2025年1月22日水曜日

身近な人間関係の悪循環の乗り越え方について

  当院は、対人関係への意識が高い系のクリニックなため、夫婦関係とか親子関係を意識して診療していると、治療当初は、そうした関係に対して、過剰適応的に苦笑いをうかべながら「別に何もないです。大丈夫です。」と話されたりされることがあります。しかし、治療が進んでいくと、これまでの身近な対人関係の中での苦しみを涙して話される。そこから、これまでの、夫に対しての、子どもに対しての怒り、不満を話される。従来のカウンセリングだと、そうした怒りや不満を十分に傾聴することで、改善していくといった考え方もありましたが、実際はそうではないように感じることの方が多いです。それは、本人が、そうした怒りやこれまでの不満を、そうした愛着対象者に対する思いを話していく中で、何が正しいとか、間違っているとかの方向にフォーカスしていくと、そうした怒りからの悪循環から抜け出しにくくなっていくのです。「正しいとか、間違っているといった方向ではなく、ギャグになっていくことが治療的なんです。」

 相手に対して、「あいつは、どうしようもないな~」「人として、終わっているな~」「でも、まあ、自分の親やし、しょうがないやっちゃな~」と苦笑いしつつも、どこかで受容している。そうする経過の中で、自分の中にある怒り、もっと言えば、その怒りの後ろにある寂しさとかも受容できるようになる。これが、身近な対人関係の目標になると思います。それに、親を非難したり、縁を切るというのは、回りまわって、自分を否定しているのと同じだから、心理的な自己免疫疾患みたいなもんです。自分を攻撃して、自分を弱らせるようなもんです。

 身近な対人関係を許せたり、または、自分自身を許せたりできるようになることは、「人生をかけて取り組む価値がある」と、日野原重明先生(「生き方上手」などの著者で、聖路加国際病院の名誉院長、現役の医師のまま105歳で逝去)が、100歳過ぎての講演会で、まさに仁王立ちしながら話していたことを僕は思い出します。

 チャップリンの名言で「人生は、ショートカットでみると悲劇だが、ロングカットでみると喜劇」という言葉を遺したのにも通じます。いつか、身近な愛着対象者である人に対して、そうやってギャグ的になれるようにサポートすることは、僕の人生をかけてやる価値のあることじゃないかと思って、頑張ります!

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