2024年12月11日水曜日

労働環境について思うこと

  小学校時代に、友人の家で、友人と喧嘩になって、殴り合いになるくらいまでになった際に、友人から「ここは、俺の家やぞ、俺のルールに従え!」と言われて、自分も、そうか~と思って、怒りを治めた記憶があります。人の家では、人の家として、気を遣うことの自覚を痛烈にした思い出でした。

 今、僕は大人になって、クリニックの院長になっているので、僕以外の従業員にとっては、「僕の家」で働いているということになります。だから、当然、僕よりも、スタッフは気を遣っているだろうし、その分、気疲れ的な疲労はありますよね。だって、人の家で働いているんだから。だからこそ、なるべく、スタッフには、休みを取りやすい労働環境にしたいと思っています。当院の従業員に、持続可能な労働環境を整備して、できるだけ健康的に働いてもらえるようにすることが、院長である僕の務めだと思っています。

2024年12月4日水曜日

人は、どうしても、人の評価を本能的に気にしてしまう。でも、それに負けない!

  大阪診療所協会の理事に今年の6月に就任して以後、数か月に1回、大阪の精神科医が集まって、いろいろな意見を話し合う会議に参加させてもらっています。周囲は、重鎮ばかりなので、自分が意見を言うと、周囲はどう評価するだろう。こうしたことを話して、相手はどう思うだろうということを考えると、どうしても、話している部分も、面白くなくなります。自分の持ち味がでないというか、消化不良というか。先日、2回目の会議があり、そこでは、どう思われるか、よりも、自分が考えたことを、なるべく、率直に話したつもりです。やっぱり、変なこと言ったかな?とか、相手がどう思っただろうか?とは気になります。でも、思ったことを、失敗を恐れずに発言してみる。その中で、学ぶことを大事にして活動してみた方が、自分的には成長できると思うので、そうしようと思っています。理事の在任中に、少しでも爪痕を残したいと思っております。

2024年11月27日水曜日

働かざるもの食うべからず

  このことわざの由来は、キリスト教の聖書だそうです。怠けて働こうとしない者は、食べてはいけないという意味で、徒食(働かないで遊びほうけること)をいましめる言葉です。この言葉の留意点は、「働かざるもの」は、病気や事情により「働きたくても、働けない人」を対象としていません。外来で、心身で体調不良で働けない状態なのに、上記のことわざで、働けない自分を責めてしまっている方がおられたので、キリストは、そういう人を責めていないのです。だから、事情があって、働けない人は、自分を必要以上に責めずに、どうか、「自分自身をゆるしてあげて欲しいな~」と思っています。自分をゆるすのって結構難しいですけど、頑張って、自分自身を、ゆるしてあげて欲しいのです。

2024年11月20日水曜日

好きなことを能動的に取り組んで、失敗するのって収穫が多いんだな~

  僕は、日々診察室で、精神科医、児童精神科医として診療しているわけですけど、どこかで「俺はいい治療者なんや~」と自己陶酔している部分があるんだと気づかされました。

 先日も、講演会で、自分のいいところを見せたい、人から良い評価を受けたいという欲望が湧いていたんだと思います。そうなると、逆に、どもったり、同じことを何度もいったり、段々焦りも混じってきて、言動が硬くなる。そばにいた、重鎮の先生が、温かく見守って、ドンマイ!ナイスファイト!と励ましてくれて、自分のダメなところも含めて素を出していこうに変換していけました。自分の中で、大切にしたいこと、好きなことであれば、慣れないことでも挑戦できて、その過程の中で、自分自身の弱さや自己顕示欲とか自己愛的な部分などとも向き合って、そうした部分から少し解脱できていい経験になりました。

2024年11月13日水曜日

発達障害のお子さんのこだわりには、親御さんは、逆に脅迫してみよう!

  発達障害のお子さんの養育の際に、結構、親御さんから、「こだわりがきつい~、切り替えれなくて困ります」と相談を受けます。例えば、宿題できれいな字で書けないといって、紙が破れるくらい消しては書いてを繰り返すみたいな。親としては、そこまでこだわらずに、適当にやって、臨機応変に対応して欲しいと伝える。でも、子どもは受け入れられず、泣いちゃうみたいな・・。

 そんな時に、おススメが「こだわりには、逆に、脅迫しよう!」です。つまり、子どもに、親御さんが、きれいな字で書きたいという思いに対して、支持し、応援するのです。「あきらめないで、きれいな字で書こうな~」と。うまくいかなくて、悔しがっていたら、よくあきらめず、頑張っているね、と労うことができる。その上で、「もう無理や~、やめる~」と言えたら、それも、よくぞ切り替えれたやん。あきらめるというのは、仏教では、「あきらかにみる」という意味で、伸びるところは伸ばすけど、無理やと思ったら、やめておくという前向きなことや、とされているしねと支持する。つまり、親サイドが、最初にこだわりに、こだわれ!と応援していたおかげで、お子さんがこだわりを続けても、やめても、褒めることができて、お子さんの自尊心を育むことができる。そういうやり方も参考にしてみてください。

2024年11月6日水曜日

ダブルバインド養育の危険性

 どうしても、親サイドの考えと子サイドの考えがすれ違うこと、あると思います。最近ではそのような際、親サイドとしても、子どもの意見を尊重することの重要性の知識は結構入っているので、親が子どもに対して「あなたが思うようにやったらいい」と言うけど、実際のトーンは、イライラしている感じで言ったり「それで失敗しても知らんで」と言ったりしがちです。これは、言語的には、子どもを尊重、非言語的には、子どもを否定となります。子どもからしたら、親の発言は、言語と非言語が不一致にとなり、混乱指示になるため、「親は、私のこと、何も分かってくれない!」と、悲しみや怒りが生じて、子どもの自立に向けての推進力がそがれてしまいます。できれば、子どもの背中に、親は応援していこうという姿勢が、ちゃんと、伝わるといいですね。子どもが自分自身で考えて、うまくいったら、親は「すごいやん!ナイスファイト!」、うまくいかなかったら、「ドンマイ!」です。前者のように、親が子どもに対して、非言語的に否定した感じになると、子どもが失敗したら「ほら、だから、言ったでしょ!ちゃんと親の言うことを聞けよ!」と言いたくなるものです。親である僕もそうです。でも、親自身も、何とか踏ん張って、後者の子どもの後方に、応援者として親は伴走していけるように頑張りたいですね。結局は、子どもの微弱な能動性を育むのが親の仕事なので、子どもが正しい選択をすることよりも、色々失敗しても、自分で考えて立ち上がれる子になった方が、よっぽど価値ある関りとなるので。敵は、社会規範とか常識といったものだったりしますので、そうしたことに振り回されずに、子どもの健やかな育ちを見守れる大人になれるように頑張りましょう。

2024年10月30日水曜日

日常と診察のはざまにて

  診察室では、僕は、治療者モードになっているので、患者さんがしんどいと、自然な形で共感できたりします。しかし、診察を終えて、私生活に戻って家族が体調不良になると「普段の生活習慣が悪いねん~」とか、心無いことを言ったりして、全然優しく対応できない時もあります。でも、時間を置いて、色々変化してくる自分もいるのです。確かに、妻は、ほんまに調子悪いんやな~ と分かってきたりとか。家族って、お互いに、傷つけあったりもするけど、結局は、許し合ったり、思い合ったりもしてきて、助け合うみたいな関係になるのに、ちょっと時間がいる時があるのかなぁ、と思います。