4月22日(土)に、当院主催で講演会をする予定です。「発達障害のリアルな理解と支援」という題目で、当院の顧問カウンセラー上野大照先生が演者、司会は僕が担当します。
発達障害、特に自閉スペクトラム症の特性を極端に説明すると「臨機応変な対人関係が苦手で、自分の関心・やり方・ペースの維持を最優先させたいという本能的志向が強いこと」です。(自閉症スペクトラム、SB新書、本田秀夫著より)
さらに略すと、自分の心の中に、他者の心が先天的に乏しいということになると思います。そのため、発達障害を抱えた児童らの周囲の関わりとしては、なるべく「自由」と「信頼」を提供して、本人自身が「暇な状態」と「緊張が少ない状態」の環境にしてあげることで、主体的で真にやりたいことに取り組めるようなマインドに育っていくことが重要になります。そうした環境を調整することで、主体性が伸びて、成長していき、社会上の適応が良くなるという流れが大事になります。反対の関わりとして、発達障害を抱えた児童の養育過程で、悪化させてしまう関わりが、周囲に合わせる努力を最優先させることを大事にして「義務」「責任」を提供していくことになります。そうなると、短期的には「定型発達の人」のマネをして、カモフラージュで頑張ることもあるだろうけど、内的には空虚感を抱き、長期的には希死念慮とか精神疾患を生じるようになることもあるのです。そこで、周囲は慌てて優しくなる。こういう後手後手の関わりになるのは、できるだけ避けたいのです。できるだけ発達障害のリアルな理解をして、実践的な知識を獲得していき、できるだけ理解と尊重を提供できるようにサポートしていく。そういう役割を、児童精神科医、精神科医として、毎日2歳から80歳の方の診療をしている僕にはあると思っています。
発達障害のリアルな理解と支援が、広がっていく社会は、真に平和な成熟した社会になると思います。我々、祖先の先人達の想いは、平和で争いのない、みんなが思いやりの心を持って助け合う、真に成熟した社会を目指していたのではないでしょうか?
一方の考え方として、「発達障害は、自分勝手や~」とか、「発達障害があろうと、なかろうと、もっと相互に思いやりを持って~とか、特別扱いはしません~、言い訳に過ぎない~、そんなん社会で通じないで~」とか散々、批判されてきている部分もあろうかと思います。そうした考えは、戦争とか有事とか危機的な状況では、確かに、マッチしてくる考え方なんだろうと思います。平和を目指すのか?戦争を目指すのか?それによっても、精神科医療の方向性は変わってきます。
結局、人は、人生という修行を通じて、成長していき「他者をゆるせるようになる」「自分をゆるせるようになる。」それこそが、人生をかけて目指す価値があることだと故日野原重明先生(聖路加国際病院名誉院長などを歴任した医師)が述べておられました。できれば、僕自身も医師として、平和を目指して努力していきたいし、そうなれるように力を出したいと願って講演会を開催したいと考えています。