2024年2月21日水曜日

心理治療の回復の過程

  治療過程で、関係不良な親子関係の中で、お子さんの親が、子どもに対して支持的になったり、お子さんを取り巻く周囲の環境がよくなった際に、親を含めた支援者サイドからみると、お子さんが、前よりも、「お母さん、僕と一緒に死んで~」とか、今までの、親に対しての恨みや怒りを、親にぶつけるようになったり、親御さんから、余計に子どもがひどくなったと狼狽されて相談に来られることがあります。

 治療的な観点では、これは、治療的には良い方向に向かっている。心理的な治療は、リフォームの匠のような、ビフォーアフターみたいに、線形で良くなるのではない。子ども視点で捉えると、今まで、親が怖くて、自分自身が言いたかったことが言えなかった、そうした抑圧を、親が許容し、優しくなり始めたら、子どもにとっての親への期待値があがるため、親に対しての抑圧から解放しはじめるのです。そうなると親は、狼狽したり、戸惑ったりしながらも、親自身も心の盾を持って、何とか耐えるのです。僕も診察で、親御さんに、これまで我慢してきたお子さんの想いに、お母さんもよく寄り添っていると労います。そして親御さんには、ここを再度、子どもに抑圧させる方向に転じたら、元の木阿弥です。「踏ん張りどころですよ~」と応援して、親子関係は、徐々に良い変化が生じてくる。子どもは反抗期、その時期は、親は動揺期です。徐々に親子の立場が変わって、子どもの背中に、親が後方支援していく形になっていく。子どもの成長は、線形ではありません。らせん形のようなもので、見方によっては停滞しているように見えても、ある日、急に成長を感じたりするものです。子どもを成長させるのが親の役割ではなく、子どもの成長を温かく見守るのが親の役割だと思って頑張りましょう。

2024年2月14日水曜日

いやんばいすの方言

 大河ドラマ「青天(せいてん)を衝(つ)け」で、「いやんばいす、いやんばいす~」という方言が耳に残っています。武州弁で、こんにちは~という意味で使われます。

いやんばい=いい塩梅(あんばい)という意味が入っています。

「いい塩梅」とか「ほどほど」「ぼちぼち」で日々を過ごすことがいいですね。それを挨拶に取り入れているのがいい。いい塩梅、つまり、自分に必要なものはさっと取り入れ、必要がない物は上手に捨てる。嫌な過去は忘れて、名誉や欲は手放して、苦しい人間関係からはサラリと離れる。ずっと抱えている悲しみや執着は手放して、良かったことも、適度に忘れる。

そうすると、自分が今したいこと、今感じていること、自分の「今」が浮かび上がってくる。自分で、できることはやるけど、できないことは人を頼って、誰かが困っていたら自分にできる範囲内で手伝う。人間関係の「ほどよきところ」を見つけて、生きやすい暮らしを見つけていく。さっぱりとした「いい塩梅」で生きましょう。いやんばいす、いやんばいす!

2024年2月7日水曜日

光合成の3条件は、光、水、温度。心を育むための3条件は?

 植物が、光合成をするために必要な3条件は、光、水、温度ですよね。

 心を育む3条件は?の答えは、主体性つながり自己有用感になります。

 中学生の患者さんで、テスト勉強期間になると、決まって選曲して、好きな曲を集めたアルバムみたいなものを作るお子さんがいて、それを親御さんが、勉強に支障があるからと止めさせたら、返ってテストの点が悪くなったと話されていました。これも、心を育む3条件で考えると、本人が主体的に選曲して、それを、級友から、賞賛されて、繋がりができた。それを、親から頭ごなしに否定されたことで、テスト前の心の状態が、不安定になったのかもしれません。

 また、ルービックキューブが好きな子がいて、好きでやっていたのに、それを5分以内に完成させたら100円あげると親が言うようになりました。しばらくすると、この子は、ルービックキューブをしなくなったのです。内発的な動機で、ルービックキューブを好きでやっていたのに、外発的な動機で、ルービックキューブをやると、内発的な動機が雲散霧消して、やる気がなくなってしまい、好きではなくなってしまった。これも、心の3原則でいうところの主体性を奪われてしまったためだと考えられます。

 だから、勉強しなさいとか、いい点とったら、○○を買ってあげるとかは、長期的には、無効もしくは、やる気をなくさせてしまうことが多い。心を育む3原則は、とても大事なことなので、小学校の授業とかで教えておいてほしいですね。

2024年1月31日水曜日

孤独ととらえるのか、気楽ととらえるのかは、紙一重

 最近、医師の集まりの勉強会があり、その勉強会の帰りに、久しぶりに、先輩と一緒に飲みに行こうと誘ったら、先輩は、同門の大学の先生達と飲みに行かれて、僕はふられてしまい、先輩から「さくちゃん、また、今度行こうな~」と、言われ、とぼとぼと1人で帰りました。正直、ちょっと寂しかったです。それに、僕は、医師会とか医局とかには、属していません。

 人は集団の中で、孤立を感じやすい。先輩は、ちゃんと医局や医師会にも属しているので、僕には、先輩が少しまぶしく感じました。でも、少ししてから考えてみると、先輩は、本当は、そうした飲み会に行きたかったのか?色々と付き合いで行かないといけないだけじゃないのか?僕は、先輩に振られた後に、好きなラーメン屋にいって、サウナにいって「気楽と捉えるのか?孤独と捉えるのか?は、結局は、自分次第なんだな~」と思いました。

 僕は、自分のやりたいことに集中できているし、集団や社会に、無理してまで属する必要はない。だから、気楽なんです。それに、必要になったら、誰とでも飲めるし、繋がれる。人は、どこまでいっても、孤独なんだから、それを受け入れて、気楽に生きていければいいと思った1日でした

2024年1月24日水曜日

トイレのフローリングのパラダイムシフト!

  開業して半年が経過し、トイレのフローリングの汚れが気になるようになりました。たまに、一生懸命に雑巾で拭くと、その汚れは取れるんですけど。また、数日で、汚れが浮き出てくる。しかし、数か月前に、ここに、蜜蝋ワックスを塗ってみたらどうなるかな?と思って、ワックスを塗ったら、ずっとコーティングされてきれいなままです。こういうことって、周囲の方からしたら、当たり前のことかもしれないですけど、僕にとっては、どうにかして汚れをとらないといけないと思っていたのに、反対に、ワックスでコーティングしようというのは、自分的には逆転の発想だったのです。これで、5年くらい前から悩んでいたフローリングの汚れを解決できました。

 この逆転の発想って大事だと思うんです。診療を通じても、結構、こうした逆転の発想に、患者さんが気づいてくれることもありますけど、それは、患者さん自身の受け入れられるタイミングもあるし、こっちも、そこにピンとくるタイミングと合わないと起きないんですけどね。

 こうしたパラダイムシフト(ガリレオガリレイの時代の、天動説から地動説に変わること。)って、人生において、大事ですよね。今日は、当クリニックのトイレのフローリングで起こったパラダイムシフトを報告させていただきました。

 

2024年1月17日水曜日

やりたいことを見つける

 僕が医師を目指したきっかけは、漫画でした。しかし、苦労して医大生になって、研修医になってみると、漫画の世界のような医師にはなれないことが分かり、そこから、諦めていきました。

 まず、手術とかは、僕は好きじゃないので、外科医は諦めました。小児科領域の色々な病気とか、特に先天性心疾患とか覚えられないし、頭に入りにくいから小児科医は諦めました。医大生の頃から、精神科領域は、すごく学べるし、15年精神科医をしていますが、未だにこの仕事は、飽きないし、ずっと学び続けられるし、実践して、反省して、とてもやりがいを感じられています。これも、自分の得意、不得意とかを見定めて、諦めることで、たどり着いた職業です。精神科領域の中でも、僕は実践する診療が好きで、教育や研究には、あまり興味を持てなくて、大学院なども進みませんでした。

 日々諦めることを能動的に、積極的にしてきたからこそ、できることを伸ばして、やりたいことを人生の中心において、いきることができる。学校では、諦めないことばかりにフォーカスをあてて教育しがちだけど、仏教的には、あきらめるとは「明らかに見る」という意味で、自分自身が、本当に大切にしたいものを明らかにするという前向きな行動とされています。どんどん、能動的、積極的にあきらめて、その結果、自分のよさをみつけて、生きやすくなっていって欲しいです。

2024年1月10日水曜日

世界に一つだけの花の誕生秘話

  日本を代表する歌「世界に一つだけの花」の作詞・作曲を手がけた槇原敬之さんは、薬物違反で執行猶予の有罪判決を19993月に受けました。その後、寺で謹慎していた槇原さんに、住職が浄土真宗で、よく勤められる『仏説阿弥陀経』の一節、「池中蓮華 大如車輪 青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」という部分を説いたとされている。大意は「浄土ではさまざまな花が咲いているが、それぞれが、それぞれの個性の上に無上の尊厳を認め合い存在している。」ということで、この経文に槇原さんが感銘を受けて『世界に一つだけの花』の歌詞が誕生したそうです。

「(極楽浄土の)池に咲いている蓮の花は、その大きさが車輪のようであり、青い花は青い光を、黄色い花は黄色い光を、赤い花は赤い光を、白い花は白い光を、それぞれ放つ。」

 つまり意味は「世界に一つだけの花」と同じ様に「赤い花が、青い花になる事はないし、なる事も出来ない。」というような意味です。歌詞の「世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい。」という部分と対応しています。

 青い花として生まれたのに、白く光ることを強いられたり、赤い花として生まれたのに、黄色く光らなければならなかったり。仏教が目指す人の幸せな世界である浄土は、生まれたままの私が、まるごと受けいれられ、本当に自分らしく輝くこと、が出来ることなのです。浄土には、いろんな種類の花が咲いているが、それぞれが、各々の個性を認め、尊重しあって存在している、ということです。そうした、自分という個性や特性を、大事にして、それが社会に活かされて、各々が自分らしい花を咲かせて、自分も他者も認め合えるような社会を目指せることが浄土への道だと思います。

 僕も、この診察室という狭い場所ですけど、「世界に一つだけの花」「NO.1にならなくてもいい、もともと特別なOnly one」と思って、今日は、歌うように診察してみようと思います。だから、今日だけは診察室で、急に歌いだしても、許してください。