2020年5月21日木曜日

学校に『行けない』ではなく『行かない』と決断できた君に

今回のブログのタイトルだけを見れば、何となく違和感を感じられた方もおられるかもしれませんね。
文科省調査によると、全児童生徒数に占める不登校の児童生徒数の割合は、この20年間で1.5倍の増加傾向にあり、子どもの数が減少するなかで不登校が増え続けています。
少し前では不登校の10歳の小学生Youtuberがワイドショーや情報番組で取り上げられ賛否両論がありました。

児童精神科医である僕のクリニックの外来でも、もちろん児童期の方が多く、その患者さんの中でも主訴(患者さんの訴えの中で最も主要な病症)が不登校ということが多いです。
そういった患者さんの診察場面において、通院当初は『学校に行けない!』など『~できない』と本人や親御さんが訴えたりされることが、しばしばあります。
その後、通院加療の経過の中で、次第に本人にも変化があらわれ、同時に親御さんの方にも不登校に対する理解が進んでいく中で「本人自身は、学校に行けないのではなく、学校に行かないという選択をしたんだ」というふうに徐々に変容していくことがあり、「学校に行けない」ではなく「学校に行かない」と、本人自身の「主体性の回復」を診察場面で感じることがあります。

「学校に行かない」と自分で決断できた子は、いずれ学校や社会に行くことができるようになりますから、これが不登校の治療過程で一番大事なことだと感じています。

不登校だけれども、不登校により自立が芽生え、成長していっているお子さんの診察を通して、むしろ、僕の方が逆に励まされることも結構あります。
その子の成長を感じ、通院を卒業していただいたときは、児童精神科医という職業をしていて本当に良かったな、と素直に嬉しく思います。
時には、最後の診察の際に、冗談まじりの会話を交わし、診察室でお別れして、その後、僕は診察室で余韻に浸る間もなく、また次の患者さんの診察に入っていくわけですけど。

でも、子供の成長や自立していかれる姿を見ると、僕の胸中は少し暖かな気持ちを抱くことができるのです。
「こちらの方こそ、ありがとうございました!」そう心の中で思っています。



2020年5月14日木曜日

子どもの反抗期は、親は動揺期!

新型コロナウイルスの影響により社会の重い雰囲気が続く中、休校の延長により子供たちにとっては、毎日時間と体力を持て余す日々が続いています。
家族で一緒に過ごす時間が極端に長くなりすぎて、子どもたちとギクシャクしてしまっているという方もいらっしゃるのではないでしょうか?
特に思春期の子どもには、良くも悪くも日常生活の一部となっているスマートデバイスがコミュニケーションツールには欠かせないものとなっています。
SNSで友達と交流することなど、親とは距離を置ける場所を探してあげることも、こういった状況では一つではないでしょうか。

今回のブログも前回から引き続き思春期年代の子どもたちをテーマにした内容となっています。

思春期年代の子供が、不登校になったり、摂食障害になったりと、そういったことにどう対応したら良いのか?が、わからない事態となり親御さんが受診されることがあります。
子どもは、児童期から反抗期になる頃には自立の芽生えとして「~しない」「すぐに諦める」「親を責める」など、ネガティブな意思表示で親を困らせる言動から始まることが多いように思います。

ここで、親御さんの対応でポイントなのは、こうした子供らのネガティブで親を困らせる行動こそが、自立の芽生えであるということに気づけるかどうかにあります。
反抗期という時期に、これまでは色々と親が主導したりしてきた子供の立場からすると「支配」に対して、子供は「抵抗」し、最終的に親から主導権を勝ち取り自立していきます。

親御さんが、こういった過程を理解していたら、子供の困った行動に対して「動揺」していくことが大事になります。
親が動揺しながらも、時には親が子を「支配」しようとして怒ったり、はたまた、子供の激しい「抵抗」にあい親自身がうろたえたりしながら、徐々に親が子どもに対して後退していき、子供が自立していきます。
親御さんの「動揺」も含め、この親と子の両者の過渡期が、子どもにとっては「反抗期」となります。

だから、その時期は、親にとっては「動揺期」ですね。
ただひたすら、その親の「動揺」を応援する、これが、僕の仕事ということになりますかね。。。



2020年5月7日木曜日

思春期の頃の自立の芽生えは、否定的なものから出てくることが多い!

新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言が発令され外出自粛要請が続くなか、異例のゴールデンウイークをむかえましたが、みなさんはどうお過ごしでしょうか。
「せっかくのゴールデンウィークなのに、家族でどこかへ行きたい!」と思っている方もいるでしょうし、意外と思春期の子どもたちの場合は「今年は家族と出かけなくて済んで助かった!」と思っていたりするかもしれません。
思春期をむかえた子が、そんな風に思うのは決してわるいことではありません。
多くの人が、親と一緒にいるところを友達にみられたら恥ずかしいと思った時期を経験したのではないでしょうか。

診療していて、最近とくに感じるのは「親御さんの感じている自立」と「僕の感じている自立」のギャップです。
ちなみに「自立」という単語を辞書で調べてみると、
・他への従属から離れて独り立ちすること。
・他からの支配や助力を受けずに、存在すること。
といった意味合いになります。

親御さんにとってのお子さんの自立とは、自分で身の回りのことができたり、親に言われるまでもなく勉強とか社会活動を本人なりにやれているという状態をイメージしていることが多いように感じます。
でも、治療者としての僕の視点では、例えば「学校に行かない!」と言い出すとか、親がちょっと注意しただけで激高するなど、 思春期の頃の自立の芽生えは、一見ネガティブなものであることが多いのです。

皆さんは、尾崎 豊さんという歌手をご存知でしょうか?僕らの世代では知らない人はいないのではないでしょうか。
夢や愛、生きる意味をストレートに表現した赤裸々な歌詞など、社会や学校の中で感じる葛藤や心の叫びを表現した楽曲の数々が1980年代から1990年代初頭にかけての若者を中心に多くの人から共感を呼びました。
1992年に26歳という若さで亡くなられたのですが、その作品と活動、精神性は、日本の音楽シーンに多大なる影響を与え、作品にほとばしるメッセージは25年以上経過した現在でも多くのファンやミュージシャンに支持されています。

尾崎 豊さんは、1983年12月にシングル『15の夜』とアルバム『十七歳の地図』で高校在学中にデビューされたのですが、その『15の夜』という曲に
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盗んだバイクで走りだす 行き先も解らぬまま
暗い夜の帳りの中へ
誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に
自由になれた気がした 15の夜
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という一節があります。
曲全体は知らずとも、このサビの部分は知っているという方も多いと思います。
この曲を評論するつもりなど毛頭ありませんし、この詩を文字通りにだけ読むと、賛否両論があるのかもしれませんが、フィクションや表現の仕方として楽しんだ場合、このような世界観が非常に自立の芽生えである反抗期をうまく表現できていると感じます。

個人的な解釈では、 この「自由になれた気がした」という表現は、実際は親の支配や社会的な支配という部分から、自由にはなれていないことは自分なりに自覚はしているんだけど、少し自分なりに親や社会という支配から自分らしく生きていこう!という戦う姿勢は示せた、というところでしょうか。

以前のブログの中でも何度か触れていますが、僕は、高校3年生の2学期の進路相談で、初めて医者になりたい、医学部に行きたいと担任の先生に伝えました。
すぐさま、担任の先生からは「作田君のこれまでの成績では、到底無理です」と言われ、なおかつ「内申書の成績も悪すぎる」と指摘されました。
僕は焦ってしまい、内申点を少しでも稼ごうと定期テストでカンニングという姑息な手段を使ってしまいましたが、すぐにみつかり、その定期テストは全教科0点になり、停学処分を受けました。
もちろんカンニングはダメな事ですし、今思えば、みつかって良かったなと思います。
しかし、それは僕にとっては、自立の芽生えだったのです。

その後、3年浪人して医学部に入学しました。
このような出来事は今でこそ、改めて振り返るとそうだったな、と思えることです。

親御さん自身の自立の芽生えは、どんなものでしたか?
親になると、自分の自立の芽生えなんか、すっかり忘れてしまっていたり、思い出したくない記憶として片隅に追いやりがちですよね。
子どもが「言うことを聞かないな」「思うようにいかないな」と、親御さんが思っている時は、結構、子どもの自立の芽生えかもしれませんよ。
親としては戸惑いつつも、それは正常な発達として、心のどこかで嬉しいと喜べるといいな、と思います。
でも真っ最中にいると、なかなかそうは思えないもんですけどね。。。



2020年4月30日木曜日

こういう時だからこそ、僕は診療を続けます

新型コロナウイルス(COVID-19)の影響により、世界中の誰もが経験したことのない状況が続いています。
日本でも、各都道府県ごとの感染状況や生活に係る措置が、連日メディアで 報じられています。
既存薬剤の有効性を検討する試みも進行中のようですが、残念ながら現時点においては確立した治療法は見つかっておらず、私たちは正に感染蔓延期の真っ只中に差し掛かろうとしています。

今でも全国各地の神社仏閣には、昔から「疫病退散」を祈願してきた祭りや伝承が受け継がれていることをみればわかるように、日本人は、過去に流行り病(感染症)と幾度となく闘ってきました。ごく身近な例でいうと、節分の豆まきなどは、天然痘をはじめとする感染症など疫病に関連があるとされた説があります。
また、日本は地震や豪雨など、世界的にみても災害多発国として知られています。
無論、ひとつとして同じものはなく、同じ災害であっても経験は様々であり災害の状態や受け止め方は環境や状況により違うものです。

僕らの世代の人たちは、高校時代の頃に、阪神・淡路大震災を経験しました。
当時、僕の両親は作田整骨院という整骨院を開業していたのですが、スタッフ全員が被災者でありながらも、スタッフ全員休むことなく、災害の翌日からずっと診療を続けていました。
僕を含め作田家の子どもは、独居の高齢者の家を親の指示で訪問し、安否を確認したりなど、微力ながら被災支援としてのお手伝いをしたのを覚えています。
正直なところ、思春期だった当時の僕には使命感もなく、自ら率先して「していた」わけではなく、 正確には、親の言いつけに逆らえず「させられていた」という感じでした。
また、自分の回りの人たちが、怪我もなく無事であり、被災支援をしていることで、気持ちのどこかで「他人事」のように思っていたのかもしれません。

でも、今このような状況になり、直接的に何か特別なことはできないかもしれませんが、こういう時だからこそ、普段と変わりなく診療をし続けたいと思っています。
日本の医療制度においては、国民皆保険制度により、全ての人に医療を受ける権利が保障されています。
言わば「国民がいつでもどこでも必要なときに医療サービスへアクセスできる状態を提供するインフラ」であるのです。
こういう時でも日常と変わらず、生活基盤の一部として出来る限り存在し続けていたいと思います。
もちろん、当院のスタッフが感染してしまったり、そうした疑いがあれば、速やかに診療を停止し、休診をすることも責務だと思っています。

こういう状況において、また過去の災害の経験を思い出し、今の自分の状況や環境、役割や立場で、何が出来るのか、また何をすべきかを考えていた時に、ふと、阪神・淡路大震災の翌日から、淡々と仕事をし続けていた両親の背中を思いだします。
改めて、診療を続けていきたい、淡々と。
そういう思いです。



2020年4月24日金曜日

【参考情報】新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の見解等(新型コロナウイルス感染症)

 「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(2020年4月22日)

【厚生労働省ホームページ】
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00093.html

新型コロナウイルス感染症対策専門家会議が、現状の状況分析を行い、分析した結果をまとめた「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」を公表しました。

新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(新型コロナウイルス感染症対策専門家会議)
(参考資料1)人との接触を8割減らす、10のポイント
(参考資料2)新型コロナウイルス感染症の患者数が大幅に増えたときの相談・受診の考え方
(概要)新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言


2020年4月23日木曜日

子育てで大事なことは、共有スペースが明るいかどうか?

新型コロナウイルスの自粛要請で家にいることがかなり多くなりましたね。
こうした状況になり、子どもたちの心の健康発達で一番大事なのは、共有スペースが明るいかどうかを気にすることです。
僕は普段の診察においても、家の中で家族が集まる部屋、例えばリビング(居間)や家族みんなで食事をとる部屋いわゆるダイニングに健全性があるかどうか?を気にしながら診察をしています。

子どもらの症状として「家庭で切り替えられない」「癇癪(かんしゃく)が激しい」「こだわりが強まっている」などと親御さんから相談をされますが、そうした症状化の背景に「夫婦仲が悪い」とか「お母さんが不機嫌になっている」などの影響を受け、子供の症状が強まるというケースが多分にあります。

子どもは親が思っている以上に、感じている以上に親のことを見ていますからね。

親御さんは、まずは自分の心身のバランスのセルフチェックに気を付け、できるだけ親自身が無理をしないように生活をしていきましょう。
もし、親御さんが感情的に子供を怒っている時は、自分のストレスがデッドライン(限界)にまで達している可能性があります。
できるだけ無理しないようにしていきましょうね。

もしよければ、過去に掲載したブログも読んでみてください。 
ほんの少しだけでも気持ちが楽になっていただければ幸いです。




2020年4月16日木曜日

落ち着くことの大切さ

人生、山あり谷ありという言葉がありますが、人の人生には波があります。
誰しもが紆余曲折あり、上昇、下降を繰り返し経験して日々生活していることと思います。
精神科に通院されている方の多くは、人生の谷の部分、やや下降傾向にさしかかった時に受診されることが多いかと思います。

新型コロナウイルスの影響により、まさに谷の部分と感じておられる方もいらっしゃるかもしれませんが、日本だけでなく、世界中が未曾有の不安を覆う中で、先日、緊急事態宣言の発令がありました。
色んな情報が錯そうし厳しい状況が続く中、個人的にも日本人の一医師として、また地域の開業医として新型コロナウイルス関連の情報は注意深く追っている日々が続いています。

現状までの経緯の一部分をものすごく簡単にまとめると、日本の人口の約1億3千万人の内、約1,000人程度の方がコロナウイルスに罹患した段階、つまり、それが多いか少ないかは別にして約13万人に1人の方が感染した状況で、全国一斉に学校が休校になり、総理大臣が不要不急の外出を控えるようにという判断をくだしました。
勿論この判断をどう思われるかは人それぞれで、皆さんの状況や立場、経済的な側面など、色んな影響を少し考えただけでも枚挙に暇がありません。

ここからは職業病とでもいいましょうか、あくまで問題対処の方法論として、精神科医の僕が個人的に感じたことですが、仮に新型コロナウイルスの感染が減少傾向になったら、この総理大臣の判断は心の問題対処にも似ているな、と感じました。
もしかすると、心の状態が下降線となったことがきっかけで当院に受診されることになった患者さんと、この判断により新型コロナウイルスが減少傾向になった場合の下降線の曲線は似ているかもしれません。

問題対処の方法の一つとして、無理して頑張るよりも、しっかりと休息をとり、より下降線に落ちていくことの方が、治りが早い場合があるということです。
もちろん、これは各々の状態やケースによって違いますが、それを「落ち着く」ということなんだと思います。
この「落ち着いている状態」を精神科的には治療期間というのであって、そこをちゃんと理解し休養することを本人自身も受容していく方が、結局は回復が早くなるケースがあります。

ところが患者さんの中には、できるだけ早く回復をしようと焦ってしまい、折角、休養という選択をしたにも関わらず「本当は休養なんてしている場合ではないのに」とか「こんな時に休養するなんて何てダメなんだ」というふうに自己否定や、他者否定が強まり、心理的な緊張が強まっていくことがあります。
自宅で休養していても、心理的緊張が高い状態、いわゆる「精神的過労」の状態で経過しているため、患者さんの中には回復軌道に乗っていかないといった状態を呈しておられる方もいます。

不要不急の外出自粛要請での近いケースを想像すると、気持ちが先行して外出をしてしまい、最悪の場合、新型コロナウイルスに感染してしまう結果となると目も当てられない状況になってしまうばかりか、感染させてしまう状況にすらなってしまう可能性を感じています。

こういった経験を踏まえて、こういう時こそ、徐々に落ち着いていくことを切に願いながら、まずは「落着き」「頑張らないことを頑張る」ということを少しだけ意識してもらえれば、と応援させていただきます。