2020年4月9日木曜日

マザーテレサの手紙

以前、当ブログでも少し紹介しましたが、僕は、大学生時代に色んな国にバックパッカーの旅をしていました。
インドのコルカタ(旧カルカッタ)という都市を旅していた時に、 路上で死にそうになっている人を連れてきて、最期をみとるための施設「死を待つ人々の家」や、孤児のための施設「聖なる子供の家」でボランティア活動をした経験があります。
因みに、これらの施設にはボランティア参加者が世界各国から集い、日本からの参加者の多さも印象に残っています。
これらの施設は、カトリック教会の聖人であり、修道会「神の愛の宣教者会」の創立者のマザー・テレサにより設立されました。
献身的で犠牲的な奉仕活動によって世界中の人々から讃美と敬意を集め、1979年にはノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサは、死後もなお、生前残した言葉は名言として語られ、世界中で尊敬を集めている偉大な方です。

しかしそんな印象とは裏腹に、マザー・テレサ自身が親しい神父たちに宛てた手紙は、ノーベル平和賞での感動的なスピーチやこれまでの名言集では語られなかった「心の闇」についての苦悩そのものでした。
その手紙の内容の多くは、皆が知るマザー・テレサのイメージとは真逆の考え方や感情、信仰に対する矛盾や疑念などを赤裸々に訴えるものでした。

前回のブログで「ペルソナ」と「シャドウ」について少しご紹介しましたが、「ペルソナ」という表現をあえて使うなら、これも聖人としての役割があまりにも大きくなりすぎて、「シャドウ」としての心の闇という苦悩も同じくらいに大きくなっていったのではないでしょうか?

社会的に偉大な功績を残した人が特別というわけではなく、誰しもがその両側面を持ち合わせているということは前回のブログでも述べさせていただきました。
例えば、DV夫と呼ばれる人の多くは外面が良く、外では優しく、真面目で、良く気がつく人が多いように思います。
その反面、家では「シャドウ」として、亭主関白で、家では何もせず妻との衝突が大きくなるというケースが往々にしてあります。
治療的には、ほどほどの「ペルソナ」「シャドウ」になることを意識したいものですね。
まずは、僕自身が気を付けたいなと思っている日々ですが・・・

そういえば、インドでの旅でもう一つ印象深いことといえば、ガンジス川のほとりに座り遠くを見ている人々の中に、多くの日本人の姿があったことでした。