「過干渉養育は、子どもが将来的には弱くなる。過保護養育では、子どもは将来的には弱くはならない、むしろ強くなる!」という印象が、日々の診療を通じて思います。
「干渉」とは、自分がこうしたいという気持があるのに、他者が立ち入って、こうすべきだと意見したり、行動を強制したりすることを指します。(これが、全てダメということではなく、過度にということです。)
子育てにおいて、なかなか子どもが宿題をしなかったり、ゲームやユーチューブをやめられなかったりして、親が干渉せざるを得ないのは理解できます。ただ、過干渉、つまり過度に、親が子どもに干渉すると、子どもは、長期的には、受け身的、消極的となり、親サイドからしたら「この子は、親が言わないと、何もしないんです。」という状態になってしまいます。なかなか、親サイドからしたら、色々焦ることもあると思いますし、怒りたくなることもあると思います。ただ、子どもが、将来、主体的、能動的に、前向きに生きていくためには、親も忍耐、我慢がいります。
こうしたことの反対で、過放任養育も、過干渉と同様に「もう知らないからね~」も、結局、過干渉養育と同じです。僕は、自分の親に過保護に養育されました。僕は、子どもの頃、勝手に習い事をして、勝手にやめています。僕が、子どものころ、万引きしたときも、学校を停学になった際も、毎年受験に失敗した時でも、両親から、「ドンマイ!」と労いを頂きました。僕の両親は、かなり、過保護過ぎです。大学時代も、月1で、両親が、大阪から三重県に来て、掃除して、ご飯を作って帰っていきました。医大生のときも、僕は、懲りずにカンニングして、単位を失いましたし。だけど、過保護養育をすると、子どもの心に余裕を生まれ、子どもの内側にある、能動性、主体性を育み、自分が本当に何をしたいのか?に気づいて、主体的、能動的に動けていきます。(もちろん、この過保護という関わりには、個人差や特性などありますが)
今度、一万円札になる渋沢栄一の両親も、過保護養育ですよね。渋沢栄一が、やりたいとしたことに、両親は、できる限りの応援をしており、渋沢栄一の父の談話で、「世の中、親孝行しない子どもを、親が憂うことをきくが、真の親孝行とは、子どもが成長し、立派になって、社会に孝行することだ。それを親が、誇らしく、嬉しく思うことが、真の親孝行だ。」という話をされていたと思います。僕の両親も、そう思ってくれていると思います。過保護に育ててくれて、いつも、応援していただき、両親には感謝です。