今回は、松本俊彦先生(国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 薬物依存研究部 部長)の講演で話されていた内容を基に、僕が実際の診察室で感じていることを、自分なりの理解も併せ、治療的に大切だと思う部分を紹介させていただきます。
アルコール依存症で当院に通院されている患者さんで、離脱症状との苦闘を乗り越えて断酒を手に入れ、1年間という長期に渡って維持してきたのに、実に些細なきっかけで再飲酒してしまう。これは、依存症の患者さんではよくあることです。
再飲酒の多くは、患者さんの精神状態が比較的落ち着いている時期、特に悩み事のない時期に「もう大丈夫」と安堵したり、退屈を感じたりしたときに突然生じます。
なぜ、再飲酒をしてしまう患者さんは、平和な生活をうち捨てて自ら進んで苦痛の中に飛び込むのか?
それは「長く続く苦痛しかもたらさない」物質摂取行動でさえも、基底に存在する苦痛の緩和に役立っている可能性があると、ハーバード大学医学部で精神科の教授を務めるエドワード・カンツィアンらは指摘しています。
嗜癖行動は、人生早期から生涯にわたって心を蝕む無力感に根ざしたものである。長期間持続する感情状態は自己感覚を損傷するが、嗜癖行動は、その人が抱える無力感を反転させ、パワーとコントロールの感覚を、再確立することで、一時的に好ましく感じる自己感覚をもたらすことがある。と、同じく ハーバード大学医学部で精神科の教授であり依存症治療の専門家であるランス・ドズは述べています。
つまり、依存症の患者さんは、自分には理解できない不快感を、自分がよく理解している物質が引き起こす不快感と置き換えることで、「コントロールできない苦痛」を「コントロールできる苦痛」へと変えているのだと、エドワード・カンツィアン教授らは主張しています。
これらハーバード大学医学部の教授らの指摘や主張は診療において、過食・嘔吐や自傷行為といった自己破壊的にみえる嗜癖行動を理解するのに役立ちます。
自傷を繰り返す理由に「心の痛みは意味不明で怖いけど、身体の痛みならば、ここに、傷があるから当然だと納得できるんです」と患者さんが答えている言葉と合致します。
この言葉はまさに「コントールできない苦痛」から「コントロールできる苦痛」に置き換えるプロセスであることがわかります。
依存症の患者さんたちは、周囲の人に助けを求めることをあまりしません。
この援助希求の乏しさは、実際に援助を求めて傷ついた経験を重ねていたり、そもそも誰かに援助を求められない環境で生育されてきたことが影響している場合があります。
ですので、多くの依存症の患者さんは「安心して人に依存する」ことができません。
幼少から持続的な苦痛のなかで体得した「苦痛否認の機制」つまり、「大丈夫、俺は痛くない、傷ついていない」と、自分に嘘を繰り返すことで確立した「心の鎧」を持って生き延びてきたのかもしれません。
我々支援者は、依存の症状にばかり目を向けるのをきっぱりとやめなければいけません。
「依存症」ではなく「つながり」と呼ぶべきです。アルコール依存症者は、アルコールとつながっています。
それ以外のものと十分につながりを築くことができなかったからです。
依存の反意語は自立ではありません「 人と人のつながり! 」ですね。