昨年末の梅田のメンタルクリニックの放火事件で、犯人のことで僕が考えたこととして、犯人は放火事件の前に、過去に自身の家族に対しての殺人未遂事件で刑務所に服役していたとのことでした。
今回の残忍な事件では、被害者や亡くなられたご遺族、社会的な想いとして、犯罪を起こした人間に反省を促したいと思うし、再犯を防止させたいと思いますよね。
ということは、刑務所の役割って、そうした受刑者の更生を支援する場として重要だと思うんです。
でも、今回の事件を起こした犯人は、刑務所で更生できなかったということになりますよね。
これをきっかけに、刑務所で、どんな更生プログラムを組んでいるのかが気になり、「反省させると犯罪者になります」(岡本茂樹著、新潮新書)を読みました。
この本を読んで僕が感じたことは、犯罪者の多くは幼少から抑圧を受けて養育されている。
つまり、「べきべき養育」を受けている。
ちゃんと親の言うことを聞いて実行したら、親からは、よしよしと褒められる。
親の言うことに従わなければ、親からヒステリックに怒られるみたいな「抑圧」をかけられる養育のことを、僕は「べきべき養育」と呼んでいます。
子どもの心は、本来は自由で快活にできている。
でも、そこに親からだったり、学校でいじめられたりなどの迫害体験を受けて、また、そうなっても頼れる人がいなくて、自分の気持ちに「抑圧」をかけることが習慣になっていく。
犯罪とは、その「抑圧」の反動としての爆発の最終形態という形で生じてくるものだと思います。
犯罪を起こした人は、刑務所で服役することになりますが、そこでさらに受刑者に「抑圧」をかけて猛省を促そうとする。
結果的に、彼らは本当の気持ちに服役中も「抑圧」をかけて生きていくため、真の更生になっていかない。
本当に反省を得るためには、逆説的ですけど犯罪を起こした本人自身が「幸福」にならないといけない。
本人が幸せを感じたり、自分の心の抑圧が解除されてこそ、自分の心の中にある罪悪感と本当の意味で向き合えるのです。
他者から外圧的に圧迫して得られる反省は、むしろ本当に獲得して欲しい反省とは全く異なるものとなってしまうのです。
この事件を契機に、ただの表面的、技術的な反省を獲得する方法ではなく、真の反省を獲得する方法、戦略を普及していったり、対人交流において、抑圧を生じさせない対人関係理論がより普及して、親子関係、夫婦関係、社会上の対人関係が良い循環になっていけるようになればいいなと感じています。