2025年10月29日水曜日

自己万能感と自己肯定感の違いについて

  自閉スペクトラムの特性の本質は、内なる他人が弱いことにあります。そのため、自己万能感(幼児的万能感)を保持しやすいのです。もちろん、知的障害を持っている人も、幼児心性を保持しやすくなるので、幼児的な万能感を、保持しやすいのです。自己万能感とは「自分は特別な人間である」「自分は、なんでもできる」という幼児的な自信に満ちた感覚のことを言います。

 僕自身は、ADHDの特性があり、年齢に比して精神年齢は幼く、また、大人になったら、ヒーローになれる。そうした感覚は、小6の頃まで持っていたと思います。そして、そのヒーローになりたい欲求が、医師になるという現実的な目標に変化していったのだと思うので、自己万能感は、決して悪いものではありません。しかし、自己万能感があるからこそ、現実の自己評価を受け入れられずに、心の葛藤が高まり、うつや不安などの精神症状を引き起こしたりもするので注意が必要です。

 また、自己万能感と似て非なるものに「自己肯定感」があります。「自己肯定感」とは、「このままの自分でいいんだ」と自分をそのまま認める気持ちです。アナ雪のエルサの「Let it Go~ありのままで~」の世界観が、非常に自己肯定感の重要性を表現されていると思います。自己肯定感が適正に保持していれば、誰かに否定的に言われたり、否定的な評価をされたりしても、自己の存在を否定するまでに凹んだりはせずに、前向きに捉えることがしやすくなります。また、自分自身を過度に責めたりすることからも、早期に抜け出すことが可能となりやすく、精神疾患になりにくく、かつ、社会適応を良好にするために、とても重要なものといえます。日本の思春期年代の子どもを取り巻く環境は、自己肯定感が下げやすいので、そこを気を付けていきましょう。

2025年10月22日水曜日

オーバーロードには、休息が一番!

  僕は、大学時代は、夏休みとか大きな休みがあると、バックパッカーになり、1か月インドにいったり、アフリカに行ったりしました。帰国すると、家庭教師は、1か月不在だったせいで、首になりました。また、元の日常に戻っても、働く意欲が途絶えて、1か月程度バイトをしなくなりました。何か、現実感がないようなふわふわしたような感覚でした。ここは、日本?インド?なんか、まだインドにいた感覚がある感じでした。脳では、オーバーロードになっていたんだと思います。インドの1か月の生活で、たくさんの情報の処理が追い付かないような状態。そこで、茫然としながら、整理していく作業を脳内でしていたんでしょう。

 患者さんでも、両親が離婚して、母と子どもで転居してきたりすると、子どもは、一時的に無気力になったり、不登校になったりします。その時の理解は、僕は、自分が1か月インドとかアフリカに旅行に行って、帰国してきた経験を思い出します。しばらく、脳内はオーバーロードになっているから休養して、整理しているんだな~と、そのままにしておくことが重要だと思います。

 そこで、しない方がいい関わりは、「さぼるな」「学校にいけ」「宿題しろ、やるべきことをしろ」ですね。オーバーロードの脳に、過剰な緊張や、またこのままの俺じゃだめだと自責的になったりすると、ちゃんと休息したり、整理できないですからね。

 あるがままに受け容れて、本人なりの回復や整理を待つことができる支援をしたいと思っています。

2025年10月15日水曜日

子育ての安全基地の5条件

 診療場面で、どうしても、親が、子どもの前に心理的に立ってしまって、過干渉になりがちな親御さんをみることがあります。わかります。そういう心配な子どもだから、当院にも連れてきているんです。心配が先立ったり、不安感、不信感などから、子どもに過干渉気味になってしまうことは、ありますよね。

 ただ、親や支援者の大事な役割は、「よい安全基地」になることです。

そのために、必要な「よい安全基地の5条件」を共有しておきましょう。

1. 安全感を保証する。

2. 感受性(又は共感性)

3. 応答性

4. 安定性

5. 何でも話せる関係性

これらは、精神科医やカウンセラーなどの支援者にも共通している5条件ですね。

2025年10月8日水曜日

観葉植物の水やり

 当院は、たくさんの観葉植物を育てています。基本的に、僕が日々の水やりを担当しています。当初は、観葉植物を毎日みて、毎日水やりをしてしまい、結構、根腐れして死んでしまいました。最近は、前より、水やりを自制するようにできるようになりましたが、どうしても、毎日見ていると、水やりをしたくなる気持ちが抑えられません。植物の生命力を信じて、水やりを我慢して、植物が、水足りないよ~のサインまで見守ることができるようになることが、僕の今の課題です。

 うちの親が、子育てを振り返ると、「親が子を育てたんじゃなくて、勝手に子どもが育ったのを見守っただけやったわ。と話していました。木の上に立って、見守ると書いて「親」。信じて見守って、困った時は、全力で手を貸す。本人の生きようとする力を邪魔しないようにを心がけて、水やりしていこうと思います。

2025年10月1日水曜日

発達障害は、個性ですか?特性ですか?

  某政党が、選挙の際に作成した資料によると、「発達障害は、存在しない。それは個性に過ぎない、通常の教育を受けさせればいい」という論述がありました。当然、該当する政党も、その論述は、撤回しています。ちなみに、「個性」とは、外見や性格、行動パターン、思考方法などさまざまな要素で表現されます。また、「特性」とは、その人の「本質的」な性格や能力を示すものとされています。ざっくり言えば、特性は、元々生まれもっているもので、変えることがかなり困難なもの。個性は生きている中で生成されていくものなので、変化は幾らか可能なものだと言えます。つまり、某政党が、発達障害は個性といわれた際の違和感は、「発達障害は、性格の問題だ」、とか、「発達障害って、甘えや言い訳に過ぎない」というような問題軽視に対して自分が感じた違和感だったのです。

 発達障害は、先天的なもので、特性という、本人自身の努力では、変えがたい部分が多分にあるのです。つまり、特性とか能力の問題なのに、人格やモラル、やる気の問題にすり替えられて、社会的に追い詰められている状況が現在の日本で生じているのです。僕は、診療だけでなく、講演などを通じて「発達障害のリアルな理解と支援について」という演題で定期的にしているのですが、これからも、伝えていきたいと思います。発達障害のリアルな知識がないと、理解してもらえないですから。また、R8年2月に、R7年に続き、堺市のユーチューブ講演するので、ぜひ、某政党の人にも、視聴してほしいと思います。

 精神科領域は、知識がないと、意識として認知できないので、こうした問題が生じやすいのです。日本は、メンタルヘルス後進国で、若者の自殺が多く、病みやすい社会だからこそ、政治家の人には、ぜひ視聴して欲しい~と思っている今日この頃です。

2025年9月24日水曜日

夫婦間コミュニケーションについて

  僕は、これまで、夕食後、食器を片づけて食洗器に入れてなどはしてきたのですが、いつも、何か妻は不服そうな表情をしていたのです。先日、妻から、溜息混じりで、汚水処理や生ごみ処理などが不十分だと指摘されました。僕は、反射的に「ほな、もうせんわ」「ふん!」と拗ねました。その後の、僕の内省としては、このままだと、精神科医としてダメだ~と思い至り、寝る前に、妻に、「ほな、どうしたいいの?」と聞いて、やり方をちゃんと説明を受けました。自分から、聞く体制がある状態だと、妻からの説明は、よく分かりました。それから、現在まで、ほぼ毎日、汚水処理とごみ処理を続けています。もちろん、妻からしたら不十分だと思いますが・・・。

 夫婦間で、ダメだしをする際は、普通に話しているだけでも、相手側は、怒られているような錯覚がするので、できるだけ、肯定的に、わかりやすく、簡潔に説明してあげてください。少し否定的要素が混じっていたり、端々と話しているだけで、相手側は、声ではなく、音になって聞こえて、言っている意味が入らなくなることを知っておいてほしい。また、ダメだしされる側も、拗ねるだけでは、おもんないやつに成り下がります。自分のタイミングでいいから、「やり方を教えて~」と聞いてみましょう。どっちもが、相手側の立場に立ってみて、コミュニケーションする。この積み重ねが、おもろい。がんばろう~、自分!

2025年9月17日水曜日

人は、幸せになることが大事や~

  人の脳は、生存するために設計されているようです。そのため、幸せになるようには、本能的には設計されていない。だからこそ、夢では、悪夢の方が、記憶している確率が高いのです。楽しい夢は、生存にそこまで有用ではないからです。トラウマ記憶だって、同じようなことが、起きないように、起きたら回避できるようにと覚えている。僕は、人生を終える際に、自己満足して、しゃーない、自分なりに人生を楽しんだ、知らんけど~。という感じで人生のエンディングを迎えたいなと思います。そのためには、自己満足できるように、主体的に、自分のやりたいことを実践していきたい。その上で、社会が、平和であってほしいと願っています。不必要性に他者を攻撃しない社会です。つまり、共生社会の実現です。共生社会とは、本田秀夫先生(児童精神科医)は、「相性が最悪の人たちとも同じ社会で暮らすこと」と定義しています。 

共生社会の実現のためには、すべての人に対して 

・多様な視点があることを知る

・異なる立場の人に不要な攻撃をしない

・自分の視点を他者に強要しない社会的弱者を守るため

・法律で対応(合理的配慮)が必要だと本田秀夫先生は、説いています。

 これを自分自身に対して、投げかけている言葉は、「わかりあえると思うな、このやろう~」です。どうしても、身近な人に、「なんで、わからへんねん~」と自分の考えを押し付けようとする心性が働くときがあります。40歳を過ぎて、そういう心性が働いたら、体が、マナーモードみたいにブルブルしてきて、「わかりあえると思うな、このやろう~」と自分に突っ込みが入る機能が、ついたのです。そして、自宅を飛び出して、近所のスーパー銭湯に入って、サウナに入って、水風呂で「また分かり合えると思ってしまった~」と涙が出るのです。そうです、これが、僕の共生社会です。誰かを、べきべきで押し付けない。そうしたら、お互いの心に抑圧をかけないですむ。そのうえで、自分の人生を、主体的に楽しむことを大切にする。これが、共生社会を土台にした、自己満足を目指して、自分の心が幸せになって、自分の身近な人が幸せになる。この循環を目指したいと思っています。

 決して、自分を抑圧したり、自分の身近な人を抑圧して獲得した幸福感は、持続しませんので、健康的な幸福を実現していきたいですね。