2024年4月10日水曜日

ヤフーニュースで、大阪の名門・清風高校「カンニングするのは卑怯者」生徒を追い詰めた 「写経80巻」「全科目0点」「反省日誌」「謹慎8日」の厳しすぎる処分という内容での僕が感じたこと

 ヤフーニュースで、清風高校の学生がカンニングをしたため、先生から主題のようなかなり強めの反省を促すアプローチと「カンニングは卑怯者がすることだ」と複数の男性教師から人格否定されるような指導を受けたそうです。結果的に、高校生の男児は、自死されました。そもそも清風高校のような進学校の子が、カンニングをして、全科目0点、謹慎処分、学校推薦などの大学進学もなくなるなどで、かなり重いペナルティーを与えられて、本人としても、かなりショックな状態だったと思います。正直、誰かを傷つけたわけでもないし、十分な制裁を受けて、これ以上責める必要は、僕はないと思います。

 これ以上責めるのは、教育なんだろうか?世の中の常識としても、スピード違反でも万引きでも、捕まったら、結構、警察官も、加害者に寄り添いつつ、ペナルティーを科すようにしていると思いますけど・・・。

 それに、高校生という思春期の心は、非常に不安定です。カンニングで制裁を受けて、弱っている心の状態に対して、さらに複数の男性教師から人格否定する教師の発言や重すぎる課題を課すというのは、その高校生という年代の未熟な心に「心理的視野狭窄」の状態を引き起こして、自殺リスクを高めてしまう可能性が高いのです。その高校生の遺書には「死ぬという恐怖よりも、このまま周りから卑怯者と思われながら生きていく方が怖くなってしまいました」などと書かれていたそうです。

 僕も、高校時代、定期テストでカンニングして、全科目0点、停学、謹慎処分です。僕は、清風高校の先生のいう「卑怯者」に該当します。なおかつ、医大生の頃もカンニングして、大学教授3人に囲まれて単位を失い、あと一歩で留年しかけました。

つまり、僕は、超卑怯者です。それ以外でも、僕は学生時代を含めて、たくさんの卑怯なことをしてきました。カンニングを正当化するつもりはないですけど、僕自身が高校時代にカンニングした理由は、高3で突然医者になりたいと言い出して、

担任から「成績が悪すぎる」「内申点も悪すぎる」と言われて、慌てて成績あげるために、隣の友人と見せ合いっこして・・・即刻ばれました。でも、自分の人生を考えると、当時は、アホなりに、何とかしたいとあがいた結果です。やり方は間違っているけど、若い頃、色々トライ&エラーして、失敗しながら学ぶことって大事だと思います。

 学校の生徒を指導する立場にある先生は、全員

『反省させると犯罪者になります』 岡本茂樹著作、新潮新書 を読んでおいてほしい。

 生徒に反省させることを最初に求めると、被害者側、カンニングであれば、社会的な立場でのアプローチ。それを優先した関りをしても、真に反省するといった効果は期待しにくいです。

 生徒がこうした失敗を通して必要なことは、反省ではなく内省です。内省するためには、加害者側、カンニングの場合は、カンニングした学生の気持ちを、批判せずに寄り添ってあげることこそが、重要なアプロ―チになります。
やったらあかんことをして、自分も傷ついたし、家族や周りの人にも迷惑をかけた。でも、自分なりに何とかしようとした気持ちは大事にして、今後も、何とかいい成績をとれるように頑張っていきたいと思えるように支えることが教育者としてふさわしい行動指針だと思います。間違ったことを若者はする。それを糾弾して、表面的な反省を促すのは、教育者として失格だと僕は思います。

 弱っている生徒に、追い打ちをかける先生は、卑怯者じゃないのか?教師として、適切な対応とは何か?そのことに、清風高校の先生方は、誠実に内省してみて欲しいと思います。

自分でできないことを反省するより、本来自分が持っていることに気づくことが大事!

  僕は、ブリーフセラピーという家族療法のアプローチを重視している精神科医ですので、そのブリーフセラピーの創始者であるミルトン・エリクソンが、精神療法について語った言葉で、

「精神療法は患者さんに足らないことを与えることではない。また患者さんが歪んだものを持っていて、その歪んだものを矯正することでもない。患者さんがすでに持っているにもかかわらず持っていることに気づかないものを、どうやって患者さん自身が使えるようにしていくのか、それを援助するのが精神療法である。」という言葉。

 僕自身、毎日、日々診療、学習、修練していますけど、なかなかできてないと思う日々です。と書こうと思ったんですけど、「いや、違う!そうやって反省するのではなく、こうやってできたことが、今日もあったやん。こうした日々、僕自身もできていることに気づけることが大事なんや~」と思いました。

 日々のできなかったことを反省することよりも、これまでの小さくても、自分ができたことに気づけることが、大事やねんな~とミルトン・エリクソンが語り掛けてくるような気がしました~。

2024年4月3日水曜日

1人でハイキングに行ってきました。

  先日、少し自由時間をいただけたので、急遽、1人で信貴山にハイキングに行ってきました。運動不足の僕にとって、登山の時に、傾斜が急になると、すぐに眉間に皺が寄り、「ぜ~は~ぜ~は~」と過呼吸の状態になります。確かに、しんどいから、そうなるんですけど。精神科医的な観点でいうと、しんどい状態になって、そこから坂道を見て、脳という臓器が、その先々の不安を認知して、余計に過呼吸になっていることに気づきました。

 アニメ「きめつの刃」で、呼吸の大事さを説いていたのはこういうことか~、と気づきました。

 まず、先を見過ぎないで、一歩一歩を大事にする、眉間の皺は伸ばして、大谷翔平をイメージして、表情筋の緊張を緩和させて、深呼吸をしながら登りました。「アニメ「きめつの刃」の呼吸の基本型は、深呼吸のことやったんやな~」とつぶやきつつ、登頂しました。

 人生には、しんどいことが結構ありますけど、それ以上に、人は、考えすぎて、よりしんどく感じている。しんどいときこそ、先々を過剰に心配するよりも、目の前のことを大事にして取り組んで、表情は緩ませておいて、深呼吸して取り組むことの大事さに気づけた登山でした。帰りは、お寺にお参りして、美味しいお蕎麦と温泉につかって、より自然な深呼吸ができて、ケーブルで楽ちんに下山しました~。ありがたいことです。




2024年3月27日水曜日

夫婦関係で大切なこと

  僕は、児童精神科、精神科の専門医で、家族療法を大事にしているからこそ感じていることがあります。

 夫婦関係で、大事なことは、どっちが、正しくて、どっちが間違っているなどにこだわるとおかしくなります。そもそも夫婦は他人同士なんだから価値観が違う。お互い様だということを大事にすることがいいと思います。

 時代背景的に、特に男性陣は、頑張らないといけないステージにあると思います。そうした時代背景を、ちゃんと受け取って、我々男性陣は頑張っていきましょう。

 僕は、妻に「何でわからへんねん~」と思ったら、心の中で、震える機能が、40歳を過ぎたあたりから、搭載されるようになってきました。妻に、「何でわからへんねん~」と言ってしまいそうになったら、家を飛び出して、サウナに直行して、水風呂で頭を冷やして「分かり合えるわけないよな~」と、脳内を整理して、整えていきます。その後は、1週間くらい、夫婦の会話は途絶えます。でも、夫婦喧嘩は、台風と同じようなものなんで、過ぎ去ると、お互いの緊張感は少しずつ減弱し、徐々に喋るようになり、振り返ると何で喧嘩したのかを思い出せないことが多いです。

 夫婦関係は、各々の夫婦によって違うから、夫婦で一緒に作っていく共同作業です。先に、理想があり、そこを目指すとおかしくなります。理想にあてはめようとすると、「何で、あなたは、こうしてくれないの?」と勝手に被害的になったり、相手に求めてばかりになって、お互いの仲が悪くなるだけです。夫婦関係は、何年か経過したら、「くされ縁」という感じが、僕的にはしっくりきます。くされ縁という情がお互いに通って、何か一緒にいるとおいが安心する。いないと、何か落ち着かないし寂しい。それだけで十分だと思います。

2024年3月20日水曜日

結局仕事が、生きがいだし、好きなんだと気づかされます

 飲みに行ったり、いわゆる遊びとか息抜きをしても、僕の心のどっかは、自分の診療とかその関連の準備をしたくなります。結局、自分は、このクリニックで診療する。それが、とても好きなんだと思います。

 診療では、患者さんも僕も真剣です、その中で、患者さんの心が少し軽くなったり、笑ってくれたりすると、僕の心は、何より充足した気持ちになります。でも、一瞬だけのきらめきのようなもので、僕の診療上の心の動きとしては、無力感、徒労感、残念な気持ちになったりも結構多いです。でも、それもひっくるめて、僕は、自分自身が、この診療室で、生きていることを実感できている。

 他は、結局すべてここで感じることと比べると負けます。診療をさせていただき、生きがいを感じられて、僕は幸せです。

有り難い。この感謝を、僕の成長に活かしていけるように、まずは、サウナにいってきます。

 

2024年3月13日水曜日

過保護養育は結局は強くなる。過干渉養育は結局は弱くなる。

  「過干渉養育は、子どもが将来的には弱くなる。過保護養育では、子どもは将来的には弱くはならない、むしろ強くなる!」という印象が、日々の診療を通じて思います。

 「干渉」とは、自分がこうしたいという気持があるのに、他者が立ち入って、こうすべきだと意見したり、行動を強制したりすることを指します。(これが、全てダメということではなく、過度にということです。)

 子育てにおいて、なかなか子どもが宿題をしなかったり、ゲームやユーチューブをやめられなかったりして、親が干渉せざるを得ないのは理解できます。ただ、過干渉、つまり過度に、親が子どもに干渉すると、子どもは、長期的には、受け身的、消極的となり、親サイドからしたら「この子は、親が言わないと、何もしないんです。」という状態になってしまいます。なかなか、親サイドからしたら、色々焦ることもあると思いますし、怒りたくなることもあると思います。ただ、子どもが、将来、主体的、能動的に、前向きに生きていくためには、親も忍耐、我慢がいります。

 こうしたことの反対で、過放任養育も、過干渉と同様に「もう知らないからね~」も、結局、過干渉養育と同じです。僕は、自分の親に過保護に養育されました。僕は、子どもの頃、勝手に習い事をして、勝手にやめています。僕が、子どものころ、万引きしたときも、学校を停学になった際も、毎年受験に失敗した時でも、両親から、「ドンマイ!」と労いを頂きました。僕の両親は、かなり、過保護過ぎです。大学時代も、月1で、両親が、大阪から三重県に来て、掃除して、ご飯を作って帰っていきました。医大生のときも、僕は、懲りずにカンニンして、単位を失いましたし。だけど、過保護養育をすると、子どもの心に余裕を生まれ、子どもの内側にある、能動性、主体性を育み、自分が本当に何をしたいのか?に気づいて、主体的、能動的に動けていきます。(もちろん、この過保護という関わりには、個人差や特性などありますが)

 今度、一万円札になる渋沢栄一の両親も、過保護養育ですよね。渋沢栄一が、やりたいとしたことに、両親は、できる限りの応援をしており、渋沢栄一の父の談話で、「世の中、親孝行しない子どもを、親が憂うことをきくが、真の親孝行とは、子どもが成長し、立派になって、社会に孝行することだ。それを親が、誇らしく、嬉しく思うことが、真の親孝行だ。」という話をされていたと思います。僕の両親も、そう思ってくれていると思います。過保護に育ててくれて、いつも、応援していただき、両親には感謝です。

2024年3月6日水曜日

「自立」より「自律」!

  診療していると、患者さんによっては、彼氏ができると、すごく依存してしまうとか、アルコールとかゲームとかに依存してしまうという相談を受けます。

 人は、生きている限り、度々、自分で抱えきれないストレスやつらくなったりしますよね。それを、自分だけでどうにかしようとすると、悩みを抱えきれなくて、過度な依存になるリスクが高まると思います。自分自身が、困っていたら、誰かに「助けて~」とSOSを出して、諦めないで援助希求していければ、きっと誰かに出会うことができます。(この際に、できればホストとかより、医療機関とかにしてもらいたい~と作田の心の叫び)

 そうした、ちゃんと支えてもらう人を増やしていくことこそ、自分でどうにかすることよりも大事なことだと思います。それを「自律」といいます。

 自分で、できることは頑張って、誰かの役に立てたらいいけど、自分で、できないことや抱えきれないことは、誰かに援助希求して助けてもらえるようにして。自律的に生きていきましょう。精神科医療では、そうしたきっかけが、診断とか通院になります。

 僕は、患者さんの支援で人を巻き込むことが大事だと思っています。そのために、家族療法専門のカウンセラーや訪問看護、地域では、フリースクール、福祉や就労支援領域と連携しています。

 支援は、「点から線へ、線から面へ。面から円(縁)へ繋げていく」誰もが生きるのはしんどい、生老病死はしんどい。でも、そのしんどさを、分かち合って支え合うことができたら、人生は素晴らしいと思える。自分ができることは、限られているからこそ、多くのサポートを受けてお互いに助け合う部分は助け合いまょ!