子どもが、できると意思表示したことは、親としては、基本的に、やらせるスタンスでいいと思います。反対に、失敗させないために、やらせないというスタンスは、過保護的というか、自立疎外的になってしまうかなと思います。子どもが、できないと意思表示したことは、親としては、やらせないでいいと思います。反対に、それでも、やらせるというスタンスは、子どもを追い詰めてしまうリスクがありますよね。子どもが、頑張りたいことを応援し、したくないといったことは尊重する。そうしたスタンスで、子どもを尊重することで、子どもの能動性が育まれて、成長が促進し、社会適応が良好になるように応援したいです。
2025年8月27日水曜日
2025年8月20日水曜日
鬼滅の刃で柱の人たちの痣(あざ)が発動した意味とは
アニメ「鬼滅の刃」では、鬼殺隊の柱のほとんどが、戦いの中で、痣が発動していきました。「鬼滅の刃」における痣とは、特定の条件を満たすと体に浮かび上がる紋様のことです。痣の発現した剣士は、移動速度や攻撃速度を大幅に向上させることが可能です。柱3人分に匹敵する力を持つ「上弦の鬼」との戦いにおいては、痣の発現が勝利のカギを握ります。痣が発動すると、ドラゴンボールでいうところのスーパーサイヤ人になる感じで、本人が持っている力が最大限にまで引き上げられた状態といえると思います。痣持ちの剣士が1人現れると、周りの剣士にも伝搬するように痣が発現します。
主役の炭治郎がその痣が発動した最初の剣士にあたります。その痣が、炭次郎の影響もあって、シンパシー的に広がっていった感じの印象でした。どうして、痣の発動が、みんなに伝播していったのでしょうか?と考えると、それは、純粋に、自分を犠牲にしてでも、守りたいという利他の究極にたどり着いた純粋な想いが力となったのでしょうか?そうした利他(鬼殺隊)と利己(鬼側)のぶつかりあいで、結局、ほとんど敵も味方も、死ぬという結末は、鬼殺隊も、鬼たちも一緒というところにもリアルさを感じます。そうしたリアルな戦いの中で、痣の発動した意味を考えさせられます。
2025年8月13日水曜日
インドで胃腸炎になった時に気づいたこと!
大学1年の頃、約1カ月インドで、一人旅していた際、旅の途中で、激しい胃腸炎になりました。ホテルの一室で、もだえ苦しんだまま寝ました。その際、夢では、リアルに大学生活で、いつものように授業を受けて、友人と談笑したり、ランチしたり、テニスしたりして楽しく平和な日々を過ごしていました。夢から覚めたときは、すごく残念な思いでした。そして、日常生活が、どれだけ素晴らしいことなのかを、その時に感じました。
日常生活を失ったり、健康を失ったりして気づかされる。当たり前になり過ぎていて、気づかない。失って初めてわかる。でも、失う前に気づける心の状態でいたいなと思います。
2025年8月6日水曜日
母の言葉
先日、両親を、お寿司に連れて行って、帰りの車中で、
母:「これまでの人生、自分なりに、よく頑張ってきたな~と思う。誰も、なかなか褒めてもらえるわけではないから、ちゃんと自分で自分の人生を褒めてあげたいと思う。よく頑張ってきた。」
僕は、運転しながら、感動で胸が一杯になりました。これが、人生の目標だなと思いました。
最終的には、自分の人生を自分で認めてあげて、自分を褒めてあげられるようになることが人生のゴールだと。子育て本には、褒めて育てなさいとか、子どもを認めてあげてくださいと書いていますよね。そのゴールは、自分で、自分の人生を認めて、自分で自分を褒められるような心の豊かさを育むことじゃないかと思いました。
僕自身は、まだまだ、道半ばです。でも、いつか、自分も母のように、自分をちゃんと褒めてあげられるようになることを目標に、今、できることに精進していきたいと思いました。
2025年7月30日水曜日
凡夫の精神科医です!
僕自身も、診療から離れると、悟りを得ていないただの凡夫です。そこに、ADHDの傾向もあるので、私生活では、年齢に比して幼くなります。自宅に帰ると、小3くらいの自分がいますし、実家に帰ると、年長さんくらいにまで精神年齢が低下していきます。
一方で、日常の診療場面では、僕は、46歳男性で、医師のふりをして社会活動を送っている影響もあるのか?私生活の自分は、「我」が強いな~と感じています。それに、プライドが案外高く、傷つきやすい。そうなると、私生活では、自分より弱いと判断した相手に対して、コントロール欲求が強くなっているように感じるときがあります。他者に対して「僕が言ったことを、なんで聞いてくれないんや~」と、結構、相手に対してイライラしやすい自分がいることに気づくのです。これを仏教用語では、「我」が強く、「慢」(自分を高くみて他人を軽視する、自己中心的な思い上がりのこころ)に気づきました。そこからが、精神科医としての僕の考察です。僕の心のどっかで、心が豊かになりたいという欲求があるのですが、自分は悟りを開くことはできない、一生、凡夫で人生を終えることが分かった気がします。そのうえで、こうした、自分の中の煩悩に気づけたら、そのままにしておくようにしています。それに加えて、なるべく、イライラした対象者との情緒的な交流を控える。なるべく、交流を減らす、または、表面上の交流のみにしておく。そのままにしておいたら、少しイライラが軽減していくことに気づけました。その際に大切なことは、「正しいか、間違っているか」に執着しないようにしておく必要があります。正しいかどうかなんて、きっと神様、仏様からみたら、凡夫がすることなんて全部間違っているのですから。それでも、きっと、あの世にいったら許してくれるはずです。だから、自分がいかに正しいかどうかに固執していたら、煩悩にやられるので気をつけましょう。そして、上から相手をみて評価していた自分から離れることができていくと、次第に、相手がしてくれたことを、有難いなと素直に感じられる自分もいたことにも気づけます。もちろん、自分は、凡夫なので、煩悩にまみれた自分は、その次の瞬間には、ふって煩悩が湧いてくるのですけど。自分は、今日も、「凡夫の精神科医」として、煩悩にまみれている自分だが、煩悩を消そうとしたり、それに支配されたりはしないで、そのままにしておくことを目指しつつ、でも、実際は、煩悩に揺れているような状態で今日も生きているのです。そして、誰かにイライラした際は、自分の中の「我」や「慢」という煩悩に気づけるチャンスです。
人生は、日々修行です。凡夫には、凡夫の修行が生きる意味の中にあるはず。死ぬときには、ちょっといい凡夫になって、最後は「南無阿弥陀仏!」と唱えて、「極楽じゃなくていいから、ちょっといいところにいきたいな~」とやはり煩悩にまみれて人生を終えたいと思います!
2025年7月23日水曜日
小学校~それは小さな社会~
主題のタイトルは、集団行動や勤勉さといった日本的価値観が小学校の6年間でどのように育まれているのか。小学校1年生と6年生に焦点を絞り、その学校生活を丁寧に見つめていくドキュメンタリー映画です。僕は、この映画そのものは視聴していません。ただ、20数分のショートカット版をユーチューブで視聴しただけです。結構、この映画で、コメンテーター等の方も好意的で支持的な発言が多かった印象でした。教育評論家の方も、世界にも発信する価値があるものだと。僕は、視聴して感じたのは、結構リスキーな教育を、日本は現在でもしているな~と思いました。映画での、音楽の発表会の練習の際も「自宅で、練習していたのか?やる気がないなら帰ってもらっていいです」と追い込む先生の姿がありました。幸い、サポートケアしてくれる先生がいたので、何とかなったけど。もし、そうでないなら?不登校になってもおかしくなかった。周囲と協調していくことの大事さを伝えたかったのでしょう。これを、小学校年代という早期の発達段階で学ぶと、自分よりも、周囲への意識が高まりすぎてしまう。結果的に、自分軸よりも他人軸を重視して生きようとしてしまう、いわゆる「過剰適応」な子を作ってしまうリスクがあることを、もっと認識してほしいと僕は感じました。その結果、それができない子は、将来、自分を過度に責めて、うつになったり、社会不安となったりして、不登校やひきこもりを作り出してしまうリスクがあることを知っておいてほしい。
少なくとも大切なことを伝える際に、先生が小学生の子供を脅さないで欲しい、怒鳴らないで欲しいなと思います。もし、それに順応、適応した子も、大人になったら、脅すし、怒鳴る人になってしまうリスクがあるのです。そうしたことを、モデリングさせて本当に、教育、指導なのだろうか?と僕は感じちゃいました。
日本特有の集団行動の協調性や勤勉さは大事だと思いますし、それを指導することも大事だと思います。しかし、小学生年代のこどもの心の成長発達において、それ以上に重要なことは、子ども自身の内発的な動機で、主体的に取り組めるように、大人たちがサポートすることの方がもっと大事だと思います。外発的な動機付けとして、「みんなができているのに、君だけ、頑張ってない」と糾弾する。短期的には有効だと思います。しかし、それで、適応したとしても、周囲に怒られないように頑張る子になる。そうなると、主体的に物事を取り組んでいく能動性が低下していくリスクを持っている。さらに、適応できなかった子は、自分はダメだと自己否定の世界に没入していくリスクがある。どちらにせよ、同調圧力的に、子どもを糾弾していく手法は、この時代において、リスクが高く、長期的なデメリットが高いと僕は思うんですけど、皆さんは、どう感じているのでしょうか?
2025年7月16日水曜日
ユーモアは、生老病死の潤滑油!
僕の両親は、81歳の父と76歳の母です。どちらも、病気を罹患しつつ、何とか二人暮らしを続けています。両親の兄弟や知合いに会いに、GWは両親と福井に行ってきました。会う人々も、高齢です。あちこち病気で、ガタガタで何とか生きています。子どもの頃から、立派だと感じていた人も、老人となり、病気の治療を通して、あの治療を受けたから、余計に悪くなったと医者を悪く言ったり、何だか人間臭さを感じました。
これは、人生の川の流れなんだな~と感じました。人は死ぬまでに、老いるし、病にもなるし、そもそも生きるのはしんどいし、それを時には誰かのせいにしたり、不満を言いつつも、どこかで、受け入れて生きているようにも感じました。その受け入れているような感じが、こちらには、ユーモアとして感じ取ったのだと思います。
ユーモアは、生老病死の潤滑油なのかもしれませんね。「どんぶらこ~どんぶらこ~」とユーモアとともに、人生の流れに逆らいすぎずに、流れていく感じがして、どこか、心が軽くなった気がしました。
2025年7月9日水曜日
診察室で教えてもらった理論
日々の診察を通じて、僕の方こそ、患者さんから教えてもらうことも非常に多いのです。
ある女子中学生が教えてくれたのは、全員がそれなりにハッピーになり、なおかつ公正になるシステムについてです。それは自分の第一志望を宣言し、第一志望に向けて戦略的に行動することが大事だと言われました。初めから「どうせ第一志望は無理だろうと、スタート地点から諦めていると、第二、第三志望に向けて努力することになってしまう。でも、その努力は本来、第一志望に向けられる努力だったから、第二、第三志望が通ったところで達成感も得られにくい。だから第一志望に向けて時間も努力も戦略的に動くことがいろいろな場面で大事になるのだそうです。」 その通りですね。
僕は、浪人中、駿台予備校に在籍していたので、駿台の「第一志望はゆずれない!」は、そういうことだったのか~、と納得できました。僕は、大学受験で、医学部以外にも、獣医学部、歯学部なども受験したこともありましたが、あまり気が乗らなかったので、答案用紙が白紙に近い状態で出してしまったことを思い出しました。やっぱり、医学部の受験だとテンションが上がり、頑張れました。まあ、毎年落ちるわけですけど・・・。でも、単純に、医者になりたかったのだと思います。これからも、人生の第一志望はゆずれない!「治療的な医師になる」ことを目指して、これからも頑張っていきたいと思います。その女子中学生には、ご指導ありがとうございました!
2025年7月2日水曜日
完璧でないから、つながれる
今年のGWは、二上山に登ってきました。僕は、低山登山が好きです、普段から運動不足なので、低山登山だと翌日以降に筋肉痛なども少ないのがいいです。
今回は、登山と、當麻(たいま)寺にお参りしたり、おいしいものを食べたり、道の駅に寄って野菜を買ったりと楽しめました。
當麻寺にお参りしたところ「完璧でないから、つながれる」という有難いお言葉がありました。日々、僕自身、自分の有限さ、未熟さを感じています、正直、死ぬまでさとることが難しいのだなと痛感しています。でも、そうしたことを認識できていることは、他者の存在の大切さを知ることにもつながります。他者を尊重し、多様な存在やあり方を認める寛容さや優しさは、ひいては、人々がつながり、支えあって生きていくことのできる社会、そして、それを認めあえる世界を創っていくことにつながるという教えがあり、お題の題名につながりました。
低山登山は、GWでも、空いているし、お金もあまりかからないし、予約とかも要らないし、最後は、延羽の湯(羽曳野市)のサウナで整いました!
2025年6月25日水曜日
金なんか望むな。幸せだけを見ろ!(北の国からの最終回より)
僕は、たまに「北の国から」(原作・脚本、倉本聰)を視聴します。特に、遺言編(最終回)で、黒板五郎さんが、遺言の手紙を、子どもたちに向けて書いていて、子どもたちに
「金なんか望むな。幸せだけを見ろ。ここには何もないが自然だけはある。自然は、お前らを死なない程度には十分毎年食わしてくれる。自然から頂戴しろ。そして、つつましく生きろ。それが父さんのおまえらへの遺言だ。」
視聴する度に、僕は、このシーンで号泣しています。お金とか、偉くなるとかじゃなくて、幸せだけを見ることの大事さですね。
もちろん、お金を稼ぐことは大事だし、偉くなるのも目指すのもいい。でも、何より、自分や自分の近しい人を大切にして、つつましくいきる。正しい生き方であれば、偉くなったとしても、偉そうになったりはしないですよね。五郎さんの遺言である「幸せだけを見ろ!」この言葉を胸にとめて、今日も生きていきたいと思います。
2025年6月18日水曜日
笑う覚悟で頑張ろう!
大谷選手(ドジャース)は、インタビューで、水谷一平さんの問題で、訴訟などを抱えたり、そうした事件に関して「まだ、僕の中では終わってないです」と話され、瞬間的に、深刻な表情を認め、深い悲しみなどを含めた心の葛藤を視聴サイドのこちらは感じました。でも、その上で、「折角、夢の舞台である大リーグでプレーすることができて、楽しくやれた方がいいじゃないですか?」と、楽しむことに集中しようとする姿勢に、僕は、非常に勉強になりました。
皆さん、誰もが、生きていたら、なにかとしんどくなるときありますよね。しんどい時こそ、大谷選手の笑顔を思い出して、笑う覚悟で頑張りたいなと思います。苦笑でもいいから。「いたきもちい~!」と言えたら大したもんです。
2025年6月11日水曜日
身近な愛着対象者には、結構、コントロール欲求が出やすいものです。
怪我をして弱った母、認知機能がやや低下した父、必要な書類を父がなくして、0.5秒で怒ってしまいました。怪我して入院中の母に、退院後の暮らしでの話しをする際も、気づいたら説教していました。僕は・・・。反省しつつ・・・。
でも、折角、僕は、精神科医なので、自分自身の心のありようを検討したいと思います。
どこかで、他者をコントロールしたい欲求が、人にはあると思われます。それを、できる可能性のある相手(愛着対象者である親子とか恋人関係とか)にだけ、表出するのだろうと思います。
まあ、単純にいうと、幼児心性ですかね? 甘えのような。自分の心は、20歳で医学部入学したあたりから、成長は、止まっているような感覚があります。
でも、こうして自分を分析できているのは成長かな?とも思います。その上で、対処法にも言及してみたいと思います。こうしたコントロール欲求が、自分にあることを認め、そこを異常視したり、否定したりをしない方がいい。自分自身に心理的に抑圧や反省をしすぎない方がいいです。こうした心性は、誰しもがあるものです。そこを認めた上で、誰かに、怒っちゃった~と吐露したり、怒っちゃいそうになったら距離をとったり、心理的に余裕を持つことが大事になりますね。
繰り返しますけど、過度な反省をすると、自分を責めて、自分の心が小さくなるから、余計、怒りそうな状況になったら、自制力が効かなくなり、余計怒っちゃうから気をつけましょう。だって、長年精神科医をしている僕だって、こうなっちゃうんだから、安心してください。誰でもそうなるもんだってことを。
2025年6月4日水曜日
「こんにちは」「さようなら」の意味も太陽に関係があった。
「こんにち(今日)は」の今日は、太陽をさします。「今日は」という挨拶は、「やあ、太陽さん」という呼びかけであったのです。「元気ですか」の元気とは、元(もと)の気(エネルギー)という意味なので、太陽の気(エネルギー)をさすことになります。つまり、「今日(こんにち)は、元気ですか」とは、あなたは、太陽のエネルギーが原因で、生きている身体だということをよく知って、太陽さんと一緒にあかるく生きていますか、という確認の挨拶ということになります。それを受けて「はい、元気です」と答えます。つまり「はい、太陽さんと一緒に元気に生きていますよ」と応答するわけです。
それから「さようなら、ご機嫌よう」となります。機嫌とは、気分とか気持ちという意味です。つまり「太陽さんと一緒に生活しているならば、ご気分がよろしいでしょう」となります。「今日は、元気ですか」「はい、おかげ様で元気です」「さようなら、ご機嫌よう」には、「きょうは、太陽さんと一緒にやっとるかね」「おかげさまで、太陽さんと生きています。」「それならば、気分はいいわね~」と太陽さんと繋がっている日本伝統の挨拶であったのです。
2025年5月28日水曜日
おかあさん、おとうさんの語源
古来より、夫が自分の妻に対して「おかみさん」と言いました。漢字にするとお日身(カミ)さんと言います。ここから「カカ」とか「カアカア」となり、「おかあさん」となります。日(カ)は、太陽を意味し、身(ミ)なので、太陽の身体という意味になります。お母さんは、いつも明るくて、あたたかくて、食事などの身の回りの世話をしてくれて、生命を育ててくれる。母親は、まさに太陽さんそのものだということで、お日身(カミ)さんとか、おかあさんというようになったのです。
それでは「おとうさん」の語源はというと、結婚して家族ができて、毎日毎日生活の糧を運んでくれる。女性や子供に危害を与える賊が来ると追い払ってくれる。「まあ、なんて尊い(とうとい)お方だ。太陽さんのように尊い人だ」と、尊い(とうとい)から、「おとうさん」というようになる。
我々日本人は、家庭で母を太陽と呼び、父を太陽のように尊い人と呼んで、太陽を大切にしてきた民族だったのです。ちなみに「ママ」は、元は「マータ」だったという語源説もありますけど、通説では、マンマとは食べ物のことを言うのだそうです。「パパ」は、「ファータ」という語源説もありますが、通説では、広い畑の隅っこで、葉巻をパッパとやっているから「パパ」というのだそうです。ママはマンマと食べ物と呼び、パパと葉巻と呼んでいることになります。これを聞いて、おとうさん、おかあさんの方がいいかもしれないと思ったりしませんか?結婚して、女性は、愛した男性を「お尊(とう)さん」と呼んで、男性は、愛した女性を太陽として崇めて、我が家の「太陽さん」(おかあさん)と呼んで、夫婦が尊敬し合って、いたわり合っていけば、健全な子育てや家庭ができるという思いが、この呼び名にあることを忘れないように生きていきましょう。
2025年5月21日水曜日
太陽の国、日本!
我々、地球は、なぜ生きれているか?それは太陽があるからですよね。太陽によって、植物は光合成により酸素を生み出し、我々は呼吸できている。太陽が消失すると、地球は3日以内に消滅するとも言われています。つまり、太陽があり、それによって、自然や大地が生きていることを基盤に、人類は生きられている。また、歴史的には、自分の上には父と母がいて、その父と母の両親で4人と数えていくと10代前で1024人で、20代前では100万人を超える先祖がいる。過去無量のいのちのバトンを受け継いで、今ここに自分の番を生きている。それがあなたのいのちであり、わたしのいのちだと(あいだみつをより)。
現代は、核家族だし、人と人との繋がりが、薄く、感じにくくなっている。でも、人は、世代間としての縦と、今生きている人との横の繋がりの中で生きている。何千何百代もの生命の伝承のトップに立って、今、自分の番を生きている。僕らは、ポッと湧いて出てきたんじゃない。長い間、先祖さん達が食うものもあまり食わず、子どものためと汗を流し、苦労して受け継いできた大切な命。たまには、静かにそういういのちの奇跡を感じて感動することが大事なんだと思います。生きているということは、大変な事件なんだな。
2025年5月14日水曜日
日本の国旗は、いつ誕生した?
1853年にアメリカのペリー一行が、黒船軍艦4隻で、神奈川県三浦半島の浦賀沖に表れて、すぐさま徳川幕府に強硬に開国を迫られて、日本国家は動揺、混乱しました。また、その際に、ペリーから、船に国旗がないと、どこの国の船かわからないから、大砲を撃ち込んでも国際法上いいことになっているので、今度、来日した際に、国旗をつけていない船が、アメリカの黒船に近づいてきたら沈めます」と、幕府に忠告されました。そのため、徳川幕府は、慌てて国旗を作るように決議しました。薩摩藩主の島津斉彬は、薩摩の城内の座敷から桜島に上がる朝日を見て「輝き出ずる太陽の光を以って、日本の将来は古代から日本人がいのちの恩としきた、かがやく太陽のようではならぬ・・・」と考え、太陽のマークである「日の丸」を幕府に提案しました。しかし、幕府の大半は、「中黒の旗」(白地の中央に黒の横一文字)だと主張し、紛糾した上で、最終的には、水戸藩の徳川斉昭は、昔から多くの国民が親しんできた日の丸に決定するように幕府に指示し、1854年7月11日、「日の丸」を国旗とする布告がなされました。
日本では、聖徳太子が遣隋使に託した文書以来、自国を「日出ずる国」とする考え方が古来よりあり、赤い日の丸は、日の出の太陽を象徴する。また、紅白は、日本の伝統色で、めでたいものとされており、赤は博愛と活力、白は神聖と純潔を意味するとも言われている。日本は、本来、太陽をとても大事にする明るくて、前向きで、文字通り太陽のように熱くて温かな日ノ本、日本だったのです。(つづく)
「日の丸」 「中黒の旗」
2025年5月7日水曜日
日本は、深刻なアイデンティティー・クライシス状態にいる
ユニセフ報告書「レポートカード16」(2020)によると、OECDまたはEUに加盟する38か国のランキングにおいて、日本の子どもの身体的健康度は、38か国中1位(子どもの死亡率、過体重・肥満の子どもの割合などから算出)に対して、日本の子どもの精神的幸福度は、38か国中37位(生活満足度が高い子どもの割合、自尊心、自殺率などから算出)でした。
日本は世界的にみても、若者の自殺率が高く、自尊心は低く、日本の子どもは、身体的には健康だが、心はしんどい状態であると考えられている。また、日本は、不登校(約34万人)、ひきこもり(約150万人)大国になっている。背景には、家族や学校、社会の不安定性が増していると同時に、子どもへの過重な社会的なプレッシャーがかかっている時代に入っています。また、そうした土台となる日本という国家自体が、深刻なアイデンティティー・クライシスな状態(自己同一性を喪失した状態のこと)に陥っているような気がします。
1853年にアメリカのペリー一行が、黒船軍艦4隻で、神奈川県三浦半島の浦賀沖に表れて、すぐさま徳川幕府に強硬に開国を迫られて、日本国家は動揺、混乱しました。その後、明治維新、世界大戦、戦後の復興期、経済成長、バブル期、その後も現在と・・・。
我々が貧しい日本から、餓死しないで平和で豊かな社会を目指してきたのに、心が置き去りになっている。次回のブログから、少し忘れ去られた日本の歴史のアイデンティティーの重要な部分を再発見したいと思います。
2025年4月30日水曜日
コミュ力は、結局は、国語力!
女子高生のグループラインで、
女子①;「今週末、梅田に行って買い物しようと思う。」
女子②:「私も、一緒に行きたい~。」
女子③:「なんで、いく?」
これで、炎上して、揉めてしまったケース。
解説としては、女子③の子は、流れで考えたら、「どうやって、梅田まで行く?電車?それとも、バス?」など梅田までの「行き方」とか、待ち合わせ時間とかを相談したかったんだと思います。しかし、女子②の子は、普段から、心理的に女子③の子との関係が、悪いなどが背景にあり、「なんで、あんたが来るねん~。それやったら、私は、行けないやん!」と、批判されているように思ってしまった。などの相違が生まれやすい。こうした、ラインの流れの中で、相手のことを推論していくことが、国語力です。学生達よ、相手の心情などを推論したり、読解力をつけて、客観的な視点をつけられるように、たくさん本を読んだり、こうした経験を通じて、学習していきましょう。
2025年4月23日水曜日
便利になって、不便になったな~
先日、堺市のYouTube講演を、患者さん等に「視聴して~」と告知しましたけど、視聴するには、堺市のホームページで個人情報を登録、送信して、URLが返信されて、やっと視聴できる。その後、アンケートを送信する。
「本当、便利になって、不便になったな~」と思いました。
他にも、電話で双方が話せば、お互いがミスコミュニケーションせずに済むのに、ラインとかメールでやり取りして、双方に思い違いが生じて、険悪になったりするなどの事象も生じたりしますよね。「本当、便利になった結果、不便になったな~」と思います。電子カルテは、診療において非常に重要な存在ですけど、もし停電したり、電子カルテが故障すると、診療そのものができなくなる。その際の有事などの対策も検討していますが、基本的には、地震とかが生じて、停電の状態となると、電子カルテが停止し診療は、できなくなってしまいます。やっぱり「便利になって、不便になったな~」と思ったりしますね。
2025年4月16日水曜日
しんどい時は、寄り添って欲しいのに、反対に、激越化して叫んでしまう時も、人生にはある。
僕は、2浪目でも大学受験が失敗に終わり、ず~と自宅で、来る日も来る日も寝込んでいました。「俺の人生は終わった。もう死んだ方がいい人間なんだ~。」と、心の中でも、実際上でも何回も叫んでいました。それに家族以外の人間関係は、自ら断ってしまって孤立していました。すごく自暴自棄になっていて、荒れて、自宅の家の壁や箪笥(たんす)も殴って破壊しています。まさに、激越化したうつ状態だったのでしょう。 でも、僕は、親に、この苦しみに寄り添って欲しかったのだろうと思います。甘えの心性そのものだと思います。
その後、ず~と寝込んでいる状態の僕に、母は、一生懸命に、かつ、一方的に、僕がこれまで生きてきて頑張ってきたことや存在そのものが大事だと、要するに「お母さんは、あなたのことが大好きだ~」と叫んでくれて、母は、仕事に出勤していきました。僕は、臥床した状態で聞いていて、涙が止まりませんでした。
これが、僕の人生で受けた最大のカウンセリングだったと思います。自分の胸の奥にある心の部分が温かくなった感覚に包まれたのを覚えています。そこから、少しずつ元気を取り戻していきましたが、これ以上、家族といると、家族を傷つけてしまうような感覚もあったし、1人旅に出たいという気持ちが湧く元気は出てきたので、家出的に、自転車の旅に出ました。
結果的に、つらさを、身近な人に分かってもらいたいという気持ちを、直接、大切な人にぶつけてしまうのは、相手からしたら、身の危険を感じることすらあります。双方が大事だから、安全重視のためには、距離をあけることが大事なこともあります。そこは共有しておきたいと思います。
2025年4月9日水曜日
僕は、いじめを受けやすい部分があります
僕は、同級生達から、からかわれると、へらへらと笑みを浮かべて「やめろって~」という感じになることが結構あります。この、半笑いが、エスカレーションでいじめに発展する可能性を秘めています。そこに、僕自身が、思春期の頃、他者から嫌われたくない願望とか、なるべく、ハミラないようにと思っていたら、いじめを受けやすい確率が増えます。 他者から色々、理不尽なことをされても、きっぱり「No!」を示さないわけですから。
一方で、大谷翔平選手だったら、自分自身がプロ野球選手になるために、少年の頃、遊びでボーリングをする際も、怪我などのリスク予防のために、ボーリングのボールに指は絶対に入れなかったそうです。大谷選手が、少年時代、他児から、何か、からかわれたとしても、きっぱり「やめて」と言ったでしょうね。自分のやりたいことが明確にあったから、嫌われないようにとか、ハミったらどうしよう?なんて、悩むこともあまりなかったでしょう。
人に好かれるかどうか?を悩むよりも、自分磨きですね。自分が何をしたいのか?自分を磨くことを大事にしていたら、自然と、人間関係は良好になっていく可能性は高まると思います。
2025年4月2日水曜日
新入生に贈る言葉!
僕は、高校に入学する際、自分の出身の中学から、その高校に進学するのは、たった1人でした。「周囲の同級生と仲良くできるかな?」と不安を抱えていて、入学当初は、あんまり、仲良くない子でも、無理して付き合ったりしていました。結果的に、いらんことに力を使って、本当に、自分が何をしたいのかどうか?などの取り組みを疎かにしてしまったという後悔があります。
もう一度、高校入学時の自分に戻ったら「無理して友人を作ろうと努力しなくていい。友人でも恋人でも、自分が、目標に向かって取り組んだり、自分に嘘をつかずに生きていけば、自然とできる友人や恋人こそが本当の人間関係だから。自分が何をしたいか?から逃げずに生きろ!」と言ってあげたいですね。それを、そのまま、新入生に贈る言葉としたいと思います。
友人や恋人は、無理して作るものではない、自然体で生きていくことで、自然とできることが一番いい。新入生のみなさん、「自分が、本当に何をしたいのか?」を人生の真ん中において、自分磨きを頑張ってください!
2025年3月26日水曜日
心理療法による関わりの中で、どういった要因が実際的治療(改善)に役立っているのか
僕は、精神療法を重要視している精神科医で、そうしたカウンセリングを重視しているからこそカウンセラーと協働で支援するクリニックを運営しています。そのため、「心理療法による関わりの中で、どういった要因が実際的治療(改善)に役立っているのか」を知っておくことは重要です。
マイケル・J・ランバートによると、治療外変化(40%);クライエントの要因(自身の持つ自我の強さや、その他のホメオスタティックなメカニズム)、環境(例えば、幸運な出来事、ソーシャル・サポート)で、心理療法に参加しているかどうかに関わらず回復に繋がる要因。期待(プラシーボ効果)(15%);受けている治療に関するクライエント自身が有する知識と、特定の治療技術や理論の信頼性に由来する治療効果。技法(15%);特定の心理療法における固有の要因(例えば、ブリーフセラピー、認知行動療法)共通要因(30%)セラピストの理論的なオリエンテーションによらない、セラピーで見出される多くの要因(共感、温かさ、受容、チャレンジしたことへの激励など)以上の割合で示されることが多いようです。
心理療法の独自の技法が持つ効果は15%、そこのプラセボ効果などの期待の効果を加えても30%で、共通要因である基本的な支援者との関係性や応答態度、治療とは関係のない相談者による動きが活性化されることで生じやすくなる治療外変化を合わせて70%程度の改善要因を有している。こうした割合を念頭において、現代に合わせた治療効果を得られるように日々取り組んで参りたいと思います。
2025年3月19日水曜日
診断に必要な情報は、病歴聴取で70%、身体診察で20%、検査で10%
一般的に、医療的な診断に必要な情報は、病歴聴取で70%、身体診察で20%、検査で10%が得られるとされている。
総合診療医で高名な生坂先生は「症状があれば病歴聴取で100%近く当たりが付く」と述べられ「なぜなら、患者さんは診断に必要なキーワードを必ず言ってくれているから。そこに全ての解があります。」と説明されています。
生坂先生が率いる千葉大学医学部付属病院の総合診療科では、自費診療で診察料は1回5万円。当初は、批判もあったようですが、保険診療ではなく、自由診療にすることで、診察に時間をかけて、正しい診断を導きだせるため、全国の患者さんで、原因不明の病気で悩んでいる方にとっては、ドクターショッピングする手間も時間も節約できて、患者満足度が高くなるため、患者さんが殺到し、現在でも予約は半年待ちだそうです。
生坂先生は、「完璧な診断はない。診断推論を突き詰めてきたからこそ、ますますそう思うようになりました。だから成長するんです、僕もまだまだ成長したい」とにっこり笑う。
座右の銘は「日々向上」決して今の自分に満足することなく、もっと早く、もっと正しい診断を導き出すために、今日も患者さんの言葉に耳を傾けている。
なんかいいですね。僕も、頑張りたいと思います!
2025年3月12日水曜日
シングルマザーの母と小1の娘の抱っこ
昨年の探偵ナイトスクープで、シングルマザーの母と小1の娘さんの二人暮らしで、母は離婚後、働き詰めで、娘が幼少の頃から、娘が母に抱っこをせがんでも母は疲れていて、拒否してばかりいました。次第に、娘は抱っこを母に要求することが減りました。でも、小1の娘が、母に抱っこをして欲しいことや色々母に対して我慢していることがあり、娘の母に甘えたい欲求を充足させてやれないことに、母としても申し訳ない気持ちがあり、探偵に、母が、もう一度娘を思い切り抱っこをしてあげて、娘の甘えたい気持ちを充足させてあげたい、その応援をして欲しいという依頼となりました。
小1の娘さんに探偵が聞くと、徐々に涙を浮かべて、「お母さんに抱っこして欲しいけど、お母さんはいつも疲れてしんどそうだし、自分は大きくなったので、抱っこは、お母さんがしんどそうだし・・・」と甘えたい気持ちと母を気遣う思いの葛藤状態を認めていました。母の希望で、家から結構離れた公園で、母が娘を久しぶりに抱っこをして、自宅までの行程を、母が娘さんを抱っこし続けて帰ることになりました。途中、母が疲れて娘を降ろしてしまうと、もう娘は、母を気遣って抱っこをしなくていいと再び、母に甘えたいという思いに蓋をしてしまうことが、母は分かっていたので、適宜抱っこをした状態で、母子がくっついた状態で、座って休憩してを繰り返して、母も娘も自宅に到着した時には、親子ともに号泣していました。当然、僕も、視聴して、感動して号泣しています。
母が娘を思う気持ち、娘の心の葛藤状態(甘えたい気持ちと、母を思いやる気持ち)とが混ざり合って、自宅というゴールを目指す親子の共同体になっている姿が素晴らしかった。母子ともに一生忘れない抱っこになったことでしょう。
こういうことが、「愛着の再形成」です。
どうしても、クリニックでは、言語的な力に頼り勝ちですけど、「もっとスキンシップとか非言語的なコミュニケーションの力の方が大事やねんな~」と再認識できたりしました。 何度でも親子は生きていたらやり直せる。探偵ナイトスクープの取り組みは、やっぱり勉強になります。感動をありがとう!
2025年3月6日木曜日
親子関係が悪くなったら、お笑いアプローチ!
昨年の探偵ナイトスクープの番組で、父と思春期の娘さんが、数年前に、父が娘を怒鳴って以降、お互いに会話をしなくなったそうです。数年間、父も、何度も頑張って娘と会話しようとすると吐き気が出る程、過度に緊張状態となってしまうため、番組に依頼となりました。
こうした何年も会話してない父子関係を、探偵はどうしたか?
深刻な問題となりがちな親子関係を真正面から対応するのではなく、父をオバQのコスプレ(白い全身タイツとオバQの化粧です。)をさせました。それに加えて、学校から帰ってくる娘さんにも、同じようにオバQのコスプレを、父に内緒でしてもらい、双方がサプライズの状態で、自宅で父子が向き合うことになりました。
前提条件として、そもそも、父子ともに仲直りしたいと思っていたのです。そのきっかけをつかめずにいたのです。オバQ同士の父子が、向き合いつつ、次第に、父が吐き気を認めながらも、周囲の励ましを受け、娘に会話をするようになり、感動の何年かぶりの親子の会話となりました。
ユーモアの力はすごい。支援者としても、非常に勉強になりました!
2025年2月26日水曜日
胸を張って生きろ!己の不甲斐なさにどれだけ打ちのめされようと心を燃やせ!歯を食いしばって前を向け!君が足を止めて蹲(うずくま)っても、時間の流れは止まってくれない、共に寄り添って悲しんでくれない!」
最近、アニメ「鬼滅の刃」や映画「きめつの刃、無現列車編」を見返してみました。主題の言葉は、鬼滅の刃の映画、無限列車編で、炎柱の煉獄さんが、壮絶な戦いの後に、主人公の炭治郎らに向けて発した言葉です。煉獄さんは炎柱だけあって、熱い言葉で周囲を鼓舞します。人は、それぞれに、自分の弱さや不甲斐なさを日々感じたりしながら、何とか生きている部分があると思うんです。観ている自分自身も、煉獄さんに鼓舞されたような気分になりました。映画の内容は、漫画でも前もって知っていても、映画で1回観ていても、もう1回観て、彼らが一生懸命、どんなときも前を向いて懸命に戦い、生きて、守ろうと、助けようとしているその姿を見て、自分の心が熱くなるのを感じたい!そう思わされる映画でした。
2025年2月19日水曜日
大谷選手に感動しました!
大谷選手は、左肩を負傷しているにも関わらず、ワールドシリーズの試合に出場して、塁に出たら、左肩をしっかり守りつつも、次の塁を全力で進もうとする。その姿に、心底、この選手は、野球小僧なんだなと思いました。また、その大谷選手をみて、漫画「スラムダンク」の桜木花道選手が、試合中に負傷して、選手生命の危機の状況にあるにも関わらず、今の試合に、自分ができる範囲で全精力を注ぎこむ姿と重なりました。ただ、こうした怪我を押して、それでも頑張ることを賞賛したいわけではないけども、それだけ懸けてもいいことを見いだせたことに、素直に、自分は感動しました。
今の時代の日本社会には、閉塞感や先行きの不透明感が蔓延していて、若者の多くが、将来に目標や夢を持ちにくい状態になってしまっていることにも憂慮しています。自分自身が生きる上での勇気を、昨年は、大谷選手からしっかりもらいました。この感動や生きる喜びを大切にして、今年も、大谷選手を応援しながら日々を送りたいと思います。
2025年2月12日水曜日
何で、こんなブログを書いているのか?
開業時から、僕は、毎週ブログを続けています。自分なりに、ブログを続けてきた動機を考えてみました。
そもそも、僕が、精神科医になったのは、根底に「いつか人は死ぬ。人が生きる意味ってなんだろう?どうやって死を受け入れることができるんだろうか?」があります。人として、自分の生きている意味を追求したい、ということがあります。幼少の頃に、曾祖母の死体をみて、びっくりして、そこから「人は生きて死ぬ」その逃れることのできない摂理に対して漠然と恐怖や不安を抱いていました。それは今もそうです。これまで、一瞬、美味しいものを食べたり、贅沢したりで、瞬間的には、そうしたことを忘れる事や紛れることはあります。でも、時々、ふっと考えがよぎるんです。自分が死ぬこと、そして、残された寿命をどうやって生きるのか?人は、どうして生きるのか?死を自分は受け入れて、その寿命が尽きる日まで、生きられるのだろうか?と自問自答しています。そして、診療で、目の前の患者さんが少し楽になったように感じると、僕も少し楽になるのです。それは、自分の生きている意味が、一瞬ですけど、そこにみいだせるような気がします。
ブログを続けている意味は、結局は、自分自身と話したいんだと思います。そして、皆さんとも話したいんだと思います。死ぬことは不安ですし、どうしたって寂しいことです。多分、死を受け入れることができないまま死ぬと思います。だからこそ、少しでも生きていることの意味を自分自身や皆さんとの対話の中で見出したいんだと思います。対話をこれからも続けていきたいと思います。
2025年2月5日水曜日
冬になると、死を意識します
日本には、四季があり、春夏秋冬。僕は、秋から冬になると、センチメンタルになりがちで、心のどこかで、死を意識しているのだと思います。死という終わりを意識してしまうから、死ぬまでにしておきたいことを意識できるチャンスだと捉えて、死ぬまでにしておきたいリストを作成してみました。
1;精神科医として、良い治療者を目指し続けたい。今までは、診察室内でできることを意識し、自分で、できないことは、心理士や訪問看護スタッフや地域のフリースクールなどを含めて連携を大事にしてきました。追加としては、来院できない患者さんもおられるので、訪問診療を不定期でもいいので、検討してみたいと思っています。(あくまで不定期か少ない枠でなんですけど。)1人で、良い治療をするには限界ばっかりなので、できるだけ心理士や受付や事務長、訪問看護スタッフや地域の支援者との拡大したチームワークを大事にしていきたいです。
2;開業して8年が経過しており、これまでの外来を統計データにして、学会にて発表して、当院の活動を報告し、これまでの当院での活動をまとめて、今後の診療に活かしていきたいと思っています。
3;子どもの受験が一段落したら、落ちてきた体力を、少しでも向上させるため「チョコザップ」に入会したいと思います。また、山登りとか旅行もして、自宅と仕事以外の所から、人生を味わっていきたいとも思っています。
精神科医という仕事を勤務医で9年、開業して8年を経て、自分の仕事の役割や生きがいを感じています。患者さんが来院してくれるから、僕は医者という役割を担える。有り難いことです。健康な限りは、続けていきたいと思える仕事に就けて、僕は幸せです。
2025年1月29日水曜日
初めての同窓会
先日、大学を卒業して18年経過して初めて同窓会がありました。40人近く集まっていて、バリバリ働いている人から、パート的に働いている人まで様々でしたが、みんな医師として、人生を迷いながらも手探りで歩んできた様子を感じ取れて、自分自身も同じように生きてきたので、」「なんかみんな一緒やねんな~」とほっとした気持ちになりました。
僕は大学卒業したのが27歳で、今は46歳なんですけど。それぞれ白髪や皺が出てきたり、ちょっと体重増加をお互いに感じますけど、同級生たちの印象は全然変わりませんでした。医大生の頃のように、このまま、このメンバーで病院の実習に行けるような気持ちになりました。懐かしくて、何かほっとしました。3浪して医大生となり、成績も振るわなくてコンプレックスたくさんの僕でしたが、皆、悪戦苦闘して、それでも借金を返さなあかんとか、仕事と家庭の両立が大変だとか、医局という制度の問題とか・・・。
みんな、各々に、悩みや苦しみを抱えつつも、生きてくれている。僕だけじゃないんだと。それに、みんな、素直にそうしたことを表現している姿をみて、同級生らが、等身大で生きてくれているように感じられて、ホッ、としました。また数年後に、同窓会でお互いの生存確認をしたいなと思います。
2025年1月22日水曜日
身近な人間関係の悪循環の乗り越え方について
当院は、対人関係への意識が高い系のクリニックなため、夫婦関係とか親子関係を意識して診療していると、治療当初は、そうした関係に対して、過剰適応的に苦笑いをうかべながら「別に何もないです。大丈夫です。」と話されたりされることがあります。しかし、治療が進んでいくと、これまでの身近な対人関係の中での苦しみを涙して話される。そこから、これまでの、夫に対しての、子どもに対しての怒り、不満を話される。従来のカウンセリングだと、そうした怒りや不満を十分に傾聴することで、改善していくといった考え方もありましたが、実際はそうではないように感じることの方が多いです。それは、本人が、そうした怒りやこれまでの不満を、そうした愛着対象者に対する思いを話していく中で、何が正しいとか、間違っているとかの方向にフォーカスしていくと、そうした怒りからの悪循環から抜け出しにくくなっていくのです。「正しいとか、間違っているといった方向ではなく、ギャグになっていくことが治療的なんです。」
相手に対して、「あいつは、どうしようもないな~」「人として、終わっているな~」「でも、まあ、自分の親やし、しょうがないやっちゃな~」と苦笑いしつつも、どこかで受容している。そうする経過の中で、自分の中にある怒り、もっと言えば、その怒りの後ろにある寂しさとかも受容できるようになる。これが、身近な対人関係の目標になると思います。それに、親を非難したり、縁を切るというのは、回りまわって、自分を否定しているのと同じだから、心理的な自己免疫疾患みたいなもんです。自分を攻撃して、自分を弱らせるようなもんです。
身近な対人関係を許せたり、または、自分自身を許せたりできるようになることは、「人生をかけて取り組む価値がある」と、日野原重明先生(「生き方上手」などの著者で、聖路加国際病院の名誉院長、現役の医師のまま105歳で逝去)が、100歳過ぎての講演会で、まさに仁王立ちしながら話していたことを僕は思い出します。
チャップリンの名言で「人生は、ショートカットでみると悲劇だが、ロングカットでみると喜劇」という言葉を遺したのにも通じます。いつか、身近な愛着対象者である人に対して、そうやってギャグ的になれるようにサポートすることは、僕の人生をかけてやる価値のあることじゃないかと思って、頑張ります!
2025年1月15日水曜日
るろうに剣心で、師匠、比古清十郎が、剣心に伝えた言葉
るろうに剣心という漫画で、主人公の剣心の師匠で、最強の剣の達人、比古清十郎が、「酒の肴は、秋は月見酒、冬は雪見酒・・・、そうした季節を感じながらでも、酒がうまいと感じれないのは、己の心が病んでいる証拠だ」と弟子の剣心に説きます。比古清十郎の達観し、俯瞰した視座がいいですね~。
僕も、日々の生活で、ゆっくりとした時間を持ち、自然を感じて、生きていることを実感し、生きていることの恵みを享受し、生きていることそのものを受容する。そうした日々を、ちゃんと味わえているかを、考えるようになりました。比古清十郎(映画では、福山雅治さま~)ありがとうございます!
2025年1月8日水曜日
ドジャースの強さ
僕は、大谷翔平選手のファンなので、1年間ドジャースを応援してきました。ドジャースは、年間の試合を通じて、多くのけが人がでました。きっと年々大リーグも、人体の限界に選手たちは挑んでいるため、怪我が多いのでしょう。その分、バックアップできる選手をフロントも補強して最高の結果である世界一という称号を得ています。同時に、怪我を抱えた選手は、チームのために、自分のために、できることを全力で取り組み試合で頑張っている姿をみて感動しました。
現実生活に戻って、僕は当院の院長で経営者なので、当院のスタッフの誰かに無理がいきすぎないように、バックアップできる体制をつくって、スタッフが、永く健康的に働けるように労働環境を整備していきたいと思っています。僕自身としては、心身の健康を守って、精神科医として働ける限り頑張っていきたいと思っています。
2025年1月1日水曜日
新年あけましておめでとうございます
新年あけましておめでとうございます。僕、個人としてもR7年1月1日で、46歳になりました。自分自身の中では、知力、体力、気力、まあまあいけている感じです。今年も、変わらず診療を大事にしていきたいと思いつつ、地域セミナーや学会での発表もしていきたいと思っています。子ども達も受験生なので、そのサポートもしていきたいですし、その受験が終わったら、家族で久しぶりに旅行に行けたらと思っています。両親のおかげで、医師になれているので、親孝行もしたいです。どれも、したいことばかりです。やるべきこと、というよりも、やりたいと思っていることに取り組めることは幸せです。今年もよろしくお願いします!