僕は、大学生の頃、アフリカ最高峰の山「キリマンジャロ」に約1週間かけて登山していました。標高4000m付近をうろうろしている際中は、雲よりも上空で生活している状態にあるため、自分がまるで仙人のような気分になっていました。その登山の間、毎晩、アフリカの地で、夜空を見ながら、思ったことは、日常生活の有難さでした。普段の日常で、普通に平和で暮らし、生活を送れていること、普通に勉強したり、遊んだり、なんて幸せな日々だったのだろう。そこに気づかず、勉強さぼったりしていた僕は・・・。
帰国したら、初心の想いを大事に、良い医者になれるように、頑張っていきたいと思って帰国しました。日々の自分を支えてくれた人や生活への有難さに気づけた旅でした。しかし、日本に帰ったら、結局、そんなに勉強もせず、また日常生活をだらだらと過ごしてしまっていましたが・・・。
感謝の想いを大事にして、そこを起点にして頑張れることが、幸せになるということなんだなと思います。脳という臓器は、幸せになるために作られているのではない。ただ、生きるために、生存するためには、どうしたらいいか?ここにマインドセットされて我々は生きていることが多い。だからこそ、いい学校にいって、高収入を得て、贅沢して~と考えるけど、瞬間的には、そうしたことで、充足感や欲を満たしても持続力は乏しい。どんなに好きな人と結婚できたとしても、好きという感情は、早くて数か月?数年で雲散霧消していくものです。でも、お互いに感謝の心が、時を重ねていけるからこそ、「愛情」(くされ縁というリアリティー表現でもいいと思います。)になっていく。
幸せは探すものではない、既にあるものに気づけることが大事なんだということが思い出されます。頭では、わかっていても、日常生活の忙しさにやられて、ありがたさ・感謝の心を忘れてしまう。そうしたことに気づくためには、近すぎると見えなくなる部分も多分にあるからこそ、やはり、僕には、旅や登山が必要だと思いますが、現在は、なかなか行けない状況なので、やはり今晩は、最近お気に入りのスパ住之江のサウナに行ってきます。
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