僕が、小学校の頃、ゲームボーイという携帯型ゲーム機が発売され、友人の何人かが持っていました。僕は親に「みんな、ゲームボーイ持っているねん。今度のクリスマスのプレゼントで買って欲しい~」と伝えました。しかし、当時、ゲームボーイ機は、高額であったことや入手困難なこともあり、結局、買って欲しい時に、購入してもらえませんでした。僕は、親に対して、癇癪(かんしゃく)、泣き叫び、遂に、親が買いに行こうと提案してくれたのですが、僕は、すっかり拗ねてしまって「もう遅い、間に合わない~。もういらない~」と、心の中の気持ちと反対の言葉で、親に対して表現していました。でも、親は、辛抱強く、僕を説得してくれて、結局は、購入してもらって、僕は、すっかりご機嫌になりました。
僕の親は、当時の僕の発言の裏の心の気持ちに寄り添ってくれたのです。おかげで、親と僕との愛着関係は安定しており、そうした関係性が安全基地となって、公私ともに頑張る基礎になっています。そうした親子の小さな積み重ねや、やりとりですけど、もし親が、僕の当時の悪態をついた言葉通りを受けて、「それやったら、もう買わない」と親が対応していたら、僕と親との関係は、不安定なものになっていたかもしれません。そうした親子の交流の積み重ねが、社会に旅立つ子どもの基盤になります。当時、拗ねた僕をなだめてくれて、ゲーム機を購入してくれた親に、今考えても有り難いことだと思います。