2019年6月13日木曜日

「精神科医という仕事をしていてどうやって心身の健康を保っているの?」という質問に対して自分なりに感じたこと

今回のブログは、最近、自分の住んでいる地域の方々と集まって飲み会をする機会があり、そこでの話題の1つをご紹介したいと思います。

日々の生活において、例えば仕事や家事、子育てなど、もちろんみなさんがとりまく環境や状況はそれぞれ異なる中で、ストレスを抱えていらっしゃる方も、たくさんおられる思います。
そんな時、『他の人は、どうやってストレス解消をしているのかな?』『どうやって、イライラしない状況を作っているのかな?』『あの人は、あんな仕事をしているのにストレスがたまらないのかな?』と、疑問に思ったことはないでしょうか。

その飲み会の席でも、おそらくそんな疑問をお持ちだった方が、会話の流れや精神科医の僕がたまたま居合わせた状況の中で、ふと話題にされ、ご質問をされたのだと思います。
「精神科医という仕事って、すごくストレスがたまると思うんですけど、どうやって心身の健康を保っているんですか?」と尋ねてこられました。

もちろん、精神科医という仕事が他の仕事と比べて特段ストレスがたまるとも思っていませんし、ストレスの質や量などは比べることなどはできませんが、改めて、その質問に対して自分でも考えてみました。

個人的に、心身の健康を保つために大事にしていることは、食事、睡眠などのバランスを大事にすることを大前提として意識しています。
そして、なかなか状況により難しいことが多いですが、診療(仕事)と休息のバランスをなるべく保ち、週末はできるだけ診療をせずに心身を休養するようにして、自分や家族のための時間に充てるようにしています。(最近、これもなかなかできなくなっていますけど。)
また、自分や自分の近い人(当院のスタッフ、家族、その関わっている方々)との相互の関係が少しでも良い状態に保てれるようにと意識することで、結果的に自分へのストレスを軽減しています。
一大決心でクリニックを開業し、最良のパフォーマンスを患者さんに発揮できるようにと、開業前に散々悩みに悩んで自分なりの今の診療スタイルになっているのも、もしかすると、このストレスというものとどう付き合って行くか、というのが当時の自分の中で大きな割合を占めていたのかもしれません。 

しかしながら、みなさんもご承知の通りこのストレスというものはこうしてるから万全というものではなく、恥ずかしながら、時々、患者さんから「先生、顔色悪いけど大丈夫?」「先生の方が、しんどそうやけど大丈夫?」と、<患者> ⇔ <医師> の関係が逆転してまう時もあります。
ですが、不思議とそれが一体感になり、治療的にはそこまで悪影響を及ぼしていないような気もしています。(本当のところは、どうでしょうか?)

でも、実際のところ自分が一番ストレスにそこまで悩まないでやってこれた理由は、やっぱり僕は、この精神科医という仕事が好きなんだと思います。
この仕事をしてて飽きたと思ったことはないですし、日々、診療でうまくいかないことがあると悔しい気持ちが襲ってきます。
それとは反対に、ちょっとでも患者さんに治療的に関われたな、と実感できたら自分のこれまでの生きてきた中で生じた罪悪感のような心のつかえのようなものが一瞬消えて何か満ち足りた気持ちになります。(ただし、一瞬で消えますけど。。。)


でもこれは医者が味わえる「おいしいところだな~」なんて思ったりもします。
その一瞬の爽快感というか高揚感のような感覚を何回も味わっていきたいから、それが一番の原動力であり僕が精神科医をしていてそこまでストレスを感じないところなのかな?と思いました。

『あれ?!お酒の席での会話なので楽しく打解けた雰囲気なのに、こんな感じで大丈夫かな?結局、真面目か!』
と思ったので、その飲み会ではもう少しざっくばらんな感じの回答になりましたけど。。。(笑)



2019年6月6日木曜日

人は常に変化しつづけている

人間は37兆個の細胞で出来ており、常に体のどこかで細胞分裂を繰り返しています。
赤血球は120日、内臓であれば2~3ヵ月、骨でも3年で細胞はそっくり入れ替わってしまうといわれています。
おおよそ7年も経過したら、すべての細胞は完全にリニューアルして別人?になっています。
すごいですね~。体の不思議!

ここから感じること、学ぶことは、僕にとって大きく2つあります。

1つ目は、人も含めて常に多くのことが変化をし続けているということです。
実際の治療場面でも、患者さんを診察していて「あなたは変われる!」と思って関わらせていただくと「小さな変化」にも気づけます。
そして、その「変化」を受容、共感しながら支援していくと、いつかは「小さな変化が大きな変化につながる」これを『さざなみ効果』と心理学的には呼んだりしています。

つまり、困ったときこそ、西川きよし師匠療法ですね。「小さなことからこつこつと!」
あなたは、変われる、変わりつつあるよと、気づいてもらうことのお手伝いができた時は、その声掛けは「言葉のビタミン」になります。
しかし、「また、やったの!」とか「あなたは、変われない、いつも、同じ失敗ばかりだ」と思って、こちらが関わると患者さん自身も自分は変われないと思い込んでしまいます。
そうなると、その声掛けは「言葉のウイルス」になってしまいます。
自分の診察では少しでも自分の言葉が、その人にとっての「ビタミン」になれるようにと思って診療をしています。

2つ目は、人間の考えている脳そのものも内臓の一部なので、結局、数か月で全部入れ替わるものだということです。
つまり、色々と脳で考えることよりも、体がその考えたことに対して反応するものに応じる方が正しいような気がします。
例えば、学校に行こうとすると胸の奥がつまるような気がする、会社に向かっている途中で泣けてくる、など、こうした体の反応やサインを受け止めて日々の判断をする方が頭で考えて判断するよりも正しい判断ができるときがあるということです。

僕は、体と対話したら「ワクワク」したので、1年9ヵ月前に『さくメンタルクリニック』を開業しました!



2019年5月30日木曜日

「褒めること」は「叱ること」よりもずっと難しい

前回のブログに引き続き、今回のブログのテーマも「褒めること」と「叱ること」について、個人的な意見もふまえて書かせていただきます。

前回のブログでもふれていましたが「褒めること」は、すごく難しいことだと思います。
前提として、相手をちゃんと観察する必要がありますから。
ですが「褒めること」の重要性は、論を俟たないところであるとしても、ことさら大事なのはタイミングです。
正に、冒頭で述べているように観察していないと出来ない難しいところではありますが『ここ!』という時に褒めれば、相手も喜び、頑張る原動力になるだろうと思います。

また、褒めるときは出来るだけわかりやすく簡潔に、さりげなく褒めた方がいいのではないでしょうか。
その方が心に沁みるし、印象に残ります。

逆にくどくどと褒めると、何かわざとらしさが出てきて褒める言葉の価値は半減してしまうように思います。
本人自身が、自分で思っている評価よりも少し上の評価を下すことが大事だと思います。

このように、文字にしてブログでご紹介していると計算高く感じてしまわれるかもしれませんが、自然と無意識に出来るほど、実は簡単なことではないように思っています。

言葉だけを発するのではなく、この観察することからの一連で、褒められた相手は自信がつき『自分のことを見てくれている』と嬉しくて『頑張ろう!』ときっと思えるはずだから。



2019年5月23日木曜日

「褒めること」も「叱ること」も、そのバランスが大事!

最近、パワハラとか、虐待、体罰など、頻繁にメディア等で取り上げられていますが、問題として取り上げられている多くのケースで気になっていることがあります。

まず、そもそも、対人関係で相手に対して指導する上で、上の立場にいる人が 「叱ること」「叱られること」 に慣れていない、又はちゃんと叱ってもらえた経験が少ないような気がします。
子育てのことでいうと、叱られることに慣れていないで大人になったら、ちょっと叱られるだけで心が折れてしまって、誰か褒めてくれる人が現れるまで、社会から逃避し続けるのではないかと心配になります。

もちろん色々な側面はあると思いますが、ただ褒めて伸ばす教育だけだと、心は強くならず、むしろ、自分のことしか考えない、周囲に配慮ができない、自分の力を過信するなど、勘違いした大人になっていくような気がします。
それに褒められることに慣れてしまうと、褒められても喜びが感じにくくなり、ちょっと叱られただけで、かなり落ち込んでしまうという傾向になりがちです。

最近の職場における上司、学校の先生、医師といった僕なども含め、いわゆる管理職の立場の人が、相手を褒めるばかりで、叱れない、叱ることが出来ない環境や状況が増えているような気がします。
それを自己分析してみると、叱ることで、相手に反抗されるのが怖いからだと思います。

しかし、教育的な指導において、叱られることで相手は反発します。
その気持ちをバネにして、成長に必要な力が生まれてきます。
叱られた後に、「どうして叱られたのか?」「何が悪かったのか?」を、自分自身で自問自答することで成長促進的に進んでいけるという過程が開けていきます。
そのためにも、上に立つ側、指導をする側は、普段から観察しておく力が必要だと思います。
その観察力がないまま、何かを褒めても、叱っても意味はない気がします。
褒めること、叱ること、どちらにせよ、相手を思う気持ちをもって成長を願って伝えていければ、相手が成長していくプロセスに向かうような気がします。
そのことを意識して、日々を過ごしたいと思います。

「褒める」ことが大切だからこそ「叱る」ということも、すごく大事だということは覚えておく必要がありますね。



2019年5月16日木曜日

人に伝える際に、伝える側が大事にしておくべきこと

今の時代、子どもらに対して「こうしたら?」だけだと、なかなか伝わらず、どうしても行動してもらえません。

これは、診察場面や子育てなどを通じて僕が実感していることです。
正直なところ「動いてもらいにくいな~」というのを毎度、痛感しています。

ではそのようなとき、どうしているのか?
まずは彼らのニーズや目標などを明確にし、それを共有していく作業が必要で、多くの場合、それを優先して行っています。
例えば
「なんのために自分は頑張らなくてはいけないのか?」
「頑張ることで、何が得られるのか?」
という具合に、明確にした目標に向かうことで〈変わりたい〉という本人の欲求や気持ちが揺さぶられる必要があります。

それがない状態で「こうしたらどう?」では、なかなか動いてもらえません。
また、相手とこちらの関係が「まぁまぁ、こいつの話なら聞いてみようかな?」と、ちゃんと思ってもらえていないと、やっぱり動いてはくれないです。

共有することや関係性ができていない場合では、どんなに正しい言葉でも相手の耳には届かず、むなしくこぼれ落ちてしまいます。
逆に信頼関係があれば、いつか届くはずだと思います。

だからこそ、日々、誠実に人と向き合っていくしかないと思う日々です。



2019年5月9日木曜日

僕のGWは、こんな感じでした

新天皇即位の祝日になったことと、祝日法により10連休となった今年のGWでしたが、みなさんはどのように過ごされましたか?
10連休という大型連休でしたので、事前に色々と予定をたてておられた方も多かったのではないでしょうか。

僕も、両親や家族との予定をそれなりに考えていました。
が、
GW直前に妻が転倒して腕を骨折するという災難に見舞われてしまいました。。。

とりあえず夕食などを済ませたのちに診療時間後のクリニックで、ひとりで仕事や勉強をすることがあるのですが、その日の晩も同様にクリニックで仕事をしていました。
すると、あまりかかってこない時間帯なのにめずらしく携帯電話が鳴りました。
画面を確認すると着信は妻からで、とってみると電話越しの声から緊急事態だということがすぐにわかりました。

すぐさま自宅に戻ると、取り乱した妻は、変形した手首を抱えて泣きながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と、僕に謝っていました。
見た瞬間に骨折だとわかったので、すぐに救急車を呼び応急処置をしながら「大丈夫、謝らなくていいよ、大丈夫やから。」と声掛けをすると、次第に妻は落ち着きを取り戻しました。

ここからは一部、精神科医としての側面で僕の体験や所感をつづらせてもらいます。

実際上の骨折による局所的な疼痛(とうつう)という痛みと、変形した手首を本人が見て「この先どうなるだろう」「もし責められたらどうしよう」という不安や、「家族に対して申し訳ない」という気持ちなどが混在した状態で「心理的疼痛」が影響し、骨折による疼痛が何倍にも増幅していくという、余計に心身の悪循環の相互作用を来しているといった状況でした。

そこで「夫である僕が家に戻ってきてくれたこと」「夫である僕が自分のことを責めていないこと」「治療的な方向性に向かっていく」という安堵感から不安が少しずつ軽減していき、骨折による局所的な疼痛という痛みのみに分割していきました。
何がいいたいかというと、それくらい実際上の骨折の疼痛という身体の痛みに対して、心理的な疼痛という心の状態が、かなり影響していることを改めて実感しました。

その後も、救急車が到着し搬送される救急車内で、妻の表情はみるみる青白くなり過呼吸を呈しかけていきました。
ここも、骨折という激しい疼痛と、狭い救急車内での馴れない環境下により、自律神経が乱れ、過呼吸を呈していきました。
僕がすぐに救急車内のベッドで横になるように誘導し、手を握りながらゆっくり深呼吸をするように指示し、支持的に対応することで病院に到着した時には落ち着きを取り戻すことができていました。

症状としては重症ですが、それほど大事には至らなかったので、こうやって精神科医として振り返り、あまりしたくはありませんが正に渦中でのリアルな経験により、心身の相関を対人の相関で働きかけることにより心身が落ち着いていくという、個人としての心身相関の悪循環が、対人としての相互作用を通じて消失していくことを強く感じることができました。

病院に到着してからは、病院スタッフの対応の一つ一つが我々夫婦にとっては、いかに支えになったことか。
ほんの少しの支持的な声掛けでも、どれだけ我々夫婦の不安や動揺を落ち着かせてくれたことか。
確かに、GW直前という最悪な状況での救急受診だったので、待ち時間は凄まじく長く、正直イライラもしました。
でも、スタッフの方の真摯な対応や、声掛けへのありがたさを実感させていただきました。
やっぱり、自分が患者さん側に立つことでの「気づき」が、本当にたくさんありました。
そこを大事にして、今後の自分の診療にも生かしていきたいと思いました。
楽しみにしていたGWの予定はすべてなくなり、家族全員が号泣しましたが、家族の健康の心身の大切さを気づかせていただいたという点では、とてもいい経験になりました。

妻は、この骨折に伴い家事のほとんどができなくなりました。
と同時に、妻以外の家族全員が、多くの家事を当たり前のように妻にして貰っていたことに気づきました。
そうせざるを得ない状況になって初めて、僕や子どもたちは、料理、家事、掃除など、普段、妻にしてもらっていたことをすることになりました。
正直、全然できてないし、子どもらも動揺しています。
ですが、こうした妻の怪我という危機により、家族の相互の役割が変化するチャンスが到来しているのも感じます。

仕事ばかりで、妻がしてくれていることが、いかに自分には出来ないかに気づく夫。
普段から妻がしてくれるからと甘えていた部分を、急に自分たちがしなくてはならない状況に直面化して変化し始めている子どもたち。
一見、家族が停滞している、悪化しているように見えても、妻を支えようとすることで、らせん状に成長しているように僕には見えています。

妻には、手術、リハビリを頑張ってもらって、僕は、少しでもその支えと家事、育児の分担割合を増やしていき、子どもたちは、これまで母にしてもらっていたことを自分でやるようにしたり、家事(料理、掃除など)をやれるようになるチャンスです。

実際のところ、家族全員が、泣いたり、怒ったり、喧嘩したりの大型連休でした。
でもこれが、リアルな我が家の「ゴールデン」な「ウィーク」でした。



2019年4月25日木曜日

人はいつだって成長し続けることができる

知能については、さまざまな学者がそれぞれの理論を述べていますが、ある学者は人間には2種類の知能があると述べています。
ひとつは「流動性知能( 流動性一般能力 )」で、もうひとつは「結晶性知能( 結晶性一般能力 )」といいます。

流動性知能」 は、新しいことを学ぶ知能のことであり、 具体的には、推論する力、思考力、暗記力、計算力などが挙げられますが、 これは若い時の方が優れており加齢とともに衰えがみられることが特徴です。

一方、衰えないのが 「結晶性知能」 です。
過去の経験が土台になる能力をさし、免許や学位といった専門的な知識や、料理などの個人的な日常の習慣、長年にわたる趣味の手順や方法なども 「結晶性知能」 にあたります。
上記のように、経験の蓄積に基づく知能である 「結晶性知能」 には限界がありません。
流動性知能」は、 新しい場面に適応する能力ではありますが、「結晶性知能」は、以前の経験から新しい場面に推論、応用することもでき、年を重ね経験や知識の蓄積により発想力やひらめきが増えていくようです。

僕は40歳になりましたが、これからも積極的に知識と経験を蓄積していって、治療者として成長し続けていきたいと思います。