2025年6月25日水曜日

金なんか望むな。幸せだけを見ろ!(北の国からの最終回より)

  僕は、たまに「北の国から」(原作・脚本、倉本聰)を視聴します。特に、遺言編(最終回)で、黒板五郎さんが、遺言の手紙を、子どもたちに向けて書いていて、子どもたちに

「金なんか望むな。幸せだけを見ろ。ここには何もないが自然だけはある。自然は、お前らを死なない程度には十分毎年食わしてくれる。自然から頂戴しろ。そして、つつましく生きろ。それが父さんのおまえらへの遺言だ。」

視聴する度に、僕は、このシーンで号泣しています。お金とか、偉くなるとかじゃなくて、幸せだけを見ることの大事さですね。

 もちろん、お金を稼ぐことは大事だし、偉くなるのも目指すのもいい。でも、何より、自分や自分の近しい人を大切にして、つつましくいきる。正しい生き方であれば、偉くなったとしても、偉そうになったりはしないですよね。五郎さんの遺言である「幸せだけを見ろ!」この言葉を胸にとめて、今日も生きていきたいと思います。

2025年6月18日水曜日

笑う覚悟で頑張ろう!

  大谷選手(ドジャース)は、インタビューで、水谷一平さんの問題で、訴訟などを抱えたり、そうした事件に関して「まだ、僕の中では終わってないです」と話され、瞬間的に、深刻な表情を認め、深い悲しみなどを含めた心の葛藤を視聴サイドのこちらは感じました。でも、その上で、「折角、夢の舞台である大リーグでプレーすることができて、楽しくやれた方がいいじゃないですか?」と、楽しむことに集中しようとする姿勢に、僕は、非常に勉強になりました。

 皆さん、誰もが、生きていたら、なにかとしんどくなるときありますよね。しんどい時こそ、大谷選手の笑顔を思い出して、笑う覚悟で頑張りたいなと思います。苦笑でもいいから。「いたきもちい~!」と言えたら大したもんです。

2025年6月11日水曜日

身近な愛着対象者には、結構、コントロール欲求が出やすいものです。

 怪我をして弱った母、認知機能がやや低下した父、必要な書類を父がなくして、0.5秒で怒ってしまいました。怪我して入院中の母に、退院後の暮らしでの話しをする際も、気づいたら説教していました。僕は・・・。反省しつつ・・・。

 でも、折角、僕は、精神科医なので、自分自身の心のありようを検討したいと思います。

 どこかで、他者をコントロールしたい欲求が、人にはあると思われます。それを、できる可能性のある相手(愛着対象者である親子とか恋人関係とか)にだけ、表出するのだろうと思います。

 まあ、単純にいうと、幼児心性ですかね? 甘えのような。自分の心は、20歳で医学部入学したあたりから、成長は、止まっているような感覚があります。

でも、こうして自分を分析できているのは成長かな?とも思います。その上で、対処法にも言及してみたいと思います。こうしたコントロール欲求が、自分にあることを認め、そこを異常視したり、否定したりをしない方がいい。自分自身に心理的に抑圧や反省をしすぎない方がいいです。こうした心性は、誰しもがあるものです。そこを認めた上で、誰かに、怒っちゃった~と吐露したり、怒っちゃいそうになったら距離をとったり、心理的に余裕を持つことが大事になりますね。

 繰り返しますけど、過度な反省をすると、自分を責めて、自分の心が小さくなるから、余計、怒りそうな状況になったら、自制力が効かなくなり、余計怒っちゃうから気をつけましょう。だって、長年精神科医をしている僕だって、こうなっちゃうんだから、安心してください。誰でもそうなるもんだってことを。

2025年6月4日水曜日

「こんにちは」「さようなら」の意味も太陽に関係があった。

 「こんにち(今日)は」の今日は、太陽をさします。「今日は」という挨拶は、「やあ、太陽さん」という呼びかけであったのです。「元気ですか」の元気とは、元(もと)の気(エネルギー)という意味なので、太陽の気(エネルギー)をさすことになります。つまり、「今日(こんにち)は、元気ですか」とは、あなたは、太陽のエネルギーが原因で、生きている身体だということをよく知って、太陽さんと一緒にあかるく生きていますか、という確認の挨拶ということになります。それを受けて「はい、元気です」と答えます。つまり「はい、太陽さんと一緒に元気に生きていますよ」と応答するわけです。

 それから「さようなら、ご機嫌よう」となります。機嫌とは、気分とか気持ちという意味です。つまり「太陽さんと一緒に生活しているならば、ご気分がよろしいでしょう」となります。「今日は、元気ですか」「はい、おかげ様で元気です」「さようなら、ご機嫌よう」には、「きょうは、太陽さんと一緒にやっとるかね」「おかげさまで、太陽さんと生きています。」「それならば、気分はいいわね~」と太陽さんと繋がっている日本伝統の挨拶であったのです。