2025年6月18日水曜日

笑う覚悟で頑張ろう!

  大谷選手(ドジャース)は、インタビューで、水谷一平さんの問題で、訴訟などを抱えたり、そうした事件に関して「まだ、僕の中では終わってないです」と話され、瞬間的に、深刻な表情を認め、深い悲しみなどを含めた心の葛藤を視聴サイドのこちらは感じました。でも、その上で、「折角、夢の舞台である大リーグでプレーすることができて、楽しくやれた方がいいじゃないですか?」と、楽しむことに集中しようとする姿勢に、僕は、非常に勉強になりました。

 皆さん、誰もが、生きていたら、なにかとしんどくなるときありますよね。しんどい時こそ、大谷選手の笑顔を思い出して、笑う覚悟で頑張りたいなと思います。苦笑でもいいから。「いたきもちい~!」と言えたら大したもんです。

2025年6月11日水曜日

身近な愛着対象者には、結構、コントロール欲求が出やすいものです。

 怪我をして弱った母、認知機能がやや低下した父、必要な書類を父がなくして、0.5秒で怒ってしまいました。怪我して入院中の母に、退院後の暮らしでの話しをする際も、気づいたら説教していました。僕は・・・。反省しつつ・・・。

 でも、折角、僕は、精神科医なので、自分自身の心のありようを検討したいと思います。

 どこかで、他者をコントロールしたい欲求が、人にはあると思われます。それを、できる可能性のある相手(愛着対象者である親子とか恋人関係とか)にだけ、表出するのだろうと思います。

 まあ、単純にいうと、幼児心性ですかね? 甘えのような。自分の心は、20歳で医学部入学したあたりから、成長は、止まっているような感覚があります。

でも、こうして自分を分析できているのは成長かな?とも思います。その上で、対処法にも言及してみたいと思います。こうしたコントロール欲求が、自分にあることを認め、そこを異常視したり、否定したりをしない方がいい。自分自身に心理的に抑圧や反省をしすぎない方がいいです。こうした心性は、誰しもがあるものです。そこを認めた上で、誰かに、怒っちゃった~と吐露したり、怒っちゃいそうになったら距離をとったり、心理的に余裕を持つことが大事になりますね。

 繰り返しますけど、過度な反省をすると、自分を責めて、自分の心が小さくなるから、余計、怒りそうな状況になったら、自制力が効かなくなり、余計怒っちゃうから気をつけましょう。だって、長年精神科医をしている僕だって、こうなっちゃうんだから、安心してください。誰でもそうなるもんだってことを。

2025年6月4日水曜日

「こんにちは」「さようなら」の意味も太陽に関係があった。

 「こんにち(今日)は」の今日は、太陽をさします。「今日は」という挨拶は、「やあ、太陽さん」という呼びかけであったのです。「元気ですか」の元気とは、元(もと)の気(エネルギー)という意味なので、太陽の気(エネルギー)をさすことになります。つまり、「今日(こんにち)は、元気ですか」とは、あなたは、太陽のエネルギーが原因で、生きている身体だということをよく知って、太陽さんと一緒にあかるく生きていますか、という確認の挨拶ということになります。それを受けて「はい、元気です」と答えます。つまり「はい、太陽さんと一緒に元気に生きていますよ」と応答するわけです。

 それから「さようなら、ご機嫌よう」となります。機嫌とは、気分とか気持ちという意味です。つまり「太陽さんと一緒に生活しているならば、ご気分がよろしいでしょう」となります。「今日は、元気ですか」「はい、おかげ様で元気です」「さようなら、ご機嫌よう」には、「きょうは、太陽さんと一緒にやっとるかね」「おかげさまで、太陽さんと生きています。」「それならば、気分はいいわね~」と太陽さんと繋がっている日本伝統の挨拶であったのです。

2025年5月28日水曜日

おかあさん、おとうさんの語源

  古来より、夫が自分の妻に対して「おかみさん」と言いました。漢字にするとお日身(カミ)さんと言います。ここから「カカ」とか「カアカア」となり、「おかあさん」となります。日(カ)は、太陽を意味し、身(ミ)なので、太陽の身体という意味になります。お母さんは、いつも明るくて、あたたかくて、食事などの身の回りの世話をしてくれて、生命を育ててくれる。母親は、まさに太陽さんそのものだということで、お日身(カミ)さんとか、おかあさんというようになったのです。

 それでは「おとうさん」の語源はというと、結婚して家族ができて、毎日毎日生活の糧を運んでくれる。女性や子供に危害を与える賊が来ると追い払ってくれる。「まあ、なんて尊い(とうとい)お方だ。太陽さんのように尊い人だ」と、尊い(とうとい)から、「おとうさん」というようになる。

 我々日本人は、家庭で母を太陽と呼び、父を太陽のように尊い人と呼んで、太陽を大切にしてきた民族だったのです。ちなみに「ママ」は、元は「マータ」だったという語源説もありますけど、通説では、マンマとは食べ物のことを言うのだそうです。「パパ」は、「ファータ」という語源説もありますが、通説では、広い畑の隅っこで、葉巻をパッパとやっているから「パパ」というのだそうです。ママはマンマと食べ物と呼び、パパと葉巻と呼んでいることになります。これを聞いて、おとうさん、おかあさんの方がいいかもしれないと思ったりしませんか?結婚して、女性は、愛した男性を「お尊(とう)さん」と呼んで、男性は、愛した女性を太陽として崇めて、我が家の「太陽さん」(おかあさん)と呼んで、夫婦が尊敬し合って、いたわり合っていけば、健全な子育てや家庭ができるという思いが、この呼び名にあることを忘れないように生きていきましょう。

 

2025年5月21日水曜日

太陽の国、日本!

  我々、地球は、なぜ生きれているか?それは太陽があるからですよね。太陽によって、植物は光合成により酸素を生み出し、我々は呼吸できている。太陽が消失すると、地球は3日以内に消滅するとも言われています。つまり、太陽があり、それによって、自然や大地が生きていることを基盤に、人類は生きられている。また、歴史的には、自分の上には父と母がいて、その父と母の両親で4人と数えていくと10代前で1024人で、20代前では100万人を超える先祖がいる。過去無量のいのちのバトンを受け継いで、今ここに自分の番を生きている。それがあなたのいのちであり、わたしのいのちだと(あいだみつをより)。

 現代は、核家族だし、人と人との繋がりが、薄く、感じにくくなっている。でも、人は、世代間としての縦と、今生きている人との横の繋がりの中で生きている。何千何百代もの生命の伝承のトップに立って、今、自分の番を生きている。僕らは、ポッと湧いて出てきたんじゃない。長い間、先祖さん達が食うものもあまり食わず、子どものためと汗を流し、苦労して受け継いできた大切な命。たまには、静かにそういういのちの奇跡を感じて感動することが大事なんだと思います。生きているということは、大変な事件なんだな。

2025年5月14日水曜日

日本の国旗は、いつ誕生した?

 1853年にアメリカのペリー一行が、黒船軍艦4隻で、神奈川県三浦半島の浦賀沖に表れて、すぐさま徳川幕府に強硬に開国を迫られて、日本国家は動揺、混乱しました。また、その際に、ペリーから、船に国旗がないと、どこの国の船かわからないから、大砲を撃ち込んでも国際法上いいことになっているので、今度、来日した際に、国旗をつけていない船が、アメリカの黒船に近づいてきたら沈めます」と、幕府に忠告されました。そのため、徳川幕府は、慌てて国旗を作るように決議しました。薩摩藩主の島津斉彬は、薩摩の城内の座敷から桜島に上がる朝日を見て「輝き出ずる太陽の光を以って、日本の将来は古代から日本人がいのちの恩としきた、かがやく太陽のようではならぬ・・・」と考え、太陽のマークである「日の丸」を幕府に提案しました。しかし、幕府の大半は、「中黒の旗」(白地の中央に黒の横一文字)だと主張し、紛糾した上で、最終的には、水戸藩の徳川斉昭は、昔から多くの国民が親しんできた日の丸に決定するように幕府に指示し、1854711日、「日の丸」を国旗とする布告がなされました。

 日本では、聖徳太子が遣隋使に託した文書以来、自国を「日出ずる国」とする考え方が古来よりあり、赤い日の丸は、日の出の太陽を象徴する。また、紅白は、日本の伝統色で、めでたいものとされており、赤は博愛と活力、白は神聖と純潔を意味するとも言われている。日本は、本来、太陽をとても大事にする明るくて、前向きで、文字通り太陽のように熱くて温かな日ノ本、日本だったのです。(つづく)

         「日の丸」     「中黒の旗」

2025年5月7日水曜日

日本は、深刻なアイデンティティー・クライシス状態にいる

 ユニセフ報告書「レポートカード16」(2020)によると、OECDまたはEUに加盟する38か国のランキングにおいて、日本の子どもの身体的健康度は、38か国中1位(子どもの死亡率、過体重・肥満の子どもの割合などから算出)に対して、日本の子どもの精神的幸福度は、38か国中37位(生活満足度が高い子どもの割合、自尊心、自殺率などから算出)でした。

 日本は世界的にみても、若者の自殺率が高く、自尊心は低く、日本の子どもは、身体的には健康だが、心はしんどい状態であると考えられている。また、日本は、不登校(約34万人)、ひきこもり(約150万人)大国になっている。背景には、家族や学校、社会の不安定性が増していると同時に、子どもへの過重な社会的なプレッシャーがかかっている時代に入っています。また、そうした土台となる日本という国家自体が、深刻なアイデンティティー・クライシスな状態(自己同一性を喪失した状態のこと)に陥っているような気がします。

 1853年にアメリカのペリー一行が、黒船軍艦4隻で、神奈川県三浦半島の浦賀沖に表れて、すぐさま徳川幕府に強硬に開国を迫られて、日本国家は動揺、混乱しました。その後、明治維新、世界大戦、戦後の復興期、経済成長、バブル期、その後も現在と・・・。

 我々が貧しい日本から、餓死しないで平和で豊かな社会を目指してきたのに、心が置き去りになっている。次回のブログから、少し忘れ去られた日本の歴史のアイデンティティーの重要な部分を再発見したいと思います。