2024年11月20日水曜日

好きなことを能動的に取り組んで、失敗するのって収穫が多いんだな~

  僕は、日々診察室で、精神科医、児童精神科医として診療しているわけですけど、どこかで「俺はいい治療者なんや~」と自己陶酔している部分があるんだと気づかされました。

 先日も、講演会で、自分のいいところを見せたい、人から良い評価を受けたいという欲望が湧いていたんだと思います。そうなると、逆に、どもったり、同じことを何度もいったり、段々焦りも混じってきて、言動が硬くなる。そばにいた、重鎮の先生が、温かく見守って、ドンマイ!ナイスファイト!と励ましてくれて、自分のダメなところも含めて素を出していこうに変換していけました。自分の中で、大切にしたいこと、好きなことであれば、慣れないことでも挑戦できて、その過程の中で、自分自身の弱さや自己顕示欲とか自己愛的な部分などとも向き合って、そうした部分から少し解脱できていい経験になりました。

2024年11月13日水曜日

発達障害のお子さんのこだわりには、親御さんは、逆に脅迫してみよう!

  発達障害のお子さんの養育の際に、結構、親御さんから、「こだわりがきつい~、切り替えれなくて困ります」と相談を受けます。例えば、宿題できれいな字で書けないといって、紙が破れるくらい消しては書いてを繰り返すみたいな。親としては、そこまでこだわらずに、適当にやって、臨機応変に対応して欲しいと伝える。でも、子どもは受け入れられず、泣いちゃうみたいな・・。

 そんな時に、おススメが「こだわりには、逆に、脅迫しよう!」です。つまり、子どもに、親御さんが、きれいな字で書きたいという思いに対して、支持し、応援するのです。「あきらめないで、きれいな字で書こうな~」と。うまくいかなくて、悔しがっていたら、よくあきらめず、頑張っているね、と労うことができる。その上で、「もう無理や~、やめる~」と言えたら、それも、よくぞ切り替えれたやん。あきらめるというのは、仏教では、「あきらかにみる」という意味で、伸びるところは伸ばすけど、無理やと思ったら、やめておくという前向きなことや、とされているしねと支持する。つまり、親サイドが、最初にこだわりに、こだわれ!と応援していたおかげで、お子さんがこだわりを続けても、やめても、褒めることができて、お子さんの自尊心を育むことができる。そういうやり方も参考にしてみてください。

2024年11月6日水曜日

ダブルバインド養育の危険性

 どうしても、親サイドの考えと子サイドの考えがすれ違うこと、あると思います。最近ではそのような際、親サイドとしても、子どもの意見を尊重することの重要性の知識は結構入っているので、親が子どもに対して「あなたが思うようにやったらいい」と言うけど、実際のトーンは、イライラしている感じで言ったり「それで失敗しても知らんで」と言ったりしがちです。これは、言語的には、子どもを尊重、非言語的には、子どもを否定となります。子どもからしたら、親の発言は、言語と非言語が不一致にとなり、混乱指示になるため、「親は、私のこと、何も分かってくれない!」と、悲しみや怒りが生じて、子どもの自立に向けての推進力がそがれてしまいます。できれば、子どもの背中に、親は応援していこうという姿勢が、ちゃんと、伝わるといいですね。子どもが自分自身で考えて、うまくいったら、親は「すごいやん!ナイスファイト!」、うまくいかなかったら、「ドンマイ!」です。前者のように、親が子どもに対して、非言語的に否定した感じになると、子どもが失敗したら「ほら、だから、言ったでしょ!ちゃんと親の言うことを聞けよ!」と言いたくなるものです。親である僕もそうです。でも、親自身も、何とか踏ん張って、後者の子どもの後方に、応援者として親は伴走していけるように頑張りたいですね。結局は、子どもの微弱な能動性を育むのが親の仕事なので、子どもが正しい選択をすることよりも、色々失敗しても、自分で考えて立ち上がれる子になった方が、よっぽど価値ある関りとなるので。敵は、社会規範とか常識といったものだったりしますので、そうしたことに振り回されずに、子どもの健やかな育ちを見守れる大人になれるように頑張りましょう。

2024年10月30日水曜日

日常と診察のはざまにて

  診察室では、僕は、治療者モードになっているので、患者さんがしんどいと、自然な形で共感できたりします。しかし、診察を終えて、私生活に戻って家族が体調不良になると「普段の生活習慣が悪いねん~」とか、心無いことを言ったりして、全然優しく対応できない時もあります。でも、時間を置いて、色々変化してくる自分もいるのです。確かに、妻は、ほんまに調子悪いんやな~ と分かってきたりとか。家族って、お互いに、傷つけあったりもするけど、結局は、許し合ったり、思い合ったりもしてきて、助け合うみたいな関係になるのに、ちょっと時間がいる時があるのかなぁ、と思います。

2024年10月23日水曜日

愛は与えるもの、欲しがりすぎに注意しましょう。

  僕の母親が、子育てでも何でも、相手のことを本当に思ってやったことなら、全部正しいと思うと話したことを思い返します。愛情とは、与えることなので、相手を変えようとすることから始めると、関係性が悪くなる可能性が高まりやすくなります。特に、今の時代は、物質的には豊かな時代ですが、その分、心理的な影響が、様々な場面で、直で反映されやすい時代に入っているので。

 我々は、心理学的な理解をして、アップデートしていかないと、対人面で支障が大きくなりやすいので、精神科医としての役割は、今後も大きいと思っております。

2024年10月16日水曜日

政治と哲学の関係性

  哲学というと、浮世離れとか世俗からかけ離れた、日常生活と関係ないもののように感じるかもしれません。しかし、結構、哲学的な思想が、政治や経済を含めた社会を動かす原動力になっていることは多いのです。

 小泉総理大臣時代に、小さな政府、規制緩和で、自由な競争に任せることで、見えざる手により、その過程には、痛みを伴う改革となるが、よい変化を期待できるという理念で改革を断行しました。こうした背景に、新自由主義という哲学的思想がありました。そうした哲学が、人を動かし、社会を動かし、国を動かす。

 そうした力が、哲学にはあると思うと、急に興味深くなりませんか?

2024年10月9日水曜日

アリとキリギリスの物語の現代の解釈

  イソップ寓話にでてくる「アリとキリギリス」に、登場してくるアリは、将来に備えて、真面目に勤勉に働き、努力することの大切さを教訓とする物語とされています。冬になり、夏に遊んでばかりいたキリギリスが、冬の準備をしていなかったため、死にそうになり、アリに助けを求めたけど、アリは、キリギリスに対して何も援助することなく、キリギリスは死にました。

 精神科医的に考えると、アリ自身の心の状態としては、しんどいですね。確かに、しょうがないです。そもそも虫だし、自然は過酷だし、誰かを助けてあげる余裕なんてないし、しょうがないです。それでは、その話を現代の日本人の状況にあてはめると、アリさん自身が、まじめすぎて、心の豊かさや「今を大切にすること」が完全に抜けてしまっているのではないか?と思ったりします。

 将来のことばかり考えて、生活していると、幸せの前借りをし続けているような状態になり、最悪、死ぬ最後まで幸福感を感じられなかったという後悔も生じる可能性もあると思います。

 日本は、高度経済成長期で、アリのように日本人は勤勉に働いて、物質的には豊かになったけど、精神面では、今が抜け落ちてしまって、幸福を感じにくくなってしまったのかもしれません。

 時には、キリギリスのように、今を生きる、楽しむことも忘れないで生きましょう、というのが「アリとキリギリス」の物語の現代の日本人に必要な教訓になりえると思います。

 結局は、どっちのマインドも大事だというバランスなんでしょうけど、日本全体での閉塞感を打ち破るマインドは、キリギリスの「今を大事に生きる」ことなんだと思う今日この頃です。