2024年8月28日水曜日

言葉は、言霊として、相手は受け取る。

  例えば、妻が、夫に、「あなたは、人への思いやりがないわね」というと。言われた夫は、本当に、思いやりがなくなってしまう。妻自身は、こうした否定的な発言を相手にぶつけることで、相手が反省して、行動変容を促したいという意向があるのでしょう。その意向とは、反対に、本当に思いやりがなくなってしまう。

 こうしたコミュニケーションパターンを、診察場面で、よく耳にします。やはり、言葉が、言霊になって相手に飛び込んでしまう可能性があるのです。怒りが生じたまま、それを相手にぶつけてしまうと対人関係は、不良になってしまうので、一呼吸置いて、怒りを処理してから、素直な気持ちで人と関われたらいいんですけど。それが難しいからこそ、まずは、受診とかカウンセリングなどで話してもらって、自分自身の素直な気持ちを出せるようになることが大事ですね。

 診察室で、お母さんが、子育てで、「ヒステリックに怒鳴ってしまうんです~。」と相談に来られることがあります。でも、その背後にある愛情深さを、何よりも、僕は支持し、労います。その上で、「そうした愛情が、子どもにいつかは伝わりますよ、そう僕は信じています!」とお母さんを励ますこともあります。結構、その後の診察の経過で、お母さんは、相変わらず怒ってはいるけど、なんか、母と子の間の空気感は、以前に感じた緊張から、何か愛みたいな温度感を感じることがあります。

 行動は、変わってないけど、叱ることも愛だという言葉に、行動や伝わり方に、変化が生じたのかもしれません。僕が、お母さんに伝えた、「愛」という言葉が、母も気づかれて、それをお子さんに、怒るという関わりで、愛を伝えたのかもしれません。

2024年8月21日水曜日

日常から離れてみることの大切さ

  僕は、大学生の頃、アフリカ最高峰の山「キリマンジャロ」に約1週間かけて登山していました。標高4000m付近をうろうろしている際中は、雲よりも上空で生活している状態にあるため、自分がまるで仙人のような気分になっていました。その登山の間、毎晩、アフリカの地で、夜空を見ながら、思ったことは、日常生活の有難さでした。普段の日常で、普通に平和で暮らし、生活を送れていること、普通に勉強したり、遊んだり、なんて幸せな日々だったのだろう。そこに気づかず、勉強さぼったりしていた僕は・・・。

 帰国したら、初心の想いを大事に、良い医者になれるように、頑張っていきたいと思って帰国しました。日々の自分を支えてくれた人や生活への有難さに気づけた旅でした。しかし、日本に帰ったら、結局、そんなに勉強もせず、また日常生活をだらだらと過ごしてしまっていましたが・・・。

 感謝の想いを大事にして、そこを起点にして頑張れることが、幸せになるということなんだなと思います。脳という臓器は、幸せになるために作られているのではない。ただ、生きるために、生存するためには、どうしたらいいか?ここにマインドセットされて我々は生きていることが多い。だからこそ、いい学校にいって、高収入を得て、贅沢して~と考えるけど、瞬間的には、そうしたことで、充足感や欲を満たしても持続力は乏しい。どんなに好きな人と結婚できたとしても、好きという感情は、早くて数か月?数年で雲散霧消していくものです。でも、お互いに感謝の心が、時を重ねていけるからこそ、「愛情」(くされ縁というリアリティー表現でもいいと思います。)になっていく。

 幸せは探すものではない、既にあるものに気づけることが大事なんだということが思い出されます。頭では、わかっていても、日常生活の忙しさにやられて、ありがたさ・感謝の心を忘れてしまう。そうしたことに気づくためには、近すぎると見えなくなる部分も多分にあるからこそ、やはり、僕には、旅や登山が必要だと思いますが、現在は、なかなか行けない状況なので、やはり今晩は、最近お気に入りのスパ住之江のサウナに行ってきます。

2024年8月14日水曜日

浦島太郎物語と精神科医療との関連性

  日本昔話で有名な「浦島太郎」は、僕の心の妄想では、亀を守ろうとして、亀をいじめた子ども達に、行き過ぎた指導をしたせいで、周囲から奇異行動と認識されて、亀の背中(これは現代でいうところの救急車のことだと思っています。)に、乗せられて竜宮城という名の精神科病院に、長期間入院していたのだろうと僕は思っています。

 浦島太郎本人の妄想では、竜宮城なんですけど。その後、長期の精神科病院での入院から退院してみると、太郎の両親も既に死んでいる。自分の住んでいた町も人も環境が激変して、ショックで、玉手箱といいますか、その時、退院時に渡されていた精神科薬を大量服薬して、死んでしまったという話しに、僕には感じるのです。

 ここから精神科医的な洞察ですけど、まず竜宮城の長期間の入院の弊害ですね。(ここは、もう現代では、認識されており、精神科の新規の入院の患者さんで、これだけ何年から何十年入院するなどはなくなっています。)また、竜宮城からの退院後のフォローをもう少しちゃんとしておきたかったですね。訪問看護とかで通院や服薬の継続を支援したいですし。竜宮城から自宅に試験外泊とかもしておきたかったな~と思います。浦島太郎は、精神科医療の入院の在りかたと支援についての問題提起の物語だと僕は思っています。

2024年8月7日水曜日

依存症治療のコツは、やめさせようとしないこと

  依存症治療の第一人者である成瀬暢也(なるせ のぶや)先生(埼玉県立精神医療センター)によると、依存症患者さんに対して、対応のコツを一つ挙げるとしたら、それは

「やめさせようとしないこと」 であると述べられています。

 依存症とは、患者さんがやめたいと思っている、そして同時にやめたくないと思っている。その両価性を理解して治療者、支援者が関わることが肝要。成瀬先生の病院の依存症外来は「ようこそ外来」と称して、患者さんが治療から脱落しない工夫を色々している。

 患者さんに歓迎の意を伝え、断酒・断薬を強要せず、飲酒や薬物使用を責めず、患者さんの困っていることに焦点づけをする。

 決して無理にやめさせようとしない。

 患者さんの何とかしたいという思いに寄り添い、肯定的に関わり続けていく。

 日々の生きづらさや悩みを受けとめ、患者さんの主体性を尊重した対応を心がけている。

 ここに、精神科治療の支援の本質を感じ、成瀬先生の人柄も感じるので、胸が熱くなります。

 僕も「ようこそ外来」の精神で、成瀬先生のように頑張りたいと思っています。