2022年1月12日水曜日

インドの子ども

僕は、大学時代の夏休みに1ヵ月程度バックパッカーでインドに旅行をしていました。
旅先では、インドの子どもと一緒に空き地でクリケット(南アジア諸国では圧倒的人気のスポーツ)に参加させてもらったり、ガンジス川の地元の子どもしか入れないようなところで一緒に水あそびに入れてもらったりしました。

その現地の子どもらが、学校から下校してきてテストでいい点をとったと、目を輝かせて僕に見せてくれたり、インドでの答案用紙は英語とヒンズー語などを選べるとかの説明をしてもらったりしました。

インドの子どもらの笑顔は、とてもエネルギーに満ち溢れていたように感じ、貧しいけど、明るくて、たくましくて、旅行中に、とても元気をもらいました。

その後、日本に帰国して僕が感じたのは、圧倒的に物質的に豊かですが、勉強や様々な社会的な競争圧力がそうさせているのか?日本の子ども達の方が生きづらそうにしているように感じました。

そういや大人である僕も、帰国して日本で生活していると、生きづらいし、生きていることに時々、痛みを感じます。
個人的には、その国の健康度をみるのに、その国の子どもをみると、社会の健康度が分かる気がします。
インドは貧しいけど、活気があり、生きていくという意味ではリアルでした。
日本は、快適だし、ご飯も美味しいし、安全だし、衛生面もしっかりしている。
なのに、生きづらい。

かといって、僕はインドで暮らしたいとは思いません。
実際、大変だし、汚いし、治安も悪いし、カレー以外は美味しくないし。
もう、インドに行くエネルギーもないですし。
でも、インドにいた子どもの明るくて、無邪気な笑顔が忘れられない。
貧しさ、快適じゃないから、家族とか仲間とか、大事になったり、たくましくなるのかな~。
少なくとも『生きるということにリアリティーを追求していくことが大事なんだな~』ということは思いました。

つまり、精神科の治療も『治療にリアリティーを追求していくことが治療的になるんじゃないかな~』とこのブログを書きながら、そう考えがまとまってきました。