2019年12月5日木曜日

お知らせ

新元号となり皇位継承に際して行われる一連の宮中祭祀も行われておりましたが、平成から令和に変わった今年も残すところ後1ヵ月となりました。
また、昨年(2018年)までは12月23日は天皇誕生日の祝日でしたが天皇退位後は平日となる為、12月は年末年始を除いて祝日が無くなってしまいましたね。
因みに来年(2020年)は、新天皇の誕生日は2月23日で6月と12月で祝日がありません。

当クリニックも開業して約2年数ヵ月が過ぎ、今年で3度目の年末を迎えます。
今年1年を振り返り最も大きな反省点として、今年は1度も「地域セミナー」を開催できなかったことです。
患者さんやそのご家族の皆様には、診察やカウンセリングでサポートすることを常に念頭に置いていましたが、その後方でサポートされている地域(学校や役所、児童相談所や療育や放課後児童デイなどの関係者)の方々に対して、 当院で開催する 「地域セミナー」を通して、 少しでも精神科の薬物療法や、心理教育などの情報を共有できればと思っていました。
私自身がクリニックを開業するにあたり定期的に行っていこうと決めていたことの1つなので、言い訳をたくさん言いたい気持ちではありますが、開業1年目には開催していた「地域セミナー」を継続して開催できなかったという意味も含めて猛省しております。
来年は、地域医療をさらに意識し、児童精神科を中心として家族を支える訪問看護との連携もより緊密にしていくことを念頭に置き診療をしていきたいと思います。
また、私自身の診療や当院心理士のカウンセリングにつきましても、今後もさらなるレベルアップをしていきたいと考えています。

それに伴い、現状の診療体制の変更が必要と判断しました。
具体的には、令和2年2月からは、第2、第4(偶数週)火曜日は午前の診療のみに変更させていただくこととしました。
当院は土、日、祝日は診療しておらず平日も夜遅くまで診療をしていないなど、ただでさえご不便をおかけして申し訳ないのですが、当クリニックが今後治療的に成長していくためには必要なことと判断しております。
ご了承の程、よろしくお願いいたします。 

来年の目標は、診療の改善点として上記にもありますが、私自身の診療の質の向上のための時間をこれまで以上に持ち、また当院の心理士と精神科医である私との協同による相乗効果の治療で効果をよりあげていけるようにしていく時間をとろうと思います。
そして当院と連携している訪問看護ステーション(児童精神科の訪問看護)との連携をさらに密にしていき、来年度こそは当院で「地域セミナー」を開催して、学校の先生や役所の子育て支援課の方、療育などでサポートしているスタッフなどにも情報を共有していくことで、患者さん、そのご家族や地域をサポートするという開業時からの目標に少しでも近づけていきたいと考えています。
また、私自身としては来年厄年なので、自分の健康管理をより意識し自分の家族をサポートする時間をもう少し増やして、家族の健康も増進できるようにサポートしていきたいと思います。 

令和2年9月で3年目を迎えます。
このクリニックを開業時、開業して3年で何とか目指していたことを具現化していきたいと考えていました。
そのために、やるべきことを自分なりに判断していきたいと思います。
このクリニックでは、 これからも医師は私だけでやっていこうと考えています。
どうしても私自身が対応できる人数しか診療はできないため、同時にたくさんの患者さんを診療することはできません。
そのために、現在はやむを得ず初診を制限せざるを得ない事態となっております。

当院ご利用の患者さんには大変ご迷惑をお掛けいたしますが、何卒、ご理解とご協力の程よろしくお願いいたします。




2019年12月2日月曜日

年末年始の休診日のお知らせ

令和元年
・12月28日(土)休 診
・12月29日(日)休 診
・12月30日(月)休 診

・12月31日(火)休 診
平成2年
・1月1日(水)元 旦
・1月2日(木)休 診
・1月3日(金)休 診
・1月4日(土)休 診
・1月5日(日)休 診
1月6日(月)より通常診療いたします。
ご了承の程、よろしくお願いいたします。

2019年10月24日木曜日

予約時間・予約変更・診察時間についてのお知らせ

開業して2年が経過し、たくさんの方に通院いただいています。
「待ち時間が長くなる」場合が多くなってきましたので、改めて当院では診察時間の枠組みを明示することとしました。


◎予約時間について

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予約時間につきましては目安の時間になりますので、ご了承ください。
(例えば10時予約ですと、10時 ~10時半までの枠となります)
・基本は予約時間帯毎にお越しいただいた順番で診察させていただきますが、内容や状態によって前後する事もあります。
・予約時間よりかなり早く来られた場合でも予約時間帯毎ですので、予約時間枠通りに来られた方を優先し診察させていただきますのでご了承ください。


◎予約変更について

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当院では、前もってご予約をいただいている方の診察時間を優先しております。
そのため、急な日程変更や当日来院のご要望は、薬が無くなった等のご事情があったとしても、お受けできないことがあります。
ご理解・ご協力のほどお願いいたします。


◎診察時間について

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・初めて診察される方はおよそ30分
・2回目以降の診察はおよそ5分~10分


少しでも楽になっていただきたいという考えは開院当初と変わっていません。
限られた時間で一人一人の方と治療的に向き合うため、当日「伝えたい」「確認したい」内容を簡単に予約表等へメモしてきていただけるとスムーズにお話しができます。
「何から話せばよいのか…」「言いたいことが上手く伝えられない」等ご不安な場合は『一番気になっている・聞きたい事』を書いたメモをご参考に診察時お話ください。

「1ヶ月に一度の通院だと話す事がいっぱいありすぎて時間がたりない、もっと話を聞いてほしい…」というお声もいただいています。日常のストレスをためすぎるとしんどくなってきます。ご負担でなければ3週間に1度、2週間に1度という風に周期を短くして都度肩の荷物をおろしていってください。

また、当院では心理士のいる曜日がありカウンセリングをおこなっています。
伝えきれない事や、医師には話にくい事でも心理士になら話せる事があるかと思います。カウンセリングについて料金や日程等、受付へお気軽にお尋ね下さい。
来院自体が初めての方は診察からになりますが、2回目以降はカウンセリング予約をとっていただき当日おこしください。カウンセリングのみ希望で診察が必要ない場合はご予約時・もしくはカウンセリング開始までに受付へお申し出下さい。
※ ただし、お薬が必要な時は必ず診察をおうけ下さい。



2019年10月10日木曜日

医師になろうと思ったきっかけ

前回のブログでは、精神科医を選択したきっかけについて少しご紹介させていただきましたが、今回の内容も前回同様「先生は、なんで医師になろうと思ったんですか?」と患者さんに聞かれることがあるので、今回はもう少しさかのぼって医師を志したきっかけについて少し触れさせていただきたいと思います。

僕が医師になりたいと最初に思ったのは、小学生の低学年の頃でした。
それは、自分の曾祖母の遺体を初めて見たことがきっかけでした。
あまり意味も解らず両親に連れられていったお通夜で、顔にそっと白い布を置かれた曾祖母らしき人が布団に寝ていました。
幼かった僕は全く何も考えず、その白い布をとり、曾祖母だと確信したと同時に亡くなっていることを直感的に感じ、びっくりして母のもとにかけよったことを今でも鮮明に覚えています。

身近な人の「死」というものを直面したその夜、幼いながら初めて「死」というものについて考えました。
まず、自分もいつかその日がくるということを考え、そして先に両親にもその日がくるということを考えると、為す術の無い恐怖で怖くて怖くて眠れず、両親の布団にもぐり込み両親の間に挟まりながら何とか少しずつ気持ちが安心していくのを感じ、ようやく眠れたことを思い出します。

その日以降「死」を意識するようになり、その影響で同時に自然と「生きる」ことも意識し、人間的に成長していける仕事に就こうと漠然と考えるようになったのです。
なので、幼かった当時の僕は、現実に触れることのできる距離で身近な人の亡骸を目の当たりにし「死」を意識させられたことが最初のきっかけで「生」を意識し、その延長で「仕事」を意識するようになり医師という職業に直結していったのかもしれません。

もちろん、きっかけを振り返ったときのこじつけととらえる事もできますし、その後、色々なモノの影響があったりするので全てではありませんし絶対確実なものでもありません。
あくまで、40歳の今の自分が振り返り語っているので、多分に脚色が入っているような気もしますが、その出来事で子どもの頃に眠れぬ夜を過ごし、多少かもしれませんが、それ以降の人生に影響があったことは事実です。



2019年10月3日木曜日

精神科医を選んだ理由

先生は何で精神科医を選んだんですか?と患者さんに聞かれることがあります。 
今回のブログは、小学生の頃に抱いていた夢から医学生時代を振り返り、全ての理由ではありませんが、僕が精神科医を選択した理由について少し触れたいと思います。

僕は小学生の頃、当時読んでいたある漫画の影響もあり、内科でも外科でも何でも診れる総合診療医になりたいという夢を持っており、いつの日か診療所を開業して地域で信頼される医師になりたいと思っていました。

しかし、みなさんもご存じのとおり、医師といっても、それぞれ専門領域が違い、それぞれの診療科目があります。
医学部に進学し、外科、内科等の診療科目や専門領域は関係無く一通り医師としての勉強や実習を行っていく中で、どの領域に進もうか、または総合診療医になるにはどう進んでいこうか、などと決めて行かれた先生も多いと思います。
僕自身もそういった医師の卵の一人でした。
※ もちろん、診療科目や専門領域は既に決まっていて、その意思をずっと貫く先生もたくさんいらっしゃいます。

よく仕事には、頭脳労働、肉体労働、感情労働の3つに大別されるといわれます。
ほとんどの仕事でもそうですが、あくまで大別されているだけであって、頭脳、肉体、感情の占める割合だということは言うまでもありません。
医師も同様に、どの診療科目であっても、それぞれの要素は必要不可欠ではありますが、僕が学生時代に、個人的に漠然と感じた占める割合の多さは、外科系が肉体、内科系が頭脳であるということでした。

正直なところ、学生時代には明確な選択の答えは出ず、医師となってから、医師である前に自分は人間として少しでも成長していきたい、そのために人間性を一番問われる仕事で勝負したい、と考えるようになっていきました。
その時に、僕が医師を目指したのも3つの中で感情労働を大事にしたかったんだということに気づきました。   
そう考えていた際に、精神科の診療をみて、これが僕の仕事だと思ったのがきっかけです。
それに児童精神科という専門領域を知って、児童精神科に進めば子どもから大人まで、すべての人生に関わるという「総合医」になれるな、と腑に落ちて精神科を選択して今に至ります。

子どもの時に夢みた総合診療医にはなれなかったけど、子どもから大人、老人まで、老若男女の患者さんに、このクリニックに来ていただき、あらゆる精神的な疾患を総合的に「心療」させていただいています。
「総合診療」ではないけど「総合心療」で、地域にちょっとでも支えになれるように、子どもの頃から抱いていた夢に向かっていけたらいいなあ~と思って、前進していきたいと思います。



2019年9月26日木曜日

親子で気持ちを伝えあいたいときに、大切にしておきたいこと

僕は精神科医という職業上、普段ある程度感情のコントロールはできていると思っています。
ただ、もちろん完全にコントロールできているわけではなく、感情的になってしまうこともあります。
僕が普段の生活で、一番、感情的になるのは自分の子どもと接している時です。

まず、親として前提に子どもに願っているのは、健康的に成長して欲しいし、将来子ども自身が主体的に生きて自立できるようになってほしいという思いで関わっています。
そのため、子どもができていない部分が、どうしても目についてしまい、感情的に叱責してしまうことがあります。

例えば、以前伝えたことを子どもが繰り返し行ったときなど、親である僕の立場としては、あの時あれだけ一生懸命伝えたのに、なぜまた同じことをことを繰り返すのか?... と感情を揺さぶられ、子どもにより強く怒ってしまうという羽目になります。

先日の連休に、子どもと接する時間ができたので、子ども側の意見を尋ねてみたところ
「お父さんが怒って言ってくる時、何で怒られているのかよくわからない。こっちの話は聞かないで一方的に怒ってくるやん。」
と勇気を出して、娘が言い返してくれました。

親側の立場である僕としては、どうしても子育てにおいて強く願う気持ちに比例して感情的に訴えかけてしまいがちです。
しかし、子ども側からすると、まず親が怒っている状態だと冷静に親の話が聞けない状態になっています。
しかも、その上で親が叱責してきます。

子ども側の視点でみると、親は、感情的で早口で否定語が多く話が長い、と、子どもの頭の中はパニック状態で、どう対応したらいいのかがわからなくなってしまいます。
また、その後落ち着いた状態になっても、子どもが親に伝えられた事に対して改善を試みるという気持ちにはなりません。
むしろモチベーションは低下し、自分のことを否定されたと思って、余計に親の言うことを理解しようともせず、親に嘘をついたりするという悪循環サイクルになっていきます。

親である僕自身が感じたのは、長く生きている親の方が、まず一旦冷静になり基本に立ち返り、きちんと伝え方を工夫することが大事だということです。
まずは親自身が、なるべく感情的にならず端的で且つ具体的にやって欲しい行動を伝えて、子どもが前向きな行動をとろうとしたら不十分でも褒めるようにして、我慢強く本人と関わるようにすることです。
そして、子どもの言い分を決して怒らないから教えて、というスタンスで、さらにもうちょっと我慢して子どもが自発的に言えるまで待ってあげて、子どもの言い分に耳を傾けてあげないといけないな、と思いました。
でも、なかなかうまくできてないですけど。


最近、どうしても時間がなくて、子どもに〔 指示的 > 支持的 〕に関わりがちでした。
子どもが、こうして勇気を振り絞って僕に伝えてくれたことを真摯に受けとめて、関わり方を少し変えるように努力していこうと思います。

子どもと一緒に成長できるように頑張っていかないとな~、と思ったシルバーウィークでした。



2019年9月19日木曜日

先日、おっさん3人組で山登りに行ってきました

先日、おっさん3人組で、念願の大峯山に登山に行ってきました。

大峰山(おおみねさん)は、奈良県の南部にある山で、現在では広義には大峰山脈を、狭義には山上ヶ岳(さんじょうがたけ)を指すとされています。
この大峰山脈の中で修験道の聖地であるのが山上ヶ岳です。
この山上ヶ岳のことを大峯山といいます。
大峰山と大峯山で読み方は同じですが「みね」の字が違いますね。

現在でも女人禁制の山とされている日本で唯一の山で有名ですが、この一帯は古くから修験道の山として山伏の修行の場であったこともあり、頂上にある大峯山寺にお参りするため、高野山や各地のお坊さんなど、行者姿で登山されている方がたくさんおられるところは通常の登山との違いかもしれません。

8月の暑い時期での登山でしたが、山はとても涼しく自然の空気や景色を堪能して心身のリフレッシュになり、メンタルとフィジカルのバランスを保つ良い機会だったと思います。
普段から個人的にはそんなに好んで食べることはありませんが、そこで食べたバナナの味が、いつもとは比べ物にならないうまさでした。

山頂の景色はこんな感じです。

下山してからは、清流のせせらぎを感じつつ、鮎とビールで舌鼓を打ち、温泉で疲労回復してと贅沢な時間を過ごし、 普段とは違った環境で景色やその土地の人との交流を楽しむことができました。

何より仕事を通じて出会えたおっさん3人で楽しめたことが、とても嬉しかったです。
時期や時間、また環境や場所、そのタイミングで誰とどのように過ごすのかということを改めて考えつつ、今度、またおっさん3人組で、年に1回は遠足に行くことを楽しみにしています。



2019年9月5日木曜日

9月で当院は開業して3年目に入ります

おかげ様で、今年の9月で開業して3年目に入ります。

この2年間、僕の家族、診療の運営を一緒にしてくれているスタッフ、診療の後方支援をしていただいている方々、そして、何よりも、この発展途上にある未熟なクリニックにご来院してくださる患者さんやそのご家族に厚く御礼申し上げます。

この場をかりて、感謝の想いを伝えさせてください。
開業当初の想いは、当院のホームページの最初の挨拶でも述べさせてもらっていますが、ある程度できている部分と出来ていない部分があります。
これからもこの出来ていない部分、つまり伸びしろをしっかり伸ばしていって、地域に根付いた少しでも治療的なクリニックになっていけるように前進していきたいと思っています。

僕は、根本的に弱い人間で、その弱さのおかげで、たくさんの人との縁に恵まれたと思っています。
哲学者で教育学者の森信三先生の言葉で、

「人間は一生のうち逢うべき人に必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎないときに。しかし、うちに求める心なくば、眼前にその人ありといえども、縁は生じず。」


という言葉があります。

人は、出会うべき人と絶妙のタイミングで必ず出会える。
ただ、自分の心が求めていなければ、目の前にその人がいても縁は生まれない、という意味です。

僕が開業してから今日まで、大切な縁に恵まれて今があります。
このクリニックで一番大切にしたいのは、人と人とのつながりです。

これからも、ご支援ご鞭撻の程、どうぞよろしくお願いします。







2019年8月29日木曜日

先祖供養がきっかけで感じたこと

みなさん、お盆休みはどのように過ごされたでしょうか?

今年のお盆休みは、僕の両親が福井県出身であるということもあり、親孝行も兼ねて両親を福井県に連れて行きました。
福井県に行った際は必ず、我々作田家の菩提寺である西雲寺というお寺に行ってお参りをさせていただいています。
西雲寺には立派な枝垂れ桜があり、春には境内を華やかに彩ります。

綺麗に手入れされた庭から本堂にあがらせていただいた際に、本堂の柱に貼られていた教えが目に飛び込んできました。


「人間は悲しむとき、最も深く人生を生きている」

これを見て僕の心のどこかが共鳴したのか、胸が一杯になり目に涙があふれてしまいました。

日々の診察でも、たくさんの悲しみを背負われて来院される患者さんがおられます。
そこでしてあげられるサポートはいつも些細です。

仏様が天からそう思われている。。。
そこを大切にしたい。。。
そう気づかされたお盆休みでした。





2019年8月8日木曜日

リアルが一番 治療的に作用する

僕にとって日々の診察は緊張や不安を伴い、また苦痛を伴った行為でもあります。
なぜなら、自分の力量不足を日々感じているし、いろんな部分で限界を感じるからです。

限られた診察時間と、治療の資源、何よりも人間性も含め僕自身の診療の技術が足りていないことを実感しています。
もしかすると、臨床の場で患者さんと向き合い続けている限り、この部分は永遠の課題なのかもしれません。
そのため、日々、いつもどこかで、常に無力感が自分に襲ってくるので苦痛を感じるんです。

でもそんな苦痛との背中合わせの中ででも、最近実感していることがあります。
なるべくリアルな関わりをすることが大切だということです。

患者さんが僕に伝えようとしてくれたことを、リアルな自分がどう感じたかを伝えることが、非常に治療的には大事なことなんだということです。
この「リアルな自分」というのは、僕自身の心の中が、ある程度の範囲内で安定していて、心のよどみが少ない状態の自分ということだと思います。
その状態にして感じたことを相手に伝えていくと、段々と治療的に前進していくことが多いことに気づきました。
「リアルが一番 治療的に作用する」こう思って、診察に向き合っているのが、最近の僕の中の意識です。

診察場面で患者さんに対して、嘘っぽくなったり、表面的な返答とかでの対応になってしまったり、治療的な技術、つまり、患者さんを何とかしてやろうと操作するような会話を意識すると、何か診察室が滑ったような寒い空間になることがあります。
これはもしかすると、患者さんが相手の対応を意図せず見透かしてしまうことがあるのかもしれません。

「フィクションとしての関わりは、治療的には進みにくい」この辺のバランスとかについて、現状、色々模索し苦慮しながら邁進中です。



2019年7月25日木曜日

さんまさんはすごいな~

いつも明石家さんまのトーク番組を見るたびに「すごいな~」と感心します。
何がすごいって、全てが笑いに変わるからです。
しかも、相手を貶めることなしに。

きっと、さんまさんにとっては、相手が誰であっても対等なのかな、と感じます。
『笑いの前では誰であっても平等』みたいな空気を感じます。
それに、どんな深刻な話だとしても、さんまさん自身は「人は誰でも、生きているだけで丸儲け!」という超越した思いを持って、慈愛を持って対応しているように感じるんです。

そして、個人的には、自分は死ぬまで人を楽しませるんだという覚悟のような決意のようなものが、悲壮感なしに颯爽と感じます。
何より、カメラの前ではなるべく笑いについて審査や評論をせず、笑いを分析するような野暮なことはせず、あくまで一生芸人としてのスタイルは誰もまねできないような気がします。

伝説の治療者といわれるアメリカの精神科医、心理学者のミルトンエリクソンという方がいるのですが、その人も決して、治療を体系化したりしてこなかったそうです。
僕には「日本のミルトンエリクソンは、明石家さんまさんじゃないかな~?」と思ったりします。

さんまさんのカウンセリングとかがあったら、どんなに悩んでても、「そっか~。生きているだけで丸儲けやな~」「そんな問題、大したことじゃないな~、むしろ、おいしい!」と認知が無理やり、笑わされて修正されてしまうかもしれませんね。
さんまさんに関わると、人生はすべてバラエティーなんだな~と不思議と笑えてきます。
僕も、そんな治療者、支援者になりたいな~。



2019年7月18日木曜日

夫婦や家族がうまくやっていく方法について

普段の自分の生活や診療の中で患者さんのお話を聞いていても、夫婦や家族の関係をそれなりに維持、運営していくということって、結構難しいことだな~、と思う日々です。

そんな中、先日、自宅でテレビをつけたら、番組企画の中で、とても仲の良さそうな素人の夫婦がリポーターに、「夫婦が仲良くやっていく秘訣は?」とインタビューされている一場面がありました。
その夫婦は、「うまくやっていくコツは、深く考えないこと、考えたってどうしようもないことばかりだから。」と返答していました。
また、その番組の中で、お笑いタレントのヒロミさんが、夫婦がうまくやっていく秘訣は「夫婦は、お互いに補い合っていくことが大事!お互いに50点+50点でいい。不完全な人間同士が一緒に補い合って100点を目指せばいいんです」というような内容のコメントをしていました。
ヒロミさんの奥さんといえば松本伊代さんですが、テレビで拝見するイメージでは天然キャラが真っ先に浮かぶだけに、自分にとっては妙に納得のいくコメントでした。

どうしても、夫婦関係では相手に求めすぎたり、どっちが正しいかとか、きっかけにすぎない事柄に白黒をはっきりつけたがったりしてしまいがちです。
個人的には、そんなことなんかで、いがみ合ってちゃいけないな~、と思う日々です。

あくまで、夫婦、家族は、お互いに助け合っていく必要のあるチームであること、もし仮に、いがみ合っている状態であっても、相手を今の自分ができる範囲の中で大切にすることが大事だと思います。

たとえば、暴言を吐かない、叩かない、そうなりそうなくらいなら、口を聞かないことやその場から離れることも大事だと思います。
逆に、自分に受容できそうな冷静さと余裕があり、相手にもそういう雰囲気を感じ、一触即発の状態から脱している状況ならば、謝れなくても、とりあえず一緒にその場にいるということも選択の1つだと思います。
その他にも相手の好きなものを買ってきたり、できるだけ、周囲の人に色々アドバイスをもらったり、客観的に考えるようにすることが重要なことではないでしょうか。

ただ、もちろん状況やタイミングの中で、関係に距離をおいたり、別々になることがその状況での最善の選択である家族がいることも事実ですので、それを否定するつもりは毛頭ありませんが、夫婦関係や家族関係は、何度も何度も繰り返し補修しながら築いていけたらいいなぁと思います。

そのために、このクリニックが支えれる部分で貢献できたら嬉しいです。



2019年7月11日木曜日

『弱さをさらけだす勇気』という本

先日、2020年 東京オリンピックのチケット抽選が何かとメディアに取り上げられていましたが、日本でのオリンピック開催もいよいよ来年、約1年後となりました。
国際スポーツ大会の解説や応援といえば、やはり、元プロテニス選手でテニス指導者でもある、松岡修造さんですよね。(笑)

僕は、松岡修造さんが好きです。 
今回のブログタイトルになっている本の著者でもあります。
何となく、勝手に自分とシンパシーを感じている部分があります。

それはどこかというと、自分の中に気弱な自分や不器用で硬い自分がいること、それを基点にして外に向かっていくエネルギーに変換しているところ。
後は、純粋なところ、暑苦しいところなどなど、何かシンパシーを感じるんです。
松岡修造さんの言葉は、非常に暑くてユーモアがあり、でもストレートに僕の心に突き刺さります。

ブログのタイトルにしているので、この本について少し触れたいと思いましたが、個人的感想としては、この本については題名が全てだと思っています。
自分の中にある弱さを怖がらずにさらけだし、自分なりに向き合うことで、人として成長していくことが、人生で最も重要なことのように思います。

僕も、日々自分の心の弱さとぶつかっていますし、隠すことに無駄なエネルギーを浪費しているな~、と思うこともよくあります。

当院に通院されている小学性の患者さんに、発達障害や知的障害などの理由から、 医師の立場として、支援学級の利用を勧めることがあります。
多くの場合は、本人からすれば、最初、こうした診断が出たことのショックや、支援学級を利用することで「他児からどうみられるのか?」「いじめられないか?」といったことで、支援学級を利用することをひたすら拒否されることもあります。
しかし、数ヵ月通院していく中で、そうした不安が少しずつ取り除かれて、自分の中の弱さや不安と向き合って、支援学級の利用を自ら選択するようになっていかれることがよくあります。
僕は、「本当に勇気があるな!偉いね!」と思います。
誰しも、自分の中で隠しておきたいことってあると思いますが、その自分の弱さという殻を破って、支援を受けることを、自分の中で受容できるようになることが、その人の本当の強さだと思うからです。

-〈一部引用〉-----------------
弱さは見せていいんです。
むしろ、さらけ出してしまった方がいい。
そんな弱さがあるからこそ、乗り越えたとき、僕たちは強くなれる。
そう松岡修造は確信しています!
------------------------------------ 
だそうです。
もちろん、同じく僕も確信しています!



2019年7月4日木曜日

「子どもがどうやったら、自分から勉強するようになりますか?」と、親御さんに質問されて感じたこと

親であれば、子どもが自発的に勉強して、良い成績をとり学歴をしっかりつけ、この社会で生活していってほしいと、だれもが思うところですよね。
一般的な話を例にすると、母親は特に子どもと接する時間が長い分、つい感情的に〈怒る〉というレベルに達してしまい「いい加減、ダラダラしないで勉強しなさい!」といった具合に、『アニメ ドラえもん』の、のび太君のお母さんみたいに、頭に角をはやし牙をむき出しに雷を落とす、といったことってありませんか?
アニメでは、のび太君は勉強したフリをして遊びに行く~、みたいな流れで話が展開していくわけですけど。。。

まず、「子どもがどうやったら、自分から勉強するようになりますか?」という質問で、 親御さんが子どもに指示を出すときに、
A. イライラをそのままぶつける状態で感情的に言っているのか、
B. 子どもの成長を思って言っているのか、
が最初の大きな分かれ目だと思います。

〈怒る〉〈叱る〉は違います。

〈怒る〉は、自分の感情を相手にぶつけることです。
子どもが勉強をしないことで、親が勝手に不安になっている状態で、感情的に怒鳴って子どもを叱責しても、本人の不安というよりもむしろ親の不安にとって変わってしまい、子どもの主体的な不安にならず当事者意識が薄れてしまいます。
イライラした状態で感情的に言われた指示で、その圧力に屈して、子どもがとりあえず勉強しても、あくまでイヤイヤでやっているので成績は伸び悩むことが多いですし、仮にそれで勉強ができたとしても、その後の人生で主体的に取り組む力が育ちにくい気がします。

人間は、本来繊細で自由を好む生き物ですので、奴隷の状態が、一番仕事や勉強の効率が悪くなり、勉強は嫌いという認識が強まったり、主体性が乏しい子になりやすいような気がします。
重要なのは、自らが主体的に取り組もうとしなければいけないということです。 
結局は、人生は受け身ではいけないということです。

反対に〈叱る〉は、相手を本気で心配し、注意することです。
どうしても人間ですし、特に家族に対しては甘えも生じ感情が先行してしまいがちです。

だからこそ、家族だからこそ、自分の今伝えようとしたことは、
・ただ、自分の感情を相手にぶつけただけなのか?
それとも、
・相手のことを本気で心配して発言したことなのか?
を自問自答することが大切だと思います。

しばしば、僕も家では感情が先だって、家族を傷つけてしまいます。
申し訳ないな~と、最近反省の日々です。

つくづく、日々意識しておきたいことだと思います。
繰り返しになりますが、どこかのタイミングで子ども自身が主体的に行動を起こそうと思わない限りは、継続的に成長していくことは難しいと思います。
そうやって、子ども自身が自らを成長させることを愛を持って観察し、認め、支えてあげることが、親の役割だと思います。
結局、子育ては、親育て!
親である自分を育てるということなんだな~ と実感する日々です。


2019年7月1日月曜日

新しい仲間が増えました

クリニックに新しい仲間たちが来ました。
観葉植物たちです。
クリニックの一員として、すくすくと育ってくれればと思います。
そして、ほんの少しでも、お手伝いをしてくれればと。。。(笑)









2019年6月20日木曜日

「イラッ」としたら「6秒ルール」

人間のもっているさまざまな感情を表す「喜怒哀楽」という四字熟語がありますが、「怒り」は誰もが持っている自然な感情です。 
ただ、この「怒り」の感情というのは、一瞬の爆発力のようなものがあり、その爆発のエネルギーを解放したことにより後悔してしまった、という経験は皆さんも一度くらいあるのではないでしょうか?
もちろん自然な感情ですので、この感情自体を無くすことは、かえって不自然な状態になるわけで、この「怒り」の感情を、いかに上手にやり過ごすか、ということがとても重要です。

今回は、1970年代にアメリカで開発された「アンガーマネージメント」という心理トレーニングの一つをご紹介します。
この方法を意識すれば、誰でも怒りの感情をコントロールできるようになるといわれています。

まず、怒りの感情のピークは「6秒」といわれています。
ですので「イラッ」としたら、まずは怒鳴る前に心の中で、ゆっくり「6」まで数えます。
そして、例えば「大丈夫、大丈夫」「こんなことで怒ってどうする?」「どうってことない」など、心が落ち着くフレーズを繰り返します。

少し掘り下げて説明すると、私たちが怒っているとき脳内では「大脳辺縁系」という情動を司る部分が活発に働いています。
ものすごく簡単にいってしまうと、この大脳辺縁系が活発になると、「アドレナリン」という興奮作用のあるホルモンが分泌されるなど、体内で緊張した状態が生まれます。

実はこの反応は、怒っているときだけでなく、不安や恐怖などのピンチを感じたときに起きている変化と同じものなのです。
つまり、怒りとは、自分の身を守るために欠かせない本能なのです。
しかし、強い怒りに振り回されると冷静な判断力が低下し、衝動的な言動を取りやすくなってしまいます。
「ムカッ」となって怒鳴ったり、手を上げたりするのは、この脳の変化が起こしています。

しかし、こうした衝動的な怒りは長くは続きません。
大脳辺縁系の活性化を合図に、今度は、前頭葉が働いて激しい情動にブレーキをかけようとするからです。
前頭葉には、思考や創造性などの理性を担う部分があり、人間の情動をコントロールしています。
そのコントロールにかかる時間が「6秒」といわれています。
多くの人は 「6秒」 あれば、理性的な判断ができるようになります。
そのため、怒りの感情は 「6秒」 をピークに、あとは下降すると言われています。

頭に血が上るようなできごとに遭ったら、相手に言い返したり、行動を起こしたりする前に、この「6秒ルール」を試してみてください。



2019年6月13日木曜日

「精神科医という仕事をしていてどうやって心身の健康を保っているの?」という質問に対して自分なりに感じたこと

今回のブログは、最近、自分の住んでいる地域の方々と集まって飲み会をする機会があり、そこでの話題の1つをご紹介したいと思います。

日々の生活において、例えば仕事や家事、子育てなど、もちろんみなさんがとりまく環境や状況はそれぞれ異なる中で、ストレスを抱えていらっしゃる方も、たくさんおられる思います。
そんな時、『他の人は、どうやってストレス解消をしているのかな?』『どうやって、イライラしない状況を作っているのかな?』『あの人は、あんな仕事をしているのにストレスがたまらないのかな?』と、疑問に思ったことはないでしょうか。

その飲み会の席でも、おそらくそんな疑問をお持ちだった方が、会話の流れや精神科医の僕がたまたま居合わせた状況の中で、ふと話題にされ、ご質問をされたのだと思います。
「精神科医という仕事って、すごくストレスがたまると思うんですけど、どうやって心身の健康を保っているんですか?」と尋ねてこられました。

もちろん、精神科医という仕事が他の仕事と比べて特段ストレスがたまるとも思っていませんし、ストレスの質や量などは比べることなどはできませんが、改めて、その質問に対して自分でも考えてみました。

個人的に、心身の健康を保つために大事にしていることは、食事、睡眠などのバランスを大事にすることを大前提として意識しています。
そして、なかなか状況により難しいことが多いですが、診療(仕事)と休息のバランスをなるべく保ち、週末はできるだけ診療をせずに心身を休養するようにして、自分や家族のための時間に充てるようにしています。(最近、これもなかなかできなくなっていますけど。)
また、自分や自分の近い人(当院のスタッフ、家族、その関わっている方々)との相互の関係が少しでも良い状態に保てれるようにと意識することで、結果的に自分へのストレスを軽減しています。
一大決心でクリニックを開業し、最良のパフォーマンスを患者さんに発揮できるようにと、開業前に散々悩みに悩んで自分なりの今の診療スタイルになっているのも、もしかすると、このストレスというものとどう付き合って行くか、というのが当時の自分の中で大きな割合を占めていたのかもしれません。 

しかしながら、みなさんもご承知の通りこのストレスというものはこうしてるから万全というものではなく、恥ずかしながら、時々、患者さんから「先生、顔色悪いけど大丈夫?」「先生の方が、しんどそうやけど大丈夫?」と、<患者> ⇔ <医師> の関係が逆転してまう時もあります。
ですが、不思議とそれが一体感になり、治療的にはそこまで悪影響を及ぼしていないような気もしています。(本当のところは、どうでしょうか?)

でも、実際のところ自分が一番ストレスにそこまで悩まないでやってこれた理由は、やっぱり僕は、この精神科医という仕事が好きなんだと思います。
この仕事をしてて飽きたと思ったことはないですし、日々、診療でうまくいかないことがあると悔しい気持ちが襲ってきます。
それとは反対に、ちょっとでも患者さんに治療的に関われたな、と実感できたら自分のこれまでの生きてきた中で生じた罪悪感のような心のつかえのようなものが一瞬消えて何か満ち足りた気持ちになります。(ただし、一瞬で消えますけど。。。)


でもこれは医者が味わえる「おいしいところだな~」なんて思ったりもします。
その一瞬の爽快感というか高揚感のような感覚を何回も味わっていきたいから、それが一番の原動力であり僕が精神科医をしていてそこまでストレスを感じないところなのかな?と思いました。

『あれ?!お酒の席での会話なので楽しく打解けた雰囲気なのに、こんな感じで大丈夫かな?結局、真面目か!』
と思ったので、その飲み会ではもう少しざっくばらんな感じの回答になりましたけど。。。(笑)



2019年6月6日木曜日

人は常に変化しつづけている

人間は37兆個の細胞で出来ており、常に体のどこかで細胞分裂を繰り返しています。
赤血球は120日、内臓であれば2~3ヵ月、骨でも3年で細胞はそっくり入れ替わってしまうといわれています。
おおよそ7年も経過したら、すべての細胞は完全にリニューアルして別人?になっています。
すごいですね~。体の不思議!

ここから感じること、学ぶことは、僕にとって大きく2つあります。

1つ目は、人も含めて常に多くのことが変化をし続けているということです。
実際の治療場面でも、患者さんを診察していて「あなたは変われる!」と思って関わらせていただくと「小さな変化」にも気づけます。
そして、その「変化」を受容、共感しながら支援していくと、いつかは「小さな変化が大きな変化につながる」これを『さざなみ効果』と心理学的には呼んだりしています。

つまり、困ったときこそ、西川きよし師匠療法ですね。「小さなことからこつこつと!」
あなたは、変われる、変わりつつあるよと、気づいてもらうことのお手伝いができた時は、その声掛けは「言葉のビタミン」になります。
しかし、「また、やったの!」とか「あなたは、変われない、いつも、同じ失敗ばかりだ」と思って、こちらが関わると患者さん自身も自分は変われないと思い込んでしまいます。
そうなると、その声掛けは「言葉のウイルス」になってしまいます。
自分の診察では少しでも自分の言葉が、その人にとっての「ビタミン」になれるようにと思って診療をしています。

2つ目は、人間の考えている脳そのものも内臓の一部なので、結局、数か月で全部入れ替わるものだということです。
つまり、色々と脳で考えることよりも、体がその考えたことに対して反応するものに応じる方が正しいような気がします。
例えば、学校に行こうとすると胸の奥がつまるような気がする、会社に向かっている途中で泣けてくる、など、こうした体の反応やサインを受け止めて日々の判断をする方が頭で考えて判断するよりも正しい判断ができるときがあるということです。

僕は、体と対話したら「ワクワク」したので、1年9ヵ月前に『さくメンタルクリニック』を開業しました!



2019年5月30日木曜日

「褒めること」は「叱ること」よりもずっと難しい

前回のブログに引き続き、今回のブログのテーマも「褒めること」と「叱ること」について、個人的な意見もふまえて書かせていただきます。

前回のブログでもふれていましたが「褒めること」は、すごく難しいことだと思います。
前提として、相手をちゃんと観察する必要がありますから。
ですが「褒めること」の重要性は、論を俟たないところであるとしても、ことさら大事なのはタイミングです。
正に、冒頭で述べているように観察していないと出来ない難しいところではありますが『ここ!』という時に褒めれば、相手も喜び、頑張る原動力になるだろうと思います。

また、褒めるときは出来るだけわかりやすく簡潔に、さりげなく褒めた方がいいのではないでしょうか。
その方が心に沁みるし、印象に残ります。

逆にくどくどと褒めると、何かわざとらしさが出てきて褒める言葉の価値は半減してしまうように思います。
本人自身が、自分で思っている評価よりも少し上の評価を下すことが大事だと思います。

このように、文字にしてブログでご紹介していると計算高く感じてしまわれるかもしれませんが、自然と無意識に出来るほど、実は簡単なことではないように思っています。

言葉だけを発するのではなく、この観察することからの一連で、褒められた相手は自信がつき『自分のことを見てくれている』と嬉しくて『頑張ろう!』ときっと思えるはずだから。



2019年5月23日木曜日

「褒めること」も「叱ること」も、そのバランスが大事!

最近、パワハラとか、虐待、体罰など、頻繁にメディア等で取り上げられていますが、問題として取り上げられている多くのケースで気になっていることがあります。

まず、そもそも、対人関係で相手に対して指導する上で、上の立場にいる人が 「叱ること」「叱られること」 に慣れていない、又はちゃんと叱ってもらえた経験が少ないような気がします。
子育てのことでいうと、叱られることに慣れていないで大人になったら、ちょっと叱られるだけで心が折れてしまって、誰か褒めてくれる人が現れるまで、社会から逃避し続けるのではないかと心配になります。

もちろん色々な側面はあると思いますが、ただ褒めて伸ばす教育だけだと、心は強くならず、むしろ、自分のことしか考えない、周囲に配慮ができない、自分の力を過信するなど、勘違いした大人になっていくような気がします。
それに褒められることに慣れてしまうと、褒められても喜びが感じにくくなり、ちょっと叱られただけで、かなり落ち込んでしまうという傾向になりがちです。

最近の職場における上司、学校の先生、医師といった僕なども含め、いわゆる管理職の立場の人が、相手を褒めるばかりで、叱れない、叱ることが出来ない環境や状況が増えているような気がします。
それを自己分析してみると、叱ることで、相手に反抗されるのが怖いからだと思います。

しかし、教育的な指導において、叱られることで相手は反発します。
その気持ちをバネにして、成長に必要な力が生まれてきます。
叱られた後に、「どうして叱られたのか?」「何が悪かったのか?」を、自分自身で自問自答することで成長促進的に進んでいけるという過程が開けていきます。
そのためにも、上に立つ側、指導をする側は、普段から観察しておく力が必要だと思います。
その観察力がないまま、何かを褒めても、叱っても意味はない気がします。
褒めること、叱ること、どちらにせよ、相手を思う気持ちをもって成長を願って伝えていければ、相手が成長していくプロセスに向かうような気がします。
そのことを意識して、日々を過ごしたいと思います。

「褒める」ことが大切だからこそ「叱る」ということも、すごく大事だということは覚えておく必要がありますね。



2019年5月16日木曜日

人に伝える際に、伝える側が大事にしておくべきこと

今の時代、子どもらに対して「こうしたら?」だけだと、なかなか伝わらず、どうしても行動してもらえません。

これは、診察場面や子育てなどを通じて僕が実感していることです。
正直なところ「動いてもらいにくいな~」というのを毎度、痛感しています。

ではそのようなとき、どうしているのか?
まずは彼らのニーズや目標などを明確にし、それを共有していく作業が必要で、多くの場合、それを優先して行っています。
例えば
「なんのために自分は頑張らなくてはいけないのか?」
「頑張ることで、何が得られるのか?」
という具合に、明確にした目標に向かうことで〈変わりたい〉という本人の欲求や気持ちが揺さぶられる必要があります。

それがない状態で「こうしたらどう?」では、なかなか動いてもらえません。
また、相手とこちらの関係が「まぁまぁ、こいつの話なら聞いてみようかな?」と、ちゃんと思ってもらえていないと、やっぱり動いてはくれないです。

共有することや関係性ができていない場合では、どんなに正しい言葉でも相手の耳には届かず、むなしくこぼれ落ちてしまいます。
逆に信頼関係があれば、いつか届くはずだと思います。

だからこそ、日々、誠実に人と向き合っていくしかないと思う日々です。



2019年5月9日木曜日

僕のGWは、こんな感じでした

新天皇即位の祝日になったことと、祝日法により10連休となった今年のGWでしたが、みなさんはどのように過ごされましたか?
10連休という大型連休でしたので、事前に色々と予定をたてておられた方も多かったのではないでしょうか。

僕も、両親や家族との予定をそれなりに考えていました。
が、
GW直前に妻が転倒して腕を骨折するという災難に見舞われてしまいました。。。

とりあえず夕食などを済ませたのちに診療時間後のクリニックで、ひとりで仕事や勉強をすることがあるのですが、その日の晩も同様にクリニックで仕事をしていました。
すると、あまりかかってこない時間帯なのにめずらしく携帯電話が鳴りました。
画面を確認すると着信は妻からで、とってみると電話越しの声から緊急事態だということがすぐにわかりました。

すぐさま自宅に戻ると、取り乱した妻は、変形した手首を抱えて泣きながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と、僕に謝っていました。
見た瞬間に骨折だとわかったので、すぐに救急車を呼び応急処置をしながら「大丈夫、謝らなくていいよ、大丈夫やから。」と声掛けをすると、次第に妻は落ち着きを取り戻しました。

ここからは一部、精神科医としての側面で僕の体験や所感をつづらせてもらいます。

実際上の骨折による局所的な疼痛(とうつう)という痛みと、変形した手首を本人が見て「この先どうなるだろう」「もし責められたらどうしよう」という不安や、「家族に対して申し訳ない」という気持ちなどが混在した状態で「心理的疼痛」が影響し、骨折による疼痛が何倍にも増幅していくという、余計に心身の悪循環の相互作用を来しているといった状況でした。

そこで「夫である僕が家に戻ってきてくれたこと」「夫である僕が自分のことを責めていないこと」「治療的な方向性に向かっていく」という安堵感から不安が少しずつ軽減していき、骨折による局所的な疼痛という痛みのみに分割していきました。
何がいいたいかというと、それくらい実際上の骨折の疼痛という身体の痛みに対して、心理的な疼痛という心の状態が、かなり影響していることを改めて実感しました。

その後も、救急車が到着し搬送される救急車内で、妻の表情はみるみる青白くなり過呼吸を呈しかけていきました。
ここも、骨折という激しい疼痛と、狭い救急車内での馴れない環境下により、自律神経が乱れ、過呼吸を呈していきました。
僕がすぐに救急車内のベッドで横になるように誘導し、手を握りながらゆっくり深呼吸をするように指示し、支持的に対応することで病院に到着した時には落ち着きを取り戻すことができていました。

症状としては重症ですが、それほど大事には至らなかったので、こうやって精神科医として振り返り、あまりしたくはありませんが正に渦中でのリアルな経験により、心身の相関を対人の相関で働きかけることにより心身が落ち着いていくという、個人としての心身相関の悪循環が、対人としての相互作用を通じて消失していくことを強く感じることができました。

病院に到着してからは、病院スタッフの対応の一つ一つが我々夫婦にとっては、いかに支えになったことか。
ほんの少しの支持的な声掛けでも、どれだけ我々夫婦の不安や動揺を落ち着かせてくれたことか。
確かに、GW直前という最悪な状況での救急受診だったので、待ち時間は凄まじく長く、正直イライラもしました。
でも、スタッフの方の真摯な対応や、声掛けへのありがたさを実感させていただきました。
やっぱり、自分が患者さん側に立つことでの「気づき」が、本当にたくさんありました。
そこを大事にして、今後の自分の診療にも生かしていきたいと思いました。
楽しみにしていたGWの予定はすべてなくなり、家族全員が号泣しましたが、家族の健康の心身の大切さを気づかせていただいたという点では、とてもいい経験になりました。

妻は、この骨折に伴い家事のほとんどができなくなりました。
と同時に、妻以外の家族全員が、多くの家事を当たり前のように妻にして貰っていたことに気づきました。
そうせざるを得ない状況になって初めて、僕や子どもたちは、料理、家事、掃除など、普段、妻にしてもらっていたことをすることになりました。
正直、全然できてないし、子どもらも動揺しています。
ですが、こうした妻の怪我という危機により、家族の相互の役割が変化するチャンスが到来しているのも感じます。

仕事ばかりで、妻がしてくれていることが、いかに自分には出来ないかに気づく夫。
普段から妻がしてくれるからと甘えていた部分を、急に自分たちがしなくてはならない状況に直面化して変化し始めている子どもたち。
一見、家族が停滞している、悪化しているように見えても、妻を支えようとすることで、らせん状に成長しているように僕には見えています。

妻には、手術、リハビリを頑張ってもらって、僕は、少しでもその支えと家事、育児の分担割合を増やしていき、子どもたちは、これまで母にしてもらっていたことを自分でやるようにしたり、家事(料理、掃除など)をやれるようになるチャンスです。

実際のところ、家族全員が、泣いたり、怒ったり、喧嘩したりの大型連休でした。
でもこれが、リアルな我が家の「ゴールデン」な「ウィーク」でした。



2019年4月25日木曜日

人はいつだって成長し続けることができる

知能については、さまざまな学者がそれぞれの理論を述べていますが、ある学者は人間には2種類の知能があると述べています。
ひとつは「流動性知能( 流動性一般能力 )」で、もうひとつは「結晶性知能( 結晶性一般能力 )」といいます。

流動性知能」 は、新しいことを学ぶ知能のことであり、 具体的には、推論する力、思考力、暗記力、計算力などが挙げられますが、 これは若い時の方が優れており加齢とともに衰えがみられることが特徴です。

一方、衰えないのが 「結晶性知能」 です。
過去の経験が土台になる能力をさし、免許や学位といった専門的な知識や、料理などの個人的な日常の習慣、長年にわたる趣味の手順や方法なども 「結晶性知能」 にあたります。
上記のように、経験の蓄積に基づく知能である 「結晶性知能」 には限界がありません。
流動性知能」は、 新しい場面に適応する能力ではありますが、「結晶性知能」は、以前の経験から新しい場面に推論、応用することもでき、年を重ね経験や知識の蓄積により発想力やひらめきが増えていくようです。

僕は40歳になりましたが、これからも積極的に知識と経験を蓄積していって、治療者として成長し続けていきたいと思います。



2019年4月18日木曜日

勉強して働く、働いたら、また勉強する、その繰り返し

僕は、普段、少しでも余裕ができたら勉強しています。

その勉強した内容で診療がうまくいったら、患者さんと治療的に関わることができたら、とても嬉しい気持ちになります。

そして、それによって当院スタッフとのやりとりや、スタッフ同士のやりとり、つまりはクリニック全体の流れや雰囲気などが不思議と良くなっているような気がしています。
そして、また勉強します。

勉強して働く、働いたら、また勉強する。
その繰り返しが、僕の精神科医としての人生そのものなんだと思います。

5月病にならない程度に楽しみながら、前へ進んでいきたいと思います。



2019年4月11日木曜日

診断名や病名よりも見立ての方がもっと大事!

僕は再診の患者さんの診察をする前には、当然なことですが、その患者さんの診断名や病名、見立てなどを頭に入れてから診療しています。
診察室で患者さんから「私の病名は何ですか?」とか聞かれることがあるのですが、咄嗟にそれが言えないことがあります。
僕の中では、診断名や病名というよりも、その人そのものと思って話をしているからです。

話は変わりますが、モンゴル人力士で元横綱の朝青龍が、現役時代に本場所での優勝後、腰、ひじなどの体調不良を理由に巡業を休み、モンゴルへ帰国しているにもかかわらず、 モンゴルで元気そうにサッカーをする様子がメディアで放送されたために非難が集中し、日本へすぐに呼び戻され、処分を受けることになり、この処分が決定された頃から、精神的な不調を呈していたのが、当時、テレビなどで取り沙汰されていました。
その様子に、テレビ番組に出演していた多くの精神科医が、それぞれの番組で朝青龍に対して、うつ病、適応障害とか解離性障害、PTSDなどなど、10人の精神科医がいたら10人とも診断が異なるなどがありました。
それだけ精神科領域の診断名というのは、その精神科医の診方によって、かなり異なるということです。

しかし、当時テレビ番組に出演していた多くの精神科医の先生らの朝青龍の治療における見立ては、あれだけ元々心身ともに屈強な人だから、まずはマスコミなどの接触をさけたり、情報を制限して本人が安心できる場所で、ゆっくり休息していければ自然と回復していくはずでしょう、といったもので、 そのほとんどの精神科医の見立ては、ほぼ共通していました。

これは一つの具体例としてあげさせていただきましたが、僕自身としても精神科領域で重要視しているのは、診断よりも見立て、見立てを意識して支援していくことです。
ただし、その見立てのためにも診断をきっちりするべき時は、診断をきっちりつけに行くことは言うまでもありません。



2019年4月4日木曜日

あの一言(ひとこと)があったから頑張れたという言葉

誰にだって過去の「あの 一言(ひとこと) があったから頑張れた」という言葉や経験はきっと存在すると思います。

僕の場合はといいますと、大阪の公立高校出身で高3の頃の成績は学年で最下位のレベルでした。
にもかかわらず、担任の先生と親との進路懇談の際に、僕は担任の先生に医学部に行きたいことを初めて相談しました。
もちろんのことながら、担任の先生からは即答で「無理です」と言われ、医学部への進学がいかに難関であるのかということが伝えられました。
その懇談は非常に空気が重くなる感じで進んでいき、その終盤に重苦しくなった空気を断ち切るように、担任の先生から「作田くんは人一倍生命力があるから、どこでも、どうなっても生きていける気がするわ~」と、僕の良いところを絞り出すように褒め言葉をかけてくださり面談が終了しました。

僕はその後、3年間の浪人生活を経て医学部に何とか入学できました。
苦しい浪人生活で何度か諦めそうな時もありましたが、その言葉がどこかで支えになっていました。
その後も、現在に至るまで「どんな状況でも、僕は生きていける!」 この言葉が自分を支えてくれたことは想像に難くないと思います。

人に褒められた言葉は、長期に渡って支えになるものですね。
たった一言(ひとこと)ですが、振り返ると改めて本当にそう思えます。
今も時々その言葉が自分の中で蘇り「大丈夫、どうなっても生きていける!」と自然と前を向いて、また頑張ろうと思えます。

「たとえ、どうなろうとも生きていける気がする!」



2019年3月28日木曜日

僕のリフレッシュ方法は、プチ贅沢、プチ銭湯です!

僕は、人一倍食いしん坊です。
また、温泉や銭湯が大好きで、特に開業してからはさらに大好きになりました。

みなさんも仕事や日々の生活の中であるかもしれませんが、僕の場合は1日診察をしていると、頭の中がやけどしたような、
何か心が苦し~くなることも日常で良くあります。

だけど、美味しいものを食べた瞬間は、そうしたことの「
思考過剰循環状態」から抜け出せることができます。「美味しい!」と思うことで、思考過剰状態から脱して、美味しいの感覚により『今』に戻ってこれる。
また同様に、いい湯に浸かると自然と「あ~、きく~」
みたいな声が漏れます。
やはり、その瞬間にこれまでの思考過剰状態から脱して、
あったか~い湯を通じて身体感覚から『今』に戻ってこられる。
そして「また明日も頑張っていこう」とリフレッシュし、
なるべく早めに寝る。

僕は、しんどくなりそうになったら、プチ贅沢、プチ銭湯です。



2019年3月21日木曜日

治療は子育てと同じで、技術よりも愛情!

10年近く児童精神科の診療をしていますが「子育て」は、 僕の診療の中でとても大事なテーマです。

以前、実家に帰った際に研修や勉強して学んできた「子育て」についての話を、母にレクチャーすると、
「そんな難しいことはよくわからないけど、やっぱり子育ては愛情やと思うわ~。」
と、僕の学んできた「子育て」の技術的なことについての話は、全てこの言葉でオチをつけられてしまいました。

若かった当時の僕は、その言葉に釈然としませんでした。
もちろん「愛情」も大事だということはわかっていましたが、やはり如何に大事なのは「どのように関わるか」ということに関心が強かったからです。

でも、最近は母の言ってた言葉が自分の中で許容できてきました。
結局は、「子育て」「診療」もそうですけど、「愛情」を持ち、相手の幸せを願いながら「利他の精神」で少しでも関わろうとしたら、目先の対応も少しずつ良くなっていくはずだと思います。
だからこそ僕自身、少しでも「利己 < 利他」で、何とかやっていけたらと思います。



2019年3月14日木曜日

僕は患者さんを治療しているのではなく、自分を治療しているにすぎないと感じる日々です

今回のブログのタイトルについては、ふだん僕が診療中に感じていることです。

診察を通して患者さんが抱いている不安感や戸惑いなどの感情を、僕自身も同様に抱くことがあります。
また、患者さんは問題を抱えて相談に来られるわけですが、診察を通して僕自身も患者さんが抱えているその問題を聴いていく中で身動きがとりにくくなり、患者さん同様に一緒に腹を立てたり、怒りを覚えたりすることを自分の心の中で感じるときもあります。

良くも悪くも感情移入しすぎてしまうことがあり、その度に自分の心の中で自分と向き合います。
「冷静に」と、自分に言い聞かせて軌道修正し解決方法を探し出しますが、そういうケースでは治療が難航してしまったと感じることもあります。

その度に思うのです。
「僕は患者さんを通じて自分の心の弱さや無知と向き合って、自分自身を成長させていかないとな~」と、痛感します。
その都度反省を繰り返し、前を向いていくしかないと思う日々です。

「やはり、患者さんを治療しようとすることで自分の心と向き合わないといけない、そして向き合った自分の心を健康的な状態に保ち、その心を軸にして支援をしていければ、もう少し ましな診療ができるはず」
そう信じて、日々の診療で患者さんや自分の心とこれからも向き合っていきたいと思います。         

2019年3月7日木曜日

利己と利他のバランスって大事ですね

みなさん、この言葉をご存知でしょうか? 
天台宗の開祖である最澄(伝教大師)の教えの中に、「忘己利他(もうこりた)」という教えがあります。 
このブログを書くために「もうこりた」とパソコンで変換すると、「もう懲りた」と変換されるので(笑)、そんなに日常の中で使うことはないかもしれません。

忘己利他(もうこりた)とは、「人の嫌がること(行為)は、自分が引き受け、喜ばれること(行為)は他にまわす。この心がけを持って他人を思いやること」という意味だそうです。
以前、当ブログでも延暦寺でのエピソードをいくつかご紹介しましたが、「自分のことよりも、相手の幸福を願う菩薩のような慈悲心を持って自分に厳しくあることが大事だ」と、この教えについて延暦寺の僧侶から心がけを頂きました。

もちろん利他の精神が大事なのはわかってますが、どうしても利己的になっている自分がいます。
自分の心の中には、
・利己的な自分
・利他的な自分
がいますが、その分別や折り合いを自分でつけて日々の生活を送っていきたいと思います。

この心がけを頂いた時や、その後、このブログを書いている今、もしかするともっともっと以前から何となく思っていたことなのかもしれませんが、改めて結局こう思うんです。
人のことを大事にしようとすること、誰かのためにということを人生の目標にした方が後悔の少ない人生になる、ということを。
でも、自分の欲を満たしてあげることも大事ですし、だからこそ、人を大事にしたいと思える。
だから順番は利己から利他に向かっていく。
目指すのは利他ですよね、ということです。

僕にとっての利他とは、このクリニックが少しでも治療的な基地になることです。
さあ、これからも頑張るぞ~。



2019年2月28日木曜日

自分の言葉で対応することが大事ですね

突然ですが、僕は精神科医という仕事をしています。
その仕事のほとんどを占めているのは、患者さんとの対話です。

精神科医の仕事は、薬物療法や、心理教育や、患者さんとの関わりの全てが精神療法の中に包含されたものであると思っています。
医師と患者さんが診察室内での対話を通じての相互作用で、少しずつ患者さんが良くなっていくためのお手伝いをするということ、その関わりの全般そのものが精神療法なんだと考えています。

少しでも自分の精神療法のレベルをアップできるように、時間を見つけては、いろいろ勉強して診療に臨むのですが、ときには勉強してきた内容が何か借り物のような感じで、誰かの物まねをしているような感じになったりすることもあります。
やはりそのようなときは、患者さんの心には響かず、むしろ治療的にスベっている、その場が凍っただけ、という状態になってしまいます。

少しでも自分の中に治療的な力が身についていって、”自分の、心底、内部から湧き出てきた言葉で患者さんに対応していきたい!" そう思いながら日々試行錯誤していますが、このざまです!残念!と、いつも自分への不甲斐無さを感じながら、また明日に向かって診療の準備をしていきたいと思っています。

上記は、まさに日々の僕の心の想いです。
以前、当ブログでも少しふれさせていただきましたが、 仕事の日の朝は起きてからずっとドキドキで、朝食も食欲が湧かず、 しんどい中で来てくれた患者さんに対し、ちゃんと自分が診察を通して今日一日患者さんと治療的に関われるだろうか?無事に1日の診療が滞りなくやれるだろうか?という予期不安で、緊張しっぱなしという状態で、 日々の診察前が一番しんどいです。
〈 以前のブログ ⇒ 診療についてのお知らせ 〉

また、僕には治療的に関わる力があると、どこか過信している自分がいることも自分自身気づいています。
その自分の期待に応えられるよう日々頑張って、自分自身もいろんな人に助けてもらうことで、その支援の輪が広がって少しでも患者さんを楽にさせることが、自分の人生の楽しみです。
これからもその楽しみに向けて ”自分らしく” 進んでいきたいと思います。 


2019年2月21日木曜日

子どもどうしが喧嘩した際の、最近 親である僕がした対応について

先日、仕事から帰ると、子どもたち二人で仲良くお風呂に入っていました。
しかし、その次の瞬間、この世の終わりのような泣き声で子どもたち二人がお風呂から出てきて、お互いに自分の言い分を主張し喧嘩がヒートアップしていきました。

僕は、双方の間に入って両方を真剣に見た後「コマネチ!」を数回繰り返しました。
 ※ コマネチ!・・・ 1980年代前半に大流行したビートたけしさんの代表する一発ギャグです。(一応、もし知らない方への補足です。)
子どもたちの間に冷たい空気が流れていきましたが、その後は、お互いに何事もなかったように引き続き喧嘩をしていました。
今度は、僕は自分の席に戻ってテレビを集中して観て、その内容を夫婦で話したりして我関せず・・・。
その数分後、子どもどうしの喧嘩は終わっていました。
翌朝は、喧嘩をしていた子どもたち二人で早起きしてブロック玩具でごっこ遊びを楽しんでいました。

子どもだから些細なことでも怒りますし、そこを親が「どうしたの?」と喧嘩している最中に間に割って入ると、親はその場で裁判官のような役割を担わされ、その場は法廷と化し、どっちが正しいか?のヒートアップが生じます。
また、どっちが正しいかを親が追及すると、親が弁護士のような役割を担わされ、やはりその場は法廷となってしまうでしょう。
しかし、どっちの言い分も聞くなと言っているわけではありません。念の為ですが、親の対応として大事なことは「コマネチ!」だと言いたいわけでもありません。(笑)

大事なこととして自分自身が意識していることは、こうした子どもどうしで喧嘩している時に、親が心の中で「兄弟・姉妹喧嘩はダメだ~!」と、本気で「問題だ~!」と思いすぎないように気を付けています。
時には子どもを叱らないといけないこともあるでしょう。
感情に任せて叩くなどは絶対にダメですが「叱るのはせいぜい60秒以内で済ませることが重要です。
子どもは子どものうちに喧嘩して、仲直りして、人間として成長していくと思いながら親は子どもと関わっていく。
子どもの問題行動を、本気で「問題だ」と、親が思わないで子どもと接していくと自然と問題は消えていくことが多いと思います。
だからこそ、僕はそんな時には「コマネチ!」

寒い日が続きますが、みなさん健康第一でいきましょう!



2019年2月14日木曜日

幸せの基準

今回のブログは、久しぶりに『エックハルト・トールの「子育て」の魔法:あなたが気づけば、子供は変わる!』の内容をご紹介したいと思います。
〈エックハルト・トールの「子育て」の魔法:あなたが気づけば、子供は変わる! スーザン・スティフェルマン著、徳間書店、1800円(税別)〉

まず、作家のマーシー・シャイモフという方を、簡単にご紹介したいと思います。
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【プロフィール】
マーシー・シャイモフ(Marci Shimoff/女性)は、自己啓発セミナーを手掛けるメンタルコーチ、自己啓発作家、講演家で、企業や教育機関などで数多くの講演を行っている人物です。著書も多数発表し、彼女の著作は30以上の言語に翻訳され全世界累計で1400万部を突破しています。

【主な著書】
『確実に自分を変えていく法:もっと「脳にいいこと」だけをやりなさい!』三笠書房(訳:茂木健一郎)
『「脳にいいこと」だけをやりなさい!:心と体がみるみる元気になる生活術!』三笠書房(訳:茂木健一郎)
『ブレイクスルー!:自分らしく生きていくための12の壁の壊し方』フォレスト出版(ジャネット・アットウッド,クリス・アットウッド,ジェフ・アフレックらとの共著, 訳:鶴田豊和)
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※ この方の本を売りたいわけではありません(笑)

このマーシー・シャイモフは、幸せの基準を決めるのは、
・遺伝(50%)
・習慣(40%)
・環境(10%)
の3つだと言っています。

だとすると、悲観的な考え方をしがちな遺伝子を受け継いだ人は、残念な人生を送る可能性が50%になる?

しかし、実際はそうではありません。
遺伝子学者であるデイビッド・レイケル(ウィスコンシン大学医学公衆衛生大学院の統合医学部長)は、習慣を変えればDNAも変えられると言っています。
エピジェネティクス(遺伝子の周りという意味です)、つまり遺伝子を浸すスープは選択によって決められると表現しています。
遺伝子を喜びや幸せや運動や栄養満点のスープに浸せることもできるし、怒りや希望の欠如、座ってばかりの生活習慣のスープにも浸すことができます。

人間は毎日6千もの考えごとをしているそうです。
そのうちの80%は否定的なことだとも言われています。
しかも、今日考えていることのおよそ95%は、昨日か一昨日かその前日に考えていたこととだいたい同じとみられています。

つまり、習慣化している考えを変えなければ、4万5千個もの否定的な考えに来る日も来る日もどっぷり浸り続けることになります。

子どもに幸せを感じるという習慣を持たせる最も効果的な方法は、親自身がそうした習慣を身につけることです。
私たち親が、人生の難局で悲しみに暮れたりせずに自身の失望を受けとめる姿を見せれば、子どもは人生の難局においても冷静でいる自分をイメージできるようになります。

エックハルト・トール曰く、本当の幸せは穏やかで奥深いものです。
幸せは、私たちが今ある状態そのものであり、普通の日とも特別な日も関係なく、日々のあらゆる瞬間に深い喜びを与えてくれる、それに自分が気づくかどうかにかかっています。
心を開いて今の瞬間に与えられているものに感謝すれば、一切れのパンに手を伸ばすことにさえも幸せを感じられるようになります。

『本当の幸せとは、生きているという奇跡を楽しむことにある。』
これは、子どもたちに伝えたい大切な教えです。



2019年1月31日木曜日

父のことをパパと、母のことは普通にお母さんと呼んできた理由

正月(元旦)に更新したブログの内容で、当ブログの読者から素朴な質問を受けたので、質問に対する回答を含め前回のブログを書いた経緯と心境を、少し照れくさいですがご紹介したいと思います。
<2019年1月1日火曜日 ブログ ・謹賀新年>

まず前回ブログの内容で、どのような質問を受けたのかというと、僕は27歳頃まで父親を「パパ」と呼び、母親のことは「お母さん」と呼んでおり、それはどうしてか?「ママ」ではなかったの?というような質問でした。
同様に疑問に思われた方も、もしかするといらっしゃったかもしれませんね?(笑)

この疑問からご回答させていただきますと、僕自身も後に母親から教えてもらい知ったのですが、僕の父親が生れたばかりの赤ちゃんである僕に先に呼んで欲しかったから「パパ」と言わせたそうです。
母は、その父の想いを尊重していたからか、「お母さん」になったようです。
両親は福井県の田舎の人間なので、もともと「パパ」とか「ママ」ではなく「お父さん」「お母さん」と呼ぶはずだったと思いますが、父のADHD特性が故に「自分が自分が~」になった部分で「パパ」と「お母さん」となりました。
質問に対しては、このような当時の僕に対する父の想いや、その父の想いを母が尊重した等の経緯があったことが回答となります。
僕が親になってからは、「じ~ちゃん」「ば~ちゃん」になったので、呼び方も年代にあってきたから良かったですが、今でも咄嗟に「パパ!」と呼ぶと、自分でも変な感じがします。(笑)

ちなみに、前回のブログと今回のブログは、自分が両親に対してこれまでしてきたこと、特にいろいろと迷惑をかけてきたことを思い出しながら書いていました。
両親のことを思いつつ過去を振り返りながら、ブログの内容を考えていると自然と目に涙が溢れ出してしまいました。
またそれと同時に、当時自分が両親にしてきたことを親も戸惑いながら受けとめつつ、関わってくれたことを思い出します。
そういうことが今の自分の診察の根源になっています。
うまく文章で表現出来ていないかもしれませんが、「平坦ではなく、挫折して良かった!」「病気して良かった!」「生きてて良かった!」「ありがとう!」みたいな感じです。

僕の診察は、親が子どもをみる「慈しむ」「愛でる」という想いで、患者さんと関わりたいという想いが根源にあります。
だからこそ、1月1日の新年の挨拶では「両親への感謝を大事にしたい!」と思い、正月の挨拶でのブログの内容にしました。

親が子どもを育てる想いが、医者が患者を診察する想いとつながる気がしています。
だからこそ、父親のごつごつの手、母の温もりを思い出してそれに感謝して、自分の誕生と新年を祝い迎えることを大事にし、その気持ちを大切にこの1年も診療をしていきたいと思います。
まだ1月ですので、改めて本年もよろしくお願いします。


2019年1月1日火曜日

謹賀新年

あけましておめでとうございます。

おかげさまで、当院に通院に来て頂いている患者さん、当院で働いてくれている受付、心理士スタッフ、当院を後方でサポートしてくれている皆様方のおかげで、さくメンタルクリニックの2回目の正月を迎えることができました。

この場をお借りして厚く御礼申し上げます。

私事ですが、40年前の1月1日の午前6時過ぎ、元旦に僕は予定日より早めに出生しました。
紆余曲折ありましたが、おかげさまで、子どもの頃からの夢であった、治療的な医療を実践するという行程に、まだ全然道半ばですが、今、入れていることがとてもありがたいと思っています。

指圧で指紋がなくなるまで、夜遅くまで働いて僕を医者にしてくれた「パパ」(社会的におやじ、おとんと呼び、現在はじ~ちゃんと呼んでいますが、27歳頃まで僕はパパと呼んでいました。)
ありがとう!
作田整骨院の息子であることを、僕は誇りに思っています。

人一倍以上の愛情を持って育ててくれたお母さん(現在はば~ちゃんと呼んでますが)140㎝台の小柄な体なのに一杯ご飯を食べさせてくれて、180㎝を超える僕を作ってくれてありがとうございます。

両親をはじめとして家族、また、自分の人生を通して繋がってきた出会いや現在のご縁を大事にして、必ず良い医療を実践する!という想いを胸に、日々を大事にしていきたいと思います。
40歳になった “作田院長” と、生後1歳の “さくメンタルクリニック” を、本年も何卒よろしくお願い致します。