2024年7月24日水曜日

アフター白雪姫

  ディズニーやグリム童話で有名な「白雪姫」は、継母が、美への執着があり、自分より美しい白雪姫への脅威や嫉妬を感じ、継母は変装して、毒林檎を白雪姫に食べさせて毒殺を試みました。しかし、運よくイケメンの王子様が、通りかかって、白雪姫の美しさに一目ぼれして、自分の城に連れていく途中で、毒林檎が、体外から除去され、復活するという話。

 その後、グリム童話では、王子がその継母を捕まえて、生きたまま燃やすという結末でした。ということは、白雪姫の復讐劇だと捉えることができますよね。白雪姫が、自分を殺そうとした継母を恨み、王子に殺害させたということになります。

 そこからが、精神科医としての妄想ですが、白雪姫が、継母の魔法の鏡を相続し、自分より美しい人をみつけては、殺害していくという殺人鬼と化していく。継母が自分を殺そうとしたように、自分も、自分より美しい人を妬んで脅威を感じて殺そうとして、継母の運命と同じ話になるということではないか?と思うのです。愛着の連鎖というか。

 そのストーリーを崩すためには、白雪姫の幼少期に、精神科医である僕が、タイムリープして、自分よりきれいな人がいて、夫の心が自分から離れてしまうのではないかという不安の原点の喪失感に寄り添ってサポートしたり、そもそも外見だけでなく、本人自身の良い所を認めてもらえたりする経験を積んだりしていって、白雪姫が、自分自身をありのままで生きていていいのだと受容できることが重要になります。

 その結果、自分より優れている人や綺麗な人が出現しても、不安を軽減できる支援をして、誰かを殺すことを防げたという映画をディズニーに作ってもらえないか?やっぱり、電話してみます~。(嘘ですけど)


2024年7月17日水曜日

アフターシンデレラ

  ディズニーやグリム童話で有名な「シンデレラ」は、幼少の頃に、実母を病気で亡くし、その後、父は再婚し、継母と一緒になり、その後、父を病気で亡くしてしまうなど、シンデレラは、家族の温もりを感じることが乏しい養育環境でした。シンデレラ自身の心の中では、温かな家庭への憧れを希求することになると思います。シンデレラは、その気持ちに蓋をして、本当の自分の気持ちを感じにくくして、子ども時代は生きていたと思われます。そうしないと、心理的な暴発を起こして、家を飛び出すなどとなると、母や父との大切な思い出のある家というアイデンティーさえも失ってしまう恐れがあったからです。そうした中で、王子様と運命的な出会いで、ハッピーエンドとなる。

 僕自身が、精神科医として気になるのは、その後の、王子様との婚姻生活上に生じる問題についてです。シンデレラは、王子様と結婚することで、今まで、心に蓋をしてきた部分が解放されていきます。その結果、王子様そのものを受け入れるのではなく、王子様の自分に対して優しい部分は受容するが、そうじゃない部分も王子様なので、よその国に戦争に行ったりとか、政治等で多忙で、王子様は、時にイライラして帰ってくることもあるでしょう。そうなった際に、シンデレラは、王子のそうした部分へのショックは、人一倍大きく感じる可能性が高いのです。そうした中で、シンデレラが、病んでいく可能性がある。どうして、そうなってしまうのかは?幼少の頃の、親との喪失体験や、ステップファミリーで受けた心の傷が原点にあるのです。そこをカウンセリングでケアされてこそ、あるがままの自分の感情を誰かに受容してもらってこそ、王子様の良い所だけでなく、嫌なところも受容できるようになり、双方で助け合って生きていくことができる。

 そのため、シンデレラが結婚して、相手をあるがままに受容しにくく、病んでしまうようになったら、当院にカウンセリングに来てもらって、シンデレラの幼少の頃の心のケアをしましょう、というアニメを作って~とディズニーに電話しておきます~。(嘘ですけど)

2024年7月10日水曜日

マイクロアグレッションについて

 マイクロアグレッションとは、ありふれた日常の中にある、ちょっとした言葉や行動や状況で、意図の有無にかかわらず、特定の人や集団を標的に、軽視したり侮辱するような、敵意ある否定的な表現のこと。

 加害者は、たいてい、自分が相手を貶めるようなやりとりをしてしまったことに気づいてない。僕らは知らない間に、相手を責めている。その無自覚を意識化することが大切になります。例えば、もう小学校6年なんだから~。お姉ちゃんと比べると出来がよくないね。せめて、これくらいはできないと社会では生きていけないとか。言う側は、聞いている側に、嫌なことをいって、発奮させようという意図があるんでしょうけど。裏のメッセージとしては、「私は、現状のあなたを認めません。あなたは、変わらないといけない!」のメッセージを、入れられすぎると、人は、変化する心の柔軟性が、反対に失われてしまうのです。まず、本人そのものを変えようとしない、認めているという保証を通じて、相互作用の繋がりとして、安心、安全を担保された関係の構築が重要になります。そこを無視した関りをすると、相手との仲が悪くなるだけになってしまいます。結局、他者を傷つけてしまうと、回りまわって、自分も傷ついちゃいますから。

 そのためにも、自分自身で、自分自身の健康を保つようにして、そこから他者と関わると、必要以上に他者を傷つけなくて済むと思いますので、マイクロアグレッションを認識、共有しておきたいと思います。

2024年7月3日水曜日

精神科支援のゴール、目指す社会は?

  前回の松下幸之助の話の続き。100歳過ぎまで医師を続けてこられた日野原重明先生もまた、人の人生で大事なことは、「前進、前進、そのまた前進!」とまさしく仁王立ちしての講演会で100歳過ぎてもなお絶叫されていたのを思い出します。

 やっぱり、宇宙ですね、アニメ「聖闘士星矢」でいうところの小宇宙(コスモ)ですね。人類が目指す社会は、「衆知」できる社会。つまり「共生」社会。本田秀夫先生は、共生とは、ひとことで言うと、「相性が最悪の人たちとも同じ社会で暮らすこと」だと定義しました。そのためには、

  • 全ての人が、多様な視点があることを知る。
  • 異なる立場の人をむやみに疎外しない。
  • 異なる立場の人に不要な攻撃をしない。
  • 自分の視点を他者に強要しない。

ということを述べられていました。釣りで、たまに釣れてしまうフグは、毒があるし、いらんからリバースしたりするけど、調理資格がある人からしたら、高級魚にもなる。誰かにとっては、悪でも、違う人にとっては、大切なものになったりする。少なくとも、自分自身で、自分を否定しないことが大事。あなたを、必要としている人は必ずいる。そこを諦めないで、自己否定しないで、自分を大切にして生きてもらえるような支援がしたいのです。誰もが、自分らしく生きられる。その上で、合わない人とは、距離をとったり、不要な傷が、つきにくくなるような環境を作っていく。色んな人がいて、色んな状態の人がいていい。全ての人が生きやすい社会。目指せ!共生社会っす!

2024年6月26日水曜日

松下幸之助の人間観、人間道

  松下幸之助の本を読んで、古い本ですが、全く色褪せない普遍的な思想を、我々に与えてくれます。要約すると、人の成り立ちを辿ると、宇宙にまで発展していくが、宇宙は、「生成発展」で未だ、成長し発展していっている。そうした宇宙の一部として地球は誕生し、人類は誕生しているからこそ、人類もまた「生成発展」していくものとして存在していくことが、運命づけられているということ。その上で、人類が、現在わかっている生物体の中では、もっとも、高度で最強の生物として認識することが重要である。

 人類という高度で最強の生物として位置づけられているもっとも重要な要素として、人類は「衆知」ができるということ。「衆知」とは、様々なものや人の力を結集して、生成発展に活かすことができるということ。そして、その「衆知」に必要なことは、「あるがまま」の視点で、素直な姿勢で、自己を又は外界をみていくということ。

 素直というのは、人の言うことを素直に聞くとか、そういう単純な意味ではない。曇りのない心で、物事を見る視座だということになります。つまり、あるがままを受け入れるような心持ちや姿勢を持つこと。そこで、色々な学びや経験や出会いを通じて衆知していくこと。それで、調和し発展していくことが、人としての道であると説いている。これを忘れないで人類が生きていけたら戦争や争いは回避できる。それをしっかりと、心に刻んで生きることが、松下幸之助の遺言な気がします。今日は、そうした観念論、総論的な視点でのみ述べて、まずは、自分自身あるがままを受容して、ありのままに生きていけるように頑張りたいので、サウナに行ってきます。

2024年6月19日水曜日

両親が一緒に歩いているのをみて、人という字の意味を知る

 僕の両親は、父は80歳、母は75歳です。たまに、キャリーケースに、食料とか色々詰め込んで僕の家に持ってきてくれます。その帰りの両親の歩いている姿をみると、父は不整脈で歩行も不安定、母も頚椎、腰椎ヘルニアで、歩行は不安定。そんな二人が支え合って歩いている後ろ姿をみて、僕は「人」という字に二人が見えました。長年にわたって、お互いが支え合ってきている姿に、僕は感動しました。もちろん、その二人の歴史は、色々大変だったり、きれいごとではありません。だからこそ、素晴らしいし、面白い。できるだけ、支え合って、これからも夫婦で文字通り「人」として支え合って、やっていってもらいたいです。

2024年6月12日水曜日

人は、遠目でみると、普通。でも、近くでみると、みんな変!

 精神科の診療を通じて日々、感じていることがあります。

「人は、遠目にみると、普通に見えますが、近くで、まじまじと精神科的にみると、それぞれ、みんな変!」ということです。

 すべからく、みんな変です。夫婦問題にしても、交際しているときは、相手が良く見えても、結婚して、夫婦になったら、お互いに変だと思うものです。でも、お互いが各々、変なんだということを、認識してからが大事で、相手が変わらないといけないからスタートすると、関係は悪化します。まずは、相手のあるがままを受容する。その上で、折り合いをつけていく。そういうスタンスが大事だと思っています。だって、自分だって変だということを忘れてはいけないと思うんです。

 そんな変な自分と、縁をいただいて一緒になって夫婦になったのなら、そこの感謝をお互いに忘れてはいけないと思うんです。お互いに・・!