愛着というものが、すごく人生において重要な役割を果たしていることは、これまで何度も述べてきましたが、それと同時に、愛着というものが見えづらく、霞んでしまいやすい時代なんだとも思います。
人は幼少から親に愛されて、安全基地を獲得し、それを内在化させて、社会活動をしていく。愛着に不安定なものを抱えている人は、どうしても、相手にも100%の理想を望んでしまう。そうなると、相手が理想の99%だったとしても、その1%が気になって幸せや安定した関係になれない。相手が、理想の50%であっても、その50%に感謝できるようになることが幸せになるためには必要なことなんだから。それに、深い愛着の傷に苦しんだ人は、配偶者や恋人、周囲の人、治療者やカウンセラーに、どんなに支えてもらっても、それだけでは不十分なのです。
自分が、どんな存在であれ、誰かの支えになるということ、親のように愛情を注ぐ体験をすることが、その人の中で眠っている愛着の力を活性化させる。支えを必要としている存在を支え、守らないではいられないという本能を目覚めさせることが重要です。それこそが、母性や父性の本質です。僕自身、家庭では家族を、社会では患者さんやスタッフを支えようとして、逆に支えられているという実感があるのですが、それはそういうことなんだと思う。
安全基地に、自分がなろうとして、逆に相手から安全な居場所を感じることができている。いい循環だし、それはお金では買えない。お金では買えないものこそ、プライスレス!
大事にしていきたいものですね。