2018年12月27日木曜日

思考過剰状態は、本当の自分じゃない!

前回のブログで、寝る直前や寝起き直後の半覚醒状態の時に色々考え悩んでしまうことについて、ご紹介させていただきました。
僕自身の個人的な思いも多分に盛り込まれていましたが、 読んでくださった皆さんの中には、もしかすると何となく少し共感できるな。と思ってくださった方がいたかもしれませんね。
今回も、寝る直前や寝起き直後の半覚醒状態の時に色々考え悩んでしまうことについて、当院で診察中にも患者さんに話している事なんかを、ほんの少しだけ掘り下げてご紹介させていただきます。

前回から引き続き、冒頭から度々出てきますが、 目が覚めているようないないような、夢うつつの『半覚醒状態』と、タイミング的に『精神的にしんどい状態』が重なると、頭の中は思考過剰状態になり、悩むことに悩んでしまって抜け出せなくなることがあります。

つまり、悩むことに悩んでしまうという渦巻きにのみ込まれて、相乗的に『鳴門の渦潮』思考に、どっぷりはまった状態になることがあります。
『半覚醒状態』 + 『精神的にしんどい状態』 = 『鳴門の渦潮』思考

そうなると、最終的には思考に自分が乗っ取られた状態になり、過去の後悔や怒り、将来の不安や怒りに心が支配されて、心が病んでしまう状態になります。
『これが、精神的に病むことの正体だ!』なんて診察室で説明したりしています。
また、『あくまで、自分の中の思考が、勝手に作り出してしまっているんであって、その「思考」そのものは、本当の自分じゃないんですよ!』ということを説明しています。

『自分の中の思考が、勝手に作り出してしまっているんであって、その「思考」そのものは、本当の自分じゃない?』と、ブログでの紹介だと混乱を招くかもしれませんが、例えるなら、お寺で座禅をしている自分をイメージしてみてください。
そして、座禅中に煩悩があふれ出している状態(思考過剰状態)の自分に、お坊さんが木の棒で「ペシッ!」と叩いている感じです。
木の棒で叩いてもらって、我に返って『今』に意識が戻る、という流れのイメージを自分でやれるようになるのです。
もし、座禅でのイメージがわきにくい方は、関西人には特に馴染みのある「漫才」でいうところの「 ボケ=自分で作り出している思考過剰状態」に対して、自分自身で「ツッコミ」ができるようになったら、かなり楽になれるのではないでしょうか。
ブログではかなり省略してこのようにご紹介させていただいてますが、実際に診察室でもこのような例えで色々説明したりしています。

今回のブログで一番伝えたいことは『「思考過剰状態」のいわゆる「鳴門の渦潮」思考は、本当の自分じゃない!』これを知っておくこと、気付いておくことは、とても重要なことです。
『本当の自分じゃない!』と気付けたら、必ずこの「思考過剰状態」から脱することができるようになりますから。
そう思って、僕も寝ることにします。
おやすみなさい。


2018年12月20日木曜日

寝る前に、日々の反省と先々のことを考えすぎてしまう自分にエールを送ろうと思います。

欧米の人は睡眠環境を整える為に、光を間接照明にしたり、好きな音楽を聞いたり、アロマや読書とかでリラックスして寝る人が多いと聞いたことがあります。
みなさんは、どうされてますか?

というのも、夜寝る直前とか、朝起きた直後の夢とも現(うつつ)ともつかない半覚醒状態の時に、色々と考え悩んでしまうことってよくありますよね。
ちなみに僕は、寝る前に仕事でうまくいかなかったことの反省や、明日からの心配事などを考え悩むことがよくあります。
一般的な日本人は遺伝的要素の関係で、不安やプレッシャーに弱く、あがり症も多いという話も聞いたことがありますが、僕のような不安神経質タイプの方は、日本人にはとても多いのではないでしょうか?

ですが、これをポジティブに考え、違う側面から見た場合、日本人の不安神経質な部分があったからこそ『勤勉』『まじめ』として世界で『日本ブランド』を確立できたんだとも思います。
みなさんも一度くらいは観られたことがあるかもしれませんが、 ハッピ姿の大勢の人たちがスーツ姿のひとりを中心に、物置の上で声を合わせる「イナバ物置」のテレビCM「やっぱりイナバ、100人乗っても大丈夫~!」なんて、物置の上に100人乗っても大丈夫かどうかの実験をした稲葉社長は、「間違いなく不安神経質タイプだな。」と個人的に思っています。(違ってたらごめんなさい。)

でも、だからこそ、世界のイナバ物置になれたのではないでしょうか?

「不安神経質万歳!」「それが日本人の強みだ~!」「不安だからこそ、まじめにこつこつと働いて、高品質で故障が少ない品物で世界の信頼を勝ち取ったんだ~!」と前向きにポジティブに考え、不安神経質タイプにエールを送りつつ寝ることにします。
おやすみなさい。



2018年12月13日木曜日

3週間ぶりにブログをアップさせていただきます

ブログをしばらくお休みさせていただいていました。
その間、自分自身が何故ブログを始めようと思ったのか?また、これからブログにどういう意味や役割を持たせていきたいのか?を考え、改める時間にしていました。

最近の自分のブログの反省として、毎週ブログを更新させたいという気持ちが強すぎて、自分が読んでいる本の引用ばかりになってしまいました。

ブログを書く目的として、自分の考えを整理したり、ブログを通じて伝えようとすることで治療者として少しは成長できるかもしれないと思っています。
また、普段自分が感じていることや、限られた診察という空間や時間だけでは伝えられなかったことなどを、共有したいという役割も期待しています。

こうして、たまに色々迷いながら、何の目的でこうしてブログを始めたのか、それをどうしていきたいのか?を自問自答し、またブログを更新していく。
この繰り返しの作業が大事なことだと思っています。



2018年11月22日木曜日

子供が、いつも見え透いた嘘ばかりを親につく。これは、親としてどう対応したらいいですか?

当ブログで連続してご紹介している、『エックハルト・トールの「子育て」の魔法:あなたが気づけば、子供は変わる!』の内容の一部を、診察の場面でもよく相談されることですので、僕自身が直面している事とあわせて、今回もみなさんと共有させていただきます。
〈エックハルト・トールの「子育て」の魔法:あなたが気づけば、子供は変わる! スーザン・スティフェルマン著、徳間書店、1800円(税別)〉

小学校の高学年頃になると、友人とのつながりに価値観がシフトしてくる「成長」と「危うさ」が同居しており、家族に対して内緒のことが増えてきます。
僕自身の子どもの子育てにおいても、近頃、嘘をついているな、と感じることもしばしばあります。おそらく、そういう親に隠し事をする体験は大事なこ
となのかもしれません。 僕自身も、子どもの頃は、もちろんそういった経験があり、そのことを重ねて思い出したりします。

全てをそれが原因とするわけではりませんが、デジタルネイティブやSNSネイティブという言葉があるように、現在の子どもらがとりまく環境も加速度的に大きく変化している状況で、 診察室でも、子どもらがSNSに夢中になっていたり、とりあえず親が少し言うだけで反抗で会話にならない、といった内容の相談がよくあります。

さて、子どもが嘘をつくことでどんなメリットがあるのでしょうか?または、どんな苦痛を避けようとしているのでしょうか?
どちらにせよ、子どもは厄介ごとになって嫌な思いをするのを避けようとしているのでしょう。

子どもが親にどれだけ正直になれるかは、実は親の常日頃の子どもの接し方で決まります。
聞きたくないようなことを子どもが親に話したときの反応が決め手になります。
子どもが、正直に悪さをしたことを話したら、どうしますか?あなたは怒りますか?子どもにひどく失望したと言いますか?

子どもは、二つの嫌な選択肢のうちのましな方を選んでいるのです。
つまり、その子は正直に話して嫌な思いをするよりも、やましい気持ちを感じても嘘をつく方がましだと思っているのです。
家族に嘘をつくことは子供にとってつらいことです。
でも、子どもは本当のことを言って、親を失望させる方がもっと嫌だと思って、嘘をつく方がましだと考えているのです。

親が、子どものつらい事実を聞いても大丈夫だと安心させてあげてください。
僕自身も、こういった状況の我が子に対し、これを成長と捉えて、このまま親として正直に子どもとぶつかっていく他ないと感じています。
その中でして良いことと、してはいけないことを、子どもは親から感じ取って巣立っていくのだろうと思います。
子どもは親に愛され認められ、喜ばれていると感じると、協力し信頼関係を結ぼうという自然な本能が目覚めます。
そうすると、自分が正直でないという不安に耐えれなくなります。

僕自身が、子どもに注意しようとしているときに、気を付けていることは 「怒る」と「叱る」の違いです。
「怒る」は自分の感情を相手にぶつけること。「叱る」は、相手を本気で心配し、注意することです。
これは紙一重ですけど、一瞬立ち止まってそこに立ち返るようにしています。
まだまだ、怒りの方が勝ってしまうことはよくあり、親としても反省の日々ですけど、この違いがとても大事な事だと思っています。


2018年11月15日木曜日

心から謝るということ

今回のブログも引き続き、『エックハルト・トールの「子育て」の魔法:あなたが気づけば、子供は変わる!』の内容を、僕自身の感想も含めご紹介したいと思います。
〈エックハルト・トールの「子育て」の魔法:あなたが気づけば、子供は変わる! スーザン・スティフェルマン著、徳間書店、1800円(税別)〉

後述していますが、当内容は僕自身非常に勉強になっており、もしよければこのブログを読んでくださっているみなさんと共有できればと思っています。
 昨今、今回のタイトルにもなっている 「心から謝るということ」は、 実は大人になればなるほど難しいことなのかもしれません。

謝罪は心のこもったものでなくてはいけません。
誰かの感情を傷つけたり怪我をさせたりした子どもに、無理やり「ごめんなさい」と言わせることにあまり意味はありません。
謝る前に、心から後悔の気持ちを感じることが大切です。後悔は、自分の間違いを恥じる気持ちからは生まれません。
親が子供の過ちを恥ずかしいことと決めつければ、子どもの心に自分を守ろうとする力が働き、間違いを認めさせることがいっそう難しくなります。
子どもが相手の傷ついた心に触れ、自分の思いやりのない行動が与えた影響について優しく導かないといけません。
そうしてはじめて、子どもは本心から「ごめんなさい」が言えたり、謝罪の気持ちを態度で伝えられるようになります。

謝罪には4つの段階があります。
  1. 「ごめんなさい」と心から言い、言い訳をしないこと。言い訳をすると、自分のしたことを正当化して擁護していると思われるかもしれません。
  2. 「あなたは~と思ったでしょうね」と相手の立場に立ち、共感と気遣いを示します。
  3. 「これからは・・・」という言い方で、自分の行動を改善する意思を伝え、相手を傷つけた行動を繰り返したくないという意思をはっきり示します。
  4. 「私に何かしてほしいことはある?」あなたのことを許し気持ちを切り替える妨げになっていることがあれば、何でも伝えてもらうよう相手を促します。

これら4つの段階を踏んだ謝罪は、僕自身の個人としても、親としても実際にはできていません。
子育てを通して親である我々も自分の弱点と向き合い、行動に責任を持ち、プライドやエゴを振りかざすのをやめる大切さを知ります。
そうして初めて自分の行動に責任をとり、"正直に生きることの大切さ” を知る子どもを育てることが出来るようになっていくはずです。


2018年11月8日木曜日

お母さんから不登校の息子さんの対応を巡って「夫と子育ての意見が分かれるんです」という相談

今回のブログも前回に引き続き、『エックハルト・トールの「子育て」の魔法:あなたが気づけば、子供は変わる!』の内容に沿って、相談の一例をご紹介したいと思います。
〈エックハルト・トールの「子育て」の魔法:あなたが気づけば、子供は変わる! スーザン・スティフェルマン著、徳間書店、1800円(税別)〉

不登校の息子さんを巡って、お母さんは息子さんに対して徐々に支持的になりつつも、反対にお父さんは息子さんに高圧的で叱咤激励をするなど、対応を巡って意見が対立することがよくあり、当院でも、お母さんから、夫(お父さん)の対応について相談されることが良くあります。

まず、夫婦であっても子育てで意見が一致しないことはよくあります。
また、お父さんのそうした高圧的な対応は、お父さん自身が幼少期に影響を受けた人を手本にして自分の行動を決めている可能性が高く、こうした幼い頃の影響には強い力があります。

夫婦間において、夫が息子さんへの対応が変わらないからといって、妻から夫を説教したり、助言したり、批判しないことです。
もし、妻が夫を説教したり、助言したり、批判したりすると、 夫にとっては、自分が幼少の頃に口うるさく名誉を傷つけられた自分の親と同じだと思ってしまうかもしれません。
そうなると、夫は妻であるあなたに抵抗のスイッチが入るだけで、説教や助言、批判をしても、夫は頑として自分の行動の正当性を主張するだけです。

お母さんが息子さんに対して誠実に行動し、悪いと思ったら「ごめん」と謝る姿を、夫(お父さん)に見せてください
その結果、息子さんがお母さんに協力的になっていく姿を、夫(お父さん)が目にすれば、最後には、謝ることは弱さではなく、強さのしるしだと考えるようになるでしょう。
あくまでそれは夫(お父さん)自身が気づかないといけないことです。



2018年11月2日金曜日

診療についてのお知らせ

おかげさまで開業以来、僕は診察室で1日中たくさんの患者さんと向き合う仕事をさせていただいています。

正直、仕事の日の朝は起きてからずっとドキドキで、朝食も食欲が湧きません。
ちゃんと自分が診察を通して今日一日患者さんと治療的に関われるだろうか?
無事に1日の診療が滞りなくやれるだろうか?
という予期不安で緊張しっぱなしです。
これは開業して1年という月日が経過しても、慣れるどころか全く変わっていません。

でもこれは、自分に対する期待へのプレッシャーなのかもしれません。
なぜなら、自分は良い治療ができると思っています。
心の底では「自分の治療に、自分が最も期待している」というポジティブな側面がいつも自分を後押ししてくれているという“心のパワー”みたいなものがあることにも気づいています。

しかし、残念なことに日々の診療で、救いを求め期待して当院に来院されている患者さんの全てを満足させることができていませんし、治療に失敗した患者さんのことが脳裏から離れず、自分自身がひどく落ち込んだりすることも日常茶飯事です。

でも、その失敗から学んで自分自身が治療者として成長することでしか、その失敗は取り戻せないと思って何とか前を向いて日々の診療に向き合っています。

その上で、 当院スタッフとも話し合い、この度「お知らせ」として、あらためて患者さんにお伝えすることにしました。

僕の診療を振り返り改善していかなければならない点として、診療の時間配分を間違ってしまいこちらが焦って対応したことが、最も診療で失敗してきた点だと感じています。
ですので、診療の時間の目安という枠組みについて、お知らせさせていただき、患者さんにご理解とご協力を得て、今後、より良い治療を目指していきたいと考えております。
何卒、通院されている患者さんには「お知らせ」をご一読の程よろしくお願い致します。

  さくメンタルクリニック Webサイト



2018年11月1日木曜日

衝動的で短気で、とてもデリケートな息子に、どう注意したらいいか?という相談

今回のブログは、患者さんからよく受ける相談を『エックハルト・トールの「子育て」の魔法:あなたが気づけば、子供は変わる!』の内容を踏まえつつ、ご紹介したいと思います。
〈エックハルト・トールの「子育て」の魔法:あなたが気づけば、子供は変わる! スーザン・スティフェルマン著、徳間書店、1800円(税別)〉

親御さんから、言葉や行動で人を傷つけることもあることを子どもにわからせたいが、どう伝えれば “カッ” となるのをやめさせることができるか?という相談を受けることがよくあります。
感受性が強く衝動的な子どもは、傷つけられたり、侮辱されたりすることにとても弱いです。一方で衝動を抑えるブレーキが弱く、怒りを爆発させがちです。

こうした問題を簡単に解決する方法はありません。
息子さんに、怒りを爆発させたことを後悔させることは良いことです。自責の念が行動を抑止するからです。
しかし実際は、衝動的な子どもはたいてい感情の発達が未熟なために、きちんと善悪の判断をしないまま暴言を吐いてしまいます。

親がしてあげれることは、子どもが激しくわき起こる感情を自制できず恥ずかしいと感じていたら、それは本当の自分ではないと思わせることが必要です。本当の自分と、自分の困った行動とは、切り離して考えるように息子さんを導いてあげましょう。

これは決して、自分の問題行動に息子さんが責任がないと言うことではありません。行動の表現の仕方に問題があるだけで、本当は自分は立派な価値ある人間だということをわかせるのです。
息子さんの感情の嵐がやってくる際の前兆(心臓がドキドキする、おなかがむかむかする)に気づかせ、その感情の嵐が誰かに深刻な傷をつける前に、親や信頼できる大人に助けを求めることができるようにしましょう。



2018年10月25日木曜日

子供の成績ばかり気になってしまうんですけど?という親御さんの問いかけに、自分自身が感じていること...

社会全体が急速に合理化、功利化して、外からの評価に重きをおく成果主義の文化が浸透してきています。また、教育においても早期教育などの影響から、夜遅くまで塾に行っている子どもが多い状況が気になります。この世は競争社会で、ある程度の意欲と粘り強さのある子どもが、やる気のない子よりも成果をおさめるのは事実です。

しかし、早期から競争を意識した勉強をしていくことで、世の中は意味のあるもので埋め尽くされていると錯覚してしまうのではないか?と危惧します。
親が一番大事にしていることとして「良い学校に行くこと」や「優等生になること」だと思っている子どもは、簡単には評価されたり認められたりしない功績に目をむけなくなってしまいます。

子どもは、物事をどう感じるかを自分で確かめ、自分がよくやったかどうかを外からの評価だけでは判断しないようになると意志が強くなり、仲間の影響を受けにくく、たとえ人から疎まれるようなことでも正しいと思えば進んでやろうとします。
ですので、子どもには優れた成績のしるしである賞状はなくても、最善を尽くすことに大きな価値があることを伝えることが大切です。
子どもが何を大切だと考えるかは、親である我々に強く影響されます。外に現れる成果が一番大事だと教えれば、当然、子どもは人より抜きんでるために近道を探すでしょう。
我々、親の立場としては、好奇心と“わくわく”する気持ちと熱意をもって生きて欲しいと、子どもに伝えましょう。
人生を楽しむために生まれてきたのであって、人を押しのけて生きるためにここにいるのではないと教えることが大事です。

2012(平成24)年のNHK大河ドラマ『平清盛』の題字や、 建長寺や建仁寺、東大寺、中尊寺、厳島神社など、全国各地で奉納揮ごうを開催している、天才書道家でダウン症の金澤翔子さんという方がいます。
その天才書道家の金澤翔子さんと、自身も書道の専門家であるお母さんの金澤泰子さんのメディアでのインタビューの中で、母親の泰子さんからみて娘である翔子さんの書のどこがすごいのかを解説している談話があり、こうおっしゃいました。
『私の方が技術的には上だけれども、私の書に感動して涙を流した人はいません。
しかし、娘の翔子の書を見た多くの方が涙を流して感動してくれるんです。
「質」が違う。
つまり、社会に影響されることなく、純粋な感性が伸びたんでしょう。
上手に書を書いて誰かに褒められたいとか、そういった世俗の欲に染まっておらず、無心だからだと思います。
社会とは距離があったからこそ、社会の枠組みに影響されなかった。
無理に社会に入れようとすれば、学校の成績が悪ければ落第生であるかのように言われます。
でも、それは今ある社会を前提にして考えてしまっているからであって、その社会の枠組みを取り外してみたらいいんです。
世の中にある、争い事やなんかを考えてみても、そんなものは本当に人類が作った「幻想の社会」のようなものを前提に物事を考えているから起こってしまうことだとつくづく思うんです』
と話されていました。

ここから、母である泰子さんが、障がいのあるお子さんをお持ちの親御さんに伝えたいこととして感じたのは、お母さん自身が娘の翔子さんを無理に社会に入れようとしなかったように、無理やり社会に入れようとしなくてもいいんじゃないか?ということです。

また、お母さんの泰子さんは、こうもおっしゃっています。
『社会の構造を取り払ってしまえば、頭が良いとか悪いとかという価値観も取り払われるはずです。
そうすれば「うちの子は他の子よりも劣っているのではないか」だなんていう考えも無くなります。
そもそも、子どもに優劣なんかありません。
その子がこの世に生を受けたこと自体が奇跡なんですからね。』

そして、こう続けます『子どもが今ここにいるだけで十分じゃないですか』って。

『社会の枠組みさえ取り外せば、その人その人の存在は肯定されるはずなんです。
私のこうした世界観は、翔子が居てくれたおかげで築けたので、私にとっては今が一番幸せです』と。

すごく、胸が温かくなるコメントだと思ったので、ブログで共有したいな~と思いました。




2018年10月18日木曜日

依存症者が、なぜ再飲酒又は再使用するか?

今回は、松本俊彦先生(国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 薬物依存研究部 部長)の講演で話されていた内容を基に、僕が実際の診察室で感じていることを、自分なりの理解も併せ、治療的に大切だと思う部分を紹介させていただきます。

アルコール依存症で当院に通院されている患者さんで、離脱症状との苦闘を乗り越えて断酒を手に入れ、1年間という長期に渡って維持してきたのに、実に些細なきっかけで再飲酒してしまう。これは、依存症の患者さんではよくあることです。
再飲酒の多くは、患者さんの精神状態が比較的落ち着いている時期、特に悩み事のない時期に「もう大丈夫」と安堵したり、退屈を感じたりしたときに突然生じます。

なぜ、再飲酒をしてしまう患者さんは、平和な生活をうち捨てて自ら進んで苦痛の中に飛び込むのか?
それは「長く続く苦痛しかもたらさない」物質摂取行動でさえも、基底に存在する苦痛の緩和に役立っている可能性があると、ハーバード大学医学部で精神科の教授を務めるエドワード・カンツィアンらは指摘しています。

嗜癖行動は、人生早期から生涯にわたって心を蝕む無力感に根ざしたものである。長期間持続する感情状態は自己感覚を損傷するが、嗜癖行動は、その人が抱える無力感を反転させ、パワーとコントロールの感覚を、再確立することで、一時的に好ましく感じる自己感覚をもたらすことがある。と、同じく ハーバード大学医学部で精神科の教授であり依存症治療の専門家であるランス・ドズは述べています。

つまり、依存症の患者さんは、自分には理解できない不快感を、自分がよく理解している物質が引き起こす不快感と置き換えることで、「コントロールできない苦痛」を「コントロールできる苦痛」へと変えているのだと、エドワード・カンツィアン教授らは主張しています。

これらハーバード大学医学部の教授らの指摘や主張は診療において、過食・嘔吐や自傷行為といった自己破壊的にみえる嗜癖行動を理解するのに役立ちます。
自傷を繰り返す理由に「心の痛みは意味不明で怖いけど、身体の痛みならば、ここに、傷があるから当然だと納得できるんです」と患者さんが答えている言葉と合致します。
この言葉はまさに「コントールできない苦痛」から「コントロールできる苦痛」に置き換えるプロセスであることがわかります。

依存症の患者さんたちは、周囲の人に助けを求めることをあまりしません。
この援助希求の乏しさは、実際に援助を求めて傷ついた経験を重ねていたり、そもそも誰かに援助を求められない環境で生育されてきたことが影響している場合があります。
ですので、多くの依存症の患者さんは「安心して人に依存する」ことができません。
幼少から持続的な苦痛のなかで体得した「苦痛否認の機制」つまり、「大丈夫、俺は痛くない、傷ついていない」と、自分に嘘を繰り返すことで確立した「心の鎧」を持って生き延びてきたのかもしれません。

我々支援者は、依存の症状にばかり目を向けるのをきっぱりとやめなければいけません。
「依存症」ではなく「つながり」と呼ぶべきです。アルコール依存症者は、アルコールとつながっています。
それ以外のものと十分につながりを築くことができなかったからです。
依存の反意語は自立ではありません「 人と人のつながり! 」ですね。



2018年10月11日木曜日

親が子育てで自分を責めているのは、わが子を責めているのと一緒です。

今回は、前回のブログの補足です。
〈前回のブログ ⇒ 子どもが、失望を乗り越える支援

診察場面で、『私の育て方が悪かったせいで・・・』と、不登校や問題行動が頻発している子どもの親御さんが、過去の自分の子育てを責めておられる発言をよく耳にします。
そうした際での子どもの様子は、余計に深みに入って病状が改善しないことが良くあります。

これは、お母さん自身が自分の子育てを間違っていたと反省することで、
子どもにとっては『自分は、お母さんにとっては失敗した子どもなんだ』と、子ども自身の自己否定感情が強まり、
親には『自分なんか、おらん方がいいんやろう(いない方がよいだろう)』と、攻撃的な言動を認めたりします。

つまり、親が自責的になることで子どもを攻撃していることになり、子ども自身も自責的になり親を反対に攻撃するという悪循環を生んでいるのです。

こうした時は、まずは、「お母さんが少しでも楽になるにはどうしたらいいか?」を話し合います。
そして「まあまあいい(そこそこ良い)お母さん」でいることの大切さを共有し、母親自身が自らを追い込まないようにサポートすることや、子育てを失敗したと考えることで、2次的に子どもが傷ついてしまうことに気づいてもらうように働きかけています。

子どもは心の奥底では、親に自分のことを誇りに思ってもらいたい、と必ず思っています。
たとえ親が、いつも子供の要求に応えられるわけではなく、子どもが望むような許可を与えられなくとも、子どもは自分があるがままで親に愛されるべき存在であり、親にとってはかけがえのない存在であることを知っていなければなりません。

大切なのは、親がどう関わるかで、そこから子どもは自分が大切な存在であるとわかっていきます。
そのためにも、親も自分の子育てを “まあまあ” で、あまり責めすぎずに “ぼちぼち” でいきましょう。



2018年10月4日木曜日

子どもが、失望を乗り越える支援

下記はあくまで仮想の患者さんと親のやりとりです。そこから大事なエッセンスをとりあげたいと思います。

詳細は、エックハルト・トールの「子育て」の魔法 スーザン・スティフェルマン著、徳間書店、1800円(税別)を、参照してもらえるとありがたいです。

A君は、不登校が長期化し、家で傍若無人になり1日中ゲーム三昧で、自分では変えられなかったり思うようにならないことがあると直ぐに感情を爆発させてしまいます。
A君が、不登校だったり、自分が発達障害などがあることをあるがままに受け入れられるようになるには、

【拒絶】⇒【怒り】⇒【交渉】の3つの段階の末に ⇒【失望】⇒【受容】に至る。
(キュブラー・ロスの「死の受容モデル」の引用より)

両親は、当初A君に大きな失望を感じさせまいとしたせいで、A君は悲しみの最初の3段階(【拒絶】【怒り】【交渉】)から先へ進めなくなっていました。
両親は、A君のイライラが激しくなると、たいていA君の言うとおりにしてしまうので、A君は何かをして欲しい時は、まず【拒絶】から始めます。
そして、両親が「ダメ」と言っても「折れて、イエス」となることを過去の経験からわかっており、いくら両親が強く「ノー」と言っても拒絶します。
そして両親が負けじと戦いが始まり、激しい【交渉】となり、結局は両親はA君に屈してしまいます。

A君が、自分では変えられなかったり思うようにならなかったりするものに出くわすたびに直ぐに感情を爆発させてしまうのは、子どもは、欲しいものが手に入らなくて悲しいと感じることができない限り【受容】の段階に進むことはできません。航海に例えるなら、両親がA君に対して「船長」としての役割を果たすためには、 まず両親自身の内面にしっかりと「錨(いかり)」を下ろし、息子の「悲しみ」や「失望」に耐えられる必要があります。
そのため、診察でご両親に尋ねました。
「A君は、どんなふうに思うでしょうか?両親が自分に悲しい思いをさせまいと何でもしてくれるとしたら、A君自身には失望を乗り越える力があると信じてもらっていると思うでしょうか?」

この発想は両親にとって衝撃的で、両親は徐々に気づき始めます。
A君自身の問題を親が代わって解決しようとしたり、言葉でごまかして怒りをなだめようとしたりするのは、A君に
「おまえには、人生が思い通りにならないときに、自分で何とかする力があるとは思えない」
と言っているのと同じだということを。

その後、両親がA君の心を傷つけることに対する不安を探り、もっと自信をもってA君の激しい気性に向き合える方法を考えていきました。
たとえA君が望みのものを手に入れられなくても、親に解ってもらえたと感じられるような話し方をするようにしました。

例えば、
「ダメよ、夕食にクッキーなんて!」(ダメというのは、多くの子供を怒らせる言葉です)
というのではなく、たわいない要求に対決の姿勢にならずに答える。
「夕食にクッキー!楽しそうね!今度、あなたの誕生日にやってみようか?」
といった感じで。

両親は、これまでより多くの時間をA君のそばで過ごすようになり、A君が求めていた親子の触れ合いやつながりを感じられるようになりました。
そして、A君は自らもっといい子になって両親を喜ばせたいと思えるようになっていきました。

この過程の中で気をつけないといけないのは、多くの親は自分が理想とする親の基準に達してないと自分を責めずにはいられない傾向があります。親が自分を責めると親自身が傷つくだけでなく、子供も親に罪悪感や恥ずかしさを感じさせないよう、自分がいい子にならなければというプレッシャーを感じてしまいます。

徐々に両親は、息子に対する対応でつまづいたり失敗したりする自分を、自分で許すように努力しました。自分たちが息子に対して至らなかったことを認め、息子の感情を理解し、必要な場合には息子に謝る。そうすれば子育てで大変なことがあるたびに自分たちの根性が試されるなどと考えなくなる。
子どもが、自分の力で失望を乗り越えられる、強く、順応性のある、自立をしていくためには、親が境界線を決めてやることが大切なのです。


2018年9月20日木曜日

座禅体験

先日、比叡山で宿泊した際に座禅体験をしました。
座禅中に、「呼吸に意識を集中し、その呼吸回数を数えるように」と、僧侶から指導されたのですが、普段、呼吸することに対して意識などしたことが無いので、呼吸に意識を集中しようとすればするほど眠くなったり、頭の中で「座禅終わってからどうしよう?」「今日の夕飯はどんなんかな~?」などの雑念が無数に押し寄せ、結局ろくに呼吸回数を数えることなどできませんでした。

座禅後に僧侶から「人間は何かに集中しようとすると、それはある意味危険なことだから、反対に、違うことに意識が向かうものです。」 と言われました。
確かに人が呼吸や心拍など、いわゆる自律神経の働きなどに意識を集中させ内的な世界に入ろうとするということは、外的な世界を遮断するということです。
弱肉強食の自然界に生きる動物が、もしこのような座禅を行い呼吸に意識を集中なんかしていると食べられてしまいますもんね。
おそらく、人には本来生まれながらにして外界刺激を遮断するということを避けたいと思う気持ちがあるのかもしれません。

しかし、修行を積めば雑念もコントロールできるようになることを教えてもらいました。
また僧侶は「雑念が浮かんできても、それに抗うのではなく、そのままにしていいですよ。」と言われました。

また、以前から思いはありましたが、今回の座禅体験後から特に、例えば他の本を読んでいたりしても「 また座禅をしたいな~」と、頭をよぎることがあります。
ですが、滋賀旅行で行った座禅体験以降、一切座禅はしていません。

正直、座禅を組んで現在の思考に埋め尽くされた自分の心の状態を遮断するという事に、無意識のうちに恐怖を感じているのかもしれません。
なぜなら、
それはすなわち「心の平穏」に至ることは「死」を意識することに他ならず、多くの不安は最終根源的には「死への不安」に繋がれているような気がします。
だから、アルコール、ギャンブル、ドラッグなど刺激の強いもの、つまり 「死」を意識することから遠ざけるようなものを人は好むのだと思います

内的な世界、本当の自分と向き合うことの大切さと、そこから逃げて思考過剰状態にして思い悩むことは、ある意味では楽な事なのだと思います。
でも、その怖さと向き合って「今、ここ」に意識を集中させると、思考過剰状態から解脱して本当の自分に出会えるのかもしれません

そういえば、一緒に座禅体験をした子どもたちの方が、僕のような邪念が出ずに僕よりもよっぽど普通に呼吸に意識を集中させることが出来ていました。
雑念だらけの自分を一先ず受け入れて、日々の生活を送ろうと思いました。





2018年9月3日月曜日

インド旅行と1周年

前回に引き続き、今回も旅行先で経験したことについて少しご紹介させていただきます。
当時、大学2回生だった僕は、 大学でのテストが終わった翌日に往復の飛行機チケットだけを購入し約1ヵ月間のバックパッカーをしました。

僕は、地球の歩き方を片手に、ほぼノープランでインド行きの飛行機に乗り込みました。
旅行のルートはといえば、乗り込んだ飛行機の僕の隣の席にたまたま乗り合わせたターバンを巻いたインド人の勧めるがままに、片手に持った地球の歩き方を見せながら何とかコミュニケーションをとり、 何となく漠然と指差されたそのルートをたよりに、実際に自分の足で、インドを約1ヵ月かけてデリーからカルカッタに向けて横断しました。

旅先で困ったことがあっても、現地で出会った、たくさんのインド人に助けてもらいました。『誰か助けて~!』とSOSを出すこともしばしばありましたが、人の手を借りながらも、それでも何とか旅を続けていけました。

今でも現地で出会った、たくさんのインド人を思いだすことがあります。
当時のインドでの事を振り返ると、その出会いや思い出は、いつまでも僕の財産です。

突然ですが、おかげ様で開業して 何とか1年が経ちました。
この1年の開業の旅も、家族、スタッフ、患者さん、当院の運営サポートをしてくれているたくさんの人たちによって支えられて、何とか日々診療ができています。
この出会いも、やっぱり財産です。

この感謝の気持ちを胸に、日々精進して診療していきたいと思います。
「ありがとうございます。」


2018年8月23日木曜日

旅行が大好き!

僕は医者という道を志し、医学部に入学するまでに3年間の浪人生活を過ごしました。
3浪目が決まった時、桜が散る春の季節にもかかわらず、落ち込んでいた当時の僕は、自宅で寝込んでばかりいました。

そんな寝込んでばかりいた当時の僕は何を思ったのか、ふと「そうだ、とにかく南の方角に行ってみよう。何かが見つかるかもしれない。」と思い立ち、いつも日課のように母と一緒に見ていたNHKの朝の連続ドラマをみてから、「とにかく自転車で旅行に行くから、お願い行かせて。」と、母を一方的に押し切って、ママチャリで大阪から神戸、岡山の方面に向かいました。

生きていく自信さえも無くなっていた当時の僕は、もう何もかもが嫌になっていました。
でも、そんな状態だったにもかかわらず、無謀にもママチャリで挑んだ旅行先の1つである神戸の異人館で食べたケーキが、たまらなく美味しくて感動したのを今でも鮮明に覚えています。

また、間違って高速道路をママチャリで走ってしまい、やっとたどり着いた料金所をママチャリで降りたのを覚えています。
高速道路を、ママチャリで必死で漕いでいる僕の隣を、時速100㎞の車がビュンビュン走り去る状態は、正直、生きている心地がしませんでした。

そして、岡山県備前市の旅館に、息を切らしながら、突然おしかけ 「泊めさせてください。」と無理なお願いをしたにもかかわらず、快く泊めさせてもらうことができました。
その旅館で、普通に布団で寝れることが、どれだけありがたいことか気づきました。

本当は、宮崎県や鹿児島県を目指していたのですが、何せ突発的に思いつきでとった行動だった為、その一泊で、お金はすぐに尽きてしまいました。
旅館に泊めてもらった翌朝は、ビックリするぐらい全身筋肉痛だったのですが、そんな事も気にせず、そのまま大急ぎで大阪の自宅に引き返したのを、つい昨日の事のように思い出します。

翌年、無事に医学部に合格出来たのですが、その時の思い出が忘れられず、学生になってからも暇をみつけてはバックパッカーで世界各国、日本中を旅行しました。

今、悩んでいるところから、とにかく離れて違う場所に行く、違うことをすることで、何も問題は変わらなくても、その問題の受け止め方が劇的に変わることを経験しました。
現在も暇さえあれば、旅行に行っています。

僕は旅行が大好きです。



2018年8月8日水曜日

急がば回れ

みなさんも一度は聞いたことのある言葉で、忘れがちだけど実はとても大事な言葉『急がば回れ』。
この『急がば回れ』とは、“ 急ぐ時に危険な近道より、遠くても安全な本道を通る方が結局早い ”という安全で着実な方法を取れという戒めです。

この語源は、室町時代の歌で
“ もののふの矢橋の船は速けれど急がば回れ瀬田の長橋 ”
から由来しています。

当時、京都へ向かうには、矢橋から琵琶湖を横断する海路の方が瀬田の橋を経由する陸路よりも近くて速かったのですが、比叡山から吹き下ろされる突風により危険な航路だったため、このような歌が歌われたようです。
当時の東から京都へ上る人々も、リスクを感じながらも近道を選択し、結果的に日程が大きく遅れてしまうことが結構あったのかもしれませんね。

実際、僕も滋賀県を旅行した際、琵琶湖を迂回せず、琵琶湖大橋を車で横断し近道しました。
しかし、心の問題に取り組む際は近道という選択肢なんて無く、一足飛びにはなかなかいきません。

我々は、心の問題に直面するとついつい焦ってしまい、不安に駆られると急いで大きな課題から取り組もうとしてしまうことがよくあります。
心の問題に関しては、できるだけスモールステップで、少しづつでも出来る範囲で『小さなことからコツコツと!』の、西川きよし師匠療法でいきましょう!
心の問題については、『急がば回れ』これを大事にしていこうと、心に留めて診療しています。



2018年8月2日木曜日

決して、暴言や暴力を振るわないように

1200年前、伝教大師 最澄は、日本の国の安泰と国民の幸せを祈って、日本人に合った仏教を比叡山に開きました。
< Wikipedia 最澄 >

その教えの根本をなすものは、「個々が思いやりの心をもって一隅を照らす人になる」
すなわち、一人ひとりが相手の立場に立って考え、自分の出来ることを精一杯行なうことが、周りを良くすることにつながるということです。

先日、比叡山に宿泊した際に延暦寺の僧侶から、最澄の最後のことばを教えてもらいました。
最澄が亡くなる前に弟子たちに伝えたことは、「私は、今まで生涯で一度も、暴言や暴力を振るったことがありません。これからも、皆さんが、相手を思いやって、決して暴言や暴力をしないでください。」と説かれて亡くなられたそうです。

そういえば、日野原重明先生も亡くなる前まで精力的に講演をされていて、そこで訴えておられたのは、
「人生で一番大切なことは「人を赦すこと」です。どんなことがあっても、他者を恨んだり怒ってはいけません。この赦すことが、唯一平和を守る手段であり、この世界から戦争をなくす唯一の方法なのです」と話されていました。

ちなみに、延暦寺での説法を頂いた翌日に、僕は娘を速攻で怒鳴っています。
自分に残念です!
でも、できるだけ暴言を慎もうと思っています。



2018年7月28日土曜日

「いただきます」「ごちそうさま」

先日、延暦寺に行って宿泊してきました。そこで、精進料理をいただきました。
宿坊比叡山 延暦寺会館 〉

精進料理とは、すべての生命に対して想いを込めて食する料理のことだそうです。
「いただきます」「ごちそうさま」の言葉の意味を想い食するようにと説明がありました。

「いただきます」とは、「私の命のために動植物の命を頂きます」の意味からで、我々は命がつながりあって、みな生きており、
「多くの生き物を犠牲にして生きている」こと、偉大な自然への感謝の気持ちを表したものだそうです。

また、「ごちそうさま」とは、「馳走になりました」のことで、「馳」「走」ともに「はしる」という意味の漢字です。
昔は客人を迎えるために、野山を走り回って料理の材料を調達して、もてなしました。
このように心を込めて相手を思いやる気持ちに対して、客人が「有難う」と心からの感謝の気持ちを表したものです。

僕は普段、食事の際に「いただきます」「ごちそうさま」と言ったり言わなかったりしています。
食事の際に「感謝」して食することを忘れがちだなぁ、と思いました。

にもかかわらず、比叡山を下山するやいなや、早速マクドのドライブスルーでチキンナゲットを買って「いただきます」の「感謝」も忘れて食べていました。
そんな自分に残念な気持ちになりつつ、今後は出来るだけ「いただきます」「ごちそうさまでした」を言うようにしていきたいと思っています。



2018年6月21日木曜日

ロゴマークに込めた想い

当クリニックのロゴマークは、灯籠をイメージしたものになっています。
それは、当クリニックは住吉区にあり、住吉高燈籠(たかどうろう)に因んだ一面もあります。
この高灯籠については、諸説あり詳しくはわかっていませんが、わが国最初の灯台として、鎌倉時代末の創建という説もあり、創建当時は海岸近くにあり、点灯すると十分灯台の役目を果たしていたといわれています。
その他にも、住吉区には住吉大社などがあり、そうした地域に根付きたいという気持ちを込めました。

それに加えて、患者さんの困り感を少しでも減弱できるお手伝いをしていきたいという決意を示しています。

今回、地震がありましたが、さくメンタルクリニックは、出来る限り診療を続けていきます。
何とか、今回もスタッフの協力を得て、診療は問題なく続けています。
当クリニックが、真に患者さんにとって灯籠のように、ささやかながらでも安心を与えられるように頑張っていきたいと思っています。

今後ともよろしくお願いします。



2018年5月24日木曜日

want → must の順番が大事!

久しぶりに、ブログを更新させていただきます。

先日、娘と堺の「ハーベストの丘」というところに、遊びに行きました。
URLリンク:堺・緑のミュージアム ハーベストの丘

娘はそこで 1日中遊んでいたのに、 疲れ知らずで家に帰ってからもずっと元気に遊んでいました。
僕はというと、娘の元気についていけずダウンしてしまいました。
「何でこんなに娘は元気なんだろう?僕はすぐに疲れてしまうのに...」

この僕と娘との違いで感じたことは、
娘は「したいなあ行動」(want、(~を望む)内発的な行動)
つまり「やりたい」と、内発的に湧き上がってくることをしている部分が大きいように感じました。

一方、僕は「べき」(must、(~ねばならない)外発的な行動)
つまり「~しないといけない」という行動の方が、日々多いかもしれません。

家庭では親として夫として、社会では社会人として、院長として、医者としてなど、たくさんの社会的な「べき」行動に埋め尽くされています。
やっぱり元気になる秘訣は、自分の中の「したい、やりたい」(want)を、大切にして、そこからエネルギーを貯めて「べき」(must)に向かっていく、この順番が大事なんじゃないかな~と思います。



僕自身、元気が低下して自分の中のエネルギーが低くなっている事を感じるときがあります。
そうした時は、なるべく「べき」行動を減らす、例えば、勉強する、働く、嫌なことをする、など社会で通常、しなといけないとされる「べき」行動を、自分のエネルギーに応じた範囲で取り組むように気をつけています。

エネルギーがあまりにも枯渇していたり、エネルギーがあっても、怒りや不安のコントロールがあまりにも効かないと感じたら、それに応じてあげる方が、正しい方向に向かいやすいと思います。
頑張るのはいいけど、頑張りすぎはダメですね~。
ここは大阪やねんから、ぼちぼちでいきましょうね~。
ブログも毎週!とこだわらずに、ぼちぼちで続けて行こうと思っています。



2018年4月26日木曜日

ユーモアで、少しでも患者さんの心を軽くさせたい

僕は日々の診療で、少しでも患者さんに治療的に関わりたいと思っています。(そう思っていない医者は、基本いないと思いますけど)
そのために、医療上の知識や、薬物療法、精神療法などの理論や技法を勉強しています。

でも、その日々の診療で患者さんを目の前にしたときは、上記で述べた勉強しているはずの『○○療法を、今、自分がしている~』という「理論や技法」 とかは、すぐにぶっとんで、真っ先に『何か少しでも折角受診に来てくれた患者さんに、自分が役に立つことはないかな~?』と、梅干のような脳みそで一生懸命考えています。

そうした診察場面で感じていることは、患者さんの話を真剣に聞いて、そのつらさをねぎらうという「理論や技法」以前の、人として親身に関わるということ、また、その底流に感じられる「人柄」が最も治療的に効いているような気がしています。(自分で言うのもおかしいですけど)
まさに、川崎医大の青木先生のいう「人柄精神療法」ですね。
もしかすると、精神科診療において、理論や技法よりも「人柄」の方が治療的に大きい要因かもしれない、と感じている今日この頃です。

ちなみに、僕の人柄に内在されたものとして
・ひょうきん
・ユニークな変さ
・素直さ、純朴さ
・きっと自分はいいヤツや、と思い込んでいる
などを駆使して、笑わせる技術は乏しいですけど、天性の笑われる技術(天然な部分を含む)はあると思うので、何とかそれを磨いて、患者さんの気持ちを軽くできるユーモア(失笑、苦笑などを含む)で、患者さんに診察を通して『問題はすぐには解決はしないけど、何か面白かったな~、少し心が軽くなった気がする』と、少しでも思ってもらえる確率をあげたいな~、これが今の自分の目標です。

負け惜しみですけど、医者が明石家さんまさんみたいに、患者さんを意図的に笑わせる技術を持つと危険です。
患者さんを笑わせすぎて、ひきつけでも起こさせたら大変ですから。(これも苦笑)

ちょっとでも、自分のつまらないユーモアや自分の失敗談などで患者さんを励まそうとして、反対に患者さんに励まされたり、苦笑、失笑させたりすることが、僕の真骨頂なのかもしれません。
診察を通して、僕のつまらないユーモアで少しでも患者さんの心を軽くさせたいな~。



2018年4月19日木曜日

ピンチや逆境を乗り越えたいなら、「Why?」ではなく「How?」で前へ進め!

松岡修造さんの、日めくりカレンダーの一節に、
(日めくり まいにち、修造! [カレンダー] / 出版社:PHPエディターズ・グループ)
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僕は現役時代、試合に勝てない時期があった。「Why(なぜ)?」で埋め尽くされ、心はどんどん後ろ向きに。
でも、ある時、気がついた。
過去を振り返るばかりでは、悪い状況は変えられない。
僕は「How(どうやって)?」という言葉を使い始めた。
どうやったら今よりも状況をよくできるのか?
ピンチや逆境を乗り越えたいなら、「Why?」ではなく「How?」で前へ進め!
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松岡修造さんの熱く、かつ実感のこもった言葉が直球で突き刺さります。

どうしても、我々は何か問題が生じたり失敗すると、すぐに「Why(なぜ)?」に埋め尽くされます。
でも、その気持ちの中に、多分に「怒り」の感情が沸き起こっている。
その沸き起こってくる「怒り」を、どうにか鎮めて、「How(どうやって)?」で前に進めるように頑張りたいですし、そうした支援ができればと思って日々診療しています。

でもすぐに、僕自身、仕事や私生活など日々の生活で、なかなか思うようにいかなかったりすると「怒り」の感情が、すぐに沸き起こってきてしまいます。

僕自身もまた、その心の中で沸き起こってくる「怒り」の感情を、自分で自覚してコントロールできるように日々葛藤しながら取り組んでいることを、ここで示します。

本当は、
『瞑想、マインドフルネス、ヨガ、ウォーキングなどの有酸素運動などを取り入れています。』
といいたいですけど...
色々な言い訳ばかりが出てきて、怠け者の自分は出来ていません。

【具体的に作田がしていること】
・以前、当ブログにも書きましたが、エレベーターに一人で乗った時には「閉める」のボタンを、ゆ~っくり押すようにしています。
  (以前は、連打していました。これにより、心のスピード感を少~しだけslowに調整しようとしています。)
   ⇒ ・いつも心にポレポレ 
     http://saku-mental.blogspot.jp/2018/02/blog-post_15.html

・「怒り」の感情を自分で認識したら、自分の心の中で「怒っている」と3回、自分に言い聞かせています。
  それだけでも怒りは多少は鎮まりますし、怒りに身を任せた言動は減らせる気がします。

・適切な睡眠や食事を含めた日常生活を大事にしています。
  日常生活のルーティンを送ること、そのものに、心の安定を支えてもらっている実感があります。

・そして、何よりも「感謝」の心を、日々意識するようにしています。
 「感謝」することが、最も怒りから自分を遠ざけてくれているような気がします。
 (でも、すぐに、そのありがとうの気持ちは忘れてしまいますけど(苦笑))

どうですか?この程度なら、少しはできそうではないですか?
怒りの感情を、自分でセルフモニタリングできるようになると、後は何とかなる気がします。
基本、本当に余裕がないと、その「怒り」そのものが、良くない感情であるという認識すらできませんからね。



2018年4月12日木曜日

感謝祭り

さくメンタルクリニックを開院して半年が過ぎ、おかげ様で4月を迎えることができました。
開業してから、本当にたくさんの方に支えられていることにあらためて気付けたことが、自分にとって、もっとも大事な財産になっていると感じている今日この頃です。

今日は、その感謝を言葉にしまくりたいと思います。

亡くなった祖父母を含むご先祖様や、両親、妻や3人の娘たち、兄、姉家族、親戚の皆様、保育園、小学校、中学校、高校、予備校、大学時代の先生や友人、同級生、塾の先生、サッカーの監督、研修医、勤務医時代の同僚や指導していただいた先生方、当院で働いてくれているスタッフや当院の後方支援をしてくれている方(大家さん、電カル業者、事務局、大工さん、セコム、最近購入したお掃除ロボ「ルンバ」)、これまで食べてきた食物を含めた衣食住や、それをサポートしてくれているユニクロ、農家、自然、日本という社会そのもののおかげで、今日も生かされています。

上げ出すときりがありませんが、今回のブログタイトルの通り「感謝祭り」ということで、大げさですが森羅万象に感謝しているぐらいの勢いです。

その日々の感謝を胸に、診療をさせていただき「ありがたい」毎日を送られせていただいています。

その感謝を力に変えて、眼の前にいる患者さんが、少しでも楽になれる、良くなるお手伝いができるように診療していきたいと思います。



2018年4月6日金曜日

ちょっと心にしんどさを抱えている治療者が、心にしんどさを抱えている患者さんを治療している。

僕は診察室で、結構自虐的に「僕もADHD気味なんですけど、何とかぎりぎりでやっています。」とか「ちょ っと僕は不安神経質やから○○さんに聞きますけど~」と、自分がADHDといった発達障害の傾向があることや、人一倍不安が強くしばしば不安や怒りに押しつぶされそうになること、これまでの挫折体験などを、診察場面で打ち明けることが度々あります。

患者さんにも自分のしんどさを打ち明けてもらって、僕もさりげなく自分のしんどさを話すと、不思議と治療の同盟を結んでいるような気がしてきます。

また、顔なじみの通院患者さんから「先生、今日は顔色が悪そうやけど、大丈夫?」と不覚にもこちらが反対に心配されて、どっちが患者さんかわからなくなってしまう時もあります。
その瞬間、主治医と患者さんの関係は、逆転してしまいます。
そんな時、僕としては心の中で「やばい、ば れてしまった。患者さんに、逆に心配させてしまって申し訳ないなぁ~」と反省したりします。

ちょっと心にしんどさを抱えていて、何とか生きている状態の治療者である僕が、心の病んだ患者さんと向き合っているということを、自覚する日々です。



2018年3月29日木曜日

過剰に適応している人たちに、ほどほどに適応していけるようになれたらいいですね!

受診に来られる患者さんの中で「過剰適応」の傾向を持っている方が多い印象があります。
過剰適応」は、自分の心身の健康を損なってしまう程、友人や自分の家族の期待に応えようとする心理的な傾向のことを言い、「過剰適応」の状態にある人は、他人の要求に応えることを何よりも優先させて生きています。

幼少のときに「過剰適応」の状態だと、手のかからない子、しっかりしている子、真面目で頑張り屋さんといったプラスの評価をされていることが多いです。
しかし、本人自身はというと、頑張っていない自分は、誰からも認められないのではないか?といつも不安で、そのままの自分では、周りから受容してもらえないといった自尊心の低い方が多く、内的には空虚感をいつも抱いている人が多いです。
そして、病的に「過剰適応」に陥っている人は、自分がいかに病的に身の回りの人からの期待に応じようとしているかということに気づけません。
それが、仕事に向かうと「過労死」に向かったり、体型に向かうと「病的なダイエット」に向かってしまうことがあります。

そうした状況にある人たちにお伝えしたいのは、
 ・周りの期待や要求に心身を壊すレベルまでに頑張る必要はない!
 ・誰かの期待に応えられなくても、あなたは生きていていい!
 ・人は、本来、どう生きたってかまわない!
 ・人や自分を殺しさえしなければ!
これが、人生の大原則です。
当たり前のことですけど、そのことを本人自身や周りの支援者が、伝え続けていければいいですね。
そうしたことを病気や受診をきっかけに気づけて、頑張っていない自分を、自分や周囲が認められるようになったらいいなぁ、と思います。



2018年3月22日木曜日

感謝 → 謙虚 → 成長 の順番ですね

当院の受付スタッフで、「感謝です!日々感謝です!」が口癖のスタッフがいます。
若干、歳は、いっている?けど美魔女です。

いつも、そのスタッフは周囲に対して感謝を忘れず、謙虚で笑顔が素敵です。
そのスタッフは、何かを注意されても、健康的に反省して次に活かそうとします。

クリニック開業時は、未経験ということもあり傍からみるとどこか場馴れしていないのを感じる受付スタッフ でしたが、きっとそういった持前の姿勢も後押しとなり、段々と受付業務が板についてきているのを見ていると、僕自身もその成長がとても嬉しいです。

日々の生活を、幸せに生きるか、不幸せに生きるかの、その分水嶺は「感謝」だと、改めてそのスタッフから気づかせてもらいました。
自分の前に現れた問題さえも感謝して「修行」だと思って「謙虚」に向き合う。
それを続けていたら「成長」していくはずです。

僕自身、「成長」が止まっているなぁ~と感じたり、対人関係がうまくいかないなぁ~ と感じたら、原因をすぐに外に向けずに、一先ず、自分自身に目を向けて「感謝しているか?」と自問自答するようにしています。

「感謝」の心を忘れると、人間は自分の欲求を抑制できなくなり、自分の「怒り」の感情を認識できなかったり、怒りを自制できなくなります。
そして、対人関係上では、相手を攻撃したり自分を攻撃したりして「怒り」に翻弄されて、大事なものを見失ってしまうような気がします。
だからこそ、自分の周りの人や物、自然や神様なんでもいいです。
1日に何回でも「ありがとう」と心から言ったり、願ったりして「謙虚」に生きていきたいと思います。

当院の受付スタッフを見ると、いつもそれに気づかせてくれます。
その受付スタッフに「感謝 です!」



2018年3月15日木曜日

新芽が出て、決意を新たに

さくメンタルクリニックでは、毎朝、診療受付の開始前にスタッフみんなでクリニックの掃除を行っています。
最近、その掃除中にスタッフ同士が何やらワイワイと盛り上がっていたので、僕もその輪を覗いてみると「新芽」が出ていました(写真1)

(写真1)
当院で育てている観葉植物たちからも 「新芽」 が出てきました!(写真2)
ちゃんと育ててくれているスタッフにも、植物達にも感謝です。
この「新芽」を見ていると、成長しようとしているエネルギーが感じられて何だか勇気が湧いて明るい気持ちになれます。

(写真2)
話は変わって、当クリニックの待合の中心にはキッズスペースを設けています。(写真3)
子どもの将来のために、少しでも役に立ちたい。
ちょっと大げさですが、大阪の、日本の未来のために少しでも役に立つ支援ができればと願って、児童精神科医、精神科医として診療し ているつもりです。

(写真3)
まだ未熟な治療者で日々の自分の診療に対して歯がゆい気持ちで毎日を過ごしていますが、「新芽」のような存在である児童や、その家族の支援の礎に少しでもなれるように、 初心を忘れず、誠心誠意、今後も診療をしていきたいと思います。



2018年3月8日木曜日

なるべく本音を大事にしたい

今回のブログは、さくメンタルクリニックの新年会で、僕自身が思ったことを僕自身に対して?書きたいと思います。
なので今回は、もしかすると読んでいただいている皆さんへの情報発信にはならないかもしれません(笑)。
ですが、現状での僕の想い、今回のブログタイトルにも含まれている「本音」の部分を少し知ってもらえればと思っています。

昨年の9月に開業し、僕自身初めての事ばかりで、とまどいながらも診療に集中していると、 あっという間に年が変わり、なんとか新年を迎え、さくメンタルクリニックとして初めての新年会を行い、そこで院長として新年の挨拶をしました。
その挨拶の中で、当クリニックのスタッフに対し、
『少しでも患者さんが笑顔になれるように』、『少しでも楽になれるお手伝いができるように』、スタッフみんなで協力して頑張っていきましょう!
と話しをしました。

ですが、その翌日、何か心のどこかで無理をしているような、どこか自分を大きく見せようとした等身大の感じではない、そういう違和感を感じて、しんどくなりました。

クリニックを運営している立場で、現状の等身大の自分の本音として、患者さんが受診に来られないと潰れてしまうので、患者さんには受診に来てほしい。
そして、受診に来てくれた患者さんに、少しでも満足してもらったり、楽になれるようサポートをさせていただいて、また次回の予約をしてもらえる。
この繰り返しで、自分やスタッフが生活できる。

このクリニックでの診療を通して、治療者としての後ろめたさよりも「すっきりした」気分で、週末(当院は、土日祝日は休診なので)を、リフレッシュに当てたい!
それを繰り返していく!
それだけです!



2018年3月1日木曜日

飲酒と睡眠の関係

今回のブログも、前回に続き飲酒についての内容となります。
まだまだ寒い日が続いていますが、 特に夜は、寒さで寝つきにくさを感じている方も多いかも知れません。

寝酒は、ナイトキャップといって、欧米では一般的な風習となっているという話をきいたことがあります。
アルコールは寝つくまでの時間を短縮させます。
そのためにアルコールを寝酒として使う人もいます。

しかし、就床1時間前に飲んだアルコールは、少量でも睡眠の後半部分を障害することが知られています。
つまり、寝つきは良いのですが夜中に目覚めて、その後なかなか眠れないという現象がおこります。
また、就床前のみならず、就床6時間前に飲んだアルコールも睡眠後半部分の覚醒度を上げることが知られています。
さらに、アルコールには利尿作用があるので、夜間に尿意で目が覚めたりしてしまうことも増えます。

震災の際には寝れなくて寝酒をする人が増えて、アルコール依存症になったり、飲酒関連死が増加したことが、阪神淡路大震災でも、東北の震災でも報告されています。

寝酒はそういった危険があるので、飲酒以外で寝れる方法を一緒に考えていければと思います。

2018年2月22日木曜日

飲酒と衝動性の関係

年末年始や祝い事、節目の行事など、イベントでのお酒はつきものですよね。
僕もそういった場で、飲酒することは少なくありません。
以前、当ブログにも書きましたが元同僚なんかと、お酒を飲みながら「しょうもない」話をする時間も大切にしています。

適量の飲酒は、飲み会などでコミュニケーションの潤滑剤のような使われ方をされます。
アルコールを摂取すると、人間の行動・思考における重要な役割を持っている大脳皮質の抑制が解放されるため、緊張がほぐれ、会話が弾むようになったりします。
親しい人とのそういった場で、お酒が進み、腹を割って話ができたという経験をお持ちの方もいらっしゃると思います。

しかし、そういった場で飲酒して1~2時間が経過すると、通常テンションもあがり、時にそれがいきすぎることがあります。
例えば、昨年解散した国民的グループと称された元SMAPのメンバー草薙剛さんのような普段自制がしっかりできている人でも、全裸で公園を走り回る現象が起きることがありす。

その後、中枢神経の麻痺により理性が利かなくなり、一度飲みだすと適量でやめるという自制心が働かなくなることがあります。
時には、酒を飲んで喧嘩になったり、殺人にまで発展することもあります。

さらに、アルコールは飲酒後3~4時間が経過してくると、気持ちは落ち込み易くなり、それに反して衝動性が残存している状態になります。
そのため「死にたくなる」ことがあり、衝動性が残っているため、自殺のリスクが高い状況となる場合があります。
前置きとして死因を断定するつもりはありませんが、報道通りの自殺であった場合、ちょうど、Xジャパンのヒデさんや、元モーニング娘。後藤真希のお母さん、パク・ヨンハさんも、その時間帯です。
また、飲酒の影響で、眠りは全体的に浅くなり、いびきで周囲に迷惑がかかったり、寝起きは最悪な気分になったり、抑うつ気分になったりもします。

最近の飲酒関連のニュースと言えば、日馬富士の暴行事件ですが、この事件を語るうえで、本来、理性で自制できうる暴力が、 飲酒をすることによって引き起こされる危険性が、あまりにも語られていないことが気になりました。

もし、こうした暴行事件が喫茶店でコーヒーを飲んでいた際に生じたなら、多くのメディアでの語り口調でも、いいんですけど・・・。

アルコールのリスクについて、我々は、もう少しちゃんと向き合わないといけない気がしています。



2018年2月15日木曜日

いつも心にポレポレ

今回のブログタイトルだけを見ると「ポレポレ!?、何のことや?」と思われる方もいるかもれしれませんね。
「ポレポレ」“pole pole”とは、アフリカの言語のひとつであるスワヒリ語で、「ゆっくり、ゆっくり」とか「ボチボチ行こう」という意味です。

僕は大学時代に、アフリカ最高峰のキリマンジャロに登頂したことがあります。
当時僕は、現地の登山ガイドに協力してもらい、キリマンジャロの山頂を目指したのですが、そこでの登山中、現地の人から「ポレポレ(ゆっくり、ゆっくり) 」という言葉かけをもらいながらペースを保ち、何とか登頂できました。

この登山での「ポレポレ(ゆっくり、ゆっくり)」には、2つの意味があると思います。
 1.身体的に急いで動いてしまうと、高山病になって重症化、死亡のリスクが上がってしまうため。
 2.心理的に急いでしまうと、登山をしている時の気候や行程などの状況判断でミスが生じやすくなり、ケガや死亡のリスクを上げてしまうため。

今振り返ってもみても 、このキリマンジャロ登山の経験は、僕自身にとって非常に有意義で貴重なものだったと感じています。
また、この登山の際にもらった言葉かけは、今でも僕自身にとって欠かせない言葉となっています。
日々の生活でも、僕自身、どうしても不安や焦りが多々浮かんできますが「ポレポレ(ゆっくり、ゆっくり)」と言い聞かせています。

例えば、 僕自身が「ポレポレ(ゆっくり、ゆっくり)」と心がけて行動していることと言えば、一人でエレベーターに乗っているときです。
以前は「とじる」のボタンを連打していましたが、今は、なるべくボタンを押さないで閉まるのを待つようにしています。
でもやっぱり、我慢できないときは「とじる」のボタン を、ゆっくり一度だけ押すように心がけています。
そして、ドアが閉まるのをゆっくり待つ。
その間に、 自分自身に「ゆっくり行こう、ゆっくり」と、心の中で声をかけるようにしています。

普段の生活でも、対人的な関わりとして大事なことで
 ・待つこと ・ゆるすこと ・逃げること ・さぼること
など、心に “ゆとり” がないとできないことが多々あることに気づかされます。
その “ゆとり” を作れるように、日々のやっていることで
 ・無駄を楽しむ ・急がないで待つ
などを、1日1回はしておくようにしています。

「急がば回れ」「急いては事を仕損じる」などのことわざがあるように、いつも心のどこかに「ポレポレ(ゆっくり、ゆっくり)」いきましょう。
人生は登山と同様に、先は長いですから。



2018年2月8日木曜日

挨拶が言える、ありがとう が言える、ごめんなさい が言える

今回のブログは、少し個人的な内容といいますか、私自身の反省も踏まえてのことになるのですが、恥ずかしながら 、僕は社会人になるまで、
 1.  挨拶すること
 2.「ごめんなさい」と謝れること
 3.「ありがとう」と感謝できること
の大切さを、ちゃんとは解っていませんでした。

この3つを心から出来るようになると、対人関係が円滑になりやすくなります。いつも恩や縁を大切にしていく、それに気づければ身の回りの多くのトラブルは減っていくように思います。当然といえば、当然のことですよね。。。

と、先日、当ブログの題材としてアップしようとした際に改めて自己分析すると、僕は自分の家族に対し 、毎朝「おはよう」、食事の際には「いただきます」「ごちそうさまでした」また、「ありがとう」「ごめんなさい」が、ちゃんと言えてないことが多いな~、と気付きました。

といいますか、実は定期的に気付きます。そして「気を付けないといけないな」と思うのですが、そう思ってもすぐに忘れてしまいます。

おそらくどこかで、「家族なんだから、言わなくてもわかるだろう」と、ついつい甘えて、いい加減にしてしまっているのだと思います。

家族に対しても、日々気遣いを忘れずに「おはよう」「おやすみ」と挨拶をする。ご飯を作ってもらったら、当たり前と思わずに「ありがとう」「いただきます」「ごちそうさま、おいしかった」とお礼を言う。

当たり前のことを繰り返す。それが一番大事!と心に留めて、
日々生活したいと思います。



2018年2月1日木曜日

早寝 早起き 朝ごはんが、一番大切!

今回は、ブログタイトルにもなっている「早寝 早起き 朝ごはん」の重要性について少し触れたいと思います。
『なんだ、そんなことか!』と思われる方も、いらっしゃるかもしれませんが、あらためて振り返っていただくと、意外とこれを行えている方は多くありません。

「早寝 早起き 朝ごはん」の重要性は、10年間の僕の精神科の臨床経験で、最も大切だと感じていることの1つです。
ちゃんと寝れて栄養のあるご飯を食べていたら、だいたいのことは、なんとかなります。
もし、このブログを読んで『そういえば...』と思われた方は、試しに少しだけでも意識してみてはいかがでしょう。

生活習慣病と同様に、心の病の多くも生活習慣を健康的なものにしていくと、かなり良くなっていきます。
そうした生活習慣をまず是正していきましょう。

それでも、残っている症状を治療していきましょう。
これが、僕の治療の基本的なスタンスです。



2018年1月25日木曜日

子育ては、褒めて伸ばす?!

よく子育ての本で、「子育ては、褒めて伸ばす」と書いています。
でも、この「褒める」という行為は、とても難しいと感じておられる親御さんが多いという印象があります。

僕自身も自分の子供に褒めるように心がけてみましたが、実感として「褒めてあげる」という姿勢は、褒める側の感動が感じられない、どこか上から目線で、心は動いていない感じになってしまいました。
やはりこれだと子供の反応もいまいちで、どこか白けるという感じでした。

一方、上手に人を褒められている人を見ると「褒めている」というよりも「実際に驚いている!」それも、非常に豊かな表現で「驚いている!」という印象です。
褒める側の心が動いているかどうかは、必ず子どもに伝わっていま す。

そういえば、TV等で大活躍中のお笑いタレント 宮川大輔さんが食レポをするグルメ番組でのリアクション「うまい!」とかも、驚いていますもんね。
あのリアクションを視ると、それを視聴している僕も食べたくなってきます。

うまい!」と、その人の心が動いたことが伝わって、僕の心も共鳴して「食べたい!」ってなる、「褒める」という行為も、同じことです。

だからこそ「褒める」よりも「」です!
僕らも、宮川大輔さんの食レポのように「すごいやん!」って、心の底から言ってみましょう!
きっと子供の心も動くはずです!



2018年1月18日木曜日

支えるということ

前回に引き続き、川崎医大の青木先生の著書の一節をご紹介したいと思います。

支持的精神療法とは、「その人の生き方・考え方を変えようとするのではなく、今、一生懸命に生きている、その人を支えるもの」と述べられています。

---------- 下記 一部引用 ----------
「それは大変でしたね」と誰かに自分の苦しみを分かってもらえた経験を通して、人は支えられるものである。
そして、支持されることによって気持ちにゆとりができると、少し生き方、考え方を変えようという気持ちも出てくる。
患者さんの中には、「これでよい」と誰かに肯定してもらうことで、初めて自分を肯定できる人が少なからずいる。
自己肯定は、そんなに容易ではないし、自己肯定ができず迷い悩むのが人間というものではないでしょうか。
そもそも自己肯定は、自分でするものではなく、他者に肯定されることによって初めて可能になるのではないか。
もちろん、他者からの評価に振り回されている人もいるので容易ではないが、迷い悩みながら次第に自己肯定感というものを感じられるようになってほしいと思う。

引用元:心理療法における支持 青木 省三 (著)、塚本 千秋 (著)
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この内容すべて感銘したので、このまま引用して終了します。


2018年1月11日木曜日

心の治療は、身体治療と似ている

僕が理想とする治療者に、川崎医科大学で精神科学教室の主任教授をされている青木省三先生という方がいます。

その先生の著書「心の病を診るということ」の中で、
精神科の診療も基本的には身体科での外傷処置(いわゆる怪我の治療)と同じ流れであると述べられています。

ここでいう外傷処置の流れというのは、
①切開 → ②排膿 → ③消毒 → ④薬を塗る → ⑤包帯 
という流れで処置が行われることなのですが、
身体治療と同様に精神科の治療においても、この流れの治療を続けていく中で生体のもつ自然治癒力が働いて治癒することが多いと述べられています。

つまり、身体治療での外傷処置に精神科の処置を適合させて具体的に言うと、

 ① 切開:「前回から今回までに、お変わりはなかったですか?」とたずねる。
 ② 排膿:困ったことや変わったことを、具体的に聞く。
 ③ 消毒:「○○ということがあったのですね」と受け止める。
 ④ 薬を塗る:「それは大変でしたね。苦しかったでしょう」とねぎらう。「よく頑張りましたね」と感心する(ほめる)
 ⑤ 包帯:「無理しないように気をつけてくださいね」などと助言する。時には具体的な助言をすることもある。
最後に「寒いから風邪ひかないようにね」と身体を気遣う言葉で終える。

このようなさりげなく気遣う、いたわるという、当たり前のことを繰り返す。
その繰り返しのなかで、患者さんが少しずつ回復し元気になっていくように思います。


2018年1月1日月曜日

さくメンタルクリニックの「さく」は、「作」「咲く」「桜」と「39」歳です。

新年 明けまして おめでとうございます。

おかげさまで、さくメンタルクリニックは、開院して初めての正月を迎えることができました。

さくメンタルクリニックの「さく」には、院長の「作田(さくた)」さく、笑顔が「咲く」さく「桜」をイメージしてなどの想いを込めています。

また僕の誕生日は、1月1日の元旦生まれです。
ちなみに、生年月日だけは、キンキキッズの堂本光一さんと全く一緒です。
僕は、39歳という年を節目に、チャレンジしたいと長らく思っていました。
今年は、僕にとっても、クリニックにとっても大切な年です。

本年も皆さまが安心して「こころ」の相談を受けられるアットホームな総合心療が提供出来るように、また、ほんの少しだけでも、楽になれるように、お手伝いや後方支援が出来るようスタッフ一同、「皆さまの笑顔が咲く」ように、地道に、ひとつずつ、目の前の出来ることから取組み、皆さまや関係者と共に成長していきたいと思います。