2022年4月6日水曜日

自然体で生きることの大切さ

人は対人交流において、意識、無意識に関わらず、ほぼ条件反射的に場面に応じて「自分」を作り出しています。
場面(学校とか職場とか、場合によっては家庭)によって、対人の緊張の度合いが強まると、作り出す自分像の変化量が大きくなりやすくなります。

そこが進行していくと、HSP状態
(対人に対して過敏な状態)
 ⇒ さらに進行していくと
  ⇒ ペルソナ(社会的仮面)状態、過剰適応、社会不安(場面緘黙を含む)といった、いわゆる対人や社会に対しての燃費が悪くなってきます。

そうなる背景には、本人自身が生来、自閉スペクトラム症の特性(診断レベルではなく、特性レベルというカテゴリーでいうと、約3割の人はASD特性があるものとして捉えています)の傾向があったり、幼少からの養育環境で愛着障害的(ここも、虐待とよべるものではなくとも「べきべき養育」(過剰適応した本人を褒めて、自然体の自分ではダメだしされる養育のこと)に、そのままの自分を受容された体験が少ない影響があったりする。

僕は、現在でも自分の自然体とか素の延長線上で、社会的な場面や家庭でも、そこまで無理しないでやれています。
診療していると、患者さん自身の特性の影響だったり、患者さんの養育環境の過程の中で、広義の愛着障害傾向の影響もあってか、長年、自分自身や周囲の人から自分らしさを否定されてこられた方が多いという印象を抱いています。

そうなると、社会では違う自分でやっていくスタイルをとりやすいので本人自身も、周囲の人も、無理が影響しあってしんどくなってきます。
社会上でペルソナ化していると、本当の自分を出さないために、長年社会で交流している人に対しても表面的な人間関係となりやすく、本当の意味で仲良くなったりはできにくいのです。
その根源として、本人自身が自然体で日常を送れてない時間や場面が多いという部分があるのだと思います。

ディズニー映画の「アナと雪の女王」のエルサも、最初は自分は人と違う特性に気づき、親からもそうした特性を否定されて、自らも自己を否定し自分の特性を恐れて隠蔽して生きていましたが、妹のアナの受容的な関わりによって、自己受容が進み「ありのまま」の自分を受け入れることができるようになりました。
少しでもエルサのように自然体で生きていける変化ができるようになるといいなと願って診療しています。