2025年9月17日水曜日

人は、幸せになることが大事や~

  人の脳は、生存するために設計されているようです。そのため、幸せになるようには、本能的には設計されていない。だからこそ、夢では、悪夢の方が、記憶している確率が高いのです。楽しい夢は、生存にそこまで有用ではないからです。トラウマ記憶だって、同じようなことが、起きないように、起きたら回避できるようにと覚えている。僕は、人生を終える際に、自己満足して、しゃーない、自分なりに人生を楽しんだ、知らんけど~。という感じで人生のエンディングを迎えたいなと思います。そのためには、自己満足できるように、主体的に、自分のやりたいことを実践していきたい。その上で、社会が、平和であってほしいと願っています。不必要性に他者を攻撃しない社会です。つまり、共生社会の実現です。共生社会とは、本田秀夫先生(児童精神科医)は、「相性が最悪の人たちとも同じ社会で暮らすこと」と定義しています。 

共生社会の実現のためには、すべての人に対して 

・多様な視点があることを知る

・異なる立場の人に不要な攻撃をしない

・自分の視点を他者に強要しない社会的弱者を守るため

・法律で対応(合理的配慮)が必要だと本田秀夫先生は、説いています。

 これを自分自身に対して、投げかけている言葉は、「わかりあえると思うな、このやろう~」です。どうしても、身近な人に、「なんで、わからへんねん~」と自分の考えを押し付けようとする心性が働くときがあります。40歳を過ぎて、そういう心性が働いたら、体が、マナーモードみたいにブルブルしてきて、「わかりあえると思うな、このやろう~」と自分に突っ込みが入る機能が、ついたのです。そして、自宅を飛び出して、近所のスーパー銭湯に入って、サウナに入って、水風呂で「また分かり合えると思ってしまった~」と涙が出るのです。そうです、これが、僕の共生社会です。誰かを、べきべきで押し付けない。そうしたら、お互いの心に抑圧をかけないですむ。そのうえで、自分の人生を、主体的に楽しむことを大切にする。これが、共生社会を土台にした、自己満足を目指して、自分の心が幸せになって、自分の身近な人が幸せになる。この循環を目指したいと思っています。

 決して、自分を抑圧したり、自分の身近な人を抑圧して獲得した幸福感は、持続しませんので、健康的な幸福を実現していきたいですね。

2025年9月10日水曜日

凡夫は、諦観を目指します!

 諦観(ていかん)とは、「諦めて(あきらめて)観る(みる)」ことです。これは、「あるがまま」に受け容れる心理状態を意味しています。これを、大阪の下町のB級グルメ的に落とし込むと、「しゃ~ないやん」「知らんけど」となります。高級な言い方にすると、物事や状況をありのまま、そのままの状態で受け容れることです。偏見や先入観なく、現実や事実をそのまま受け容れることです。さらに、至高のグルメ的には、悟りになりますね。「悟り」とは、物事の本質を深く理解し、心の平安や解脱に至る状態です。僕は、凡夫なので、今回の人生では、あびこで、健康が続く限り診療を通して、「諦観(ていかん)」の境地に至れるように頑張りたいと思います。そうです、「知らんけど」で結構です。

2025年9月3日水曜日

~町メンタルクリニックを目指して~

 当院は、あびこ という下町にある、「町中華」とか「町イタリアン」などがたくさん点在している場所にあります。あびこは、庶民の味方の町です。

 僕が、目指しているのは、そうした「町メンタルクリニック」です。住吉区の保健室のような役割を果たしたいと思って開業し8年が経過しました。これからも、この大好きな [あびこ] という地で、誠心誠意、診療していきます。

 開業9年目に入ります。どうぞ、よろしくお願いします。

2025年8月27日水曜日

子育て上の留意点

 子どもが、できると意思表示したことは、親としては、基本的に、やらせるスタンスでいいと思います。反対に、失敗させないために、やらせないというスタンスは、過保護的というか、自立疎外的になってしまうかなと思います。子どもが、できないと意思表示したことは、親としては、やらせないでいいと思います。反対に、それでも、やらせるというスタンスは、子どもを追い詰めてしまうリスクがありますよね。子どもが、頑張りたいことを応援し、したくないといったことは尊重する。そうしたスタンスで、子どもを尊重することで、子どもの能動性が育まれて、成長が促進し、社会適応が良好になるように応援したいです。

2025年8月20日水曜日

鬼滅の刃で柱の人たちの痣(あざ)が発動した意味とは

 アニメ「鬼滅の刃」では、鬼殺隊の柱のほとんどが、戦いの中で、痣が発動していきました。「鬼滅の刃」における痣とは、特定の条件を満たすと体に浮かび上がる紋様のことです。痣の発現した剣士は、移動速度や攻撃速度を大幅に向上させることが可能です。柱3人分に匹敵する力を持つ「上弦の鬼」との戦いにおいては、痣の発現が勝利のカギを握ります。痣が発動すると、ドラゴンボールでいうところのスーパーサイヤ人になる感じで、本人が持っている力が最大限にまで引き上げられた状態といえると思います。痣持ちの剣士が1人現れると、周りの剣士にも伝搬するように痣が発現します。

 主役の炭治郎がその痣が発動した最初の剣士にあたります。その痣が、炭次郎の影響もあって、シンパシー的に広がっていった感じの印象でした。どうして、痣の発動が、みんなに伝播していったのでしょうか?と考えると、それは、純粋に、自分を犠牲にしてでも、守りたいという利他の究極にたどり着いた純粋な想いが力となったのでしょうか?そうした利他(鬼殺隊)と利己(鬼側)のぶつかりあいで、結局、ほとんど敵も味方も、死ぬという結末は、鬼殺隊も、鬼たちも一緒というところにもリアルさを感じます。そうしたリアルな戦いの中で、痣の発動した意味を考えさせられます。

2025年8月13日水曜日

インドで胃腸炎になった時に気づいたこと!

 大学1年の頃、約1カ月インドで、一人旅していた際、旅の途中で、激しい胃腸炎になりました。ホテルの一室で、もだえ苦しんだまま寝ました。その際、夢では、リアルに大学生活で、いつものように授業を受けて、友人と談笑したり、ランチしたり、テニスしたりして楽しく平和な日々を過ごしていました。夢から覚めたときは、すごく残念な思いでした。そして、日常生活が、どれだけ素晴らしいことなのかを、その時に感じました。

 日常生活を失ったり、健康を失ったりして気づかされる。当たり前になり過ぎていて、気づかない。失って初めてわかる。でも、失う前に気づける心の状態でいたいなと思います。

2025年8月6日水曜日

母の言葉

 先日、両親を、お寿司に連れて行って、帰りの車中で、

母:「これまでの人生、自分なりに、よく頑張ってきたな~と思う。誰も、なかなか褒めてもらえるわけではないから、ちゃんと自分で自分の人生を褒めてあげたいと思う。よく頑張ってきた。

僕は、運転しながら、感動で胸が一杯になりました。これが、人生の目標だなと思いました。

 最終的には、自分の人生を自分で認めてあげて、自分を褒めてあげられるようになることが人生のゴールだと。子育て本には、褒めて育てなさいとか、子どもを認めてあげてくださいと書いていますよね。そのゴールは、自分で、自分の人生を認めて、自分で自分を褒められるような心の豊かさを育むことじゃないかと思いました。

 僕自身は、まだまだ、道半ばです。でも、いつか、自分も母のように、自分をちゃんと褒めてあげられるようになることを目標に、今、できることに精進していきたいと思いました。