2026年6月17日水曜日

喪失体験、別離体験って大事だなと思うこともあります

 春は、別れと出会いの季節になりがちですね。頼りにしていた支援者とか先生が、いなくなって不安定になっている状況の患者さんにも診察場面ではお会いします。

 僕は、こうした不安定さは大事なことだと思っています。本人自身にとっては、頼りにしていた人が、いなくなったのだから大変です。でもそれをきっかけにして、新しい人と出会ったり、自分のできることの幅が広がるチャンスだったりもします。また、大事な人と別れてから、その人との思い出や経験の真価が問われる気もしています。その人との出会いがあったからこそ、前を向いて生きていけるのなら、それはとても素敵な出会いだったと言えます。

 人は、不思議なもので、別れてからの方が、その人との思い出が、より鮮やかになるような気がします。

2026年6月10日水曜日

自分が子どもの頃を忘れて、親の顔になってしまっている。

 子どもが、大学生になり、一人暮らしをしたいと言ってきました。親である僕は、そうしたかったら、アルバイトで、家賃の頭金を出すとか、家賃の一部を出すとかは、してや~、と条件を伝えました。

 でも、自分が大学生の頃を思い出すと、大阪から三重に転居し、一人暮らしを始めた際は、全額親に6年間家賃を払ってもらいました。その後、大学生の頃、車を親に買ってもらいました。大学の目の前にあるスバルの中古車に、僕は、ひとめぼれして、親に対して「早く買って~、じゃないと誰かに買われてしまう~」と親に強く訴えて、買ってもらいました。

 3浪して、大学1年生の21歳の当時の僕の話です。その後、僕は大学を卒業して、医師になり、親になり、自分の子どもが、幼いな~、甘えているな~と感じています。でも、僕も大学生の頃は、甘かったし、幼かった。そもそも、現在も、僕は年齢に比して、幼いし甘えがちです。

 上の世代からみたら、下の世代は、そういう風に、みえやすいのです。娘に、上記のことを言った後に、自分自身に「お前は、どやねん。お前もよっぽど、甘かったし、幼かったんじゃないのか?よく、そんなこと、言えたもんやな~」と自己突っ込みした今日この頃です。

2026年6月3日水曜日

天動説→地動説のパラダイムシフトは大事

 発達障害を有していたり、不登校やひきこもり状態が長期化していると、自己中心性が高まりすぎて、自己が尊大化しているように感じることがあります。つまり、天動説のような考え方、自分を中心に、周囲の人が、それに合わせて動くのが当然だという発想です。そうなると、身近な人に対して、DV的になります。自分の思うように動かなかった親を怒鳴ったり、叩いたり。また、そうした自分は悪くない、相手が、ちゃんとそうしなかったから悪いんだ、叩かれても、相手は、文句は言えないだろうという考え方です。

 まるで、アメリカやロシアの大統領の政治のような感じ。ひきこもり状態が長期化すると、自己の内的世界が強くなり、身近な親や家族に対して、尊大な念慮や対応が強くなりすぎて、暴言や暴力が認める際は「かわいい子には、旅をさせろ」アプローチがいいように思うこともあります。

 本人の許容できる範囲での社会交流の模索をして、どうしても難しい場合は、精神科での入院も選択肢には、ありだと思います。

 地動説のような、自分自身が、自分の今、置かれている環境に、自分がどう合わせていくかというパラダイムシフトを生じさせるような練習ができる場所を提供することも、支援者として大事な視点だと思ってはいます。

2026年5月27日水曜日

コミュニケーションの認知は、結構ずれるもんですね

 先日、児童精神科領域の勉強会に演者として参加しました。その際に、前列の席で、偉い先生が、スマフォをいじっていて、演者の僕の認知としては、偉い高名な先生だから、僕の話は、レベルが低くて、興味を惹かないのだろうな~と感じていました。

 勉強会の後に、飲み会があり、そこで、自虐的に、その先生に、話したら「そんなことはない。先生の話は、新鮮で、聞きなれない用語も出てきて、それを調べてたんです~。」と結構、好意的に、僕の話に興味を持って、聞いてれたんだ~と嬉しい気持ちになりました。

 僕自身の、心の内面としては、3浪して、何とか医学部に入学して、その後も、優秀じゃない成績で、かつ、大学を卒業後も、大学院などに入ってアカデミックな勉強をしたりもせず、そうした劣等感やコンプレックスがあり、そうしたことの「投影」(自分の中にある感情・欲求・欠点などを、自分ではなく「他人のもの」として感じる心の働きという自我を守る防衛機制のひとつ)して、偉い先生が、僕が話している際中にスマフォをみているという行動に対して、僕自身は「どうせ、高名な先生には、僕の話なんてしょうもないんやろうな~」と被害的な捉えになってしまったのだろうと思いました。こうした「投影」という心理的な現象が、日常的に、悪循環を生じている気がするので、共有はしておきたいです。

2026年5月20日水曜日

対人関係は、正面より斜めくらいがいい

  僕は、僕自身が幸せになることを、追及していきたいと考えています。幸せになるためには、身近な人間関係が、良好であるということが、前提であり、目標にもなります。そのためには、自分自身や家族、当院のスタッフ、友人、患者さんと、不必要に揉めていないし、仲がいいということにつきます。そのためには、お互いに、あまり向き合わないことも大事だと思います。目標があって、そこを目指す中で、協力関係にある方がいい。完全に向き合うと、相手に求めることの意識が過剰になってしまうからです。対人関係は、向き合うよりも、斜めくらいの角度がいい。目標に向かって、協力し合う「友」のような関係がいいなと思います。

2026年5月13日水曜日

欲しがるより、与えようとする方が、よっぽど健康的

  人間関係で大事なことは、自分が、相手にしてあげられることが大事なんだと思います。相手に、欲しいと求めて、自分のものは、相手に取られないように必死で守る。

 これが、国家間でいうと、戦争になるし、社会的、家庭上でも、戦いになるか?関わらないという冷戦になるか?寂しくなるか?できれば、身近な人に、自分が何を与えることができるか?が大事だなと思います。

 難しいことではなく、僕に置き換えたら、相手をクスらせること、滑って僕の自己愛は、簡単に傷つきやすいですけど。めげずに、クスらせて、いきたいと思います。

2026年5月7日木曜日

人前に、自分をさらけだすことは大事だと思いました

 診察室という密室では、どうしても治療者としての主観が強まりやすく、自分の短所や長所が不明瞭になって、診察が、独りよがりになってしまうリスクを、僕は常に感じています。幸い、定期的に講演会などで講演する機会があり、講演する度に、自分の良くなかったところ、伸びしろを、みつけることができます。今回の講演会で、自分に感じた反省点を述べさせてください。

1;僕は、講演会で、自分のADHDの特性があることを話していますが、あくまで、ADHDの特性はあるけども、グレーゾーンで、むしろ、注意力散漫が、色々なことに目がいって好奇心という形だったり、多弁な精神科医として、多動さを発揮できていたりしており、現状は、不適応というより、長所になっていることを伝えられてなかったです。

2;エビデンスベースの話を印象に残すために、かつ、わかりやすく伝えるために僕のナラティブな話にすり替えて話すことが多いのですが、返って、混乱や語弊、または、僕の親が、僕にしてくれた対応などを話すと、「そんなことできないって」、返って親御さんを追い込んでしまった可能性もあったなと感じています。

他にも色々と反省点は浮かんできます。自分を客観視して治療者として成長を促すために、今後も不定期に、人前で醜態をさらして、自分のできなさと向き合って、いつか、もうちょっとましな支援者になれるように頑張っていきたいと思います。