2025年12月17日水曜日

石の上にも3年

  「石の上にも3年」 このことわざは、冷たい石の上でも3年間(ここの3年間は、それくらい継続的にという意味で、3年に特に意味があるわけではありません)くらい、座り続ければ温まるように、どんなに辛い状況でも我慢強く耐え忍んで努力を続ければ、いつか必ず成功するという意味です。

 僕は、高校時代、強くなりたいと思ってラグビー部に入部しました。ラグビーは、当然、激しいコンタクトスポーツなので、気の弱い自分には、ちょっとしんどかったです。それに、かなり戦術的に連動したチームプレーが要求されて、それが非常に難しい。ちょっと合わないし、辞めようかな?と思いましたけど、上記のことわざもあるし、嫌なことがあっても投げ出さない精神力のために続けました。続けた結果の感想を言うと、辞めてもよかったな、と思います。

 大学では、テニスを始めましたが、そっちの方が楽しいし、自分に合っていたように思います。人とリアルにぶつかったり、戦うのは、苦手やけど、テニスは、ちょうどいい。自分にとって一生やれるスポーツだし、スポーツが終わった後、他のこともできる余力があります。ラグビーは、練習が終わった後、時に、むち打ちのような状態になったり、擦り傷だらけになったり、そこから勉強しようとは、僕はなりませんでした。

 「石の上に3年」は、「意思の上にも3年」に置き換える必要があるということです。うまくなりたいといった強い「石」のような「意思」の上に、継続的に取り組めたら、物になるぞ!ということです。意思がない状態で続けても時間の「無駄」です。それなら、勇気を出して、やめてみて、本当に自分がやりたいことを出会う旅に出る方がいい。高校時代の僕に、今の自分が、そういってあげたいと思います。

2025年12月10日水曜日

友人や恋人は、作ろうとするよりも、自然体でいる中で生み出される方がいい。

 今年の春、当院に通院していた女子学生が、進学のために、東京に上京することになりました。その子には、向こうにいったら、寂しいからって、急いで、友人や恋人を作ろうとしないでね、と伝えました。心細いからといって、慌てて、作ろうとした人間関係に、本物の人間関係は生まれにくいからです。もちろん、縁に恵まれる可能性はあるでしょうけど・・・。

 それよりは、自分自身が、目標に向かって、自分らしく取り組む過程の中で「一緒に協力したいな」「何か、この人とは、息が合うな」と思える関係性が生じた際に、できる関係性の方がよっぽどいい気がします。

 友人や恋人をお金に例えると、商売人が、お金が欲しい、欲しいって言っている人の商品を、客の立場では、買うのは、嫌じゃないですか?それと同じだと思います。欲しい欲しいといって、作られる人間関係は、怪しくなるし、安っぽいものに値しやすいのです。そうやってできる人間関係よりも、自分が何をしたいのか?やりたいことから逃げずに向き合って、自分らしく生きることを重要視してほしい。その過程で、できる人間関係を大切にしていく方が、きっとよい人間関係に恵まれると思うよ、と伝えました。

2025年12月3日水曜日

誤解→被害→対決→解決

 現代は、コミュニケーションツールが多様化したため、文字のみのやり取りが増加し、どうしても簡略化したコミュニケーションが増加していますよね。そうじゃなくても、人は、自分視点が強いので、どうしても相互の「誤解」が増えて、「被害」的になったり、心が病む人が急増している印象です。

 そこで、もし可能なら、双方が、コミュニケーションのレベルを上げて、話し合ったり(「対決」)して、お互いが相互理解になり、「解決」することができればいいなと思っています。結果的に、仲が良くなる場合もあるし、そのまま疎遠になったり、喧嘩別れになることもあるでしょう。でも、ぶつかれたら、次に進みやすくなるなあ~、と思います。または、他者に相談しつつ、どっかで、自分視点だけでなく、他者視点や客観視をして、正しいことなのかどうかにこだわらずに、自分なのか他者なのかを「許す」、または、そうした執着的な囚われから、自分自身が本当の意味で、「離れる」ことができたら、人生は健康的になるな~、と思うことが多いですね。それが、簡単じゃないから、当院の診察の予約も一杯なんですけどね。

 人生をかけて、やる価値があること、それは、自分だったり、他者のことを許したり、執着から距離をとって心の健康を目指すこと。その上で、自分の幸福を追求すること。こっちの方が、絶対、人生は豊かになる。でも、人は、そっちの方が、難しいし、しんどいから、楽な方向として、他者を恨んだり、自分を責めたりして、誰かを問題視する「煩悩」で循環してしまうんじゃないか?とも思います。

 結局、楽な方向じゃないんですけどね。それぐらい、人間は、自分自身の幸福を目指すとか主体的に生きようとする思考に転換することが難しいんだろうと思います。日々の生活の上で、食べるとか歩くとか遊ぶとか寝るとか、なんでもいいので、少し主体的に楽しんで取り組むことが重要な気がしますので、大泉緑地の「樹の道」という林道を今から歩いてきます。

2025年11月26日水曜日

ひな壇芸人よりも、所ジョージを目指したい!

 僕の診療は、若いころは、いい診療をしてやろう、少しでも治療的に頑張らないといけないと「熱く」診療していたと思います。現在も、そうしたマインドは一緒です。R72月の、自分が演者のユーチューブ講演を視聴すると、正直、自分が力みまくっていて、一生懸命話そうとする気持ちはわかるけど、言いたいことが、端的ではなくてわかりにくい。自然体の反対で、力み過ぎの自分の姿がありました。視聴している側も、その為、疲れる。要は、ひな壇芸人を、ずっと観ているような感じだったのです。ひな壇芸人って、ちょっとしか尺や枠がないから、皆さん、短いタイミングで、面白いことを言わないといけないという気負いを、観ている方も感じて、短時間の視聴だったらいいんですけど、長時間、観ていると、視聴者がしんどくなる。反対に、所さんとかタモリさんって、自然体で、力みがない。だからこそ、本当に美味しいとか、いいものはいいとかが、視聴者にダイレクトに伝わる。そもそもずっと、視聴者も気楽に観ていられる。

 R82月版の、僕のユーチューブ講演は、R7年と比べて、少し力感は減ったと思います。なるべく、自然体に近づけたい。大谷翔平のバッターボックスでも、打つ瞬間までは、超リラックスしているように見えるし、その「打つ」瞬間以外は、本人らしく生きていることが、感じられる。大事なことですね。自然体こそ、本当の力が出せる。どうしても、僕は、力が入りまくるタイプですので、いつかは、自然体の診療を目指したいと思います。

 

2025年11月19日水曜日

僕が、医者にあこがれた理由

 僕は、幼少から、ヒーローに憧れていました。現実の僕は、小学生時代、サッカーをしていましたが、特に、そこまでうまいわけでもなく、いつもレギュラーを奪われるのではないか?と内心、怯えていました。勉強も、そんなにできるわけではなく、周りよりは、少しだけできる程度でした。自分に自信もなく、気も弱く、でも、自己万能感は結構ありました。いじられキャラで、ちょっと、いじめられたりもありました。いつか、自分なりに力が欲しいと思って、アニメの世界のように、弱くても強く、たくましくなって、生きていくヒーローの姿に、自分を重ねていたのでしょう。それが、現実的なヒーローとして、憧れたのが、医師だったのです。

 念願の医師になっても、やっぱり、いじられキャラですし、気が弱いし、コンプレックスがたくさんあります。でも、そうした、自分に自信がない、コンプレックスがたくさんあることが、僕の強みになっている気がします。診察場面で、患者さんのしんどさや自信のなさ、コンプレックスに素直に共感できて、謙虚な姿勢で、日々診療できるメリットになります。自分の弱さを認めることができて、それが、強みになっているように思います。

 このまま弱いまま、皆様に助けてもらって、頑張れるヒーロー、そうだ!「アンパンマン」のように頑張りたいと思います。

2025年11月12日水曜日

先日、ユーチューブの収録に行きました

 昨年にひき続き、今年も9月に「堺市の子育ち支援」のユーチューブ講演の収録に行ってきました。今年、スピーチ上で気を付けたことは、なるべくフィラー(「え~」とか「あの~」などの会話のつなぎに使う言葉)を減らすこと。できるだけ、短く区切って、キーワードが残るように話すこと。通常の講演会よりは、0.8倍程度の速度で、ゆっくりと穏やかに話すことでした。

 1年に1回しかやらない収録なので、結果は、また、来年の2月に、当院のHPの「お知らせ」で告知するので、よければご視聴お願いします。自分の話している姿や声を聴くのは、正直、嫌です。自分が思っているより「いけてない」自分を直視させられているようで。でも、伸びしろが、たくさん見つかります。46歳ですが、伸びしろは結構あります。収録は、苦しかったですけど、やりがいを感じられて、結局は、「痛きもティ~!」かったです。

2025年11月5日水曜日

アイメッセージが大切!

 ここ数年、僕は、人に、ダメだしをされたり、上から物を言われたように感じると、すぐにイライラしやすい自分がいることに気づきました。そのくせ、自分は、気づかないで、誰かに上から物を言っているのに。そうされたら、被害的に感じるけど、自分が加害したとは思っていない。そこに、コミュニケーションのミスマッチが生じるのでしょう。

 例えば、「もっと早く、課題をしなさい!」といわれる。言われた本人にとっては、大事にしたいところがあったり、丁寧にしたいと思っている部分があるのに、頭ごなしに言われて、腹が立つ。できれば「もう少し、課題を早くできないか?と、僕は思うけど、君は、どう思う?」とI(アイ)メッセージで伝えてほしい。前者の言い方は、「お前は間違っている!俺の意見を聞け!」という否定的なメタファーを、受け手は感じて、怒りが生じるのです。後者の言い方は「君を僕は、大事に思っているし、尊重したいと思っている。」という肯定的なメタファーを感じるのです。そうしたメタファーを、僕は、長年、精神科医として働いてきて、鋭敏になっているのかもしれません。

 色々と勉強や経験を重ねて、身近な人に、思いやりを持って優しくなれるように修行していきたいと思います。正しいかどうかよりも、どう伝わるかを意識しないといけない時代に入ってきているので、そこを認識して学びを進めていきたいと思います。