近年、虐待などがニュースで扱われないことがないですよね。
その度に、親の責任論が取り沙汰されている気がします。
母親の子育てに対する不安やストレスが膨らむ中、近年の核家族化や近隣との付き合いの希薄化により、煩わしいと思うような人間関係を無くす事との引き換えに、寂しさや孤立感を手に入れ母親たちは自分の子育てを振り返る機会を失い1人で苦悩することが増えている気がします。
しかし、人は生まれてから自立していくまでに、とても時間がかかる動物です。
そのため古来より、母親以外の人が子どもの世話を引き受けることを意味する「アロマザリング」によって、母親の負担を軽減し子どもの成長を育んできました。
昔から我々人類にとって「アロマザリング」はなくてはならないものでした。
同時に「アロマザリング」は、子どもの社会性の発達や、世話をする側が若い場合は子育ての学習という意味でも、極めて重要なものとなります。
つまり「アロマザリング」を介した母と子とその周囲の互恵的な関係をベースに、人は家族や社会を営んできたといえます。
それが、欧米文化や子育ての精神が輸入されたことを契機に、アロマザリングを活用した子育てが成立しにくくなり、母親のみに子育ての負担を負わせるケースが増えるようになります。
このような状況にあって、当の母親たちも「母親の役割」に対する意識を強めていくわけですが、イギリスのジョン・ボウルビィが発表した「アタッチメント理論」も、それに影響を与えていたと思います。
「アタッチメント理論」の基本的な考え方は、子どもには母性的人物への「くっつき(attachment)」を求める性質があり、それによって子どもは守られるというものですが、その理解にはいくつか注意が必要です。
まず、子どもが求める相手は必ずしも母親ではないこと。
また、親と子ども双方の互いに対するネガティブな情動を見落としがちであるということ。
そして、この理論がイギリスの個人主義的な育児風土で生まれたということです。
ところがこの後、当時の社会状況や日本の伝統的な母性観の上に、母親が愛情を尽くすことで子どもが健全に育つという認識が過剰に日本に広がってしまったのです。
「ニート」や「引きこもり」といった問題を抱える子どもあるいは若者の存在も「アロマザリング」と、それによる母子が適切に離れる時間が減ってしまったことと無関係ではないでしょう。
母親たち自身が今までの「母親の役割」にとらわれたままでは何も変わりません。
人は、赤ん坊の時から周囲の人々と関わる能力を備えています。
一方で、「アロマザリング」を可能にする子育てのネットワークを地域で再構築していくことも必要です。
あくまで母親はそのネットワークの一環であり、子どもは周りの人々との関係の中で健全に育つのです。
特に、発達障害を抱えた育児は、母親が抱えすぎてはいけません。
多くの使えるネットワーク(療育、放課後児童デイ、ショートステイ、学校などの教育関係者、福祉、医療機関、児童相談所などなど)を利用して欲しい。
幼少で発達障害と診断した際には、親御さんには「あなたの子ども」という認識から、「社会の子ども」だと思ってくださいと説明したりもします。
大人が育児や悩みを抱えている様を、子どもが学習すると、子どもも誰かに「助けて」と援助希求できない子供になってしまうこともあります。
その延長上に、ひきこもりやニートなど、自分で悩みを抱える症候群の連鎖が生じてしまいます。
どうか、大人も、しんどい時には1人で抱え込まないで「助けて~」と、フラッグを立ててください。
それぞれができる支援は確かに少ないですけど、支援も「3人寄れば文殊の知恵」的に、集まれば何とかなる気がしてきます。
当院も、その一部になれるようにと思って日々頑張っています!