2025年12月3日水曜日

誤解→被害→対決→解決

 現代は、コミュニケーションツールが多様化したため、文字のみのやり取りが増加し、どうしても簡略化したコミュニケーションが増加していますよね。そうじゃなくても、人は、自分視点が強いので、どうしても相互の「誤解」が増えて、「被害」的になったり、心が病む人が急増している印象です。

 そこで、もし可能なら、双方が、コミュニケーションのレベルを上げて、話し合ったり(「対決」)して、お互いが相互理解になり、「解決」することができればいいなと思っています。結果的に、仲が良くなる場合もあるし、そのまま疎遠になったり、喧嘩別れになることもあるでしょう。でも、ぶつかれたら、次に進みやすくなるなあ~、と思います。または、他者に相談しつつ、どっかで、自分視点だけでなく、他者視点や客観視をして、正しいことなのかどうかにこだわらずに、自分なのか他者なのかを「許す」、または、そうした執着的な囚われから、自分自身が本当の意味で、「離れる」ことができたら、人生は健康的になるな~、と思うことが多いですね。それが、簡単じゃないから、当院の診察の予約も一杯なんですけどね。

 人生をかけて、やる価値があること、それは、自分だったり、他者のことを許したり、執着から距離をとって心の健康を目指すこと。その上で、自分の幸福を追求すること。こっちの方が、絶対、人生は豊かになる。でも、人は、そっちの方が、難しいし、しんどいから、楽な方向として、他者を恨んだり、自分を責めたりして、誰かを問題視する「煩悩」で循環してしまうんじゃないか?とも思います。

 結局、楽な方向じゃないんですけどね。それぐらい、人間は、自分自身の幸福を目指すとか主体的に生きようとする思考に転換することが難しいんだろうと思います。日々の生活の上で、食べるとか歩くとか遊ぶとか寝るとか、なんでもいいので、少し主体的に楽しんで取り組むことが重要な気がしますので、大泉緑地の「樹の道」という林道を今から歩いてきます。