2020年11月26日木曜日

人生で苦悩以上につらいのは暇かもしれません

 これまでのブログでも何度か話していますが、僕は「作田整骨院」の息子です。

僕が子どもの頃の父は、指圧マッサージをしていたせいか、父の親指は、ゴツゴツして変形していて、指紋はありませんでした。

父はいつも「仕事はきついわ~、60歳頃になったら辞めたいわ~」と、半分冗談で親戚とかに話していたのを覚えています。

僕は、父と性格的に似ていて「60歳頃を目途にやめたいわ~」と同じように話している姿が、同じ年齢だった父の発言と自分の今と重なります。


父は実際、60歳で大病を患い、作田整骨院の院長職を退職しました。

その後、数か月の闘病生活で病気は治癒し、なかなかできなかった旅行や遊びなどを、老後生活として数か月間楽しもうとしました。

しかし、まもなく、ひどく深刻な表情で「しんどい~、ひまや~」と、父は話しだしました。


その後、家族で話し合って、家の和室の一室を少し改装して、再び、作田整骨院を再開することになりました。

それから、15年が経過し、父は75歳となった現在も、実家の和室で、作田整骨院を細々とですが続けています。


父曰く、仕事はしんどかったけど、ひまの方が仕事以上にしんどかった、とのことです。

僕も父も、ADHD傾向で、落ち着きがありません。

「忙しい、大変や~と言っている時が、実は、人生が充実している時やで。」と父が話していました。

仕事でも生活でも、色々忙しい、苦しい~と感じられているのは、充実している証拠だと思って、日々を送ることにしておきます。


2020年11月19日木曜日

個人が、家族が、社会が、フードコート化している印象です。

 来年の1月に、堺市発達障がい者支援センターで講演を予定していて、休日や空いた時間をみつけては、その講演の準備をしています。

その講演で「発達障害者が、定型発達者と違っててもいいやん~」と訴えたい気持ちもあるけど、社会的な現状などを考えたりした際に、そんな綺麗ごとだけではダメだなという気持ちもあります。

そもそも僕自身という個人においても、対人への受け入れ幅は、年々狭くなってきている気がします。

コンビニとかでもレジでちょっと待つだけで以前よりもイライラします。

また、家族で外食に行こうと話しあっても、各々が食べたいものを譲らないから、結局、フードコートに行ったりします。

お互いに譲り合うとか、協調性は年々低下している気がしています。

社会全体においても、間違いを犯した人間に対してSNSなどを含めて容赦ない鉄槌を下す感じは、僕自身、恐怖すら感じたりします。

社会的、組織的、家族的、個人的あらゆる角度から、違いや受容する幅が年々狭くなってきているような感じがします。

それだけ社会的に色々なことを受容せよという圧力を、みんなが受け過ぎて逆説的に受け入れ幅が狭くなっているのかもしれないとも感じています。

だからこそ、発達障がい者支援センターでの講演では、違っていることをちゃんと診断として出してあげることで、自分自身やその人の周囲の人に分かってもらう必要があると結論づけたいという思いがあります。

僕自身は、最近は発達障害の診断は、鋭敏かつ広く診断するようになってきています。

大人で40歳台とかの人でも知能検査を改めてやってもらって、発達障害とか知的障害とかを明示化していくようにすることが増えています。

「リアリティーの向上は、常に朗報である!」という考えで、なるべく診断や見立ての精度を僕自身があげていって、患者さんが、自己受容、周囲の人にも受容してもらえるように、そのきっかけが、診断や精神保健福祉手帳、医療的な支援(薬物療法、心理教育、精神療法)などになったらいいなと考えています。

診断とかをつけないと、「能力障害なのに、モラルの問題、やる気の問題とか、KYなやつや!、コミュ障やな~!」なとと絶えず周囲から否定され続けて、本人自身も自己否定が強まっていくのを防いであげたい。そういう防波堤になることもあるので、僕の役割は重要やなと思う今日この頃です。


2020年11月12日木曜日

リアリティーの向上は、常に朗報である!

 診察というのは、患者さんとの共同作業で、限られた場所や時間内で診断や治療をしていく訳ですが、精神科医として見立てを立てることが、 診察上で一番大切なことだと考えています。
そして、その一番大切な見立ては、診察の中で変化していきます。

その際に大事にしておきたい言葉が、僕の精神療法を指導してくれている人からいただいた格言です。
「リアリティーの向上は、常に朗報である!」

また、杉山 登志郎先生(福井大学子どものこころの発達研究センター客員教授)から指導をしてもらった時に言われた「真実が、一番、患者さんを傷つけないよ」という言葉。

J.Y.Parkさん(ソニーミュージックとJYPの合同オーディション・プロジェクト「Nizi Project」でも有名な音楽プロデューサー)の名言の「真実、誠実、謙虚」などがあげられます。

診察という場で、少しでもリアリティーを向上して、患者さんに治療的に関われるようにしていきたいと思います。

2020年11月5日木曜日

アナ雪で伝わった僕なりの解釈

 今回は、言わずと知れたディズニーアニメーションの映画「 アナと雪の女王 」 について、あくまで個人的な僕なりの解釈と思った事を投稿させていただきます。

「 アナと雪の女王 」 日本では「アナ雪」と略されてますが、この物語で登場する『エルサ』は、生れながらに触れたものを凍らせたり、雪や氷を作る魔法がつかえるという「特徴」がありました。
ただその特徴により、妹に怪我をさせる事態をまねいてしまったり、他者と自分との違いや、異質性に対して、恐れ、慄き、不安を感じ、それは両親も同様に感じており、周囲には、隠蔽し、ひきこもるようになりました。
しかし、妹のアナからの愛という想いを受けて、自己否定から自己受容が始まっていきます。
そうした中で起きた奇跡が、魔法を解除し、むしろ、その魔法で人々を幸せにするという逆転の発想となり「特徴」が「特長」となっていきます。

発達障害の支援でも、同様で、当初は様々な発達障害者の抱える問題や「特徴」を直そうとしますが、一歩間違えると幼少の頃の『エルサ』のようになってしまう可能性があります。
問題を直そうとすることを否定するわけではありませんが、「特徴」を「特長」にしていき、「直す」ではなく「活かす」ことが大事だと「アナ雪」で感じました。

発達障がい者での悪循環の多くは、『エルサ』と同様に、自分の「特徴」に対しての不安や慄きからくる自己否定です。
この自己否定は、周囲から受容されてこそ自己受容していき、「特徴」が「特長」になっていくのではないでしょうか。

だって、この世の中の多くは、エジソンが電球や蓄音機を発明したり、最近では、スティーブジョブズがスマホを発明したりと、ASDの人が作ってきた部分が大きいわけですから「アナ雪」の話しは、実際のエジソンやスティーブジョブズの伝記と重なるところが多いと思います。