

自分が自分らしくいること、そして他人が他人らしくいることだけで、私は幸せを感じる

今回のブログのタイトルは、アメリカの臨床心理学者であるカール・ロジャーズが遺した言葉です。
アメリカはもとより日本でも心理療法家にとっては、もっとも影響のある人物の一人だと思います。

ロジャーズは、長期的な人間関係において、自分らしくないように演じることは何も生み出さないと説きました。
自分らしくいないと自分を拒絶することになるので、幸せになれないのです。

僕が診察場面で感じるのは、患者さん自身を中心にとりまく外界において、社会的な仮面を身にまとった状態で過剰適応的に頑張っておられる方が多いことを実感しています。
その過剰適応の「過」は、結局のところ自己否定です。
素の自分を認められないから違う自分を作り出して頑張るみたいな、いわゆる「ペルソナ化」(社会的仮面化)です。

ロジャーズは、「自分自身という存在を受け入れることが変化の基本です」と説いています。
自分が誰なのかをしっかり見極めて、自分自身を知ることが人としての成長のカギとなるのです。
だからこそ、医療的な診断として「アスペルガー症候群」などの発達障害の診断をし、患者さんは診断されることで一時的には落ち込んだとしても、段々自己理解し自己受容が進んでいくにつれ患者さん自身の中で「これは特性なんだから無理まではしなくてもいいんだ」と、自分自身を認め始めていきます。

治療者が患者さんと目指すのは、解決ではなく、まず理解。
自分自身を受容したとき、人間には変化と成長が起こる。治療者は、クライエントを無条件に受容し、尊重することによって、患者さん自身も自分自身を受容し、尊重することを促すのだと
ロジャーズは説かれました。
ロジャーズが言うように「治療者は、患者さんを正そうとするな、理解しようとせよ!」ですね。


これがなかなかできていない自分のためにブログにアップしておきます。

2021年6月2日水曜日

しんどい時にする自分への評価法は減点法より加点法!

患者さん自身がしんどい状態にも関わらず、減点法で自己評価している傾向が強いな~、と診察場面で感じることがあります。

心が弱っている状態の時に『自分自身のどこができていないのか?』『どこがダメなのか?』をメインな視点で自分自身をみていく習慣がついていくと、自分を否定してばかりになりやすいし、自分自身の周囲の人に対しても、そうした減点法での評価をしてしまいやすくなります。

そうなると、自分にも周囲の人にもダメだしが増えて、双方でしんどくなるという悪循環が生じます。

そこで反転して、自分や周囲の人にも思い切り設定を下げてみると『自分自身や相手のできているところ』や『頑張っているところ』に目が向くようになり、自分を褒めれるようになったり、周囲の人を褒めたり、認めたりしやすくなります。
このように加点法で見ることで、一歩一歩着実に前進しやすくなります。

減点法で自分自身を見て、苦しんではいませんか?
『自分自身をどのように見ているかな?』今日1日を振り返ってみてください。
加点法で見れるようになると『ここができているなら、こうしてみようかな?』と得意を活かした工夫ができるようになっていきやすいです。
しんどい時、病んでいる時は、加点法にしてください。
反対に、自分自身の主体性、健全性が高まってきたら、成長していくために減点法が有効となります。
元気な時、もっと成長していきたい、その目標が明確な時には、減点法が有効だと思います。

お笑いタレントの明石家さんまさんが「生きているだけで丸儲け!」だと言ってくれてますよね。
息している、心臓を動かせている自分をまずは褒めて認めていく。
何をするにも、まずはそこからです。 

2021年5月26日水曜日

人の『好き』『嫌い』と感じる成り立ちについて

 満員電車で、カッコいい、いわゆるイケメン男性が女性にぶつかっても、露骨に嫌な顔をされたり痴漢と疑われたりすることは、あまりないですよね。

一方、見た目が良くない冴えないオッサンが同様に満員電車で女性にぶつかると、痴漢だと疑われる確率はおそらくぐんと上がりますよね。


そのメカニズムは、イケメン男性(相手からしたら感じのいい人)を、女性は『快』の信号を脳で感知し ⇒ 安心 ⇒ 善意 と感じられるのかもしれません。

反対に、見た目が良くない冴えないオッサンは、不快と感じ ⇒ 恐れ ⇒ 嫌悪感 を感じるのだと思います。


これは意識で生じてくるものではなく本能的なものなので、双方にとってもどうしようもないところでもあります。

だからこそ「人は見た目や所作が大事になってくるな~」と思うけど、なかなかそこに僕自身が意識がいかなくなってきています。。。

だから「それがおっさんなんです~」すみません!

2021年5月19日水曜日

対人関係で大切なキーワードがアスペルガー症候群

 僕は精神科医、児童精神科医として日々診療していて、精神疾患の多くが対人の相互作用での悪循環による影響が非常に大きいということを感じています。

その際に、患者さん自身の基盤にある知的な能力、アスペルガー症候群の特性が、対人面において大きな影響を及ぼしているということを実感しています。


知的な能力が低いと問題に対して分析する力が低くなったり、偏った視点で判断してしまいやすくなります。

次に、対人面で大きな影響を与えているのが、アスペルガー症候群という特性です。

つまり、相手の立場になって心情を想像することが苦手なため、どうしてもコミュニケーションが一方的になることが多く、自分の内的な感情や抽象的な理解や表出が苦手で、いわゆる社会的には「KY(空気を読めない人)」となってしまいます。

また、アスペルガー症候群の特性があると、受け入れ幅は狭く、こだわりが強く、相手が自分の思ったようにしないと一方的に責めてしまいがちです。

その反面、他者の心を読み取る力が乏しく、責められることに対しては苦手なため、相手が自分のことを責めてくると、受け入れ難く、相手に対して心を閉ざしてしまいます。


このようにコミュニケーションの相互性の困難さやこだわりの強さ、臨機応変な対応ができにくいことで柔軟で円滑な対人交流になりにくく、対人面での悪循環が生じやすいのです。

その結果、トラウマなどに発展したり不適応状態となりやすく、夫婦関係、親子関係、友人関係、仕事関係などあらゆる対人面での関係性で破綻が生じやすいのです。

そうした破綻している状態で精神科などの医療機関を受診し、状態像だけの診断名として、うつ病、躁うつ病、不安障害、アルコール依存症、強迫性障害、統合失調症、社会不安障害など様々な診断名がつくということになることが結構多いと思います。


上記で実感として述べているいるように、その根底としての基盤にアスペルガー症候群という特性がある人がかなり多いということが僕なりの視点となります。

そうした視点を念頭におくと、アスペルガー症候群の特性に本人も、その周囲の人も合わせて生活していく支援が大事になってくるということと同時に、僕の役割としてはアスペルガー症候群の特性を診断していき『変えられること』『変えられないこと』を見極め、患者さんやそのご家族と共有していき、少しでも患者さんが生きやすい方法を一緒に考えていくことが大事な治療になります。

その大切さと責任を日々感じながら、診療をしているところです。

2021年5月12日水曜日

GWは、両親と会ってきました~

緊急事態宣言に伴い外出や移動の自粛が求められるなか、コロナ禍で迎える2度目のゴールデンウィークでしたが、僕は大阪府民であり医療従事者でもあるため、ゴールデンウィークをどう過ごすか?がテーマでした。

唯一のイベントとしては、大阪府内の実家に帰省し両親と昼食を一緒に食べました。
父は、77歳の現在も自宅の和室を改装して、一線は引きながらも作田整骨院(ちなみに、開院して50年!になります。)をしています。
父は仕事をずっと真面目にしてきた人なので、息子の僕としては仕事をやめることの方が心配です。
幸い父はまだ働ける状態なので、80歳までは一先ずこのまま仕事を続けて欲しいと、僕としては勝手に思っています。

その食事の時に、母は
「子ども達も、全員、立派に育ってくれて、また家族で仲良くこうして食事をしたりして、明日は、僕の兄と両親で一緒に買い物に行ったりする予定だったりで家族仲がよくて嬉しい。
人生いろいろあったけど、終わりに差し掛かり考えてみると、あっという間だった。でも、終わりよければ、全て良しやわ~。
子ども達も、自慢の子ども達で、みんな、しっかり育って生きてくれて、お母さんもお父さんも嬉しいです。」

と話していました。

僕も年老いて両親のように人生を振り返った時に、後悔のないように今与えられた役割を果たして、最終的に母が現在感じているような心境に至りたいなと思いました。

そのためにも、今やれることをちゃんと取り組んでいきたい。
そういう想いになったのが、僕のGWでした。

2021年5月5日水曜日

恋は好きじゃないとできないけど、愛は嫌いになってもできる!

 毎年、春の新生活がスタートする時期になると、町では新たな出会いなどからか、素敵な恋をされている感じのカップルをチラホラ見かけたりします。

僕は精神科医なので「恋とは急性で一過性の恋の病だ~」と『急性一過性精神病性障害?』みたいな気もしています。(おっさんの冷やかし的な意味合いとしてご理解ください。)


そもそも、好きという感情は半年も経過してくると減退していき、いずれは「愛情」という情に変わったり、逆に「愛憎」というように憎しみに変わったりして別れたりもするわけですよね。

ちなみに、愛することと憎むことは表裏一体で、感情的にはとても近接しているものだと思います。

恋は好きじゃないとできないけど、人は相手を嫌いになってからも、その人を愛せるということです。

相手に対しての憎しみや嫌悪感を自分の心の中で一定期間抱えながら相手と共に付き合っていくと、それもまた愛情だと感じられることがあります。


人は嫌いになってからも、愛せますよ。

結婚している方なら何回も喧嘩して仲直りして、それが年輪となって皺となり年老いても夫婦一緒に生きていく。

これが面白い!

僕は、そう思っています。

2021年4月28日水曜日

スーパーサイヤ人は、孫悟空よりも息子の孫悟飯の方がなりやすい理由

 今回のブログは、世代を超えて今もなお大人気の日本を代表する漫画作品の『ドラゴンボール』のあくまで個人的な見解を踏まえた内容を投稿します。


言わずと知れた当作品の主人公の孫悟空は、かなり追いつめられた決死の状態で、スーパーサイヤ人になりました。

しかし、息子の孫悟飯などの世代は、結構あっさりとスーパーサイヤ人になりました。


僕自身の経験でも僕が医学生の頃、同級生の親は医者だったり高学歴の人が非常に多くて、入学して改めてその事実を知って驚いたのを覚えています。

ちなみに、僕の親は学歴社会とは無縁の人です。


どうして、そうした現象が生じるのか?もちろん、遺伝的な要因は多分にあるかもしれませんが、それ以上に、子どもは親の生き様をよくみて学習しているんだと思うんです。


親がどう関わるかも大事なことだと思いますが、どう生きていくか、その生き様こそが、子どもの成長、発達の推進力になる気がします。


だからこそ、自分の子供たちに自分の背中をみせるという意味でも『オラもスーパーセラピストになってやる~』

(※ 最後は、しょうもない冗談です。)

2021年4月21日水曜日

さくメンタルクリニックを上から見たら~?

 僕は、半年以上構想を練りながら、このクリニックの図面や構図を建築家と共に作成してきました。


当院の間取りを図面でみると、僕の診察室は、このクリニックの「心臓」をイメージして配置しています。

患者さんが「血液」として、このクリニックという体内を循環し、クリニックを生きたものにしてくれているというイメージです。


そして、その診察室という「心臓」の上に、「脳」をイメージして心理室の2部屋を配置し、保険診療ではできない部分をより落ち着いて、しっかりと患者さんと向き合う場所と時間を提供したいと考え、僕の診察室よりも広くしました。


また当院は、親子、夫婦などの家族を基本的に大切にしたいということを念頭に置いているクリニックですので、キッズルームは「子宮」をイメージした形状にし、その横のソファにお母さんがいるという配置としました。


などなど「当時は色々と形状や配置を意識していたな~」と、ふと言いたくなったので、ブログで紹介させていただきました。

2021年4月15日木曜日

「変わらないでいい」が一番「変わりやすい」

 僕は診察室で、夫婦関係や親子関係、仕事など、対人関係の悩みの相談を受けることは珍しい事ではありません。

その中の一例ではありますが、夫である患者さんが、妻に対しての関係修復のために「ありがとう」といつも伝えているのに妻は変わらないとか、親御さんがお子さんに対して「私は結構、息子を褒めているのに~。息子は全然変わらないです。」という悩みを相談されることがあります。


感謝や賞賛をする際には「ありのままのあなたでいい」「そのままでいい」が、メッセージの土台としてあります。

おそらく、そこが十分に伝わらないままだと、相手にとっては操作性を感じるのかもしれません。

操作性とは「ありがとうと言ったんだから、あなたも私に優しくなりなさい」とか「褒めたんだから、いい子になりなさい」「褒めたんだから、仕事でもっと感謝を忘れないで働きなさい」という相手に対しての変化への期待です。


しかし、それは相手に対しての期待というよりは、怒りや不信感といったものを、受信者側は察知してしまい、相手からの圧を感じて、発信者側も、受信者側も双方の関係が問題のまま維持されてしまうという悪循環となっているように感じることがあります。


ただ、これは失敗ではありません。

『ありがとう』というメッセージを伝えようとしたんだから、最初のステップは踏んでいるんです。

『ありがとう』『偉いね』という言葉が、より純粋に伝わるには、めげないで続けていくことが大切です。


不完全な人が、親が、上司が、不完全な相手(子供や部下に対して)に何とか真摯に関わろうと頑張っているわけですからね。

いつか、その「ピュアな想い」が相手に伝わるように、僕は、診察室で応援したいと思っています。

だからこそ、僕自身が、よく診察室で患者さんに伝えるのは「そのままでいい、よく頑張っている!」です。

変わらないことが、もっとも人は変わりやすい。

人から変われと否定されて変わるのは、しんどいですからね。


2021年4月7日水曜日

”マイノリティー"⇒”ユニーク”⇒”オリジナリティー”⇒”オンリー1”⇒”ナンバー1”へ

 発達障害傾向のお子さんで『小4の壁』(この小4はあくまで時期的な目安です)にぶつかることがあります。

小4頃になると定型発達者である周囲も発達成長していき、同年代とのコミュニケーションは、より複雑になっていきます。

『心の理論』(※)の通過の度合いによって、自分と他者とのコミュニケーションがうまくいかなくなることの実感がより顕著となっていく時期です。


つまり、周囲と自分との違いを自覚し、自分の「マイノリティー」な部分を感じ始め、戸惑いが生じやすい状況を『小4の壁』といいます。

そこで、周囲が受容し、サポーティブに関わることで「自分は、ユニーク!」だと感じて、自分らしい生き方を主体的に摸索し始めます。

そういう状況の中で、自分の長所を発展し「オリジナリティー」という自分の中に革命が生じてきて「オンリー1」を目指して頑張り、さらには「ナンバー1」を目指すみたいな人生になっていくのが発達障害者に関わらず、おもろい人生ですよね。


この世に生を受けたからには、幸せになりたいし、幸せになってもらいたい。

僕の仕事は、「マイノリティー」という捉えを「ユニーク」という捉えに変換していくサポートだと思っています。

「ユニークの路線」に乗れば、後は自分という個性、特性を大切に自分のペースで前進していって欲しい。

そのきっかけが、医療機関での診断、心理教育などを含めたサポートだと思っています。

 -----------
(※)心の理論
ある人が、自分以外の他人の心を類推して理解する能力。
簡単に言えば「他人の気持ちを理解する能力」。
英語では「theory of mind」と表記され、日本語では心の理論と訳されます。.

2021年3月31日水曜日

男は『力』で動き、女は『情』で動く

最近、当ブログでよくネタにしていますが、今回も、漫画「鬼滅の刃」の個人的な感想となります。

主人公も所属する鬼殺隊の面々からは『お館様』と呼ばれ、鬼殺隊の最高管理者であり、宿敵である鬼舞辻無惨と敵対する産屋敷一族の97代目当主である産屋敷耀哉( うぶやしきかがや)の命に従い、鬼殺隊は命をかけて懸命に戦いました。
これは男性の社会構造そのもので、男性はそうした力あるものに対して従います。

一方、女性は自分に対して情をかけてくれた人に対して従います。
『柱』の一人である『蝶柱』胡蝶しのぶは、姉が自分にかけてくれた情を受けて、また、暗い幼少期に心を閉ざしていた、栗花落カナオは、そんな環境から自分を救い出してくれた胡蝶姉妹の温情に報いるために懸命に戦いました。

このように男性と女性とでは、働き方が違うように感じました。


男性は目的がはっきりして頑張るので、女性が情に訴えてきても相互に通じ合わないことがあるのです。
このように、男性は女性に対しては、情をかけることで初めて女性は男性に優しくなれるのです。

そうした違いを鬼滅の刃で学ぶことができるな、と感じました。

2021年3月25日木曜日

人は結局、自分の視座や経験の中でしか相手のことを分かってあげることができない

 相手に分かって欲しいと思って一生懸命伝えようとしても、相手は全然分かってくれないと感じてイライラすることは誰もが経験することだろうと思います。

医者と患者さんとの診察場面でも、そういったことがあります。
相手を理解しようとする上で、どこまでいっても結局のところ自分の人生で経験したことや自分の「ものの見方」でしか相手を理解できないということです。

支援者側である医師として心得ておく必要があるのは、結構、患者さんの苦しみやつらさをあまり理解できていない、又は、患者さんが期待する理解度より医師や支援者である側は、かなり下回っているということを知っておく必要性を感じました。
だからこそ、僕は謙虚に日々の診療をしていく姿勢がより重要だなと思いました。

「支持的」という言葉、支えて持つ関わりというのは、自分が思っているよりもより深く難しいことにチャレンジしているんだな~と感じています。
限られた診察という枠組みではあるけども、もっと謙虚に、もっと能動的に患者さんのことを理解していきたいと思います。

2021年3月17日水曜日

人は死んでからも誰かの心の中で生きている

祖父は僕が幼少の頃に死んでしまい、祖父との思い出はあまりありません。 

ただ子供の頃、両親の故郷である福井県の村に里帰りする度に、里の方から「昔、僕の祖父から言われたことをちゃんと守っています~」と、死んだ祖父を慕う言葉を聞いていた僕は、子どもながらに「祖父は生前、この里の人から慕われていて、今も里の人の心の中にいるんだな~」と感じたことがありました。 

 人は寿命が尽きて人体の死がきた後、お金も地位も名誉もあの世には持ってはいけません。
だけど、自分が死んだ後も誰かの思い出として、その人の心の中で生きることができるのだなと感じたのです。

僕は、言葉を使って精神療法という形で患者さんと交流したり、プライベートでは、家族や仲間との交流の中で、相手との楽しい貴重な時間を大切にしていきたい。
そして、祖父のように死んだ後も、誰かの心の中で支えになるような言葉や想いを遺していきたい。
それが、もっとも豊かな生であり、死なのかもしれませんね。

2021年3月10日水曜日

生きていく上で大切なこと

 人は生きていく上で、意識してか無意識のうちにかにかかわらず、いつかどこかで悟りのような「真理」に到達したいという想いがあるのかもしれません。


ただ、最近思うのは「真理」というのは、様々な環境の変化に対して「自分も変われる、自分や他者を受容する柔軟性こそ、真理」つまり(※)諸行無常を受け入れて、柔軟に明るく、受容的、前向きに生きて死ぬことこそが人生ではないのかな?と、個人的な実感としてそういう気がしてきました。

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(※)諸行無常
 この世の万物は常に変化して、ほんのしばらくもとどまるものはないこと。
 人生の無常をいう仏教の根本的な考え

2021年3月3日水曜日

「鬼滅の刃」15巻、第131話での炭次郎の問いかけ!

 今回は、漫画「鬼滅の刃」15巻、第131話の個人的な感想となります。
※ ネタばれを含む内容ですので、ご注意ください。

水の呼吸を使用する水柱(みずばしら)である富岡義勇が、鬼殺隊になる為に訓練をしていた頃、同門の同期に錆兎(さびと)という仲間がいました。
この錆兎と富岡義勇は、兄弟弟子であり親友同士で、お互い鬼殺隊になる為に切磋琢磨していましたが、最終選別といわれる鬼殺隊になる為の最終試験で、錆兎は結果的に命を落としてしまいます。

富岡義勇は、積極的に最終選別に挑んで大奮闘しながら結果的に命を落とした錆兎という無二の親友を亡くした上、ほとんど何もしていないのに自分だけが鬼殺隊に入隊できたことをずっと後悔していました。
遺された富岡義勇は、(※)サバイバーズ・ギルトという罪悪感を抱いて、みんなと一緒に頑張ろうという気になれないでいました。
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(※)サバイバーズ・ギルト
戦争や災害、事故、事件、虐待などに遭いながら、奇跡的に生還を遂げた人が、周りの人々が亡くなったのに自分が助かったことに対して、しばしば感じる罪悪感のこと。
「サバイバー」 (survivor) は「生き残り・生存者・遺族」を、「ギルト」(guilt) は「罪悪感」を意味する英語。

 そんな富岡義勇に対して、一緒にいた主人公の炭次郎が「錆兎から託されたものを富岡さんは、繋いでいかないんですか?」と問います。
この瞬間、富岡義勇の脳内で「パァン!」と大きな地殻変動が生じ「過去に捉われた罪人」という認知から「思いを託され、繋げていく勇者」という認知に変貌していきました。

炭次郎のこの一言の問いで、ここまで劇的な変貌を遂げさせたことが、カウンセラー的に「超必殺技!」だと僕は思いました!

2021年2月24日水曜日

僕にとって、患者様ではなく、患者さん!

 僕が診療の時に心がけているのは、患者さんを尊敬しすぎないようにと思っています。

なぜなら、もし僕が患者さんを「患者様~、はは~」と思って診察したら、僕自身も患者さんと同レベルで悩んでしまって思考が硬直化したり、新たな治療的なアイデアが自分の中で出て来なくなるからです。

診察室の中では、医師である僕も患者さんも平等であり、治療の共同体であり、どちらが上とか下とか、偉いもくそもありません。
だからこそ「患者様ではなく、患者さん!」と思って診療しています。

実際、患者さん達も診察室外では、僕のことを「さくちゃん」という感じで思っていたり、感じていると思うんです。
だから、当院は「さくたメンタルクリニック」ではなく、「さく(ちゃん)メンタルクリニック」にしたんです。

2021年2月18日木曜日

講演の際には、プライドを捨てろ、男を捨てろ、ただ、笑いだけを取りに行け!

 令和3年1月16日に、久しぶりに堺市発達障がい者支援センターで講演をしたのですが、講演の前日は久しぶりすぎてとても緊張しました。


ちょうど講演の前日に、テレビでバイオリニストの高嶋ちさ子さんが、コンサートでお弟子さんたちである女性バイオリニストたちに、「プライドを捨てろ、女を捨てろ、ただお客さんの笑いだけを取りに行け!」と演奏会の直前に叱咤してから舞台に上がるという話をされてました。


僕にとってはタイミングよくストーンと入りました。

「そうだ、講演でちゃんとできるかではなく、コロナ渦という世相もあるし自分の持ち味を出して、聞いてくれた方に何か面白かったな~と思ってもらいたい!そのために自分を出していこう!」と思って、当日の90分間は、オンライン講演で、ただひたすら画面に向かって話しまくりました。

結構、視聴者さんからは「面白かった」という評価をいただけて、狙ってた部分が通じて素直に嬉しかったです。


講演の前には、ただひたすら笑いを取りに行きたい!そう思って、今後も講演していこうと思いました。

2021年2月11日木曜日

夫が妻とうまくやっていく上で大切なこと

コロナ渦ということもあり、繊細な妻と無神経な夫という対立構造で、コロナ対応や考えの違いなどで揉めたりして、夫が妻の対応に悩んで相談に来られることが多くなりました。

悪循環に陥った夫婦関係の、夫が妻に対しての打開策は、
 ➀能動性です。
  妻に言われてからやるのではなく、言われる前に妻や家族のためになることを、できることでいいので、まずやることが大事です。
  その際に大事なのは継続性です。
  この前、高価なプレゼントを妻にしたからといって、夫は安心してはいけないのです。
  女性にとっては、小さな思いやりも、大きなプレゼントも、同じヒットだということを夫は認識しておく必要があります。
  夫が妻にホームランを打ったと思って安堵して手を抜かずに、日々、イチローのように小さなヒットを積み重ねて、妻が喜ぶことをマメにしていくことが大事です。

次に
 ②応答性です。
  妻に、やってと言われたら、できるだけ迅速にやることです。
  妻の「プチ切れ」は耐えられても、「ブチ切れ」は大変なことになりますから。
  早期発見、早期対応!が大事です。

最後に
 ③未来の保証です。
  女性は、どこかで男性に対して「見捨てられ不安」を抱えているものです。
  だからこそ「菜⇒米⇒果物」なのです。
  根菜類の野菜は、1~2か月もすれば育ちますよね。
  数か月先の夫婦の予定を作って、例えば、昼に子どもが学校に行っている間に夫が有給休暇をとって夫婦だけで特別なランチに行ったり、特別な買い物に行ったりするのです。
  そうした妻のためだけに時間を割くことや、そうした約束をして実行することで、妻は夫に対して安心感を抱き、夫に感謝して愛を返そうと思えるようになるのです。
  でも、ここでも夫が、これだけしたんやから早く妻が変わって~、という操作性を持たないことが大切です。
  女性は察することが得意なわけですから。
  誠実に、何度も継続していくという夫の謙虚な姿勢を忘れないでください。
  次に、米は1年かけて作られますよね。
  つまり1年後の夫婦の予定、たとえば1年後に家をプチリフォームしようとか計画を相談するのです。
  そして、果物、つまり桃栗3年、柿8年という数年後の夫婦の将来のことを話したり、子どもが自立した際には、夫婦二人で海外旅行に行こうとか、楽しい二人の未来があることを共有していくようにするのです。
  夫側から、そうした未来の保証をすることで、妻が安心して、日々の生活を送ってもらうことこそが、夫も日々元気に快活に暮らせるようになるわけです。


最後に、夫婦関係も、春⇒夏⇒秋⇒冬という四季があります。
是非、夫婦関係で冬という季節を乗り切ってください。
そしたら、また夫婦関係には春がやってくるんだということを経験して、何度も夫婦の四季を楽しんで欲しいのです。
そうしてできた年輪は、お互い年をとって、皺となり、おじいちゃん、おばあちゃんとなった時に、とても豊かな老後となっていくはずです。
そうなって欲しい!と診察室で願って診療していきたいと思っております。
頑張れ、男性陣!負けるな男性陣!僕は、いつでも男性陣の味方です。

2021年2月4日木曜日

妻が夫とうまくやっていく上で大切なこと

 僕が家族療法を重視していることもあり、夫婦がうまくいってないという相談を受けることがあります。
妻側の意見を聞いていると、夫に対して「分かってくれない」とか「怒鳴ってくる」とか「子育てに協力的でない」「理解がない」と話されます。

そして、そのような状態が続き夫婦関係が悪化してくると、妻が夫に対して常に不機嫌な状態だったり、非明示的な、いわゆる「察してコミュニケーション」に陥ると、夫は妻に対して、ひどく狼狽したり自己有用感が低下していき、怒りや不安、回避などの感情を抱くようになり、愛情を注ぐことができなくなることがあります。

男性は、女性から自己有用性を認められて、はじめて意欲が出てきて相手に愛情を注ぐことができるようになる為、妻が夫に対して出している「プンプン」「イライラ」を解除しないと、夫は妻に愛情を注ぐことは困難となります。
その結果、妻が夫に「使えない、役立たず!」といったメッセージを送ると、悪循環ループから抜け出すことは難しくなっていきます。

この悪循環ループから抜け出す打開策は、「女は愛嬌、男は度胸!」という、江戸時代に流行した、ことわざにあります。

女性から男性に
➀ 依頼(ちゃんと目的を伝える。)
 ⇒ ② 拘束(明示的に、はっきりとして欲しいことを伝えて、実際にやってもらえるようにする。)
  ⇒ ③ 達成感(ありがとうと盛大に喜ぶ!ここが愛嬌です!)の循環を回すことが重要です。

男性は、目的をはっきり理解しないと動けない生き物です。
例えば、妻側が「夫に、ただ愚痴を聞いて欲しいだけだったのに、急に夫はアドバイスをしてきたり、逆に怒鳴ってくるんです」などと、診察室でいわれるのですが、それは、夫側の立場としては、妻の悩みを解決しないといけないと思って話を聞き、アドバイスをしただけのことなのに、逆に文句を言われて怒られたという、コミュニケーションミスマッチとなってしまうわけです。

こんな事にならない為にも、妻は、ちゃんと夫に目的を話し、明示的な依頼をして、いつ、どこで、何をして欲しいかなどを、できるだけ、いちいち言う必要があるのです。
1つ言えば10個分かるのが女性の察するコミュニケーションだとしたら、男性は、いちいち言わないと分からない、察することが苦手な生き物なのです。

ですので、妻側から、夫に依頼がある場合は、ちゃんと分かるように説明して、夫がやってくれたら盛大に喜んで夫に達成感を味合わせることが大事なのです。
そうすることで、夫は自己有用感を回復していき、妻の為に頑張ろうと思えます。

この循環を女性側が理解して、夫から愛情を受け取れるようになってほしいのです。
女性には、男性から愛情を受け取ることで、幸福になる人生を是非送って欲しいのです。

だからこそ、「女は愛嬌 ⇒ 男は度胸!」なのです。
最近は、フェミニズムの進展、普及により、女性が、男性に対して「プンプン」「イライラ」が増えていくことで、男性は、自己有用感は低下していき、男性の活力が失っていく方向を危惧しています。
男性は、愛する女性の笑顔や幸福を、得られることで、男性自身も幸せだと感じることができるのです。
女性は、男性にとって「太陽」そのものなのです。
女性が「太陽」であり続けるためにも、愛嬌を大事にして、男性に達成感を与えて、家庭円満、夫婦円満になっていくように診察室で祈っております。

2021年1月28日木曜日

霹靂一閃!

 漫画・アニメ『鬼滅の刃』の主要キャラクターである我妻善逸は、他の主要キャラクターが『型』なる複数の必殺技を習得しているなかで、『壱の型』の「霹靂一閃(へきれきいっせん)」という技しか出来ませんでした。

頑張って他の技の習得に励みましたが出来ませんでした。
我妻善逸の師匠は、こうした一つの技しかできない不器用な善逸に対して「お前はそれでいい、ひとつできれば万々歳だ。一つのことしかできないなら、それを極め抜け!極限の極限まで磨け!」と、善逸を叱咤激励します。

そして善逸は、最終的に「霹靂一閃(へきれきいっせん)」から「霹靂一閃6連」という連続技へと進化させ「神速霹靂一閃」へとスピードの向上をあげて進化していき、そこから「霹靂一閃」を極限まで磨きあげていった結果、超必殺技の「火雷神(ほのいかづちのかみ)」を発動させて、自分よりも格上のすごい鬼を倒してしまいます。

「直す」ではなく「活かす!」この大切さを、善逸と師匠とのやり取りから感じました。

2021年1月21日木曜日

苦手なことをやる時は、内的発露がたまってから、やった方がいい!

 漢字を書いたりするのが苦手な発達障害のお子さんで、親御さんたちも一生懸命に教えてはいるけど、子供たちは段々と険しい表情になっていき癇癪になり激しい抵抗を示し、親御さんも途方に暮れる、といった経験をされることがあります。


発達障害の人にかかわらず、人は苦手なことと向き合うのは苦痛が伴うものです。

その時に必要なこととして、内的な発露が大事だと思います。

外的な発露(周囲からの叱咤激励、脅迫)などでは短期的にやれても続きにくいですよね。


内的な発露を生じさせるのに、親御さんの関わりで重要なのは、強み育成プログラムです。

強みは『興味』+『得意』で出来ています。

つまり親御さんがお子さんに「好きなことをやっていいよ~」と子どもの主体性を保証してあげること。

そして、子どもが主体的に取り組んだことで、良い部分を積極的に称賛することで得意になっていく。

『興味』と『得意』がこうして相乗効果的に生じて強みは育まれていく。

そして、成長、発達していく。


そうしていけば、本人の中で内的な発露が生まれていき、本人がより主体的に苦手を克服していく、という流れが理想です。

対処としては回りくどい感じのやり方のように感じるかもしれませんが、外的な叱咤激励よりも、より持続的で健康的な成長が見込めます。

僕自身、やりたくない仕事や苦行が日常でもありますが、自分の中で「しゃ~ない、そろそろ、やろうかな?」と内的な発露が充足したのを感じてから取り組むようにしています。

2021年1月14日木曜日

あらゆる苦しみの根底には「暇」という悩みがあった!

 今年の正月休みはコロナ渦ということもあり、結構「暇」な状態がありました。

そうなると朝起きるのも遅くなり、夜更かしして身体はだるくなり日中に眠くなりがちで、その結果、夜は目が冴えて夜更かしという日々で、食べることには旺盛になり、次は何を食べよう?でも体はあまり動かしていない状態で、体重は増え、筋肉量は減りという感じでした。


ただ、そうした状況の中でも、心の状態は常に平静の状態を避けて、診察の準備をしたり、勉強したり、講演会の準備をして、色々と考え事をし続けていました。


そうした深層心理を自分なりに分析すると、僕は「暇」が怖いんだと思います。

「暇」の状態が長く続くと、心が凪のような状態になります。

一時的にそうした状態を意図的に作り出すことは、リラックスとしては有効でも、それを受け身に感じると、不安になり、悩み事を自分で作り出して悩み始める。

それは、「暇」となり、心が凪の状態から実は回避したいんだろうと思います。


なぜなら、心が凪の状態が長く続いたら、それは「死」を連想させて、言い知れぬ不安、恐怖を感じるんだと思います。

僕の場合は、「ちゃんと講演会で、うまく話せるかな?」「クリニックの運営をどうしようかな~」「明日、何しよう?」と頭の中で、たくさん意図的に悩み事を増やしているんだろうと思います。


でも、この「暇」のおかげで、こうした僕自身の無意識的な不安に気づき、それと向き合いつつ、前向きにやるべきことをやれた部分もあるので、「暇」ありがとう!的な感じの正月でもありました。

2021年1月7日木曜日

一隅(いちぐう)を照らす

年始である1月は自分の誕生日月でもあり、初心に帰る気持ちが沸き起こりやすい時期です。


「一隅(いちぐう)を照らす」という言葉がありますが、この言葉は天台宗の開祖・最澄(さいちょう)が残した言葉です。

「一隅」とは、今自分がいる場所や置かれた立場を指します。

自分自身が置かれたその場所で精一杯努力し、明るく光り輝くことを「一隅を照らす」と言い、そういったことのできる人こそ何物にも代えがたい貴い国の宝だと最澄は言っています。


これは、各々の仕事や生活を通じて、世のため人のためになるように努力実行することで、お互いが助け導き合い、あたたかい思いやりの心が自然と拡がっていくと説かれています。

仕事を例にとると、利益のみを追求するのではなく、社会や他の人の役に立つことを目的として働けば社会全体が住みやすくなり、ひいては自分自身の幸せにもつながるということでしょうか。


現在、コロナ渦が契機となり、我々の価値観の変容、社会構造も変化の途上にいます。

「一隅を照らす」という言葉は、自分にとっての役割を意識して邁進していく上で大事な教えだと感じています。

今年も、自分の役割に日々向き合っていきたいと思います。


どうぞ、本年もよろしくお願いします

2021年1月1日金曜日

正月挨拶

コロナ渦で迎えた令和3年のお正月を迎えました。
また、僕自身の誕生日が1月1日元旦で、今年は厄年の後厄にあたりますと、暗い情報を乗せつつも、明けまして おめでとうございます。
おかげさまで当院も開院して4年目の年始を迎えることができました。
それもこれも皆様のご支援があってこそです。
この場をお借りして、厚く御礼申し上げます。

本年もコロナの感染対策や健康に留意しつつ、安定的に診療を継続していきたいと思います。
クリニックとしては 、現在、新規患者さんの受け入れを原則停止した状態ですが、当面は診療の環境や質を保全する上で必要だと判断しております。
今後、新規患者さんの受け入れの態勢が整い次第、当院のHPでお知らせさせていただきます。

また、令和3年1月より、火曜日が午前中のみとなり診療時間は縮小となりました。
診療時間を減らすことで僕自身のできることを広げていきたい、その基盤を構築していく1年にしていきたいと思います。

料理屋さんでいうところの、あまりたくさんのお客さんが来ない、こじんまりした割烹みたいなイメージです。
なるべく患者さんの数を増やし過ぎないで、密にならないよう、かつ丁寧に診療していきたいと思います。
そのための準備も怠らずにやっていきたいと思います。
今できることや、足元をしっかり固めていく1年にして前進していきたいと思います。

本年も、さくメンタルクリニックを何卒よろしくお願い致します。