2021年12月1日水曜日

ペルソナとシャドウ

もう15年も前になりますが、僕が研修医だった頃のお話になります。
研修医というのは、ほぼ例外無く約2年の間に各診療科目を数ヶ月単位でローテートしていきます。
学校の時間割の授業という感じではなく、いつからいつまでは外科、そして次の期間は内科、そしてその次の期間は精神科...という具合で各科を転々とします。

色々な科を研修していくなかで、特に苦手意識を感じたのは外科での研修期間でした。
ですが当時は、何とか雰囲気に溶け込もうと自分の中のギアを入れ替えて、無理して馴染もうと努力しました。
外科での研修期間は、最も自分の中で「ペルソナ(社会的な仮面)」を作り出して、元気に明るくテンションをあげて取り組んだつもりです。
実際、興味がわかない部分も嘘をついて興味ある風にする感じで研修していました。

そのペルソナの反動でシャドウパーソナリティーな自分というか、素になるというか、家に帰るとその反動で、非常に機嫌が悪くなるというか、人とあまり喋りたくない感じになりました。
そのせいで当時、家族には結構イライラしている自分を出してしまい申し訳なかったな~と反省しております。

発達障害の心理的な構造で、社会では緊張となり「ペルソナ化」を作り出して頑張ろうとします。
しかしその反動で、家庭などでは弛緩となり「シャドウ化」して、例えば、お酒やゲーム、ネット動画などに依存的になったり、甘えたになるなど退行的になります。
そんなタイミングで家庭でも、しっかりしなさいとか、他者の気持も察して~と、家族から気を遣って欲しいというタスクを与えられると爆発してしまいます。
これがDVのパターン構造になることが多いのです。

ちなみに僕は,研修医の時に、精神科に回って、指導医の先生から「作田先生は、そのままの先生でいいんだよ」と言われて、全身の力が抜けたような気がしてすごく楽になりました。
僕にとって、精神科での研修医時代の研修は充実した毎日で、一生をかけて取り組みたい仕事だと思いました。

その頃は仕事で「ペルソナ化」を作り出す必要はなく、素に近い延長で頑張れたので家に帰ってきても家族にイライラして当たるとかは、ほぼ?無くなりました。

社会で「ペルソナ化」が少ない状態で、自分らしく頑張れるようになると、家でもその反動はなくなっていきました。
なるべく「やるべきこと」を手放すと「やりたいこと」が見えてくる。
やらされている感じ、これを減らして初めて自分の中の能動性、自発性が生まれてくる。
「しなくていいことを決めると、人生が楽になる」という題名の本(本田秀夫著、ダイヤモンド社)を一度読んでみてもいいかもしれません。