人生の目標はどこにあるかな?と、ふと考えることがあります。
その答えは「快」ちゃうかな?と思います。
快とは、心地いい、こころよい、気持ちがよい、よろこばしいなどの意味があります。
日々の「快」を追求していくと、やはり身近な人に、そうした「快」の感情を与えることが起点になると思います。
心理的視野狭窄状態で「快」を求めると、自己中心的になりやすく、身近な人と喧嘩や疎遠になったりして、その延長上に戦争があるイメージで「快」の対極にある苦しみを持続的に味わうことになってしまいます。
「快」を安定的に求めるなら、やはり他者に「快」を与える方向を目指すとうまくいくイメージです。
やっぱり、他者に「快」を与える努力が大事なんだと思います。
それで、結果的に自分が「快」になる。
自分の身近な人に「快」を。
僕にとっては、診療中はそれが患者さんだし、休憩中はスタッフだし、家に帰ったら家族だし、友人だったりする。
まず、与えることを大切にしないと~、人生終わる時に「快が正解!」といって、明るくユーモアを大切にして世を去りたい。な~んて考えたりしました。
でも、「快」を与えたんだから、相手に返して頂戴~になると執着になってしまうから、気をつけないといけないですね。
相手から返ってくる場合も、返ってこない場合でも、どっちでもいい。
自分が他者に「快」を与えられることを、喜びに感じて生きていくことが快になると、心は健康でいられるんじゃないかな~と思ったりします。
実際は、すぐに相手から求めてしまうのが人間の哀愁なんですけどね~。