2023年12月13日水曜日

愛したいが愛で、愛されたいは、愛じゃない

  仏教で「慈悲」という言葉があり

「相手を思いやり、相手に楽を与え、相手の苦を取り除くこと。」つまり、与えること。これが、「本当の愛」なんだそうです。

 一方で、西洋的な「愛する」というのは、相手への見返りを求めたり、相手が自分の思うように動いてほしい、という願望とか執着という「煩悩」の要素が結構入っています。さらに、「愛したいと愛している」は違います。「愛しているというのは状態」だから、変わる。変わるものに、身を委ねたら、人はいつかダメになります。なぜなら、「愛とは、選択の連続」なんだから。愛しているかどうか?なんて、自問自答すること自体が無意味となります。

 多くの人が使用している「愛している」と言っているのは、結局のところ「恋」なんだと思います。恋は、いずれさめる。愛したいというのは選択で、選択を続けていくものです。

 例えば、歌でいうと、三木道山の「Lifetime Respect」という歌のサビの部分の「一生一緒にいてくれや~」というのは愛の歌ではなく、恋の歌なんだと思います。「愛している~」という状態だから、いずれは消えてしまいます。

 Zooの「愛をください」という歌も、愛の歌ではない。それは、求めているから、執着という煩悩の歌だということになりますかね。

 そう思うと、スピッツの「チェリー」とか、AIさんの「ストーリー」、伊藤由奈さんの「Precious」とかは、改めて聞いてみると「愛のことを歌っている。」な感じがします。

 つまり、「愛」とは、「無いものくれ!」じゃなくて、「共に作っていこう」とか、自分から与えるもの。「愛」を支えに、誰かに優しくなれるもの。見返りを求めないものなんだと思います。

 そう考えると、愛するって、大変なことなんですね~。愛とは、試練であり、修行そのものなんですね。