2021年8月4日水曜日

『白い巨塔』の財前先生と里見先生

 メガヒットとなったドラマや映画には、対極的な人物を置いて、そこから生れる「エンパシー」と「シンパシー」のコミュニケーションの話として捉えることができます。


このコミュニケーションの話として捉えた見方をすると、『白い巨塔』の唐沢寿明が演じる浪速大学医学部の財前先生は、表情の抑揚や自己の内的な感情の発出は乏しく、教授への地位や権力者になるといった目標に向かって躍起になっている姿には「シンパシー」つまり、アスペルガー的な特性があると個人的には感じます。


ゆえにエンパシー側からすると、財前先生は非常に打算的で利己的な感じで、頭脳的には賢いのだろうが心情がバレバレの状態なので、師匠である東教授や、その他の教授陣などからは嫌悪されてしまったと感じました。


アスペルガーの特性を一言で言うと、自分の心の中に他者の心があまり入ってない状態なので、患者さんからの感謝の「ありがとう」が、生きる上での原動力になりにくいのです。

それよりも目に見える金、権力や教授という地位に魅力を感じます。


一方、浪速大学の内科医で、財前先生とは大学時代からの同級生で友人でもある里見先生は「エンパシー」タイプです。

非常に高い共感性を有し、患者さんの「ありがとう」という感謝が原動力となり、自分の理想とする医療に向かって邁進していく。


財前先生は、天才外科医で、アスペルガータイプで、職人タイプ。

里見先生は、人間味のある、誠実で真面目な内科医。

この対比が非常に面白い。

この二人のやりとりの中で、ふと、財前先生が里見先生への憧憬的な対応をする時があります。


そういえば、『鬼滅の刃』でも同様に、アスペルガータイプの富岡さんは、エンパシータイプの炭次郎に、『ドラゴンボール』のベジータが悟空に、『スラムダンク』の流川君が花道に、『忍者ナルト』のサスケがナルトに、そうした想いを発出するシーンがありました。


シンパシー側は、自分の中に他者のこころの部分が少ない、つまり、心理的に視力障碍的な部分があり、そこを自覚し悩んでいる部分があり、一方、エンパシータイプは、他者の心を十分に読み取る力が強い、心理的な視力がいいから、そこは羨ましく感じるのだと思います。

でも、シンパシーなアスペルガータイプは、自分の特性を活かして邁進していく姿、つまり、対人面では協調的、迎合的に生きるのではなく、人間関係を極力、必要最低限にしてスナイパー的な対人関係にして、自分の好きなことを大事にしていくことが大事だと思います。


『白い巨塔』は、そうしたアスペルガータイプの目指す姿とエンパシータイプの対比で、色々感じて解釈していくという話しだと、個人的に理解しています。


やはり、人間ドラマには、シンパシー側のアスペルガータイプ(心の理論の通過が乏しい人)と、エンパシー側のHSP(心の理論の通過が、高い状態の人)との対比が面白くさせる。

両方が、人生ドラマには必要です。

当然、人間社会でも同様です。

ただ、双方の違いを理解しておくことは、重要だと思っています。