人間関係で大事なことは、自分が、相手にしてあげられることが大事なんだと思います。相手に、欲しいと求めて、自分のものは、相手に取られないように必死で守る。
これが、国家間でいうと、戦争になるし、社会的、家庭上でも、戦いになるか?関わらないという冷戦になるか?寂しくなるか?できれば、身近な人に、自分が何を与えることができるか?が大事だなと思います。
難しいことではなく、僕に置き換えたら、相手をクスらせること、滑って僕の自己愛は、簡単に傷つきやすいですけど。めげずに、クスらせて、いきたいと思います。
人間関係で大事なことは、自分が、相手にしてあげられることが大事なんだと思います。相手に、欲しいと求めて、自分のものは、相手に取られないように必死で守る。
これが、国家間でいうと、戦争になるし、社会的、家庭上でも、戦いになるか?関わらないという冷戦になるか?寂しくなるか?できれば、身近な人に、自分が何を与えることができるか?が大事だなと思います。
難しいことではなく、僕に置き換えたら、相手をクスらせること、滑って僕の自己愛は、簡単に傷つきやすいですけど。めげずに、クスらせて、いきたいと思います。
診察室という密室では、どうしても治療者としての主観が強まりやすく、自分の短所や長所が不明瞭になって、診察が、独りよがりになってしまうリスクを、僕は常に感じています。幸い、定期的に講演会などで講演する機会があり、講演する度に、自分の良くなかったところ、伸びしろを、みつけることができます。今回の講演会で、自分に感じた反省点を述べさせてください。
1;僕は、講演会で、自分のADHDの特性があることを話していますが、あくまで、ADHDの特性はあるけども、グレーゾーンで、むしろ、注意力散漫が、色々なことに目がいって好奇心という形だったり、多弁な精神科医として、多動さを発揮できていたりしており、現状は、不適応というより、長所になっていることを伝えられてなかったです。
2;エビデンスベースの話を印象に残すために、かつ、わかりやすく伝えるために僕のナラティブな話にすり替えて話すことが多いのですが、返って、混乱や語弊、または、僕の親が、僕にしてくれた対応などを話すと、「そんなことできないって」、返って親御さんを追い込んでしまった可能性もあったなと感じています。
他にも色々と反省点は浮かんできます。自分を客観視して治療者として成長を促すために、今後も不定期に、人前で醜態をさらして、自分のできなさと向き合って、いつか、もうちょっとましな支援者になれるように頑張っていきたいと思います。
最近も、家族内で、イライラするような出来事がありました。家族に対して、「こうしたらいいのにな~」 でも、そんなことを言うと、相手は、自分が否定されたとなり、関係が悪化したりするので、言わないでおこうとして悶々とした気持ちになる。そして、何か、自分の腹付近に炎症のようなものを感じる。大げさに言うと「はらわたが煮えくりかえっている」のだと思います。このような、心の炎症をずっと持ち続けると、本当に病気になってしまいます。この「はらわたが煮えくり返る」という現象を生じさせている第一の原因は、相手の対応への不満ですね。しかし、第2、第3の原因は、自分自身が、考えすぎて、正しくは、「こうした方がいいのに~」とか、「どうして、相手は、改善してくれないんだ~」とぐるぐると怒りを増幅させている。それを、他でもない自分自身がしてしまっている。まず、そこを、僕は、自分で気づけたのです。
その次に僕がとった行動は、当院のカウンセラーに、話します。彼らは、傾聴のプロですので、僕は、カウンセラーと話していると、腹にある「怒り」を外に出せて、徐々に冷静になっていける感じがしました。その上で、カウンセラーからは、「相手に配慮しつつ、対応しましょう」「そういうときは、大きな変化をしてはいけない。小さな変化を心がけましょう」などのアドバイスをもらいました。また、友人に相談した際は「小さな変化に対しての具体的なアドバイス」をもらいました。それを受けて、僕の中にある不満やイライラが、消えているわけではないけど、それに左右されないで、それを乗り切れそうな、イメージができてきました。これは、たった2日間の僕の出来事です。
これをまとめると、最初に、自分自身が問題を作り出して、怒りを作りだしている。そのことに気づく。その上で、周囲に話して、発散、整理、昇華していく作業ができました。実際、1個1個の話をしている作業は、大したことではないんですけど「ちりも積もれば、山となる」ですね。やっぱり、よい人間関係とか相談できる人がいるというのは、とても大切なことなんだと改めて思いました。
自分自身が対人関係で、イライラしたら「もうそうした人間関係を切る!」とか「その人を無視して、勝手にやる~!」と暴挙に出たくなる自分がいます。でも、対人関係において、イライラしたまま、相手にとった行動は、必ず、まわりまわって、自分に返ってきてしまいます。怒りに、言動を任せたら、質的な変化を望んで、悪循環が生じやすい。イライラを相手にぶつけても、相手もイライラするという悪循環が生じてしまうのです。相手に対して、不信感とか怒りをぶつけたら、遅かれ早かれ、自分に対しても不信感とか怒りをぶつけられてしまう。
そういう、他者への怒りを、賢く乗り切る方法は「イライラしたときこそ、西川きよし師匠をイメージせよ」です。
西川きよし師匠の名言「小さなことから、こつこつと!」をしようと思うと、怒りに身を任せる量が軽減し、小さな変化を目指して、質そのものを変えるという思考ではなく、小さな量的な変化を生じさせることができて、良循環になりやすくなると思います。
皆さん、誰かにイライラした際は、西川きよし師匠をイメージして、乗り切りましょう!「小さなことから、コツコツと!」
実生活上、距離が近い人に対しては、ダメなところが目につきやすく、そこを指摘して、迅速に直してほしい願望が、自分の中にあります。その願望という煩悩が、職場だとハラスメント、家族に対しては、DVになってしまうリスクがあります。しかも、その出発点が、相手に対しての思いやりという認識だから、余計にたちが悪い。でも、そうした部分から、心理的な距離をとってみて感じることは、「~してあげる」「~してあげたい」とか、上から目線だったりするのです。自分の中の他者を、自分が思うように動かしたいという煩悩なのでしょう。
まずは、その自分の中にある煩悩に気づくこと。それができれば、あとは、自分の中の煩悩をどう対処していけばいいのか?の修行ができるので、何とかなります。
僕は、毎日1歳から91歳の方を診察させてもらえて幸せです。91歳の高齢女性の患者さんは、今でも単身生活をされていて、身体のあちこちに病気はあるけど、病院に行きつつ、食事もちゃんと自分で作っています。牛肉が好きで、鰻とか、結構肉食系女子です。朝から、段取りを考えて、何をするという行動への意図をしっかりもっておられます。悩み事もあるけど、解決思考的で、自分自身で結構対処されていることが多く、諦めもよく、さっぱりしている感じがあります。僕は、その方に憧れていますし、こうした老人になりたいです。毎日起きて、何を食べたいか?を考えて、作ったり、食べに行ったりして、1人でマイペースに楽しんでおられます。時々は、誰かと交流するけど、さっぱりとした人間関係にしている。施設とかに入らず、できるだけ、自分でできることはする。布団も毎日上げ下げしているそうです。毎日、ごはんを美味しく食べている感じ、いいな~、と思っています。
診察室という密室では、どうしても治療者としての主観が強まりやすく、自分の短所や長所が不明瞭になって、診察が、独りよがりになってしまうリスクを、僕は常に感じています。幸い、定期的に講演会などで講演する機会があり、講演する度に、自分の良くなかったところ、伸びしろを、みつけることができます。今回の講演会で、自分に感じた反省点を述べさせてください。
1;僕は、講演会で、自分のADHDの特性があることを話していますが、あくまで、ADHDの特性はあるけども、グレーゾーンで、むしろ、注意力散漫が、色々なことに目がいって好奇心という形だったり、多弁な精神科医として、多動さを発揮できていたりしており、現状は、不適応というより、長所になっていることを伝えられてなかったです。
2;エビデンスベースの話を印象に残すために、かつ、わかりやすく伝えるために僕のナラティブな話にすり替えて話すことが多いのですが、返って、混乱や語弊、または、僕の親が、僕にしてくれた対応などを話すと、そんなことできないって、返って親御さんを追い込んでしまった可能性もあったなと感じています。
他にも色々と反省点は浮かんできます。自分を客観視して治療者として成長を促すために、今後も不定期に、人前で醜態をさらして、自分のできなさと向き合って、いつか、もうちょっとましな支援者になれるように頑張っていきたいと思います。